University of Virginia Library

大詰 田島町團七内の場

  • 役名==釣船の三婦。
  • 一寸徳兵衞。
  • 團七女房、お梶。
  • 同一子、市松。
  • 役人、堤藤内。
  • 團七九郎兵衞。
本舞臺、一面の平舞臺、向うのれん口、上手、押入れ。ズツと上手に一間の障子屋體、いつもの所に門口、その外に腰障子、すべて團七の體。聖天にて幕明く。
[ト書]

ト直ぐに床の淨瑠璃になり


[唄]

[utaChushin] 妻のお梶は父親の、敢へなき最期常からの、心ゆゑとはいひながら、悲しさ餘り今日も又、墓參りして立歸る。


[ト書]

ト聖天になり、お梶、日傘を持ち、向うより歸つて來ると。


[唄]

[utaChushin] 子供遊びのわやく同士。


[ト書]

ト下座より市松に大勢の子供附いて、ワヤ/\喚きながら出る。


子一

また市松が擲き居つた。


子二

わしもぶたれた。叩き返す/\。


[ト書]

トお梶、この中へ入り


かぢ

これはしたり、また市松かせぶらしたか。堪忍しや堪忍しや。オヽ、憎い奴ぢやの。わしがぶち返してやりませうぞや。


子一

此方の町へ來をつたら、寄つてかゝつて


皆々

縛つてやるぞよ。


市松

おのれ、その口止めてやらう。


[ト書]

ト追ひかけうとする。子供皆々逃げて入る。お梶、市松を止めて


かぢ

コレ市松、あの子達に怪我させたら何とする。ほんにマア、親に似ぬ子は鬼ツ子と、九郎兵衞どのゝ一徹によう似た事ぢやなア。祖父樣が七日後に、長町裏で殺され、その切り手を詮議最中。意趣ある者の覺えはないかと、母は毎日お上へ呼ばれ、心も心ならぬのに、如何に子供ぢやというて、あんまり惡戯ぢやぞよ。そしてマア、父樣は其方を置いて、何處ぞへござつたのかえ。


市松

イヤ、父樣は奧に寐てぢや。おれが敵討の芝居の眞似をしてゐたら、彼奴等が親の敵と云うて、おれを擲き居つたに依つて、祖父樣の敵と云うて擲き返したのぢや。母樣、祖父樣を切つた奴が知れたら、おれが殺してやるぞえ。


[ト書]

トこれにてお梶、思ひ入れ。


かぢ

其方さへそれ程に、祖父樣の事思やるに、わしは常から愛想が盡き、疊の上では死なつしやるまい。ひよんな死をすると思うたゆゑ、切つた奴を何んとも思はなんだ。思へばわしは不孝な者。惡い人でも親は親。澤山さうに思つたのが、今では口惜しい、悲しいわいなア。


[唄]

[utaChushin] 口説き涙の折からに。


[ト書]

トお梶、市松を内へ入れ、すかす思ひ入れ。


[唄]

[utaChushin] 心の合うた友烏、なきに立寄る一寸徳兵衞。


[ト書]

ト唄になり、向うより徳兵衞、肩に貫錢を擔ぎ、笠を持ち、旅形にて出て、直ぐに舞臺へ來り


徳兵

コレ、九郎兵衞は内にか。玉島へ下るゆゑ、暇乞ひにちよつと來たわい。


[ト書]

ト内へ入る。お梶、見て


かぢ

オヽ、誰れだと思へば鹽原さん。これからお下りでござんすか。暑い時分に、大抵ではござんせぬなア。どうぞお辰さんへも、よろしう言傳して下さんせ。


徳兵

イヤモウ、言傳受取つても死人同然、ついに云うた事がない……イヤ、その死人で思ひ出した。親仁を殺した者は、まだ知れぬかいの。


かぢ

サア、お上にも御詮議が強いけれど、未だに知れませぬわいなア。


徳兵

さうであらう/\。殺して物を取つたとか、その晩に大きな出入りでもあつたなら、詮議の手がゝりにもなるであらうか、あの親仁に意趣ある者といへば、大坂中に數限りなくある。すりや知れぬ筈ぢや。定めてその事で九郎兵衞も、心遣ひして居やるなう。


かぢ

推量して下さんせ。主もホツとしたかして、寐てばかりゑるわいなア。どうで切つた者は知れますまい。いとしや犬死でござんせうわいなア。


[ト書]

ト泣く。


徳兵

ハテ、もう泣かぬがよい。もう諦める事ぢやて。時に、九郎兵衞に、ちよつと逢つて行きたいが。


かぢ

ほんに、起しませうわいなア、


徳兵

よく寐てゐるなら、マア後でもよいて。


かぢ

イエ/\、また後で叱られるわいなア。コレ市松、父さんを起しておぢや。


市松

アイ/\。


[ト書]

ト一間へ入り


[市松]

コレ父樣、小父樣が來てぢや。コレ、起きさつしやれいなう。


團七

ナニ、徳兵衞が來たとか。そこへ行て逢はうかい。


[ト書]

ト唄になり、障子屋體より團七、誂らへの形にて出て


[團七]

オヽ、徳兵衞か。旅立ちの形で、船にでも乘るのか。


徳兵

オヽ、玉島へ下るのぢや。こんたもこの間の取込みで、さぞ草臥れたであらう。


團七

推量してくれ。舅の惡死で、體がぶき/\云ふほど草臥れた。


徳兵

尤もだ/\。なんと、氣休めに、おれと一緒に、玉島へでも行かぬかい。


團七

ハテ、それどころかい。


徳兵

さうぢやないぞえ。もや/\のあつた後では、キツと大煩ひが出るもの。おれの詞に附いて、下つたらどうだな。


團七

何を益體もない。備中三界へ、何しに行くものかい。


徳兵

イヤ、まんざら用がないでもあるまい。おれが女房に磯之丞さまを預けてやつたからは、見舞ひがてら下つても、大事あるまいぞよ。


團七

ハテ、顏に燒鐵まで當てゝ、預かつてくれたお辰どん。なんの心配する事があるものか。殊におれは、船は嫌ひぢや。板子一枚下は地獄。海上はおりや怖いわい。


徳兵

ナニ船が怖い。こりやアおかしい。人は見かけに依らぬ、命は惜しいものぢやなア。


團七

オヽ、取分けこの九郎兵衞は、男だに依つて命が惜しい。大恩うけた兵太夫さまが、餘所ながら頼むと云はれた一言。磯之丞さまの歸參が叶ひ、親御の手へ渡すまでは、この九郎兵衞は命が惜しいわい。


徳兵

サア、その大事の命ぢやに依つて、大煩ひの起らぬうちに、おれと一緒に行かぬかと云ふ事よ。


かぢ

さうでござんすとも。主に煩らはれますと、わたしや市松がうろたへるわいなア。こりや徳兵衞さんの云はしやんす通り


團七

エヽ何吐かすか。大坂を離れては、和泉の樣子、磯之丞さまの歸參の手蔓が知れうか。なんの女の小差出た。すつ込んでゐやアがれ。


[ト書]

トこれにてお梶、つンとする。徳兵衞、思ひ入れあつて


徳兵

コレ 内儀、お茶一つ下され。


かぢ

アイ/\。


[ト書]

ト思ひ入れあつて奧へ入る。徳兵衞、あたりを見て、腰に挾みし雪駄を出し


徳兵

コレ九郎兵衞、山形に丸じるし、この雪駄、覺えがあるか。


[ト書]

ト突出す。團七、思ひ入れあつて


團七

そりやアおれの雪駄だが、それがどうぞしたか。


徳兵

これがお主の雪駄なら、おれと一緒に玉島へ、下つたがよいと云ふ事よ。


團七

ムウ、それがおれの雪駄なら、なんで玉島へ行かにやアならぬのだ。


徳兵

コレ九郎兵衞、この雪駄は、味な所で拾つたぞよ。イヤサ、長町裏の畑中で。


團七

ヤ。


徳兵

サ、それぢやに依つて玉島へ、一緒に下れと云ふ事よ。


[ト書]

ト團七、思ひ入れあつて


團七

ムウ、イヤ、その雪駄は、この中、練物を見ようと思つて、小間物屋の見世へ上がつたら、片足を犬に取られた。大方それを畑中へ、咬へて行つたものであらうよ。


[唄]

[utaChushin] けんもほろゝに顏色も、人を殺せし體もなし、徳兵衞は目もうるみ、流るゝ汗と共に拭きとり。


徳兵

コレ、聞えぬぞよ九郎兵衞。こんたと住吉で逢つた折、腕を引く代りだとて、取交したこの片袖、おりや大事にかけて持つてゐるぞよ。これまで兄弟同然に、心底明かす友達仲、なぜ物を隱してくれる。コレ、おれが雪駄も山形に丸じるし、片足見えぬがお上へ廻り、詮議の種になつた時、その罪人は徳兵衞と、身に引請けて名乘る覺悟。これ程までに思ふおれに包み隱すは曲がない。なぜ斯う/\と譯を明かし、相談してくれぬぞい。但しこの徳兵衞の性根魂ひ、氣遣ひとでも思ふのか。そりやあんまり、聞えぬぞよ/\。


[唄]

[utaChushin] 親の時さへ泣かぬ目に、恨みの涙はら/\と、保ち兼ねたる殊勝さよ。九郎兵衞も身の大事、粗忽にも明かされず、差俯向いて居たりしが。


團七

段々お主の志し、惡くは受けまい。忝ない。ハテその雪駄が、惡い所にあつたものなう。


徳兵

コレ、こんた一人の身ぢやないぞよ。泣くと食はうといふ子はあり、お内儀はまだ若し、身をしまふやうな事仕出して、取返しがつくと思ふか。それぢやに依つて身に引請ける覺悟の雪駄。


團七

ハテ、引受けさして見てゐるやうな、九郎兵衞でもあるまいわい。元より身に覺えない事。氣遣ひせずと、もう船も出る時分、早く下つて磯之丞さまを、よう世話をしてくりやれ。


徳兵

そんなら、どうあつても明かさぬのか。


團七

ハテ、もう何も云ふ事はない。日のたけぬうち、早く行くがよい。ドレ、おれも見かけた、夢でも見ようか。


[唄]

[utaChushin] 入らんとするを、思ひがけなく。


徳兵

九郎兵衞、捕つた。


團七

なんと。


[ト書]

ト思ひ入れあつて、


[團七]

徳兵衞、何を捕つた。


徳兵

イヤ、蚤を取つた。


團七

ナニ蚤を……ハテ仰山な、蚤の取りやう。


徳兵

コレ見い。蚤といふものは愚かなもので、忽ち命を取られるを知らいで、體の中を這ひ廻る。なんぼ飛ぶ程の術を持つても、天下の息のかゝつたこの指で、斯う押へられては叶ふまい。取られぬうちにこの蚤も、早う高飛びすればいゝに。ナウ九郎兵衞。


團七

ハテ、その蚤も、ヂツと縫目の中に居りやア、捕へられる事もあるまい。生仲にうぢついて、飛び歩くゆゑ押へられる。それに又その蚤に。コレこの刀のやうな針があると、切つて/\切り拂ひ、唐天竺へも一つ飛び。一寸の蟲にも五分の魂ひ一寸の蟲にも、ナア徳兵衞……其うち、逢はう。


[唄]

[utaChushin] さらばと云うて入りにける。


[ト書]

ト團七、思ひ入れあつて奧へ入る。徳兵衞こなしある所へ、お梶、茶を持つて出て


かぢ

生憎湯がさめてゐに依つて、お茶が遲うなつたわいなア。


徳兵

ハテ、その茶も水同然、おいらが志しも水の泡となつたわい。せめてこなさんなと、喜んでもらはうか。


かぢ

なんの事やら解らぬが、常々からお前の志し、わたしや嬉しう思うてゐるわいなア。


徳兵

ハテ、九郎兵衞と念頃するも、堺でこなさんと初めて逢つた時、ハテあの女房は可愛らしいと……ハヽヽヽハ。それも何の役に立たぬ。ドレ、玉島へ下らうか。


[ト書]

ト立ち上がる。お梶見て


かぢ

コレ/\徳兵衞さん、お前の帷子は、どこもかしこ綻びて、裾廻りがバラ/\ぢやぞえ。それ着て船へは乘られまい。


徳兵

ほんになア。綻びた所を括つて置いたが、みんなほどけたと見える、なんと一針、縫つちやア下んせぬか。


かぢ

オヽ、易い事でござんす。ちよつと脱ぎなさんせ。


徳兵

ハテ、斯うしたまゝで縫はれぬかな。


かぢ

エヽマア辛氣な。其まゝで縫はれるものかいなア。ちやつと脱ぎなさんせえなア。


徳兵

でも、内證が北國ゆゑ。


かぢ

ホヽ、自慢で加賀の下帶かえ。


徳兵

ハテ、その隣の越中よ。


[ト書]

ト帷子を脱いで裸になる。合ひ方になり、お梶、針箱を出し、縫ひにかゝる。徳兵衞、思ひ入れあつて


[徳兵]

ハテ、いつ見てもこんたは美しいの。九郎兵衞が大坂を離れぬのも、無理ではないかい。憎いほど靨がある。


かぢ

何をマアじやら/\と。早う玉島へ去んで、お辰さんにさう云うて、喜ばして上げなさんせいなア。


徳兵

イヤモウ、革足袋のやうに焦げたお辰の顏、二度と見る氣はないわいの。


かぢ

でも、久しぶりで、しつぽりと面白からうぞえ。


徳兵

面白けりやどうぞ思つてか。エヽ[gengen] な畜生め。


[ト書]

ト梶の膝を抓る。


かぢ

エヽ何さんす。痛いわいなア。


徳兵

なんの痛い事があるものか。おりやこなさんの綻びを、儘になるなら縫つてやりたいわい。


かぢ

コレ、惡い事さんすと、針で突くぞえ。


[ト書]

ト此うち三婦笠をかむり、表へ來かゝり、樣子を聞いてゐる。


徳兵

ハテ、有やうは九郎兵衞を、玉島へやつてから後でと思うたが、もう斯うなつては堪えられぬ。


[ト書]

トお梶へ抱きつく。お梶、恟りして突き退ける。奧より團七出て、眞中へヌツと立つ。徳兵衞、思ひ入れあつて、帷子を取つて着て


[徳兵]

サア、去ぬとせうか。大坂に居たとて、花實の咲く事はあるまい。早う玉島へ來て、女房の顏でも見ようか。


[ト書]

ト思ひ入れあつて行きかける。


團七

徳兵衞待て。


徳兵

なんぞ用か。


團七

用がある。そこへ直れ。


徳兵

仰山に出かけたな。コレ、お内儀との事なら、愚圖愚圖云ふにやア及ばぬ。疾からおれは惚れてゐるが、友達の義理を思ひ、齒節へも出さなんだ。時節もあらうと思つたが、其方から隔てるやうになつては、義理も瓢箪もないといふもの。サア、いつそお内儀をおれにくれるか。さもなくば胸にある事、殘らずそこへまき出せ。


團七

ハヽヽヽ、頼もしさうな事を云つても、女房を欲しがる根性で先刻の樣子がサラリと知れた。欲しかア女房も遣らう。大事の事も云つて聞かさう。見事われが、聞くか、貰ふか。


徳兵

ハテ、二種ともにおれの望み。聞かうわい。貰はうわい。


團七

オヽ、遣るぞよ。


徳兵

貰ふぞよ。


團七

サア


徳兵

サア


兩人

サア/\/\。


[唄]

[utaChushin] 身拵らへする表にも、三婦は身構へまさかの時、走り込まんと控へゐる。


[ト書]

ト團七、懷より片袖を出し、引裂き、叩きつける。徳兵衞も片袖を出し、同じやうに叩きつける。兩人思ひ入れあつて


團七

互ひに固めを破つたからは


徳兵

心は殘らぬ。イザ


團七

イザ


兩人

イザ/\/\


[唄]

[utaChushin] まつかうしてと切りかけるを、丁と受けとめ受け流しはつし/\、と打ち台ふ太刀音。


[ト書]

ト兩人拔いて立廻りになる。お梶、捨ぜりふにて、あちこちと止めに廻る。三婦、思ひ入れあつて笠を取り、内へ入り、二枚屏風を取つて二人の中へ入り、白刃の上へかぶせて上へ乘り


三婦

二人とも、待つた/\。


團七

ヤア、邪魔な所へこんたは三婦どん。


徳兵

怪我せぬうちに。


兩人

退いた/\。


三婦

イヽヤ退くまい。切るなら切れ。堪忍ならざア、おれを切れ。


團七

コレ親仁どん、この喧嘩の邪魔するは、徳兵衞の肩を持つ心か。


三婦

ハテ、肩を持つも脊を持つも樣子を知らぬ上の事。知つて非道に與みせうか。最前から控へてゐたも、料簡思案を見ようばつかり。果し合ひとは、若い/\。


團七

ヤア、女房を盗まれ男が立つか。若くとも年寄りでもこなたは、堪忍する心か。


三婦

オヽ、堪忍するとも/\。コレ九郎兵衞、世界に堪忍ならぬといふは、腹の減つた時だけぢや。先づ間男の行ひやうに、上中下の三段ある。其うち下の料簡といふは、今こんたがするやうに、果し合ひか、重ねて置いて、四つにするのが下の下の思案。なぜと云へ。男らしい事をしたと云はれうとすれば、盗まれた鼻毛の尻が、世間へバツと立つ。そこを思うて内證で、耳を削ぎ鼻を削ぎ、坊主にするを好いやうに思へど、これが又第二番目の中の思案。極上々の思案といふは、堪忍の胸を撫つて、世間へも知らさぬやうに内證で、さらりと暇やつてしまふのが、大極上々箱入りの思案といふ。元より不義があつたではなし、口先のてんがう。それを云ひ立て討ち果すは、彼の極々惡い下の下の思案。そこを思つてこの出入り。貰ひに來た。サア、おれにくれ、この親仁が貰つたぞよ。


[唄]

[utaChushin] 貰ひかけられ九郎兵衞も、思ひ廻せば我が身にも、大事抱へてこれしきに、命を果すやうなしと、傍に立つて硯箱、さら/\さつと書き認め。


[ト書]

ト團七、思ひ入れあつて白刃を納め、状を書いて


團七

コレ、三婦どの、こなたを立てゝ何にも云はぬ。これを渡して下さりませ。


[唄]

[utaChushin] 書いた一通投げつけて、一間へこそは入りにけり。


[ト書]

ト書附けを投げつけ、思ひ入れあつて奧へ入る。お梶、取上げて


かぢ

ヤア、こりや暇の状ぢや。去り状ぢや。


[唄]

[utaChushin] はつとばかりに泣き沈む。


三婦

エヽ、何をメロ/\。覺えがあらうがあるまいが、この内には置かれぬ。立つた/\。


かぢ

サア、立ちは立たうが、市松はどこに居る。市松々々。


市松

アイ/\。


[ト書]

ト駈けて出るを抱く


三婦

サア、一寸にはこの三婦が、相手になつて存分云ふ。サア、うしやアがれ。


[ト書]

ト三人思ひ入れあつて、外へ出て


かぢ

三婦さん、徳兵衞さん、お前方の云はんす通り、連合ひを騙して、暇の状を取つたからは、九郎兵衞どのは、親殺しはなりませぬかえ。


三婦

舅は親、聟は子、親殺しになつた時は、市松とこなたが竹鋸で引かればならぬ。それが悲しいばつかりに、徳兵衞に不義仕掛けさせ、おれも共々口たゝき、暇の状を書かした。この上は捕へられ、殺されても一思ひ、他人同士の喧嘩になつて、苦しい死やうはせぬであらうが、今日は顯はれて捕へに來るか、明日は繩目に及ぶかと、案じて夜の目も合ひはせぬ。エヽ、こんな氣ではなかつた年を寄れば心まで、只の親仁になつたかいやい。


[唄]

[utaChushin] しやくり上げれば徳兵衞も。


徳兵

どうぞして備中へ連れて行くか、さなくば明かして去り状も、相談づくで書かさうと、思つて問へどどうしても云はぬゆゑ、千法書きて云ひ合せた通り、心に思はぬ不義いたづら。さぞ腹が立たう、憎からう。どうした縁か兄弟より、親しうしてもらつた人に、人でなしと思はれる、おれも因果、お内儀も因果、因果同士の集まりといふもの。


かぢ

さうでござんすとも。取分け女子は去られまい、隙取るまいとする筈を、愛想づかしは九郎兵衞どの、皆こなさんの爲ぢやぞえ。コレ、市松もよう聞いてたも。わしは親を殺されても、憎いとも聞えぬとも、思ふ心は微塵もない。よく/\腹の立つ事が、あつての事を思へども、情ないはお上のお咎め。今日も御前でお代官樣が、コリヤ、氣遣ひするな、今の間に詮議仕出して、下手人を取つてやるぞと仰やつた、その時のわしが悲しさ。泣いてばつかりゐたれば、町の衆が腰押して、ソレ有難いとお禮申せ、お禮申せとせり立てられ、連添ふ夫を殺すのを有難うござりますると、云つた時のその苦しさ、死なれるものなら、直ぐその場で。


[唄]

[utaChushin] 死にたかつたとせき上げて、嘆けば立聞く九郎兵衞が、胸に盤石熱鐵を、呑むより辛き血の涙、妻の心、三婦が情、徳兵衞が實義をも、聞いてはるかに手を合せ、泣いて禮云ふばかりなり。


[ト書]

ト一間に團七聞いてゐて思ひ入れ。こなしつあて障子締める。


三婦

サア、お内儀、こなたがこの家にゐては、夫婦の縁が切れぬも同然。萬一の時に云ひ譯もやかましい。

兎角九郎兵衞が親殺しにならぬやう、夫に名殘も惜しかろけれど、おれが所へ、サアござれ。


[唄]

[utaChushin] 引立てられてお梶は猶、しやくり上げ/\、嘆けば共に市松が、


市松

母樣、どこへも行く事は否ぢや。父樣と一緒に、内に居て下されいなう。


[唄]

[utaChushin] 縋れば思はず聲上げて、わつとばかりに取亂す。罪科遁がれぬ天の網、四方を取卷く人聲足音。


[ト書]

ト三人よろしく愁ひの思ひ入れ。この時、ドン/\になる。皆々恟りして


三婦

コリヤ、泣いてゐる所ぢやない。ヤア/\、捕り手と見えて大勢の人聲。


徳兵

三婦どんは、この二人を、早く裏から落して下され。


三婦

合點ぢや。


[ト書]

ト三婦、お梶市松を連れて奧へ入る。


[唄]

[utaChushin] 程なく所の代官捕り手、ばら/\と亂れ入り。


[ト書]

トどん/\にて、向うより藤内、凛々しき形にて、捕り手大勢連れ、駈け出て


藤内

ヤア、九郎兵衞はいづくに居る。舅義平次を殺したる、科明白に顯はれたり。これへ出て、繩かゝれ。


徳兵

これは思ひもよらぬ仰せ。それにはなんぞ、慥かな證據でもござりまするか。


藤内

ヤア、吐かすまい。その節泥の中に、山形に丸印の、雪駄片足殘りあつたを、段々に詮議すれば、九郎兵衞が雪駄なる由。遁がれぬ所ぢや。これへ出せ。


徳兵

イヤ、憚りながら、その印なれば私しの、雪駄とても斯くの通り、山形に丸印でござりまする。


[ト書]

ト自分の雪駄を出す。


藤内

イヤ、そればかりでない。義平次九郎兵衞喧嘩の場所より、女を乘せたる駕籠の者、立歸る振りにて見屆けたと、只今役所へ訴へ。なんとこれでも爭ふか。


[唄]

[utaChushin] 退引きならぬ訴人には、言句も出でず赤面し。


徳兵

さほど慥かな證據がござりますれば、九郎兵衞は科人に相違ござりますまい。併し、荒立てゝはなか/\に、お手廻らぬも何とやら。私しにこの役を、仰せつけられ下さりますれば、騙し捕りに捕へて差上げませう。それともにお疑ひなら、御勝手になされませ。


藤内

オヽ、聞き及んだる強力者、迂濶には踏み込まれまい、其方も共々お上の奉公。徳兵衞、其方に云ひつけたぞ。


徳兵

ハツ、畏まつてござりまする。


藤内

ソレ。


[ト書]

トどん/\にて、藤内捕り手、奧へ入る。徳兵衞思ひ入れ。上手の一間より三婦、お梶と市松を連れ出て


三婦

この市松を虜にされたら、氣が遲れて九郎兵衞が、思ふやうに働らけまい。親子の者を預けて來るうち、後を頼むぞ。


徳兵

合點だ。


[唄]

[utaChushin] 道を急いで。


[ト書]

ト三婦、三人を連れて表へ出る。徳兵衞見送る。ドンドンにて、道具廻る。


本舞臺、一面の大屋根、前側、塀の上を見せたる心。爰に團七、大童になり、捕手大勢と立廻りゐる。ドンドン、アリヤ/\の聲にて道具とまる。
[ト書]

ト誂らへの鳴り物にて、大ダテ充分にあつて、トヾ捕り手を追ひ込み、キツと見得、下手より徳兵衞、十手を持つて上がり


徳兵

團七、捕つた。


團七

わりや徳兵衞か。


[ト書]

ト思ひ入れあつて、手を廻す。徳兵衞、貫ざしの錢を團七の首へ掛け


徳兵

コレ、逃げられるだけ逃げてくれ。落ちつく所は備中の玉島。分つたか。


團七

ムウ、忝ない。


[唄]

[utaChushin] 飛ぶが如くに。


[ト書]

ト兩人、見合つて、よろしく見得。ドン/\、誂らへの合ひ方にて、



夏祭浪花鑑 (終り)