University of Virginia Library

6. 六 結論

 「いき」の存在を理解しその構造を闡明するに當つて、方法論的考察として豫め意味體驗の具體的把握を期した。しかし、すべての思索の必然的制約として、概念的分析によるの外はなかつた。しかるに他方において、個人の特殊の體驗と同樣に民族の特殊の體驗は、たとへ一定の意味として成立してゐる場合にも、概念的分析によつては殘餘なきまで完全に言表されるものではない。具體性に富んだ意味は嚴密には悟得の形で味會されるのである。メーヌ・ドゥ・ビランは、生來の盲人に色彩の何たるかを説明すべき方法がないと同樣に、生來の不隨者として自發的動作をしたことの無い者に努力の何たるかを言語をもつて悟らしむる方法はないと云つてゐる

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。我々は趣味としての意味體驗に就ても恐らく一層述語的に同樣のことを云ひ得る。「趣味」は先づ體驗として「味ふ」ことに始まる。我々は文字通りに「味を覺える」。更に、覺えた味を基礎として價値判斷を下す。しかし味覺が純粹の味覺である場合はむしろ少ない。「味なもの」とは味覺自身のほかに嗅覺によつて嗅ぎ分けるところの一種の匂を暗示する。捉へ難いほのかなかをりを豫想する。のみならず、屡々觸覺も加はつてゐる。味のうちには舌ざはりが含まれてゐる。さうして「さはり」とは心の絲に觸れる、言ふに言へない動きである。この味覺と嗅覺と觸覺とが原本的意味に於ける「體驗」を形成する。いはゆる高等感覺は遠官として發達し、物と自己とを分離して、物を客觀的に自己に對立させる。かくして聽覺は音の高低を判然と聽分ける。しかし部首は音色の形を取つて簡明な把握に背かうとする。視覺にあつても色彩の系統を立てて色調の上から色を分けて行く。しかし如何に色と色とを分割してもなほ色と色との間には把握し難い色合が殘る。さうして聽覺や視覺にあつて、明瞭な把握に漏れる音色や色合を體驗として拾得するのが、感覺上の趣味である。一般にいふ趣味も感覚上の趣味と同樣にものの「色合」に關してゐる。即ち、道徳的および美的評價に際して見られる人格的および民族的色合を趣味といふのである。ニイチエは『愛しないものを直ちに呪ふべきであらうか』と問ふて、『それは惡い趣味と思ふ』と答へてゐる。またそれを『下品』(Pöbel-Art)だと云つてゐる。
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我々は趣味が道徳の領域において意義をもつことを疑はうとしない。また藝術の領域にあつても、『色を求むるにはあらず、ただ色合のみ
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』と云つたヴエルレエヌと共に我々は趣味としての色合の價値を信ずる。「いき」も畢竟、民族的に規定された趣味であつた。從つて「いき」は勝義におけるsense intimeによつて味會されなければならない。「いき」を分析して得られた抽象的概念契機は具體的な「いき」の或る幾つかの方面を指示するに過ぎない。「いき」は個々の概念契機に分析することは出來るが、逆に、分析された個々の概念契機をもつて「いき」の存在を構成することは出來ない。「媚態」といひ、「意氣地」といひ、「諦め」といひ、これらの概念は「いき」の部分ではなくて契機に過ぎない。それ故に概念的契機の集合としての「いき」と、意味體驗としての「いき」との間には、越えることの出來ない間隙がある。換言すれば、「いき」の論理的言表の潛勢性と現勢性との間には截然たる區別がある。我々が分析によつて得た幾つかの抽象的概念契機を結合して「いき」の存在を構成し得るやうに考へるのは、既に意味體驗としての「いき」をもつてゐるからである。

 意味體驗としての「いき」と、その概念的分析との間にかやうな乖離的關係が存するとすれば、「いき」の概念的分析は、意味體驗としての「いき」の構造を外部より了得せしむる場合に、「いき」の存在の把握に適切なる位地と機會とを提供する以外の實際的價値をもち得ないであらう。例へば、日本の文化に對して無知な或る外國人に我々が「いき」の存在の何たるかを説明する場合に、我々は「いき」の概念的分析によつて、彼を一定の位置に置く。それを機會として彼は彼自身の「内官」によつて「いき」の存在を味得しなければならない。「いき」の存在會得に對して概念的分析は、この意味に於ては、單に「機會原因」より外のものではあり得ない。しかしながら概念的分析の價値は實際的價値に盡きるであらうか。體驗さるる意味の論理的言表の潛勢性を現勢性に化せんとする概念的努力は、實際的價値の有無または多少を規矩とする功利的立場によつて評價さるべき筈のものであらうか。否。意味體驗を概念的自覚に導くところに知的存在者の全意義が懸つてゐる。實際的價値の有無多少は何等の問題でもない。さうして、意味體驗と概念的認識との間に不可通約的な不盡性の存することを明かに意識しつつ、しかもなほ論理的言表の現勢化を「課題」として「無窮」に追跡するところに、まさに學の意義は存するのである。「いき」の構造の理解もこの意味において意義をもつことを信ずる。

 しかし、曩にも云つたやうに、「いき」の構造の理解をその客觀的表現に基礎附けようとすることは大なる誤謬である。「いき」はその客觀的表現にあつては必ずしも常に自己の有する一切のニュアンスを表はしてゐるとは限らない。客觀化は種々の制約の拘束の下に成立する。從つて客觀化された「いき」は意識現象としての「いき」の全體をその廣さと深さにおいて具現してゐることは稀である。客觀的表現は「いき」の象徴に過ぎない。それ故に「いき」の構造は、自然形式または藝術形式のみからは理解出來るものではない。その反對に、これらの客觀的形式は、個人的もしくは社會的意味體驗としての「いき」の意味移入によつて初めて生かされ、會得されるものである。「いき」の構造を理解する可能性は、客觀的表現に接觸してquidを問ふ前に、意識現象のうちに沒入してquisを問ふことに存してゐる。およそ藝術形式は人性的一般または異性的特殊の存在樣態に基いて理解されなければ眞の會得ではない。

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體驗としての存在樣態が模樣に客觀化される例としては、ドイツ民族の有する一種の内的不安が不規則的な模樣の形を取つて、既に民族移住時代から見られ、更にゴシックおよびバロックの裝飾にも顕著な形で現はれてゐる事實がある。建築においても體驗と藝術形式との關係を否み得ない。ポール・ヴァレリーの「ユーパリノス或ひは建築家」のうちで、メガラ生れの建築家ユーパリノスは次のやうに云つてゐる。『ヘルメスのために私が建てた小さい神殿、直ぐそこの、あの神殿が私にとつて何であるかを知つてはゐまい。路ゆく者は優美な御堂を見るだけだ――僅かのものだ、四つの柱、極めて單純な樣式――だが私は私の一生のうちの明るい一日の思出をそこに込めた。おお、甘い メタモルフォーズ ( 變身 ) よ。誰も知る人は無いが、このきやしやな神殿は、私が嬉しくも愛した一人のコリントの乙女の數學的形像だ。この神殿は彼女獨自の釣合を忠實に現はしてゐるのだ
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』。音樂においても浪漫派または表現派の名稱をもつて總括し得る傾向はすべて體驗の形式的客觀化を目標としてゐる。既にマショオは戀人ペロンヌに向つて『私のものはすべて貴女の感情で出來た』と告げてゐる
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。またショパンは「へ」短調司伴樂の第二樂章の美しいラルジェットがコンスタンチア・グラコウスカに對する自分の感情を旋律化したのであることを自ら語つてゐる
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。體驗の藝術的客觀化は必ずしも意識的になされることを必要としない。藝術的衝動は無意識的に働く場合も多い。しかしかかる無意識的創造も體驗の客觀化に外ならない。即ち個人的または社会的體驗が、無意識的に、しかし自由に形成原理を選擇して、自己表現を藝術として完了したのである。自然形式においても同樣である。身振その他の自然形式は屡々無意識のうちに創造される。いづれにしても、「いき」の客觀的表現は意識現象としての「いき」に基礎附けて初めて眞に理解されるものである。

 なほ、客觀的表現を出發點として「いき」の構造を闡明しようとする者の殆んど常に陷る缺點がある。即ち、「いき」の抽象的、形相的理解に止つて、具體的、解釋的に「いき」の特異なる存在規定を把握するに至らないことである。例へば、『美感を與へる對象』としての藝術品の考察に基いて『粹の感』の説明が試みられる

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。その結果として、『不快の混入』といふごとき極めて一般的、抽象的な性質より捉へられない。從つて「いき」は漠然たるraffinéのごとき意味となり、一方に「いき」と澁味との區別を立て得ないのみならず、他方に「いき」のうちの民族的色彩が全然把握されない。さうして假りにもし「いき」がかくのごとき漠然たる意味よりもつてゐないものとすれば、西洋の藝術のうちにも多くの「いき」を見出すことが出來る筈である。即ち「いき」とは『西洋に於ても日本に於ても』『現代人の好む』何ものかに過ぎないことになる。しかしながら、例へばコンスタンタン・ギイやドカアやフアン・ドンゲンの繪が果して「いき」の有するニュアンスを具有してゐるであらうか。また、サンサンス、マスネエ、ドゥビユッシイ、リヒアルド・スュトラウスなどの作品中の或る旋律を捉へて嚴密なる意味において「いき」と名附け得るであらうか。これらは恐らく肯定的に答へることは出來ないであらう。既に云つたやうに、この種の現象と「いき」との共通點を形式化的抽象によつて見出すことは必ずしも困難ではない。しかしながら、形相的方法を採ることはこの種の文化存在の把握に適した方法論的態度ではない。然るに客觀的表現を出發點として「いき」の闡明を計る者は多くみなかやうな形相的方法に陷るのである。要するに「いき」の研究をその客觀的表現としての自然形式または藝術形式の理解から始めることは徒勞に近い。先づ意識現象としての「いき」の意味を民族的具體において解釋的に把握し、然る後その會得に基いて自然形式および藝術形式に現はれたる客觀的表現を妥當に理解することが出來るのである。一言にして云へば、「いき」の研究は ◎◎◎◎◎◎◎◎◎ ( 民族的存在の解釋學 ) としてのみ成立し得るのである。

 民族的存在の解釋としての「いき」の研究は、「いき」の民族的特殊性を明かにするに當つて、たまたま西洋藝術の形式のうちにも「いき」が存在するといふやうな發見によつて惑はされてはならぬ。客觀的表現が「いき」そのものの複雜なる色彩を必ずしも完全に表はし得ないとすれば、「いき」の藝術形式と同一のものをたとへ西洋の藝術中に見出す場合があつたとしても、それを直ちに體驗としての「いき」の客觀的表現と看做し、西洋文化のうちに「いき」の存在を推定することは出來ない。またその藝術形式によつて我々が事實上「いき」を感じ得る場合が假りにあつたとしても、それは既に民族的色彩を帶びた我々の民族的主觀が豫想されてゐる。その形式そのものが果して「いき」の客觀化であるか否かは全くの別問題である。問題は畢竟、意識現象としての「いき」が西洋文化のうちに存在するか否かに歸着する。然らば意識現象としての「いき」を西洋文化のうちに見出すことが出來るであらうか。西洋文化の構成契機を商量するときに、この問は否定的の答を期待するより外はない。また事實として、たとへばダンデイズムと呼ばるる意味は、その具體的なる意識層の全範圍に亙つて果して「いき」と同樣の構造を示し、同樣の薫と同樣の色合とをもつてゐるであらうか。ボオドレエルの「惡の華」一卷は屡々「いき」に近い感情を言表はしてゐる。「空無の味」のうちに『わが心、諦めよ』とか、『戀ははや味ひをもたず』とか、または『讚むべき春は薫を失ひぬ』などの句がある。これらは諦めの氣分を十分に表はしてゐる。また「秋の歌」のうちで『白く灼くる夏を惜しみつつ、黄に柔かき秋の光を味はしめよ』と云つて人生の秋の黄色い淡い憂愁を描いてゐる。「沈潛」のうちにも過去を擁する止揚の感情が表はされてゐる。さうして、ボオドレエル自身の説明

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によれば、『ダンデイズムは頽廢期における英雄主義の最後の光であつて……熱が無く、憂愁にみちて、傾く日のやうに壯美である』。また『éléganceの教説』として『一種の宗教』である。かやうにダンデイズムは「いき」に類似した構造をもつてゐるには相違ない。しかしながら、『シーザーとカティリナとアルキビアデスとが顯著な典型を提供する』もので、殆んど男性に限り適用される意味内容である。それに反して『英雄主義』が、か弱い女性、しかも「苦界」に身を沈めてゐる女性によつて迄も呼吸されてゐるところに「いき」の特彩がある。またニイチエのいふ『高貴』とか『距離の熱情』なども一種の「意氣地」に外ならない。これらは騎士氣質から出たものとして、武士道から出た「意氣地」と差別し難い類似をもつてゐる
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。しかしながら、一切の肉を獨斷的に呪つた基督教の影響の下に生立つた西洋文化にあつては、尋常の交渉以外の性的關係は、早くも唯物主義と手を携へて地獄に落ちたのである。その結果として、理想主義を豫想する「意氣地」が、媚態をその全延長に亙つて靈化して、特殊の存在樣態を構成する場合は殆んど見ることが出來ない。『女の許へ行くか。笞を忘るるな
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』とは老婆がツァラトゥストラに與へた勸告であつた。なほ一歩を讓つて、例外的に特殊の個人の體驗として西洋の文化にも「いき」が現はれてゐる場合があると假定しても、それは公共圈に民族的意味の形で「いき」が現はれてゐることとは全然意義を異にする。一定の意味として民族的價値をもつ場合には必ず言語の形で通路が開かれてゐなければならぬ。「いき」に該當する語が西洋にないといふ事實は、西洋文化にあつては「いき」といふ意識現象が一定の意味として民族的存在のうちに場所をもつてゐない證據である。

 かやうに意味體驗としての「いき」がわが國の民族的存在規定の特殊性の下に成立する拘はらず、我々は抽象的、形相的の空虚の世界に墮して了つてゐる「「いき」の幻影に出逢ふ場合が餘りにも多い。さうして、喧しい饒舌や空して多言は、幻影を實有のごとくに語るのである。しかし、我々はかかる「出來合」の類概念によつて取交されるflatus vocisに迷はされてはならぬ。我我はかかる幻影に出逢つた場合、『嘗て ◎◎◎ ( 我々の ) 精神が見たもの

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』を具體的な如實の姿において想起しなければならぬ。さうして、この想起は、我々をして「いき」が ◎◎◎◎◎ ( 我々のもの ) であることを解釋的に再認識せしめる地平に外ならない。但し、想起さるべきものはいはゆるプラトン的實在論の主張するがごとき類概念の抽象的一般性ではない。却つて唯名論の唱道する個別的特殊の一種なる民族的特殊性である。この點において、プラトンの認識論の倒逆的轉換が敢てなされなければならぬ。然らばこの意味の アナムネシス ( 想起 ) の可能性を何によつて繋ぐことが出來るか。我々の精神的文化を忘却のうちに葬り去らないことによるより外はない。我々の理想主義的非現實的文化に對して熱烈なるエロスをもち續けるより外はない。「いき」は武士道の理想主義と佛教の非現實性とに對して不離の内的關係に立つてゐる。運命によつて「諦め」を得た「媚態」が「意氣地」の自由に ◎◎ ( 生き )
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のが「いき」である。人間の運命に對して曇ららざる眼をもち、魂の自由に向つて惱ましい憧憬を懷く民族ならずしては媚態をして「いき」の樣態を取らしむることは出來ない。「いき」の核心的意味は、その構造が ◎◎◎◎◎◎ ( わが民族存在 ) の自己開示として把握されたときに、十全なる會得と理解とを得たのである。

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