夏祭浪花鑑
序幕 住吉鳥居先の場 (Natsu matsuri naniwa kagami) | ||
夏祭浪花鑑
序幕 住吉鳥居先の場
- 役名==團七九郎兵衞。
- 一寸徳兵衞。
- 釣船の三婦。
- 役人、堤藤内。
- 玉島磯之丞。
- こつぱの權。
- なまの八。
- 大鳥佐賀右衞門。
- 團七女房お梶。
- 忰市松。
- 遊女、琴浦。
役者
この醫者坊めが、おれに恥をかゝせやアがつたな。
醫者
ヤイ/\、この赤村へ、へた藏めが恥をかゝせたもよく出來た。おのれが癲癇を起すたんびに、服ませてやツた氣附け藥の代ばかりも、いくら溜つて居ると思ふ。その藥代の催促をすれば、ふて勝手を吐かしやアがる。料簡がならぬぞ/\。
[ト書]
(ト立ちかゝるを、町人皆々留めて)
町皆
マア/\、待ちなさい/\。
役者
コレ/\、お前方は、打ツちやつて置きなさい。藥代の掛取りに廻る醫者が、どこの國にあるものか。この竹の子坊主め。
醫者
ナニ、竹の子坊主だ、この盗人朝比奈め。
役者
盗人とはなんの事だ。
醫者
そのいけ口を、どうするか。
[ト書]
ト町人皆々留めるを拂ひ退け、役者の横づツぽをくらはせる。
役者
アイタ、うぬ、ぶつたな/\。痛え/\。目玉が飛び出たぞ/\。
髮結
コレサ/\、マア/\お前も、お腹も立たうが、お醫者樣とあれば、人を助ける長袖の事ぢやアござりませぬか。
[ト書]
トよろしく留める。
町皆
マア/\、御料簡なされませ。
醫者
なんの長袖どころか、もう斯うなつては、筒ツぽでも半纏でも、藥禮を取らにやアならねえ。
役者
骨が舍利になるとても、藥代はやらねえぞ/\、
醫者
取らねえで置くものか、
[ト書]
ト兩人爭ひながら、辻打ち早めて、上の方へ、掴みひながら鳥居の内へ入る。
町皆
こいつア、大笑ひだ。
[ト書]
ト右の鳴り物にて、仕出し皆々上下へ入る。髮結ひは床の中へ入る。と誂らへの出の鳴物になり、花道より、釣船の三婦、好みの着附け、尻ばしをり、石割り雪駄、珠數を爪ぐりながら先に立ち、この後より團七女房お梶、好みの着附け後ろ帶、忰市松の手を引き出て來り、三婦花道にて、市松へこなしあつて。
三婦
ヤア/\、小びつちよめが、冗談歩き、附き合うて來たかして、思ひの外早かつたわえ。
かぢ
ほんに、さうござんすなア。コレ坊や、サア、おとなしく歩きませうぞ。アレ/\、向うが住吉樣の鳥居先。
三婦
アレ、あの鳥居を潜つて、それから行くと、反橋があるぞ。
かぢ
今少しぢや、あんよしやよ。
市松
アイ/\。
[ト書]
ト右の唄にて、舞臺へ來り、
三婦
アヽ、おとなしい/\。
かぢ
サア、爰まで來たれば、ちよつと爰で休みませう休みませう。三婦さんも休みなさんせえ。
[ト書]
トこれにて床几を見て、
三婦
オヽサ、幸ひのこの床几、ちよつと腰を休めようかい。
[ト書]
トこなしあつて床几へかける。右の合ひ方。辻打ちの鳴り物をあしらひ、市松へこなしあつて。
[三婦]
さて坊主は、よう歩いたの。大方天下茶屋邊りで、慥かにだらけやうと思うて、二十五文が駕籠、相乘りで振舞ふ處を、三文の地黄煎餅でまじなうた。サア/\、ぽんちも爰へ休め/\。
[ト書]
トお梶も市松も、よろしく床几へ掛ける事あつて
[三婦]
昨日、こなたが戻つて、團七が牢から出ると聞いたゆゑ、おれはモウ嬉しうて、夜がな寢られず、夜の明けるまで、待ち兼ねた。
かぢ
そりやモウ、お前の云ふ通り、わたしも昨日お役所へ出るまでは、もしも命にも及ぶやうな、お裁許になりはせまいかと、大抵や大方案じたではないが、案じるよりは産むが安いと、今日はお許しが出ると聞いた時のその嬉しさは、どのやうだと思ひなさんす。これと云ふも三婦さん始め、御近所の衆の勢力でござんせう。有り難うござんすわいなア。
三婦
オヽ、定めし嬉しからう/\。ロレ坊よ、追ツつけ父に逢はしてやるぞ。嬉しいか。嬉しいか。
市松
アイ、父樣に逢ふのは嬉しい/\。
三婦
オヽ、さうであらう/\。イヤ、シタガ、もつと隙が入らう。祝うて明神樣へ、お禮がてら連れて參らつしやれい。
かぢ
ほんに、ちよつとお禮參りして、來ませうわいなア。
三婦
おれは間違ひの無いやうに、爰に待つて居ようワ。
[ト書]
トお梶、市松を連れて立ちかけ、こなしあつて。
かぢ
それに附けても三婦さんは、こちの團七どのと念頃な仲ぢやとて、いかい世話でござんすなア。
三婦
ナンノイナウ。併し云ふぢやなけれども、一體はこなたの親仁、三河屋の義平次が來てやらにやならぬ筈を、今日は又なぜ來ぬの。
かぢ
サイナア、今朝から腰が痛いと云うて。
三婦
サア/\/\、作病ぢやて。殊に直ぐにもない和郎ぢやもの。イヤ、こんな事は誰れも來ともながる。マヽ、參つてござれ。
かぢ
アイ、そんならさう致しませう。そんなら、三婦さん。
[ト書]
ト思ひ入れあつて、
[かぢ]
ドレ、參つて來やうわいなア。
[ト書]
トお梶、市松の手を引き、上の方へ入る。
三婦
ドリヤ、一服やらうわえ。
[ト書]
トこれより竹本になり
[唄]
[utaChushin] 親子は宮へ、三婦は火打石に腰かけ、すつぱ/\、茶の錢始末と見えにける
[ト書]
ト此うち、提げ煙草入れより、火打ち道具を出し火を打ち、煙草をのみ居る。この時下座の囃子になり、花道の揚げ幕より駕籠を舁き、こつぱの權、なまの八、磯之丞を乘せ出て來り、よき處にて息杖を突き。
權
オイ棒組、ちよつと入れやうぜ。
[ト書]
ト駕籠を立て、
[權]
エモシ旦那え、跡の立場の駕籠と、替へにやアなりません。駕籠の錢を
兩人
やつて下さいまし。
磯之
これは又どうしたものだ。乘る時に大坂までと極めたではないか。先へ行つたら渡さうわいの。
八
それぢやアちツと、勝手が惡うございますよ。
權
跡の駕籠と替へねばなりませぬから。
兩人
どうぞ爰で、やつて下さいまし。
磯之
サア、やる事は易けれども、錢を爰に持ち合さぬゆゑ、大坂へさへ行つたなら、慥かに渡さうわいの。
八
カウ相棒、聞いたかえ。なんだか、あやふやな物云ひぢやアねえか。
權
その事よ。
[ト書]
トこなしあつて、
[權]
モシ、旦那、いま受取らにやア、どうも勝手が惡うございますよ。
八
さうして大坂は。
兩人
どこへ行くのでございますえ。
磯之
されば、長町邊で尋ねて見たら。
八
先は知れぬと云ふのは。
權
それぢやア、いよ/\爰で渡して、
兩人
もらひたうござりますね。
磯之
ハテ、しつこい。爰には錢が無いといふに。
八
ナニ、錢が無い。おきやアがれ、値を極めて駕籠へ乘りながら
權
爰まで仕事をさせて置いて、錢がねえもよく出來た。
八
おら達を騙りやアがるな/\。
[ト書]
ト此うち駕籠を下ろして、左右より怒鳴り立てる。磯之丞こなしあつて、
磯之
アヽコリヤ、武士に向つて麁相申すな。
八
なんだ、武士に向つて麁相もねえものだ。
權
ヘン、武士もよく出來た。
兩人
見れば、丸腰ぢやアねえか。
磯之
エ、
[ト書]
ト丸腰に心附き、ぎつくりこなし。
八
それで騙りは解つて居るわえ。
權
こんな奴は見せしめに。
兩人
斯うしてくれるワ。
[唄]
[utaChushin] 思ひ合うたる惡者同士、駕籠をぐるりと打返され、内より出たる磯之丞、落ちたるはずみに、膝すりむき。
[ト書]
ト兩人にて駕籠を返す。中より磯之丞ころげ落ちる。
磯之
アイタ。こりや、わたしをばどうするのぢや。
[唄]
[utaChushin] くわつと急く氣も身の恥と、差俯向いて堪へ居る。
[ト書]
トよろしくあつて、
權
コレ先棒、錢の持ち合せがねえと云つて、此まゝでは濟まされねえ。
八
知れた事よ。なんでなりと、爰までの籠賃を取らねえでなるものか。
權
下着でも上着でも剥いで、錢にするがいゝ。
八
さうしべい/\。
磯之
すりや。手籠めにしても、駕籠代を。
兩人
オヽ、知れた事だア。
[ト書]
ト立掛るを磯之丞、ちよつと拂ひ退けるを、又兩人かかる。これを三婦ツカ/\と出て、磯之状を圍ひ、兩人を見得よく留めて、
[唄]
[utaChushin] 立ちかゝらんとする所を、三婦は見兼ねて割つて入り。
三婦
コリヤ/\。滅多な事をして、後で後悔しやアがるな。
[唄]
[utaChushin] 横合ひから三婦が聲。
[ト書]
ト兩人、こなしあつて、
八
エヽ、この爺め、何を巾をきかせるのだ。
權
なんの譯も知らねえで。
[ト書]
ト誂らへの鳴り物になり。
三婦
ホヽ、知つて居る/\。コリヤ、いがむなやい。サアサア、足許の明かるいうち、とつ走らいでナ。
[ト書]
ト兩人、よろしく思ひ入れ。三婦は磯之丞へこなしあつて。
[三婦]
イヤ、見れば樣子がありさうなお方。お年は若いがおとなしい、よう堪忍さつしやるぞ。して、駕籠代はなんぼぢやの。
[ト書]
ト磯之丞、面目なきこなしにて
灘之
サア、ちと樣子がござりまして、着のみ着のまゝで走り出で、僅かの鳥目に差支へしをお目にふれ、面目もござりませぬ。極めました駕籠代は、二百五十文でござります。
[ト書]
ト氣の毒さうに云ふ。
三婦
アヽ、二百五十文か。ても高い駕籠ぢやの。乘らしつたこなさんもこなさんぢや。由縁かゝりは無けれども、
[ト書]
ト駕籠へ、こなしあつて、
[三婦]
コレ、この親仁が尻持ちするぞ。
兩人
ヤア、そんならこなたが尻持つか。
三婦
オヽ、この釣船の三婦が、尻持つた達引々々。
[ト書]
ト手に持ちし珠數を見て、
[三婦]
この珠數で數へて見りやア、丁度九百九十九出入りがある。前なら、うぬら、疊んでしまひ、千人投げの數に合すれど、堪忍して去なしてやるぞよ。
痰切り顏を、ぢろりとながめ。
[ト書]
ト兩人こなしあつて、
八
ホヽ、釣船面白い。おら達二人を、
權
どうして去なせる。それを見ようかえ。
[唄]
[utaChushin] 掴みかゝるを身を交し、ころりと投げたは百の錢。
[ト書]
ト兩人、三婦へ掴みかゝるを、ちよつとあしらひ、懷中より百文投げ出してやる。兩人これを見てよろしくこなし。
三婦
高い極めは此方の損、料簡して半分やる。この格で、いがんだら、大きな目に遭ひ居らう。それ取つて早う行け。
[唄]
[utaChushin] 丸う裁いた男作り、美しいので氣味惡く。
[ト書]
ト三婦こなし。兩人の駕籠屋よろしくこなしあつて、顏見合せ、件の錢を、よろしく取上げる事。
[唄]
[utaChushin] 錢受取るも怖々に。
[三婦]
それで云ひ分はあるめえな。
[唄]
[utaChushin] 尻こそはゆく雲介は。
[ト書]
ト兩人よろしく、
兩人
ハイ、云ひ分はござりませぬ。
[唄]
[utaChushin] 駕引かたげ歸りける。
[ト書]
兩人よろしく、駕籠舁き下手へ入る。
[唄]
[utaChushin] 磯之丞はしづ/\と、三婦に向つて一禮なし。
[ト書]
ト磯之丞、三婦へこなしあつて
磯之
狼藉者に出合ひ、難儀の所を、其許のお世話にて、事なく納まり大慶いたす。只今拙者流浪の身、時を得てお禮を申す爲なれば、御在所はいづくか、承はりたう存じまする。
[ト書]
トこなし。三婦思ひ入れあつて
三婦
イヤ、さうあつてはこの親仁、處は申さぬ。今聞いて居れば、こなた樣は長町邊へ向けてござるとの事。わしもあのあたりへ行きます者。さうして長町は何丁目。
磯之
イヤ、何丁目かは存ぜねども、三河屋義平次を尋ねて參る者。
三婦
ムウ、アノ義平次に用があるとは、ても變つた者にお近附きぢやの。
磯之
イヤ、近附きではござらねど、その娘のお梶へ。
三婦
ヘエ、そんならお前は、磯之丞さまとやらではござりませぬか。
磯之
とは又、よく御存じで。
三婦
サア、斯うでござんす。今日團七が出牢迎ひに、お梶と息子と二人を連れて來てやりました。その道々、お前の話しを聞きました。いづれあなた樣の事は團七が、よいやうにしまする、氣遣ひさつしやりますな。
[ト書]
ト上手へこなしあつて、
[三婦]
お梶は宮へ參られたが、戻りの遲いは、オヽ、てつきりコリヤ坊主がだらけて、新家の晝飯、あつちやから行て昆布屋に居ませう、三婦に聞いたと云はつしやりませ。
磯之
これは重疊、昨日は堺町で日を暮らし、今日は大坂へ參る處。よい所で其許にお目にかゝり。
三婦
アヽイヤ、その御挨拶もゆるりとしませう。マアちやつと行かつしやりませ。
磯之
然らば後程、御意得ませう。
[唄]
[utaChushin] 昆布屋をさして急ぎ行く。
[ト書]
ト磯之丞こなしあつて、上手へ入る。三婦、後を見送り、
三婦
アヽ、あの人は、よい所でおれに逢うたぞ。イヤ、逢うたは逢うたが、この團七はモウ來さうなものではある。
[ト書]
トのれんを覗きこなしあつて、
[三婦]
床の衆、今日のお拂ひ者は、いかう遲うござるの、わしや大坂から迎ひに來たのぢや。來るまで爰を借りますぞや。
[ト書]
ト床の内にて、
髮結
ハイ、こつちへお掛けなされませ。
三婦
アイ、それは忝うござります。
[ト書]
ト三婦、床の内へ入る。時の太鼓になり、
見物
ソリヤ、科人のお拂ひものが來るぞ/\。
[ト書]
ト見物人の仕出し大勢出る。此うち上手より團七、淺黄の仕着せ形、伸びたる月代、伸びたる附け髭にて本繩にかゝり、藁草履をはき、これを半纏侍ひ繩を持ち、藤内、十手を差し、大小雪駄、落人拵らへにて附き添ひ出て來り
[唄]
[utaChushin] 我がいとなみの生洲の魚、沖に出でたる心地なり。
[ト書]
ト此うち舞臺へ來り、
繩取
下に居らう。
[ト書]
ト團七を引据ゑる、仕出し皆々よろしく、遠く退き見物する事。
藤内
今日當番の役目を受け。堤藤内罷り越したぞ。ソレ、御法の通り囚人の繩、解きめされ。
繩取
ハアヽ。
[ト書]
ト繩を解く。
藤内
コリヤ團七、委しく屋敷にて介松主計、玉島兵太夫、兩人申し渡されし通り、去年三月十三日、御家中大鳥佐賀右衞門が家來に手を負はせ、双方共に牢舍のところ、手疵は癒えて相手は牢死。それゆゑ死罪を御赦免なされ、泉州堺をお構ひと相成るぞ。この趣きを心得よ。
團七
ヘイ/\。
藤内
例へ、相手は病死たりとも、其方が死罪はのがれ無きを格別の思し召し、有り難く心得ませうぞ。
團七
有り難う存じまする。
藤内
以來お構ひの場所を辨へず、もし立寄るか、又惡しき風聞もある時は遁がれぬぞ。必らず身持を愼みませうぞ。
[唄]
[utaChushin] 云ひ渡す事云ひしまひ、
[ト書]
ト藤内、繩取りへこなしあつて、
[藤内]
者ども參れ。
繩取
ハツ。
[唄]
[utaChushin] 直さま屋敷へ歸りけり。
[ト書]
ト時の太皷にて、引返して花道へ入る。見物皆々下手へ入る。
[唄]
[utaChushin] 跡見送りて團七は、故郷の方を伏し拜み。
[ト書]
團七腕をさすり、いろ/\こなしあつて、
團七
アヽ忝ない、有り難い/\。佐賀右衞門が中間達の下手人に取らるゝかと思へば、無念で口惜しかつたを、計らず命助かつたは、日頃信心する不動樣の御利益、又一つには兵太夫さまのお庇、お禮は申さぬその替り、磯之丞どのゝお身の上、命に替へても、微塵さら/\、御難儀はさせませぬ。
[唄]
[utaChushin] 獨りつぶやく後より。
[ト書]
トこの時床の内にて、
三婦
團七々々。
團七
おれを呼んだは、何處だ、何處からだ。
三婦
イヤ、何處からでもない、床からだ。
[ト書]
トのれん口より、三婦出る。これより好みの鳴り物合ひ方になり、團七、三婦を見て、
團七
ヤア、三婦どの、ても珍らしい、息災にござつたの。
三婦
オヽ、おりや大坂から堺へ通ふ、わりや堺から大坂へ通ふ、商賣は違うても心は變らぬ念頃。料簡強いわれがあゝした事、よく/\聞かれぬ事があつてと思うて、さて案じたが、出かした出かした、必らず恥ぢやと思ふなよ。江戸を見ぬと牢へ入らぬとは、男の中ぢやないと云ふ。今朝から嬶衆も坊主も連れ立つて、迎ひに來て待つて居た。
團七
エ、アノ女房も忰めも。
三婦
ちやつと顏見せてやりや、ぢやが。
[ト書]
ト團七の頭を見て、
[三婦]
ても長い月代、ムウ、臭い若い者ぢやな。着替への着物は。
[ト書]
ト腰へ提げたる風呂敷包みを見て
[三婦]
この包みに入れてある。幸ひナこの床で、月代剃つて明神樣へもお禮申せ。おりや昆布屋へ行て、おちつきするわい。
[ト書]
ト團七思ひ入れあつて、
團七
アヽ、そりや、いかい世話でごんした。
[ト書]
ト團七、三婦の耳へ掛けし、珠數を見て
[團七]
ヤ こんたも大分、信心者になつたの。
三婦
サア、今はとんと、腹が立つても南無阿彌陀佛、笑ひ笑ひも、南無阿彌陀佛。念佛講で忙がしい。これから大坂住居するお主、春から打ち續けの當り芝居。又あの張出しの淨瑠璃のと、見せたい物は山々ある。イヤ、こんな事云や日が暮るゝが、イヤ云はにやならぬ事があるわい。お梶が話しで、委しう聞いた磯之丞どのに、たつた今逢つたゆゑ、一緒に昆布屋へやつて置いた。
團七
そりや、わしが大事の人。
三婦
サア/\/\、その譯も、聞いて居るてや/\。
團七
兎角昆布屋で、ゆる/\と話しませう。
三婦
エヽ、いゝ男になつて、女房に顏見せてやるがよい。コレ、床の衆/\。
髮結
ハイ/\。
[ト書]
ト出て來る。
三婦
この男の月代を、剃つてやつて下んせ。コレ氣を附けて、顏や頭を引かけねえやうにしてくんなよ。
髮結
畏まりました、サアお前さん。
團七
そんなら三婦どん、ドレ、男を一番、磨いて來ようか。
[ト書]
ト思ひ入れ。唄になり、床ののれんの内へ入る。三婦、のれんの内を覗き込み
三婦
コレ、床の衆頼みますぞや。
[ト書]
ト風呂敷包みを取上げ
[三婦]
サア、風呂敷包みをそこへ渡すぞ。中へ錢も煙草入れも着物まで入れてあるぞ。見たか、よからうな。ヤ、南無三しまうた。肝心の白旗を忘れて來た。アヽ、とんだ事を。エヽまゝよ、今日切り立の初穗をば、ちよつとおれが締めたばかり。年寄だけに赤旗だ。マアこれを間に合せに。
[唄]
[utaChushin] 兩手を腰にむく/\と、左の袖からのれんの口へ。
[ト書]
ト此うちよろしくあつて、緋縮緬の褌を出して、のれんの内へ引ツぱり取らせるこなしよろしく、捨ぜりふあるべし。
[三婦]
そりや、引いたりしよ/\。
[ト書]
ト内より引く事よろしくある、
[三婦]
アヽコレ/\、どうする/\。痛い/\。
[ト書]
ト矢張り床のめりやすよろしく内へ引いて取り
[三婦]
そんなら、おりや先へ行つて待つて居るぞ。よいか/\。ドリヤ、行かうかい。
[唄]
[utaChushin] 昆布屋をさして。
[ト書]
トこなしあつて、裾をまくりかけ、心附いて下ろし。
[唄]
[utaChushin] 別れ行く。
[ト書]
ト三婦よろしく花道へ入る。と乘りの早き合ひ方、唄になり、これへかすめて、バタ/\になり、花道より琴浦、着流しにて走り出て、上手にて躓き、胸を撫で、こなしあつて
琴浦
心を空に、やう/\と走つて來たが、爰はマア何處であらう。
[ト書]
ト舞臺へ思ひ入れあつて、
[琴浦]
ホンに爰は住吉樣、磯さまと連れ立つて、難波屋へもよう來たが、もしやあすこにぢやあるまいか。
[ト書]
トあたり見廻し、フト向うへ心附き、
[琴浦]
ヤ、あそこへ來るは、憎らしい佐賀右衞門づら、見附けられたら捕へられう。こりやどうせう、どうせうぞいなア
[唄]
[utaChushin] どこへ隱るゝ間もあらせず。
[ト書]
ト此うち上手より佐賀右衞門、着流し大小にて、ツカツカと出て
佐賀
ア、コリヤ/\、見附けたぞ/\。
[ト書]
ト琴浦逃げようとするを、走り寄つて引きとめ、輕業の鳴り物になり
[佐賀]
オツト、逃げまいぞ/\。コレ、お鯛茶屋から、よう身共を出し拔いて、身を空蝉の藻拔けとは、濟まぬぞ/\。マアおれが云ふ事何と聞くぞ。元來お主にはこの佐賀右衞門が附いて居たを、あの磯めが身請けして、お鯛茶屋の箱入り、指もさゝせず賞翫し居る。そこで我れらが太鼓を持ち、極道に拵らへて、勘當させた骨折も、皆貴樣から起つた事。磯めがやうな風來人に、心が殘るとしまひの果は、飛田へ曝され、お情どころを犬や鳥が、オオ、思ひ出しても身が慄ふ。まだその上にひよつとすると、男は助かつて女は死に損。そんな危ない事をせうより、さらりと氣を替へ、サア、マア難波屋で。
[唄]
[utaChushin] 祝言の杯せうと手を取れば。
[ト書]
ト佐賀右衞門しなだれ、手を取るを琴浦振り切り
琴浦
エヽ、嫌らしい聞きともない。コレ、爰を放しなさんせ放しなさんせ。
[ト書]
トいろ/\あせるを
佐賀
ハテ、ぴんしやんしても、この大鳥が掴んだからは、放さぬ/\、爰で逢うたが百年目。
[ト書]
ト手を取るを
琴浦
エヽ、憎らしい、知らぬわいなア、
[ト書]
ト思ひ入れよろしく、
佐賀
ハテ、はしたない、聲が高いワ。
琴浦
高うても、わしや、否ぢや/\。
佐賀
ハテ、否であらうが、どうであらうが、連れて去んで女房にする。
琴浦
否ぢや/\、否ぢやわいなア。
[唄]
[utaChushin] 合點せぬもの無理無體、引摺る意地張る床の前。
[ト書]
ト兩人よろしく爭ふ事。トヾ琴浦、のれん口へ入る。佐賀右衞門も後より
佐賀
ハテ、おぢやいなう。
[唄]
[utaChushin] 引立つる佐賀右衞門が、利き腕、ぐつとのれん越し、捻ぢ上げれば。
[ト書]
トのれん口より、佐賀右衞門の手を捻ぢ上げる。
[佐賀]
アイタ/\。コリヤ、何奴だ、何ひろぐ。
[ト書]
トのれんの内にて、
團七
イヤ何もせぬ、おれでえす。
佐賀
ヤア。
[唄]
[utaChushin] ずつと出でたる剃立の、糸鬢頭青月代。
[ト書]
トこれを誂らへの鳴り物になり、のれんの内より、團七、誂らへの染模樣の衣裳、下駄がけ、手拭をさげ、ズツと出る。佐賀右衞門よろしく見て、
佐賀
ヤア、おのりや、けふ牢から出居つた。
團七
オヽ驚くまい、へゝ、團七といふけちな野郎だ。
佐賀
その團七が、なんで邪魔を致すのぢや。
團七
イヤ、邪魔は致しませぬ。斯う見たところが、お侍ひの分として、女を捕へて見苦じい。ちとお嗜なみなされませ。
[ト書]
ト琴浦、團七を見て、
琴浦
どなた樣かは存じませぬが、危ふい難儀をお救ひ下され、有り難うござります。
團七
そのお禮にやア及ばねえ。こなさんがアノお鯛茶屋に居やしやつた、琴浦さんぢやの。して、磯之丞さまに逢はんしたか。
琴浦
イヽエ。
團七
ムウ、さうしてマア供は何處に居るえ。
琴浦
イヽエ、誰れも居ぬわいなう。
[ト書]
ト此うち佐賀右衞門、拔打ちに切りつけるを、團七、身をかはし、よろしく突きのける。又かゝるをよろしく留めて、
團七
ハテ大膽な。そんな事だから、ツイ此やうな惡魔が見入りたがる。コレ、わしは磯之丞さまを世話する、團七といふ者でごんす。
琴浦
エヽ、そんならお前が、お梶さんのお連合ひかえ。
團七
アイ、左樣さ。
[ト書]
ト爰へ佐賀右衞門また切つてかゝるを捉へ
琴浦
さうして、磯さんは。
團七
コレ、氣遣ひしよまい、ツイそこに。
[ト書]
ト佐賀右衞門こなしあつて、
佐賀
そことは、ドレ、
琴浦
何處に。
[ト書]
ト心々の思ひ入れ。佐賀右衞門立ちかゝるを、押しのけ、兩手を押へて引附け、琴浦へこなしあつて、
團七
この土手通りを、南へ行くと。
[ト書]
ト云ひなから、佐賀右衞門の耳を押へたまゝ、上の方へ向けて
[團七]
並木の蔭の茶屋の内の、昆布屋といふ新見世に、磯之丞さまが行つてござる。又わしが女房も來て居るし、また三婦といふ者に逢うたらば、よう頼んで置かつしやい。
[ト書]
ト思ひ入れにて云ふ。
琴浦
アイ/\。
[ト書]
ト呑み込みし思ひ入れ。此うち佐賀右衞門、兩手を掛けて押へられし耳の手を取るを、其まゝ引附けて琴浦へ思ひ入れあつて
團七
アヽ、コレ/\。お前行く道を知つて居るか。
琴浦
イエ/\、知らぬわいなア。
團七
さうか。
[ト書]
ト團七、佐賀右衞門の右の手を取つて、指をさゝせ、
[團七]
ソレ、爰を、斯う行くと。
[ト書]
ト佐賀右衞門を裏向きにして
[團七]
その黒塀の間から、此やうな、松の木が出て居るワ。その松の木の筋向うに、こんな。
[ト書]
ト佐賀右衞門と立廻りながら、
[團七]
地藏樣がある。その地藏の前の石橋を、
[ト書]
ト立廻りながら、佐賀右衞門を押伏せて、橋にし、ちよと脊を踏みながら、
[團七]
斯う渡つて。
[ト書]
ト佐賀右衞門を蹴返し、
[團七]
一軒、二軒、三軒目だよ。
[ト書]
トこれにて佐賀右衞門、くるり/\とかへる事よろしく。
[團七]
早く行かんせ。
[唄]
[utaChushin] と教へられ。
琴浦
アイ/\。
團七
コレ、東側ぢやぞえ。この仕儀必らず云ふまいぞ。
琴浦
合點ぢやわいなア。
[唄]
[utaChushin] いそ/\として急ぎ行く。
[ト書]
ト琴浦こなしあつて、花道へ入る。此うち佐賀右衞門、いろ/\あつて
佐賀
アヽ、君子は危ふきに近寄らず、三十六計逃げるが第一。
[ト書]
トこなしあつて、
[唄]
[utaChushin] 飛ぶが如くに立歸る。
[ト書]
ト大拍子にて、足早に上手へ入る。團七見送りて、
團七
ハテ、意氣地のねえ、こそ/\と逃げて失せたわえ。
[唄]
[utaChushin] 跡見送りて心附き、
[團七]
イヤ/\、こりやてつきり昆布屋の事を嗅ぎ附けて、先へはよもや廻るまい。とは云へ道が氣遣ひな。宮へはひつても參られる。ドレ、おれも後から。
[ト書]
ト向うへ行きかける。
[唄]
[utaChushin] 心急いで行く道から。
[ト書]
ト此うち上手より一寸徳兵衞、好みの着附けにて、後より以前のこつぱの權、なまの八、兩人好みの拵らへにて、連れ立ちながら出て、
兩人
オヽイ。
[ト書]
ト呼ぶ。團七構はず、行きかける。
[兩人]
オヽイ/\。
權
ハテ、こんなに呼ぶに、この男は聞えぬか。
[ト書]
ト團七これに構はず、花道へ行く。
團七
ムウ、呼ぶのは、おれの事かえ。
徳兵
オヽサ、マア/\、待つてもらはうかえ。
[ト書]
ト鳴り物になり、舞臺へ戻つて、
團七
御大層に呼びかけて、サ、何の用だ。
徳兵
ハテ、用がなうて呼ばうかい。こつぱになまよそろそろと仕掛けろ。わいらでいかざア、助けてやらう。その間に拔きさした髭でも拔いて置かうかえ。
[唄]
[utaChushin] 床の床几に上足打ち、煙草入れから出す毛拔も、なんぼう太き穿索なり。
[ト書]
ト文句の通りよろしくあつて、
[唄]
[utaChushin] いがみと早う見て取る團七。
[ト書]
ト男達の鳴り物になり
團七
コリヤ、おれに何の云ひ分がある。エヽ小面倒な、早う吐かせ。
權
オヽサ、云ふなといつても云つて聞かすワ。名は云はいでも頼まれたと云や、合點であらう。ハテ、高が先刻の女中、貰ひに來たのだ。
八
あのゝものゝと口數無しに、おいら二人が
兩人
受取らうかい。
團七
ハテ、おれもてつきり、こんな事だと思つた。
權
落ちつき自慢の魚屋團七。
八
命に掛替へあつたら知らず。
權
こつぱの權。
八
なまの八が
權
この腕で
兩人
貰つて見せるワ。
團七
イヤ、此奴等ア除けて通れば方圖がない。また渡さねえといつたら、うぬらどうする氣だ。
兩人
斯うして疊んでしまふのだ。
團七
ナニ、しやらくせえ。
[唄]
[utaChushin] 右左、ばたり/\と蹴倒せば。
權
イヤ、此奴、臑出しを
兩人
ひろいだな。
[ト書]
ト思ひ入れ。徳兵衞ぢろりと見て
徳兵
疊んでしまへ。
兩人
合點だ。
[ト書]
ト團七へかゝる。團七、兩人を相手によろしく立廻り、トヾ兩人したゝかに打ち据ゑられ
兩人
アイタ/\。痛え/\。
權
親方後を
兩人
頼みやんす。
[唄]
[utaChushin] 後を頼むと云ひ捨てゝ、命から%\逃げて行く。
[ト書]
ト權と八の兩人、叶はずして花道へ逃げて入る。
[唄]
[utaChushin] 見て居る奴は大膽者、髭拔きしまひ毛拔を納め。
[ト書]
ト徳兵衞よろしくこなしあつて、
徳兵
へヽヽヽヽ、ても弱い奴等ぢや。あれでも人に頼まれるぢやまで。と云うて退けても居られまい。おれを頼んだのも、無理ぢやないわえ。
[唄]
[utaChushin] どりや出て逢はうと、のつし/\。
[ト書]
ト思ひ入れにて、誂らへの鳴り物になり。
[徳兵]
團七、ちよつと下に居てもらはうかい。
團七
アノ、おれにか。
徳兵
オヽよ。
團七
ハテ、大分時代に出かけたな。
[ト書]
ト思ひ入れあつて、中腰に居住ふ。
[團七]
サア、下に居たが、どうする。
徳兵
されば、友達づくの頼むに引かれず、一寸も跡へは寄らぬ一寸徳兵衞が、ちよつとマア、斯うして見ようかえ。
團七
ホヽ、こりや又身があつて面白いわい。そんなら差詰め、斯うせうかい。
徳兵
ムウ、さうすりや、おりや斯うするワ。
團七
ムウ、斯うする。イヤ、おりや斯うするワ。
[唄]
[utaChushin] 打つ手留むる手右左、片手にきりゝと尻ひつからげ。
[ト書]
トせりふのうらより、双方手先の立廻りよろしく、右の文句の通りあつて、左右へ別れて、尻引ツからげ、キツと見得。これより誂らへの鳴り物になり、高札を引きぬき、兩人打合ひの立廻りよろしく
[唄]
[utaChushin] あまり遲さに新家から、迎ひにお梶は只一人、來ればうたてや又喧嘩。
[ト書]
ト花道より、以前のお梶走り出て、これを見て
かぢ
コレ、モシ、料簡さしやんせ。コレこちの人、こなたも料簡したがよい。
[唄]
[utaChushin] 云ふをも聞かぬ掴み合ひ、打ちつ打たれつ止めても、踏み飛ばすやら蹴飛ばすやら、止めぬ仕やうも並び立つ、辻札取つて二人が中へ、横にこかして氣轉の枷。
[ト書]
トお梶、双方を止める立廻りあつて、トヾ側なる辻札を取り、兩人をよろしく隔てるこなし。
[かぢ]
マア/\待つて、下さんせ。
團七
イヤ、女房、邪魔せずと
徳兵
怪我せぬうちに
兩人
退いた/\。
かぢ
イヤ、退かぬわいなア。こちの人、今日御赦免になつたのも、元を糺せば喧嘩ゆゑ、その足腰もまだ固まらず、殊に女房や市松に、喜ぶ顏も見せぬうち、往來中のこの達引。腹は立たうが、マア/\待つて下さんせ。お前も何か樣子は知らねど、堪忍して。
[ト書]
ト思はず徳兵衞の着物と顏を見て、
[かぢ]
オヽ、ほんにさうぢや。お前はこの中の乞食ぢやな。
徳兵
ほんにお梶さんか。面目ない/\。
かぢ
下がりや/\。こちの人になんで手向ひ。アノ、非人の、人でなしめが。
[ト書]
トきつと云ふ、徳兵衞、しよげる思ひ入れにて、尻込みして
[唄]
[utaChushin] あやまり入りたる顏つきで、出入りの腰は折れにける。
[ト書]
ト團七思ひ入れあつて
團七
コリヤ、女房、おりや合點がゆかぬ。彼奴どうして見知つて居る。
かぢ
見知つてゐいでなんとせう。短う云へば磯之丞さま、お鯛茶屋からお歸りなされぬ、その時の思ひ附き、お遊びなさるゝ濱先で、非人の喧嘩身の上話し、此奴を頼んで云はしたが、お耳へ止まつてお歸りなされたゆゑ、阿母さまのお喜び、その御褒美にあの着物、まだその上にお金も遣り、それから止めたその形ぢやな。
[ト書]
徳兵衞、團七思ひ入れあつて
團七
ムウ、そんなら重々憎い奴。玉島の御恩を着て、磯之丞どのに仇をする、佐賀右藏門が尻持つ、恩知らずの畜生め。もう免さぬぞ。
[唄]
[utaChushin] とびかゝれば、
[ト書]
ト徳兵衞身を引いて、
徳兵
アヽ、待つた/\、その磯之丞どのといふは、備州出のお侍ひ、玉島兵太夫さまの御子息か。ハヽア、知らなんだ/\。この徳兵衞も備中の玉島生れ、少しの科で追ひ拂はれ、國を出る時殘して置いた、女房につれてもお主、おれの爲めにも親方筋。その思惑の琴浦どのに、横戀慕する佐賀右衞門、頼まれた朋輩の、尻持つたは大きな間違ひ。達引どころかおれも共々、お世話をさして下さりませ。頼む/\。
[唄]
[utaChushin] ぽつくり折るゝ吉野ざし、徳兵衞が一分の、立て初めとこそ知られけり、團七始終をとつくと聞き。
[ト書]
ト徳兵衞よろしくあつて、團七思ひ入れあつて、
團七
碎けて見りや他人はねえと、こりや珍しい出合ひぢやな、その詞に違はずば、なんぞ慥かな固めをせうか。
徳兵
オヽ、そりや何なりと望み次第。コレお内儀、この連れの繪を見さつしやれ、曾根崎心中の徳兵衞が、生玉で叩かれて恥面掻いて居る所。その徳兵衞が看板で、この徳兵衞が出入り留め、斯う打明けて解け合うたは明神の引合せ。アヽ、忝ない/\、シタガ、おりやちつとの間も菰冠つたこの體を、うるさがつて下んすな。シタガ、剩り物は喰はなんだわえ。
かぢ
あのお人の云はしやる事。寺へ行つた折聞かしやんしたか。百人一首の天智天皇樣も、木の丸どのにござつたげな。人間に浮沈みは、ある習ひでござんすわいなア。
[唄]
[utaChushin] 會釋に團七心づき。
團七
女ども、あの二人の衆は、昆布屋にござるか。
かぢ
サイナ、三婦さんの云はしやるにはナ、舅の所へ戻りがけ、掛り人二人連れて去んだら、氣に入るまい。今度は此方へ連れて去んで、女中一人は引受けう。磯之丞さまは行く/\は、大事ない奉公でもさせましたらよからうと、三人づれ、先へ去んでござんしたわいなア。
團七
オヽ、そりや慥か/\、慥か次手に、固めはどうする。
徳兵
オヽ、腕を引かうか、血を呑まうか。
團七
心が据らにやア役に立たぬぞ。われが性根を見拔いたゆゑ、固めの印、渡さうかい。
[唄]
[utaChushin] これ渡さうと浴衣の片袖、引切つて差出し。
[ト書]
ト團七、着附けの片袖を、引き切つて、思ひ入れあつて
[團七]
コリヤ、これは團七が身に附いた片袖、磯之丞どのゝ世話をする。片腕にする證據の袖。とつとゝ受取れよ。
徳兵
オヽ面白い。互ひに心底包まず隱さず、徳兵衞が證據も、また斯うちぎつて渡すワ。
[ト書]
ト徳兵衞同じく、浴衣の袖を引きちぎり、
[徳兵]
磯之丞どのを袖にせぬと云ふ印。どんな事があらとも、御難儀になる事なら、袖にしないと云ひぬく證據。
兩人
サア、受取れ/\。
[ト書]
ト兩人差出す袖を取交して
[兩人]
オヽ、受取つた/\。
[唄]
[utaChushin] 互ひに取替へ、手に通し。
[ト書]
ト兩人、右の袖に引きかけ
團七
おれがこの袖から、肩に引きかけて、世話したら、ナウ徳兵衞。
徳兵
オヽ、おれも斯う引きかけりやア、氣遣ひは微塵もない。男は當つて碎けろと。
團七
斯うなるからは
兩人
兄弟同然。
かぢ
互ひに心解け合うたで、わたしも心が落ちついたわいなア。サテ、この上は徳兵衞さんも。
徳兵
大坂へ直ぐに行かうかい。
團七
そんなら徳兵衞、
徳兵
團七どの。
かぢ
連れ立つて
團徳
これから直ぐに。
[唄]
[utaChushin] 裏表なき氣の廣袖、固めはしやんと住吉の、亡者の袖より慥かな袖。
[ト書]
ト此うち三人よろしく身繕ろひする。この時以前の權と八二人、窺ひ出で
兩人
さては二人が。
[ト書]
ト云ひながら、團七徳兵衞へかゝるを突き廻し、ポンと返す。お梶、帶を引上げ、三人よろしくこなしあつて、双方見合つて、木の頭。
團徳
ドレ、行かうかい。
[唄]
[utaChushin] 打連れてこそ。
[ト書]
ト三重にて、よろしく
夏祭浪花鑑
序幕 住吉鳥居先の場 (Natsu matsuri naniwa kagami) | ||