みだれ髪 (Midaregami) | ||
はたち妻
211
露にさめて瞳もたぐる野の色よ夢のただちの紫の虹
212
やれ壁にチチアンが名はつらかりき湧く酒がめを夕に秘めな
213
何となきだた一ひらの雲に見ぬみちびきさとし聖歌のにほひ
214
袖にそむきふたたびここに君と見ぬ別れの別れさいへ亂れじ
215
淵の水になげし聖書を又もひろひ空仰ぎ泣くわれまどひの子
216
聖書だく子人の御親の墓に伏して彌勒の名をば夕に喚びぬ
217
神ここに力をわびぬとき紅のにほひ興がるめしひの少女
218
痩せにたれかひなもる血ぞ猶わかき罪を泣く子と神よ見ますな
219
おもはずや夢ねがはずや若人よもゆるくちびる君に映らずや
220
君さらば巫山の春のひと夜妻またの世までは忘れゐたまへ
221
あまきにがき味うたがひぬ我を見てわかきひじりの流しにし涙
222
歌に名は相問はざりきさいへ一夜ゑにしのほかの一夜とおぼすな
223
水の香をきぬにおほひぬわかき神草には見えぬ風のゆるぎよ
224
ゆく水のざれ言きかす神の笑まひ御齒あざやかに花の夜あけぬ
225
百合にやる天の小蝶のみづいろの翅にしつけの絲をとる神
226
ひとつ血の胸くれなゐの春のいのちひれふすかをり神もとめよる
227
わがいだくおもかげ君はそこに見む春のゆふべの黄雲のちぎれ
228
むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子
229
うらわかき僧よびさます春の窓ふり袖ふれて經くづれきぬ
230
今日を知らず智慧の小石は問はでありき星のおきてと別れにし朝
231
春にがき貝多羅葉の名をききて堂の夕日に友の世泣きぬ
232
ふた月を歌にただある三本樹加茂川千鳥戀はなき子ぞ
233
わかき子が乳の香まじる春雨に上羽を染めむ白き鳩われ
234
夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘
235
見しはそれ緑の夢のほそき夢ゆるせ旅人かたり草なき
236
胸と胸とおもひことなる松のかぜ友の頬を吹きぬ我頬を吹きぬ
237
野茨をりて髪にもかざし手にもとり永き日野邊に君まちわびぬ
238
春を説くなその朝かぜにほころびし袂だく子に君こころなき
239
春をおなじ急瀬さばしる若鮎の釣緒の細うくれなゐならぬ
240
みなぞこにけぶる黒髪ぬしや誰れ緋鯉のせなに梅の花ちる
241
秋を人のよりし柱にとがぬあり梅にことかるきぬぎぬの歌
242
京の山のこぞめしら梅人ふたりおなじ夢みし春と知りたまへ
243
なつかしの湯の香梅が香山の宿の板戸によりて人まちし闇
244
詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸に
245
歌にねて昨夜梶の葉の作者見ぬうつくしかりき黒髪の色
246
下京や紅屋が門をくぐりたる男かわゆし春の夜の月
247
枝折戸あり紅梅さけり水ゆけり立つ子われより笑みうつくしき
248
しら梅は袖に湯の香は下のきぬにかりそめながら君さらばさらば
249
二十とせの我世の幸はうすかりきせめて今見る夢やすかれな
250
二十とせのうすきいのちのひびきありと浪華の夏の歌に泣きし君
251
かつぐきぬにその間の床の梅ぞにくき昔がたりを夢に寄する君
252
それ終に夢にはあらぬそら語り中のともしびいつ君きえし
253
君ゆくとその夕ぐれに二人して柱にそめし白萩の歌
254
なさけあせし文みて病みておとろへてかくても人を猶戀ひわたる
255
夜の神のあともとめよるしら綾の鬢の香朝の春雨の宿
256
その子ここに夕片笑みの二十びと虹のはしらを説くに隱れぬ
257
このあした君があげたるみどり子のやがて得む戀うつくしかれな
258
戀の神にむくいまつりし今日の歌ゑにしの神はいつ受けまさむ
259
かくてなほあくがれますか眞善美わが手の花はくれなゐよ君
260
くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
261
そよ理想おもひにうすき身なればか朝の露草人ねたかりし
262
とどめあへぬそぞろ心は人しらむくづれし牡丹さぎぬに紅き
263
『あらざりき』そは後の人のつぶやきし我には永久のうつくしの夢
264
行く春の一絃一柱におもひありさいへ火かげのわが髪ながき
265
のらす神あふぎ見するに瞼おもきわが世の闇の夢の小夜中
266
そのわかき羊は誰に似たるぞの瞳の御色野は夕なりし
267
あえかなる白きうすものまなじりの火かげの榮の咀はしき君
268
紅梅にそぞろゆきたる京の山叔母の尼すむ寺は訪はざりし
269
くさぐさの色ある花によそはれし棺のなかの友うつくしき
270
五つとせは夢にあらずよみそなはせ春に色なき草ながき里
271
すげ笠にあるべき歌と強ひゆきぬ若葉よ薫れ生駒葛城
272
裾たるる紫ひくき根なし雲牡丹が夢の眞晝しづけき
273
紫のわが世の戀のあさぼらけ諸手のかをり追風ながき
274
このおもひ眞晝の夢と誰か云ふ酒のかをりのなつかしき春
275
みどりなるは學びの宮とさす神にいらへまつらで摘む夕すみれ
276
そら鳴りの夜ごとのくせぞ狂ほしき汝よ小琴よ片袖かさむ(琴に)
277
ぬしえらばず胸にふれむの行く春の小琴とおぼせ眉やはき君(琴のいらへて)
278
去年ゆきし姉の名よびて夕ぐれの戸に立つ人をあはれと思ひぬ
279
十九のわれすでに菫を白く見し水はやつれぬはかなかるべき
280
ひと年をこの子のすがた絹に成らず畫の筆すてて詩にかへし君
281
白きちりぬ紅きくづれぬ床の牡丹五山の僧の口おそろしき
282
今日の身に我をさそひし中の姉小町のはてを祈れと去にぬ
283
秋もろし春みじかしをまどひなく説く子ありなば我れ道きかむ
284
さそひて入れてさらばと我手はらひます御衣のにほひ闇やはらかき
285
病みてこもる山の御堂に春くれぬ今日文ながき繪筆とる君
286
河ぞひの門小雨ふる柳はら二人の一人めす馬しろき
287
歌は斯くよ血ぞゆらぎしと語る友に笑まひを見せしさびしき思
288
とおもへばぞ垣をこえたる山ひつじとおもへばぞの花よわりなの
289
庭下駄に水をあやぶむ花あやめ鋏にたらぬ力をわびぬ
280
柳ぬれし今朝門すぐる文づかひ青貝ずりのその箱ほそき
281
『いまさらにそは春せまき御胸なり』われ眼をとぢて御手にすがりぬ
282
その友はもだえのはてに歌を見ぬわれを召す神きぬ薄黒き
283
そのなさけかけますな君罪の子が狂ひのはてを見むと云ひたまへ
284
いさめますか道ときますかさとしますか宿世のよそに血を召しませな
285
もろかりしはかなかりしと春のうた焚くにこの子の血ぞあまり若き
286
夏やせの我やねたみの二十妻里居の夏に京を説く君
287
こもり居に集の歌ぬくねたみ妻五月のやどの二人うつくしき
みだれ髪 (Midaregami) | ||