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鼬沙汰

さる程に法皇は、「遠き國へも流され遙の島へも移んずるにや。」と仰せけれども、城南の離宮にして、今年は二年に成せ給ふ。同五月十二日午刻許、御所中には鼬夥う走騒ぐ。法皇大に驚き思食し御占形を遊いて、近江守仲兼、其比は未鶴藏人と召されけるを召て、「此占形持て泰親が許へ行き、屹と勘させて、勘状を取て參れ。」とぞ仰ける。仲兼是を賜はて、陰陽頭安倍泰親が許へ行く、折節宿所には無りけり。白川なる所へと言ければ、其へ尋ゆき、泰親に逢うて、勅定の趣仰すれば、軈て勘状を參せけり。仲兼、鳥羽殿に歸り參て門より參らうとすれば、守護の武士共許さず。案内は知たり、築地を越え大床の下を這て、切板より泰親が勘状をこそ參せたれ。法皇是をあけて御覽ずれば、「今三日がうちの御悦竝に御歎。」とぞ申たる。法皇「御悦は然るべし。是程の御身に成て又いかなる御歎のあらんずるやらん。」とぞ仰ける。

さる程に前右大將宗盛卿、法皇の御事をたりふし申されければ、入道相國漸思直て、同十三日鳥羽殿を出奉り、八條烏丸美福門院の御所へ御幸なし奉る。今三日が中の御悦とは泰親是をぞ申ける。

かゝりける所に、熊野別當湛増、飛脚を以て、高倉宮の御謀反の由都へ申たりければ、前右大將宗盛卿大に騒で、入道相國折節福原に坐けるに、此由申されたりければ、聞きもあへず、やがて都へ馳のぼり、「是非に及べからず。高倉宮搦取て、土佐の畑へ流せ。」とこそ宣けれ。上卿は三條大納言實房、職事は頭辨光雅とぞ聞えし。源大夫判官兼綱、出羽判官光長承て、宮の御所へぞ向ひける。此源大夫判官と申は、三位入道の次男なり。然るを此人數に入られける事は、高倉宮の御謀反を、三位入道勸め申たりと、平家未知ざりけるに依て也。