University of Virginia Library

徳大寺殿之沙汰

爰に徳大寺の大納言實定卿は、平家の次男宗盛卿に大將を越られて、暫籠居し給へり。出家せんと宣へば、諸大夫侍共、いかがせんと歎合り。其中に藤藏人重兼と云ふ諸大夫あり。諸事に心得たる人にて、或月の夜、實定卿南面の御格子上させ、只獨月に嘯て御座ける處に、慰さめまゐらせんとや思ひけん、藤藏人參りたり。「誰そ。」「重兼候。」「如何になに事ぞ。」と宣へば、「今夜は特に月さえて萬心のすみ候まゝに、參て候。」とぞ申ける。大納言、「神妙に參たり。餘りに何とやらん心細うて徒然なるに。」とぞ仰られける。其後何と無い事共申て慰め奉る。大納言宣けるは、「倩此世の中の有樣を見るに、平家の世は彌盛なり。入道相國の嫡子、次男、左右の大將にてあり。やがて三男知盛、嫡孫維盛もあるぞかし。彼も是も次第にならば、他家の人々、大將をいつ當附べしともおぼえず。されば終の事なり。出家せん。」とぞ宣ける。重兼涙をはら/\と流いて申けるは、「君の御出家候なば、御内の上下皆惑者に成候ひなんず。重兼、珍い事をこそ案出して候へ。譬ば安藝の嚴島をば、平家斜ならず崇敬はれ候に、何かは苦しう候べき、彼宮へ御參あり、御祈誓候へかし。七日計御參籠候はゞ、彼社には内侍とて、優なる舞姫共おほく候。珍しう思參せて、持成參せ候はんずらん。何事の御祈誓に御參籠候やらんと申候はば、有の儘に仰候へ。さて御上の時御名殘惜みまゐらせ候はんずらん。むねとの内侍共召具して都迄御上候へ。都へ上なば、西八條へぞ參候はんずらん。『徳大寺殿は何事の御祈誓に嚴島へは參らせ給ひたりけるやらん。』と尋られ候はゞ内侍共有の儘に申候はむずらん。入道相國はことに物めでし給ふ人にて、我崇め給ふ御神へ參て、祈申されけるこそ嬉しけれとて、好き樣なる計ひもあんぬと覺え候。」と申ければ徳大寺殿、「是こそ思ひも寄ざりつれ。ありがたき策かな。軈て參む。」とて、俄に精進始めつゝ、嚴島へぞ參られける。

誠に彼宮には内侍とて優なる女共多かりけり。七日參籠せられけるに、夜晝著副奉りもてなす事限りなし。七日七夜の間に舞樂も三度までありけり。琵琶、琴ひき、神樂、舞歌ひなど遊ければ、實定卿も面白き事におぼしめし、神明法樂の爲に今樣、朗詠歌ひ、風俗、催馬樂などありがたき郢曲どもありけり。内侍共「當社へは、平家の公達こそ御參候ふに、この御まゐりこそ珍しう候へ。何事の御祈誓、御參籠さぶらふやらん。」と申ければ、「大將を人に越えられたる間、其祈の爲也。」とぞ被仰ける。さて七日參籠畢て、大明神に暇申て都へ上らせ給ふに、名殘を惜み奉り、むねとの若き内侍十餘人、船押立て一日路を送り奉る。暇申けれども、さりとては餘に名殘の惜きに、今一日路、今二日路と仰られて都までこそ具せられけれ。徳大寺の邸へ入させ給ひて、樣々にもてなし、樣々の御引出物共たうでかへされけり。

内侍共これまで上る程では、我等が主の太政入道殿へいかで參らであるべきとて、西八條へぞ參じたる。入道相國急ぎ出合給ひて、「如何に内侍共は何事の列參ぞ。」「徳大寺殿の御參候うて七日こもらせ給ひて御上り候を一日路送り參せて候へば、さりとては餘りに、名殘の惜きに、今一日路二日路と仰られて、是まで召具せられて候ふ。」「徳大寺は何事の祈誓に、嚴島までは參られたりけるやらん。」との給へば、「大將の御祈の爲とこそ仰られ候ひしか。」其時入道打うなづいて、「あないとほし、王城にさしも尊き靈佛靈社の幾も御座を指置て、我が崇め奉る御神へ參て祈申されけるこそありがたけれ。是程志切ならむ上は。」とて、嫡子小松殿内大臣の左大將にてましましけるを辭せさせ奉り、次男宗盛大納言の右大將にて御座けるを超させて、徳大寺を左大將にぞ成されける。あはれ目出度かりける策かな。新大納言も、か樣に賢き計らひをばし給はで、由なき謀反おこいて、我身も滅び、子息所從に至るまで、かゝる憂目を見せ給ふこそうたてかりけれ。