University of Virginia Library

三草合戰

平家の方には大將軍小松新三位中將資盛、同少將有盛、丹後侍從忠房、備中守師盛、侍大將には平内兵衞清家、海老次郎盛方を初として、都合其勢三千餘騎、小野原より三里隔てゝ三草山の西の山口に陣をとる。其夜の戌の刻ばかり、九郎御曹司、土肥次郎を召て、「平家は是より三里隔てて、三草山の西の山口に、大勢で引へたんなるは今夜夜討によすべきか、明日の軍か」と宣へば、田代冠者進み出でて申けるは、「明日の軍と延られなば、平家勢附候なんず。平家は三千餘騎、御方の御勢は一萬餘騎、遙の利に候。夜討好んぬと覺候。」と申ければ、土肥次郎、「いしうも申させ給ふ田代殿哉。さらば軈て寄せさせ給へ。」とて打立けり。兵共「暗さは暗し、如何せんずる。」と口々に申ければ、九郎御曹司「例の大たいまつは如何に。」と宣まへば、土肥次郎「さる事候。」とて、小野原の在家に火をぞ懸たりける。是を始て、野にも山にも草にも木にも火を付たれば、晝にはちとも劣らずして、三里の山をこえゆきけり。

此田代冠者と申は、父は伊豆國の先の國司、中納言爲綱の末葉也。母は狩野介茂光が娘を思うて設たりしを、母方の祖父に預けて、弓矢取にはしたてたりけり。俗姓を尋ぬれば、後三條院の第三の王子、資仁親王より五代の孫也。俗姓も好き上、弓矢を取ても好りけり。

平家の方には、其夜、夜討にせんずるをば知らずして、「軍は定めて明日の軍でぞ有んずらん。軍にも睡たいは大事の事ぞ。好う寢て軍せよ。」とて先陣は自用心するもありけれども、後陣の者ども、或は甲を枕にし、或は鎧の袖箙などを枕にして、先後も知らずぞ臥たりける。夜半ばかりに、源氏一萬騎、おしよせて、鬨をどと作る。平家の方には、餘りに遽噪いで、弓取る者は矢を知らず、矢取る者は弓を知らず、馬に當られじと中を明てぞ通しける。源氏は落行く敵をあそこに追懸け、こゝに追詰め攻ければ、平家の軍兵矢庭に五百餘騎討れぬ。手負者ども多かりけり。大將軍小松新三位中將、同少將、丹後侍從、面目なうや思はれけん、播磨國高砂より舟に乘て、讃岐の八島へ渡給ひぬ。備中守は平内兵衞海老次郎を召具して、一谷へぞ參られける。