〔かどで〕 (Sarashina Nikki) | ||
〔宮仕へ〕
十月になりて京にうつろふ。はゝ、あまになりて、おなじ家の内なれど、かたことに すみなれてあり。てゝはたゞ我をおとなにしすへて、我は世にもいでまじらはず、か げにかくれたらむやうにてゐたるを見るも、たのもしげなく心ぼそくおぼゆるに、き こしめすゆかりある所に、「なにとなくつれづれに心ぼそくてあらむよりは」とめす を、こだいのおやは、宮づかへ人はいとうき事也と思て、すぐさするを、「今の世の 人は、さのみこそはいでたて。さてもをのづからよきためしもあり。さても心見よ」 といふ人々ありて、しぶしぶにいだしたてらる。
まづ一夜まいる。きくのこくうすき八ばかりに、こきかいねりをうへにきたり。さこ そ物がたりにのみ心をいれて、それを見るよりほかにゆきかよふるい、しぞくなどだ にことになく、こだいのおやどものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかの事 はなきならひに、たちいづるほどの心地、あれかにもあらず、うつゝともおぼえで、 あかつきにはまかでぬ。
さとびたる心地には、中々、さだまりたらむさとずみよりは、おかしき事をも見きゝ て、心もなぐさみやせむと思おりおりありしを、いとはしたなくかなしかるべきこと にこそあべかめれとおもへど、いかゞせむ。しはすになりて又まいる。つぼねしてこ のたびは日ごろさぶらふ。うへには時々、よるよるものぼりて、しらぬ人の中にうち ふして、つゆまどろまれず。はづかしうものゝつゝましきまゝに、しのびてうちなか れつゝ、あかつきには夜ふかくおりて、ひぐらし、てゝのおいおとろへて、我をこと しもたのもしからむかげのやうに思たのみ、むかひゐたるに、こひしくおぼつかなく のみおぼゆ。はゝなくなりにしめひどもも、むまれしよりひとつにて、よるはひだり みぎにふしおきするも、あはれに思いでられなどして、心もそらにながめくらさる。 たちぎき、かいまむ人のけはひして、いといみじくものつゝまし。
十日ばかりありてまかでたれば、てゝはゝ、すびつに火などをこしてまちゐたりけり。 くるまよりおりたるをうち見て、「おはする時こそ人めも見え、さぶらひなどもあり けれ、この日ごろは人ごゑもせず、まへに人かげも見えず、いと心ぼそくわびしかり つる。かうてのみも、まろが身をば、いかゞせむとかする」とうちなくを見るもいと かなし。つとめても、「けふはかくておはすれば、うちと人おほく、こよなくにぎ わゝしくもなりたるかな」とうちいひて
も、い とあはれに、なにのにほひあるにかとなみだぐましうきこゆ。ひじりなどすら、さきの世のことゆめに見るは、いとかたかなるを、いとかう、あと はかないやうに、はかばかしからぬ心地に、ゆめに見るやう、きよ水のらい堂にゐた れば、別当とおぼしき人いできて、「そこはさきの生に、このみてらのそうにてなむ ありし。仏師にて、ほとけをいとおほくつくりたてまつりしくどくによりて、ありし すざうまさりて、人とむまれたるなり。このみだうの東におはする丈六の仏は、そこ のつくりたりし也。はくををしさしてなくなりにしぞ」と。「あないみじ。さは、あ れにはくおしたてまつらむ」といへば、「なくなりにしかば、こと人はくをしたてま つりて、こと人くやうもしてし」と見てのち、きよ水にねむごろにまいりつかうまつ らましかば、さきの世にそのみてらに仏ねむじ申けむちからに、をのづからようもや あらまし。いといふかひなく、まうでつかうまつることもなくてやみにき。
十二月廿五日、宮の御仏名にめしあれば、その夜ばかりと思てまいりぬ。しろききぬ どもに、こきかいねりをみなきて、四十余人ばかりいでゐたり。しるべしいでし人の かげにかくれて、あるが中にうちほのめいて、あか月にはまかづ。ゆきうちちりつゝ、 いみじくはげしくさえこほるあかつきがたの月の、ほのかにこきかいねりのそでにう つれるも、げにぬるゝかほなり。みちすがら、
かうたちいでぬとならば、さても、宮づかへの方にもたちなれ、世にまぎれたるも、 ねぢけがましきおぼえもなきほどは、をのづから人のやうにもおぼしもてなさせ給や うもあらまし。おやたちもいと心えず。ほどもなくこめすへつ。さりとてそのありさ まの、たちまちにきらきらしきいきほひなどあんべいやうもなく、いとよしなかりけ るすゞろ心にても、ことのほかにたがひぬるありさまなりかし。
とばかりひとりごたれてやみぬ。
そのゝちはなにとなくまぎらはしきに、ものがたりのことも、うちたえわすられて、 物まめやかなるさまに、心もなりはててぞ、などて、おほくの年月を、いたづらにて ふしをきしに、をこなひをも物まうでをもせざりけむ。このあらましごととても、思 しことどもは、この世にあんべかりけることどもなりや。ひかる源氏ばかりの人は、 この世におはしけりやは。かほる大将の宇治にかくしすへ給べきもなき世なり。あな 物くるをし、いかによしなかりける心也と思しみはてて、まめまめしくすぐすとなら ば、さてもありはてず、まいりそめし所にも、かくかきこもりぬるを、まことともお ぼしめしたらぬさまに人々もつげ、たえずめしなどする、中にも、わざとめして、わ かいひとまいらせよとおほせらるれば、えさらずいだしたつるにひかされて、又時々 いでたてど、すぎにし方のやうなるあいなだのみの心をごりをだに、すべきやうもな くて、さすがにわかい人にひかれて、おりおりさしいづるにも、なれたる人は、こよ なく、なにごとにつけてもありつきがほに、我はいとわかうどにあるべきにもあらず、 又おとなにせらるべきおぼえもなく、時々のまらうどにさしはなたれて、すゞろなる やうなれど、ひとへにそなたひとつをたのむべきならねば、我よりまさる人あるも、 うらやましくもあらず、中々心やすくおぼえて、さんべきおりふしまいりて、つれづ れなる、さんべき人と
、めでたきことも、お かしくおもしろきおりおりも、わが身はかやうにたちまじり、いたく人にも見しられ むにも、はゞかりあんべければ、たゞおほかたの事にのみききつゝすぐすに、内の御 ともにまいりたるおり、ありあけの月いとあかきに、わがねむじ申すあまてる御神は 内にぞおはしますなるかし。かゝるおりにまいりておがみたてまつらむと思て、四月 ばかりの月のあかきに、いとしのびてまいりたれば、はかせの命婦はしるたよりあれ ば、とうろの火のいとほのかなるに、あさましくおい神さびて、さすがにいとよう物 などいひゐたるが、人ともおぼえず、神のあらはれたまへるかとおぼゆ。又の夜も、月のいとあかきに、ふぢつぼのひむがしのとをゝしあけて、さべき人々物 がたりしつゝ、月をながむるに、むめつぼの女御のゝぼらせ給なるをとなひ、
人々いひいづる、げにいとあはれなりかし。冬になりて、月なく、ゆきもふらずながら、ほしのひかりに、そらさすがにくま なくさえわたりたる夜のかぎり、殿の御方にさぶらふ人々と物がたりしあかしつゝ、 あくればたちわかれわかれしつゝ、まかでしを、思いでければ、
我もさ思ことなるを、おなじ心なるも、おかしうて
御前にふしてきけば、池の鳥どものよもすがら、こゑごゑはぶきさはぐをとのするに、 めもさめて、
とひとりごちたるを、かたわらにふし給へる人ききつけて、
かたらふ人どち、つぼねのへだてなるやりどをあけあはせて物がたりなどしくらす日、 又、かたらふ人の、うへにものしたまふをたびたびよびおろすに、「せちにことあら ばいかむ」とあるに、かれたるすゝきのあるにつけて、
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