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6. | 春思 |
みだれ髪 (Midaregami) | ||
春思
310
いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覺ゆる暮れて行く春
311
春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ
312
夜の室に繪の具かぎよる懸想の子太古の神に春似たらずや
313
そのはてにのこるは何と問ふな説くな友よ歌あれ終の十字架
314
わかき子が胸の小琴の音を知るや旅ねの君よたまくらかさむ
315
松かげにまたも相見る君とわれゑにしの神をにくしとおぼすな
316
きのふをば千とせの前の世とも思ひ御手なほ肩に有りとも思ふ
317
歌は君醉ひのすさびと墨ひかばさても消ゆべしさても消ぬべし
318
神よとはにわかきまどひのあやまちとこの子の悔ゆる歌ききますな
319
湯あがりを御風めすなのわが上衣ゑんじむらさき人うつくしき
320
さればとておもにうすぎぬかつぎなれず春ゆるしませ中の小屏風
321
しら綾に鬢の香しみし夜着の襟そむるに歌のなきにしもあらず
322
夕ぐれの霧のまがひもさとしなりき消えしともしび神うつくしき
323
もゆる口になにを含まむぬれといひし人のをゆびの血は涸れはてぬ
324
人の子の戀をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願ひ
325
ここに三とせ人の名を見ずその詩よます過すはよわきよわき心なり
326
梅の渓の靄くれなゐの朝すがた山うつくしき我れうつくしき
327
ぬしや誰れねぶの木かげの釣床の網のめもるる水色のきぬ
328
歌に聲のうつくしかりし旅人の行手の村の桃しろかれな
329
朝の雨につばさしめりし鶯を打たむの袖のさだすぎし君
330
御手づからの水にうがひしそれよ朝かりし紅筆歌かきてやまむ
331
春寒のふた日を京の山ごもり梅にふさはぬわが髪の亂れ
332
歌筆を紅にかりたる尖凍てぬ西のみやこの春さむき朝
333
春の宵をちひさく撞きて鐘を下りぬ二十七段堂のきざはし
334
手をひたし水は昔にかはらずとさけぶ子の戀われあやぶみぬ
335
病むわれにその子五つのをとこなりつたなの笛をあはれと聞く夜
336
とおもひてぬひし春着の袖うらにうらみの歌は書かさせますな
337
かくて果つる我世さびしと泣くは誰ぞしろ桔梗さく伽藍のうらに
338
人とわれおなじ十九のおもかげをうつせし水よ石津川の流れ
339
卯の衣を小傘にそへて褄とりて五月雨わぶる村はづれかな
340
大御油ひひなの殿にまゐらするわが前髪に桃の花ちる
341
夏花に多くの戀をゆるせしを神悔い泣くか枯野ふく風
342
道を云はず後を思はず名を問はずここに戀ひ戀ふ君と我と見る
343
魔に向ふつるぎの束をにぎるには細き五つの御指と吸ひぬ
344
消えむものか歌よむ人の夢とそはそは夢ならむさて消えむものか
345
戀と云はじそのまぼろしのあまき夢詩人もありき畫だくみもありき
346
君さけぶ道のひかりの遠を見ずやおなじ紅なる靄たちのぼる
347
かたちの子春の子血の子ほのほの子今を自在の翅なからずや
348
ふとそれより花に色なき春となりぬ疑ひの神まどはしの神
349
うしや我れさむるさだめの夢を永久にさめなと祈る人の子におちぬ
350
わかき子が髪のしづくの草に凝りて蝶とうまれしここ春の國
351
結願のゆふべの雨に花ぞ黒き五尺こちたき髪かるうなりぬ
352
罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ
353
そとぬけてその靄おちて人を見ず夕の鐘のかたへさびしき
354
春の小川うれしの夢に人遠き朝を繪の具の紅き流さむ
355
もろき虹の七いろ戀ふるちさき者よめでたからずや魔神の翼
356
醉に泣くをとめに見ませ春の神男の舌のなにかするどき
357
その酒の濃きあちはひを歌ふべき身なり君なり春のおもひ子
358
花にそむきダビデの歌を誦せむにはあまりに若き我身とぞ思ふ
359
みかへりのそれはた更につらかりき闇におぼめく山吹垣根
360
ゆく水に柳に春ぞなつかしぎ思はれ人に外ならぬ我れ
361
その夜かの夜よわきためいきせまりし夜琴にかぞふる三とせは長き
362
きけな神戀はすみれの紫にゆふべの春の讃嘆のこゑ
363
病みませるうなじに纖きかひな捲きて熱にかわける御口を吸はむ
364
天の川そひねの床のとばりごしに星のわかれをすかし見るかな
365
染めてよと君がみもとへおくりやりし扇かへらず風秋となりぬ
366
たまはりしうす紫の名なし草うすきゆかりを歎きつつ死なむ
367
うき身朝をはなれがたなの細柱たまはる梅の歌ことたらぬ
368
さおぼさずや宵の火かげの長き歌かたみに詞あまり多かりき
369
その歌を誦します聲にさめし朝なでよの櫛の人はづかしき
370
明日を思ひ明日の今おもひ宿の戸に倚る子やよわき梅暮れそめぬ
371
金色の翅あるわらは躑躅くはへ小舟こぎくるうつくしき川
372
月こよひいたみの眉はてらさざるに琵琶だく人の年とひますな
373
戀をわれもろしと知りぬ別れかねおさへし袂風の吹きし時
374
星の世のむくのしらぎぬかばかりに染めしは誰のとがとおぼすぞ
375
わかき子のこがれよりしは斧のにほひ美妙の御相けふ身にしみぬ
376
清し高しさはいへさびし白銀のしろきほのほと人の集見し(醉茗の君の詩集に)
377
雁よそよわがさびしきは南なりのこりの戀のよしなき朝夕
378
來し秋の何に似たるのわが命せましちひさし萩よ紫苑よ
379
柳あをき堤にいつか立つや我れ水はさばかり流とからず
380
幸おはせ羽やはらかき鳩とらへ罪ただしたる高き君たち
381
打ちますにしろがねの鞭うつくしき愚かよ泣くか名にうとき羊
382
誰に似むのおもひ問はれし春ひねもすやは肌もゆる血のけに泣きぬ
383
庫裏の藤に春ゆく宵のものぐるひ御經のいのちうつつをかしき
384
春の虹ねりのくけ紐たぐります羞ひ神の曉のかをりよ
385
室の神に御肩かけつつひれふしぬゑんじなればの宵の一襲
386
天の才ここににほひの美しき春をゆふべに集ゆるさずや
387
消えて凝りて石と成らむの白桔梗秋の野生の趣味さて問ふな
388
歌の手に葡萄をぬすむ子の髪のやはらかいかな虹のあさあけ
389
そと秘めし春のゆふべのちさき夢はぐれさせつる十三絃よ
みだれ髪 (Midaregami) | ||