University of Virginia Library

紅葉

「ゆうに優う人の思附き參らする方も恐くは延喜天暦の帝と申すとも、爭でか是には勝るべき。」とぞ人申ける。大方は兼王の名を揚げ、仁徳の行を施させまします事も、君御成人の後清濁を分たせ給ひての上の返事にてこそ有るに、此君は無下に幼主の御時より、性を柔和に受させ給へり。去ぬる承安の比ほひ、御在位の始つかた、御年十歳許にも成せ給ひけん、餘に紅葉を愛せさせ給ひて、北の陣に小山を築せ、櫨楓の、色うつくしう紅葉したるを植させて、紅葉の山と名づけて、終日に叡覧有に、猶飽足せ給はず。然を或夜野分はしたなう吹て、紅葉を皆吹散し、落葉頗狼藉なり。殿守の伴の造朝ぎよめすとて、是を悉く掃捨ててけり。殘れる枝、散れる木葉をば掻聚て、風寒じかりけるあしたなれば、縫殿の陣にて、酒煖てたべける薪にこそしてんげれ。奉行藏人、行幸より先にと、急ぎ行て見るに、跡形なし。「如何に。」と問へば、「しか%\。」といふ。藏人大きに驚き、「あな淺まし。君のさしも執し思召されつる紅葉をか樣にしける淺ましさよ。知らず、汝等、只今禁獄流罪にも及び、我身も如何なる逆鱗にか預らんずらん。」と、歎く處に、主上いとゞしく夜のおとゞを出させ給ひも敢ず、かしこへ行幸成て、紅葉を叡覧なるに、無りければ、「如何に。」と御尋有に、藏人奏すべき方はなし、有の儘に奏聞す。天氣殊に御心好げに打笑せ給ひて、「『林間に酒を煖めて紅葉を燒く』と云ふ詩の心をば、其等には誰が教へけるぞや。優うも仕りける物哉。」とて、却て叡感に預し上は、敢て勅勘無りけり。

又安元の比ほひ、御方違の行幸有しに、さらでだに鶏人曉唱聲、明王の眠を驚す程にも成しかば、何も御寢覺がちにて、つや/\御寢もならざりけり。況や冱る霜夜の烈きには、延喜聖代、國土の民共いかに寒るらんとて、夜のおとゞにして、御衣を脱せ給ける事などまでも思召し出して、我帝徳の至ぬ事をぞ御歎有ける。やゝ深更に及んで、程遠く人の叫ぶ聲しけり。供奉の人々は聞附られざりけれども、主上聞召て、 「今叫ぶ者は何者ぞ。きと見て參れ。」と仰ければ、上臥したる殿上人、上日の者に 仰す。走り散て尋ぬれば、或辻に、怪の女童のながもちの蓋提て泣にてぞ有ける。「いかに。」と問へば、「主の女房の、院の御所に侍はせ給ふが、此程やうやうにし て、したてられつる御裝束が持て參る程に、只今男の二三人詣來て、奪取て罷りぬる ぞや。今は御裝束が有ばこそ、御所にもさぶらはせ給はめ。はかばかしう立宿せ給ふ べき親い御方も坐さず。此事思ひつゞくるに泣也。」とぞ申ける。さて彼女童を具し て參り、此由奏聞しければ、主上聞召て、「あな無慚。如何なる者のしわざにてか有 らん。堯の代の民は、堯の心のすなほなるを以て心とするが故に皆すなほ也。今の代 の民は、朕が心を以て心とするが故に、かたましき者朝に在て罪を犯す。此吾恥に非 ずや。」とぞ仰ける。「さて取られつらん衣は何色ぞ。」と御尋あれば、「然々の 色。」と奏す。建禮門院の未中宮にておはしましける時なり。其御方へ、「さやうの色したる御衣や候。」と仰ければ、先のより遙に美きが參たりけるを、件の女童にぞ賜せける。「未夜深し、又さる目にもや逢ふ。」とて、上日の者をつけて、主の女房の局まで送せましましけるぞ忝き。されば怪の賤の男、賤の女に至る迄、只此君千秋萬歳の寶算をぞ祈り奉る。