University of Virginia Library

三幕目 長町裏殺しの場

  • 役名==團七九郎兵衞。
  • 一寸兵衞。
  • 三河屋義平次。
本舞臺、正面黒板塀、見越しの松、上手へ寄せて、刎ね釣瓶の井戸、舞臺へ二間切り穴の誂らへの泥船。日覆より松の吊り枝よろしく、御輿太鼓にて幕明く。
[ト書]

ト花道より、義平次、籠屋を先に、追ひ立て出て來り、


義平

サア/\、早くやつて下せえ/\。


[ト書]

ト云ひながら急ぐ。この時揚げ幕にて


團七

オヽイ/\。


[ト書]

ト渡り拍子になり、花道より團七、追ひ駈け出て來り、花道にて駕籠と入れ替る。此うち本舞臺まで擔ぎ來る。棒鼻を押へて、


[團七]

この駕籠後へ戻してくれ/\。


義平

なんだ、おれがやつた駕籠だ。構はず先へやれ/\。


團七

イヽヤ、戻して。


義平

やれ/\。


[ト書]

ト兩人爭ふ。團七、駕籠を下に置かせ、キツとなる。


義平

ヤイ九郎兵衞、わりやこの駕籠をなんとするのだ。


團七

コレ、申し父さん、この駕籠のこの女中は、こんたも知つての通り、わしが爲には、大恩あるお方から預かつたお人。それを今連れてごんすのは、ハヽア、こりやてつきり惡者どもに頼まれて、金にする氣でござらうが、そりや惡いぞえ/\。さうされてはこの九郎兵衞の顏が、どうも立ちませぬ。コレ父さん、こんた、この中もこの中とて、内本町の道具屋で、田舍侍ひの拵らへにて、似せ香爐を持つて五十兩の騙り。


[ト書]

ト義平次、駕籠の方へ向いて、云ふなといふ思ひ入れ。


[團七]

サヽ、それもマヽようごんす。併し又惡いと云うてからが、嗜なむ心もござるまい。見下け果てた。これも後の事サ。何もかも云ひますまい。ぢやに依つてこの駕籠をナ。コレ、駕籠の衆、今聞いて居る通り、親仁どんの氣も直つた。大儀ながら戻して下せえ/\。


駕舁

ハイ/\。


[ト書]

ト舁き上げる。


義平

ヤイ/\/\、待て/\。


籠舁

ハイ/\。


團七

サ、ヤレ/\。


義平

エヽ、おれが雇つたこの駕籠、やる事はならねえぞ。


[ト書]

トこれにて駕籠を元の處へ下ろす。


[義平]

ヤイ九郎兵衞、嗜なむ心がるまい事か、見下げ果てたとはよく云つた。忝ない。その愛想づかしを、待つて居たのだ。六年以來おれが娘を女房にして、なぐさみ者にして居る、サア揚代を貰はう。ヤイ、[gengen] な恩知らずめが。コリヤ、よく聞けよ。おのれは元、宿無し團七と云つて、粹方仲間の小歩き。貰ひ喰ひして居たを、おれが引上げて、堺の濱の魚賣りをさせて置いたぞよ。又その上に娘のお梶と乳繰つて、市松といふ子までひり出し居つたぢやないか。月々の當がいものを取るのが好さに、目をねむつて居るうちに、乳守の町で喧嘩を仕出して、和泉の牢へ百日餘り、入つて居つたぢやないか。其うち女房や子は、誰れが養つて居たと思ふ。


團七

サア、それはみんな、お前樣のお世話で。


義平

エヽ、吐かすなえ/\。その入用を埋め合さうと思つて、金儲けにかゝれば、おのれが道具屋の内に居るとて、よくもあれを上げさせ居つたな。


團七

イエ/\、それはその時の、ツイ。


義平

イヤ/\、吐かすかいなう。コレ、今日琴浦をちよろまかして來たのは、惚れてござる佐賀右衞門どのに渡して、金にするのぢやわやい。


團七

サ、その金も、わしがどうでもする程に、この女中を人手に渡しては、どうも顏が。


義平

顏が立たぬか。オヽ、さうであらう/\。コリヤ、長々親子の者が養はれて居た、アノこの、この、この顏が立たぬか。よい男だ。立派な者ぢや。ドレ/\。


[ト書]

ト顏をこちらへ向けて


[義平]

但しは又、この、この頬桁が立たぬか。ごくにも立たぬ。あんだらを吐かしやアがるな。


[唄]

[utaChushin] 立蹴にはつたと蹴られても、舅は親と無念を堪え、齒を喰ひしばり居たりける。


[ト書]

ト義平次、團七を蹴飛ばす。團七、思ひ入れあつて氣を替へ


團七

イヤモ、段々の仰せ、一々御尤もでござります。何と申しませうやら、返す詞もござりませぬ。親子の者が永々のお世話の上に、又しても/\、金儲けを妨げまする段、眞平御免下さりませ。モウ/\、この上ふツつり金儲けの邪魔は致しませぬ。その替りに、アノ女中ばかりは。


義平

イヤ、ならぬ。


團七

そこをどうぞ。


義平

エヽ、ならぬ、ならぬわい。


[ト書]

ト團七、思ひ入れあつて、


團七

サア、素手でお詫びは致しませぬ。友達が寄りまして、頼母子講をしてくれました金が、爰に三十兩ござりますれば、これをお前樣に差上げますが、身の代に取つた思し召しで、どうぞ琴浦どのを三婦の方へ、お戻しなされて下されまし。外々へやりましては、どうもこの九郎兵衞が顏が立ちませぬ。慈悲ぢや情ぢや。コレ父樣。


[ト書]

ト袂を引くを振り放して、外を向きながら、義平次思ひ入れ。團七も思ひ入れあつて


[唄]

[utaChushin] 手引き袖引き膝を突き、親といふ字は是非もなや、義平次も三十兩、當分取るに少しは和らぎ。


[ト書]

ト義兵次、思ひ入れあつて、


義平

琴浦を佐賀右衞門どのに渡してやれば、百兩が物はあるけれど、かゝりや繋がる娘の縁。只やつたと思ひ切り、三十兩で戻してやらう。


團七

すりや、お戻しなされて下さりまするか。


義平

戻してはやるけれど、其方、その金持つて居やるか。


團七

イヤモ、慥かに爰に持つて居ります。


義平

よもや、騙しはせまいの。


團七

なんの騙して、よいものでござりませう。


義平

そんなら、それに違ひもあるまい。コレ/\駕籠の衆、いま戻つて來た處まで、その駕籠を返して下され。


駕皆

ハイ/\、畏まりました。


義平

駕籠賃も、先で存分貰はつしやい。


駕一

有り難うござります。こんな時に貰はねば、ナウ棒組。


駕二

それ/\、水も呑む事は出來ねえ。サア/\、やらかせ/\。


[ト書]

ト駕籠は花道へ入る。團七見送つて居る。義平次思ひ入れあつて、


義平

コレ聟どの、駕籠は眞直ぐに、三婦の内へ戻した。サア、約束の物を。


團七

ヘイ、約束の物とは。


義平

ハテ、氣の附かない。ソレ、彼の物よ。


團七

彼の物とは。


義平

エヽ、物覺えの惡い、三十兩の金を受取らう。


團七

ハイ、その金と申しては。


義平

サア、それを出して下され。


團七

イヤ、その金は。


義平

コレ、心が急くワ。早う渡しやいなう。


[ト書]

ト此うち團七もぢ/\して、困る思ひ入れ。


團七

イヤ、その金は、只今爰にはござりませぬ。


義平

エヽ。


[ト書]

ト義平次、恟りして、後へ引くり返る。


團七

只今宿へ歸りまして、才覺いたし參りまする。


[ト書]

トこの時義平次、やう/\腰の立つ心にて、團七の襟髮を捕へて引きつけ


義平

なんと吐かす。その金が無いとは、おのりや親を、うま/\一杯騙し居つたな。エヽ、腹が立つ腹が立つ。


[ト書]

ト團七を捻ぢ伏せる。


團七

申し、左樣ではござりませぬ。内へ歸れば心當りがござります。マア/\、爰を放して下さりませ。


義平

エヽ、さう云つて爰を逃げようと思つて、さう甘くはさせぬぞ。おのれ、どうしてくれう。この腹癒せに、いつそ斯うして。


[唄]

[utaChushin] 斯うしてくれると捻ぢ廻し、踏んだり蹴たり擧句には、砂に摺り附け石に打ちつけ、引廻し/\。


[ト書]

ト砂へ捻ぢつけ、石にてくらはし、踏んだり蹴たり、いろ/\に苛なむ。この時腰に挾みし雪駄落ちる。これを義平次見て取り


[義平]

こりやなんぢや、雪駄ぢやの。イヤ、おのれは大層な物を穿き居るな。この親はこの年になるが、二十四文の藁草履、こんな物をへけらかして、それで面が立たぬといふのか。アノ、この面が。


[ト書]

ト雪駄で兩方の頬を突く。團七ムウと思ひ入れ。


[義平]

なんぢや/\/\。おのれは親を睨め居るか。親を睨むと、平目になるぞよ。無念なか、口惜しいか/\。ヤレヤレ可哀さうな。


[ト書]

トこれにて脊中を撫で


[義平]

なんぢや泣くか、吠えるか。コレ、おのれのやうな畜生には、この雪駄の皮が分相應。


[ト書]

ト雪駄にて散々に團七を打つ。團七、無念の思ひ入れにて、その手を取り


團七

こりやモウ、どうでも。


[ト書]

ト團七脇差の柄へ手をかける。

義平次、恟りしながら、思ひ入れあつて


義平

なんだ/\。コリヤ、何をするのぢや。われはおれを切る氣ぢやの。


[ト書]

トこれにて團七思ひ入れあつて、脇差を後へ隱す。


團七

どう致しまして、左樣な事が。


義平

イヤ/\、切る氣ぢやに依つて、脇差に手を掛けたのぢやな。こりや面白い。切るなら切れ/\。

切られよう。サア、爰から切るか。


[ト書]

ト尻を捲り


[義平]

イヤ、爰から切るか。サア、切れ/\。


團七

どう致して、左樣な事が。


義平

イヤ/\、切る氣だ。サア、切れ/\。古いせりふだが、切つて白けりや錢は取らねえ。サア切れ、切れ、この脇差で、おれを切れ/\。


[ト書]

トこれにて脇差の柄を押へて、思ひ入れあつて


[義平]

サア、この脇差で切れ/\。


[ト書]

ト脇差を持ち添へ、


[義平]

コレ、切れ、切れぬか/\。


團七

なんとして、お前樣を、


義平

イヤ殺せ、サア、切つてもらはう。コレ、よく聞けよ。舅は親ぢやぞよ。コレ、親を切れ。一寸切れば一尺の、竹鋸で引廻すワ。三寸切れば三尺高い木の空で。逆磔ぢやぞよ、サア切れ、これで切れ/\。


團七

どう致しまして、危ない/\。


[ト書]

トいろ/\捨ぜりふ。放さんとする思ひ入れ。此はずみに思はず義平次を一刀切る。義平次、いろ/\と掴み合つて居るうちに、血の流るるを見て


義平

ヤア、切つた。親殺し/\。


[ト書]

ト花道の方へ逃げようとするを、團七、口を押へて、キツとなつて、よく/\見て、


團七

こりや、手が廻つたか。


[ト書]

ト思はず手を放す。


義平

人殺し/\。


[ト書]

ト駈け廻るゆゑ、團七も恟りして、また義平次の口を押へ、思ひ入れあつて


團七

こりやモウ、九郎兵衞が一生懸命。舅どの、堪忍さつしやれ。


[ト書]

ト云ひながら、泥船へ切り込み、花道よき所へ行き、キツと見得。これより鳴り物になり、兩人よろしく立廻りあつて、トヾ止めを刺す。このキツカケよろしく、後ろ灯入りの花車など、屋體、祇園囃子にて通る。團七思ひ入れあつて、死骸を片附け、井戸にて水を汲み、體を洗ふ事よろしく、脇差の鞘を尋ねる。よき處へ、上手より、皆々御輿を擔ぎ出て來り、


皆々

ちやうさや/\、ようさ/\/\。


[ト書]

ト云ひながら舞臺を廻り、又よき所にて花道へ入る。團七この中へ交り、舞臺にて辷り、尻居にだうとなりて思ひ入れ。


團七

惡い人でも舅は親、免して下んせ。


[唄]

[utaChushin] 八丁目とぞまぎれ行く。


[ト書]

ト團七は花道へ入る。この時上手より、徳兵衞出て來り、舞臺よき所にて、團七の雪駄に躓き、拾ひ取り、透かして見て思ひ入れあるを、木の頭。かすめて渡り拍子を打ち込み、よろしく、


ひやうし幕