University of Virginia Library

五大力戀緘
序幕 洲崎升屋の場

  • 役名==薩摩源五兵衞。
  • 笹野三五兵衞。
  • 千島千太郎。
  • 近習、市塚左十郎。
  • 同、安松伊平太。
  • 玉木東作
  • 賤ケ谷伴右衞門。
  • 出石宅左衞門。
  • 升屋才兵衞
  • 料理人、喜兵衞。
  • 下女、おとわ。
  • 同、おちよ。
  • 藝者、淺香。
  • 同、久米吉、
  • 男藝者鶴次。
  • 同、龜吉。
  • 同澤吉。
  • 升屋娘、おこの。
  • 廻し男、彌助。
  • 下部、土手平。
  • 櫻屋の小万。
本舞臺、洲崎升屋の表のかゝり、物數寄したる中門、客路地、磨き葭の腰垣、これに升屋と記したる角行燈を掛け、すべて料理茶屋のかゝり。幕の内より料理番と肴屋と喧嘩して居る。若い者三人とりさへて居る。騒ぎ唄にて幕明く。
料理

イヤ、料簡がならない/\。


皆々

マア/\、待たつしやい/\。


肴屋

イヤ/\、放した/\。


若一

イヽサ/\、おれが呑みこんで居るワ/\。


若二

これサ、料理番どの、どうしたものだ。出入りの肴屋を捕へて、何をワツパサツパ云ふのだ。


料理

イヤサ、今夜は千嶋家のお客がお入りなさるゆゑ、昨日から誂らへて置いた仕込みの肴を、コレ、もう日が暮れるワ、今時分から持つて來て、間に合ふものか。


肴屋

おれも大事の得意場だから、骨を折つて持つて來た注文通り。突ツ返されて堪るものか。


料理

もういらないから返すのだ。


肴屋

不漁だからツイ遲くなつたのだ。


料理

もういらない/\。


若三

マア/\、さう云はずと、わしに預けさつしやい。


料理

否だ/\。


皆々

マア/\、ござい/\。


[ト書]

ト皆々ワヤ/\云うて、下の方へ連れて入る。祇園囃子になり、向うより千太郎、着付け羽織袴の、愚かしき若殿の拵らへ、その後へ近習三人、伴右衞門、三五兵衞、宅左衞門、源五兵衞、何れも着付け羽織の形、めい/\奴一人づゝ箱提灯を持ち、花道より出で來る。客路地より才兵衞、着付け袴の形にて、手燭を持ち、出迎へ、平伏して


才兵

これは毎度ながらお入り下されまする段、冥加に叶ひ、有り難う存じまする。これよりお通り遊ばされませう。


三五

亭主才兵衞、御案内申せ。


才兵

ヘイ/\。


三五

千太郎さまには、イザ。


千太

オヽ、皆來い/\。


[ト書]

ト才兵衞先に案内して、千太郎附いて入る。これに續き近習入る。


三五

源五兵衞どの、宅左衞門どの、


兩人

まづ/\。


[ト書]

ト互ひに目禮して、三五兵衞、宅左衞門、源五兵衞、段々に路地へ入る。この道具を引いて取る。


本舞臺、三間の間、二重舞臺、見付け一面の腰障子臆病口の方、仕切りのまいら戸、臺所の體にて、爰に料理番、爼板に向ひ、料理して居る。下男大勢働いて居る。こなたは中の間の體にて、方々に丸行燈ともし、爰に久米吉、淺香、藝者の拵らへにて、三味線箱にもたれ、あやを取つて居る。脇に小万も藝者の拵らへにて硯箱を扣へ、行燈にて文を書いて居おとわ、おちよ、仲居、前垂がけ、銚子を替へに來るて居る。騒ぎ唄にて道具とまる。
とわ

サア/\、久米吉さん、淺香さん、もうどなたも、お出でなされたぞえ。


ちよ

小万さんも一緒に。


小万

アイ、もう皆お揃ひかえ。


[ト書]

ト構はず文を書いて居る。


ちよ

こちの旦那さんは、せつかちぢや程に、皆さん、もう拵らへてござんせえ。


淺香

久米さん、一緒に行かうぞえ。


久米

サア、座敷へ行くは面白いけれど、左十さんの髭で摺りつけらるゝが、否ぢやわいなア。


淺香

いつち中で千せんが、可愛らしいなう。


とわ

淺香さん、お前、千さんに氣があるかえ。


淺香

なんのマア、阿房らしい。


[ト書]

ト此うちおこの、娘の形にて奧より出で


この

おちよもおとわも、どこに居るぞいの。


[ト書]

ト皆々を見て


[この]

二人ながら、奧でお手が鳴るわいの……これいなア、久米吉さん、淺香さん、お前方も、ちやつと拵らへて行ておくれいなア。


[ト書]

ト此うち久米吉、淺香、鏡袋を出して顏を直して居る。


久米

サア、さう思うて、いま顏を直して居るわいなア。


淺香

小万さんも一緒に、座敷へ行かしやんせんかえ。


小万

アイ、いまいくけれどわたしやこの文、ちよつと内へ持つて行つてもらひたいが、こちの彌助どんわえ。


ちよ

彌助どんは、先刻大門屋へ行くといつて、行かしやんしたが、戻つてなら、お前に知らさうわいなア。


小万

エヽ、つんとモウ急な用があるのに、爰に居てくれたがよい。……おちよどん。お前を頼んで置く程に、彌助どんが戻らしやんしたら、この文を渡しておくれえ。


ちよ

アイ/\、わたしがきつと渡すわいなア。


[ト書]

ト文を受取る。


小万

急な用ぢや程に、間違はぬ樣に頼むと、云うて渡して下さんせえ。


ちよ

アイ/\、合點ぢやわいなア。


この

サア、皆さん、座敷へ行つておくれんかいなア。


小万

アイ/\、サア、お前方もござんせんか。


久米

小万さん、お前、顏を直さんせぬか。


小万

わちしやモウ、此まゝで出ようわいなア。


とわ

どうでも、小万さんは、生地でも目立つわいなア。


小万

オヤ、馬鹿らしいによ。


皆々

サア、ござんせいなア。


[ト書]

ト騒ぎ唄になり、小万先に、皆々奧へ入る。おとわ、おちよ、三味線箱を抱へて入る。おこの、後を片付けて、仕切りの戸を明けて


この

喜兵衞、お吸物の支度はよいかや。


料理

ハイ、ようござりまする。


[ト書]

ト云ふうち献立を見て


この

御膳までの間に、お屋敷から來た泡盛を出せと、仰しやつたぞや。


料理

そりやア燗場へ、さう申して置きました。いま鮟鱇のお吸物を出しまする。


この

そりやよからうわいの。コレ、お屋敷樣はむづかしいから、隨分氣を付けてもらはうによ。


[ト書]

トこの間奧にて、手を叩く。


[この]

ソレ、お手が鳴るわいの。誰れも居ぬかいの。アイ……


[ト書]

ト返事しながら奧へ入る。踊り三味線になり、向うより彌助、廻しの拵らへにて、走り出て來る。


料理

オヽ、彌助どん、戻らしつたか。


彌助

アイ、大門屋に客人が來てござるから、ちよつと顏を出したところが、丼で一つキウと、……イヤモウ、とんだ目に會つたやつよ。


[ト書]

ト此うち奧よりおちよ、文を持つて來て


ちよ

彌助どん、先刻から待つて居たわいなア。小万さんが云はしやんすには、この文を見て、大儀ながら、内へ行つて來てもらひたいと云はしやんしたぞえ。


[ト書]

ト文を渡す。


彌助

そりやアお世話でござりやした、……この文を見て、内へ行つて來てくれろとは、あの子に色がましい據とは無し。何だしらん。


[ト書]

ト合點の行かぬながら文を開き


[彌助]

今夜は歸る程に、なんとなと取繕らうてもらうて下さんせや。きつと/\頼むぞえ。彌助どのへ小万……又なんぞ、あの子の癇癪に、障つたかしらん。


[ト書]

ト文を懷へ入れて


[彌助]

おちよどん、わしやちよつと内へ行つて來る程に、この通りを小万さんへ頼みますぞえ。


ちよ

そんなら歸つてござんすか。そりや大儀ぢやの。


彌助

なんの、爰から仲裏までいくらあるものだ。ドリヤ、一走り。


[ト書]

ト向うへ走り入る。始終踊り三味線。


ちよ

ドレ、わしも、小万さんにこの樣子を。


料理

おちよどん、もうお吸物が出るによ。


ちよ

合點ぢやわいなア。


[ト書]

トおちよは奧、料理番は下座へ入る。矢張り踊り三味線にて、奧より左十郎、伴右衞門、伊平太、東作四人しておこのと小万を連れて出る。


四人

兩人ともに、ちよつと來やれ/\。


小万

お前さん方が、わたしに用と仰しやるは、先度からおこのさんが云はしやんす、三五兵衞さんんの事かえ。


この

小万さん、あなた方まで、いろ/\と仰しやることぢやほどに、どうぞ、よいやうに返事して、おくれいなア。


小万

サア、お前が段々云うてぢやけれど、どうもならぬ譯があるゆゑ。


左十

どうもならぬ譯といふは、小万、外に色があるといふのか。


伴右

仲町で聞合したところが、其方にばかりは深間は無い、今時の藝者に似合はぬ、甚だ堅いものぢやと、聞及んで居るわサ。


伊平

我れ/\も三五兵衞どのに、頼まれた手前。


東作

小万、是非とも。


この

アレ、あの通りぢやわいなア。尾花屋や梅本で聞いておいでなされたゆゑ、嘘もつかれず、お前の返事が無いによつて、どうやら、わたしが捨てゝ置くやうで、濟まぬわいなア。外にどう云ふ譯があるかは知らぬけれど、それはそれ。


[ト書]

ト小万、思ひ入れあつて


小万

サア、この事は、どんな事があるても、云ふまいとは思うたけれど、云はねば三五兵衞さんへ、お前さん方や、おこのさんが濟まぬ口振り、それぢやによつて、云ひます程に、必ずパツとならぬやうにして下さんせえ。


この

そりやモウ、わたしが呑み込んでゐやんす。そして、お前の色さんの名は、なんといふえ。


四人

早う聞かしてくれ居れやい。


小万

サア、其お方は、


四人

其お方は。


小万

千嶋のお屋敷、薩摩源五兵衞さんでござんすわいなア。


四人

ヤアヽ。


[ト書]

ト顏見合せ驚ろく。


小万

常住お前さん方と一座しても、見付けられぬやうにするは、大抵辛氣な事ぢやござんせぬわいなア。


左十

何れも、お聞きなされたか。千嶋家の御家老、薩摩源次兵衞どのゝ御子息、我れ/\が、毛虫どの。


伴右

日頃より四角四面な源五兵衞どの、斯樣な遊所なぞへ參るやうな仁ではないが、愚しい千太郎さまへ、世の中の世話を御覽に入れん爲、遊所へ折々の欝散。


伊平

左樣でござる。ちんぷんかんで、我れ/\へも意見めさるゝ源五兵衞どのが


東作

藝者の小万と色事とは。


小万

その偏屈な、堅くるしい、几帳面なお方が……思案の外とは、をかしいものぢやわいなア。


[ト書]

ト恥かしきこなし。四人、顏を見合せて


四人

ハテ、とんだ事な。


[ト書]

ト奧よりおとわ出て


とわ

モシ/\、あなた方がお見えなさらぬとて、千太郎さまがお尋ね遊ばしてゞござりまする。サア/\、ちやつとお出でなされませいなア。


左十

千太郎どのがお召しとござれば、參らずばなりますまい。


伴右

この樣子を三五兵衞どのへ。


伊平

そりや間を見合せての事に致さう。


東作

サア/\、先づお出でなされい。


[ト書]

ト合ひ方になり、四人、奧へ入る。おこの、小万の側へ寄り


この

小万さん、なんぼお前が誠らしう云はしやんしても、どうもわたしや合點が行かぬ。源五兵衞さんはお屋敷でも、物堅いお方との噂。此方の内へお出でなされても、ついに女子を捕へて、ちよつとのてんがうも仰しやらぬ。その上、あなたの奧樣といふは、お國のお血筋、きつとしたお家柄、まだ御祝言はなけれど、それさへお嫌ひなさるもの、なんぼお前が隱さんしても、源五兵衞さんと譯のある事なら、素振り目遣ひ、滿更わたしぢやと云うて、ちつとは氣取らぬ事は無いわいなア。三五兵衞さんの返事に困つて、ツイ云はしやんしたのであらうがな。なんのわたしに隱す事は無いわいなア。


小万

おこのさん、仲町と洲崎と所は隔てゝあれど、お前の深切。いづぞやからお屋敷樣で内方へ來るわたし、馴染みの無い者を、可愛がつて下さんすお前に、なんの隱しませうぞいなア。御推量の通り三五兵衞さんが、しつこう云はしんやして、口説かしやんすが嫌さに、返事に困つて今のやうに、源五兵衞さんと、譯があると云うたのぢやわいなア。


この

さうでござんせう。お前源五兵衞さんに、その事を頼んでかえ。


小万

ほんに、さうでござんすな。そんなら源五兵衞さんに、この樣子を話して來うかいなア。


[ト書]

ト行かうとする。


この

アヽ、コレイナア。立ちながら話しもなるまい。殊に座敷にお出でなさるを、お前が呼んでは目に立つ……コレ、おとわ、てまへちよつと、源五兵衞さんを呼びましておぢやいなう。


とわ

アイ/\、わたしがそんなら。


[ト書]

ト行かうとする。


小万

コレ/\、おとわどん、マア、今の事は何にも云はずに置いて下さんせえ。


とわ

小万さん、なんぼ洲崎が場末でも、升屋のおとわでござんす。そんな事は呑み込んで居るわいなア。


[ト書]

ト潮來節になり、おとわ、奧へ入る。おこの、小万、しか%\ある。奧にて


源五

ナニ、芝から使とは何用ぢやしらぬ。


[ト書]

ト云ひ/\出て來る。


[源五]

おこの、芝から身に逢ひたいと申して參つた使者は、どれに居るぞ。


[ト書]

トおこの、小万、ウヂ/\して云ひかれる。


源五

ハテ、その使ひは、どれに居るぞ。


この

ハイ、芝からのお使ひは。


源五

どれに居るぞ。


この

ハイ、お使ひでござりまするわいなア。


源五

何を云ふぞいやい……これは小万、先程から座敷に居らぬが、何をして居るぞ。千太郎さまを始め、三五兵衞どのもお尋ねなされた。早く奧へ行きやれ。


小万

ハイ、參じは參じますが、おこのさん、今のをナ。


この

サア、今のをナ。


[ト書]

ト小万、云へと云ふこなし。


源五

ハテ、何ぢややら、兩方から今のをナ……とは何の儀ぢや。


小万

サア、今のをナ、と申しまするは、ヘヽヽヽヽへ。


[ト書]

ト笑ふ。源五兵衞、合點の行かぬ思ひ入れにて、おこのを見る。これも笑ふ。


源五

これはマア、何の事ぢや。


この

サア、これは……オヽ、それ/\、芝からのお使ひでござりまする。


源五

サア、其お使ひに早う逢ひたい。どれに居るぞ。


この

サア、其お使ひは。


源五

その使ひは。


この

爰にござりまする。


[ト書]

ト源五兵衞の方へ小万を押しやる。


小万

おこのさん、何ぢやぞいなア。


[ト書]

トうぢ/\こなし。


源五

何ぢややら、どぎ/\と。エヽ、こりや身共を嘲弄するのぢやな。よい機嫌な者どもぢや。


[ト書]

ト苦笑ひする。兩人、モヂ/\こなし。おこの、小万に、今のを頼めと仕方。小万はお前云うてくれいといふ仕方。兩人よろしくあつて、思はず源五兵衞と顏を見合せて


この

ホヽヽヽヽ。


小万

ホヽヽヽヽ。


兩人

ホヽヽヽヽ。


[ト書]

ト氣の毒さうに笑ふ。


源五

何の事ぢや、さしてをかしくもない儀を……エヽ、芝の使ひは玄關に待つて居るか。


[ト書]

ト奧へ行かうとするを、おこの、源五兵衞の袖を扣へ


この

アヽモシ……其お使ひの口上は、小万さんが聞いてでござります。コレイナア、爰へ來て、今の口上を、とつくりと云はしやんせいなア。


[ト書]

ト小万を源五兵衞の側へ突きやる。


源五

小万がその口上を承つて居るか。何の用ぢや、早うその口上を。


[ト書]

ト小万、思ひ入れあつて、源五兵衞の側へ寄り


小万

その口上は、ナア、……ソレ、頼まれておくれなされませ。


源五

その口上は、頼まれておくれなさりませ……。そりや何の事だ。


小万

その譯はマア、下に居て、聞いておくれなさんせいなア。


[ト書]

ト合ひ方になり、よろしくあつて


[小万]

奧に來てござんす、あの三五兵衞さんが、何ぢややら、わたしに惚れたのなんのと云うて、口説かしやんすけれど、どういふ事やら、わたしや三五兵衞さんが、嫌ひで嫌ひでならぬわいなア。それで今まで斷り云うても、爰にござんすおこのさんや、奧にござんす伴さんや、左十さんまで頼んで、のツ引ならぬ今宵の切端。得心せぬは外に深い色でもあるやうに問ひ詰められ、せん方無さ、如何にも深う譯のあるお方といふは、源五兵衞さんでござんすと申しましたわいなア。


[ト書]

トこなし。


この

わたしも側に居る所で、左十さんや伴さんへ、あなたと譯のあるといふ返事。ハツと思うて後で聞けば、三五兵衞さんを初め皆さんも、常からあなたを怖がつてござるによつて、源五兵衞さんと譯があると云うたら、この後三五兵衞さんも、云ひ出してゞはあるまいと、思うて云うたあの子の氣轉。御迷惑なはあなたお一人。


小万

常から物堅いあなた、此やうな自堕落な事は、お否であらうけれど、三五兵衞さんがお國へお歸りなさるゝまで、表向きばかりの色事になつて、わたしが難儀を救うておくれなさりませ。その代りに、嫌らしい事はしは致しませぬ。申し、源五兵衞さま、一生の御恩に着ます程に、皆さんの手前は、今お頼み申したやうに、譯のある體に見せて下さりませ。モシ、お頼み申しますわいなア。


[ト書]

ト源五兵衞、思ひ入れあつて


源五

芝の使ひはハテ、變つた口上ぢやなア……小万は云うても藝者の事なれば、後先の辨まへなく、只今の樣な儀を云ひ出さうとも、おこのまでが同じ樣に、益體もない事を云ひ出すは、なんぼ表向きでも内向きでも、身共は大切なる御用を蒙むり、江戸表へ下り居る身分。殊に斯樣なむくつけな侍ひが、若輩な女子を捕へ、惚れたの、イヤ色ぢやのとは……餘り馬鹿々々しい。


[ト書]

トおこの、思ひ入れあつて


この

それ見やしやんせ。大方斯うであらうと思うたわいなア。小万さん、お前、どうせうと思はしやんすえ。


小万

どうせうと云うたら、頼みに思うた源五兵衞さんは、お否ぢやと云うてゞござんす。詰まらぬ者になつたわいなア。


この

詰まらいでも、詰まつても、


[ト書]

ト源五兵衞を見る。源五兵衞は向うを見て居る。


[この]

どうも仕樣が無いもの、


小万

無いでは濟まぬわいなア。


[ト書]

トうぢ/\する。おこの、源五兵衞へ指さしゝて、頼めと云う仕方をして見せる。


この

濟まぬわいなア。


[ト書]

トいろ/\氣を揉む。小万、こなしあつて


小万

わたしが身の切なさに、源五兵衞さんの御身に心も付かず、ひよんな事を云ひ出して、さぞお腹が立ちませうが、そこをどうぞ堪忍して、今云うたやうに、表向きの所は、マア、色ぢやと云うてさへおくれなさると、よいのでござりまする程に、藝者一人助けると思うて、モシ……これぢやわいなア。


[ト書]

ト拜む。


源五

これは又、迷惑千萬な。


[ト書]

トこなしあつて


[源五]

藝者といふは僞り、誠は敵討でござる、助太刀いたしてくれいと云ふやうな事なら、二言は無けれど……色ぢやとは、どうもハヤ。


[ト書]

ト小万が形を見て


[源五]

餘り馬鹿々々しい。


小万

サア、さうではござりませうけれど、頼まれておくれなさりませぬと、どうも今宵、座敷に居られませぬわいなア。


この

ほんに、最前のやうに皆さんに云はしやんした事が、嘘ぢやと知れたら、三五兵衞さんが猶きいてゞはあるまい。


小万

それぢやによつて、此やうに押しつけてお頼み。


この

常もの云はぬあの子が、此やうに頼ましやんす事。


小万

どうぞ聞入れて


兩人

おくれなさりませいなア。


[ト書]

ト源五兵衞、思ひ入れあつて


源五

ムウ、すりや、今宵の所が拔けられぬから、どうあつても押しつけての頼みか。


小万

アイ、あなたより外に


この

この釘はきゝませぬ。


源五

これは又迷惑千萬……よいワ。兩人が頼み、どうなりと致して遣はさう。


小万

エヽ、そんなら頼まれておくれなさるかえ。


この

得心してあげなさるかえ。


源五

いかにも頼まれて遣はさうが、表向きばかりぢやぞ。


小万

アイ、三五兵衞さんの手前を、譯のある分にさへ云うておくれなさんすとよいわいなア。


源五

サア、それでよい事なら、どうなりと云うて遣はさう。


小万

そんなら、いよ/\さうぢやぞえ……アヽ嬉しや、おこのさん、とんと痞が下りたわいなア。


この

わたしが心までさつぱりとした。最前源五兵衞さんが、否ぢやと仰しやつた時は、こりやマアどうしようと、大抵案じた事ぢやないわいなア。


小万

さいなう、わたしもひよんな事云ひ出して、後へも先へも行かなんだによつて、いつそ駈落ちせうと思うたわいなア。


源五

ハヽヽヽヽヽ、客に口説かれ返事に困り、駈落ちせうとは、しどのない所が、流石は藝者。ハヽヽヽヽヽ。イヤ、小万、其方が頼みを聞いて遣はすからは、また身共が頼む事も、きいてもらはねばならぬが、合點か。


小万

そりやモウ、何でもきくによつて、必らず今のを頼むぞえ。


源五

サア/\、よいてや/\。


[ト書]

ト奧にて


三五

おこのや/\、おこのはどれに居る。


[ト書]

ト云ひ/\出て來る。三人思ひ入れあつて、よろしく座を改める。三五兵衞、おこのを見て


[三五]

おこの、これに居るか。最前から尋ねて居つた……源五兵衞どのもこれにござるか、……ホウ、小万もこれに居つたか。


小万

アイ。


[ト書]

ト源五兵衞の方へ思ひ入れ。


源五

イヤ、三五兵衞どの、御存じの通り、拙者一吸もたべませぬ。千太郎さまがお好みの泡盛、強ひつけられて甚だ酩酊、暫く醉を醒さうと存じて、失禮の段、御免下されい。


三五

成る程、御酒を參らぬおてまへ、泡盛は御難儀でござらう。然らばこれにて御休息なされい。千太郎さまの御前は、身がようしう取計らひませう。


源五

それは忝なう存じまする。


[ト書]

トこなし。小万立つて行かうとする。


三五

アヽ、小万、待て。其方は何れへ參る。


小万

アイ、お座敷が淋しからうと思うて。


三五

ハテ、座敷には藝者どもが數多居れば、よいわサ。マア/\、爰でちよつと話しやれな。


小万

源五兵衞さん、爰に居ても大事無いかえ。


三五

ハテ、源五兵衞どのが、お身がこれに居つたとて、なんの大事があらう。マア/\、下に居やれ。


この

小万さん、三五兵衞さんが、あのやうに仰しやつてぢや程に、マア、下に居りいなア。


[ト書]

ト小万を無理に下に置き


[この]

申し、三五兵衞さん、わたしをお尋ねなされましたは、何の御用でござりますえ。


三五

成る程、其方を尋ねたは


[ト書]

ト小万を見て、また源五兵衞の方を見て


[三五]

イヤ、さして急な用でもない。


[ト書]

トこなし。


源五

おこのをお尋ねなされたは、エヽ、さてはお馴染とやらの御用向きかな。


三五

これは又、源五兵衞どのには御酒機嫌のしるし、ついにない洒落をやらつしやるな。ハヽヽヽ。時に源御兵衞どの、手前そこ許、大切なる御用につき、當所の屋敷へ參り、方々の遊所々々へ立寄りますも、彼の大切なる一品を


[ト書]

ト云はうとする。源五兵衞、あたりを紛らし、取合はぬゆゑ、三五兵衞、熱くなり


[三五]

サア、彼の大切にいたす千太郎さま、我れ/\が守護いたし、當所の御逗留、下世話でいふ知惠つけの爲、拙者を乳母のやうに思し召しでござるは、氣の毒なものでござる。


源五

生得穩和なお生れつき、平常お側にござる貴殿、御心配の程、推察仕つてござる。


三五

これは/\御挨拶。それに付きましては、遊所へお出での砌りは、美眉よき女を御覽なさるゝと……困つたものでござる。


源五

イヤ/\、賢愚ともに、色情は、計られぬものと承はる。


三五

ハア、然らば其許のやうな、四角四面な、偏屈な仁でも、色は捨てられぬものでござるかな。


源五

捨てられてよいものでござるか。堅いと申すは


[ト書]

ト刀を見て


[源五]

この手前、拙者とても同じ人間。貴殿ぢやと申しても、まんざらお嫌ひでもござるまい。


三五

イヤモウ、さう云はれては、一言もない。誠に大好物でござるわい。


[ト書]

ト扇子を顏へ當てゝこなし。


源五

さう見える/\。時に、その大好物のお馴染があらうが、拙者には、なぜお隱しなさるゝな。


三五

イヤモ、隱すではござらぬが、斯樣でござる。舊冬までは馴染の女郎もござつたれど、只今ではちと外に。


[ト書]

ト小万をみて思ひ入れあつて。


[三五]

イヤ、外に存じよりの女がござつて、彼の馴染の女郎もいつしか遠ざかりました。


源五 

ハテ、それは御執心な儀でござるな。


三五

時にその執心な女めに、手を替へ品を替へ、だんだんと云ひ寄りますれど、今に於て得心いたさぬ、根の強い女めゆゑ、拙者も殆んど困り入つて居るて。


源五

して、その女めは、矢張り遊女の類でござるか。サア、それを云はつしやれ/\。


三五

さう問はれては、どうか云ひ憎いやうなれど、てんぼの皮、云うてのけうか。必らず笑はつしやるな……身共が執心の女と申すは


源五

女といふは


三五

これに居る


源五

これに居る


三五

小万ぼうでござる。


[ト書]

ト顏を隱してこなし。小万、ビンとしてあちらを向く。源五兵衞、小万に思ひ入れあつて


源五

ハヽア、さては貴殿が御執心といふは、小万でござるか……イヨ/\、惚れられて樣々。


三五

煽てさつしやるな/\……所で彼の女は、ハテ、意地の強い奴、さま%\と云ひ寄りましても、今に於て返事を致さぬて。


源五

そりやその筈でござる。彼れめには、きつと致した間夫がござる。貴殿には御存じないか。


三五

イヤ、彼れが事は當所深川は勿論、吉原までも、篤と聞き合せましたところが、色がましい者は一人もないと承る。


源五

サア、そこが大きな御料簡違ひといふもの。深間がござるゆゑ、所詮貴公のお心には……ナア小万。


[ト書]

ト小万へこなし。三五兵衞、急いたる心にて


三五

そりや聞き事でござる。して、その深間と申すは、何奴でござるぞ。御存じならば、お聞かせなされい。


[ト書]

ト源五兵衞の方へにじりより、キツとなる。


源五

成る程、左やう御意あればお話し申さう。小万めが深間といふは。


三五

深間といふは。


源五

面目ないが……身共でござる。


三五

エヽ。


[ト書]

ト恟りするこなし。源五兵衞、扇子で顏を隱す。小万嬉しきこなし


[三五]

何と云はつしやる。小万が深間といふは、源五兵衞どの、其許か。


源五

餘人へ必らず御沙汰御無用。


[ト書]

ト三五兵衞こなしあつて


三五

ハヽヽヽ。こりや嘘だ/\。嘘々。手前が小万に執心だと聞いて、嫌がらさうと思うて、嬲らしやるのか。嘘だ/\。


小万

イヽエ、嘘ぢやござんせぬ。源五兵衞さんとは、疾から譯があるけれど、誰にも知らさぬ忍び逢ひ。お前がいろ/\と云うておくれるを、素氣なう返事したは、斯ういふ譯があるゆゑ。三五兵衞さん、必らず腹立てゝ下さんすなえ、


三五

ムウ。然らば、いよ/\小万が。


源五

疑はしくば、證據をお目にかけう。サア、小万、斯う顯はれてからは苦しうない。爰へ來い。


小万

そんなら行ても大事ないかえ。


源五

三五兵衞どのは粹ぢや。大事ない/\。


[ト書]

ト小万、源五兵郎の側へ來て、ベツタリともたれかゝつて坐る。三五兵衞、これを見てムツとするこなし。


この

これはマア、あんまり思ひがけないによつて、最前から御挨拶も申しませんなんだ。小万さん、マア、いつの間に出來た事ぢやぞいなア。


小万

おこのさん、これまでお前に隱したのは、三五兵衞さんを初め、お屋敷は皆内方へお出でるによつて、それで隱した程に、堪忍しておくれえ……三五兵衞さんもその代りに、お慮外ながらわたしが、キツとよいのをお世話してあげる程に、今までの事は、とんと川へ流しておくれえ。


源五

ハテ、それは云ふに及ばぬ事。左樣な事を根葉に持つ、三五兵衞どのではない……ナニ、爰な通人め。只今小万が申す通り、いづれなりとも、餘の藝者を、とも%\お世話いたすから、小万の事は、さつぱりと思ひ切つて遣はされたが、よさゝうなものゝやうに


[ト書]

ト云うて居るうち


三五

やかましい、默らつしやい/\。エヽ、いま/\しい。最前からベラリ/\と、はつち坊主が米を溢したやうに、やかましいわえ。身不請ながら國元よりお指圖を請け、大切な詮議に參つた身共、其許のやうに、賣女藝者に魂を奪はれるやうな侍ひぢやと思うてか。身共を馬鹿におしやるな。


[ト書]

ト不興なる體。三人、顏を見合せ、源五兵衞、氣を替へ、こなしあつて


源五

三五兵衞どの、御免下されい。拙者餘程たべ醉ひまして、何を申したやら、とんと存ぜぬ。この上は御免を蒙むつて、醉醒しと致したい。サア、小万、いつものやうに介抱頼む。


[ト書]

ト云ひ/\小万が手を取り、奧へ行かうとする。三五兵衞、こなしあつて、小万が裾を引取め


三五

源五兵衞、小万。すりや、兩人は。


[ト書]

ト思ひ入れ。この時奧にて


[唄]

[utaChushin] あれ蟲さへも、番ひ離れぬ揚羽の蝶。


[ト書]

ト唄ふ。源五兵衞こなしあつて


源五

番ひ離れぬ我れ/\二人……三五兵衞どの、後刻。


[ト書]

ト唄にて、源五兵衞、小万、手を引合ひ奧へ入る。後に三五兵衞、奧を見て、口惜しきこなし。おこのと顏を見合せ、ちやつと莨を吸ひつける。おこの、思ひ入れあると、奧より左十郎、伊平太、伴右衞門、東作、ツカ/\出て


四人

三五兵衞どの。


三五

何れも。


[ト書]

ト奧を見て思ひ入れ。おこのは、手をモヂ/\手持ちなく


この

なんと皆さん、お聞きなされましたか。小万とした事が、何の隱さいでもよい事を隱して、あなた方にもお腹を……サア、お腹はお立てなされまいけれど、わたしとても大抵惡い事ぢやござりませぬ。イヤ、斯うなさらぬかえ。小万さんへの面當に、仲町でどれぞよい藝者さんを色にして、アヽ、どれがよかろうぞ。オヽ、それそれ、仲町の事は、おちよや、おとわがよう知つて居りまする。ドレ、奧へ行て尋ねて參りませう。誰れさんがよからうなア。


[ト書]

ト紛らし、こなしあつて奧へ入る。始終合ひ方、三五兵衞、莨のみながら


三五

いづれもお聞きの通り。面目次第もござらぬ。


左十

三五兵衞どの、こりや御思案なされずばなりますまい。


三五

思案というて外にはない。身共を今まで馬鹿にした女め、その上、今の如く、これ見よがしに兩人が有樣。この返禮は手前が胸に。


伴右

して、その御思案は。


三五

生得愚かしい千太郎さま、何事も身が詞次第。あの馬鹿者をたらしこみ、源五兵衞めに耻辱を與へ、小万めが吠え面を、たつた今見せませう。


伊平

成る程、貴殿のお詞次第で、如何やうともなる馬鹿殿の千太郎さま、玉に使ふは、天晴れの御思案。


三五

併しながら、一筋ではゆかぬ源五兵衞。まさかの時は、コレ。


[ト書]

ト囁やく。これより段々順に囁く。


四人

心得ました。


[ト書]

ト思ひ入れある。この時彌助、花道より文を持つて戻つて來る。


彌助

どうぞ座敷の具合がよければよいが……おとわどん、おちよどん。


[ト書]

ト奧を見て呼ぶ。


東作

ヤイ/\、仲居どもを呼ぶ、われは何者だ。


彌助

私しは仲町の、櫻屋の者でござりまする。


伊平

櫻屋と申すは、慥か小万が内であらうな。


彌助

ハイ、左樣でござりまする。


[ト書]

ト三五兵衞、文を取れとこなし。


左十

見れば文を持つて居るが、何用あつて參つた。


彌助

ハイこの文は、小万さんに、急用があつて參りました。


伴右

フウ、小万に屆けるのか。


彌助

左樣でござりまする。


伴右

然らば身共が、いま座敷へ參るから、小万に屆けて遣はさう。


彌助

それは餘りお憚りでござりまする。


伴右

大事ない/\。


彌助

左樣なら憚りさまながら、お頼み申し上げまする。


[ト書]

ト文を伴右衞門に渡す。伴右衞門直ぐに三五兵衞が側へ持つて行く。三五兵衞、上封じを見て封を切る。彌助、恟りして


彌助

アヽ、申し/\、お前さん方が御覽じては


[ト書]

ト寄るを


四人

やかましい。下がらぬか/\。


彌助

それでもお前さん。


四人

慮外ひろぐと、ぶツ放すぞ。


[ト書]

ト思ひ入れ。彌助、仕方なく、怖々呟やいて居る。


三五

急ぎ申し入れ候ふ、われら事今夜は殊の外氣分惡しく候ふ間、おこのさまへ斷り申し、座敷の首尾惡しからぬやうにして、この文屆き次第早く御歸り待ち入り參らせ候ふかしく、小万どのへ、母より……なんと、何れも、お聞きなされたが。


四人

イカサマ、怪しい状でござりまする。


三五

母親が病氣というて、ちつとも早う歸らうといふ、小万めが拵らへ状、大概知れた事だ。ヤイ、この状は僞はりであらうがな。小万が客といふは、この三五兵衞だ。母親が病氣であらうが、そこねやうが、今宵中は歸す事はならない。さう思つてうしやアがれ。


彌助

そりやお前さん、御無理と申すものでござりまする。なんぼお客が大事でも、親の病氣を構はずに、座敷が勤めて居られませうか。其やうに仰しやらずと、どうぞ今夜のところは。


三五

ならぬ。爰な糠味噌野郎めが。


[ト書]

トきつと云ふ。彌助「ハイ」と怖がる。


[三五]

うぬは大分小万が贔屓をひろぐな。エヽ、聞えた。小万と源五兵衞が仲を世話やいて居るな。


左十

それゆゑ四の五のと申すのでござらう。いつそぶち放して。


[ト書]

ト刀に手をかける。彌助、飛びつき


彌助

アヽ、申し/\、そりやア何の事でござりまする。最前から承はれば、源五兵衞さまと小万さんとの中を世話やくのなんのと、とんと合點が參りませぬ。


三五

あのマア、しら%\しい面を御覽じろ……エヽ、顏に似合はぬ太い奴だ。小万と源五兵衞が仲を知らぬといふ事はない筈。いつからの事で、どこで出合ふ。有やうに吐かし居ろう。


左十

吐かしやうが遲いと、うぬ、痛い目に會はせるぞよ。


皆々

それが否なら、キリ/\吐かせ。


[ト書]

トきめつける。此うち彌助、始終ブル/\して居る。


彌助

アヽ、モシ/\、其やうに口々に仰しやつて下さりますな。なんぼ膽玉の太い私しでも、斯うお侍ひさまに取卷かれましては、ブル/\ものでござりまする。其やうに仰しやらずと、私しが申すことを聞いておくれなさりませ。


左十

吐かす事があるなら、爰へ來て、キリ/\吐かせ。


皆々

早く爰へうせろ。


[ト書]

ト彌助、氣味惡きこなしにて


彌助

さうお侍ひさまが立はだかつてお出でなされては


[ト書]

ト怖々眞中へ來て座り


[彌助]

譯と申すは外でもござりませぬ。あの小万さんは評判の石部金吉、これまで方々のお客が、いろ/\と仰しやつても、その方は大嫌ひでござりまする。源五兵衞さまは元より、あの子に轉ぶなぞといふ嫌味な事はござりませぬ。どういふ事で源五兵衞さまと、譯のあるやうに仰しやりまするな。


三五

譯のあるといふは、小万と源五兵衞が口から、斯やう斯やうでござると、たつた今吐かしたワ。


彌助

エヽ、そんなら小万さんと源五兵衞さまとが、こりやアとんだ事だ。


[ト書]

ト呆れる。


伴右

然らば其方は、實正知らぬか。


彌助

藝者の色事を、廻しの私しに隱すとは


[ト書]

ト小判の形をして見せ


[彌助]

レコを放すまいと思つて、テモあたじけない源五兵衞さま、こりやア餘ツぽど儲けそこなつたわえ。


[ト書]

ト三五兵衞、彌助が樣子を、つく%\と見て


三五

彌助とやら、心底見えた。一つ呑め/\。


[ト書]

ト丼鉢を出す。


彌助

ハイ、そりやア有り難うござりまする。


三五

伴右、一つついで遣はされ/\。


[ト書]

ト彌助、捨ぜりふにて丼を取りあげる。伴右衞門一つ注ぐ。彌助こなしあつて一つ呑む。


三五

ソレ、取つて置け。


[ト書]

ト紙入れより小判を出し、紙に包み投げてやる。


彌助

此お金は。


三五

小万を取持つ骨折り賃。


彌助

左樣なら、あなたも小万さんに。


三五

ぞつこん惚れて惚れ拔いて居る、この三五兵衞。これまでさま%\と云ひ寄つても、取合はぬこそ道理、腐り合うて居る兩人、どうも身共武士が立たぬ。小万を身共に取持たば、まだその上に如何ほどでも、金子は其方が望み次第。


[ト書]

ト彌助思ひ入れ。


彌助

ようござりまする。源五兵衞さまを切れさせて、小万さんを取持ちませう。


三五

われ、その詞に違ひはないか。


彌助

廻し冥利、下駄を下げぬ法もあれ。


四人

しかと取持つな。


彌助

深川の廻し仲間でも、小口もきく彌助、鹽屋ぢやアないが、頼まれたら一寸でも後へは寄らぬ。親船に乘つたと思つておいでなされませ。


三五

ハテ、小氣味のよい奴だな。


[ト書]

ト奧にて鳴り物入りの所作の切れになる。


彌助

アレ、奧は騒ぎの太皷三味線、我れらも又このお金で、どこぞへ出かけ一騒ぎ。三五兵衞さま。


[ト書]

ト最前の文を引破り


[彌助]

これで今夜の工面はガラリと。


三五

でかした。


彌助

これから有る事無い事、見る目嗅ぐ鼻のこの彌助。


三五

身共は奧へ參り、彼の馬鹿人形を、そろ/\と遣ひかけませうか。


左十

誠に三五兵衞どのゝ機關。


三人

水銀の仕かけやう。


三五

細工は流々、さらば仕上げをお目にかけうか。


[ト書]

ト踊り地にて、三五兵衞、踊りながら奧へ入る。これに付いて皆々奧へ入る。


彌助

思ひがけない此お金。


[ト書]

ト戴いて


[彌助]

これで先づ合羽の身請けをして、ドリヤ、假宅の嚊アに逢つてこようか。


[ト書]

ト矢張り踊り三味線にて、向うへ入る。ちやん/\にて、この道具ぶん廻す。


本舞臺、上の方障子屋體、向う一面の襖、上の方の刀懸けに刀大分かけてあり、すべて大座敷の模樣。爰に千太郎、三五兵衞、宅左衞門、久米吉、淺香、居て、てんでに酒盛りの體。下の方に左十郎、伴右衞門、伊平太、東作、女中二人を相手に酒盛り。方々に燭臺あまたともし、鶴次、龜吉、澤吉、廓名寄せの唄に合せ踊を踊り居る。
皆々

イヨ/\出來ました/\。


[ト書]

ト口々に褒める。


宅左

なか/\三人とも、よい若衆ぢや。名はなんといふぞ。


澤吉

ハイ、澤吉と申しまする。


龜吉

私しは、龜吉と申しまする。


鶴次

私は鶴次と申しまする。


淺香

皆男藝者さんぢやわいなア。


三五

大分味をやつた。イヤ、千太郎さま、彼れらに御褒美のお詞を遣はされませう。


千太

オヽ、遣はさう/\。イヤ、若衆ども、爰へ來い來い。


三人

ハイ/\。


[ト書]

ト三人、直ぐに千太郎が側へ來る。


千太

今の褒美に、おれが國産を遣はさう。


[ト書]

ト抱きつかうとする。


三人

私どもは、お國産などは存じませぬわいなア。


[ト書]

トこちらへ來る。


千太

こちの國の名物を知らぬとは、わいらはきつい馬太郎ぢやな。


女皆

オホヽヽヽ、ほんにきつい馬太郎さんぢやわいなア。


千太

身共は千太郎、あいらは馬太郎。ハヽヽヽ。こりやよいわいなア。


左十

イヤ、時に、先程から源五兵衞どのがござらぬが、何れへ參られたな。


三五

誠に源五兵衞には、何をして居らるゝ……ハツ、千太郎さまへ申し上げます。源五兵衞が居りませぬ。これへ呼びませうかな。


千太

ほんに最前から見えぬ。これへ呼べ/\。


三五

ハツ/\……源五兵衞どのは、何れにお居やる。千太郎さまのお召し、何れも。


皆々

源五兵衞どの/\。


[ト書]

ト口々に呼び立てる。下座の方の障子の内より


源五

ハツ/\。


[ト書]

ト云ひながら出て下の方へ扣へる。


三五

貴殿には、どれへお出でなされた。千太郎さまのお待兼でござる。


源五

イヤ、失禮ながら暫らく睡眠、眞平御免下さりませう。して、御用はな。


千太

その用は身は知らぬ。こりや、覺えぬか。


[ト書]

ト此うち源五兵衞が出た襖より小万出て來て、そこら見廻し、よき所へちやつと坐る。皆々これを見て


皆々

見付けたぞ/\。小万、そちやいづくへ參つた。


三五

小万、わりや、どれへ行て居つた。有やうに云へ。


小万

わしやどつこへも參りは致しませぬわいなア。


三五

千太郎さま、有やうに申させませうな。


千太

オヽ、申させい。ヤイ小万、わりやどこへ入つて居つた。有やうに云へ。云はぬと泡盛で云はすぞよ。


伊平

泡盛とはようござりませう。サア、これで飮め飮め。


[ト書]

ト大きなる、こつぷを小万が前へ置く。小万、ムツとして、こつぷを取上げ


小万

おとわどん、一つついでおくれ。


[ト書]

トおとわ、酌をする。小万、飮まうとする。源五兵衞とめて


源五

待て/\。もうよい……イヤナニいづれも。小万が座敷を明けましたは斯うでござる、拙者暫らく睡眠の間、介抱頼みましたるゆゑ、お座敷の事を缺き、申し譯もない仕儀。彼れが不調法は拙者に免じられ、何卒御容赦を。


左十

アヽ、すりや、小万が詫び言は、其許がさつしやるか。ハテ、變つたとこから、御挨拶でござるな。


伴右

源五兵衞どの、御深切な儀でござるな。


皆々

ハヽヽヽ。


[ト書]

ト口々にやかましく笑ふ。源五兵衞、これに構はず


源五

コレサ、小万、千太郎さま名々方の御機嫌直し、わつさりと一つ飮め。


小万

アイ、それならこの杯で、思ひざしにせうわいな。


[ト書]

ト小さい杯を取上げる。


伴右

思ひざしとはよからう。おとわ、一つつげ/\。


とわ

アイ/\。


[ト書]

ト酌をする。小万、酒をのむうち


四人

思ひざしとは、どこへ行かうぞ。


[ト書]

ト口々に云ふ。小万、飮みしまひ


小万

出石宅左衞門さん、御慮外ながら。


[ト書]

ト敵役皆々、顏を見合せて


左十

出石宅左衞門どのへ、小万が思ひざしとは。


皆々

ヨウ/\、宅左衞門さまめ/\。


[ト書]

ト宅左衞門、最前より片隅へ寄つて居て、この時


宅左

これは/\、何れもお褒めのお詞、有り難うござる。拙者先程より餘り杯が廻らぬゆゑ、莨ばかりのんで居つた。小万の思ひざし、さらば一つたべうか。


[ト書]

ト云ひ/\にじり出て杯を取上げる。


ちよ

ドレ、わたしがお酌いたしませう。


[ト書]

ト此方にて酒盛りになる。


三五

なんと千太郎さま、あれに居りまする小万、あなた様に、少々心のあるやうな體にござるが、御前にはなんと。


千太

何を嘘らしい。


[ト書]

トこなし。


三五

イヤ/\、誠にござりまする。何は差措き、これへ呼びませうかな。


千太

來るなら呼んで見い。


三五

ハア……小万、お召しなさるゝ。これへ參れ。


[ト書]

ト小万、聞かぬ顏にて、源五兵衞、宅左衞門と酒盛りの體。すべて大座敷にて、兩方へ分れて居る模樣なり。


四人

小万、早くこれへ來やれ/\。


[ト書]

トやかましう云ふ。小万、思ひ入れあつて


小万

オヽ、仰山な、いま參りますわいなア。爰にも杯がもつれてある。もちつと待つておくれ。


源五

これはどうしたものぢや。たとひいかやうとも、千太郎さまのお召しをあれば、早う行て、御機嫌に入るやうにしやれ。


小万

そんなら行ても大事ないかえ。


源五

大事ない/\。


小万

お前の許しなら、ドレ、行かうわいなア。


[ト書]

ト立つて此方へ來る。


兩人

イヨ/\、源五兵衞どのゝ云ふ事をきいて樣々。


[ト書]

ト煽てる。


小万

オヽ、をかし。いつそ煽てゝぢや。久米吉さん、淺香さん、お前方も爰へお出でいなア。


[ト書]

ト三五兵衞と千太郎が間へ坐る。


三五

イヤ、千太郎さま、この小万が儀、如何取計らひませうな……ハア、然らばその通り申しつけませう……ナニ小まん、これにおいでなさるゝ千太郎さま、いつぞやより其方を甚だの御執心、御大身に身を任すは、其方達が果報といふもの。有り難いと思うて、お請けを申したがよい。なんと、お心に叶ひませうがな。


千太

オヽ、叶うた/\。マア、ちよつと爰へ來い。


小万

アヽ申し、私しは彼方へ參りますわいなア。


千太

三五兵衞、ねつから來ぬぞよ。


三五

サア、ようござります。暫らくお扣へ下さりませう……小万、イヤサ、藝者ではない、假初めながら我れ我れが御主人、千太郎さまがお心をおかけなされた其方、なぜお請けを申さぬぞ。


小万

御大身であらうが、お大名であらうが、人といふものは心意氣ばかりなものでござります。愚かしい千太郎さまをたらしこみ、お前はマア、侍ひ


[ト書]

ト云はうとする。源五兵衞、莨のんで居て、咳ばらひして紛らかす。


[小万]

イヤ、さもしい藝者のわたしに、御大身樣は釣り合はぬわいなア。


[ト書]

ト立つて此方へ來る。三五兵衞、こなしあつて


三五

すりや、いよ/\千太郎さまのお心には、從はぬか。


[ト書]

ト我が云ふ通りに云へと千太郎へ思ひ入れ。


千太

すりや、いよ/\千太郎さまのお心には、從はぬのか。


[ト書]

ト云うて、三五兵衞が方を見る。小万、矢張り默つて居る。


三五

しぶとい女め。


[ト書]

ト千太郎へして見せる。


千太

しぶとい女め……ねつから物云はぬな。なんぼ物云はいでも、身請けして國へ連れ歸り、われと一緒に、隱居樣とはどうであらう。


四人

小万、有り難いか。どうだ/\。


[ト書]

ト云ふ時、源五兵衞にじり出て


源五

イヤ/\、憚りながら小万儀は、たとへ身請けをなされても、お心には從ひますまい。


左十

ムウ、千太郎さまが身請けなされても、お心に從はぬとは。


三人

源五兵衞どの、して、その樣子は。


源五

イヤ、外でもござらぬ。小万は拙者が相方でござります。


皆々

ヤアヽ。


源五

それゆゑ身請けは御無用と、お止め申しましてござりまする。


千太

イヤ、そんなら小万は、其方が色か。がをれ。


[ト書]

ト呆れる。三五兵衞こなしあつて


三五

源五兵衞、扣へ召され。愚かしうても千太郎さまは御主人の片割れ。その御主人の前をも憚からず、小万はお身が相方といふからは。


源五

金輪奈落、いづくまでも。


[ト書]

ト小万が手を持つて引寄せる。


三五

御覽なされましたか。ハテ、ほてくろしい儀ではござりませぬか。


千太

ハテ、ほてくろしい儀ではござりませぬか。


左十

御主人を踏みつけ、法外千萬。


東作

千太郎樣がお心をかけられし小万を、横取りした源五兵衞。


伴右

家來の身をかへり見ず、これ見よがしに


伊平

云はうやうもない、憎くい奴。


[ト書]

ト皆々立ちかゝる。


千太

憎くい段か、小万を横取りした源五兵衞、皆寄つて叩いてやれ/\。


三五

何れも、千太郎さまの御意ぢや。ぶちのめさつしやい/\。


四人

ハア……御意ぢや/\/\。


[ト書]

ト源五兵衞を皆々、扇にて散々に打擲する。源五兵衞ヂツと堪へて居る。小万取付き


小万

源五兵衞さん、思ひがけないこの樣子、斯うならうとは露知らず、よしない事をお頼み申して。


[ト書]

ト云はうとする。小万を引退けて


源五

コリヤ、なんにも云ふな。云ひ譯するも斯うならぬ先の事、一旦武士が頼まれてからは、是でも非でも、立て通すが、千島家の國風ぢやわやい。


小万

ぢやというて、みす/\


[ト書]

ト源五兵衞、引取つて


源五

サア、みす/\知れた二人が仲を、御存じない千太郎さまの、御腹立は御尤も。それぢやによつて


[ト書]

ト小万を突き放す。


小万

エヽ。


[ト書]

ト身を震はして源五兵衞を見て


[小万]

堪忍して下さんせ/\。


[ト書]

ト源五兵衞を拜むこなし。


三五

ハヽヽ。なんといづれも。色男といふものは、女の可愛がるものでござる。


四人

左樣でござる。


[ト書]

ト三五兵衞、源五兵衞が側へ寄り


三五

源五兵衞、女めゆゑに打擲され、本望であらう。小万、其方も嬉しからうなア……千太郎さまといひ、殊に大切な役目を蒙むりながら、遊所の女に魂を奪はれたる源五兵衞、お國への聞え、暫らく遠慮仰せつけられずばなりますまい。


千太

さうぢや/\。ヤイ、源五兵衞、大事の用向きを蒙むりながら、散々の身持ち、國への遠慮、身が目通りは叶はぬぞ。


小万

そんなら源五兵衞さんは。


三五

御前は叶はぬ。


[ト書]

トきつと云ふ。小万、心意氣あつて、三五兵衞が側へ行かうとする。源五兵衞、引廻して留める。小万、源五兵衞を見て泣き落す。


三五

最前より、よしない事で座敷の不興、千太郎さまには、お座敷を替へられ、また改めて御酒に致しませう。


千太

それもよからう。これから奧へ行て、藝者どもには三味線胡弓、我れらは揚弓と出かけう。


皆々

これは一興でござりまする。


千太

サア、みな來い。


三五

何事によらず、御前の御意を申し繼ぐこの三五兵衞とてもの事に、これも御意ぢや/\。


[ト書]

ト扇にて源五兵衞を叩く。小万、源五兵衞、思ひ入れ三五兵衞、ヂロリと見て


三五

ハヽヽ。


[ト書]

ト唄になり、この一件殘らず奧へ入る。合ひ方になり、源五兵衞小万殘る。障子屋體より、おこの出て、二人が側へ來て、思ひ入れあつて、小万が袂を扣へ


この

最前よりの樣子は、皆聞いたわいなア。小万さん、お氣の毒なものになつたなア。さうしてマア、この仕舞ひは、どうしようと思うてぢやえ。


[ト書]

ト源五兵衞へ思ひ入れある。


源五

ハテ、よいわい。斯樣な難儀にならば頼まれまい、また難儀にならずば頼まれやうと云ふやうな、ニ筋な頼まれやうはせぬ。小万、何にもキナ/\思ふ事はない。御前を遠ざけられたというて、さしたる仕落ちでもない。また御機嫌の直る事もあらうわい。


小万

わたしに案じさせまいとて、其やうな事を仰しやつて下さんしても、三五兵衞づらがお側に居るうちは、


[ト書]

ト思ひ入れ。


この

さうでござんす。源五兵衞さんの御難儀も、元の起りは三五兵衞さんが、お前を口説かしやんしたを、得心さしやんせぬゆゑとは、みす/\知れてありながら、さうとも云はれぬ最前の仕儀。


[ト書]

ト此うち小万、思ひ入れあつて、あたりの枕を取つて來て、刀掛けの源五兵衞が刀を拔き、指を切る。兩人、恟りして


源五

これは何事を致した。


この

痛みはせぬかいなア。


[ト書]

ト介抱する。


小万

イヽエ、大事ないわいなア。


[ト書]

トこなしあつて、指を取り、紙に包み、源五兵が前に置く。


[小万]

これを取つて下さんせ。


源五

ヤ。


小万

賤しいわたしが頼んだ事、否とも云はず聞いて下さんしたその上に、お屋敷の住居さへ、叶はぬやうにした元の起りは、淺はかなわたしから、今更なんとお禮の云ひやうが無さに、眞實惚れたといふ、心の誓ひでござんすわいなア。


[ト書]

ト源五兵衞、思ひ入れあつて


源五

ムウ、最前頼んだは僞りなれども、その禮の云ひ樣が無さに、指まで切つて。


小万

アイ、お國には歴とした、お嫁御さんのある事は聞いて居れど、この江戸においでなさんすうちは、せめてわたしを女房に……イヤ、女房は過ぎるによつて、飯焚とも思し召して、どうぞお側に置いて。エ、モシ。


[ト書]

ト思ひ入れ。おこの、こなしあつて


この

小万さん、けうといものぢやわいなア。云ひ合せの色事を、心底からの惚れやう、流石は名取り藝者さん程あつて、達引が格別ぢや。よく惚れさしやんした。指は愚か、腕も切つてあげいなア。


源五

アヽ、コレ/\、おこの、其やうに側からそやし立てるな。身共が承知ぢややら、承知でないやら、知れもせぬに、小指一本でさへ迷惑いたし居るに、腕を貰うて、なんとするものぢや。


小万

そんならわたしがお氣に入りませぬかえ……お氣に入らぬは初めから知れてはあれど、外にお禮の云ひ樣が無さに、折角切つた指も仇事。ぢやというて、わたしゆゑに、そのお身にさせまして、此まゝではどうも……得心して下さんせねば、いつそ。


[ト書]

ト源五兵衞が刀に手を掛ける。よろしく留めて


源五

待て小万。それでおぬしの心底見えた。源五兵衞、承知いたした。


この

小万さん、アレ、承知ぢやと仰しやつてぢやわいなア。


小万

そんならほんまに、承知しておくれなさんすかえ。


[ト書]

ト源五兵衞、小万が手を取る。


源五

親が滿足に産みつけた五體の指、それを不足さしての、其方が禮……承知した。


[ト書]

ト指を頂いて懷中する。


この

小万さん、見やしやんせ。指を頂いて承知ぢやといなア。


小万

源五兵衞さん、何にも云はぬ。エヽ、忝なうござんす。


この

源五兵衞さん、思ひがけない今日の首尾。委しい話しは、あの小座敷で。


源五

それには及ばぬ事ぢや。


この

及ばぬでは、小万さんの氣が濟まぬわいなア。サアサア、ちやつとお出でなさんせいなア。


[ト書]

ト源五兵衞を無理に立たせる。源五兵衞、勿怪な顏にて立ちあがり


源五

そんなら行かうか。


この

サア、お出でなされませ。


[ト書]

ト突きやる。源五兵衞、思ひ入れあつて


源五

今までは主人持ち。今宵からは浪人の源五兵衞。アア、まゝよ。


[ト書]

ト唄になる。おこの、源五兵衞と小万を障子屋體の内へ突きやり、しやんと障子をしめ、後を眺め、こなしあつて奧へ入る。始終合ひ方。向うより土手平、中間の形にて、状箱持つて來て


土手

お旦那、三五兵衞さまは何れにござるやら。三五兵衞さま、お旦那。


[ト書]

ト呼ぶ。奧より三五兵衞出て


三五

土手平、あわたゞしい。何事ぢや。


土手

イヤ、お國元より、只今火急のお飛脚が參り、即ちこの状箱、源五兵衞さまとお旦那へ、御連名の御状でござります。


[ト書]

ト状箱を差出す。三五兵衞、状を出し見て、


三五

こりや國元の家老勝間源次兵衞より、身共と源五兵衞とへ。ムウ。


[ト書]

ト状箱を開き状を出して讀む。


[三五]

こりやコレ、主人千島の冠者さまにも、當夏富士の御狩の御供を仰せつけられたとある、それにつき先達て紛失いたしたお家の重寶、龍虎の呼子、一刻も早く、詮議仕出し、源五兵衞と身共に歸國せよとある源次兵衞の書状……こりや幸ひ、源五兵衞に及ばぬ。たとへこの状到來せずとも、此方より源五兵衞が身の上、委しう認めた源次兵衞へのこの状。


[ト書]

ト懷中より出して


[三五]

奧にてとくと認め置いたれば、これを返事と飛脚に渡し、國元の源次兵衞へ早速屆けさせよ。


[ト書]

ト右の状を箱へ入れて渡す。


土手

すりや、この御状をお返事と申し、お國許の源次兵衞さまへ。


三五

いかにも。しつかりと渡せ。そして、


[ト書]

ト囁く。障子屋體の内にて


小万

申し、源五兵衞さん、なぜに其やうに、すげなうさしやんすぞいなア。もつと此方へお寄りいなア。


[ト書]

トこれを聞いて三五兵衞、障子の方を窺ふ。


土手

申しお旦那。コレ、申し。


[ト書]

ト大聲にて呼ぶ。


三五

コレ。


[ト書]

ト思ひ入れあり。これをキツカケに、


ひやうし幕