University of Virginia Library

忠度最期

薩摩守忠度は、一谷の西手の大將軍にて坐けるが、紺地の錦の直垂に、黒絲威の鎧著て黒き馬の太う逞きに、沃懸地の鞍置て乘り給へり。其勢百騎ばかりが中に打圍れて、いと噪がず引へ引へ落給ふを、猪俣黨に岡部六彌太忠純、大將軍と目を懸け、鞭鐙を合せて追付奉り、「抑如何なる人でましまし候ぞ、名乘らせ給へ。」と申ければ、「是は御方ぞ。」とてふり仰ぎ給へる内甲より見入たれば、銕黒也。「あはれ御方には銕附たる人はない者を、平家の君達でおはするにこそ。」と思ひ、押竝てむずと組む。是を見て百騎ばかりある兵共、國々の假武者なれば一騎も落合はず、我先にとぞ落ゆきける。薩摩守「惡い奴かな。御方ぞと云はゞ云はせよかし。」とて熊野生立大力の疾態にておはしければ、やがて刀を拔き六彌太を馬の上で二刀、おちつく處で一刀、三刀迄ぞ突かれける。二刀は鎧の上なれば、透らず。一刀は、内甲へ突入られたれども、薄手なれば死なざりけるを、捕て押へ頸を掻んとし給ふ處を、六彌太が童、後馳に馳來て、討刀を拔き、薩摩守のかひなをひぢの本よりふと切り落す。今は角とや思はれけん、「暫退け、十念唱ん。」とて、六彌太をつかうで、弓長ばかり投除らる。其後西に向ひ高聲に十念唱へて、「光明遍照十方世界、念佛衆生攝取不捨。」と宣ひも果ねば、六彌太後よりよて、薩摩守の頸を討。好い大將討たりと思ひけれども、名をば誰とも知らざりけるに、箙に結び附られたる文を解て見れば、「旅宿花」といふ題にて一首の歌をぞ讀まれける。

ゆきくれて木の下陰を宿とせば、花やこよひの主ならまし。

忠度と書かれたりけるにこそ、薩摩守とは知てけれ。太刀の先に貫ぬき、高く差上げ、大音聲を揚て、「此日來平家の御方と聞えさせ給つる薩摩守殿をば、岡部の六彌太忠純討奉たるぞや。」と名乘ければ、敵も御方も是を聞いて、「あないとほし、武藝にも歌道にも達者にておはしつる人を。あたら大將軍を。」とて、涙を流し袖をぬらさぬは無りけり。