University of Virginia Library

烽火之沙汰

是は君の御理にて候へば、叶はざらむまでも院御所法住寺殿を守護し参らせ候べし。其故は重盛叙爵より今大臣の大將に至迄、併ら君の御恩ならずと云ふ事なし。其恩の重き事を思へば、千顆萬顆の玉にも越え、其恩の深き色を案ずれば、一入再入の紅にも過たらん。然れば院中に参り籠り候べし。其儀にて候はば、重盛が身に代り、命に代らんと契りたる侍共、少少候らん。是等を召具して、院の御所法住寺殿を守護しまゐらせ候はば、さすが以の外の御大事でこそ候はんずらめ。悲哉、君の御爲に奉公の忠を致んとすれば、迷盧八萬の頂より猶高き父の恩忽に忘れんとす。痛哉、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御爲に已に不忠の逆臣と成ぬべし。進退惟谷れり。是非いかにも辨へ難し。申請る所詮は、唯重盛が頸を召され候へ。院中をも守護し参らすべからず。院参の御供をも仕るべからず。かの蕭何は大功かたへに越たるに依て、官大相國に至り、劔を帶し沓を履ながら殿上に昇る事を許されしか共、叡慮に背く事あれば、高祖重う警て、深う罪せられにき。か樣の先蹤を思ふにも、富貴と云ひ、榮花と云ひ、朝恩と云ひ、重職と云ひ、旁極させ給ぬれば、御運の盡ん事難かるべきに非ず。何迄か命生て、亂れん世をも見候べき。唯末代に生を受けて、かゝる憂目に逢候重盛が果報の程こそ拙う候へ。只今侍一人に仰附て、御坪の内に引出されて、重盛が首の刎られん事は、易い程の事でこそ候へ。是おの/\聞給へ。」とて直衣の袖も絞る許に涙を流し、かき口説かれければ、一門の人々、心あるも心なきも皆袖をぞ濕れける。

太政入道も、頼切たる内府はか樣に宣ふ。力もなげにて、「いや/\是迄は思も寄さうず。惡黨共が申す事につかせ給ひて、僻事などや出こむずらんと思ふ計でこそ候へ。」とのたまへば、大臣、「縱如何なる僻事出來候とも、君をば何とかし参らせ給ふべき。」とて、つい立て中門に出で侍共に仰られけるは、「唯今重盛が申しつる事をば、汝等承ずや。今朝より是に候うてか樣の事共申靜むと存じつれ共、餘にひた噪に見えつる間、歸りたりつる也。院参の御供に於ては、重盛が頸の召されむを見て仕れ。さらば人参れ。」とて、小松殿へぞ歸られける。主馬判官盛國を召て、「重盛こそ天下の大事を別して聞出したれ。我を我と思はん者共は、皆物具して馳参れと披露せよ。」と宣へば、此由披露す。「朧げにては噪がせ給はぬ人の、かゝる披露の有は別の仔細のあるにこそ。」と、皆物具して我も/\と馳参る。淀、羽束師、宇治、岡屋、日野、勸修寺、醍醐、小栗栖、梅津、桂、大原、靜原、芹生の里に溢居たる兵共或は鎧著て、未甲を著ぬもあり、或は矢負て未弓を持たぬもあり。片鐙蹈や蹈まずにて、周章噪いで馳参る。小松殿に噪ぐ事ありと聞えしかば、西八條に數千騎ありける兵共、入道にかうとも申も入ず、さざめき連て、皆小松殿へぞ馳たりける。少しも弓箭に携る程の者は一人も殘ず。其時入道大に驚き、貞能を召て、「内府は何と思ひて、是等をば呼とるやらん。是で言つる樣に、入道が許へ討手などや向んずらん。」と宣へば、貞能涙をはら/\と流いて「人も人にこそ依せ給ひ候へ。爭かさる御事候べき。これにて申させ給ひつる事共も、皆御後悔ぞ候らん。」と申ければ、入道、内府に中違うては、惡かりなんとや思はれけん。法皇仰参らせん事も、はや思とゞまり、腹卷脱おき、素絹の衣に袈裟打掛て、最心にも起らぬ念誦してこそ坐しけれ。

小松殿には、盛國承て著到附けり。馳参たる勢共、一萬餘騎とぞ註いたる。著到披見の後、大臣中門に出て侍共に宣けるは、日比の契約を違へずして参たるこそ神妙なれ。異國にさるためし有り。周の幽王、褒と云最愛の后をもち給へり。天下第一の美人なり。され共幽王の御心にかなはざりける事は、褒笑をふくまずとて、惣て此后笑ふ事をし給はず。異國の習には、天下に兵革起る時、所々に火を擧げ、大鼓を撃て、兵を召す謀有り。是を烽火と名付たり。或時天下に兵亂起て、烽火を揚たりければ、后是を見給ひて、『あな不思議、火もあれ程多かりけるな。』とて、其時始て笑給へり。此后一度笑ば百の媚有りけり。幽王嬉き事にして、其事となう、常に烽火を擧給ふ。諸候來に寇なし。寇なければ即ち去ぬ。加樣にする事度々に及べば、参る者も無りけり。或時隣國より凶賊起て、幽王の都を攻けるに、烽火をあぐれ共、例の后の火に慣て、兵も参らず。其時都傾て、幽王終に亡にき。さてこの后は野干と成て走失けるぞ怖き。か樣の事在なれば、自今以後も、是より召んには、みなかくの如くに参るべし。重盛不思議の事を聞出して召つるなり。され共此事聞直しつ、僻事にてありけり。疾う/\歸れ。」とて、皆歸されけり。實にはさせる事をも聞出されざりけれ共父を諫め被申つる詞に順ひ、我身に勢の著か、著ぬかの程をも知り、又父子軍をせんとにはあらねども、角して入道相國の謀反の志も和げ給ふとの謀也。「君雖不君、不可臣以下臣、父雖不父不可子以不子。君の爲には忠有て、父の爲には孝あれ。」と文宣王の宣けるに不違。君の此由聞召て、「今に始ぬ事なれ共、内府が心の中こそ愧しけれ。あたをば恩を以て報ぜられたり。」とぞ仰ける。「果報こそ目出たうて、大臣の大將にこそ至らめ。容儀帶佩人に勝れ、才智才學さへ世に超たるべしやは。」とぞ時の人々感じ合れける。「國に諫る臣あれば、其國心安く、家に諫る子あれば、其家必たゞし。」と云へり。上古にも末代にも有がたかりし大臣なり。