四十四
堅い口留をして、ふとそれ等の事をお鈴に
洩
(
もら
)
したお島は、それを又お鈴から聞いて、
宛然
(
さながら
)
姦通
(
かんつう
)
の
手証
(
てしょう
)
でも押えたように騒ぎたてる、隠居の病的な
苛責
(
かしゃく
)
からおゆうを
庇護
(
かば
)
うことに骨がおれた。
宵の口に、お島にすかし
宥
(
なだ
)
められて、一度眠りについた隠居は、
衆
(
みんな
)
がこれから寝床につこうとしている時分に、目がさめて来ると、広々した
蚊帳
(
かや
)
のなかに起き坐って、さも退屈な夜の長さに
倦
(
う
)
み果てたように、
四下
(
あたり
)
を見回していた。
宵に母親に
警
(
いまし
)
め責められた房吉は、隠居がじりじりして
業
(
ごう
)
を
煮
(
にや
)
せば煮すほど、その事には冷淡であった。遊人などを
近
(
ちかづ
)
けていた母親の過去を見せられて来た房吉の目には、彼女の苦しみが、
滑稽
(
こっけい
)
にも
莫迦々々
(
ばかばか
)
しくも見えた。
「誰のためでもない、みんなお前が可愛いからだ」
※弱
(
ひよわ
)
かった
幼
(
ちいさ
)
い頃の房吉の養育に、気苦労の多かったことなどを言立てる隠居の
言
(
ことば
)
を、好い加減に房吉は聞流していた。
「不義した女を出すことが出来ないような
腑
(
ふ
)
ぬけと、一生暮そうとは思わない。
私
(
わし
)
の方から出ていくからそう思うがいい」
思っていることの半分も言えない房吉は、それでも二言三言
辞
(
ことば
)
を返した。
「そんな事があったか
否
(
ない
)
か知らないけれど、
私
(
あっし
)
の家内なら、
阿母
(
おっか
)
さんは黙ってみていたらいいでしょう。一体誰がそんな事を言出したんです」
隠居の肩を
揉
(
も
)
んでいたお島は、それを聴きながら顔から火が出るように思ったが、
矢張
(
やっぱり
)
房吉を
歯痒
(
はがゆ
)
く思った。
無成算な、その日その日の無駄な働きに、一夏を過して来たお島は、習慣でそうして来た隠居の機嫌取や、親子の間の争闘の
取做
(
とりなし
)
にも疲れていた。寝苦しい晩などには、お島は自分自身の肉体の苦しみが、まだ戸もしめずに、いつまでもぼそぼそ話声のもれている若夫婦の
寝室
(
ねま
)
の方へも見廻ってみる、隠居と一つに神経を働かせた。
「まあ、そんな事はいいでしょう」お島は
外方
(
そっぽう
)
を向きながら鼻で笑った。
「お前がそんな二本棒だから、おゆうが好きな
真似
(
まね
)
をするんだ。お前が承知しても、この私が承知できない。さあ今夜という今夜は、立派におゆうの処分をしてみせろ。それが出来ないような意気地なしなら、首でも
縊
(
くく
)
って
一思
(
ひとおも
)
いに死んでしまえ」
それよりも、部屋で泣伏しているおゆうの
可憐
(
いじら
)
しい姿に、心の
惹
(
ひ
)
かるる房吉は、やがてその
傍
(
そば
)
へ寄って、優しい
辞
(
ことば
)
をかけてやりたかった。
妊娠
(
みもち
)
だと云うことが、一層男の
愛憐
(
あいれん
)
を
唆
(
そそ
)
った。
お島にささえられないほどの力を出して、隠居が
剃刀
(
かみそり
)
を
揮
(
ふり
)
まわして、二人のなかへ割って入ったとき、おゆうは
寝衣
(
ねまき
)
のまま、
跣足
(
はだし
)
で縁から外へ飛出していった。