University of Virginia Library

山門滅亡

其後は山門彌荒はてゝ、十二禪衆の外は、止住の僧侶も稀なり、谷々の講演磨滅して、堂堂の行法も退轉す。修學の窓を閉ぢ、坐禪の床を空うせり。四教五時の春の花も香はず、三諦即是の秋の月も曇れり。三百餘歳の法燈を挑る人もなく、六時不斷の香の煙も、絶やしぬらん。堂舎高く聳えて、三重の構を青漢の内に挿み、棟梁遙に秀て、四面の椽を白霧の間に懸たりき。され共今は供佛を嶺の嵐に任せ、金容を紅瀝に濡す。夜の月燈を挑て檐の隙より漏り、曉の露珠を垂れて蓮座の粧を添とかや。夫末代の俗に至ては、三國の佛法も次第に衰微せり。遠く天竺に佛跡を弔へば、昔佛の法を説給ひし竹林精舎、給孤獨園も此比は狐狼野干の栖と成て、礎のみや殘るらん。白鷺池には水絶て、草のみ深くしげれり。退梵下乘の卒都婆も苔のみむして傾きぬ。震旦にも天台山、五臺山、白馬寺、玉泉寺も、今は住侶なく樣々に荒果て、大小乘の法門も、箱の底にや朽ぬらん。我朝にも南都七大寺荒果て、八宗九宗も跡絶え、愛宕高雄も昔は堂塔軒を竝たりしか共、一夜の中に荒にしかば、天狗の栖と成り果てぬ。さればにや、さしも止事無りつる天台の佛法も、治承の今に及で、亡果ぬるにやと、心有る人歎悲まずと云事なし。離山しける僧の坊の柱に、歌をぞ一首書いたりける。

祈りこし我立杣のひきかへて、人なき嶺となりや果なん。

是は傳教大師、當山草創の昔、阿耨多羅三藐三菩提の佛たちに、祈申されける事を、思ひ出て詠たりけるにや。いと優うぞ聞えし。八日は藥師の日なれども、南無と唱る聲もせず。卯月は垂跡の月なれ共幣帛を捧る人もなし。朱の玉垣神さびて、しめ繩のみや殘るらん。