凱旋祭
泉鏡花 (Gaisenmatsuri) | ||
五
別に 凱旋門 ( がいせんもん ) と、 生首提灯 ( なまくびじょうちん ) と小生は申し候。人の目鼻書きて、青く塗りて、血の色染めて、黒き 蕨縄 ( わらびなわ ) 着けたる提灯と、竜の口なる五条の噴水と、銅像と、この他に今も眼に 染 ( し ) み、脳に印して覚え候は、式場なる公園の片隅に、人を避けて 悄然 ( しょうぜん ) と立ちて、 淋 ( さび ) しげにあたりを見まはしをられ候、 一個 ( ひとり ) 年若き佳人にござ候。何といふいはれもあらで、薄紫のかはりたる、藤色の 衣 ( きぬ ) 着けられ候ひき。
このたび戦死したる少尉B氏の 令閨 ( れいけい ) に候。また小生知人にござ候。
あらゆる人の嬉しげに、楽しげに、をかしげに顔色の見え候に、小生はさて置きて夫人のみあはれに 悄 ( しお ) れて見え候は、人いきりにやのぼせたまひしと案じられ、近う寄り声をかけて、もの問はむと存じ候折から、おツといふ声、人なだれを打つて立騒ぎ、悲鳴をあげて逃げ惑ふ女たちは、水車の歯にかかりて 撥 ( は ) ね飛ばされ候やう、倒れては 遁 ( に ) げ、転びては遁げ、うづまいて来る大 蜈蚣 ( むかで ) のぐるぐると巻き込むる環のなかをこぼれ出で候が、 令閨 ( れいけい ) とおよび五三人はその中心になりて、 十重二十重 ( とえはたえ ) に巻きこまれ、 遁 ( のが ) るる 隙 ( ひま ) なく 伏 ( ふし ) まろび候ひし。警官 駈 ( か ) けつけて 後 ( のち ) 、他は皆無事に起上り候に、うつくしき人のみは、そのまま 裳 ( もすそ ) をまげて、起たず横はり候。 塵埃 ( ちりほこり ) のそのつややかなる黒髪を 汚 ( けが ) す間もなく、 衣紋 ( えもん ) の乱るるまもなくて、かうはなりはてられ候ひき。
むかでは、これがために寸断され、 此処 ( ここ ) に六尺、 彼処 ( かしこ ) に二尺、三尺、五尺、七尺、一尺、五寸になり、一分になり、 寸々 ( ずたずた ) に切り刻まれ候が、 身体 ( からだ ) の黒き、足の赤き、切れめ切れめに酒気を帯びて、一つづつうごめくを見申し候。
日暮れて式場なるは申すまでもなく、十万の家軒ごとに、おなじ生首提灯の、しかも 丈 ( たけ ) 三尺ばかりなるを揃うて 一斉 ( いっせい ) に 灯 ( ひとも ) し候へば、市内の 隈々 ( くまぐま ) 塵塚 ( ちりづか ) の片隅までも、 真蒼 ( まっさお ) き昼とあひなり候。白く染め抜いたる、目、口、鼻など、大路小路の 地 ( つち ) の上に影を宿して、青き 灯 ( ひ ) のなかにたとへば蝶の舞ふ如く 蝋燭 ( ろうそく ) のまたたくにつれて、ふはふはとその 幻 ( まぼろし ) の浮いてあるき候ひし。ひとり、唯、単に、 一宇 ( いちう ) の門のみ、生首に 灯 ( ひとも ) さで、 淋 ( さび ) しく暗かりしを、怪しといふ者候ひしが、さる人は皆人の心も、ことのやうをも知らざるにて候。その夜 更 ( ふ ) けて後、 俄然 ( がぜん ) として暴風起り、 須臾 ( しゅゆ ) のまに大方の提灯を吹き飛ばし、残らず 灯 ( ひ ) きえて 真闇 ( まっくら ) になり申し候。 闇夜 ( やみよ ) のなかに、唯一ツ 凄 ( すさ ) まじき音聞え候は、大木の吹折られたるに候よし。さることのくはしくは申上げず候。唯今風の音聞え候。何につけてもおなつかしく候。
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ぢい様
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