凱旋祭
泉鏡花 (Gaisenmatsuri) | ||
三
あくれば凱旋祭の当日、人々が案じに案じたる天候は意外にもおだやかに、 東雲 ( しののめ ) より密雲破れて日光を 洩 ( もら ) し候が、午前に到りて晴れ、昼少しすぐるより 天晴 ( あっぱれ ) なる快晴となり 澄 ( すま ) し候。
さればこそ 前 ( ぜん ) 申上げ候通り、ただうつくしく 賑 ( にぎや ) かに候ひし、全市の光景、何より申上げ候はむ。ここに繰返してまた単に 一幅 ( いっぷく ) わが県全市の図は、七色を以てなどりて彩られ候やうなるおもひの、筆 執 ( と ) ればこの 紙面 ( しめん ) にも浮びてありありと見え候。いかに貴下、さやうに候はずや。黄なる、紫なる、 紅 ( くれない ) なる、いろいろの旗天を 蔽 ( おお ) ひて大鳥の群れたる如き、旗の 透間 ( すきま ) の空青き、 樹々 ( きぎ ) の葉の 翠 ( みどり ) なる、路を行く人の髪の黒き、 簪 ( かざし ) の白き、 手絡 ( てがら ) の 緋 ( ひ ) なる、帯の錦、 袖 ( そで ) の 綾 ( あや ) 、 薔薇 ( しょうび ) の 香 ( か ) 、 伽羅 ( きゃら ) の 薫 ( かおり ) の 薫 ( くん ) ずるなかに、この 身体 ( からだ ) 一ツはさまれて、 歩行 ( ある ) くにあらず 立停 ( たちどま ) るといふにもあらで、押され押され 市中 ( まちなか ) をいきつくたびに一歩づつ式場近く進み候。横の町も、縦の町も、角も、辻も、山下も、坂の上も、隣の 小路 ( こうじ ) もただ人のけはひの 轟々 ( ごうごう ) とばかり遠波の寄するかと、ひツそりしたるなかに、あるひは高く、あるひは低く、遠くなり、近くなりて、 耳底 ( じてい ) に響き候のみ。 裾 ( すそ ) の 埃 ( ほこり ) 、 歩 ( あゆみ ) の砂に、両側の二階家の 欄干 ( らんかん ) に、果しなくひろげかけたる紅の 毛氈 ( もうせん ) も白くなりて、仰げば 打重 ( うちかさ ) なる見物の 男女 ( なんにょ ) が顔も 朧 ( おぼろ ) げなる、中空にはむらむらと何にか候らむ、 陽炎 ( かげろう ) の如きもの立ち迷ひ候。
万丈の 塵 ( ちり ) の中に人の家の屋根より高き処々、中空に 斑々 ( はんはん ) として 目覚 ( めざま ) しき 牡丹 ( ぼたん ) の花の 翻 ( ひるがえ ) りて見え候。こは大なる 母衣 ( ほろ ) の上に書いたるにて、片端には彫刻したる 獅子 ( しし ) の 頭 ( かしら ) を 縫 ( ぬ ) ひつけ、片端には糸を 束 ( つか ) ねてふつさりと揃へたるを結び着け候。この尾と、その頭と、及び 件 ( くだん ) の牡丹の花描いたる母衣とを以て一頭の獅子にあひなり候。胴中には青竹を 破 ( わ ) りて曲げて環にしたるを 幾処 ( いくところ ) にか入れて、竹の両はしには 屈竟 ( くっきょう ) の 壮佼 ( わかもの ) ゐて、支へて、 膨 ( ふく ) らかに 幌 ( ほろ ) をあげをり候。 頭 ( かしら ) に一人の手して、力 逞 ( たく ) ましきが 猪首 ( いくび ) にかかげ持ちて、朱盆の如き口を張り、またふさぎなどして威を示し候 都度 ( つど ) 、仕掛を以てカツカツと 金色 ( こんじき ) の 牙 ( きば ) の鳴るが聞え候。尾のつけもとは、ここにも竹の 棹 ( さお ) つけて支へながら、人の軒より高く突上げ、 鷹揚 ( おうよう ) に右左に振り動かし申候。何貫目やらむ尾にせる糸をば、真紅の色に 染 ( そ ) めたれば、紅の細き滝支ふる雲なき中空より 逆 ( さかさ ) におちて風に 揺 ( ゆ ) らるる 趣 ( おもむき ) 見え、要するに空間に描きたる獣王の、花々しき牡丹の 花衣 ( はなぎぬ ) 着けながら 躍 ( おど ) り狂ふにことならず、目覚しき獅子の皮の、かかる牡丹の母衣の中に、 三味 ( さみ ) 、 胡弓 ( こきゅう ) 、笛、太鼓、 鼓 ( つづみ ) を備へて、節をかしく、かつ行き、かつ鳴して一ゆるぎしては式場さして近づき候。母衣の 裾 ( すそ ) よりうつくしき 衣 ( きぬ ) の裾、ちひさき女の足などこぼれ出でて見え候は、 歌姫 ( うたひめ ) の 上手 ( じょうず ) をばつどへ入れて、この楽器を 司 ( つかさど ) らせたるものに候へばなり。
おなじ仕組の同じ獅子の、 唯一 ( ただひと ) つには留まらで、 主立 ( おもだ ) つたる町々より一つづつ、すべて十五、六頭
※ ( ね ) り 出 ( い ) だし候が、 群集 ( ぐんじゅ ) のなかを処々横断し、 点綴 ( てんてつ ) して、白き地に牡丹の花、人を 蔽 ( おお ) ひて見え候。 凱旋祭
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