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  蝦蟇法師 がまほうし がお通に意あるが如き 素振 そぶり を認めたる連中は、これをお通が召使の 老媼 おうな に語りて、且つ たわぶ れ、且つ戒めぬ。

 毎夕 納涼台 すずみだい に集る やから は、 喋々 ちょうちょう しく蝦蟇法師の うわさ をなして、何者にまれ乞食僧の昼間の住家を探り出だして、その来歴を 発出 みいだ さむ者には、 賭物 かけもの として きん 一円を なげう たむと言いあえりき、 一夕 いっせき お通は例の如く野田山に墓参して、家に帰れば日は暮れつ。火を点じて後、窓を ひら きて屋外の 蓮池 れんち せな にし、涼を取りつつ机に むか いて、亡き母の供養のために 法華経 ほけきょう ぞ写したる。その かたわら に老媼ありて、 しきり に針を運ばせつ。時にかの蝦蟇法師は、どこを 徘徊 はいかい したりけむ、ふと今ここに きた れるが、早くもお通の姿を見て、 まなこ を細め舌なめずりし、 恍惚 こうこつ たるもの久しかりし、乞食僧は美人臭しとでも思えるやらむ、むくむく鼻を うごめ かし 漸次 しだい に顔を近附けたる、 つら が格子を のぞ くとともに、鼻は遠慮なく内へ りて、お通の ほお かす めむとせり。

  珍客 ちんかく に驚きて、お通はあれと身を 退 きしが、事の余りに 滑稽 こっけい なるにぞ、老婆も 叱言 こごと いう いとま なく、同時に 吻々 ほほ と吹き出しける。

 蝦蟇法師は

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あやま りて、歓心を あがな えりとや思いけむ、 悦気 えつき 満面に満ち あふ れて、うな、うな、と笑いつつ、 しき りにものを言い懸けたり。

 お通はかねて 忌嫌 いみきら える鼻がものいうことなれば、冷然として見も返らず。老媼は更に取合ねど、鼻はなおもずうずうしく、役にも立たぬことばかり句切もなさで 饒舌 しゃべり らす。その 懊悩 うるさ さに堪えざれば、手を以て去れと命ずれど、いっかな鼻は 引込 ひっこ まさぬより、老媼はじれてやっきとなり、手にしたる針の さき を鼻の 天窓 あたま に突立てぬ。

 あわれ乞食僧は とどめ を刺されて、「痛し。」と 身体 からだ 反返 そりかえ り、 よだれ をなすりて 逸物 いちもつ 撫廻 なでまわ し撫廻し、ほうほうの てい にて 遁出 にげいだ しつ。走り去ること一町ばかり、 俄然 がぜん とどま り振返り、蓮池を一つ隔てたる、 燈火 ともしび の影を きっ と見し、 まなこ の色はただならで、 怨毒 えんどく を以て満たされたり。その時乞食僧は つえ 掉上 ふりあ げ、「手段のいかんをさえ問わざれば何の のぞみ か達せざらむ。」

 かくは 断乎 だんこ として言放ち、大地をひしと 打敲 うちたた きつ、首を縮め、杖をつき、 おもむ ろに歩を めぐ らしける。

 その 背後 うしろ より抜足差足、 ひそか に後をつけて 一人 いちにん の老媼あり。これかのお通の召使が、 いま 何人 なんぴと も知り得ざる蝦蟇法師の居所を探りて、 納涼台 すずみだい 賭物 かけもの したる、若干の 金子 きんす を得むと、お通の とど むるをも かずして、そこに追及したりしなり。 呼吸 いき を殺して従い くに、 阿房 あほう はさりとも知らざる さま にて、 ほとん ど足を 曳摺 ひきず る如く杖に すが りて 歩行 あゆ けり。

 人里を 出離 いではな れつ。北の方角に進むことおよそ二町ばかりにて、山尽きて、谷となる。ここ 嶮峻 けんしゅん なる絶壁にて、 勾配 こうばい の急なることあたかも一帯の壁に似たり、松杉を以て 点綴 てんてつ せる山間の谷なれば、緑樹 とこしえ に陰をなして、草木が漆黒の色を呈するより、黒壁とは名附くるにて、この半腹の 洞穴 どうけつ にこそかの摩利支天は まつ られたれ。

  はる かに 瞰下 みおろ す幽谷は、 白日闇 はくじつあん の別境にて、夜昼なしに もや め、脚下に雨のそぼ降る如く、渓流暗に魔言を説きて、 啾々 しゅうしゅう たる鬼気人を襲う、その 物凄 ものすご わむ方なし。

 まさかこことは想わざりし、老媼は恐怖の念に堪えず、 魑魅魍魎 ちみもうりょう 隊をなして、前途に ふさが るとも覚しきに、 よく にも一歩を移し得で、あわれ 立竦 たちすくみ になりける時、二点の蛍光 此方 こなた を見向き、一喝して、「何者ぞ。」 掉冠 ふりかむ れる蝦蟇法師の杖の もと に老媼は 阿呀 あわや 蹲踞 うずくま りぬ。

 蝦蟇法師は 流眄 しりめ に懸け、「へ、へ、へ、うむ正に 此奴 こやつ なり、予が顔を傷附けたる、大胆者、 讐返 しかえし ということのあるを知らずして」 傲然 ごうぜん としてせせら笑う。

 これを聞くより老媼はぞっと心臓まで寒くなりて、全体 氷柱 つらら に化したる如く、いと哀れなる声を発して、「命ばかりはお助けあれ。」とがたがた震えていたりける。