University of Virginia Library

       一

あれあれ見たか、
  あれ見たか。
二つ 蜻蛉 とんぼ が草の葉に、
かやつり草に宿をかり、
人目しのぶと思えども、
羽はうすものかくされぬ、
すきや 明石 あかし ぢりめん、
肌のしろさも浅ましや、
白い絹地の赤蜻蛉。
雪にもみじとあざむけど、
世間稲妻、目が光る。
  あれあれ見たか、
    あれ見たか。

「おじさん――その 提灯 ちょうちん ……」

「ああ、提灯……」

  唯今 ただいま 、午後二時半ごろ。

「私が持ちましょう、 いしだん 打撞 ぶつか りますわ。」

 一肩上に立った、その肩も すそ も、 しなやか な三十ばかりの女房が、白い手を差向けた。

 お米といって、これはそのおじさん、辻町糸七――の 従姉 いとこ で、 一昨年 おととし 世を去ったお京の娘で、土地に 老鋪 しにせ 塗師屋 ぬしや なにがしの妻女である。

  でつけの水々しく利いた、おとなしい、 しずか 円髷 まるまげ で、 頸脚 えりあし がすっきりしている。雪国の冬だけれども、天気は し、小春日和だから、コオトも着ないで、 着衣 きもの のお めし で包むも惜しい、色の清く白いのが、片手に、お京――その母の墓へ手向ける、小菊の黄菊と白菊と、あれは わび しくて、こちこちと寂しいが、土地がら、今時はお さだま りの俗に とな うる坊さん花、 あざみ やわらか いような 樺紫 かばむらさき 小鶏頭 こげいとう を、一束にして添えたのと、ちょっと色紙の二本たばねの線香、 一銭蝋燭 いちもんろうそく を添えて持った、片手を伸べて、「その提灯を」といったのである。

 山門を仰いで見る、処々、 え崩れて、草も尾花もむら生えの高い磴を登りかかった、お米の実家の 檀那寺 だんなでら ――仙晶寺というのである。が、 燈籠寺 とうろうでら といった方がこの大城下によく通る。

  さん ぬる……いやいや、いつの年も、 盂蘭盆 うらぼん に墓地へ燈籠を供えて、心ばかり小さな あかり とも すのは、このあたりすべてかわりなく、親類一門、それぞれ 知己 ちかづき の新仏へ志のやりとりをするから、十三日、迎火を からは、寺々の卵塔は申すまでもない、野に山に、 標石 しめいし 奥津城 おくつき のある処、昔を今に思い出したような無縁墓、古塚までも、かすかなしめっぽい こけ の花が、ちらちらと 切燈籠 きりこ に咲いて、 つち の下の、 仄白 ほのじろ い寂しい 亡霊 もうれい の道が、草がくれ の葉がくれに、 暗夜 やみ には しる く、月には かす けく、 冥々 めいめい として あら われる。中でも裏山の峰に近い、この寺の墓場の丘の頂に、一樹、 えのき の大木が そび えて、その こずえ に掛ける高燈籠が、市街の広場、辻、小路。池、沼のほとり、大川 べり 。一里西に遠い荒海の上からも、望めば、仰げば、 たたず めば、みな空に、面影に立って見えるので、名に呼んで知られている。

 この燈籠寺に対して、辻町糸七の 外套 がいとう の袖から 半間 はんま つら を出した昼間の提灯は、松風に さっ と誘われて、いま二葉三葉散りかかる、折からの 緋葉 もみじ とも れず、ぽかぽかと暖い磴の 小草 こぐさ の日だまりに、あだ白けて、のびれば 欠伸 あくび 、縮むと、 くしゃみ をしそうで 可笑 おか しい。

 辻町は、欠伸と嚔を えたような掛声で、

「ああ、提灯。いや、どっこい。」

 と一段踏む。

「いや、どっこい。」

 お米が 莞爾 にっこり

「ほほほ、そんな掛声が出るようでは、おじさん。」

「何、くたびれやしない。くたびれたといったって、こんな、提灯の一つぐらい。……もっとも持重りがしたり、邪魔になるようなら、ちょっと、ここいらの すすき の穂へ 引掛 ひっか けて置いても差支えはないんだがね。」

「それはね、誰も居ない、人通りの少い処だし、お寺ですもの。そこに置いといたって、人がどうもしはしませんけれど。……持ちましょうというのに持たさないで、おじさん、自分の手で…」

「自分の手で。」

「あんな、知らない顔をして、自分の手からお手向けなさりたいのでしょう。ここへ置いて行っては、お志が通らないではありませんか、悪いわ。」

「お 叱言 こごと で恐入るがね、自分から手向けるって、一体誰だい。」

「それは 誰方 どなた だか、ほほほ。」

 また 莞爾 にっこり

「せいせい、そんな息をして……ここがいい、ちょっとお休みなさいよ、さあ。」

 ちょうど段々 中継 なかつぎ の一土間、 向桟敷 むこうさじき と云った処、さかりに緋葉した樹の根に寄った方で、うつむき なり に片袖をさしむけたのは、 すが れ、手を取ろう身構えで、腰を 靡娜 なよやか に振向いた。踏掛けて塗下駄に、模様の雪輪が冷くかかって、 淡紅 とき 長襦袢 ながじゅばん がはらりとこぼれる。

  なまめか しさ、というといえども、お米はおじさんの介添のみ、心にも留めなそうだが、人妻なれば はばか られる。そこで、 くだん の昼提灯を持直すと、柄の方を向うへ出した。黒塗の柄を引取ったお米の手は、なお白くて優しい。

 憚られもしようもの。磴たるや、山賊の構えた いわお とりで 火見 ひのみ 階子 はしご と云ってもいい、 縦横町条 たてよこまちすじ ごとの屋根、辻の柳、 遠近 おちこち の森に隠顕しても、十町三方、城下を往来の人々が目を そばだつ れば皆見える、見たその 容子 ようす は、中空の 手摺 てすり にかけた色小袖に外套の熊蝉が留ったにそのままだろう。

 蝉はひとりでジジと笑って、 緋葉 もみじ の影へ 飜然 ひらり と飛移った。

 いや、飜然となんぞ、そんな器用に くものか。

「ありがとう……提灯の柄のお力添に、片手を縋って、一方に 洋杖 ステッキ だ。こいつがまた素人が拾った かい のようで、うまく調子が取れないで、だらしなく袖へ 掻込 かいこ んだ処は なさけ ない、まるで 両杖 りょうづえ の形だな。」

「いやですよ。」

「意気地はない、が、止むを得ない。お言葉に従って一休みして行こうか。ちょうどお あつら え、 苔滑 こけなめらか ……というと冷いが、日当りで暖い所がある。さてと、ご苦労を掛けた提灯を、これへ置くか。樹下石上というと豪勢だが、こうした処は、地蔵盆に むしろ を敷いて かね をカンカンと たた く、はっち坊主そのままだね。」

「そんなに、せっかちに腰を掛けてさ、泥がつきますよ。」

「構わない。 れ麻だよ。たかが墨染にて候だよ。」

「墨染でも、喜撰でも、所作舞台ではありません、よごれますわ。」

「どうも、これは。きれいなその 手巾 ハンケチ で。」

「散っているもみじの方が、きれいです、払っては澄まないような、こんな手巾。」

「何色というんだい。お志で、石へ月影まで して来た。ああ、いい景色だ。いつもここは、といううちにも、今日はまた格別です。あいかわらず、海も見える、城も見える。」

 といった。

  就中 なかんずく 公孫樹 いちょう は黄なり、紅樹、青林、見渡す森は、みな 錦葉 もみじ を含み、散残った柳の緑を、うすく しゃ 綾取 あやど った中に、層々たる城の天守が、遠山の雪の いただき いて そび える。そこから ななめ に濃い あい の一線を いて、青い空と 一刷 ひとはけ に同じ色を連ねたのは、いう迄もなく田野と市街と城下を巻いた海である。荒海ながら、日和の穏かさに、 なぎさ の浪は白菊の花を敷流す……この友禅をうちかけて、雪国の町は薄霧を とお して青白い。その袖と思う一端に、周囲三里ときく湖は、昼の月の、半円なるかと なが められる。

「お米坊。」

 おじさんは、目を移して、

「景色もいいが、 容子 ようす がいいな。――提灯屋の 親仁 おやじ 見惚 みと れたのを知ってるかい。

(その提灯を一つ、いくらです。)といったら、

(どうぞ早や、お持ちなされまして……お代はおついでの時、)……はどうだい。そのかわり、遠国他郷のおじさんに、売りものを新聞づつみ、紙づつみにしようともしないんだぜ。 あに それ見惚れたりと言わざるを得んやだ、親仁。」

「おっしゃい。」

 と 銚子 ちょうし のかわりをたしなめるような口振で、

「旅の人だか何だか、 草鞋 わらじ 穿 かないで、今時そんな、見たばかりで分りますか。それだし、この土地では、まだ半季勘定がございます。……でなくってもさ、 当寺 おてら へお参りをする時、ゆきかえり通るんですもの。あの提灯屋さん、母に手を かれた時分から 馴染 なじみ です。……いやね、そんな から お世辞をいって、沢山。……おじさんお参りをするのに きま りが悪いもんだから、おだてごかしに、はぐらかして。」

「待った、待った。――お京さん――お米坊、お前さんのお っか さんの名だ。」

「はじめまして伺います、ほほほ。」

「ご挨拶、恐入った。が、何々院――信女でなく、ごめんを被ろう。その、お母さんの墓へお参りをするのに、何だって、私がきまりが悪いんだろう。第一そのために来たんじゃないか。」

「……それはご遠慮は申しませんの。母の とこ へお参りをして下さいますのは分っていますけれどもね、そのさきに――誰かさん――」

「誰かさん、誰かさん……分らない。米ちゃん、一体その誰かさんは?」

「母が、いつもそういっていましたわ。おじさんは、(極りわるがり屋)という(長い屋)さんだから。」

「どうせ、長屋 住居 ずまい だよ。」

「ごめんなさい、そんなんじゃありません。だからっても、何も私に――それとも、思い出さない、忘れたのなら、それはひどいわ、あんまりだわ。誰かさんに、悪いわ、済まないわ、薄情よ。」

「しばらく、しばらく、まあ、待っておくれ。これは思いも寄らない。唐突の儀を承る。弱ったな、何だろう、といっちゃなお悪いかな、誰だろう。」

「ほんとに忘れたんですか。それで いんですか。嘘でしょう。それだとあんまりじゃありませんか。いっそちゃんと言いますよ、私から。――そういっても釣出しにかかって私の方が極りが悪いかも知れませんけれども。……おじさん、おじさんが、むかし心中をしようとした、 婦人 おんな のかた。」

「…………」

  やぶ から棒をくらって膨らんだ外套の、黒い胸を、辻町は手で おさ える真似して、目を みは

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ると、

「もう堪忍してあげましょう。あんまり知らないふりをなさるからちょっと おど かしてあげたんだけれど、それでも、もうお分りになったでしょう。――いつかの、その時、花の さかり の真夜中に。――あの、お城の門のまわり、暗い堀の上を行ったり、来たり……」

 お米の指が、行ったり来たり、ちらちらと細く動くと、その動くのが、魔法を使ったように、向う はる かな城の森の下くぐりに、小さな男が、とぼんと出て、羽織も着ない、しょぼけた形を あら わすとともに、手を こまぬ き、 こうべ を垂れて、とぼとぼと 歩行 ある くのが おぼろ に見える。それ、糧に飢えて死のうとした。それがその夜の辻町である。

 同時に、もう一つ。寂しい、美しい女が、花の雲から下りたように、すっと かげ って、おなじ堀を 垂々 だらだら りに、町へ続く長い坂を、胸を やわらか に袖を合せ、肩を ほっそ りと すそ を浮かせて、宙に ただよ うばかり。さし 俯向 うつむ いた えり のほんのり白い後姿で、 さば つま ゆら ぐと見えない、もの静かな品の さで、夜はただ黒し、花明り、土の いかだ に流るるように、満開の桜の 咲蔽 さきおお うその長坂を下りる姿が目に映った。

 ――指を包め、袖を引け、お米坊。頸の白さ、肩のしなやかさ、余りその姿に似てならない。――

 今、 のあたり、坂を ひと は、あれは、 二十 はたち ばかりにして、その夜、(烏をいう)千羽ヶ ふち で自殺してしまったのである。身を投げたのは潔い。

  卑怯 ひきょう な、未練な、おなじ処をとぼついた男の影は、のめのめと活きて、ここに仙晶寺の いしだん の中途に、腰を掛けているのであった。