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 あくれば凱旋祭の当日、人々が案じに案じたる天候は意外にもおだやかに、 東雲 しののめ より密雲破れて日光を もら し候が、午前に到りて晴れ、昼少しすぐるより 天晴 あっぱれ なる快晴となり すま し候。

 さればこそ ぜん 申上げ候通り、ただうつくしく にぎや かに候ひし、全市の光景、何より申上げ候はむ。ここに繰返してまた単に 一幅 いっぷく わが県全市の図は、七色を以てなどりて彩られ候やうなるおもひの、筆 ればこの 紙面 しめん にも浮びてありありと見え候。いかに貴下、さやうに候はずや。黄なる、紫なる、 くれない なる、いろいろの旗天を おお ひて大鳥の群れたる如き、旗の 透間 すきま の空青き、 樹々 きぎ の葉の みどり なる、路を行く人の髪の黒き、 かざし の白き、 手絡 てがら なる、帯の錦、 そで あや 薔薇 しょうび 伽羅 きゃら かおり くん ずるなかに、この 身体 からだ 一ツはさまれて、 歩行 ある くにあらず 立停 たちどま るといふにもあらで、押され押され 市中 まちなか をいきつくたびに一歩づつ式場近く進み候。横の町も、縦の町も、角も、辻も、山下も、坂の上も、隣の 小路 こうじ もただ人のけはひの 轟々 ごうごう とばかり遠波の寄するかと、ひツそりしたるなかに、あるひは高く、あるひは低く、遠くなり、近くなりて、 耳底 じてい に響き候のみ。 すそ ほこり あゆみ の砂に、両側の二階家の 欄干 らんかん に、果しなくひろげかけたる紅の 毛氈 もうせん も白くなりて、仰げば 打重 うちかさ なる見物の 男女 なんにょ が顔も おぼろ げなる、中空にはむらむらと何にか候らむ、 陽炎 かげろう の如きもの立ち迷ひ候。

 万丈の ちり の中に人の家の屋根より高き処々、中空に 斑々 はんはん として 目覚 めざま しき 牡丹 ぼたん の花の ひるがえ りて見え候。こは大なる 母衣 ほろ の上に書いたるにて、片端には彫刻したる 獅子 しし かしら ひつけ、片端には糸を つか ねてふつさりと揃へたるを結び着け候。この尾と、その頭と、及び くだん の牡丹の花描いたる母衣とを以て一頭の獅子にあひなり候。胴中には青竹を りて曲げて環にしたるを 幾処 いくところ にか入れて、竹の両はしには 屈竟 くっきょう 壮佼 わかもの ゐて、支へて、 ふく らかに ほろ をあげをり候。 かしら に一人の手して、力 たく ましきが 猪首 いくび にかかげ持ちて、朱盆の如き口を張り、またふさぎなどして威を示し候 都度 つど 、仕掛を以てカツカツと 金色 こんじき きば の鳴るが聞え候。尾のつけもとは、ここにも竹の さお つけて支へながら、人の軒より高く突上げ、 鷹揚 おうよう に右左に振り動かし申候。何貫目やらむ尾にせる糸をば、真紅の色に めたれば、紅の細き滝支ふる雲なき中空より さかさ におちて風に らるる おもむき 見え、要するに空間に描きたる獣王の、花々しき牡丹の 花衣 はなぎぬ 着けながら おど り狂ふにことならず、目覚しき獅子の皮の、かかる牡丹の母衣の中に、 三味 さみ 胡弓 こきゅう 、笛、太鼓、 つづみ を備へて、節をかしく、かつ行き、かつ鳴して一ゆるぎしては式場さして近づき候。母衣の すそ よりうつくしき きぬ の裾、ちひさき女の足などこぼれ出でて見え候は、 歌姫 うたひめ 上手 じょうず をばつどへ入れて、この楽器を つかさど らせたるものに候へばなり。

 おなじ仕組の同じ獅子の、 唯一 ただひと つには留まらで、 主立 おもだ つたる町々より一つづつ、すべて十五、六頭

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だし候が、 群集 ぐんじゅ のなかを処々横断し、 点綴 てんてつ して、白き地に牡丹の花、人を おお ひて見え候。