University of Virginia Library

越中前司最期

大手にも濱の手にも、武藏相摸の兵ども、命を惜まず攻戰ふ。新中納言は、東に向かて戰ひ給ふ處に、山のそばより寄ける兒玉黨使者を上て、「君は武藏國司でまし/\候し間、是は兒玉の者共が申候。御後をば御覽候ぬやらん。」と申。新中納言以下の人々、後を顧み給へば、黒煙推懸たり。「あはや西の手は破にけるは。」といふ程こそ有けれ、取る物も取敢ず、我先にとぞ落行ける。

越中前司盛俊は、山手の侍大將にて在けるが、今は落つとも叶はじとや思ひけん、引へて敵を待つ所に、猪俣の小平六則綱、好い敵と目を懸け、鞭鐙を合せて馳來り、押雙べてむずと組でどうと落つ。猪俣は八箇國に聞えたるしたゝか者也。鹿の角の一二の草かりをば、輒引裂けるとぞ聞えし。越中前司は二三十人が力態をする由人目には見えけれども内々は六七十人して上下す船を、唯一人して推上おし下す程の大力也。されば猪俣を取て抑て働さず。猪俣下に伏ながら刀を拔うとすれども、指はだかて、刀の柄を握にも及ばず、物を言はうとすれども、餘に強う推へられて、聲も出でず。既に頸を掻れんとしけるが、力は劣たれども心は剛なりければ、猪俣すこしもさわがず、暫く息をやすめ、さらぬ體にもてなして申けるは、「抑名乘つるは聞給ひて候か。敵をうつと云ふは、我も名乘て聞せ、敵にも名乘せて、頸を捕たればこそ大功なれ。名も知ぬ頸取ては何にかはし給ふべき。」と云はれて、實もとや思ひけん、「是は本平家の一門たりしが、身不肖なるに依て、當時は侍に成たる越中前司盛俊と云ふ者也。和君は何者ぞ、なのれ聞う。」と云ひければ、「武藏國の住人猪俣小平六則綱」と名乘る。「倩此世中の在樣を見るに、源氏の御方は強く、平家の御方は負け色に見えさせ給たり。今は主の世にましまさばこそ、敵の頸取て參せて、勳功勸賞にも預り給め。理を枉て則綱扶け給へ。御邊の一門、何十人も坐せよ。則綱が勳功の賞に申替て、扶け奉らん。」と云ければ、越中前司大に怒て、「盛俊身こそ不肖なれども、さすが平家の一門也。源氏憑うとは思はず、源氏又盛俊に憑れうともよも思はじ。惡い君が申樣哉。」とて、やがて頸を掻んとしければ、猪俣「まさなや、降人の頸掻樣や候。」越中前司「さらば助けん。」とて引起す。前は畠の樣にひあがて、究て固かりけるが、後は水田のこみ深かりける畔の上に、二人の者腰打懸て、息續居たり。

暫しあて、黒革威の鎧著て、月毛なる馬に乘たる武者一騎、馳來る。越中前司怪氣に見ければ、「あれは則綱が親う候人見四郎と申者で候。則綱が候を見て、詣で來と覺え候。苦う候まじい。」といひながら、「あれが近附たらん時に、越中前司に組んだらば、さりとも、落合はんずらん。」と思ひて待處に一段ばかり近附たり。越中前司、始めは二人を一目づゝ見けるが、次第に近う成ければ馳來る敵をはたと守て、猪俣を見ぬ隙に、力足を蹈で衝立上り、えいと云ひて、もろ手を以て越中前司が鎧の胸板をばはと突て、後の水田へのけに突倒す。起上らんとする處に、猪俣上にむずと乘りかゝり、やがて越中前司が腰の刀を拔き鎧の草摺ひきあげて、柄も拳も透れ/\と、三刀刺て頸を取る。さる程に人見四郎落合たり。か樣の時は論ずる事も有と思ひ、太刀の先に貫き、高く指上げ、大音聲を揚て、「此日比鬼神と聞えつる平家の侍越中前司盛俊をば、猪俣小平六則綱が討たるぞや。」と名乘て、其日の高名の一の筆にぞ附にける。