University of Virginia Library

3.4. 小判しらぬ休み茶屋

丹波越の身となりて道なきかたの草分衣茂右衞門おさんの手を引てやう/\峯高 くのぼりて跡おそろしくおもへば生ながら死だぶんになるこそ心ながらうたてけれな ほ行さき柴人の足形も見えず踏まよふ身の哀も今女のはかなくたどりかねて此くるし さ息も限と見えて皃色替りてかなしく岩もる雫を木の葉にそゝぎさま/\養生すれど も次第にたよりすくなく脉もしづみて今に極まりける藥にすべき物とてもなく命のお はるを待居る時耳ぢかく寄て今すこし先へ行ばしるべある里ちかしさもあらば此浮を わすれておもひのまゝに枕さだめて語らん物をとなげゝは此事おさん耳に通しうれし や命にかへての男じやものと氣を取なほしけるさては魂にれんぼ入かはり外なき其身 いたましく又屓て行程にわづかなる里の垣ねに着けり爰なん京への海道といへり馬も 行違ふ程の岨に道もありけるわら葺る軒に杉折掛て上々諸白あり餅も幾日になりぬほ こりをかづきて白き色なし片見世に茶筅土人形かぶり太鞁すこしは目馴し都めきて是 に力を得しばし休て此うれしさにあるじの老人に金子一兩とらしけるに猫に傘見せた るごとくいやな皃つきして茶の錢置給へといふさても京候此所十五里はなかりしに小 判見しらぬ里もあるよとをかしくなりぬそれより柏原といふ所に行てひさしく音信絶 て無事をもしらぬ姨のもとへ尋入て昔を語れば流石よしみとてむごからず親の茂介殿 の事のみいひ出して泪片手夜すがら咄し明ればうるはしき女らうに不思義を立いかな る御かたぞとたづね給ふに是さしあたつての迷惑此事までは分別もせずして是はわた くしの妹なるが年久しく御所方にみやづかひせしが心地なやみて都の物がたき住ひを 嫌ひ物しづかなるかゝる山家に似合の縁もかな身をひきさげて里の仕業の庭はたらき 望にて伴ひまかりける敷銀も貳百兩計たくはへありと何心もなく當座さばきに語りけ る何國もあれ欲の世中なれば此姨是におもひつきそれは幸の事こそあれ我一子いまだ 定る妻とてもなしそなたものかぬ中なれば是にと申かけられさても氣毒まさりける お さんしのびて泪を流し此行すゑいかゞあるべしと物おもふ所へ彼男夜更てかへりし其 樣すさまじやすぐれてせい高かしらは唐獅子のごとくちゞみあがりて髭は熊のまぎれ て眼赤筋立て光つよく足手其まゝ松木にひとしく身には割織を着て藤繩の組帯して鉄 炮に切火繩かますに菟狸を取入是を渡世すと見えける其名をきけば岩飛の是太郎とて 此里にかくれもなき惡人都衆と縁組の事を母親語りければむくつげなる男も是をよろ こび善はいそぎ今宵のうちにとびん鏡取出して面を見るこそやさしけれ母は盃の用意 とて塩目黒に口の欠たる酒徳利を取まはし筵屏風にて貳枚敷ほどかこひて木枕二つ薄 縁二枚横嶋のふとん一つ火鉢に割松もやして此夕一しほにいさみけるおさんかなしさ 茂右衞門迷惑かりそめの事を申出して是ぞ因果とおもひ定此口惜さまたもうきめに近 江の海にて死べき命をながらへしとても天我をのがさずと脇差取て立をおさん押とゞ めてさりとは短しさま%\分別こそあれ夜明て爰を立のくべし萬事は我にまかせ給へ と氣をしづめて其夜は心よく祝言の盃取かはし我は世の人の嫌ひ給ふひのへ午なると かたれば是太郎聞てたとへばひのへ猫にてもひのへ狼にてもそれにはかまはずそれが しは好で青どかけを喰てさへ死なぬ命今年廿八迄虫ばら一度おこらず茂右衞門殿も是 にはあやかり給へ女房共は上方そだちにして物にやはらかなるが氣にはいらねども親 類のふしやうなりとひざ枕してゆたかに臥けるかなしき中にもをかしくなつて寐入を 待かね又爰を立のきなほ奥丹波に身をかくしけるやう/\日數ふりて丹後路に入て切 戸の文珠堂につやしてまどろみしに夜半とおもふ時あらたに靈夢あり汝等世になきい たづらして何國までか其難のがれがたしされどもかへらぬむかしなり向後浮世の姿を やめて惜きとおもふ黒髪を切出家となり二人別/\に住て惡心さつて菩提の道に入ば 人も命をたすくべしとありがたき夢心にすゑ/\は何にならうともかまはしやるなこ ちや是がすきにて身に替ての脇心文珠樣は衆道ばかりの御合點女道は會てしろしめさ るまじといふかと思へばいやな夢覺て橋立の松の風ふけば塵の世じや物となほ/\や む事のなかりし