University of Virginia Library

返牒

案の如く、山門の大衆此状を披見して、僉議區々也。或は源氏に附んといふ衆徒もあり、或は又平家に同心せんと云大衆もあり。思々異議區々也。老僧共の僉議しけるは、詮ずる所、我等專金輪聖主天長地久と祈奉る。平家は當代の御外戚、山門に於て歸敬を致さる。去れば今に至る迄彼繁昌を祈誓す。然りといへども惡行法に過て、萬人是を背く。討手を國々へ遣すと云へ共、却て異賊の爲にほろぼさる。源氏は近年より以降、度々の軍に討勝て、運命開けんとす。何ぞ當山獨宿運盡ぬる平家に同心して、運命開くる源氏を背かんや。須く平家値遇の義を翻して、源氏合力の旨に任ずべき由、一味同心に僉議して、返牒を送る。木曾殿又家の子郎等を召集めて、覺明に此返牒を開かせらる。

六月十日の牒状、同十六日到來、披閲の處に數日の欝念一時に解散す。凡平家の惡逆累年に及で朝廷の騒動止時なし。事人口にあり、遺失するに能はず。夫叡岳に至ては、帝都東北の仁祠として、國家靜謐の精祈を致す。然るを、一天久しくかの夭逆に侵されて、四海鎭に、その安全を得ず。顯密の法輪なきが如く、擁護の神威屡すたる。此に貴家適累代武備の家に生れて、幸に當時清選の仁たり。豫じめ奇謀を囘らして忽に義兵を起す。萬死の命を忘れて一戰の功をたつ。其勞未だ兩年を過ぎざるに、其名既に四海に流る。吾山の衆徒、且且以て承悦す。國家の爲、累家の爲、武功を感じ、武略を感ず。此の如くならば、則山上の精祈空しからざる事を悦び、海内の衞護怠りなき事を知んぬ。自寺、他寺、常住の佛法、本社、末社、祭奠の神明、定て教法の再び榮えんことを喜び、崇敬のふるきに復せんことを隨喜し給ふらむ。衆徒等が心中、唯賢察を垂れよ。然則、冥には十二神將、醫王善逝の使者として凶賊追討の勇士にあひ加り、顯には三千の衆徒、暫く修學鑽仰の勤節を止て、惡侶治罰の官軍を扶けしめん。止觀十乘の梵風は、奸侶を和朝の外に拂ひ、瑜伽三密の法雨は、時俗を堯年の昔に囘さん。衆議かくの如し。倩是を察せよ。

壽永二年七月二日 大衆等

とぞ書たりける。