University of Virginia Library

5.9. 貧福論

陸奥の國蒲生氏郷の家に。岡左内といふ武士あり。禄おもく。誉たかく。丈夫の名を 関の東に震ふ。此士いと偏固なる事あり。富貴をねがふ心常の武扁にひとしからず。 倹約を宗として家の掟をせしほどに。年を畳て富昌へけり。かつ軍を調練す間には。 茶味翫香を娯しまず。廰上なる所に許多の金を布班べて。心を和さむる事。世の人の 月花にあそぶに勝れり。人みな左内が行跡をあやしみて。吝嗇野情の人なりとて。爪 はぢきをして悪みけり。家に久しき男に黄金一枚かくし持ちたるものあるを聞つけて。 ちかく召ていふ。崑山の璧もみだれたる世には瓦礫にひとし。かゝる世にうまれて弓 矢とらん躯には。棠谿墨陽の釼。さてはありたきもの財寳なり。されど良剱なりとて 千人の敵には逆ふべからず。金の徳は天が下の人をも従へつべし。武士たるもの漫に あつかふべからず。かならず貯へ蔵むべきなり。なんぢ賎しき身の分限に過たる財を 得たる鳴呼の事なり。賞なくばあらじとて。十両の金を給ひ。刀をも赦して召つかひ けり。人これを傳へ聞て。左内が金をあつむるは長啄にして飽ざる類にはあらず。只 當世の一竒士なりとぞいひはやしける。其夜左内が枕上に人の來たる音しけるに。目 さめて見れば。燈臺の下に。ちいさげなる翁の笑をふくみて座れり。左内枕をあげて。 こゝに來るは誰。我に粮からんとならば力量の男どもこそ参りつらめ。なんぢがやう のほげたる形してねふりを魘ひつるは。狐狸などのたはむるゝにや。何のおぼえたる 術かある。秋の夜の目さましに。そと見せよとて。すこしも騒ぎたる容色なし。翁い ふ。かく参りたるは魑魅にあらず人にあらず。君がかしづき給ふ黄金の精霊なり。年 來篤くもてなし給ふうれしさに。夜話せんとて推てまいりたるなり。君が今日家の子 を賞じ給ふに感て。翁が思ふこゝろばへをもかたり和さまんとて。假に化を見はし侍 るが。十にひとつも益なき閑談ながら。いはざるは腹みつれば。わざとにまうでゝ眠 をさまたげ侍る。さても富て驕らぬは大聖の道なり。さるを世の悪ことばに。富るも のはかならず慳し。富るものはおほく愚なりといふは。晋の石崇唐の王元宝がごとき。 豺狼蛇蝎の徒のみをいへるなりけり。往古に富る人は。天の時をはかり。地の利を察 らめて。おのづからなる富貴を得るなり。呂望齊に封ぜられて民に産業を教ふれば。 海方の人利に走りてこゝに來朝ふ。管仲九たび諸侯をあはせて。身は倍臣ながら富貴 は列國の君に勝れり。范蠡。子貢。白圭が徒。財を鬻ぎ利を遂て。巨萬の金を畳なす。 これらの人をつらねて貨殖傳を書し侍るを。其いふ所陋とて。のちの博士筆を競ふて 謗るは。ふかく頴らざる人の語なり。恒の産なきは恒の心なし。百姓は勤て穀を出し。 工匠等修てこれを助け。商賈務めて此を通はし。おのれ/\が産を治め家を富して。 祖を祭り子孫を謀る外。人たるもの何をか為ん。諺にもいへり。千金の子は市に死せ ず。富貴の人は王者とたのしみを同じうすとなん。まことに渕深ければ魚よくあそび。 山長ければ獣よくそだつは天の随なることわりなり。只貧しうしてたのしむてふこと ばありて。字を学び韻を探る人の惑をとる端となりて。弓矢とるますら雄も富貴は國 の基なるをわすれ。あやしき計策をのみ調練て。ものをやぶり人を傷ひ。おのが徳を うしなひて子孫を絶は。財を薄んじて名をおもしとする惑ひなり。顧に名とたからと もとむるに心ふたつある事なし。文字てふものに繋がれて。金の徳を薄んじては。み づから清潔と唱へ。鋤を揮て棄たる人を賢しといふ。さる人はかしこくとも。さる事 は賢からじ金は七のたからの最なり。土にうもれては霊泉を湛へ。不浄を除き。妙な る音を蔵せり。かく清よきものゝ。いかなれば愚昧貪酷の人にのみ集ふべきやうなし。 今夜此憤りを吐て年來のこゝろやりをなし侍る事の喜しさよといふ。左内興じて席を すゝみ。さてしもかたらせ給ふに。富貴の道のたかき事。己がつねにおもふ所露たが はずぞ侍る。こゝに愚なる問事の侍るが。ねがふは祥にしめさせ給へ。今ことわらせ 給ふは。専金の徳を薄しめ。富貴の大業なる事をしらざるを罪とし給ふなるが。かの 紙魚かいふ所もゆゑなきにあらず。今の世に富るものは。十が八ッまではおほかた貪 酷残忍の人多し。おのれは俸禄に飽たりながら。兄弟一属をはじめ。祖より久しくつ かふるものゝ貧しきをすくふ事をもせず。となりに栖つる人のいきほひをうしなひ。 他の援けさへなく世にくだりしものゝ田畑をも。價を賎くしてあながちに己がものと し。今おのれは村長とうやまはれても。むかしかりたる人のものをかへさず。禮ある 人の席を譲れば。其人を奴のごとく見おとし。たま/\舊き友の寒暑を訪らひ來れば。 物からんためかと疑ひて。宿にあらぬよしを應へさせつる類あまた見來りぬ。又君に 忠なるかぎりをつくし。父母に孝廉の聞えあり。貴きをたふとみ。賎しきを扶くる意 ありながら。三冬のさむきにも一裘に起臥。三伏のあつきにも一葛を濯ぐいとまなく。 年ゆたかなれども朝にくれに一椀の粥にはらをみたしめ。さる人はもとより朋友の訪 らふ事もなく。かへりて兄弟一属にも通を塞れ。まじはりを絶れて。其怨をうつたふ る方さへなく。汲/\として一生を終るもあり。さらばその人は作業にうときゆゑか と見れば。夙に起おそくふして性力を凝し。西にひがしに走りまどふありさまさらに 閑なく。その人愚にもあらで才をもちうるに的るはまれなり。これらは顔子が一瓢の 味はひをもしらず。かく果るを佛家には前業をもて説しめし。儒門には天命と教ふ。 もし未來あるときは現世の陰徳善功も來世のたのみありとして。人しばらくこゝにい きどほりを休めん。されば富貴のみちは佛家にのみその理をつくして。儒門の教へは 荒唐なりとやせん。霊も佛の教にこそ憑せ給ふらめ。否ならば祥にのべさせ給へ。翁 いふ。君が問給ふは往古より論じ盡さゞることわりなり。かの佛の御法を聞けば。富 と貧しきは前生の脩否によるとや。此はあらましなる教へぞかし。前生にありしとき おのれをよく脩め。慈悲の心専らに。他人にもなさけふかく接はりし人の。その善報 によりて。今此生に富貴の家にうまれきたり。おのがたからをたのみて他人にいきほ ひをふるひ。あらぬ狂言をいひのゝじり。あさましき夷こゝろをも見するは。前生の 善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひのなせるにや。佛菩薩は名聞利要を嫌給 ふとこそ聞きつる物を。など貧福の事に係づらひ給ふべき。さるを富貴は前生のおこ なひの善りし所。貧賎は悪かりしむくひとのみ説なすは。尼媽を蕩かすなま佛法ぞか し。貧福をいはず。ひたすら善を積ん人は。その身に來らずとも。子孫はかならず幸 福を得べし。宗廟これを饗て子孫これを保つとは。此ことわりの細妙なり。おのれ善 をなして。おのれその報ひの來るを待は直きこゝろにもあらずかし。又悪業慳貪の人 の富昌ふるのみかは。壽めでたくその終をよくするは。我に異なることわりあり。霎 時聞せたまへ我今假に化をあらはして語るといへども。神にあらず佛にあらず。もと 非情の物なれば人と異なる慮あり。いにしへに富る人は。天の時に合ひ。地の利をあ きらめて。産を治めて富貴となる。これ天の随なる計策なれば。たからのこゝにあつ まるも天のまに/\なることわりなり。又卑吝貪酷の人は。金銀を見ては父母のごと くしたしみ。食ふべきをも喫はず。穿べきをも着ず。得がたきいのちさへ惜とおもは で。起ておもひ臥てわすれねば。こゝにあつまる事まのあたりなることわりなり。我 もと神にあらず佛にあらず。只これ非情なり。非情のものとして人の善悪を糺し。そ れにしたがふべきいはれなし。善を撫悪を罪するは。天なり。神なり。佛なり。三ッ のものは道なり。我ともがらのおよぶべきにあらず。只かれらがつかへ傅く事のうや /\しきにあつまるとしるべし。これ金に霊あれども人とこゝろの異なる所なり。ま た富て善根を種るにもゆゑなきに恵みほどこし。その人の不義をも察らめず借あたへ たらん人は。善根なりとも財はつひに散すべし。これらは金の用を知て。金の徳をし らず。かろくあつかふが故なり。又身のおこなひもよろしく。人にも志誠ありながら。 世に窮られてくるしむ人は。天蒼氏の賜すくなくうまれ出たるなれば。精神を労して も。いのちのうちに富貴を得る事なし。さればこそいにしへの賢き人は。もとめて益 あればもとめ。益なくばもとめす。己がこのむまに/\世を山林にのがれて。しづか に一生を終る。心のうちいかばかり清しからんとはうらやみぬるぞ。かくいへど富貴 のみちは術にして。巧なるものはよく湊め。不肖のものは瓦の解るより易し。且我と もがらは。人の生産のつきめぐりて。たのみとする主もさだまらず。こゝにあつまる かとすれば。その主のおこなひによりてたちまちにかしこに走る。水のひくき方にか たふくがごとし。夜に昼にゆきくと休ときなし。たゞ閑人の生産もなくてあらば。泰 山もやがて喫つくすべし。江海もつひに飲ほすべし。いくたびもいふ。不徳の人のた からを積は。これとあらそふことわり。君子は論ずる事なかれ。ときを得たらん人の 倹約を守りついえを省きてよく務めんには。おのづから家富人服すべし。我は佛家の 前業もしらず。儒門の天命にも抱はらず。異なる境にあそぶなりといふ。左内いよ/ \興に乗じて。霊の議論きはめて妙なり舊しき疑念も今夜に消じつくしぬ。試にふ たゝび問ん。今豊臣の威風四海を靡し。五畿七道漸しづかなるに似たれども。亡國の 義士彼此に潜み竄れ。或は大國の主に身を托て世の変をうかゞひ。かねて志を遂んと 策る。民も又戦國の民なれば。耒を釈て矛に易。農事をことゝせず。士たるもの枕を 高くして眠るべからず。今の躰にては長く不朽の政にもあらじ。誰か一統して民をや すきに居しめんや。又誰にか合し給はんや。翁云。これ又人道なれば我しるべき所に あらず。只富貴をもて論ぜは。信玄がごとく智謀は百が百的らずといふ事なくて。一 生の威を三國に震ふのみ。しかも名将の聞えは世挙りて賞ずる所なり。その末期の言 に。當時信長は果報いみじき大将なり。我平生に他を侮りて征伐を怠り此疾に係る。 我子孫も即他に亡されんといひしとなり。謙信は勇将なり。信玄死ては天が下に對な し。不幸にして遽死りぬ。信長の器量人にすぐれたれども。信玄の智に及ず。謙信の 勇に劣れり。しかれども富貴を得て天が下の事一回は此人に依す。任ずるものを辱し めて命を殞すにて見れば。文武を兼しといふにもあらず。秀吉の志大なるも。はじめ より天地に満るにもあらず。柴田と丹羽が富貴をうらやみて。羽柴と云氏を設しにて しるべし。今龍と化して太虚に昇り池中をわすれたるならずや。秀吉龍と化したれど も蛟蜃の類也蛟蜃の龍と化したるは。壽わづかに三歳を過ずと。これもはた後なから んか。それ驕をもて治たる世は。往古より久しきを見ず。人の守るべきは倹約なれど も。過るものは卑吝に陥る。されば倹約と卑吝の境よくわきまへて務むべき物にこそ。 今豊臣の政久しからずとも。萬民和はヽしく。戸々に千秋楽を唱はん事ちかきにあり。 君が望にまかすべしとて八字の句を諷ふ。そのことばにいはく

尭[mei ]日杲百姓帰家

数言興盡て遠寺の鐘五更を告る。夜既に曙ぬ。別れを給ふべし。こよひの長談ま ことに君が眠りをさまたぐと。起てゆくやうなりしが。かき消て見えずなりにけり。 左内つら/\夜もすがらの事をおもひて。かの句を案ずるに。百姓家に帰すの句粗其 意を得て。ふかくこゝに信を發す。まことに瑞草の瑞あるかな

雨月物語五之巻大尾
安永五歳丙申孟夏吉旦
寺町通五條上ル町
京都 梅村判兵衛
書肆
高麗橋
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壹町目

大坂 野村長兵衛
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The Ueda Akinari Zenshu reads 高麗橋筋壱町目.