歌よみに与ふる書 (Utayomi ni atauru sho) | ||
四 ( よ ) たび歌よみに与ふる書
拝啓。空論ばかりにては傍人に解しがたく、実例につきて評せよとの御言葉 御尤 ( ごもっとも ) と存候。実例と申しても際限もなき事にて、いづれを取りて評すべきやらんと 惑 ( まど ) ひ候へども、なるべく名高き者より試み可申候。 御思 ( おんおも ) ひあたりの歌ども御知らせ 被下 ( くだされ ) たく候。さて 人丸 ( ひとまろ ) の歌にかありけん
といふがしばしば引きあひに出されるやうに存候。この歌万葉時代に流行せる一気 呵成 ( かせい ) の調にて、少しも野卑なる処はなく、字句もしまりをり候へども、全体の上より見れば上三句は 贅物 ( ぜいぶつ ) に属し候。「 足引 ( あしびき ) の山鳥の尾の」といふ歌も前置の 詞 ( ことば ) 多けれど、あれは前置の詞長きために夜の長き様を感ぜられ候。これはまた上三句全く役に立ち不申候。この歌を名所の手本に引くは大たはけに御座候。総じて名所の歌といふはその地の特色なくては 叶 ( かな ) はず、この歌の如く意味なき名所の歌は名所の歌になり不申候。しかしこの歌を後世の俗気紛々たる歌に比ぶれば勝ること万々に候。かつこの種の歌は真似すべきにはあらねど、多き中に一首二首あるは面白く候。
といふ歌は最も人の賞する歌なり。上三句はすらりとして難なけれども、下二句は理窟なり 蛇足 ( だそく ) なりと存候。歌は感情を述ぶる者なるに理窟を述ぶるは歌を知らぬ故にや候らん。この歌下二句が理窟なる事は消極的に言ひたるにても知れ可申、もしわが身一つの秋と思ふと 詠 ( よ ) むならば感情的なれども、秋ではないがと当り前の事をいはば理窟に 陥 ( おちい ) り申候。箇様な歌を善しと思ふはその人が理窟を 得 ( え ) 離れぬがためなり、俗人は申すに及ばず、今のいはゆる歌よみどもは多く理窟を並べて 楽 ( たのし ) みをり候。厳格に言はばこれらは歌でもなく歌よみでもなく候。
八田知紀 ( はったとものり ) の名歌とか申候。知紀の家集はいまだ読まねど、これが名歌ならば大概底も見え 透 ( す ) き候。これも前のと同じく「霞の奥は知らねども」と消極的に言ひたるが理窟に陥り申候。既に見ゆる限りはといふ上は見えぬ処は分らぬがといふ意味は、その裏に 籠 ( こも ) りをり候ものを、わざわざ知らねどもとことわりたる、これが下手と申すものに候。かつこの歌の姿、見ゆる限りは桜なりけりなどいへるも極めて 拙 ( つたな ) く 野卑 ( やひ ) なり、前の 千里 ( ちさと ) の歌は理窟こそ 悪 ( あし ) けれ姿は 遥 ( はるか ) に立ちまさりをり候。ついでに申さんに消極的に言へば理窟になると申しし事、いつでもしかなりといふに 非 ( あら ) ず、客観的の景色を連想していふ場合は消極にても理窟にならず、例へば「駒とめて袖うち払ふ影もなし」といへるが如きは客観の景色を連想したるまでにて、かくいはねば感情を現す 能 ( あた ) はざる者なれば無論理窟にては無之候。また全体が理窟めきたる歌あり(釈教の歌の類)、これらはかへつて言ひ様にて多少の趣味を添ふべけれど、この芳野山の歌の如く、全体が客観的即ち景色なるに、その中に主観的理窟の句がまじりては殺風景いはん方なく候。また同人の歌にかありけん
といふが有之候由、さてさて驚き入つたる理窟的の歌にては候よ。嵐山の桜のうつくしいと申すは無論客観的の事なるに、それをこの歌は理窟的に現したり、この歌の句法は全体理窟的の趣向の時に用うべき者にして、この趣向の如く客観的にいはざるべからざる処に用ゐたるは大俗のしわざと相見え候。「べきは」と 係 ( か ) けて「なりけり」と結びたるが 最 ( もっとも ) 理窟的殺風景の処に有之候。一生嵐山の桜を見ようといふも変なくだらぬ趣向なり、この歌全く 取所 ( とりどころ ) 無之候。なほ手当り次第 可申上 ( もうしあぐべく ) 候也。
(明治三十一年二月二十一日)
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