University of Virginia Library

山門牒状

三井寺には、貝鐘鳴いて、大衆僉議す。「近日世上の體を案ずるに、佛法の衰微、王 法の牢籠正に此時に當れり。今度清盛入道が暴惡を戒めずば、何の日をか期すべき。 宮此に入御の御事、正八幡宮の衞護、新羅大明神の冥助に非ずや。天衆地類も影向を 垂れ、佛力神力も降伏を加へ坐す事などか無るべき。抑北嶺は圓宗一味の學地、南都 は夏臘得度の戒場也。牒送の處に、などか與せざるべき。」と、一味同心に僉議して、山へも奈良へも、牒状をこそ遣しけれ。先山門への状に云、

園城寺牒す、延暦寺の衙。 特に合力を致して、當寺の破滅を助けられんと思ふ状 右入道淨海恣に王法を失ひ、佛法を滅ぼさんと欲す。愁歎極なき所に、去る十五日の 夜、一院第二の王子、竊に入寺せしめ給ふ。こゝに院宣と號して、出し奉るべき由、 責ありといへども、出し奉るに能はず。仍て官軍を放ち遣す旨、其聞えあり。當寺の 破滅、正に此時に當れり。諸衆何ぞ愁嘆せざらんや。就中に延暦、園城兩寺は、門跡 二つに相分ると雖、學する所は是圓頓一味の教門に同じ。譬へば鳥の左右の翅の如し。 又車の二つの輪に似たり。一方闕けんに於ては、爭かその歎無らんや、者れば、特に 合力を致して、當寺の破滅を助けられば、早く年來の遺恨を忘て、住山の昔に復せん。 衆徒の僉議此の如し。仍牒送件の如し。

治承四年五月十八日 大衆等

とぞ書たりける。