University of Virginia Library

大原入

されども冷泉大納言隆房卿の北方、七條修理大夫信隆卿の北方しのびつゝやう/\に訪ひ申させ給ひけり。「あの人共のはぐくみで有るべしとこそ昔は思はざりしか。」とて女院御涙を流させ給へば、附參せたる女房達も、皆袖をぞ絞られける。

此御すまひも猶都近く、玉鉾の道行人の人目も繁くて、露の御命の風を待ん程は、憂事きかぬ深き山の奧へも入なばやとはおぼしけれども、さるべき便もましまさず。或女房の參て申けるは、「大原山の奧寂光院と申處こそ、靜かに候へ。」と申ければ。「山里は、物のさびしき事こそあるなれども、世の憂よりは住よかんなるものを。」とて、思食し立せ給ひけり。御輿などは隆房卿の北方の御沙汰有けるとかや。文治元年長月の末に、かの寂光院へ入らせ給ふ。道すがら四方の梢の色々なるを、御覽じ過させ給ふ程に、山陰なればにや、日も既に暮かゝりぬ。野寺の鐘の入相の音すごく、分る草葉の露滋み、いとど御袖濕勝、嵐烈く木の葉亂りがはし。空かき曇り、いつしか打時雨つゝ、鹿の音幽に音信て、蟲の恨も絶々なり。とにかくに取集たる御心細さ、譬へ遣べき方もなし。浦傳ひ島傳ひせし時も、さすがかくは無かりしものをと思召こそ悲けれ。岩に苔むして、寂たる處なりければ、住まほしうぞ思しめす。露結ぶ庭の萩原霜枯れて、籬の菊のかれ/\に、移ろふ色を御覽じても、御身の上とや覺しけん。

佛の御前へ參せ給ひて、「天子聖靈、成等正覺、頓證菩提。」と祈り申させ給ふにつけても先帝の御面影、ひしと御身に傍ひて、如何ならん世にか思召忘れさせ給ふべき。さて寂光院の傍に、方丈なる御庵室を結んで、一間をば御寢所に定め、一間をば佛所に定め、晝夜朝夕の御勤、長時不斷の御念佛、怠る事なくて月日を送らせ給ひけり。

かくて神無月中の五日の暮方に、庭に散敷くならの葉を蹈鳴して聞えければ、女院、「世を厭ふ處に、何者の問ひ來るやらん。あれ見よや。しのぶべき者ならば急ぎ忍ばん。」とてみせらるるに小鹿の通るにてぞ有ける。女院「如何に。」と御尋あれば大納言佐殿涙を押て、

岩根ふみたれかはとはんならの葉の、そよぐは鹿の渡るなりけり。

女院哀に思食し、窓の小障子に此歌を遊ばし留させ給ひけり。

かゝる御つれ%\の中に、思しめしなぞらふる事どもは、つらき中にも餘たあり。軒に竝べる樹をば、七重寶樹とかたどれり。岩間に積る水をば、八功徳水と思食す。無常は春の花、風に隨てちりやすく、有涯は秋の月、雲に伴て隱易し。昭陽殿に花を翫びし朝には、風來て匂を散し、長秋宮に月を詠ぜし夕には、雲掩て光を藏す。昔は玉樓金殿に錦の褥をしき、妙なりし御すまひなりしかども、今は柴引結ぶ草の庵、餘所の袂もしをれけり。