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下 先生と遺書
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3. 下 先生と遺書

 「‥‥私は此夏あなたから二三度手紙を受け取りました。東京で相當の地位を 得たいから宜しく頼むと書いてあつたのは、たしか二度目に手に入つたものと記憶し てゐます。私はそれを讀んだ時何とかしたいと思つたのです。少なくとも返事を上げ なければ濟まんとは考へたのです。然し自白すると、私はあなたの依頼に對して、丸 で努力をしなかつたのです。御承知の通り、交際區域の狹いといふよりも、世の中に たつた一人で暮してゐるといつた方が適切な位の私には、さういふ努力を敢てする餘 地が全くないのです。然しそれは問題ではありません。實をいふと、私はこの自分を 何うすれば好いのかと思ひ煩らつてゐた所なのです。此儘人間の中に取り殘されたミ イラの樣に存在して行かうか、それとも‥‥其時分の私は『それとも』といふ言葉を 心のうちで繰り返すたびにぞつとしました。馳足で絶壁の端迄來て、急に底の見えな い谷を覗き込んだ人のやうに。私は卑怯でした。さうして多くの卑怯な人と同じ程度 に於て煩悶したのです。遺憾ながら、其時の私には、あなたといふものが殆んど存在 してゐなかつたと云つても誇張ではありません。一歩進めていふと、あなたの地位、 あなたの糊口の資、そんなものは私にとつて丸で無意味なのでした。何うでも構はな かつたのです。私はそれ所の騒ぎでなかつたのです。私は状差へ貴方の手紙を差した なり、依然として腕組をして考へ込んでゐました。宅に相應の財産があるものが、何 を苦しんで、卒業するかしないのに、地位々々といつて藻掻き廻るのか。私は寧ろ 苦々しい氣分で、遠くにゐる貴方に斯んな一瞥を與へた丈でした。私は返事を上げな ければ濟まない貴方に對して、言譯のために斯んな事を打ち明けるのです。あなたを 怒らすためにわざと無躾な言葉を弄するのではありません。私の本意は後を御覧にな れば能く解る事と信じます。兎に角私は何とか挨拶すべきところを默つてゐたのです から、私は此怠慢の罪をあなたの前に謝したいと思ひます。

 其後私はあなたに電報を打ちました。有體に云へば、あの時私は一寸貴方に會 ひたかつたのです。それから貴方の希望通り私の過去を貴方のために物語りたかつた のです。あなたは返電を掛けて、今東京へは出られないと斷つて來ましたが、私は失 望して永らくあの電報を眺めてゐました。あなたも電報丈では氣が濟まなかつたと見 えて、又後から長い手紙を寄こして呉れたので、あなたの出京出來ない事情が能く解 りました。私はあなたを失禮な男だとも何とも思ふ譯がありません。貴方の大事な御 父さんの病氣を其方退けにして、何であなたが宅を空けらるものですか。その御父さ んの生死を忘れてゐるやうな私の態度こそ不都合です。――私は實際あの電報を打つ 時に、あなたの御父さんの事を忘れてゐたのです。其癖あなたが東京にゐる頃には、 難症だからよく注意しなくつては不可いと、あれ程忠告したのは私ですのに。私は斯 ういふ矛盾な人間なのです。或は私の惱髓よりも、私の過去が私を壓迫する結果斯ん な矛盾な人間に私を變化させるのかも知れません。私は此點に於ても充分私の我を認 めてゐます。あなたに許して貰はなくてはなりません。

 あなたの手紙、――あなたから來た最後の手紙――を讀んだ時、私は惡い事を したと思ひました。それで其意味の返事を出さうかと考へて、筆を執りかけましたが、一行も書かずに已めました。何うせ書くなら、此手紙を書いて上げたかつたから、さ うして此手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已めにしたのです。私がたゞ 來るに及ばないといふ簡單な電報を再び打つたのは、それが爲です。

 「私はそれから此手紙を書き出しました。平生筆を持ちつけない私には、自分 の思ふやうに、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。私はもう少しで、 貴方に對する私の此義務を放擲する所でした。然しいくら止さうと思つて筆を擱いて も、何にもなりませんでした。私は一時間經たないうちに又書きたくなりました。貴 方から見たら、是が義務の遂行を重んずる私の性格のやうに思はれるかも知れません。私もそれは否みません。私は貴方の知つてゐる通り、殆んど世間と交渉のない孤獨な 人間ですから、義務といふ程の義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも 根を張つて居りません。故意か自然か、私はそれを出來る丈切り詰めた生活をしてゐ たのです。けれども私は義務に冷淡だから斯うなつたのではありません。寧ろ鋭敏過 ぎて刺戟に堪へる丈の精力がないから、御覧のやうに消極的な月日を送る事になつた のです。だから一旦約束した以上、それを果さないのは、大變厭な心持です。私はあ なたに對して此厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆を又取り上げなければならな いのです。

 其上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過 去は私丈の經驗だから、私丈の所有と云つても差支ないでせう。それを人に與へない で死ぬのは、惜いとも云はれるでせう。私にも多少そんな心持があります。たゞし受 け入れる事の出來ない人に與へる位なら、私はむしろ私の經驗を私の生命と共に葬つ た方が好いと思ひます。實際こゝに貴方といふ一人の男が存在してゐないならば、私 の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで濟んだでせう。私は 何千萬とゐる日本人のうちで、たゞ貴方丈に、私の過去を物語りたいのです。あなた は眞面目だから。あなたは眞面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云つたか ら。

 私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上ます。然し恐れて は不可せん。暗いものを凝と見詰めて、その中から貴方の參考になるものを御攫みな さい。私の暗いといふのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。又倫理的に育てられた男です。其倫理上の考は、今の若い人と大分違つた所があるか も知れません。然し何う間違つても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着で はありません。だから是から發達しやうといふ貴方には幾分か參考になるだらうと思 ふのです。

 貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶してゐるでせ う。私のそれに對する態度もよく解つてゐるでせう。私はあなたの意見を輕蔑迄しな かつたけれども、決して尊敬を拂ひ得る程度にはなれなかつた。あなたの考へには何 等の背景もなかつたし、あなたは自分の過去を有つには餘りに若過ぎたからです。私 は時%\笑つた。あなたは物足なさうな顏をちよいちよい私に見せた。其極あなたは 私の過去を繪巻物のやうに、あなたの前に展開して呉れと逼つた。私は其時心のうち で、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕ま へやうといふ決心を見せたからです。私の心臟を立ち割つて、温かく流れる血潮を啜 らうとしたからです。其時私はまだ生きてゐた。死ぬのが厭であつた。それで他日を 約して、あなたの要求を斥ぞけてしまつた。私は今自分で自分の心臟を破つて、其血 をあなたの顏に浴せかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停つた時、あなたの胸に 新らしい命が宿る事が出來るなら滿足です。

 「私が兩親を亡くしたのは、まだ私の廿歳にならない時分でした。何時か妻があなたに話してゐたやうにも記憶してゐますが、二人は同じ病氣で死んだのです。しかも妻が貴方に不審を起させた通り、殆んど同時といつて可い位に、前後して死んだのです。實をいふと、父の病氣は恐るべき腸窒扶斯でした。それが傍にゐて看護をした母に傳染したのです。

 私は二人の間に出來たたつた一人の男の子でした。宅には相當の財産があつた ので、寧ろ鷹揚に育てられました。私は自分の過去を顧みて、あの時兩親が死なずに ゐて呉れたなら、少なくとも父か母か何方か、片方で好いから生きてゐて呉れたなら、私はあの鷹揚な氣分を今迄持ち續ける事が出來たらうにと思ひます。

 私は二人の後に茫然として取り殘されました。私には知識もなく、經驗もなく、また分別もありませんでした。父の死ぬ時、母は傍に居る事が出來ませんでした。母 の死ぬ時、母には父の死んだ事さへまだ知らせてなかつたのです。母はそれを覺つて ゐたか、又は傍のものゝ云ふ如く、實際父は囘復期に向ひつゝあるものと信じてゐた か、それは分りません。母はたゞ伯父に萬事を頼んでゐました。其所に居合せた私を 指さすやうにして、『此子をどうぞ何分』と云ひました。私は其前から兩親の許可を 得て、東京へ出る筈になつてゐましたので、母はそれも序に云ふ積らしかつたのです。それで『東京へ』とだけ付け加へましたら、伯父がすぐ後を引き取つて、『よろしい 決して心配しないがいゝ』と答へました。母は強い熱に堪へ得る體質の女なんでした らうか、伯父は『確かりしたものだ』と云つて、私に向つて母の事を褒めてゐました。然しこれが果して母の遺言であつたのか何うだか、今考へると分らないのです。母は 無論父の罹つた病氣の恐るべき名前を知つてゐたのです。さうして、自分がそれに傳 染してゐた事も承知してゐたのです。けれども自分は屹度此病氣で命を取られると迄 信じてゐたかどうか、其所になると疑ふ餘地はまだ幾何でもあるだらうと思はれるの です。其上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通つた明かなものにせ よ、一向記憶となつて母の頭に影さへ殘してゐない事がしば/\あつたのです。だか ら‥‥然しそんな事は問題ではありません。たゞ斯ういふ風に物を解きほどいて見た り、又ぐる/\廻して眺めたりする癖は、もう其時分から、私にはちやんと備はつて ゐたのです。それは貴方にも始めから御斷りして置かなければならないと思ひますが、其實例としては當面の問題に大した關係のない斯んな記述が、却つて役に立ちはしな いかと考へます。貴方の方でもまあその積で讀んで下さい。此性分が倫理的に個人の 行爲や動作の上に及んで、私は後來益他の徳義心を疑ふやうになつたのだらうと思ふ のです。それが私の煩悶や苦惱に向つて、積極的に大きな力を添へてゐるのは慥です から覺えてゐて下さい。

 話が本筋をはづれると、分り惡くなりますからまたあとへ引き返しませう。是 でも私は此長い手紙を書くのに、私を同じ地位に置かれた他の人と比べたら、或は多 少落ち付いてゐやしないかと思つてゐるのです。世の中が眠ると聞こえだすあの電車 の響ももう途絶えました。雨戸の外にはいつの間にか憐れな虫の聲が、露の秋をまた 忍びやかに思ひ出させるやうな調子で微かに鳴いてゐます。何も知らない妻は次の室 で無邪氣にすや/\寐入つてゐます。私が筆を執ると、一字一劃が出來上りつゝペン の先で鳴つてゐます。私は寧ろ落付いた氣分で紙に向つてゐるのです。不馴のために ペンが横へ外れるかも知れませんが、頭が惱亂して筆がしどろに走るのではないやう に思ひます。

 「兎に角たつた一人取り殘された私は、母の云ひ付け通り、此伯父を頼るより外に途はなかつたのです。伯父は又一切を引き受けて凡ての世話をして呉れました。さうして私を私の希望する東京へ出られるやうに取り計つて呉れました。

 私は東京へ來て高等學校へ這入りました。其時の高等學校の生徒は今よりも餘 程殺伐で粗野でした。私の知つたものに、夜中職人と喧嘩をして、相手の頭へ下駄で 傷を負はせたのがありました。それが酒を飲んだ揚句の事なので、夢中に擲り合をし てゐる間に、學校の制帽をとう/\向ふのものに取られてしまつたのです。所が其帽 子の裏には當人の名前がちやんと、菱形の白いきれの上に書いてあつたのです。それ で事が面倒になつて、其男はもう少しで警察から學校へ照會される所でした。然し友 達が色々と骨を折つて、ついに表沙汰にせずに濟むやうにして遣りました。斯んな亂 暴な行爲を、上品な今の空氣のなかに育つたあなた方に聞かせたら、定めて馬鹿馬鹿 しい感じを起すでせう。私も實際馬鹿々々しく思ひます。然し彼等は今の學生にない 一種質朴な點をその代りに有つてゐたのです。其頃私の月々伯父から貰つてゐた金は、あなたが今、御父さんから送つてもらふ學資に比べると遙かに少ないものでした。 (無論物價も違ひませうが)。それでゐて私は少しの不足も感じませんでした。のみ ならず數ある同級生のうちで、經濟の點にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境 遇にゐた譯ではないのです。今から囘顧すると、寧ろ人に羨やましがられる方だつた のでせう。と云ふのは、私は月々極つた送金の外に、書籍費、(私は其時分から書物 を買ふ事が好でした)、及び臨時の費用を、よく伯父から請求して、ずん/\それを 自分の思ふ樣に消費する事が出來たのですから。

 何も知らない私は、伯父を信じてゐた許でなく、常に感謝の心をもつて、伯父 をありがたいものゝやうに尊敬してゐました。伯父は事業家でした。縣會議員にもな りました。其關係からでもありませう、政黨にも縁故があつたやうに記憶してゐます。父の實の弟ですけれども、さういふ點で、性格からいふと父とは丸で違つた方へ向い て發達した樣にも見えます。父は先祖から讓られた遺産を大事に守つて行く篤實一方 の男でした。樂みには、茶だの花だのを遣りました。それから詩集などを讀む事も好 きでした。書畫骨董といつた風のものにも、多くの趣味を有つてゐる樣子でした。家 は田舍にありましたけれども、二里ばかり隔つた市、――其市には伯父が住んでゐた のです、――其市から時々道具屋が懸物だの、香爐だのを持つて、わざ/\父に見せ に來ました。父は一口にいふと、まあマンオフミーンズとでも評したら好いのでせう、比較的上品な嗜好を有つた田舍紳士だつたのです。だから氣性からいふと、濶達な伯 父とは餘程の懸隔がありました。それでゐて二人は又妙に仲が好かつたのです。父は よく伯父を評して、自分よりも遙かに働きのある頼もしい人のやうに云つてゐました。自分のやうに、親から財産を讓られたものは、何うしても固有の材幹が鈍る、つまり 世の中と鬪ふ必要がないから不可いのだとも云つてゐました。此言葉は母も聞きまし た。私も聞きました。父は寧ろ私の心得になる積で、それを云つたらしく思はれます。『御前もよく覺えてゐるが好い』と父は其時わざ/\私の顏を見たのです。だから私 はまだそれを忘れずにゐます。此位私の父から信用されたり、褒められたりしてゐた 伯父を、私が何うして疑がふ事が出來るでせう。私にはたゞでさへ誇になるべき伯父 でした。父や母が亡くなつて、萬事其人の世話にならなければならない私には、もう 單なる誇ではなかつたのです。私の存在に必要な人間になつてゐたのです。

 「私が夏休みを利用して始めて國へ歸つた時、兩親の死に斷えた私の住居には、新らしい主人として、伯父夫婦が入れ代つて住んでゐました。是は私が東京へ出る前 からの約束でした。たつた一人取り殘された私が家にゐない以上、左右でもするより 外に仕方がなかつたのです。

 伯父は其頃市にある色々な會社に關係してゐたやうです。業務の都合から云へ ば、今迄の居宅に寐起する方が、二里も隔つた私の家に移るより遙かに便利だと云つ て笑ひました。是は私の父母が亡くなつた後、何う邸を始末して、私が東京へ出るか といふ相談の時、伯父の口を洩れた言葉であります。私の家は舊い歴史を有つてゐる ので、少しは其界隈で人に知られてゐました。あなたの郷里でも同じ事だらうと思ひ ますが、田舍では由緒のある家を、相續人があるのに壞したり賣つたりするのは大事 件です。今の私ならその位の事は何とも思ひませんが、其頃はまだ子供でしたから、 東京へは出たし、家は其儘にして置かなければならず、甚だ所置に苦しんだのです。

 伯父は仕方なしに私の空家へ這入る事を承諾して呉れました。然し市の方にあ る住居も其儘にして置いて、兩方の間を往つたり來たりする便宜を與へて貰はなけれ ば困るといひました。私に固より異議のありやう筈がありません。私は何んな條件で も東京へ出られゝば好い位に考へてゐたのです。

 子供らしい私は、故郷を離れても、まだ心の眼で、懷かしげに故郷の家を望ん でゐました。固より其所にはまだ自分の歸るべき家があるといふ旅人の心で望んでゐ たのです。休みが來れば歸らなくてはならないといふ氣分は、いくら東京を戀しがつ て出て來た私にも、力強くあつたのです。私は熱心に勉強し、愉快に遊んだ後、休み には歸れると思ふその故郷の家をよく夢に見ました。

 私の留守の間、伯父は何んな風に兩方の間を往來してゐたか知りません。私の 着いた時は、家族のものが、みんな一つ家の内に集まつてゐました。學校へ出る子供 などは平生恐らく市の方にゐたのでせうが、是も休暇のために田舍へ遊び半分といつ た格で引き取られてゐました。

 みんな私の顏を見て喜こびました。私は又父や母の居た時より、却つて賑やか で陽氣になつた家の樣子を見て嬉しがりました。伯父はもと私の部屋になつてゐた一 間を占領してゐる一番目の男の子を追ひ出して、私を其所へ入れました。座敷の數も 少なくないのだから、私はほかの部屋で構はないと辭退したのですけれども、伯父は 御前の宅だからと云つて、聞きませんでした。

 私は折々亡くなつた父や母の事を思ひ出す外に、何の不愉快もなく、其一夏を 伯父の家族と共に過ごして、又東京へ歸つたのです。たゞ一つ其夏の出來事として、 私の心にむしろ薄暗い影を投げたのは、伯父夫婦が口を揃へて、まだ高等學校へ入つ たばかりの私に結婚を勸める事でした。それは前後で丁度三四囘も繰り返されたでせ う。私も始めはたゞ其突然なのに驚ろいた丈でした。二度目には判然斷りました。三 度目には此方からとう/\其理由を反問しなければならなくなりました。彼等の主意 は單簡でした。早く嫁を貰つて此所の家へ歸つて來て、亡くなつた父の後を相續しろ と云ふ丈なのです。家は休暇になつて歸りさへすれば、それで可いものと私は考へて ゐました。父の後を相續する、それには嫁が必要だから貰ふ、兩方とも理窟としては 一通り聞こえます。ことに田舍の事情を知つてゐる私には、能く解ります。私も絶對 にそれを嫌つてはゐなかつたのでせう。然し東京へ修業に出たばかりの私には、それ が遠眼鏡で物を見るやうに、遙か先の距離に望まれる丈でした。私は伯父の希望に承 諾を與へないで、ついに又私の家を去りました。

 「私は縁談の事をそれなり忘れてしまひました。私の周圍を取り捲いてゐる青 年の顏を見ると、世帶染みたものは一人もゐません。みんな自由です、さうして悉く 單獨らしく思はれたのです。斯ういふ氣樂な人の中にも、裏面に這入り込んだら、或 は家庭の事情に餘儀なくされて、既に妻を迎へてゐたものがあつたかも知れませんが、子供らしい私は其所に氣が付きませんでした。それから左右いふ特別の境遇に置かれ た人の方でも、四邊に氣兼をして、なるべくは書生に縁の遠いそんな内輪の話は爲な いやうに愼しんでゐたのでせう。後から考へると、私自身が既に其組だつたのですが、私はそれさへ分らずに、たゞ子供らしく愉快に修學の道を歩いて行きました。

 學年の終りに、私は又行李を絡げて、親の墓のある田舍へ歸つて來ました。さ うして去年と同じやうに、父母のゐたわが家の中で、又伯父夫婦と其子供の變らない 顏を見ました。私は再び其所で故郷の匂を嗅ぎました。其匂は私に取つて依然として 懷かしいものでありました。一學年の單調を破る變化としても有難いものに違なかつ たのです。

 然し此自分を育て上たと同じ樣な匂の中で、私は又突然結婚問題を伯父から鼻 の先へ突き付けられました。伯父の云ふ所は、去年の勸誘を再び繰り返したのみです。理由も去年と同じでした。たゞ此前勸められた時には、何等の目的物がなかつたのに、今度はちやんと肝心の當人を捕まへてゐたので、私は猶困らせられたのです。其當人 といふのは伯父の娘即ち私の從妹に當る女でした。その女を貰つて呉れゝば、御互の ために便宜である、父も存生中そんな事を話してゐた、と伯父が云ふのです。私もさ うすれば便宜だとは思ひました。父が伯父にさういふ風な話をしたといふのも有り得 べき事と考へました。然しそれは私が伯父に云はれて、始めて氣が付いたので、云は れない前から、覺つてゐた事柄ではないのです。だから私は驚ろきました。驚ろいた けれども、伯父の希望に無理のない所も、それがために能く解りました。私は迂闊な のでせうか。或はさうなのかも知れませんが、恐らく其從妹に無頓着であつたのが、 重な源因になつてゐるのでせう。私は小供のうちから市にゐる伯父の家へ始終遊びに 行きました。たゞ行く許でなく、能く其所に泊りました。さうして此從妹とは其時分 から親しかつたのです。あなたも御承知でせう、兄妹の間に戀の成立した例のないの を。私は此公認された事實を勝手に布衍してゐるのかも知れないが、始終接觸して親 しくなり過ぎた男女の間には、戀に必要な刺戟の起る清新な感じが失なはれてしまふ やうに考へてゐます。香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限る如く、酒を味は うのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、戀の衝動にも斯ういふ際どい一點が、時間 の上に存在してゐるとしか思はれないのです。一度平氣で其所を通り拔けたら、馴 れゝば馴れる程、親しみが増す丈で、戀の神經はだん/\麻痺して來る丈です。私は 何う考へ直しても、此從妹を妻にする氣にはなれませんでした。

 伯父はもし私が主張するなら、私の卒業迄結婚を延ばしても可いと云ひました。けれども善は急げといふ諺もあるから、出來るなら今のうちに祝言の盃丈は濟ませて 置きたいとも云ひました。當人に望のない私には何方にしたつて同じ事です。私は又 斷りました。伯父は厭な顏をしました。從妹は泣きました。私に添はれないから悲し いのではありません、結婚の申し込を拒絶されたのが、女として辛かつたからです。 私が從妹を愛してゐない如く、從妹も私を愛してゐない事は、私によく知れてゐまし た。私はまた東京へ出ました。

 「私が三度目に歸國したのは、それから又一年經つた夏の取付でした。私は何 時でも學年試驗の濟むのを待ちかねて東京を逃げました。私には故郷がそれ程懷かし かつたからです。貴方にも覺があるでせう、生れた所は空氣の色が違ひます、土地の 匂も格別です、父や母の記憶も濃かに漂つてゐます。一年のうちで、七八の二月を其 中に包まれて、穴に入つた蛇の樣に凝としてゐるのは、私に取つて何よりも温かい好 い心持だつたのです。

 單純な私は從妹との結婚問題に就いて、左程頭を痛める必要がないと思つてゐ ました。厭なものは斷る、斷つてさへしまへば後には何も殘らない、私は斯う信じて ゐたのです。だから伯父の希望通りに意志を曲げなかつたにも關らず、私は寧ろ平氣 でした。過去一年の間いまだかつて其んな事に屈托した覺もなく、相變らずの元氣で 國へ歸つたのです。

 所が歸つて見ると伯父の態度が違つてゐます。元のやうに好い顏をして私を自 分の懷に抱かうとしません。それでも鷹揚に育つた私は、歸つて四五日の間は氣が付 かずにゐました。たゞ何かの機會に不圖變に思ひ出したのです。すると妙なのは、伯 父ばかりではないのです。伯母も妙なのです。從妹も妙なのです。中學校を出て、是 から東京の高等商業へ這入る積だといつて、手紙で其樣子を聞き合せたりした伯父の 男の子迄妙なのです。

 私の性分として考へずにはゐられなくなりました。何うして私の心持が斯う變 つたのでらう。いや何うして向ふが斯ふ變つたのだらう。私は突然死んだ父や母が、 鈍い私の眼を洗つて、急に世の中が判然見えるやうにして呉れたのではないかと疑ひ ました。私は父や母が此世に居なくなつた後でも、居た時と同じやうに私を愛して呉 れるものと、何處か心の奥で信じてゐたのです。尤も其頃でも私は決して理に暗い質 ではありませんでした。然し先祖から讓られた迷信の塊も、強い力で私の血の中に潛 んでゐたのです。今でも潛んでゐるでせう。

 私はたつた一人山へ行つて、父母の墓の前に跪づきました。半は哀悼の意味、 半は感謝の心持で跪いたのです。さうして私の未來の幸福が、此冷たい石の下に横は る彼等の手にまだ握られてでもゐるやうな氣分で、私の運命を守るべく彼等に祈りま した。貴方は笑ふかも知れない。私も笑はれても仕方がないと思ひます。然し私はさ うした人間だつたのです。

 私の世界は掌を翻へすやうに變りました。尤も是は私に取つて始めての經驗で はなかつたのです。私が十六七の時でしたらう、始めて世の中に美くしいものがある といふ事實を發見した時には、一度にはつと驚ろきました。何遍も自分の眼を疑つて、何遍も自分の眼を擦りました。さうして心の中であゝ美しいと叫びました。十六七と 云へば、男でも女でも、俗にいふ色氣の付く頃です。色氣の付いた私は世の中にある 美しいものゝ代表者として、始めて女を見る事が出來たのです。今迄其存在に少しも 氣の付かなかつた異性に對して、盲目の眼が忽ち開いたのです。それ以來私の天地は 全く新らしいものとなりました。

 私が伯父の態度に心づいたのも、全く是と同じなんでせう。俄然として心づい たのです。何の豫感も準備もなく、不意に來たのです。不意に彼と彼の家族が、今迄 とは丸で別物のやうに私の眼に映つたのです。私は驚ろきました。さうして此儘にし て置いては、自分の行先が何うなるか分らないといふ氣になりました。

 「私は今迄伯父任せにして置いた家の財産に就いて、詳しい知識を得なければ、死んだ父母に對して濟まないと云ふ氣を起したのです。伯父は忙がしい身體だと自稱 する如く、毎晩同じ所に寐泊はしてゐませんでした。二日家へ歸ると三日は市の方で 暮らすといつた風に、兩方の間を往來して、其日其日を落付のない顏で過ごしてゐま した。さうして忙がしいといふ言葉を口癖のやうに使ひました。何の疑も起らない時 は、私も實際に忙がしいのだらうと思つてゐたのです。それから、忙がしがらなくて は當世流ではないのだらうと、皮肉にも解釋してゐたのです。けれども財産の事に就 いて、時間の掛る話をしやうといふ目的が出來た眼で、この忙がしがる樣子を見ると、それが單に私を避ける口實としか受取れなくなつて來たのです。私は容易に伯父を捕 まへる機會を得ませんでした。

 私は伯父が市の方に妾を有つてゐるといふ噂を聞きました。私は其噂を昔し中 學の同級生であつたある友達から聞いたのです。妾を置く位の事は、此伯父として少 しも怪しむに足らないのですが、父の生きてゐるうちに、そんな評判を耳に入れた覺 のない私は驚ろきました。友達は其外にも色々伯父に就いての噂を語つて聞かせまし た。一時事業で失敗しかゝつてゐたやうに他から思はれてゐたのに、此二三年來又急 に盛り返して來たといふのも、その一つでした。しかも私の疑惑を強く染め付けたも のゝ一つでした。

 私はとう/\伯父と談判を開きました。談判といふのは少し不穩當かも知れま せんが、話の成行からいふと、そんな言葉で形容するより外に途のない所へ、自然の 調子が落ちて來たのです。伯父は何處迄も私を子供扱ひにしやうとします。私はまた 始めから猜疑の眼で伯父に對してゐます。穩やかに解決のつく筈はなかつたのです。

 遺憾ながら私は今その談判の顛末を詳しく此所に書く事の出來ない程先を急い でゐます。實をいふと、私は是より以上に、もつと大事なものを控えてゐるのです。 私のペンは早くから其所へ辿りつきたがつてゐるのを、漸との事で抑え付けてゐる位 です。あなたに會つて靜かに話す機會を永久に失つた私は、筆を執る術に慣れないば かりでなく、貴い時間を惜むといふ意味からして、書きたい事も省かなければなりま せん。

 あなたは未だ覺えてゐるでせう、私がいつか貴方に、造り付けの惡人が世の中 にゐるものではないと云つた事を。多くの善人がいざといふ場合に突然惡人になるの だから油斷しては不可ないと云つた事を。あの時あなたは私に昂奮してゐると注意し て呉れました。さうして何んな場合に、善人が惡人に變化するのかと尋ねました。私 がたゞ一口金と答へた時、あなたは不滿な顏をしました。私はあなたの不滿な顏をよ く記憶してゐます。私は今あなたの前に打ち明けるが、私はあの時此伯父の事を考へ てゐたのです。普通のものが金を見て急に惡人になる例として、世の中に信用するに 足るものが存在し得ない例として、憎惡と共に私は此伯父を考へてゐたのです。私の 答は、思想界の奧へ突き進んで行かうとするあなたに取つて物足りなかつたかも知れ ません、陳腐だつたかも知れません。けれども私にはあれが生きた答でした。現に私 は昂奮してゐたではありませんか。私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱 した舌で平凡な説を述べる方が生きてゐると信じてゐます。血の力で體が動くからで す。言葉が空氣に波動を傳へる許でなく、もつと強い物にもつと強く働き掛ける事が 出來るからです。

 「一口でいふと、伯父は私の財産を胡魔化したのです。事は私が東京へ出てゐ る三年の間に容易く行なはれたのです。凡てを伯父任せにして平氣でゐた私は、世間 的に云へば本當の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、或は純なる尊い男と でも云へませうか。私は其時の己れを顧みて、何故もつと人が惡く生れて來なかつた かと思ふと、正直過ぎた自分が口惜しくつて堪りません。然しまた何うかして、もう 一度あゝいふ生れたままの姿に立ち歸つて生きて見たいといふ心持も起るのです。記 憶して下さい、あなたの知つてゐる私は塵に汚れた後の私です。きたなくなつた年數 の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかに貴方より先輩でせう。

 若し私が伯父の希望通り伯父の娘と結婚したならば、其結果は物質的に私に取 つて有利なものでしたらうか。是は考へる迄もない事と思ひます。伯父は策略で娘を 私に押し付けやうとしたのです。好意的に兩家の便宜を計るといふよりも、ずつと下 卑た利害心に驅られて、結婚問題を私に向けたのです。私は從妹を愛してゐない丈で、嫌つてはゐなかつたのですが、後から考へて見ると、それを斷つたのが私には多少の 愉快になると思ひます。胡魔化されるのは何方にしても同じでせうけれども、載せら れ方からいへば、從妹を貰はない方が、向ふの思ひ通りにならないといふ點から見て、少しは私の我が通つた事になるのですから。然しそれは殆んど問題とするに足りない 些細な事柄です。ことに關係のない貴方に云はせたら、さぞ馬鹿氣た意地に見えるで せう。

 私と伯父の間に他の親戚のものが這入りました。その親戚のものも私は丸で信 用してゐませんでした。信用しないばかりでなく、寧ろ敵視してゐました。私は伯父 が私を欺むいたと覺ると共に、他のものも必ず自分を欺くに違ないと思ひ詰めました。父があれ丈賞め拔いてゐた伯父ですら斯うだから、他のものはといふのが私の論理で した。

 それでも彼等は私のために、私の所有にかゝる一切のものを纏めて呉れました。それは金額に見積ると、私の豫期より遙かに少ないものでした。私としては黙つてそ れを受け取るか、でなければ伯父を相手取つて公け沙汰にするか、二つの方法しかな かつたのです。私は憤りました。又迷ひました。訴訟にすると落着迄に長い時間の かゝる事も恐れました。私は修業中のからだですから、學生として大切な時間を奪は れるのは非常の苦痛だとも考へました。私は思案の結果、市に居る中學の舊友に頼ん で、私の受け取つたものを、凡て金の形に變へやうとしました。舊友は止した方が得 だといつて忠告して呉れましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷を離れる決 心を其時に起したのです。伯父の顏を見まいと心のうちで誓つたのです。

 私は國を立つ前に、又父と母の墓へ參りました。私はそれぎり其墓を見た事が ありません。もう永久に見る機會も來ないでせう。

 私の舊友は私の言葉通りに取計らつて呉れました。尤もそれは私が東京へ着い てから餘程經つた後の事です。田舍で畠地などを賣らうとしたつて容易には賣れませ んし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取つた金額は、時價に比べると餘程少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懷にして家を 出た若干の公債と、後から此友人に送つて貰つた金丈なのです。親の遺産としては固 より非常に減つてゐたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、猶心持が惡かつたのです。けれども學生として生活するにはそれで充分以上でした。 實をいふと私はそれから出る利子の半分も使へませんでした。此餘裕ある私の學生々 活が私を思ひも寄らない境遇に陷し入れたのです。

 「金に不自由のない私は、騒々しい下宿を出て、新らしく一戸を構へて見やう かといふ氣になつたのです。然しそれには世帶道具を買ふ面倒もありますし、世話を して呉れる婆さんの必要も起りますし、其婆さんが又正直でなければ困るし、宅を留 守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、と云つた譯で、ちよくら一寸實行する 事は覺束なく見えたのです。ある日私はまあ宅丈でも探して見やうかといふそゞろ心 から、散歩がてらに本郷臺を西へ下りて小石川の坂を眞直に傳通院の方へ上がりまし た。電車の通路になつてから、あそこいらの樣子が丸で違つてしまひましたが、其頃 は左手が砲兵工廠の土塀で、右は原とも丘ともつかない空地に草が一面に生えてゐた ものです。私は其草の中に立つて、何心なく向の崖を眺めました。今でも惡い景色で はありませんが、其頃は又ずつとあの西側の趣が違つてゐました。見渡す限り緑が一 面に深く茂つてゐる丈でも、神經が休まります。私は不圖こゝいらに適當な宅はない だらうかと思ひました。それで直ぐ草原を横切つて、細い通りを北の方へ進んで行き ました。いまだに好い町になり切れないで、がたぴししてゐる彼の邊の家並は、其時 分の事ですから隨分汚ならしいものでした。私は露次を拔けたり、横丁を曲つたり、 ぐる/\歩き廻りました。仕舞に駄菓子屋の上さんに、こゝいらに小じんまりした貸 家はないかと尋ねて見ました。上さんは『左右ですね』と云つて、少時首をかしげて ゐましたが、『かし家はちよいと‥‥』と全く思ひ當らない風でした。私は望のない ものと諦らめて歸り掛けました。すると上さんが又、『素人下宿ぢや不可ませんか』 と聞くのです。私は一寸氣が變りました。靜かな素人屋に一人で下宿してゐるのは、 却つて家を持つ面倒がなくつて結構だらうと考へ出したのです。それから其駄菓子屋 の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教へてもらひました。

 それはある軍人の家族、といふよりも寧ろ遺族、の住んでゐる家でした。主人 は何でも日清戰爭の時か何かに死んだのだと上さんが云ひました。一年ばかり前まで は、市ヶ谷の士官學校の傍とかに住んでゐたのだが、厩などがあつて、邸が廣過ぎる ので、其所を賣り拂つて、此所へ引つ越して來たけれども、無人で淋しくつて困るか ら相當の人があつたら世話をして呉れと頼まれてゐたのださうです。私は上さんから、其家には未亡人と一人娘と下女より外にゐないのだといふ事を確かめました。私は閑 靜で至極好からうと心の中に思ひました。けれどもそんな家族のうちに、私のやうな ものが、突然行つた處で、素性の知れない書生さんといふ名稱のもとに、すぐ拒絶さ れはしまいかといふ掛念もありました。私は止さうかとも考へました。然し私は書生 としてそんなに見苦しい服裝はしてゐませんでした。それから大學の制帽を被つてゐ ました。あなたは笑ふでせう、大學の制帽が何うしたんだと云つて。けれども其頃の 大學生は今と違つて、大分世間に信用のあつたものです。私は其場合此四角な帽子に 一種の自信を見出した位です。さうして駄菓子屋の上さんに教はつた通り、紹介も何 もなしに其軍人の遺族の家を訪ねました。

 私は未亡人に會つて來意を告げました。未亡人は私の身元やら學校やら專問や らに就いて色々質問しました。さうして是なら大丈夫だといふ所を何所かに握つたの でせう、何時でも引つ越して來て差支ないといふ挨拶を即坐に與へて呉れました。未 亡人は正しい人でした、又判然した人でした。私は軍人の妻君といふものはみんな斯 んなものかと思つて感服しました。感服もしたが、驚ろきもしました。此氣性で何處 が淋しいのだらうと疑ひもしました。

十一

 私は早速其家へ引き移りました。私は最初來た時に未亡人と話をした座敷を借 りたのです。其所は宅中で一番好い室でした。本郷邊に高等下宿といつた風の家がぽ つ/\建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間の樣子を 心得てゐました。私の新らしく主人となつた室は、それ等よりもずつと立派でした。 移つた當座は、學生としての私には過ぎる位に思はれたのです。

 室の廣さは八疊でした。床の横に違ひ棚があつて、縁と反對の側には一間の押 入が付いてゐました。窓は一つもなかつたのですが、其代り南向の縁に明るい日が能 く差しました。

 私は移つた日に、其室の床に活けられた花と、其横に立て懸けられた琴を見ま した。何方も私の氣に入りませんでした。私は詩や書や煎茶を嗜なむ父の傍で育つた ので、唐めいた趣味を小供のうちから有つてゐました。その爲でもありませうか、斯 ういふ艶めかしい裝飾を何時の間にか輕蔑する癖が付いてゐたのです。

 私の父が存生中にあつめた道具類は、例の伯父のために滅茶々々にされてしま つたのですが、夫でも多少は殘つてゐました。私は國を立つ時それを中學の舊友に預 かつて貰ひました。それから其中で面白さうなものを四五幅裸にして行李の底へ入れ て來ました。私は移るや否や、それを取り出して床へ懸けて樂しむ積でゐたのです。 所が今いつた琴と活花を見たので、急に勇氣がなくなつて仕舞ひました。後から聞い て始めて此花が私に對する御馳走に活けられたのだといふ事を知つた時、私は心のう ちで苦笑しました。尤も琴は前から其所にあつたのですから、是は置き所がないため、已を得ず其儘に立て懸けてあつたのでせう。

 斯んな話をすると、自然其裏に若い女の影があなたの頭を掠めて通るでせう。移つた私にも、移らない初からさういふ好奇心が既に動いてゐたのです。斯うした邪氣が豫備的に私の自然を損なつたためか、又は私がまだ人慣れなかつたためか、私は始めて其所の御孃さんに會つた時、へどもどした挨拶をしました。其代り御孃さんの方でも赤い顏をしました。

 私はそれ迄未亡人の風采や態度から推して、此御孃さんの凡てを想像してゐた のです。然し其想像は御孃さんに取つてあまり有利なものではありませんでした。軍 人の妻君だからあゝなのだらう、其妻君の娘だから斯うだらうと云つた順序で、私の 推測は段々延びて行きました。所が其推測が、御孃さんの顏を見た瞬間に、悉く打ち 消されました。さうして私の頭の中へ今迄想像も及ばなかつた異性の匂が新らしく入 つて來ました。私はそれから床の正面に活けてある花が厭でなくなりました。同じ床 に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。

 其花は又規則正しく凋れる頃になると活け更へられるのです。琴も度々鍵の手に折れ曲がつた筋違の室に運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖を突きながら、其琴の音を聞いてゐました。私には其琴が上手なのか下手なのか能く解らないのです。けれども餘り込み入つた手を彈かない所を見ると、上手なのぢやなからうと考へました。まあ活花の程度位なものだらうと思ひました。花なら私にも好く分るのですが、御孃さんは決して旨い方ではなかつたのです。

 それでも臆面なく色々の花が私の床を飾つて呉れました。尤も活方は何時見て も同じ事でした。それから花瓶もついぞ變つた例がありませんでした。然し片方の音 樂になると花よりももつと變でした。ぽつん/\糸を鳴らす丈で、一向肉聲を聞かせ ないのです。唄はないのではありませんが、丸で内所話でもするやうに小さな聲しか 出さないのです。しかも叱られると全く出なくなるのです。

 私は喜んで此下手な活花を眺めては、まづさうな琴の音に耳を傾むけました。

十二

 「私の氣分は國を立つ時既に厭世的になつてゐました。他は頼りにならないも のだといふ觀念が、其時骨の中迄染み込んでしまつたやうに思はれたのです。私は私 の敵視する伯父だの伯母だの、その他の親戚だのを、恰も人類の代表者の如く考へ出 しました。汽車へ乘つてさへ隣のものの樣子を、それとなく注意し始めました。たま に向から話し掛けられでもすると、猶の事警戒を加へたくなりました。私の心は沈鬱 でした。鉛を呑んだやうに重苦しくなる事が時々ありました。それでゐて私の神經は、今云つた如くに鋭どく尖つて仕舞つたのです。

 私が東京へ來て下宿を出やうとしたのも、是が大きな源因になつてゐるやうに 思はれます。金に不自由がなければこそ、一戸を構へて見る氣にもなつたのだと云へ ばそれ迄ですが、元の通りの私ならば、たとひ懷中に餘裕が出來ても、好んでそんな 面倒な眞似はしなかつたでせう。

 私は小石川へ引き移つてからも、當分此緊張した氣分に寛ぎを與へる事が出來 ませんでした。私は自分で自分が恥づかしい程、きよと/\周圍を見廻してゐました。不思議にもよく働らくのは頭と眼だけで、口の方はそれと反對に、段々動かなくなつ て來ました。私は家のものゝ樣子を猫のやうによく觀察しながら、黙つて机の前に坐 つてゐました。時々は彼等に對して氣の毒だと思ふ程、私は油斷のない注意を彼等の 上に注いでゐたのです。おれは物を偸まない巾着切見たやうなものだ、私は斯う考へ て、自分が厭になる事さへあつたのです。

 貴方は定めて變に思ふでせう。其私が其所の御孃さんを何うして好く餘裕を有 つてゐるか。其御孃さんの下手な活花を、何うして嬉しがつて眺める餘裕があるか。 同じく下手な其人の琴を何うして喜こんで聞く餘裕があるか。さう質問された時、私 はたゞ兩方とも事實であつたのだから、事實として貴方に教へて上げるといふより外 に仕方がないのです。解釋は頭のある貴方に任せるとして、私はたゞ一言付け足して 置きませう。私は金に對して人類を疑ぐつたけれども、愛に對しては、まだ人類を疑 はなかつたのです。だから他から見ると變なものでも、また自分で考へて見て、矛盾 したものでも、私の胸のなかでは平氣で兩立してゐたのです。

 私は未亡人の事を常に奥さんと云つてゐましたから、是から未亡人と呼ばずに 奥さんと云ひます。奥さんは私を靜かな人、大人しい男と評しました。それから勉強 家だとも褒めて呉れました。けれども私の不安な眼つきや、きよと/\した樣子につ いては、何事も口へ出しませんでした。氣が付かなかつたのか、遠慮してゐたのか、 どつちだかよく解りませんが、何しろ其所には丸で注意を拂つてゐないらしく見えま した。それのみならず、ある場合に私を鷹揚な方だと云つて、さも尊敬したらしい口 の利き方をした事があります。其時正直な私も少し顏を赤らめて、向ふの言葉を否定 しました。すると奥さんは『あなたは自分で氣が付かないから、左右御仰るんです』 と眞面目に説明して呉れました。奥さんは始め私のやうな書生を宅へ置く積ではなか つたらしいのです。何處かの役所へ勤める人か何かに坐敷を貸す料簡で、近所のもの に周旋を頼んでゐたらしいのです。俸給が豐でなくつて、已を得ず素人屋に下宿する 位の人だからといふ考へが、それで前かたから奥さんの頭の何處かに這入つてゐたの でせう。奥さんは自分の胸に描いた其想像の御客と私とを比較して、こつちの方を鷹 揚だと云つて褒めるのです。成程そんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金 錢にかけて、鷹揚だつたかも知れません。然しそれは氣性の問題ではありませんから、私の内生活に取つて殆んど關係のないのと一般でした。奥さんはまた女丈にそれを私 の全體に推し廣げて、同じ言葉を應用しやうと力めるのです。

十三

 「奥さんの此態度が自然私の氣分に影響して來ました。しばらくするうちに、 私の眼はもと程きよろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐つてゐる所に、ちや んと落付いてゐるやうな氣にもなれました。要するに奥さん始め家のものが、僻んだ 私の眼や疑ひ深い私の樣子に、てんから取り合はなかつたのが、私に大きな幸福を與 へたのでせう。私の神經は相手から照り返して來る反射のないために段々靜まりまし た。

 奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風に取り扱つて呉れたも のとも思はれますし、又自分で公言する如く、實際私を鷹揚だと觀察してゐたのかも 知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それ程外へ出なかつたやうにも考へ られますから、或は奥さんの方で胡魔化されてゐたのかも解りません。

 私の心が靜まると共に、私は段々家族のものと接近して來ました。奥さんとも 御孃さんとも笑談を云ふやうになりました。茶を入れたからと云つて向ふの室へ呼ば れる日もありました。また私の方で菓子を買つて來て、二人を此方へ招いたりする晩 もありました。私は急に交際の區域が殖えたやうに感じました。それがために大切な 勉強の時間を潰される事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一 向邪魔にならなかつたのです。奥さんはもとより閑人でした。御孃さんは學校へ行く 上に、花だの琴だのを習つてゐるんだから、定めて忙がしからうと思ふと、それがま た案外なもので、いくらでも時間に餘裕を有つてゐるやうに見えました。それで三人 は顏さへ見ると一所に集まつて、世間話をしながら遊んだのです。

 私を呼びに來るのは、大抵御孃さんでした。御孃さんは縁側を直角に曲つて、 私の室の前に立つ事もありますし、茶の間を拔けて、次の室の襖の影から姿を見せる 事もありました。御孃さんは、其所へ來て一寸留まります。それから屹度私の名を呼 んで、『御勉強?』と聞きます。私は大抵六づかしい書物を机の前に開けて、それを 見詰めてゐましたから、傍で見たらさぞ勉強家のやうに見えたのでせう。然し實際を 云ふと、夫程熱心に書物を研究してはゐなかつたのです。頁の上に眼は着けてゐなが ら、御孃さんの呼びに來るのを待つてゐる位なものでした。待つてゐて來ないと、仕 方がないから私の方で立ち上るのです。さうして向ふの室の前へ行つて、此方から 『御勉強ですか』と聞くのです。

 御孃さんの部屋は茶の間と續いた六疊でした。奥さんはその茶の間にゐる事も あるし、又御孃さんの部屋にゐる事もありました。つまり此二つの部屋は仕切があつ ても、ないと同じ事で、親子二人が往つたり來たりして、どつち付かずに占領してゐ たのです。私が外から聲を掛けると、『御這入なさい』と答へるのは屹度奥さんでし た。御孃さんは其所にゐても滅多に返事をした事がありませんでした。

時たま御孃さん一人で、用があつて私の室へ這入つた序に、其所に坐つて話し込むや うな場合も其内に出て來ました。さういふ時には、私の心が妙に不安に冒されて來る のです。さうして若い女とたゞ差向ひで坐つてゐるのが不安なのだとばかりは思へま せんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るやうな不自然な 態度が私を苦しめるのです。然し相手の方は却つて平氣でした。これが琴を浚ふのに 聲さへ碌に出せなかつたあの女かしらと疑がはれる位、恥づかしがらないのです。あ まり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、『はい』と返事をする丈で、容易に 腰を上げない事さへありました。それでゐて御孃さんは決して子供ではなかつたので す。私の眼には能くそれが解つてゐました。能く解るやうに振る舞つて見せる痕迹さ へ明らかでした。

十四

 「私は御孃さんの立つたあとで、ほつと一息するのです。夫と同時に、物足り ないやうな又濟まないやうな氣持になるのです。私は女らしかつたのかも知れません。今の青年の貴方がたから見たら猶左右見えるでせう。然し其頃の私達は大抵そんなも のだつたのです。

 奥さんは滅多に外出した事がありませんでした。たまに宅を留守にする時でも、御孃さんと私を二人ぎり殘して行くやうな事はなかつたのです。それがまた偶然なの か、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいふのは變ですが、奥さんの樣 子を能く觀察してゐると、何だか自分の娘と私とを接近させたがつてゐるらしくも見 えるのです。それでゐて、或場合には、私に對して暗に警戒する所もあるやうなので すから、始めて斯んな場合に出會つた私は、時々心持をわるくしました。

 私は奥さんの態度を何方かに片付て貰ひたかつたのです。頭の働きから云へば、それが明らかな矛盾に違ひなかつたからです。然し伯父に欺むかれた記憶のまだ新ら しい私は、もう一歩踏み込んだ疑ひを挾さまずには居られませんでした。私は奥さん の此態度の何方かが本當で、何方かが僞だらうと推定しました。さうして判斷に迷ひ ました。たゞ判斷に迷ふばかりでなく、何でそんな妙な事をするか其意味が私には呑 み込めなかつたのです。理由を考へ出さうとしても、考へ出せない私は、罪を女とい ふ一字に塗り付けて我慢した事もありました。必竟女だからあゝなのだ、女といふも のは何うせ愚なものだ。私の考は行き詰れば何時でも此所へ落ちて來ました。

 それ程女を見縊つてゐた私が、また何うしても御孃さんを見縊る事が出來なか つたのです。私の理窟は其人の前に全く用を爲さない程動きませんでした。私は其人 に對して、殆んど信仰に近い愛を有つてゐたのです。私が宗教だけに用ひる此言葉を、若い女に應用するのを見て、貴方は變に思ふかも知れませんが、私は今でも固く信じ てゐるのです。本當の愛は宗教心とさう違つたものでないといふ事を固く信じてゐる のです。私は御孃さんの顏を見るたびに、自分が美くしくなるやうな心持がしました。御孃さんの事を考へると、氣高い氣分がすぐ自分に乘り移つて來るやうに思ひました。もし愛といふ不可思議なものに兩端があつて、其高い端には神聖な感じが働いて、低 い端には性慾が動いてゐるとすれば、私の愛はたしかに其高い極點を捕まへたもので す。私はもとより人間として肉を離れる事の出來ない身體でした。けれども御孃さん を見る私の眼や、御孃さんを考へる私の心は、全く肉の臭を帶びてゐませんでした。

私は母に對して反感を抱くと共に、子に對して戀愛の度を増して行つたのですか ら、三人の關係は、下宿した始めよりは段々複雜になつて來ました。尤も其變化は殆 んど内面的で外へは現れて來なかつたのです。そのうち私はあるひよつとした機會か ら、今迄奥さんを誤解してゐたのではなからうかといふ氣になりました。奥さんの私 に對する矛盾した態度が、どつちも僞りではないのだらうと考へ直して來たのです。 其上、それが互違に奥さんの心を支配するのでなくつて、何時でも兩方が同時に奥さ んの胸に存在してゐるのだと思ふやうになつたのです。つまり奥さんが出來るだけ御 孃さんを私に接近させやうとしてゐながら、同時に私に警戒を加へてゐるのは矛盾の 樣だけれども、其警戒を加へる時に、片方の態度を忘れるのでも翻へすのでも何でも なく、矢張依然として二人を接近させたがつてゐたのだと觀察したのです。たゞ自分 が正當と認める程度以上に、二人が密着するのを忌むのだと解釋したのです。御孃さ んに對して、肉の方面から近づく念の萌さなかつた私は、其時入らぬ心配だと思ひま した。しかし奥さんを惡く思ふ氣はそれから無くなりました。

十五

 「私は奥さんの態度を色々綜合して見て、私が此所の家で充分信用されてゐる 事を確めました。しかも其信用は初對面の時からあつたのだといふ證據さへ發見しま した。他を疑ぐり始めた私の胸には、此發見が少し奇異な位に響いたのです。私は男 に比べると女の方がそれ丈直覺に富んでゐるのだらうと思ひました。同時に、女が男 のために、欺まされるのも此所にあるのではなからうかと思ひました。奥さんを左右 觀察する私が、御孃さんに對して同じやうな直覺を強く働らかせてゐたのだから、今 考へると可笑しいのです。私は他を信じないと心に誓ひながら、絶對に御孃さんを信 じてゐたのですから。それでゐて、私を信じてゐる奥さんを奇異に思つたのですから。

 私は郷里の事に就いて餘り多くを語らなかつたのです。ことに今度の事件に就 いては何にも云はなかつたのです。私はそれを念頭に浮べてさへ既に一種の不愉快を 感じました。私は成るべく奥さんの方の話だけを聞かうと力めました。所がそれでは 向ふが承知しません。何かに付けて、私の國元の事情を知りたがるのです。私はとう /\何もかも話してしまひました。私は二度と國へは歸らない、歸つても何にもない、あるのはたゞ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大變感働したらしい樣子を見 せました。御孃さんは泣きました。私は話して好い事をしたと思ひました。私は嬉し かつたのです。

 私の凡てを聞いた奥さんは、果して自分の直覺が的中したと云はないばかりの 顏をし出しました。それからは私を自分の親戚に當る若いものか何かを取扱ふやうに 待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。寧ろ愉快に感じた位です。所がそのう ちに私の猜疑心が又起つて來ました。

 私が奥さんを疑ぐり始めたのは、極些細な事からでした。然し其些細な事を重 ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張つて來ます。私は何ういふ拍子か不圖奥さんが、伯父と同じやうな意味で、御孃さんを私に接近させやうと力めるのではないかと考へ 出したのです。すると今迄親切に見えた人が、急に狡猾な策略家として私の眼に映じ て來たのです。私は苦々しい唇を噛みました。

奥さんは最初から、無人で淋しいから、客を置いて世話をするのだと公言してゐまし た。私も夫を嘘とは思ひませんでした。懇意になつて色々打ち明け話を聞いた後でも、其所に間違はなかつたやうに思はれます。然し一般の經濟状態は大して豐だと云ふ程 ではありませんでした。利害問題から考へて見て、私と特殊の關係をつけるのは、先 方に取つて決して損ではなかつたのです。

 私は又警戒を加へました。けれども娘に對して前云つた位の強い愛をもつてゐ る私が、其母に對していくら警戒を加へたつて何になるでせう。私は一人で自分を嘲 笑しました。馬鹿だなといつて、自分を罵つた事もあります。然しそれだけの矛盾な らいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに濟んだのです。私の煩悶は、奥さんと同じやうに御孃さんも策略家ではなからうかといふ疑問に會つて始 めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、萬事を遣つてゐるのだらうと思ふと、私は急に苦しくつて堪らなくなるのです。不愉快なので はありません。絶體絶命のやうな行き詰つた心持になるのです。それでゐて私は、一 方に御孃さんを固く信じて疑はなかつたのです。だから私は信念と迷ひの途中に立つ て、少しも動く事が出來なくなつて仕舞ひました。私には何方も想像であり、又何方 も眞實であつたのです。

十六

 「私は相變らず學校へ出席してゐました。然し教壇に立つ人の講義が、遠くの 方で聞こえるやうな心持がしました。勉強も其通りでした。眼の中へ這入る活字は心 の底迄浸み渡らないうちに烟の如く消えて行くのです。私は其上無口になりました。 それを二三の友達が誤解して、冥想に耽つてでもゐるかのやうに、他の友達に傳へま した。私は此誤解を解かうとはしませんでした。都合の好い假面を人が貸して呉れた のを、却つて仕合せとして喜びました。それでも時々は氣が濟まなかつたのでせう、 發作的に焦燥ぎ廻つて彼等を驚ろかした事もあります。

 私の宿は人出入の少ない家でした。親類も多くはないやうでした。御孃さんの 學校友達がときたま遊びに來る事はありましたが、極めて小さな聲で、居るのだか居 ないのだか分らないやうな話をして歸つてしまふのが常でした。それが私に對する遠 慮からだとは、如何な私にも氣が付きませんでした。私の所へ訪ねて來るものは、大 した亂暴者でもありませんでしたけれども、宅の人に氣兼をする程な男は一人もなか つたのですから。そんな所になると、下宿人の私は主人のやうなもので、肝心の御孃 さんが却つて食客の位地にゐたと同じ事です。

 然しこれはたゞ思ひ出した序に書いた丈で、實は何うでも構はない點です。 たゞ其所に何うでも可くない事が一つあつたのです。茶の間か、さもなければ御孃さ んの室で、突然男の聲が聞こえるのです。其聲が又私の客と違つて、頗ぶる低いので す。だから何を話してゐるのか丸で分らないのです。さうして分らなければ分らない 程、私の神經に一種の昂奮を與へるのです。私は坐つてゐて變にいら/\し出します。私はあれは親類なのだらうか、それとも唯の知り合ひなのだらうかとまづ考へて見る のです。夫から若い男だらうか年輩の人だらうかと思案して見るのです。坐つてゐて そんな事の知れやう筈がありません。さうかと云つて、起つて行つて障子を開けて見 る譯には猶行きません。私の神經は震へるといふよりも、大きな波動を打つて私を苦 しめます。私は客の歸つた後で、屹度忘れずに其人の名を聞きました。御孃さんや奥 さんの返事は、又極めて簡單でした。私は物足りない顏を二人に見せながら、物足り る迄追窮する勇氣を有つてゐなかつたのです。權利は無論有つてゐなかつたのでせう。私は自分の品格を重んじなければならないといふ教育から來た自尊心と、現に其自尊 心を裏切してゐる物欲しさうな顏付とを同時に彼等の前に示すのです。彼等は笑ひま した。それが嘲笑の意味でなくつて、好意から來たものか、又好意らしく見せる積な のか、私は即坐に解釋の餘地を見出し得ない程落付を失つてしまふのです。さうして 事が濟んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんぢやなからうかと、何遍も心のうちで繰り返すのです。

 私は自由な身體でした。たとひ學校を中途で已めやうが、又何處へ行つて何う 暮らさうが、或は何處の何者と結婚しやうが、誰とも相談する必要のない位地に立つ てゐました。私は思ひ切つて奥さんに御孃さんを貰ひ受ける話をして見やうかといふ 決心をした事がそれ迄に何度となくありました。けれども其度毎に私は躊躇して、口 へはとう/\出さずに仕舞つたのです。斷られるのが恐ろしいからではありません。 もし斷られたら、私の運命が何う變化するか分りませんけれども、其代り今迄とは方 角の違つた場所に立つて、新らしい世の中を見渡す便宜も生じて來るのですから、其 位の勇氣は出せば出せたのです。然し私は誘き寄せられるのが厭でした。他の手に乘 るのは何よりも業腹でした。叔父に欺まされた私は、是から先何んな事があつても、 人には欺まされまいと決心したのです。

十七

 「私が書物ばかり買ふのを見て、奥さんは少し着物を拵えろと云ひました。私 は實際田舍で織つた木綿ものしか有つてゐなかつたのです。其頃の學生は絹の入つた 着物を肌に着けませんでした。私の友達に横濱の商人か何かで、宅は中々派出に暮し てゐるものがありましたが、其所へある時羽二重の胴着が配達で屆いた事があります。すると皆ながそれを見て笑ひました。其男は恥かしがつて色々辯解しましたが、折角 の胴着を行李の底へ放り込んで利用しないのです。それを又大勢が寄つてたかつて、 わざと着せました。すると運惡く其胴着に蝨がたかりました。友達は丁度幸ひとでも 思つたのでせう、評判の胴着をぐる/\と丸めて、散歩に出た序に、根津の大きな泥 溝の中へ棄ててしまひました。其時一所に歩いてゐた私は、橋の上に立つて笑ひなが ら友達の所作を眺めてゐましたが、私の胸に何處にも勿體ないといふ氣は少しも起り ませんでした。

 其頃から見ると私も大分大人になつてゐました。けれども未だ自分で餘所行の 着物を拵えるといふ程の分別は出なかつたのです。私は卒業して髯を生やす時代が來 なければ、服裝の心配などはするに及ばないものだといふ變な考を有つてゐたのです。それで奥さんに書物は要るが着物は要らないと云ひました。奥さんは私の買ふ書物の 分量を知つてゐました。買つた本をみんな讀むのかと聞くのです。私の買ふものゝ中 には字引もありますが、當然眼を通すべき筈でありながら、頁さへ切つてないのもあ つたのですから、私は返事に窮しました。私は何うせ要らないものを買ふなら、書物 でも衣服でも同じだといふ事に氣が付きました。其上私は色々世話になるといふ口實 の下に、御孃さんの氣に入るやうな帶か反物を買つて遣りたかつたのです。それで萬 事を奥さんに依頼しました。

 奥さんは自分一人で行くとは云ひません。私にも一所に來いと命令するのです。御孃さんも行かなくてはいけないと云ふのです。今と違つた空氣の中に育てられた私 共は、學生の身分として、あまり若い女などと一所に歩き廻る習慣を有つてゐなかつ たものです。其頃の私は今よりもまだ習慣の奴隷でしたから、多少躊躇しましたが、 思ひ切つて出掛けました。

 御孃さんは大層着飾つてゐました。地體が色の白い癖に、白粉を豐富に塗つた ものだから猶目立ちます。往來の人がじろじろ見て行くのです。さうして御孃さんを 見たものは屹度其視線をひるがへして、私の顏を見るのだから、變なものでした。

 三人は日本橋へ行つて買ひたいものを買ひました。買ふ間にも色々氣が變るの で、思つたより暇がかゝりました。奥さんはわざ/\私の名を呼んで何うだらうと相 談をするのです。時々反物を御孃さんの肩から胸へ堅に宛てゝ置いて、私に二三歩退 いて見て呉れろといふのです。私は其度ごとに、それは駄目だとか、それは能く似合 ふとか、兎に角一人前の口を聞きました。

 斯んな事で時間が掛つて歸りは夕飯の時刻になりました。奥さんは私に對する 御禮に何か御馳走すると云つて、木原店といふ寄席のある狹い横丁へ私を連れ込みま した。横丁も狹いが、飯を食はせる家も狹いものでした。此邊の地理を一向心得ない 私は、奥さんの知識に驚ろいた位です。

 我々は夜に入つて家へ歸りました。其翌日は日曜でしたから、私は終日室の中 に閉ぢ籠つてゐました。月曜になつて、學校へ出ると、私は朝つぱらさう/\級友の 一人から調戲はれました。何時妻を迎へたのかと云つてわざとらしく聞かれるのです。それから私の細君は非常に美人だといつて賞めるのです。私は三人連で日本橋へ出掛 けた所を、其男に何處かで見られたものと見えます。

十八

 「私は宅へ歸つて奥さんと御孃さんに其話をしました。奥さんは笑ひました。 然し定めて迷惑だらうと云つて私の顏を見ました。私は其時腹のなかで、男は斯んな 風にして、女から氣を引いて見られるのかと思ひました。奥さんの眼は充分私にさう 思はせる丈の意味を有つてゐたのです。私は其時自分の考へてゐる通りを直截に打ち 明けて仕舞へば好かつたかも知れません。然し私にはもう狐疑といふ薩張りしない塊 がこびり付いてゐました。私は打ち明けやうとして、ひよいと留まりました。さうし て話の角度を故意に少し外らしました。

 私は肝心の自分といふものを問題の中から引き拔いて仕舞ひました。さうして 御孃さんの結婚について、奥さんの意中を探つたのです。奥さんは二三さういふ話の ないでもないやうな事を、明らかに告げました。然しまだ學校へ出てゐる位で年が若 いから、此方では左程急がないのだと説明しました。奥さんは口へは出さないけれど も、御孃さんの容色に大分重きを置いてゐるらしく見えました。極めやうと思へば何 時でも極められるんだからといふやうな事さへ口外しました。それから御孃さんより 外に子供がないのも、容易に手離したがらない源因になつてゐました。嫁に遣るか、 聟を取るか、それにさへ迷つてゐるのではなからうかと思はれる所もありました。

 話してゐるうちに、私は色々の知識を奥さんから得たやうな氣がしました。然 しそれがために、私は機會を逸したと同樣の結果に陷いつてしまひました。私は自分 に就いて、ついに一言も口を開く事が出來ませんでした。私は好い加減な所で話を切 り上げて、自分の室へ歸らうとしました。

 さつき迄傍にゐて、あんまりだわとか何とか云つて笑つた御孃さんは、何時の 間にか向ふの隅に行つて、脊中を此方へ向けてゐました。私は立たうとして振り返つ た時、其後姿を見たのです。後姿だけで人間の心が讀める筈はありません。御孃さん が此問題について何う考へてゐるか、私には見當が付きませんでした。御孃さんは戸 棚を前にして坐つてゐました。其戸棚の一尺ばかり開いてゐる隙間から、御孃さんは 何か引き出して膝の上へ置いて眺めてゐるらしかつたのです。私の眼はその隙間の端 に、一昨日買つた反物を見付け出しました。私の着物も御孃さんのも同じ戸棚の隅に 重ねてあつたのです。

 私が何とも云はずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改たまつた調子になつて、私に何う思ふかと聞くのです。その聞き方は何をどう思ふのかと反問しなければ解ら ない程不意でした。それが御孃さんを早く片付けた方が得策だらうかといふ意味だと 判然した時、私は成るべく緩くらな方が可いだらうと答へました。奥さんは自分もさ う思ふと云ひました。

 奥さんと御孃さんと私の關係が斯うなつてゐる所へ、もう一人男が入り込まな ければならない事になりました。其男が此家庭の一員となつた結果は、私の運命に非 常な變化を來してゐます。もし其男が私の生活の行路を横切らなかつたならば、恐ら くかういふ長いものを貴方に書き殘す必要も起らなかつたでせう。私は手もなく、魔 の通る前に立つて、其瞬間の影に一生を薄暗くされて氣が付かずにゐたのと同じ事で す。自白すると、私は自分で其男を宅へ引張つて來たのです。無論奥さんの許諾も必 要ですから、私は最初何もかも隱さず打ち明けて、奥さんに頼んだのです。所が奥さ んは止せと云ひました。私には連れて來なければ濟まない事情が充分あるのに、止せ といふ奥さんの方には、筋の立つ理窟は丸でなかつたのです。だから私は私の善いと 思ふ所を強ひて斷行してしまひました。

十九

 「私は其友達の名を此所にKと呼んで置きます。私はこのKと小供の時からの 仲好でした。小供の時からと云へば斷らないでも解つてゐるでせう、二人には同郷の 縁故があつたのです。Kは眞宗の坊さんの子でした。尤も長男ではありません、次男 でした。それである醫者の所へ養子に遣られたのです。私の生れた地方は大變本願寺 派の勢力の強い所でしたから、眞宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好 かつたやうです。一例を擧げると、もし坊さんに女の子があつて、其女の子が年頃に なつたとすると、檀家のものが相談して、何處か適當な所へ嫁に遣つて呉れます。無 論費用は坊さんの懷から出るのではありません。そんな譯で眞宗寺は大抵有福でした。

 Kの生れた家も相應に暮らしてゐたのです。然し次男を東京へ修業に出す程の 餘力があつたか何うか知りません。又修業に出られる便宜があるので、養子の相談が 纏まつたものか何うか、其所も私には分りません。兎に角Kは醫者の家へ養子に行つ たのです。それは私達がまだ中學にゐる時の事でした。私は教場で先生が名簿を呼ぶ 時に、Kの姓が急に變つてゐたので驚ろいたのを今でも記憶してゐます。

 Kの養子先も可なりな財産家でした。Kは其所から學資を貰つて東京へ出て來 たのです。出て來たのは私と一所でなかつたけれども、東京へ着いてからは、すぐ同 じ下宿に入りました。其時分は一つ室によく二人も三人も机を竝べて寐起したもので す。Kと私も二人で同じ間にゐました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合ひな がら、外を睨めるやうなものでしたらう。二人は東京と東京の人を畏れました。それ でゐて六疊の間の中では、天下を睥睨するやうな事を云つてゐたのです。

 然し我々は眞面目でした。我々は實際偉くなる積でゐたのです。ことにKは強 かつたのです。寺に生れた彼は、常に精進といふ言葉を使ひました。さうして彼の行 爲動作は悉くこの精進の一語で形容されるやうに、私には見えたのです。私は心のう ちで常にKを畏敬してゐました。

 Kは中學にゐた頃から、宗教とか哲學とかいふ六づかしい問題で、私を困らせ ました。是は彼の父の感化なのか、又は自分の生れた家、即ち寺といふ一種特別な建 物に屬する空氣の影響なのか、解りません。ともかくも彼は普通の坊さんよりは遙か に坊さんらしい性格を有つてゐたやうに見受けられます。元來Kの養家では彼を醫者 にする積で東京へ出したのです。然るに頑固な彼は醫者にはならない決心をもつて、 東京へ出て來たのです。私は彼に向つて、それでは養父母を欺むくと同じ事ではない かと詰りました。大膽な彼は左右だと答へるのです。道のためなら、其位の事をして も構はないと云ふのです。其時彼の用ひた道といふ言葉は、恐らく彼にも能く解つて ゐなかつたでせう。私は無論解つたとは云へません。然し年の若い私達には、この漠 然とした言葉が尊とく響いたのです。よし解らないにしても氣高い心持に支配されて、そちらの方へ動いて行かうとする意氣組に卑しい所の見える筈はありません。私はK の説に贊成しました。私の同意がKに取つて何の位有力であつたか、それは私も知り ません。一圖な彼は、たとひ私がいくら反對しやうとも、矢張自分の思ひ通りを貫ぬ いたに違なからうとは察せられます。然し萬一の場合、贊成の聲援を與へた私に、多 少の責任が出來てくる位の事は、子供ながら私はよく承知してゐた積です。よし其時 にそれ丈の覺悟がないにしても、成人した眼で、過去を振り廻る必要が起つた場合には、私に割り當てられただけの責任は、私の方で帶びるのが至當になる位な語氣で私は贊成したのです。

二十

 「Kと私は同じ科へ入學しました。Kは澄ました顏をして、養家から送つてく れる金で、自分の好な道を歩き出したのです。知れはしないといふ安心と、知れたつ て構ふものかといふ度胸とが、二つながらKの心にあつたものと見るよりほか仕方が ありません。Kは私よりも平氣でした。

 最初の夏休みにKは國へ歸りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強 するのだと云つてゐました。私が歸つて來たのは九月上旬でしたが、彼は果して大觀 音の傍の汚ない寺の中に閉ぢ籠つてゐました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狹い室でし たが、彼は其所で自分の思ふ通りに勉強が出來たのを喜こんでゐるらしく見えました。私は其時彼の生活の段々坊さんらしくなつて行くのを認めたやうに思ひます。彼は手 頸に珠數を懸けてゐました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つ と勘定する眞似をして見せました。彼は斯うして日に何遍も珠數の輪を勘定するらし かつたのです。たゞし其意味は私には解りません。圓い輪になつてゐるものを一粒 づゝ數へて行けば、何處迄數へて行つても終局はありません。Kはどんな所で何んな 心持がして、爪繰る手を留めたでせう。詰らない事ですが、私はよくそれを思ふので す。

 私は又彼の室に聖書を見ました。私はそれ迄に御經の名を度々彼の口から聞い た覺がありますが、基督教に就いては、問はれた事も答へられた例もなかつたのです から、一寸驚ろきました。私は其理由を訊ねずにはゐられませんでした。Kは理由は ないと云ひました。是程人の有難がる書物なら讀んで見るのが當り前だらうとも云ひ ました。其上彼は機會があつたら、コーランも讀んで見る積だと云ひました。彼はモハメツドと劒といふ言葉に大いなる興味を有つてゐるやうでした。

 二年目の夏に彼は國から催促を受けて漸く歸りました。歸つても專問の事は何 にも云はなかつたものと見えます。家でも亦其所に氣が付かなかつたのです。あなた は學校教育を受けた人だから、斯ういふ消息を能く解してゐるでせうが、世間は學生 の生活だの、學校の規則だのに關して、驚ろくべく無知なものです。我々に何でもな い事が一向外部へは通じてゐません。我々は又比較的内部の空氣ばかり吸つてゐるの で、校内の事は細大共に世の中に知れ渡つてゐる筈だと思ひ過ぎる癖があります。K は其點にかけて、私より世間を知つてゐたのでせう、澄ました顏で又戻つて來ました。國を立つ時は私も一所でしたから、汽車へ乘るや否やすぐ何うだつたとKに問ひまし た。Kは何うでもなかつたと答へたのです。

 三度目の夏は丁度私が永久に父母の墳墓の地を去らうと決心した年です。私は 其時Kに歸國を勸めましたが、Kは應じませんでした。さう毎年家へ歸つて何をする のだと云ふのです。彼はまた踏み留まつて勉強する積らしかつたのです。私は仕方な しに一人で東京を立つ事にしました。私の郷里で暮らした其二ヶ月間が、私の運命に とつて、如何に波瀾に富んだものかは、前に書いた通りですから繰り返しません。私 は不平と幽鬱と孤獨の淋しさとを一つ胸に抱いて、九月に入つて又Kに逢ひました。 すると彼の運命も亦私と同樣に變調を示してゐました。彼は私の知らないうちに、養 家先へ手紙を出して、此方から自分の詐を白状してしまつたのです。彼は最初から其 覺悟でゐたのださうです。今更仕方がないから、御前の好きなものを遣るより外に途 はあるまいと、向ふに云はせる積もあつたのでせうか。兎に角大學へ入つて迄も養父 母を欺むき通す氣はなかつたらしいのです。又欺むかうとしても、さう長く續くもの ではないと見拔いたのかも知れません。

二十一

 「Kの手紙を見た養父は大變怒りました。親を騙すやうな不埓なものに學資を 送る事は出來ないといふ嚴しい返事をすぐ寄こしたのです。Kはそれを私に見せまし た。Kは又それと前後して實家から受取つた書翰も見せました。これにも前に劣らな い程嚴しい詰責の言葉がありました。養家先へ對して濟まないといふ義理が加はつて ゐるからでもありませうが、此方でも一切構はないと書いてありました。Kが此事件 のために復籍してしまふか、それとも他に妥協の道を講じて、依然養家に留まるか、 そこは是から起る問題として、差し當り何うかしなければならないのは、月々に必要 な學資でした。

 私は其點に就いてKに何か考があるのかと尋ねました。Kは夜學校の教師でも する積だと答へました。其時分は今に比べると、存外世の中が寛ろいでゐましたから、内職の口は貴方が考へる程拂底でもなかつたのです。私はKがそれで十分遣つて行け るだらうと考へました。然し私には私の責任があります。Kが養家の希望に背いて、 自分の行きたい道を行かうとした時、贊成したものは私です。私は左右かと云つて手 を拱いでゐる譯に行きません。私は其場で物質的の補助をすぐ申し出しました。する とKは一も二もなくそれを跳ね付けました。彼の性格から云つて、自活の方が友達の 保護の下に立つより遙かに快よく思はれたのでせう。彼は大學へ這入つた以上、自分 一人位何うか出來なければ男でないやうな事を云ひました。私は私の責任を完ふする ために、Kの感情を傷つけるに忍びませんでした。それで彼の思ふ通りにさせて、私 は手を引きました。

 Kは自分の望むやうな口を程なく探し出しました。然し時間を惜む彼にとつて、此仕事が何の位辛かつたかは想像する迄もない事です。彼は今迄通り勉強の手をちつ とも緩めずに、新らしい荷を脊負つて猛進したのです。私は彼の健康を氣遣ひました。然し剛氣な彼は笑ふ丈で、少しも私の注意に取合ひませんでした。

 同時に彼と養家との關係は、段々こん絡がつて來ました。時間に餘裕のなくな つた彼は、前のやうに私と話す機會を奪はれたので、私はついに其顛末を詳しく聞か ずに仕舞ひましたが、解決の益困難になつて行く事丈は承知してゐました。人が仲に 入つて調停を試みた事も知つてゐました。其人は手紙でKに歸國を促がしたのですが、Kは到底駄目だと云つて、應じませんでした。此剛情な所が、――Kは學年中で歸れ ないのだから仕方がないと云ひましたけれども、向ふから見れば剛情でせう。そこが 事態を益險惡にした樣にも見えました。彼は養家の感情を害すると共に、實家の怒も 買ふやうになりました。私が心配して双方を融和するために手紙を書いた時は、もう 何の効果もありませんでした。私の手紙は一言の返事さへ受けずに葬られてしまつた のです。私も腹が立ちました。今迄も行掛り上、Kに同情してゐた私は、それ以後は 理否を度外に置いてもKの味方をする氣になりました。

 最後にKはとう/\復籍に決しました。養家から出して貰つた學資は、實家で 辨償する事になつたのです。其代り實家の方でも構はないから、是からは勝手にしろ といふのです。昔の言葉で云へば、まあ勘當なのでせう。或はそれ程強いものでなか つたかも知れませんが、當人はさう解釋してゐました。Kは母のない男でした。彼の 性格の一面は、たしかに繼母に育てられた結果とも見る事が出來るやうです。もし彼 の實の母が生きてゐたら、或は彼と實家との關係に、斯うまで隔りが出來ずに濟んだ かも知れないと私は思ふのです。彼の父は云ふ迄もなく僧侶でした。けれども義理堅 い點に於て、寧ろ武士に似た所がありはしないかと疑はれます。

二十二

 「Kの事件が一段落ついた後で、私は彼の姉の夫から長い封書を受取りました。Kの養子に行つた先は、此人の親類に當るのですから、彼を周旋した時にも、彼を復籍させた時にも、此人の意見が重きをなしてゐたのだと、Kは私に話して聞かせました。

 手紙には其後Kが何うしてゐるか知らせて呉れと書いてありました。姉が心配してゐるから、成るべく早く返事を貰ひたいといふ依頼も付け加へてありました。Kは寺を嗣いだ兄よりも、他家へ縁づいた此姉を好いてゐました。彼等はみんな一つ腹から生れた姉弟ですけれども、此姉とKの間には大分年齒の差があつたのです。それでKの小供の時分には、繼母よりも此姉の方が、却つて本當の母らしく見えたのでせう。

 私はKに手紙を見せました。Kは何とも云ひませんでしたけれども、自分の所へ此姉から同じやうな意味の書状が二三度來たといふ事を打ち明けました。Kは其度に心配するに及ばないと答へて遣つたのださうです。運惡く此姉は生活に餘裕のない家に片付いたゝめに、いくらKに同情があつても、物質的に弟を何うして遣る譯にも行かなかつたのです。

 私はKと同じやうな返事を彼の義兄宛で出しました。其中に、萬一の場合には私が何うでもするから、安心するやうにといふ意味を強い言葉で書き現はしました。是は固より私の一存でした。Kの行先を心配する此姉に安心を與へやうといふ好意は無論含まれてゐましたが、私を輕蔑したとより外に取りやうのない彼の實家や養家に對する意地もあつたのです。

 Kの復籍したのは一年生の時でした。それから二年生の中頃になる迄、約一年 半の間、彼は獨力で己れを支へて行つたのです。所が此過度の勞力が次第に彼の健康 と精神の上に影響して來たやうに見え出しました。それには無論養家を出る出ないの 蒼蠅い問題も手傳つてゐたでせう。彼は段々感傷的になつて來たのです。時によると、自分丈が世の中の不幸を一人で脊負つて立つてゐるやうな事を云ひます。さうして夫 を打ち消せばすぐ激するのです。それから自分の未來に横はる光明が、次第に彼の眼 を遠退いて行くやうにも思つて、いら/\するのです。學問を遣り始めた時には、誰 しも偉大な抱負を有つて、新らしい旅に上るのが常ですが、一年と立ち二年と過ぎ、 もう卒業も間近になると、急に自分の足の運びの鈍いのに氣が付いて、過半は其所で 失望するのが當り前になつてゐますから、Kの場合も同じなのですが、彼の焦慮り方は又普通に比べると遙かに甚しかつたのです。私はついに彼の氣 分を落ち付けるのが專一だと考へました。

 私は彼に向つて、餘計な仕事をするのは止せと云ひました。さうして當分身體を樂にして、遊ぶ方が大きな將來のために得策だと忠告しました。 剛情なKの事ですから、容易に私のいふ事などは聞くまいと、かねて豫期してゐたの ですが、實際云ひ出して見ると、思つたよりも説き落すのに骨が折れたので弱りまし た。Kはたゞ學問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養つて強い人 になるのが自分の考だと云ふのです。それには成るべく窮屈な境遇にゐなくてはなら ないと結論するのです。普通の人から見れば、丸で醉狂です。其上窮屈な境遇にゐる 彼の意志は、ちつとも強くなつてゐないのです。彼は寧ろ神經衰弱に罹つてゐる位な のです。私は仕方がないから、彼に向つて至極同感であるやうな樣子を見せました。 自分もさういふ點に向つて、人生を進む積だつたと遂には明言しました。(尤も是は 私に取つてまんざら空虚な言葉でもなかつたのです。Kの説を聞いてゐると、段々さ ういふ所に釣り込まれて來る位、彼には力があつたのですから)。最後に私はKと一 所に住んで、一所に向上の路を辿つて行きたいと發議しました。私は彼の剛情を折り 曲げるために、彼の前に跪まづく事を敢てしたのです。さうして漸との事で彼を私の 家に連れて來ました。

二十三

「私の座敷には控えの間といふやうな四疊が付屬してゐました。玄關を上つて私のゐる所へ通らうとするには、是非此四疊を横切らなければならないのだから、實用の點から見ると、至極不便な室でした。私は此所へKを入れたのです。尤も最初は同じ八疊に二つ机を竝べて、次の間を共有にして置く考へだつたのですが、Kは狹苦しくつても一人で居る方が好いと云つて、自分で其方のはうを擇んだのです。

前にも話した通り、奥さんは私の此所置に對して始めは不贊成だつたのです。下宿屋ならば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商賣でないのだから、成るべくなら止した方が好いといふのです。私が決して世話の燒ける人でないから構ふまいといふと、世話は燒けないでも、氣心の知れない人は厭だと答へるのです。それでは今厄介になつてゐる私だつて同じ事ではないかと詰ると、私の氣心は初めから能く分つてゐると辯解して已まないのです。私は苦笑しました。すると奥さんは又理窟の方向を更へます。そんな人を連れて來るのは、私の爲に惡いから止せと云ひ直します。何故私のために惡いかと聞くと、今度は向ふで苦笑するのです。

實をいふと私だつて強ひてKと一所にゐる必要はなかつたのです。けれども月々の費用を金の形で彼の前に竝べて見せると、彼は屹度それを受取る時に躊躇するだらうと思つたのです。彼はそれ程獨立心の強い男でした。だから私は彼を私の宅へ置いて、二人前の食料を彼の知らない間にそつと奥さんの手に渡さうとしたのです。然し私はKの經濟問題について、一言も奥さんに打ち明ける氣はありませんでした。

私はたゞKの健康に就いて云々しました。一人で置くと益人間が偏窟になるばかりだからと云ひました。それに付け足して、Kが養家と折合の惡かつた事や、實家と離れてしまつた事や、色色話して聞かせました。私は溺れかゝつた人を抱いて、自分の熱を向ふに移してやる覺悟で、Kを引き取るのだと告げました。其積であたゝかい面倒を見て遣つて呉れと、奥さんにも御孃さんにも頼みました。私はここ迄來て漸々奥さんを説き伏せたのです。然し私から何にも聞かないKは、此顛末を丸で知らずにゐました。私も却つてそれを滿足に思つて、のつそり引き移つて來たKを、知らん顏で迎へました。

奥さんと御孃さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や何かをして呉れました。凡てそれを私に對する好意から來たのだと解釋した私は、心のうちで喜びました。――Kが相變らずむつちりした樣子をしてゐるにも拘はらず。

私がKに向つて新らしい住居の心持は何うだと聞いた時に、彼はたゞ一言惡くないと云つた丈でした。私から云はせれば惡くない所ではないのです。彼の今迄居た所は北向の濕つぽい臭のする汚ない室でした。食物も室相應に粗末でした。私の家へ引き移つた彼は、幽谷から喬木に移つた趣があつた位です。それを左程に思ふ氣色を見せないのは、一つは彼の強情から來てゐるのですが、一つは彼の主張からも出てゐるのです。佛教の教義で養はれた彼は、衣食住について兎角の贅澤をいふのを恰も不道徳のやうに考へてゐました。なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの傳を讀んだ彼には、動ともすると精神と肉體とを切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻すれば靈の光輝が増すやうに感ずる場合さへあつたのかも知れません。

 私は成るべく彼に逆はない方針を取りました。私は氷を日向へ出して溶かす工 夫をしたのです。今に融けて温かい水になれば、自分で自分に氣が付く時機が來るに 違ないと思つたのです。

二十四

「私は奥さんからさう云ふ風に取扱かはれた結果、段々快活になつて來たのです。それを自覺してゐたから、同じものを今度はKの上に應用しやうと試みたのです。Kと私とが性格の上に於て、大分相違のある事は、長く交際つて來た私に能く解つてゐましたけれども、私の神經が此家庭に入つてから多少角が取れた如く、Kの心も此所に置けば何時か沈まる事があるだらうと考へたのです。

Kは私より強い決心を有してゐる男でした。勉強も私の倍位はしたでせう。其上持つて生れた頭の質が私よりもずつと可かつたのです。後では專問が違ましたから何とも云へませんが、同じ級にゐる間は、中學でも高等學校でも、Kの方が常に上席を占めてゐました。私には平生から何をしてもKに及ばないといふ自覺があつた位です。けれども私が強ひてKを私の宅へ引張つて來た時には、私の方が能く事理を辨へてゐると信じてゐました。私に云はせると、彼は我慢と忍耐の區別を了解してゐないやうに思はれたのです。是はとくに貴方のために付け足して置きたいのですから聞いて下さい。肉體なり精神なり凡て我々の能力は、外部の刺戟で、發達もするし、破壞されもするでせうが、何方にしても刺戟を段々に強くする必要のあるのは無論ですから、能く考へないと、非常に險惡な方向へむいて進んで行きながら、自分は勿論傍のものも氣が付かずにゐる恐れが生じてきます。醫者の説明を聞くと、人間の胃袋程横着なものはないさうです。粥ばかり食つてゐると、それ以上の堅いものを消化す力が何時の間にかなくなつて仕舞ふのださうです。だから何でも食ふ稽古をして置けと醫者はいふのです。けれども是はたゞ慣れるといふ意味ではなからうと思ひます。次第に刺戟を増すに從つて、次第に營養機能の抵抗力が強くなるといふ意味でなくてはなりますまい。もし反對に胃の力の方がぢり/\弱つて行つたなら結果は何うなるだらうと想像して見ればすぐ解る事です。Kは私より偉大な男でしたけれども、全く此所に氣が付いてゐなかつたのです。たゞ困難に慣れてしまへば、仕舞に其困難は何でもなくなるものだと極めてゐたらしいのです。艱苦を繰り返せば、繰り返すといふだけの功徳で、其艱苦が氣にかゝらなくなる時機に邂逅へるものと信じ切つてゐたらしいのです。

 私はKを説くときに、是非其所を明らかにして遣りたかつたのです。然し云へば屹度反抗されるに極つてゐました。また昔の人の例などを、引合に持つて來るに違ないと思ひました。さうなれば私だつて、其人達とKと違つてゐる點を明白に述べなければならなくなります。それを首肯つて呉れるやうなKなら可いのですけれども、彼の性質として、議論が其所迄行くと容易に後へは返りません。猶先へ出ます。さうして、口で先へ出た通りを、行爲で實現しに掛ります。彼は斯うなると恐るべき男でした。偉大でした。自分で自分を破壞しつゝ進みます。結果から見れば、彼はたゞ自己の成功を打ち碎く意味に於て、偉大なのに過ぎないのですけれども、それでも決して平凡ではありませんでした。彼の氣性をよく知つた私はついに何とも云ふ事が出來なかつたのです。其上私から見ると、彼は前にも述べた通り、多少神經衰弱に罹つてゐたやうに思はれたのです。よし私が彼を説き伏せた所で、彼は必ず激するに違ないのです。私は彼と喧嘩をする事は恐れてはゐませんでしたけれども、私が孤獨の感に堪へなかつた自分の境遇を顧みると、親友の彼を、同じ孤獨の境遇に置くのは、私に取つて忍びない事でした。一歩進んで、より孤獨な境遇に突き落すのは猶厭でした。それで私は彼が宅へ引き移つてからも、當分の間は批評がましい批評を彼の上に加へずにゐました。たゞ穩かに周圍の彼に及ぼす結果を見る事にしたのです。

二十五

 「私は蔭へ廻つて、奥さんと御孃さんに、成るべくKと話しをする樣に頼みました。私は彼の是迄通つて來た無言生活が彼に祟つてゐるのだらうと信じたからです。使はない鐵が腐るやうに、彼の心には錆が出てゐたとしか、私には思はれなかつたのです。

 奥さんは取り付き把のない人だと云つて笑つてゐました。御孃さんは又わざ/\其例を擧げて私に説明して聞かせるのです。火鉢に火があるかと尋ねると、Kは無いと答へるさうです。では持つて來ようと云ふと、要らないと斷わるさうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだと云つたぎり應對をしないのださうです。私はたゞ苦笑してゐる譯にも行きません。氣の毒だから、何とか云つて其場を取り繕ろつて置かなければ濟まなくなります。尤もそれは春の事ですから、強ひて火にあたる必要もなかつたのですが、是では取り付き把がないと云はれるのも無理はないと思ひました。

 それで私は成るべく、自分が中心になつて、女二人とKとの連絡をはかる樣に力めました。Kと私が話してゐる所へ家の人を呼ぶとか、又は家の人と私が一つ室に落ち合つた所へ、Kを引つ張り出すとか、何方でも其場合に應じた方法をとつて、彼等を接近させやうとしたのです。勿論Kはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起つて室の外へ出ました。又ある時はいくら呼んでも中々出て來ませんでした。Kはあんな無駄話をして何處が面白いと云ふのです。私はたゞ笑つてゐました。然し心の中では、Kがそのために私を輕蔑してゐる事が能く解りました。

 私はある意味から見て實際彼の輕蔑に價してゐたかも知れません。彼の眼の着け所は私より遙かに高いところにあつたとも云はれるでせう。私もそれを否みはしません。 然し眼だけ高くつて、外が釣り合はないのは手もなく不具です。私は何を措いても、 此際彼を人間らしくするのが專一だと考へたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像で 埋まつてゐても、彼自身が偉くなつて行かない以上は、何の役にも立たないといふ事 を發見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まづ異性の傍に彼を 坐らせる方法を講じたのです。さうして其所から出る空氣に彼を曝した上、錆び付き かゝつた彼の血液を新らしくしやうと試みたのです。

 此試みは次第に成功しました。初のうち融合しにくいやうに見えたものが、段々一つに纏まつて來出しました。彼は自分以外に世界のある事を少しづゝ悟つて行くやうでした。彼はある日私に向つて、女はさう輕蔑すべきものでないと云ふやうな事を云ひました。Kははじめ女からも、私同樣の知識と學問を要求してゐたらしいのです。左右してそれが見付からないと、すぐ輕蔑の念を生じたものと思はれます。今迄の彼は、性によつて立場を變へる事を知らずに、同じ視線で凡ての男女を一樣に觀察してゐたのです。私は彼に、もし我等二人丈が男同志で永久に話を交換してゐるならば、二人はたゞ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだらうと云ひました。彼は尤もだと答へました。私は其時御孃さんの事で、多少夢中になつてゐる頃でしたから、自然そんな言葉も使ふやうになつたのでせう。然し裏面の消息は彼には一口も打ち明けませんでした。

 今迄書物で城壁をきづいて其中に立て籠つてゐたやうなKの心が、段々打ち解けて來るのを見てゐるのは、私に取つて何よりも愉快でした。私は最初からさうした目的で事を遣り出したのですから、自分の成功に伴ふ喜悦を感ぜずにはゐられなかつたのです。私は本人に云はない代りに、奥さんと御孃さんに自分の思つた通りを話しました。二人も滿足の樣子でした。

二十六

 「Kと私は同じ科に居りながら、專攻の學問が違つてゐましたから、自然出る時や歸る時に遲速がありました。私の方が早ければ、たゞ彼の空室を通り拔ける丈ですが、遲いと簡單な挨拶をして自分の部屋へ這入るのを例にしてゐました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖を開ける私を一寸見ます。さうして屹度今歸つたのかと云ひます。私は何も答へないで點頭く事もありますし、或はたゞ『うん』と答へて行き過ぎる場合もありました。

 ある日私は神田に用があつて、歸りが何時もよりずつと後れました。私は急ぎ足に門前迄來て、格子をがらりと開けました。それと同時に、私は御孃さんの聲を聞いたのです。聲は慥にKの室から出たと思ひました。玄關から眞直に行けば、茶の間、御孃さんの部屋と二つ續いてゐて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、といふ間取なのですから、何處で誰の聲がした位は、久しく厄介になつてゐる私には能く分るのです。私はすぐ格子を締めました。すると御孃さんの聲もすぐ已みました。私が靴を脱いでゐるうち、――私は其時分からハイカラで手數のかゝる編上を穿いてゐたのですが、――私がこゞんで其靴紐を解いてゐるうち、Kの部屋では誰の聲もしませんでした。私は變に思ひました。ことによると、私の疳違かも知れないと考へたのです。然し私がいつもの通りKの室を拔けやうとして、襖を開けると、其所に二人はちやんと坐つてゐました。Kは例の通り今歸つたかと云ひました。御孃さんも『御歸り』と坐つた儘で挨拶しました。私には氣の所爲か其簡單な挨拶が少し硬いやうに聞こえました。何處かで自然を踏み外してゐるやうな調子として、私の鼓膜に響いたのです。私は御孃さんに、奥さんはと尋ねました。私の質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひつそりしてゐたから聞いて見た丈の事です。

 奥さんは果して留守でした。下女も奥さんと一所に出たのでした。だから家に殘つてゐるのは、Kと御孃さん丈だつたのです。私は一寸首を傾けました。今迄長い間世話になつてゐたけれども、奥さんが御孃さんと私だけを置き去りにして、宅を空けた例はまだなかつたのですから。私は何か急用でも出來たのかと御孃さんに聞き返しました。御孃さんはたゞ笑つてゐるのです。私は斯んな時に笑ふ女が嫌でした。若い女に共通な點だと云へばそれ迄かも知れませんが、御孃さんも下らない事に能く笑ひたがる女でした。然し御孃さんは私の顏色を見て、すぐ不斷の表情に歸りました。急用ではないが、一寸用があつて出たのだと眞面目に答へました。下宿人の私にはそれ以上問ひ詰める權利はありません。私は沈默しました。

 私が着物を改めて席に着くか着かないうちに、奥さんも下女も歸つて來ました。やがて晩食の食卓でみんなが顏を合せる時刻が來ました。下宿した當座は萬事客扱ひだつたので、食事のたびに下女が膳を運んで來て呉れたのですが、それが何時の間にか崩れて、飯時には向ふへ呼ばれて行く習慣になつてゐたのです。Kが新らしく引き移つた時も、私が主張して彼を私と同じやうに取扱はせる事に極めました。其代り私は薄い板で造つた足の疊み込める華奢な食卓を奥さんに寄附しました。今では何處の宅でも使つてゐるやうですが、其頃そんな卓の周圍に竝んで飯を食ふ家族は殆んどなかつたのです。私はわざ/\御茶の水の家具屋へ行つて、私の工夫通りにそれを造り上させたのです。

 私は其卓上で奥さんから其日何時もの時刻に肴屋が來なかつたので、私達に食はせるものを買ひに町へ行かなければならなかつたのだといふ説明を聞かされました。成程客を置いてゐる以上、それも尤もな事だと私が考へた時、御孃さんは私の顏を見て又笑ひ出しました。然し今度は奥さんに叱られてすぐ已めました。

二十七

 「一週間ばかりして私は又Kと御孃さんが一所に話してゐる室を通り拔けました。其時御孃さんは私の顏を見るや否や笑ひ出しました。私はすぐ何が可笑しいのかと聞けば可かつたのでせう。それをつい默つて自分の居間迄來て仕舞つたのです。だからKも何時ものやうに、今歸つたかと聲を掛ける事が出來なくなりました。御孃さんはすぐ障子を開けて茶の間へ入つたやうでした。

 夕飯の時、御孃さんは私を變な人だと云ひました。私は其時も何故變なのか聞かずにしまひました。たゞ奥さんが睨めるやうな眼を御孃さんに向けるのに氣が付いた丈でした。

 私は食後Kを散歩に連れ出しました。二人は傳通院の裏手から植物園の通りをぐるりと廻つて又富坂の下へ出ました。散歩としては短かい方ではありませんでしたが、其間に話した事は極めて少なかつたのです。性質からいふと、Kは私よりも無口な男でした。私も多辯な方ではなかつたのです。然し私は歩きながら、出來る丈話を彼に仕掛て見ました。私の問題は重に二人の下宿してゐる家族に就いてでした。私は奥さんや御孃さんを彼が何う見てゐるか知りたかつたのです。所が彼は海のものとも山のものとも見分の付かないやうな返事ばかりするのです。しかも其返事は要領を得ない癖に、極めて簡單でした。彼は二人の女に關してよりも、專攻の學科の方に多くの注意を拂つてゐる樣に見えました。尤もそれは二學年目の試驗が目の前に逼つてゐる頃でしたから、普通の人間の立場から見て、彼の方が學生らしい學生だつたのでせう。其上彼はシユエデンボルグが何うだとか斯うだとか云つて、無學な私を驚ろかせました。

 我々が首尾よく試驗を濟ましました時、二人とももう後一年だと云つて奥さんは喜こんで呉れました。さう云ふ奥さんの唯一の誇とも見られる御孃さんの卒業も、間もなく來る順になつてゐたのです。Kは私に向つて、女といふものは何にも知らないで學校を出るのだと云ひました。Kは御孃さんが學問以外に稽古してゐる縫針だの琴だの活花だのを、丸で眼中に置いてゐないやうでした。私は彼の迂濶を笑つてやりました。さうして女の價値はそんな所にあるものでないといふ昔の議論を又彼の前で繰り返しました。彼は別段反駁もしませんでした。其代り成程といふ樣子も見せませんでした。私には其所が愉快でした。彼のふんと云つた調子が、依然として女を輕蔑してゐるやうに見えたからです。女の代表者として私の知つてゐる御孃さんを、物の數とも思つてゐないらしかつたからです。今から囘顧すると、私のKに對する嫉妬は、其時にもう充分萌してゐたのです。

 私は夏休みに何處かへ行かうかとKに相談しました。Kは行きたくないやうな口振を見せました。無論彼は自分の自由意志で何處へも行ける身體ではありませんが、私が誘ひさへすれば、また何處へ行つても差支へない身體だつたのです。私は何故行きたくないのかと彼に尋ねて見ました。彼は理由も何にもないと云ふのです。宅で書物を讀んだ方が自分の勝手だと云ふのです。私が避暑地へ行つて涼しい所で勉強した方が、身體の爲だと主張すると、それなら私一人行つたら可からうと云ふのです。然し私はK一人を此所に殘して行く氣にはなれないのです。私はたゞでさへKと宅のものが段々親しくなつて行くのを見てゐるのが、餘り好い心持ではなかつたのです。私が最初希望した通りになるのが、何で私の心持を惡くするのかと云はれゝば夫迄です。私は馬鹿に違ないのです。果しのつかない二人の議論を見るに見かねて奥さんが仲に入りました。二人はとう/\一所に房州へ行く事になりました。

二十八

 「Kはあまり旅へ出ない男でした。私にも房州は始てでした。二人は何にも知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田とか云ひました。今では何んなに變つてゐるか知りませんが、其頃は非道い漁村でした。第一何處も彼處も腥さいのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦り剥くのです。拳のやうな大きな石が打ち寄せる波に揉まれて、始終ごろ/\してゐるのです。

 私はすぐ厭になりました。然しKは好いとも惡いとも云ひません。少なくとも顏付丈は平氣なものでした。其癖彼は海に入るたんびに何處かに怪我をしない事はなかつたのです。私はとうとう彼を説き伏せて、其所から富浦に行きました。富浦から又那古に移りました。總て此沿岸は其時分から重に學生の集まる所でしたから、何處でも我々には丁度手頃の海水浴場だつたのです。Kと私は能く海岸の岩の上に坐つて、遠い海の色や、近い水の底を眺めました。岩の上から見下す水は、又特別に綺麗なものでした。赤い色だの藍の色だの、普通市場に上らないやうな色をした小魚が、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでゐるのが鮮やかに指さゝれました。

 私は其所に坐つて、よく書物をひろげました。Kは何もせずに默つてゐる方が多かつたのです。私にはそれが考へに耽つてゐるのか、景色に見惚れてゐるのか、若しくは好きな想像を描いてゐるのか、全く解らなかつたのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしてゐるのだと聞きました。Kは何もしてゐないと一口答へる丈でした。私は自分の傍に斯うぢつとして坐つてゐるものが、Kでなくつて、御孃さんだつたら嘸愉快だらうと思ふ事が能くありました。それ丈ならまだ可いのですが、時にはKの方でも私と同じやうな希望を抱いて岩の上に坐つてゐるのではないかしらと忽然疑ひ出すのです。すると落ち付いて其所に書物をひろげてゐるのが急に厭になります。私は不意に立ち上ります。さうして遠慮のない大きな聲を出して怒鳴ります。纏まつた詩だの歌だのを面白さうに吟ずるやうな手緩い事は出來ないのです。只野蠻人の如くにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸を後からぐいと攫みました。斯うして海の中へ突き落したら何うすると云つてKに聞きました。Kは動きませんでした。後向の儘、丁度好い、遣つて呉れと答へました。私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。

 Kの神經衰弱は此時もう大分可くなつてゐたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々過敏になつて來てゐたのです。私は自分より落付いてゐるKを見て、羨ましがりました。又憎らしがりました。彼は何うしても私に取り合ふ氣色を見せなかつたからです。私にはそれが一種の自信の如く映りました。然しその自信を彼に認めた所で、私は決して滿足出來なかつたのです。私の疑ひはもう一歩前へ出て、その性質を明らめたがりました。彼は學問なり事業なりに就いて、是から自分の進んで行くべき前途の光明を再び取り返した心持になつたのだらうか。單にそれ丈ならば、Kと私との利害に何の衝突の起る譯はないのです。私は却つて世話のし甲斐があつたのを嬉しく思ふ位なものです。けれども彼の安心がもし御孃さんに對してであるとすれば、私は決して彼を許す事が出來なくなるのです。不思議にも彼は私の御孃さんを愛してゐる素振に全く氣が付いてゐないやうに見えました。無論私もそれがKの眼に付くやうにわざとらしくは振舞ひませんでしたけれども。Kは元來さういふ點にかけると鈍い人なのです。私には最初からKなら大丈夫といふ安心があつたので、彼をわざ/\宅へ連れて來たのです。

二十九

 「私は思ひ切つて自分の心をKに打ち明けやうとしました。尤も是は其時に始まつた譯でもなかつたのです。旅に出ない前から、私にはさうした腹が出來てゐたのですけれども、打ち明ける機會をつらまへる事も、其機會を作り出す事も、私の手際では旨く行かなかつたのです。今から思ふと、其頃私の周圍にゐた人間はみんな妙でした。女に關して立ち入つた話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種を有たないのも大分ゐたでせうが、たとひ有つてゐても默つてゐるのが普通の樣でした。比較的自由な空氣を呼吸してゐる今の貴方がたから見たら、定めし變に思はれるでせう。それが道學の餘習なのか、又は一種のはにかみなのか、判斷は貴方の理解に任せて置きます。

 Kと私は何でも話し合へる中でした。偶には愛とか戀とかいふ問題も、口に上らないではありませんでしたが、何時でも抽象的な理論に落ちてしまふ丈でした。それも滅多には話題にならなかつたのです。大抵は書物の話と學問の話と、未來の事業と、抱負と、修養の話位で持ち切つてゐたのです。いくら親しくつても斯う堅くなつた日には、突然調子を崩せるものではありません。二人はたゞ堅いなりに親しくなる丈です。私は御孃さんの事をKに打ち明けやうと思ひ立つてから、何遍齒掻ゆい不快に惱まされたか知れません。私はKの頭の何處か一ケ所を突き破つて、其所から柔らかい空氣を吹き込んでやりたい氣がしました。

 貴方がたから見て笑止千萬な事も其時の私には實際大困難だつたのです。私は旅先でも宅にゐた時と同じやうに卑怯でした。私は始終機會を捕える氣でKを觀察してゐながら、變に高踏的な彼の態度を何うする事も出來なかつたのです。私に云はせると、彼の心臟の周圍は黒い漆で重く塗り固められたのも同然でした。私の注ぎ懸けやうとする血潮は、一滴も其心臟の中へは入らないで、悉く彈き返されてしまふのです。

 或時はあまりにKの樣子が強くて高いので、私は却つて安心した事もあります。さうして自分の疑を腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫びました。詫びながら自分が非常に下等な人間のやうに見えて、急に厭な心持になるのです。然し少時すると、以前の疑が又逆戻りをして、強く打ち返して來ます。凡てが疑ひから割り出されるのですから、凡てが私には不利益でした。容貌もKの方が女に好かれるやうに見えました。性質も私のやうにこせ/\してゐない所が、異性には氣に入るだらうと思はれました。何處か間が拔けてゐて、それで何處かに確かりした男らしい所のある點も、私よりは優勢に見えました。學力になれば專問こそ違ひますが、私は無論Kの敵でないと自覺してゐました。――凡て向ふの好い所丈が斯う一度に眼先へ散らつき出すと、一寸安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。

 Kは落ち付かない私の樣子を見て、厭なら一先東京へ歸つても可いと云つたのですが、さう云はれると、私は急に歸りたくなくなりました。實はKを東京へ歸したくなかつたのかも知れません。二人は房州の鼻を廻つて向ふ側へ出ました。我々は暑い日に射られながら、苦しい思ひをして、上總の其所一里に騙されながら、うん/\歩きました。私にはさうして歩いてゐる意味が丸で解らなかつた位です。私は冗談半分Kにさう云ひました。するとKは足があるから歩くのだと答へました。さうして暑くなると、海に入つて行かうと云つて、何處でも構はず潮へ漬りました。その後を又強い日で照り付けられるのですから、身體が倦怠くてぐた/\になりました。

三十

 「斯んな風にして歩いてゐると、暑さと疲勞とで自然身體の調子が狂つて來るものです。尤も病氣とは違ひます。急に他の身體の中へ、自分の靈魂が宿替をしたやうな氣分になるのです。私は平生の通りKと口を利きながら、何處かで平生の心持と離れるやうになりました。彼に對する親しみも憎しみも、旅中限りといふ特別な性質を帶びる風になつたのです。つまり二人は暑さのため、潮のため、又歩行のため、在來と異なつた新らしい關係に入る事が出來たのでせう。其時の我々は恰も道づれになつた行商のやうなものでした。いくら話をしても何時もと違つて、頭を使ふ込み入つた問題には觸れませんでした。

 我々は此調子でとう/\銚子迄行つたのですが、道中たつた一つの例外があつたのを今に忘れる事が出來ないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊といふ所で、鯛の浦を見物しました。もう年數も餘程經つてゐますし、それに私には夫程興味のない事ですから、判然とは覺えてゐませんが、何でも其所は日蓮の生れた村だとか云ふ話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二尾磯に打ち上げられてゐたとかいふ言傳へになつてゐるのです。それ以來村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至つたのだから、浦には鯛が澤山ゐるのです。我々は小舟を傭つて、其鯛をわざ/\見に出掛けたのです。

 其時私はたゞ一圖に波を見てゐました。さうして其波の中に動く少し紫がかつた鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。然しKは私程それに興味を有ち得なかつたものと見えます。彼は鯛よりも却つて日蓮の方を頭の中で想像してゐたらしいのです。丁度其所に誕生寺といふ寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでせう、立派な伽藍でした。Kは其寺に行つて住持に會つて見るといひ出しました。實をいふと、我々は隨分變な服裝をしてゐたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠を買つて被つてゐました。着物は固より双方とも垢じみた上に汗で臭くなつてゐました。私は坊さんなどに會ふのは止さうと云ひました。Kは強情だから聞きません。厭なら私丈外に待つてゐろといふのです。私は仕方がないから一所に玄關にかゝりましたが、心のうちでは屹度斷られるに違ないと思つてゐました。所が坊さんといふものは案外丁寧なもので、廣い立派な座敷へ私達を通して、すぐ會つて呉れました。其時分の私はKと大分考が違つてゐましたから、坊さんとKの談話にそれ程耳を傾ける氣も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いてゐたやうです。日蓮は草日蓮と云はれる位で、草書が大變上手であつたと坊さんが云つた時、字の拙いKは、何だ下らないといふ顏をしたのを私はまだ覺えてゐます。Kはそんな事よりも、もつと深い意味の日蓮が知りたかつたのでせう。坊さんが其點でKを滿足させたか何うかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりに私に向つて日蓮の事を云々し出しました。私は暑くて草臥れて、それ所ではありませんでしたから、唯口の先で好い加減な挨拶をしてゐました。夫も面倒になつてしまひには全く默つてしまつたのです。

 たしかその翌る晩の事だと思ひますが、二人は宿へ着いて飯を食つて、もう寐やうといふ少し前になつてから、急に六づかしい問題を論じ合ひ出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事に就いて、私が取り合はなかつたのを、快よく思つてゐなかつたのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だと云つて、何だか私をさも輕薄ものゝやうに遣り込めるのです。ところが私の胸には御孃さんの事が蟠まつてゐますから、彼の侮蔑に近い言葉をたゞ笑つて受け取る譯に行きません。私は私で辯解を始めたのです。

三十一

 「其時私はしきりに人間らしいといふ言葉を使ひました。Kは此人間らしいといふ言葉のうちに、私が自分の弱點の凡てを隱してゐると云ふのです。成程後から考へれば、Kのいふ通りでした。然し人間らしくない意味をKに納得させるために其言葉を使ひ出した私には、出立點が既に反抗的でしたから、それを反省するやうな餘裕はありません。私は猶の事自説を主張しました。するとKが彼の何處をつらまえて人間らしくないと云ふのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。或は人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先丈では人間らしくないやうな事を云ふのだ。又人間らしくないやうに振舞はうとするのだ。

 私が斯う云つた時、彼はたゞ自分の修養が足りないから、他にはさう見えるかも知れないと答へた丈で、一向私を反駁しやうとしませんでした。私は張合が拔けたといふよりも、却つて氣の毒になりました。私はすぐ議論を其所で切り上げました。彼の調子もだん/\沈んで來ました。もし私が彼の知つてゐる通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだらうと云つて悵然としてゐました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。靈のために肉を虐げたり、道のために體を鞭つたりした所謂難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどの位そのために苦しんでゐるか解らないのが、如何にも殘念だと明言しました。

 Kと私とはそれぎり寐てしまいました。さうして其翌る日から又普通の行商の態度に返つて、うん/\汗を流しながら歩き出したのです。然し私は路々其晩の事をひよい/\と思ひ出しました。私には此上もない好い機會が與へられたのに、知らない振をして何故それを遣り過ごしたのだらうといふ悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいといふ抽象的な言葉を用ひる代りに、もつと直截で簡單な話をKに打ち明けてしまへば好かつたと思ひ出したのです。實を云ふと、私がそんな言葉を創造したのも、御孃さんに對する私の感情が土臺になつてゐたのですから、事實を蒸溜して拵らえた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原の形そのまゝを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だつたでせう。私にそれが出來なかつたのは、學問の交際が基調を構成してゐる二人の親しみに、自から一種の惰性があつたため、思ひ切つてそれを突き破る丈の勇氣が私に缺けてゐたのだといふ事をこゝに自白します。氣取り過ぎたと云つても、虚榮心が崇つたと云つても同じでせうが、私のいふ氣取るとか虚榮とかいふ意味は、普通のとは少し違ひます。それがあなたに通じさへすれば、私は滿足なのです。

 我々は眞黒になつて東京へ歸りました。歸つた時は私の氣分が又變つてゐました。人間らしいとか、人間らしくないとかいふ小理窟は殆んど頭の中に殘つてゐませんでした。Kにも宗教家らしい樣子が全く見えなくなりました。恐らく彼の心のどこにも靈がどうの肉がどうのといふ問題は、其時宿つてゐなかつたでせう。二人は異人種のやうな顏をして、忙がしさうに見える東京をぐる/\眺めました。それから兩國へ來て、暑いのに軍鶏を食ひました。Kは其勢で小石川迄歩いて歸らうと云ふのです。體力から云へばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ應じました。

 宅へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚ろきました。二人はたゞ色が黒くなつたばかりでなく、無暗に歩いてゐたうちに大變瘠せてしまつたのです。奥さんはそれでも丈夫さうになつたと云つて賞めて呉れるのです。御孃さんは奥さんの矛盾が可笑しいと云つて又笑ひ出しました。旅行前時々腹の立つた私も、其時丈は愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久し振に聞いた所爲でせう。

三十二

 「それのみならず私は御孃さんの態度の少し前と變つてゐるのに氣が付きました。久し振で旅から歸つた私達が平生の通り落付く迄には、萬事に就いて女の手が必要だつたのですが、其世話をして呉れる奥さんは兎に角、御孃さんが凡て私の方を先にして、Kを後廻しにするやうに見えたのです。それを露骨に遣られては、私も迷惑したかも知れません。場合によつては却つて不快の念さへ起しかねなかつたらうと思ふのですが、御孃さんの所作は其點で甚だ要領を得てゐたから、私は嬉しかつたのです。つまり御孃さんは私だけに解るやうに、持前の親切を餘分に私の方へ割り宛てゝ呉れたのです。だからKは別に厭な顏もせずに平氣でゐました。私は心の中でひそかに彼に對する歌を奏しました。

 やがて夏も過ぎて九月の中頃から我々はまた學校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自の時間の都合で、出入の刻限にまた遲速が出來てきました。私がKより後れて歸る時は一週に三度ほどありましたが、何時歸つても御孃さんの影をKの室に認める事はないやうになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、『今歸つたのか』を規則の如く繰り返しました。私の會釋も殆んど器械の如く簡單で且つ無意味でした。

 たしか十月の中頃と思ひます、私は寐坊をした結果、日本服の儘急いで學校へ出た事があります。穿物も編上などを結んでゐる時間が惜しいので、草履を突つかけたなり飛び出したのです。其日は時間割からいふと、Kよりも私の方が先へ歸る筈になつてゐました。私は戻つて來ると、其積で玄關の格子をがらりと開けたのです。すると居ないと思つてゐたKの聲がひよいと聞こえました。同時に御孃さんの笑ひ聲が私の耳に響きました。私は何時ものやうに手數のかゝる靴を穿いてゐないから、すぐ玄關に上がつて仕切の襖を開けました。私は例の通り机の前に坐つてゐるKを見ました。然し御孃さんはもう其所にはゐなかつたのです。私は恰もKの室から逃れ出るやうに去る其後姿をちらりと認めた丈でした。私はKに何うして早く歸つたのかと問ひました。Kは心持が惡いから休んだのだと答へました。私が自分の室に這入つて其儘坐つてゐると、間もなく御孃さんが茶を持つて來て呉れました。其時御孃さんは始めて御歸りといつて私に挨拶をしました。私は笑ひながらさつきは何故逃げたんですと聞けるやうな捌けた男ではありません。それでゐて腹の中では何だか其事が氣にかゝるやうな人間だつたのです。御孃さんはすぐ座を立つて縁側傳ひに向ふへ行つてしまひました。然しKの室の前に立ち留まつて、二言三言内と外とで話しをしてゐました。それは先刻の續きらしかつたのですが、前を聞かない私には丸で解りませんでした。

 そのうち御孃さんの態度がだん/\平氣になつて來ました。Kと私が一所に宅にゐる時でも、よくKの室の縁側へ來て彼の名を呼びました。さうして其所へ入つて、ゆつくりしてゐました。無論郵便を持つて來る事もあるし、洗濯物を置いて行く事もあるのですから、其位の交通は同じ宅にゐる二人の關係上、當然と見なければならないのでせうが、是非御孃さんを專有したいといふ強烈な一念に動かされてゐる私には、何うしてもそれが當然以上に見えたのです。ある時は御孃さんがわざ/\私の室へ來るのを囘避して、Kの方ばかり行くやうに思はれる事さへあつた位です。それなら何故Kに宅を出て貰はないのかと貴方は聞くでせう。然しさうすれば私がKを無理に引張て來た主意が立たなくなる丈です。私にはそれが出來ないのです。

三十三

 「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を拔けて細い坂路を上つて宅へ歸りました。Kの室は空虚うでしたけれども、火鉢には繼ぎたての火が暖かさうに燃えてゐました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳さうと思つて、急いで自分の室の仕切を開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く殘つてゐる丈で、火種さへ盡きてゐるのです。私は急に不愉快になりました。

 其時私の足音を聞いて出て來たのは、奥さんでした。奥さんは默つて室の眞中に立つてゐる私を見て、氣の毒さうに外套を脱がせて呉れたり、日本服を着せて呉れたりしました。それから私が寒いといふのを聞いて、すぐ次の間からKの火鉢を持つて來て呉れました。私がKはもう歸つたのかと聞きましたら、奥さんは歸つて又出たと答へました。其日もKは私より後れて歸る時間割だつたのですから、私は何うした譯かと思ひました。奥さんは大方用事でも出來たのだらうと云つてゐました。

 私はしばらく其所に坐つたまゝ書見をしました。宅の中がしんと靜まつて、誰の話し聲も聞こえないうちに、初冬の寒さと佗びしさとが、私の身體に食ひ込むやうな感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私は不圖賑やかな所へ行きたくなつたのです。雨はやつと歇つたやうですが、空はまだ冷たい鉛のやうに重く見えたので、私は用心のため、蛇の目を肩に擔いで、砲兵工廠の裏手の土塀について東へ坂を下りました。其時分はまだ道路の改正が出來ない頃なので、坂の勾配が今よりもずつと急でした。道幅も狹くて、あゝ眞直ではなかつたのです。其上あの谷へ下りると、南が高い建物で塞がつてゐるのと、放水がよくないのとで、往來はどろどろでした。ことに細い石橋を渡つて柳町の通りへ出る間が非道かつたのです。足駄でも長靴でも無暗に歩く譯には行きません。誰でも路の眞中に自然と細長く泥が掻き分けられた所を、後生大事に辿つて行かなければならないのです。其幅は僅か一二尺しかないのですから、手もなく往來に敷いてある帶の上を踏んで向へ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になつてそろ/\通り拔けます。私は此細帶の上で、はたりとKに出合ひました。足の方にばかり氣を取られてゐた私は、彼と向き合ふ迄、彼の存在に丸で氣が付かずにゐたのです。私は不意に自分の前が塞がつたので偶然眼を上げた時、始めて其所に立つてゐるKを認めたのです。私はKに何處へ行つたのかと聞きました。Kは一寸其所迄と云つたぎりでした。彼の答へは何時もの通りふんといふ調子でした。Kと私は細い帶の上で身體を替せました。するとKのすぐ後に一人の若い女が立つてゐるのが見えました。近眼の私には、今迄それが能く分らなかつたのですが、Kを遣り越した後で、其女の顏を見ると、それが宅の御孃さんだつたので、私は少からず驚ろきました。御孃さんは心持薄赤い顏をして、私に挨拶をしました。其時分の束髪は今と違つて廂が出てゐないのです、さうして頭の眞中に蛇のやうにぐる/\卷きつけてあつたものです。私はぼんやり御孃さんの頭を見てゐましたが、次の瞬間に、何方か路を讓らなければならないのだといふ事に氣が付きました。私は思ひ切つてどろ/\の中へ片足踏ん込みました。さうして比較的通り易い所を空けて、御孃さんを渡して遣りました。

 それから柳町の通りへ出た私は何處へ行つて好いか自分にも分らなくなりました。何處へ行つても面白くないやうな心持がするのです。私は飛泥の上がるのも構はずに、糠る海の中を自暴にどし/\歩きました。それから直ぐ宅へ歸つて來ました。

三十四

 「私はKに向つて御孃さんと一所に出たのかと聞きました。Kは左右ではないと答へました。眞砂町で偶然出會つたから連れ立つて歸つて來たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入つた質問を控えなければなりませんでした。然し食事の時、又御孃さんに向つて、同じ問を掛けたくなりました。すると御孃さんは私の嫌な例の笑ひ方をするのです。さうして何處へ行つたか中てゝ見ろと仕舞に云ふのです。其頃の私はまだ癇癪持でしたから、さう不眞面目に若い女から取り扱はれると腹が立ちました。所が其所に氣の付くのは、同じ食卓に着いてゐるものゝうちで奥さん一人だつたのです。Kは寧ろ平氣でした。御孃さんの態度になると、知つてわざと遣るのか、知らないで無邪氣に遣るのか、其所の區別が一寸判然しない點がありました。若い女として御孃さんは思慮に富んだ方でしたけれども、其若い女に共通な私の嫌な所も、あると思へば思へなくもなかつたのです。さうして其嫌な所は、Kが宅へ來てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに對する私の嫉妬に歸して可いものか、又は私に對する御孃さんの技巧と見傚して然るべきものか、一寸分別に迷ひました。私は今でも決して其時の私の嫉妬心を打ち消す氣はありません。私はたび/\繰り返した通り、愛の裏面に此感情の働きを明らかに意識してゐたのですから。しかも傍のものから見ると、殆んど取るに足りない瑣事に、此感情が屹度首を持ち上げたがるのでしたから。是は餘事ですが、かういふ嫉妬は愛の半面ぢやないでせうか。私は結婚してから、此感情がだん%\薄らいで行くのを自覺しました。其代り愛情の方も決して元のやうに猛烈ではないのです。

 私はそれ迄躊躇してゐた自分の心を、一思ひに相手の胸へ擲き付けやうかと考へ出しました。私の相手といふのは御孃さんではありません、奥さんの事です。奥さんに御孃さんを呉れろと明白な談判を開かうかと考へたのです。然しさう決心しながら、一日/\と私は斷行の日を延ばして行つたのです。さういふと私はいかにも優柔な男のやうに見えます、又見えても構ひませんが、實際私の進みかねたのは、意志の力に不足があつた爲ではありません。Kの來ないうちは、他の手に乘るのが厭だといふ我慢が私を抑え付けて、一歩も動けないやうにしてゐました。Kの來た後は、もしかすると御孃さんがKの方に意があるのではなからうかといふ疑念が絶えず私を制するやうになつたのです。果して御孃さんが私よりもKに心を傾むけてゐるならば、此戀は口へ云ひ出す價値のないものと私は決心してゐたのです。恥を掻かせられるのが辛いなどゝ云ふのとは少し譯が違ます。此方でいくら思つても、向ふが内心他の人に愛の眼を注いでゐるならば、私はそんな女と一所になるのは厭なのです。世の中では否應なしに自分の好いた女を嫁に貰つて嬉しがつてゐる人もありますが、それは私達より餘つ程世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑み込めない鈍物のする事と、當時の私は考へてゐたのです。一度貰つて仕舞へば何うか斯うか落ち付くものだ位の哲理では、承知する事が出來ない位私は熱してゐました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だつたのです。同時に尤も迂遠な愛の實際家だつたのです。

 肝心の御孃さんに、直接此私といふものを打ち明ける機會も、長く一所にゐるうちには時々出て來たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、さういふ事は許されてゐないのだといふ自覺が、其頃の私には強くありました。然し決してそれ許が私を束縛したとは云へません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に氣兼なく自分の思つた通りを遠慮せずに口にする丈の勇氣に乏しいものと私は見込んでゐたのです。

三十五

 「斯んな譯で私はどちらの方面へ向つても進む事が出來ずに立ち竦んでゐました。身體の惡い時に午睡などをすると、眼だけ覺めて周圍のものが判然見えるのに、何うしても手足の動かせない場合がありませう。私は時としてあゝいふ苦しみを人知れず感じたのです。

 其内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多を遣るから誰か友達を連れて來ないかと云つた事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答へたので、奥さんは驚ろいてしまひました。成程Kに友達といふ程の友達は一人もなかつたのです。往來で會つた時挨拶をする位のものは多少ありましたが、それ等だつて決して歌留多などを取る柄ではなかつたのです。奥さんはそれぢや私の知つたものでも呼んで來たら何うかと云ひ直しましたが、私も生憎そんな陽氣な遊びをする心持になれないので、好い加減な生返事をしたなり、打ち遣つて置きました。所が晩になつてKと私はとう/\御孃さんに引つ張り出されてしまひました。客も誰も來ないのに、内々の小人數丈で取らうといふ歌留多ですから頗る靜なものでした。其上斯ういふ遊技を遣り付けないKは、丸で懷手をしてゐる人と同樣でした。私はKに一體百人一首の歌を知つてゐるのかと尋ねました。Kは能く知らないと答へました。私の言葉を聞いた御孃さんは、大方Kを輕蔑するとでも取つたのでせう。それから眼に立つやうにKの加勢をし出しました。仕舞には二人が殆んど組になつて私に當るといふ有樣になつて來ました。私は相手次第では喧嘩を始めたかも知れなかつたのです。幸ひにKの態度は少しも最初と變りませんでした。彼の何處にも得意らしい樣子を認めなかつた私は、無事に其場を切り上げる事が出來ました。

 それから二三日經つた後の事でしたらう、奥さんと御孃さんは朝から市ヶ谷にゐる親類の所へ行くと云つて宅を出ました。Kも私もまだ學校の始まらない頃でしたから、留守居同樣あとに殘つてゐました。私は書物を讀むのも散歩に出るのも厭だつたので、たゞ漠然と火鉢の縁に肱を載せて凝と顋を支へたなり考へてゐました。隣の室にゐるKも一向音を立てませんでした。双方とも居るのだか居ないのだか分らない位靜でした。尤も斯ういふ事は、二人の間柄として別に珍らしくも何ともなかつたのですから、私は別段それを氣にも留めませんでした。

 十時頃になつて、Kは不意に仕切の襖を開けて私と顏を見合せました。彼は敷居の上に立つた儘、私に何を考へてゐると聞きました。私はもとより何も考へてゐなかつたのです。もし考へてゐたとすれば、何時もの通り御孃さんが問題だつたかも知れません。其御孃さんには無論奥さんも食つ付いてゐますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のやうに、私の頭の中をぐるぐる囘つて、此問題を複雜にしてゐるのです。Kと顏を見合せた私は、今迄朧氣に彼を一種の邪魔ものゝ如く意識してゐながら、明らかに左右と答へる譯に行かなかつたのです。私は依然として彼の顏を見て默つてゐました。するとKの方からつか/\と私の座敷へ入つて來て、私のあたつてゐる火鉢の前に坐りました。私はすぐ兩肱を火鉢の縁から取り除けて、心持それをKの方へ押し遣るやうにしました。

 Kは何時もに似合はない話を始めました。奥さんと御孃さんは市ヶ谷の何處へ行つたのだらうと云ふのです。私は大方叔母さんの所だらうと答へました。Kは其叔母さんは何だと又聞きます。私は矢張り軍人の細君だと教へて遣りました。すると女の年始は大抵十五日過だのに、何故そんなに早く出掛けたのだらうと質問するのです。私は何故だか知らないと挨拶するより外に仕方がありませんでした。

三十六

 「Kは中々奥さんと御孃さんの話を已めませんでした。仕舞には私も答へられないやうな立ち入つた事迄聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思ひ出すと、私は何うしても彼の調子の變つてゐる所に氣が付かずにはゐられないのです。私はとう/\何故今日に限つてそんな事ばかり云ふのかと彼に尋ねました。其時彼は突然默りました。然し私は彼の結んだ口元の肉が顫へるやうに動いてゐるのを注視しました。彼は元來無口な男でした。平生から何か云はうとすると、云ふ前に能く口のあたりをもぐもぐさせる癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するやうに容易く開かない所に、彼の言葉の重みも籠つてゐたのでせう。一旦聲が口を破つて出るとなると、其聲には普通の人よりも倍の強い力がありました。

 彼の口元を一寸眺めた時、私はまた何か出て來るなとすぐ疳付いたのですが、それが果して何の準備なのか、私の豫覺は丸でなかつたのです。だから驚ろいたのです。彼の重々しい口から、彼の御孃さんに對する切ない戀を打ち明けられた時の私を想像して見て下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたやうなものです。口をもぐ/\させる働さへ、私にはなくなつて仕舞つたのです。

 其時の私は恐ろしさの塊りと云ひませうか、又は苦しさの塊りと云ひませうか、何しろ一つの塊りでした。石か鐵のやうに頭から足の先までが急に固くなつたのです。呼吸をする彈力性さへ失はれた位に堅くなつたのです。幸ひな事に其状態は長く續きませんでした。私は一瞬間の後に、また人間らしい氣分を取り戻しました。さうして、すぐ失策つたと思ひました。先を越されたなと思ひました。

 然し其先を何うしやうといふ分別は丸で起りません。恐らく起る丈の餘裕がなかつたのでせう。私は腋の下から出る氣味のわるい汗が襯衣に滲み透るのを凝と我慢して動かずにゐました。Kは其間何時もの通り重い口を切つては、ぽつり/\と自分の心を打ち明けて行きます。私は苦しくつて堪りませんでした。恐らく其苦しさは、大きな廣告のやうに、私の顏の上に判然りした字で貼り付けられてあつたらうと私は思ふのです。いくらKでも其所に氣の付かない筈はないのですが、彼は又彼で、自分の事に一切を集中してゐるから、私の表情などに注意する暇がなかつたのでせう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫ぬいてゐました。重くて鈍い代りに、とても容易な事では動かせないといふ感じを私に與へたのです。私の心は半分其自白を聞いてゐながら、半分何うしやう/\といふ念に絶えず掻き亂されてゐましたから、細かい點になると殆んど耳へ入らないと同樣でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いつた苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるやうになつたのです。つまり相手は自分より強いのだといふ恐怖の念が萌し始めたのです。

 Kの話が一通り濟んだ時、私は何とも云ふ事が出來ませんでした。此方も彼の前に同じ意味の自白をしたものだらうか、夫とも打ち明けずにゐる方が得策だらうか、私はそんな利害を考へて默つてゐたのではありません。たゞ何事も云へなかつたのです。又云ふ氣にもならなかつたのです。

 午食の時、Kと私は向ひ合せに席を占めました。下女に給仕をして貰つて、私はいつにない不味い飯を濟ませました。二人は食事中も殆んど口を利きませんでした。奥さんと御孃さんは何時歸るのだか分りませんでした。

三十七

 「二人は各自の室に引き取つたぎり顏を合はせませんでした。Kの靜かな事は朝と同じでした。私も凝と考へ込んでゐました。

 私は當然自分の心をKに打ち明けるべき筈だと思ひました。然しそれにはもう時機が後れてしまつたといふ氣も起りました。何故先刻Kの言葉を遮ぎつて、此方から逆襲しなかつたのか、其所が非常な手落りのやうに見えて來ました。責めてKの後に續いて、自分は自分の思ふ通りを其場で話して仕舞つたら、まだ好かつたらうにとも考へました。Kの自白に一段落が付いた今となつて、此方から又同じ事を切り出すのは、何う思案しても變でした。私は此不自然に打ち勝つ方法を知らなかつたのです。私の頭は悔恨に搖られてぐら/\しました。

 私はKが再び仕切の襖を開けて向ふから突進してきて呉れゝば好いと思ひました。私に云はせれば、先刻は丸で不意撃に會つたも同じでした。私にはKに應する準備も何もなかつたのです。私は午前に失なつたものを、今度は取り戻さうといふ下心を持つてゐました。それで時々眼を上げて、襖を眺めました。然し其襖は何時迄經つても開きません。さうしてKは永久に靜なのです。

 其内私の頭は段々此靜かさに掻き亂されるやうになつて來ました。Kは今襖の向で何を考へてゐるだらうと思ふと、それが氣になつて堪らないのです。不斷も斯んな風に御互が仕切一枚を間に置いて默り合つてゐる場合は始終あつたのですが、私はKが靜であればある程、彼の存在を忘れるのが普通の状態だつたのですから、其時の私は餘程調子が狂つてゐたものと見なければなりません。それでゐて私は此方から進んで襖を開ける事が出來なかつたのです。一旦云ひそびれた私は、また向ふから働らき掛けられる時機を待つより外に仕方がなかつたのです。

 仕舞に私は凝として居られなくなりました。無理に凝としてゐれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立つて縁側へ出ました。其所から茶の間へ來て、何といふ目的もなく、鐵瓶の湯を湯呑に注いで一杯呑みました。それから玄關へ出ました。私はわざとKの室を囘避するやうにして、斯んな風に自分を往來の眞中に見出したのです。私には無論何處へ行くといふ的もありません。たゞ凝としてゐられない丈でした。それで方角も何も構はずに、正月の町を、無暗に歩き廻つたのです。私の頭はいくら歩いてもKの事で一杯になつてゐました。私もKを振ひ落す氣で歩き廻る譯ではなかつたのです。寧ろ自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついて居たのです。

 私には第一に彼が解しがたい男のやうに見えました。何うしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、又何うして打ち明けなければゐられない程に、彼の戀が募つて來たのか、さうして平生の彼は何處に吹き飛ばされてしまつたのか、凡て私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知つてゐました。又彼の眞面目な事を知つてゐました。私は是から私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くを有つてゐると信じました。同時に是からさき彼を相手にするのが變に氣味が惡かつたのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に凝と坐つてゐる彼の容貌を始終眼の前に描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底出來ないのだといふ聲が何處かで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のやうに思へたからでせう。私は永久彼に祟られたのではなからうかといふ氣さへしました。

 私が疲れて宅へ歸つた時、彼の室は依然として人氣のないやうに靜でした。

三十八

 「私が家へ這入ると間もなく俥の音が聞こえました。今のやうに護謨輪のない時分でしたから、がら/\いふ厭な響が可なりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。

 私が夕飯に呼び出されたのは、それから三十分ばかり經つた後の事でしたが、まだ奥さんと御孃さんの晴着が脱ぎ棄てられた儘、次の室を亂雜に彩どつてゐました。二人は遲くなると私達に濟まないといふので、飯の支度に間に合ふやうに、急いで歸つて來たのださうです。然し奥さんの親切はKと私とに取つて殆んど無效も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のやうに、素氣ない挨拶ばかりしてゐました。Kは私よりも猶寡言でした。たまに親子連で外出した女二人の氣分が、また平生よりは勝れて晴やかだつたので、我々の態度は猶の事眼に付きます。奥さんは私に何うかしたのかと聞きました。私は少し心持が惡いと答へました。實際私は心持が惡かつたのです。すると今度は御孃さんがKに同じ問を掛けました。Kは私のやうに心持が惡いとは答へません。たゞ口が利きたくないからだと云ひました。御孃さんは何故口が利きたくないのかと追窮しました。私は其時ふと重たい瞼を上げてKの顏を見ました。私にはKが何と答へるだらうかといふ好奇心があつたのです。Kの唇は例のやうに少し顫へてゐました。それが知らない人から見ると、丸で返事に迷つてゐるとしか思はれないのです。御孃さんは笑ひながら又何か六づかしい事を考へてゐるのだらうと云ひました。Kの顏は心持薄赤くなりました。

 其晩私は何時もより早く床へ入りました。私が食事の時氣分が惡いと云つたのを氣にして、奥さんは十時頃蕎麥湯を持つて來て呉れました。然し私の室はもう眞暗でした。奥さんはおや/\と云つて、仕切りの襖を細目に開けました。洋燈の光がKの机から斜にぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きてゐたものと見えます。奥さんは枕元に坐つて、大方風邪を引いたのだらうから身體を暖ためるが可いと云つて、湯呑を顏の傍へ突き付けるのです。私は已を得ず、どろ/\した蕎麥湯を奥さんの見てゐる前で飮みました。

 私は遲くなる迄暗いなかで考へてゐました。無論一つ問題をぐる/\廻轉させる丈で、外に何の效力もなかつたのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしてゐるだらうと思ひ出しました。私は半ば無意識においと聲を掛けました。すると向ふでもおいと返事をしました。Kもまだ起きてゐたのです。私はまだ寐ないのかと襖ごしに聞きました。もう寐るといふ簡單な挨拶がありました。何をしてゐるのだと私は重ねて問ひました。今度はKの答がありません。其代り五六分經つたと思ふ頃に、押入をがらりと開けて、床を延べる音が手に取るやうに聞こえました。私はもう何時かと又尋ねました。Kは一時二十分だと答へました。やがて洋燈 をふつと吹き消す音がして、家中が眞暗なうちに、しんと靜まりました。

 然し私の眼は其暗いなかで愈冴えて來るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに聲を掛けました。Kも以前と同じやうな調子で、おいと答へました。私は今朝彼から聞いた事に就いて、もつと詳しい話をしたいが、彼の都合は何うだと、とう/\此方から切り出しました。私は無論襖越にそんな談話を交換する氣はなかつたのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考へたのです。所がKは先刻から二度おいと呼ばれて、二度おいと答へたやうな素直な調子で、今度は應じません。左右だなあと低い聲で澁つてゐます。私は又はつと思はせられました。

三十九

 「Kの生返事は翌日になつても、其翌日になつても、彼の態度によく現はれてゐました。彼は自分から進んで例の問題に觸れようとする氣色を決して見せませんでした。尤も機會もなかつたのです。奥さんと御孃さんが揃つて一日宅を空けでもしなければ、二人はゆつくり落付いて、左右いふ事を話し合ふ譯にも行かないのですから。私はそれを能く心得てゐました。心得てゐながら、變にいら/\し出すのです。其結果始めは向ふから來るのを待つ積で、暗に用意をしてゐた私が、折があつたら此方で口を切らうと決心するやうになつたのです。

 同時に私は默つて家のものゝ樣子を觀察して見ました。然し奥さんの態度にも御孃さんの素振にも、別に平生と變つた點はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼等の擧動に是といふ差違が生じないならば、彼の自白は單に私丈に限られた自白で、肝心の本人にも、又其監督者たる奥さんにも、まだ通じてゐないのは慥でした。さう考へた時私は少し安心しました。それで無理に機會を拵えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の與へて呉れるものを取り逃さないやうにする方が好からうと思つて、例の問題にはしばらく手を着けずにそつとして置く事にしました。

 斯う云つて仕舞へば大變簡單に聞こえますが、さうした心の經過には、潮の滿干と同じやうに、色々の高低があつたのです。私はKの動かない樣子を見て、それにさま%\の意味を付け加へました。奥さんと御孃さんの言語動作を觀察して、二人の心が果して其所に現はれてゐる通なのだらうかと疑つても見ました。さうして人間の胸の中に裝置された複雜な器械が、時計の針のやうに、明瞭に僞りなく、盤上の數字を指し得るものだらうかと考へました。要するに私は同じ事を斯うも取り、彼あも取りした揚句、漸く此處に落ち付いたものと思つて下さい。更に六づかしく云へば、落ち付くなどゝいふ言葉は、此際決して使はれた義理でなかつたのかも知れません。

 其内學校がまた始まりました。私達は時間の同じ日には連れ立つて宅を出ます。都合が可ければ歸る時にも矢張り一所に歸りました。外部から見たKと私は、何にも前と違つた所がないやうに親しくなつたのです。けれども腹の中では、各自に各自の事を勝手に考へてゐたに違ありません。ある日私は突然往來でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、此間の自白が私丈に限られてゐるか、又は奥さんや御孃さんにも通じてゐるかの點にあつたのです。私の是から取るべき態度は、此問に對する彼の答次第で極めなければならないと、私は思つたのです。すると彼は外の人にはまだ誰にも打ち明けてゐないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだつたので、内心嬉しがりました。私はKの私より横着なのを能く知つてゐました。彼の度胸にも敵はないといふ自覺があつたのです。けれども一方では又妙に彼を信じてゐました。學資の事で養家を三年も欺むいてゐた彼ですけれども、彼の信用は私に對して少しも損はれてゐなかつたのです。私はそれがために却つて彼を信じ出した位です。だからいくら疑ひ深い私でも、明白な彼の答を腹の中で否定する氣は起りやうがなかつたのです。

 私は又彼に向つて、彼の戀を何う取り扱かふ積かと尋ねました。それが單なる自白に過ぎないのか、又は其自白についで、實際的の效果をも收める氣なのかと問ふたのです。然るに彼は其所になると、何にも答へません。默つて下を向いて歩き出します。私は彼に隱し立をして呉れるな、凡て思つた通りを話して呉れと頼みました。彼は何も私に隱す必要はないと判然斷言しました。然し私の知らうとする點には、一言の返事も與へないのです。私も往來だからわざ/\立ち留まつて底迄突き留める譯に行きません。ついそれなりに爲てしまひました。

四十

 「ある日私は久し振に學校の圖書館に入りました。私は廣い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外國雜誌を、あちら此方と引繰り返して見てゐました。私は擔任教師から專攻の學科に關して、次の週までにある事項を調べて來いと命ぜられたのです。然し私に必要な事柄が中々見付からないので、私は二度も三度も雜誌を借り替へなければなりませんでした。最後に私はやつと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを讀み出しました。すると突然幅の廣い机の向ふ側から小さな聲で私の名を呼ぶものがあります。私は不圖眼を上げて其所に立つてゐるKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲るやうにして、彼の顏を私に近付けました。御承知の通り圖書館では他の人の邪魔になるやうな大きな聲で話をする譯に行かないのですから、Kの此所作は誰でも遣る普通の事なのですが、私は其時に限つて、一種變な心持がしました。

 Kは低い聲で勉強かと聞きました。私は一寸調べものがあるのだと答へました。それでもKはまだ其顏を私から放しません。同じ低い調子で一所に散歩をしないかといふのです。私は少し待つてゐれば爲ても可いと答へました。彼は待つてゐると云つた儘、すぐ私の前の空席に腰を卸しました。すると私は氣が散つて急に雜誌が讀めなくなりました。何だかKの胸に一物があつて、談判でもしに來られたやうに思はれて仕方がないのです。私は已を得ず讀みかけた雜誌を伏せて、立ち上がらうとしました。Kは落付き拂つてもう濟んだのかと聞きます。私は何うでも可いのだと答へて、雜誌を返すと共に、Kと圖書館を出ました。

 二人は別に行く所もなかつたので、龍岡町から池の端へ出て、上野の公園の中へ入りました。其時彼は例の事件について、突然向ふから口を切りました。前後の樣子を綜合して考へると、Kはそのために私をわざ/\散歩に引つ張出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ實際的の方面へ向つてちつとも進んでゐませんでした。彼は私に向つて、たゞ漠然と、何う思ふと云ふのです。何う思ふといふのは、さうした戀愛の淵に陷いつた彼を、何んな眼で私が眺めるかといふ質問なのです。一言でいふと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたい樣なのです。其所に私は彼の平生と異 なる點を確かに認める事が出來たと思ひました。度々繰り返すやうですが、彼の天性 は他の思はくを憚かる程弱く出來上つてはゐなかつたのです。斯うと信じたら一人で どんどん進んで行く丈の度胸もあり勇氣もある男なのです。養家事件で其特色を強く 胸の裏に彫り付けられた私が、是は樣子が違ふと明らかに意識したのは當然の結果な のです。

 私がKに向つて、此際何んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼は何時もにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが實際恥づかしいと云ひました。さうして迷つてゐるから自分で自分が分らなくなつてしまつたので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がないと云ひました。私は隙かさず迷ふといふ意味を聞き糺しました。彼は進んで可いか退ぞいて可いか、それに迷ふのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。さうして退ぞかうと思へば退ぞけるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉が其所で不意に行き詰りました。彼はたゞ苦しいと云つた丈でした。實際彼の表情には苦しさうな所があり/\と見えてゐました。もし相手が御孃さんでなかつたならば、私は何んなに彼に都合の好い返事を、その渇き切つた顏の上に慈雨の如く注いで遣つたか分りません。私はその位の美くしい同情を有つて生れて來た人間と自分ながら信じてゐます。然し其時の私は違つてゐました。

四十一

 「私は丁度他流試合でもする人のやうにKを注意して見てゐたのです。私は、私の眼、私の心、私の身體、すべて私といふ名の付くものを五分の隙間もないやうに用意して、Kに向つたのです。罪のないKは穴だらけといふより寧ろ明け放しと評するのが適當な位に無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管してゐる要塞の地圖を受取つて、彼の眼の前でゆつくりそれを眺める事が出來たも同じでした。

 Kが理想と現實の間に彷徨してふら/\してゐるのを發見した私は、たゞ一打で彼を倒す事が出來るだらうといふ點にばかり眼を着けました。さうしてすぐ彼の虚に付け込んだのです。私は彼に向つて急に嚴粛な改たまつた態度を示し出しました。無論策略からですが、其態度に相應する位な緊張した氣分もあつたのですから、自分に滑稽だの羞恥だのを感ずる餘裕はありませんでした。私は先づ『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』と云ひ放ちました。是は二人で房州を旅行してゐる際、Kが私に向つて使つた言葉です。私は彼の使つた通りを、彼と同じやうな口調で、再び彼に投げ返したのです。然し決して復讐ではありません。私は復讐以上に殘酷な意味を有つてゐたといふ事を自白します。私は其一言でKの前に横たはる戀の行手を塞がうとしたのです。

 Kは眞宗寺に生れた男でした。然し彼の傾向は中學時代から決して生家の宗旨に近いものではなかつたのです。教義上の區別をよく知らない私が、斯んな事をいふ資格に乏しいのは承知してゐますが、私はたゞ男女に關係した點についてのみ、さう認めてゐたのです。Kは昔しから精進といふ言葉が好でした。私は其言葉の中に、禁慾といふ意味も籠つてゐるのだらうと解釋してゐました。然し後で實際を聞いて見ると、それよりもまだ嚴重な意味が含まれてゐるので、私は驚ろきました。道のためには凡てを犠牲にすべきものだと云ふのが彼の第一信條なのですから、攝慾や禁慾は無論、たとひ慾を離れた戀そのものでも道の妨害になるのです。Kが自活生活をしてゐる時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。其頃から御孃さんを思つてゐた私は、勢ひ何うしても彼に反對しなければならなかつたのです。私が反對すると、彼は何時でも氣の毒さうな顏をしました。其所には同情よりも侮蔑の方が餘計に現はれてゐました。

 斯ういふ過去を二人の間に通り拔けて來てゐるのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だといふ言葉は、Kに取つて痛いに違いなかつたのです。然し前にも云つた通り、私は此一言で、彼が折角積み上げた過去を蹴散らした積ではありません。却つてそれを今迄通り積み重ねて行かせやうとしたのです。それが道に達しやうが、天に屆かうが、私は構ひません。私はたゞKが急に生活の方向を轉換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は單なる利己心の發現でした。

 『精神的に向上心のないものは、馬鹿だ』

 私は二度同じ言葉を繰り返しました。さうして、其言葉がKの上に何う影響するかを見詰めてゐました。

 『馬鹿だ』とやがてKが答へました。『僕は馬鹿だ』

 Kはぴたりと其所へ立ち留つた儘動きません。彼は地面の上を見詰めてゐます。私は思はずぎよつとしました。私にはKが其刹那に居直り強盗の如く感ぜられたのです。然しそれにしては彼の聲が如何にも力に乏しいといふ事に氣が付きました。私は彼の眼遣を參考にしたかつたのですが、彼は最後迄私の顏を見ないのです。さうして、徐々と又歩き出しました。

四十二

 「私はKと竝んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗に待ち受けました。或は待ち伏せと云つた方がまだ適當かも知れません。其時の私はたとひKを騙し打ちにしても構はない位に思つてゐたのです。然し私にも教育相當の良心はありますから、もし誰か私の傍へ來て、御前は卑怯だと一言私語いて呉れるものがあつたなら、私は其瞬間に、はつと我に立ち歸つたかも知れません。もしKが其人であつたなら、私は恐らく彼の前に赤面したでせう。たゞKは私を窘めるには餘りに正直でした。餘りに單純でした。餘りに人格が善良だつたのです。目のくらんだ私は、其所に敬意を拂ふ事を忘れて、却つて其所に付け込んだのです。其所を利用して彼を打ち倒さうとしたのです。

 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私は其時やつとKの眼を眞向に見る事が出來たのです。Kは私より脊の高い男でしたから、私は勢ひ彼の顏を見上げるやうにしなければなりません。私はさうした態度で、狼の如き心を罪のない羊に向けたのです。

 『もう其話は止めやう』と彼が云ひました。彼の眼にも彼の言葉にも變に悲痛な所がありました。私は一寸挨拶が出來なかつたのです。するとKは、『止めて呉れ』と今度は頼むやうに云ひ直しました。私は其時彼に向つて殘酷な答を與へたのです。狼が隙を見て羊の咽喉笛へ食ひ付くやうに。

 『止めて呉れつて、僕が云ひ出した事ぢやない、もと/\君の方から持ち出した話ぢやないか。然し君が止めたければ、止めても可いが、たゞ口の先で止めたつて仕方があるまい。君の心でそれを止める丈の覺悟がなければ。一體君は君の平生の主張を何うする積なのか』

 私が斯う云つた時、脊の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるやうな感じがしました。彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、一方では又人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平氣でゐられない質だつたのです。私は彼の樣子を見て漸やく安心しました。すると彼は卒然『覺悟?』と聞きました。さうして私がまだ何とも答へない先に『覺悟、――覺悟ならない事もない』と付け加へました。彼の調子は獨言のやうでした。又夢の中の言葉のやうでした。

 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖たかな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失つた杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を竝べて聳えてゐるのを振り返つて見た時は、寒さが脊中へ噛り付いたやうな心持がしました。我々は夕暮の本郷臺を急ぎ足でどしどし通り拔けて、又向ふの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私は其頃になつて、漸やく外套の下に體の温味を感じ出した位です。

 急いだためでもありませうが、我々は歸り路には殆んど口を聞きませんでした。宅へ歸つて食卓へ向つた時、奥さんは何うして遲くなつたのかと尋ねました。私はKに誘はれて上野へ行つたと答へました。奥さんは此寒いのにと云つて驚ろいた樣子を見せました。御孃さんは上野に何があつたのかと聞きたがります。私は何もないが、たゞ散歩したのだといふ返事丈して置きました。平生から無口なKは、いつもより猶默つてゐました。奥さんが話しかけても、御孃さんが笑つても、碌な挨拶はしませんでした。それから飯を呑み込むやうに掻き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の室へ引き取りました。

四十三

 「其頃は覺醒とか新らしい生活とかいふ文字のまだない時分でした。然しKが古い自分をさらりと投げ出して、一意に新らしい方角へ走り出さなかつたのは、現代人の考へが彼に缺けてゐたからではないのです。彼には投げ出す事の出來ない程尊とい過去があつたからです。彼はそのために今日迄生きて來たと云つても可い位なのです。だからKが一直線に愛の目的物に向つて猛進しないと云つて、決して其愛の生温い事を證據立てる譯には行きません。いくら熾烈な感情が燃えてゐても、彼は無暗に動けないのです。前後を忘れる程の衝動が起る機會を彼に與へない以上、Kは何うしても一寸踏み留まつて自分の過去を振り返らなければならなかつたのです。さうすると過去が指し示す路を今迄通り歩かなければならなくなるのです。其上彼には現代人の有たない強情と我慢がありました。私は此双方の點に於て能く彼の心を見拔いてゐた積なのです。

 上野から歸つた晩は、私に取つて比較的安靜な夜でした。私はKが室へ引き上げたあとを追ひ懸けて、彼の机の傍に坐り込みました。さうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑さうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いてゐたでせう、私の聲にはたしかに得意の響があつたのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳した後、自分の室に歸りました。外の事にかけては何をしても彼に及ばなかつた私も、其時丈は恐るゝに足りないといふ自覺を彼に對して有つてゐたのです。

 私は程なく穩やかな眠に落ちました。然し突然私の名を呼ぶ聲で眼を覺ましました。見ると、間の襖が二尺ばかり開いて、其所にKの黒い影が立つてゐます。さうして彼の室には宵の通りまだ燈火が點いてゐるのです。急に世界の變つた私は、少しの間口を利く事も出來ずに、ぼうつとして、其光景を眺めてゐました。

 其時Kはもう寐たのかと聞きました。Kは何時でも遲く迄起きてゐる男でした。私は黒い影法師のやうなKに向つて、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、たゞもう寐たか、まだ起きてゐるかと思つて、便所へ行つた序に聞いて見た丈だと答へました。Kは洋燈の灯を脊中に受けてゐるので、彼の顏色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の聲は不斷よりも却つて落ち付いてゐた位でした。

 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇に歸りました。私は其暗闇より靜かな夢を見るべく又眼を閉ぢました。私はそれぎり何も知りません。然し翌朝になつて、昨夕の事を考へて見ると、何だか不思議でした。私はことによると、凡てが夢ではないかと思ひました。それで飯を食ふ時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだと云ひます。何故そんな事をしたのかと尋ねると、別に判然した返事もしません。調子の拔けた頃になつて、近頃は熟睡が出來るのかと却つて向ふから私に問ふのです。私は何だか變に感じました。

 其日は丁度同じ時間に講義の始まる時間割になつてゐたので、二人はやがて一所に宅を出ました。今朝から昨夕の事が氣に掛つてゐる私は、途中でまたKを追窮しました。けれどもKはやはり私を滿足させるやうな答をしません。私はあの事件に就いて何か話す積ではなかつたのかと念を押して見ました。Kは左右ではないと強い調子で云ひ切りました。昨日上野で『其話はもう止めやう』と云つたではないかと注意する如くにも聞こえました。Kはさういふ點に掛けて鋭どい自尊心を有つた男なのです。不圖其所に氣のついた私は突然彼の用ひた『覺悟』といふ言葉を連想し出しました。すると今迄丸で氣にならなかつた其二字が妙な力で私の頭を抑え始めたのです。

四十四

 「Kの果斷に富んだ性格は私によく知れてゐました。彼の此事件に就いてのみ優柔な譯も私にはちやんと呑み込めてゐたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしつかり攫まへた積で得意だつたのです。所が『覺悟』といふ彼の言葉を、頭のなかで何遍も咀嚼してゐるうちに、私の得意はだん/\色を失なつて、仕舞にはぐら/\搖き始めるやうになりました。私は此場合も或は彼にとつて例外でないのかも知れないと思ひ出したのです。凡ての疑惑、煩悶、懊惱、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに疊み込んでゐるのではなからうかと疑ぐり始めたのです。さうした新らしい光で覺悟の二字を眺め返して見た私は、はつと驚ろきました。其時の私が若し此驚きを以て、もう一返彼の口にした覺悟の内容を公平に見廻したらば、まだ可かつたかも知れません。悲しい事に私は片眼でした。私はたゞKが御孃さんに對して進んで行くといふ意味に其言葉を解釋しました。果斷に富んだ彼の性格が、戀の方面に發揮されるのが即ち彼の覺悟だらうと一圖に思ひ込んでしまつたのです。

 私は私にも最後の決斷が必要だといふ聲を心の耳で聞きました。私はすぐ其聲に應じて勇氣を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覺悟を極めました。私は默つて機會を覘つてゐました。しかし二日經つても三日經つても、私はそれを捕まへる事が出來ません。私はKのゐない時、又御孃さんの留守な折を待つて、奥さんに談判を開かうと考へたのです。然し片方がゐなければ、片方が邪魔をするといつた風の日ばかり續いて、何うしても『今だ』と思ふ好都合が出て來て呉れないのです。私はいら/\しました。

 一週間の後私はとう/\堪え切れなくなつて、假病を遣ひました。奥さんからも御孃さんからも、K自身からも、起きろといふ催促を受けた私は、生返事をした丈で、十時頃迄蒲團を被つて寐てゐました。私はKも御孃さんもゐなくなつて、家の内がひつそり靜まつた頃を見計つて寐床を出ました。私の顏を見た奥さんは、すぐ何處が惡いかと尋ねました。食物は枕元へ運んでやるから、もつと寐てゐたら可からうと忠告しても呉れました。身體に異状のない私は、とても寐る氣にはなれません。顏を洗つて何時もの通り茶の間で飯を食ひました。其時奥さんは長火鉢の向側から給仕をして呉れたのです。私は朝飯とも午飯とも片付かない茶椀を手に持つた儘、何んな風に問題を切り出したものだらうかと、そればかり屈托してゐたから、外觀からは實際氣分の好くない病人らしく見えただらうと思ひます。

 私は飯を終つて烟草を吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍を離れる譯に行きません。下女を呼んで膳を下げさせた上、鐵瓶に水を注したり、火鉢の縁を拭いたりして、私に調子を合はせてゐます。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問ひました。奥さんはいゝえと答へましたが、今度は向ふで何故ですと聞き返して來ました。私は實は少し話したい事があるのだと云ひました。奥さんは何ですかと云つて、私の顏を見ました。奥さんの調子は丸で私の氣分に這入り込めないやうな輕いものでしたから、私の次に出すべき文句も少し澁りました。

 私は仕方なしに言葉の上で、好い加減にうろつき廻つた末、Kが近頃何か云ひはしなかつたかと奥さんに聞いて見ました。奥さんは思ひも寄らないといふ風をして、『何を?』とまた反問して來ました。さうして私の答へる前に、『貴方には何か仰やつたんですか』と却つて向で聞くのです。

四十五

 「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに傳へる氣のなかつた私は、『いゝえ』といつてしまつた後で、すぐ自分の嘘を快からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覺はないのだから、Kに關する用件ではないのだと云ひ直しました。奥さんは『左右ですか』と云つて、後を待つてゐます。私は何うしても切り出さなければならなくなりました。私は突然『奥さん、御孃さんを私に下さい』と云ひました。奥さんは私の豫期してかゝつた程驚ろいた樣子も見せませんでしたが、それでも少時返事が出來なかつたものと見えて、默つて私の顏を眺めてゐました。一度云ひ出した私は、いくら顏を見られても、それに頓着などはしてゐられません。『下さい、是非下さい』と云ひました。『私の妻として是非下さい』と云ひました。奥さんは年を取つてゐる丈に、私よりもずつと落付いてゐました。『上げてもいゝが、あんまり急ぢやありませんか』と聞くのです。私が『急に貰ひたいのだ』とすぐ答へたら笑ひ出しました。さうして『よく考へたのですか』と念を押すのです。私は云ひ出したのは突然でも、考へたのは突然でないといふ譯を強い言葉で説明しました。

 それから未だ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れて仕舞ひました。男のやうに判然した所のある奥さんは、普通の女と違つて斯んな場合には大變心持よく話の出來る人でした。『宜ござんす、差し上げませう』と云ひました。『差し上げるなんて威張つた口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰つて下さい。御存じの通り父親のない憐れな子です』と後では向ふから頼みました。

 話は簡單でかつ明瞭に片付いてしまひました。最初から仕舞迄に恐らく十五分とは掛らなかつたでせう。奥さんは何の條件も持ち出さなかつたのです。親類に相談する必要もない、後から斷ればそれで澤山だと云ひました。本人の意嚮さへたしかめるに及ばないと明言しました。そんな點になると、學問をした私の方が、却つて形式に拘泥する位に思はれたのです。親類は兎に角、當人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは『大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子を遣る筈がありませんから』と云ひました。

 自分の室へ歸つた私は、事のあまりに譯もなく進行したのを考へて、却つて變な氣持になりました。果して大丈夫なのだらうかといふ疑念さへ、どこからか頭の底に這ひ込んで來た位です。けれども大體の上に於て、私の未來の運命は、是で定められたのだといふ觀念が私の凡てを新たにしました。

 私は午頃又茶の間へ出掛けて行つて、奥さんに、今朝の話を御孃さんに何時通じてくれる積かと尋ねました。奥さんは、自分さへ承知してゐれば、いつ話しても構はなからうといふやうな事を云ふのです。斯うなると何んだか私よりも相手の方が男見たやうなので、私はそれぎり引き込まうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でも可い、稽古から歸つて來たら、すぐ話さうと云ふのです。さうして貰ふ方が都合が好いと答へて又自分の室に歸りました。然し默つて自分の机の前に坐つて、二人のこそ/\話を遠くから聞いてゐる私を想像して見ると、何だか落ち付いてゐられないやうな氣もするのです。私はとう/\帽子を被つて表へ出ました。さうして又坂の下で御孃さんに行き合ひました。何にも知らない御孃さんは私を見て驚ろいたらしかつたのです。私が帽子を脱つて『今御歸り』と尋ねると、向ふではもう病氣は癒つたのかと不思議さうに聞くのです。私は『えゝ癒りました、癒りました』と答へて、ずん/\水道橋の方へ曲つてしまひました。

四十六

 「私は猿樂町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。私が此界隈を歩くのは、何時も古本屋をひやかすのが目的でしたが、其日は手摺のした書物などを眺める氣が、何うしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅の事を考へてゐました。私には先刻の奥さんの記憶がありました。夫から御孃さんが宅へ歸つてからの想像がありました。私はつまり此二つのもので歩かせられてゐた樣なものです。其上私は時々往來の眞中で我知らず不圖立ち留まりました。さうして今頃は奥さんが御孃さんにもうあの話をしてゐる時分だらうなどと考へました。また或時は、もうあの話が濟んだ頃だとも思ひました。

 私はとう/\萬世橋を渡つて、明神の坂を上つて、本郷臺へ來て、夫から又菊坂を下りて、仕舞に小石川の谷へ下りたのです。私の歩いた距離は此三區に跨がつて、いびつな圓を描いたとも云はれるでせうが、私は此長い散歩の間殆んどKの事を考へなかつたのです。今其時の私を囘顧して、何故だと自分に聞いて見ても一向分りません。たゞ不思議に思ふ丈です。私の心がKを忘れ得る位、一方に緊張してゐたと見ればそれ迄ですが、私の良心が又それを許すべき筈はなかつたのですから。

 Kに對する私の良心が復活したのは、私が宅の格子を開けて、玄關から坐敷へ通る時、即ち例のごとく彼の室を拔けやうとした瞬間でした。彼は何時もの通り机に向つて書見をしてゐました。彼は何時もの通り書物から眼を放して、私を見ました。然し彼は何時もの通り今歸つたのかとは云ひませんでした。彼は『病氣はもう癒いのか、醫者へでも行つたのか』と聞きました。私は其刹那に、彼の前に手を突いて、詫まりたくなつたのです。しかも私の受けた其時の衝動は決して弱いものではなかつたのです。もしKと私がたつた二人曠野の眞中にでも立つてゐたならば、私は屹度良心の命令に從つて、其場で彼に謝罪したらうと思ひます。然し奧には人がゐます。私の自然はすぐ其所で食ひ留められてしまつたのです。さうして悲しい事に永久に復活しなかつたのです。

 夕飯の時Kと私はまた顏を合せました。何にも知らないKはたゞ沈んでゐた丈で、少しも疑ひ深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんは何時もより嬉しさうでした。私だけが凡てを知つてゐたのです。私は鉛のやうな飯を食ひました。其時御孃さんは何時ものやうにみんなと同じ食卓に竝びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今と答へる丈でした。それをKは不思議さうに聞いてゐました。仕舞に何うしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方極りが惡いのだらうと云つて、一寸私の顏を見ました。Kは猶不思議さうに、なんで極が惡いのかと追窮しに掛りました。奥さんは微笑しながら又私の顏を見るのです。

 私は食卓に着いた初から、奥さんの顏付で、事の成行を略推察してゐました。然しKに説明を與へるために、私のゐる前で、それを悉く話されては堪らないと考へました。奥さんはまた其位の事を平氣でする女なのですから、私はひや/\したのです。幸にKは又元の沈默に歸りました。平生より多少機嫌のよかつた奥さんも、とう/\私の恐れを抱いてゐる點までは話を進めずに仕舞ひました。私はほつと一息して室へ歸りました。然し私が是から先Kに對して取るべき態度は、何うしたものだらうか、私はそれを考へずにはゐられませんでした。私は色々の辯護を自分の胸に拵らえて見ました。けれども何の辯護もKに對して面と向ふには足りませんでした。卑怯な私は終に自分で自分をKに説明するのが厭になつたのです。

四十七

 「私は其儘二三日過ごしました。其二三日の間Kに對する絶えざる不安が私の胸を重くしてゐたのは云ふ迄もありません。私はたゞでさへ何とかしなければ、彼に濟まないと思つたのです。其上奥さんの調子や、御孃さんの態度が、始終私を突ツつくやうに刺戟するのですから、私は猶辛かつたのです。何處か男らしい氣性を具へた奥さんは、何時私の事を食卓でKに素ぱ拔かないとも限りません。それ以來ことに目立つやうに思へた私に對する御孃さんの擧止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは斷言出來ません。私は何とかして、私と此家族との間に成り立つた新らしい關係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。然し倫理的に弱點をもつてゐると、自分で自分を認めてゐる私には、それがまた至難の事のやうに感ぜられたのです。

 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改ためてさう云つて貰はうかと考へました。無論私のゐない時にです。然しありの儘を告げられては、直接と間接の區別がある丈で、面目のないのに變りはありません。と云つて、拵え事を話して貰はうとすれば、奥さんから其理由を詰問されるに極つてゐます。もし奥さんに總ての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱點を自分の愛人と其母親の前に曝け出さなければなりません。眞面目な私には、それが私の未來の信用に關するとしか思はれなかつたのです。結婚する前から戀人の信用を失ふのは、たとひ一分一厘でも、私には堪え切れない不幸のやうに見えました。

 要するに私は正直な路を歩く積で、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。さうして其所に氣のついてゐるものは、今の所たゞ天と私の心だけだつたのです。然し立ち直つて、もう一歩前へ踏み出さうとするには、今滑つた事を是非共周圍の人に知られなければならない窮境に陷いつたのです。私は飽くまで滑つた事を隱したがりました。同時に、何うしても前へ出ずには居られなかつたのです。私は此間に挾まつてまた立ち竦みました。

 五六日經つた後、奥さんは突然私に向つて、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答へました。すると何故話さないのかと、奥さんが私を詰るのです。私は此問の前に固くなりました。其時奥さんが私を驚ろかした言葉を、私は今でも忘れずに覺えてゐます。

 『道理で妾が話したら變な顏をしてゐましたよ。貴方もよくないぢやありませんか。平生あんなに親しくしてゐる間柄だのに、默つて知らん顏をしてゐるのは』

 私はKが其時何か云ひはしなかつたかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にも云はないと答へました。然し私は進んでもつと細かい事を尋ねずにはゐられませんでした。奥さんは固より何も隱す譯がありません。大した話もないがと云ひながら、一々Kの樣子を語つて聞かせて呉れました。

 奥さんの云ふ所を綜合して考へて見ると、Kは此最後の打撃を、最も落付いた驚をもつて迎へたらしいのです。Kは御孃さんと私との間に結ばれた新らしい關係に就いて、最初は左右ですかとたゞ一口云つた丈だつたさうです。然し奥さんが、『あなたも喜こんで下さい』と述べた時、彼ははじめて奥さんの顏を見て微笑を洩らしながら、『御目出たう御座います』と云つた儘席を立つたさうです。さうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返つて、『結婚は何時ですか』と聞いたさうです。それから『何か御祝ひを上げたいが、私は金がないから上げる事が出來ません』と云つたさうです。奥さんの前に坐つてゐた私は、其話を聞いて胸が塞るやうな苦しさを覺えました。

四十八

 「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日餘りになります。其間Kは私に對して少しも以前と異なつた樣子を見せなかつたので、私は全くそれに氣が付かずにゐたのです。彼の超然とした態度はたとひ外觀だけにもせよ、敬服に値すべきだと私は考へました。彼と私を頭の中で竝べてみると、彼の方が遙かに立派に見えました。『おれは策略で勝つても人間としては負けたのだ』といふ感じが私の胸に渦卷いて起りました。私は其時さぞKが輕蔑してゐる事だらうと思つて、一人で顏を赧らめました。然し今更Kの前に出て、恥を掻かせられるのは、私の自尊心にとつて大いな苦痛でした。

 私が進まうか止さうかと考へて、兎も角も翌日迄待たうと決心したのは土曜の晩でした。所が其晩に、Kは自殺して死んで仕舞つたのです。私は今でも其光景を思ひ出すと慄然とします。何時も東枕で寐る私が、其晩に限つて、偶然西枕に床を敷いたのも、何かの因縁かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風で不圖眼を覺したのです。見ると、何時も立て切つてあるKと私の室との仕切の襖が、此間の晩と同じ位開いてゐます。けれども此間のやうに、Kの黒い姿は其所には立つてゐません。私は暗示を受けた人のやうに、床の上に肱を突いて起き上りながら、屹とKの室を覗きました。洋燈が暗く點つてゐるのです。それで床も敷いてあるのです。然し掛蒲團は跳返されたやうに裾の方に重なり合つてゐるのです。さうしてK自身は向ふむきに突ツ伏してゐるのです。

 私はおいと云つて聲を掛けました。然し何の答もありません。おい何うかしたのかと私は又Kを呼びました。それでもKの身體は些とも動きません。私はすぐ起き上つて、敷居際迄行きました。其所から彼の室の樣子を、暗い洋燈の光で見廻して見ました。

 其時私の受けた第一の感じは、Kから突然戀の自白を聞かされた時のそれと略同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、恰も硝子で作つた義眼のやうに、動く能力を失ひました。私は棒立に立竦みました。それが疾風の如く私を通過したあとで、私は又あゝ失策つたと思ひました。もう取り返しが付かないといふ黒い光が、私の未來を貫ぬいて、一瞬間に私の前に横はる全生涯を物凄く照らしました。さうして私はがた/\顫へ出したのです。

 それでも私はついに私を忘れる事が出來ませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは豫期通り私の名宛になつてゐました。私は夢中で封を切りました。然し中には私の豫期したやうな事は何にも書いてありませんでした。私は私に取つて何んなに辛い文句が其中に書き列ねてあるだらうと豫期したのです。さうして、もし夫が奥さんや御孃さんの眼に觸れたら、何んなに輕蔑されるかも知れないといふ恐怖があつたのです。私は一寸眼を通した丈で、まづ助かつたと思ひました。(固より世間體の上丈で助かつたのですが、其世間體が此場合、私にとつては非常な重大事件に見えたのです。)

 手紙の内容は簡單でした。さうして寧ろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するといふ丈なのです。それから今迄私に世話になつた禮が、極あつさりした文句で其後に付け加へてありました。世話序に死後の片付方も頼みたいといふ言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて濟まんから宜しく詫をして呉れといふ句もありました。國元へは私から知らせて貰ひたいといふ依頼もありました。必要な事はみんな一口づゝ書いてある中に御孃さんの名前丈は何處にも見えません。私は仕舞迄讀んで、すぐKがわざと囘避したのだといふ事に氣が付きました。然し私の尤も痛切に感じたのは、最後に墨の餘りで書き添へたらしく見える、もつと早く死ぬべきだのに何故今迄生きてゐたのだらうといふ意味の文句でした。

 私は顫へる手で、手紙を卷き收めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆なの眼に着くやうに、元の通り机の上に置きました。さうして振り返つて、襖に迸ばしつてゐる血潮を始めて見たのです。

四十九

 「私は突然Kの頭を抱えるやうに兩手で少し持ち上げました。私はKの死顏が一目見たかつたのです。然し俯伏になつてゐる彼の顏を、斯うして下から覗き込んだ時、私はすぐ其手を放してしまひました。慄とした許ではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今觸つた冷たい耳と、平生に變らない五分刈の濃い髪の毛を少時眺めてゐました。私は少しも泣く氣にはなれませんでした。私はたゞ恐ろしかつたのです。さうして其恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺戟して起る單調な恐ろしさ許ではありません。私は忽然と冷たくなつた此友達によつて暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。

 私は何の分別もなくまた私の室に歸りました。さうして八疊の中をぐる/\廻り始めました。私の頭は無意味でも當分さうして動いてゐろと私に命令するのです。私は何うかしなければならないと思ひました。同時にもう何うする事も出來ないのだと思ひました。座敷の中をぐる/\廻らなければゐられなくなつたのです。檻の中へ入れられた熊の樣の態度で。

 私は時々奧へ行つて奥さんを起さうといふ氣になります。けれども女に此恐ろしい有樣を見せては惡いといふ心持がすぐ私を遮ります。奥さんは兎に角、御孃さんを驚ろかす事は、とても出來ないといふ強い意志が私を抑えつけます。私はまたぐる/\廻り始めるのです。

 私は其間に自分の室の洋燈を點けました。それから時計を折々見ました。其時の時計程埓の明かない遲いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明に間もなかつた事丈は明らかです。ぐる/\廻りながら、其夜明を待ち焦れた私は、永久に暗い夜が續くのではなからうかといふ思ひに惱まされました。

 我々は七時前に起きる習慣でした。學校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合はないのです。下女は其關係で六時頃に起きる譯になつてゐました。然し其日私が下女を起しに行つたのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だと云つて注意して呉れました。奥さんは私の足音で眼を覺したのです。私は奥さんに眼が覺めてゐるなら、一寸私の室迄來て呉れと頼みました。奥さんは寐卷の上へ不斷着の羽織を引掛て、私の後に跟いて來ました。私は室へ這入るや否や、今迄開いてゐた仕切の襖をすぐ立て切りました。さうして奥さんに飛んだ事が出來たと小聲で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋で隣の室を指すやうにして、『驚ろいちや不可ません』と云ひました。奥さんは蒼い顏をしました。『奥さん、Kは自殺しました』と私がまた云ひました。奥さんは其所に居竦まつたやうに、私の顏を見て默つてゐました。其時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。『濟みません。私が惡かつたのです。あなたにも御孃さんにも濟まない事になりました』と詫まりました。私は奥さんと向ひ合ふ迄、そんな言葉を口にする氣は丸でなかつたのです。然し奥さんの顏を見た時不意に我とも知らず左右云つて仕舞つたのです。Kに詫まる事の出來ない私は、斯うして奥さんと御孃さんに詫びなければゐられなくなつたのだと思つて下さい。つまり私の自然が平生の私を出し拔いてふら/\と懺悔の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釋しなかつたのは私にとつて幸でした。蒼い顏をしながら、『不慮の出來事なら仕方がないぢやありませんか』と慰さめるやうに云つて呉れました。然し其顏には驚ろきと怖れとが、彫り付けられたやうに、硬く筋肉を攫んでゐました。

五十

 「私は奥さんに氣の毒でしたけれども、また立つて今閉めたばかりの唐紙を開けました。其時Kの洋燈に油が盡きたと見えて、室の中は殆んど眞暗でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持つた儘、入口に立つて奥さんを顧みました。奥さんは私の後から隱れるやうにして、四疊の中を覗き込みました。然し這入らうとはしません。其所は其儘にして置いて、雨戸を開けて呉れと私に云ひました。

 それから後の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人だけあつて要領を得てゐました。私は醫者の所へも行きました。又警察へも行きました。然しみんな奥さんに命令されて行つたのです。奥さんはさうした手續の濟む迄、誰もKの部屋へは入れませんでした。

 Kは小さなナイフで頸動脈を切つて一息に死んで仕舞つたのです。外に創らしいものは何にもありませんでした。私が夢のやうな薄暗い灯で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋から一度に迸ばしつたものと知れました。私は日中の光で明らかに其迹を再び眺めました。さうして人間の血の勢といふものの劇しいのに驚ろきました。

 奥さんと私は出來る丈の手際と工夫を用ひて、Kの室を掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸ひ彼の蒲團に吸收されてしまつたので、疊はそれ程汚れないで濟みましたから、後始末はまだ樂でした。二人は彼の死骸を私の室に入れて、不斷の通り寐てゐる體に横にしました。私はそれから彼の實家へ電報を打ちに出たのです。

 私が歸つた時は、Kの枕元にもう線香が立てられてゐました。室へ這入るとすぐ佛臭い烟で鼻を撲たれた私は、其烟の中に坐つてゐる女二人を認めました。私が御孃さんの顏を見たのは、昨夜來此時が始めてゞした。御孃さんは泣いてゐました。奥さんも眼を赤くしてゐました。事件が起つてからそれ迄泣く事を忘れてゐた私は、其時漸やく悲しい氣分に誘はれる事が出來たのです。私の胸はその悲しさのために、何の位寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤を與へてくれたものは、其時の悲しさでした。

 私は默つて二人の傍に坐つてゐました。奥さんは私にも線香を上げてやれと云ひます。私は線香を上げて又默つて坐つてゐました。御孃さんは私には何とも云ひません。たまに奥さんと一口二口言葉を換はす事がありましたが、それは當座の用事に即いてのみでした。御孃さんにはKの生前に就いて語る程の餘裕がまだ出て來なかつたのです。私はそれでも昨夜の物凄い有樣を見せずに濟んでまだ可かつたと心のうちで思ひました。若い美くしい人に恐ろしいものを見せると、折角の美くしさが、其爲に破壞されて仕舞ひさうで私は怖かつたのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端迄來た時ですら、私はその考を度外に置いて行動する事は出來ませんでした。私には綺麗な花を罪もないのに妄りに鞭うつと同じやうな不快がそのうちに籠つてゐたのです。

 國元からKの父と兄が出て來た時、私はKの遺骨を何處へ埋めるかに就いて自分の意見を述べました。私は彼の生前に雜司ヶ谷近邊をよく一所に散歩した事があります。Kには其所が大變氣に入つてゐたのです。それで私は笑談半分に、そんなに好なら死んだら此所へ埋めて遣らうと約束した覺があるのです。私も今其約束通りKを雜司ヶ谷へ葬つたところで、何の位の功徳になるものかとは思ひました。けれども私は私の生きてゐる限り、Kの墓の前に跪まづいて月々私の懺悔を新たにしたかつたのです。今迄構ひ付けなかつたKを、私が萬事世話をして來たといふ義理もあつたのでせう、Kの父も兄も私の云ふ事を聞いて呉れました。

五十一

 「Kの葬式の歸り路に、私はその友人の一人から、Kが何うして自殺したのだらうといふ質問を受けました。事件があつて以來私はもう何度となく此質問で苦しめられてゐたのです。奥さんも御孃さんも、國から出て來たKの父兄も、通知を出した知り合ひも、彼とは何の縁故もない新聞記者迄も、必ず同樣の質問を私に掛けない事はなかつたのです。私の良心は其度にちく/\刺されるやうに痛みました。さうして私は此質問の裏に、早く御前が殺したと白状してしまへといふ聲を聞いたのです。

 私の答は誰に對しても同じでした。私は唯彼の私宛で書き殘した手紙を繰り返す丈で、外に一口も附加へる事はしませんでした。葬式の歸りに同じ問を掛けて、同じ答を得たKの友人は、懷から一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながら其友人によつて指し示された箇所を讀みました。それにはKが父兄から勘當された結果厭世的な考を起して自殺したと書いてあるのです。私は何にも云はずに、其新聞を疊んで友人の手に歸しました。友人の此外にもKが氣が狂つて自殺したと書いた新聞があると云つて教へて呉れました。忙がしいので、殆んど新聞を讀む暇がなかつた私は、丸でさうした方面の知識を缺いてゐましたが、腹の中では始終氣にかゝつてゐた所でした。私は何よりも宅のものゝ迷惑になるやうな記事の出るのを恐れたのです。ことに名前丈にせよ御孃さんが引合に出たら堪らないと思つてゐたのです。私は其友人に外に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、たゞ其二種ぎりだと答へました。

 私が今居る家へ引越したのはそれから間もなくでした。奥さんも御孃さんも前の所にゐるのを厭がりますし、私も其夜の記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だつたので、相談の上移る事に極めたのです。

 移つて二ヶ月程してから私は無事に大學を卒業しました。卒業して半年も經たないうちに、私はとう/\御孃さんと結婚しました。外側から見れば、萬事が豫期通りに運んだのですから、目出度と云はなければなりません。奥さんも御孃さんも如何にも幸福らしく見えました。私も幸福だつたのです。けれども私の幸福には暗い影が隨いてゐました。私は此幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなからうかと思ひました。

 結婚した時御孃さんが、――もう御孃さんではありませんから、妻と云ひます。――妻が、何を思ひ出したのか、二人でKの墓參をしやうと云ひ出しました。私は意味もなく唯ぎよつとしました。何うしてそんな事を急に思ひ立つたのかと聞きました。妻は二人揃つて御參りをしたら、Kが嘸喜こぶだらうと云ふのです。私は何事も知らない妻の顏をしけじけ眺めてゐましたが、妻から何故そんな顏をするのかと問はれて始めて氣が付きました。

 私は妻の望通り二人連れ立つて雜司ヶ谷へ行きました。私は新らしいKの墓へ水をかけて洗つて遣りました。妻は其前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私と一所になつた顛末を述べてKに喜こんで貰ふ積でしたらう。私は腹の中で、たゞ自分が惡かつたと繰り返す丈でした。

 其時妻はKの墓を撫でゝ見て立派だと評してゐました。其墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行つて見立たりした因縁があるので、妻はとくに左右云ひたかつたのでせう。私は其新らしい墓と、新らしい私の妻と、それから地面の下に埋められたKの新らしい白骨とを思ひ比べて、運命の冷罵を感ぜずにはゐられなかつたのです。私は其れ以後決して妻と一所にKの墓參りをしない事にしました。

五十二

 「私の亡友に對する斯うした感じは何時迄も續きました。實は私も初からそれを恐れてゐたのです。年來の希望であつた結婚すら、不安のうちに式を擧げたと云へば云へない事もないでせう。然し自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによると或は是が私の心持を一轉して新らしい生涯に入る端緒になるかも知れないとも思つたのです。所が愈夫として朝夕妻と顏を合せて見ると、私の果敢ない希望は手嚴しい現實のために脆くも破壞されてしまひました。私は妻と顏を合せてゐるうちに、卒然Kに脅かされるのです。つまり妻が中間に立つて、Kと私を何處迄も結び付けて離さないやうにするのです。妻の何處にも不足を感じない私は、たゞ此一點に於て彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐ夫が映ります。映るけれども、理由は解らないのです。私は時々妻から何故そんなに考へてゐるのだとか、何か氣に入らない事があるのだらうとかいふ詰問を受けました。笑つて濟ませる時はそれで差支ないのですが、時によると、妻の癇も高じて來ます。しまひには『あなたは私を嫌つてゐらつしやるんでせう』とか、『何でも私に隱してゐらつしやる事があるに違ない』とかいふ怨言も聞かなくてはなりません。私は其度に苦しみました。

 私は一層思ひ切つて、有の儘を妻に打ち明けやうとした事もあります。然しいざといふ間際になると自分以外のある力が不意に來て私を抑え付けるのです。私を理解してくれる貴方の事だから、説明する必要もあるまいと思ひますが、話すべき筋だから話して置きます。其時分の私は妻に對して己を飾る氣は丸でなかつたのです。もし私が亡友に對すると同じやうな善良な心で、妻の前に懺悔の言葉を竝べたなら、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違ないのです。それを敢てしない私に利害の打算がある筈はありません。私はたゞ妻の記憶に暗黒な一點を印するに忍びなかつたから打ち明けなかつたのです。純白なものに一雫の印氣でも容赦なく振り掛けるのは、私にとつて大變な苦痛だつたのだと解釋して下さい。

 一年經つてもKを忘れる事の出來なかつた私の心は常に不安でした。私は此不安を驅逐するために書物に溺れやうと力めました。私は猛烈な勢をもつて勉強し始めたのです。さうして其結果を世の中に公けにする日の來るのを待ちました。けれども無理に目的を拵えて、無理に其目的の達せられる日を待つのは嘘ですから不愉快です。私は何うしても書物のなかに心を埋めてゐられなくなりました。私は又腕組をして世の中を眺めだしたのです。

 妻はそれを今日に困らないから心に弛みが出るのだと觀察してゐたやうでした。妻の家にも親子二人位は坐つてゐて何うか斯うか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支のない境遇にゐたのですから、さう思はれるのも尤もです。私も幾分かスポイルされた氣味がありませう。然し私の動かなくなつた原因の主なものは、全く其所にはなかつたのです。叔父に欺むかれた當時の私は、他の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他を惡く取る丈あつて、自分はまだ確な氣がしてゐました。世間は何うあらうとも此己は立派な人間だといふ信念が何處かにあつたのです。それがKのために美事に破壞されてしまつて、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふら/\しました。他に愛想を盡かした私は、自分にも愛想を盡かして動けなくなつたのです。

五十三

 「書物の中に自分を生理にする事の出來なかつた私は、酒に魂を浸して、己れを忘れやうと試みた時期もあります。私は酒が好きだとは云ひません。けれども飮めば飮める質でしたから、ただ量を頼みに心を盛り潰さうと力めたのです。此淺薄な方便はしばらくするうちに私を猶厭世的にしました。私は爛醉の眞最中に不圖自分の位置に氣が付くのです。自分はわざと斯んな眞似をして己れを僞つてゐる愚物だといふ事に氣が付くのです。すると身振ひと共に眼も心も醒めてしまひます。時にはいくら飮んでも斯うした假裝状態にさへ入り込めないで無暗に沈んで行く場合も出て來ます。其上技巧で愉快を買つた後には、屹度沈鬱な反動があるのです。私は自分の最も愛してゐる妻と其母親に、何時でも其所を見せなければならなかつたのです。しかも彼等は彼等に自然な立場から私を解釋して掛ります。

 妻の母は時々氣拙い事を妻に云ふやうでした。それを妻は私に隱してゐました。然し自分は自分で、單獨に私を責めなければ氣が濟まなかつたらしいのです。責めると云つても、決して強い言葉ではありません。妻から何か云はれた爲に、私が激した例は殆んどなかつた位ですから。妻は度々何處が氣に入らないのか遠慮なく云つて呉れと頼みました。それから私の未來のために酒を止めろと忠告しました。ある時は泣いて『貴方は此頃人間が違つた』と云ひました。それ丈なら未可いのですけれども、『Kさんが生きてゐたら、貴方もそんなにはならなかつたでせう』と云ふのです。私は左右かも知れないと答へた事がありましたが、私の答へた意味と、妻の了解した意味とは全く違つてゐたのですから、私は心のうちで悲しかつたのです。それでも私は妻に何事も説明する氣にはなれませんでした。

 私は時々妻に詫まりました。それは多く酒に醉つて遲く歸つた翌日の朝でした。妻は笑ひました。或は默つてゐました。たまにぽろ/\と涙を落す事もありました。私は何方にしても自分が不愉快で堪らなかつたのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのと詰り同じ事になるのです。私はしまひに酒を止めました。妻の忠告で止めたといふより、自分で厭になつたから止めたと云つた方が適當でせう。

 酒は止めたけれども、何もする氣にはなりません。仕方がないから書物を讀みます。然し讀めば讀んだなりで、打ち遣つて置きます。私は妻から何の爲に勉強するのかといふ質問を度々受けました。私はたゞ苦笑してゐました。然し腹の底では、世の中で自分が最も信愛してゐるたつた一人の人間すら、自分を理解してゐないのかと思ふと、悲しかつたのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇氣が出せないのだと思ふと益悲しかつたのです。私は寂寞でした。何處からも切り離されて世の中にたつた一人住んでゐるやうな氣のした事も能くありました。

 同時に私はKの死因を繰り返し/\考へたのです。其當座は頭がたゞ戀の一字で支配されてゐた所爲でもありませうが、私の觀察は寧ろ簡單でしかも直線的でした。Kは正しく失戀のために死んだものとすぐ極めてしまつたのです。しかし段々落ち付いた氣分で、同じ現象に向つて見ると、さう容易くは解決が着かないやうに思はれて來ました。現實と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私は仕舞にKが私のやうにたつた一人で淋しくつて仕方がなくなつた結果、急に所決したのではなからうかと疑がひ出しました。さうして又慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じやうに辿つてゐるのだといふ豫覺が、折々風のやうに私の胸を横過り始めたからです。

五十四

 「其内妻の母が病氣になりました。醫者に見せると到底癒らないといふ診斷でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。是は病人自身の爲でもありますし、又愛する妻の爲でもありましたが、もつと大きな意味からいふと、ついに人間の爲でした。私はそれ迄にも何かしたくつて堪らなかつたのだけれども、何もする事が出來ないので已を得ず懷手をしてゐたに違ありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善い事をしたといふ自覺を得たのは此時でした。私は罪滅しとでも名づけなければならない、一種の氣分に支配されてゐたのです。

 母は死にました。私と妻はたつた二人ぎりになりました。妻は私に向つて、是から世の中で頼りにするものは一人しかなくなつたと云ひました。自分自身さへ頼りにする事の出來ない私は、妻の顏を見て思はず涙ぐみました。さうして妻を不幸な女だと思ひました。又不幸な女だと口へ出しても云ひました。妻は何故だと聞きます。妻には私の意味が解らないのです。私もそれを説明してやる事が出來ないのです。妻は泣きました。私が不斷からひねくれた考で彼女を觀察してゐるために、そんな事を云ふやうになるのだと恨みました。

 母の亡くなつた後、私は出來る丈妻を親切に取り扱かつて遣りました。たゞ當人を愛してゐたから許ではありません。私の親切には箇人を離れてもつと廣い背景があつたやうです。丁度妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は滿足らしく見えました。けれども其滿足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄な點が何處かに含まれてゐるやうでした。然し妻が私を理解し得たにした所で、此物足りなさは増すとも減る氣遣はなかつたのです。女には大きな人道の立場から來る愛情よりも、多少義理をはづれても自分丈に集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いやうに思はれますから。

 妻はある時、男の心と女の心とは何うしてもぴたりと一つになれないものだらうかと云ひました。私はたゞ若い時ならなれるだらうと曖昧な返事をして置きました。妻は自分の過去を振り返つて眺めてゐるやうでしたが、やがて微かな溜息を洩らしました。

 私の胸には其時分から時々恐ろしい影が閃めきました。初めはそれが偶然外から襲つて來るのです。私は驚ろきました。私はぞつとしました。然ししばらくしてゐる中に、私の心が其物凄い閃めきに應ずるやうになりました。しまひには外から來ないでも、自分の胸の底に生れた時から潛んでゐるものゝ如くに思はれ出して來たのです。私はさうした心持になるたびに、自分の頭が何うかしたのではなからうかと疑つて見ました。けれども私は醫者にも誰にも診て貰ふ氣にはなりませんでした。

 私はたゞ人間の罪といふものを深く感じたのです。其感じが私をKの墓へ毎月行かせます。其感じが私に妻の母の看護をさせます。さうして其感じが妻に優しくして遣れと私に命じます。私は其感じのために、知らない路傍の人から鞭たれたいと迄思つた事もあります。斯うした階段を段々經過して行くうちに、人に鞭たれるよりも、自分で自分を鞭つ可きだといふ氣になります。自分で自分を鞭つよりも、自分で自分を殺すべきだといふ考が起ります。私は仕方がないから、死んだ氣で生きて行かうと決心しました。

 私がさう決心してから今日迄何年になるでせう。私と妻とは元の通り仲好く暮して來ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。然し私の有つてゐる一點、私に取つては容易ならん此一點が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思ふと、私は妻に對して非常に氣の毒な氣がします。

五十五

 「死んだ積で生きて行かうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。然し私が何の方面かへ切つて出やうと思ひ立つや否や、恐ろしい力が何處からか出て來て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないやうにするのです。さうして其力が私に御前は何をする資格もない男だと抑え付けるやうに云つて聞かせます。すると私は其一言で直ぐたりと萎れて仕舞ひます。しばらくして又立ち上がらうとすると、又締め付けられます。私は齒を食ひしばつて、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷かな聲で笑ひます。自分で能く知つてゐる癖にと云ひます。私は又ぐたりとなります。

 波瀾も曲折もない單調な生活を續けて來た私の内面には、常に斯うした苦しい戰爭があつたものと思つて下さい。妻が見て齒痒がる前に、私自身が何層倍齒痒い思ひを重ねて來たか知れない位です。私がこの牢屋の中に凝としてゐる事が何うしても出來なくなつた時、又その牢屋を何うしても突き破る事が出來なくなつた時、必竟私にとつて一番樂な努力で遂行出來るものは自殺より外にないと私は感ずるやうになつたのです。貴方は何故と云つて眼をみはるかも知れませんが、何時も私の心を握り締めに來るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食ひ留めながら、死の道丈を自由に私のために開けて置くのです。動かずにゐれば兎も角も、少しでも動く以上は、其道を歩いて進まなければ私には進みやうがなくなつたのです。

 私は今日に至る迄既に二三度運命の導いて行く最も樂な方向へ進まうとした事があります。然し私は何時でも妻に心を惹かされました。さうして其妻を一所に連れて行く勇氣は無論ないのです。妻に凡てを打ち明ける事の出來ない位な私ですから、自分の運命の犠牲として、妻の天壽を奪ふなどゝいふ手荒な所作は、考へてさへ恐ろしかつたのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻り合せがあります。二人を一束にして火に燻べるのは、無理といふ點から見ても、痛ましい極端としか私には思へませんでした。

 同時に私だけが居なくなつた後の妻を想像して見ると如何にも不憫でした。母の死んだ時、是から世の中で頼りにするものは私より外になくなつたと云つた彼女の述懷を、私は腸に沁み込むやうに記憶させられてゐたのです。私はいつも躊躇しました。妻の顏を見て、止して可かつたと思ふ事もありました。さうして又凝と竝んで仕舞ひます。さうして妻から時時物足りなさうな眼で眺めらるのです。

 記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて來たのです。始めて貴方に鎌倉で會つた時も、貴方と一所に郊外を散歩した時も、私の氣分に大した變りはなかつたのです。私の後には何時でも黒い影が括ツ付いてゐました。私は妻のために、命を引きずつて世の中を歩いてゐたやうなものです。貴方が卒業して國へ歸る時も同じ事でした。九月になつたらまた貴方に會はうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く會ふ氣でゐたのです。秋が去つて、冬が來て、其冬が盡きても、屹度會ふ積でゐたのです。

 すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな氣がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き殘つてゐるのは必竟時勢遲れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白さまに妻にさう云ひました。妻は笑つて取り合ひませんでしたが、何を思つたものか、突然私に、では殉死でもしたら可からうと調戲ひました。

五十六

 「私は殉死といふ言葉を殆んど忘れてゐました。平生使ふ必要のない字だから、記憶の底に沈んだ儘、腐れかけてゐたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思ひ出した時、私は妻に向つてもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積だと答へました。私の答も無論笑談に過ぎなかつたのですが、私は其時何だか古い不要な言葉に新らしい意義を盛り得たやうな心持がしたのです。

 それから約一ケ月程經ちました。御大葬の夜私は何時もの通り書齋に坐つて、相圖の號砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去つた報知の如く聞こえました。後で考へると、それが乃木大將の永久に去つた報知にもなつてゐたのです。私は號外を手にして、思はず妻に殉死だ殉死だと云ひました。

 私は新聞で乃木大將の死ぬ前に書き殘して行つたものを讀みました。西南戰爭の時敵に旗を奪られて以來、申し譯のために死なう/\と思つて、つい今日迄生きてゐたといふ意味の句を見た時、私は思はず指を折つて、乃木さんが死ぬ覺悟をしながら生きながらへて來た年月を勘定して見ました。西南戰爭は明治十年ですから、明治四十五年迄には三十五年の距離があります。乃木さんは此三十五年の間死なう/\と思つて、死ぬ機會を待つてゐたらしいのです。私はさういふ人に取つて、生きてゐた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、何方が苦しいだらうと考へました。

 それから二三日して、私はとう/\自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないやうに、貴方にも私の自殺する譯が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もし左右だとすると、それは時勢の推移から來る人間の相違だから仕方がありません。或は箇人の有つて生れた性格の相違と云つた方が確かも知れません。私は私の出來る限り此不可思議な私といふものを、貴方に解らせるやうに、今迄の敍述で己れを盡した積です。

 私は妻を殘して行きます。私がゐなくなつても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に殘酷な驚愕を與へる事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬ積です。妻の知らない間に、こつそり此世から居なくなるやうにします。私は死んだ後で、妻から頓死したと思はれたいのです。氣が狂つたと思はれても滿足なのです。

 私が死なうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分は貴方に此長い自敍傳の一節を書き殘すために使用されたものと思つて下さい。始めは貴方に會つて話をする氣でゐたのですが、書いて見ると、却つて其方が自分を判然描き出す事が出來たやうな心持がして嬉しいのです。私は醉興に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の經驗の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから、それを僞りなく書き殘して置く私の努力は、人間を知る上に於て、貴方にとつても、外の人にとつても、徒勞ではなからうと思ひます。

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[8]渡邊華山
は邯鄲といふ畫を描くために、死期を一週間繰り延べたといふ話をつい先達て聞きました。他から見たら餘計な事のやうにも解釋できませうが、當人にはまた當人相應の要求が心の中にあるのだから已むを得ないとも云はれるでせう。私の努力も單に貴方に對する約束を果すためばかりではありません。半ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。

 然し私は今其要求を果しました。もう何にもする事はありません。此手紙が貴方の手に落ちる頃には、私はもう此世にはゐないでせう。とくに死んでゐるでせう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷の叔母の所へ行きました。叔母が病氣で手が足りないといふから私が勸めて遣つたのです。私は妻の留守の間に、この長いものゝ大部分を書きました。時々妻が歸つて來ると、私はすぐそれを隱しました。

 私は私の過去を善惡ともに他の參考に供する積です。然し妻だけはたつた一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に對してもつ記憶を、成るべく純白に保存して置いて遣りたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きてゐる以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、凡てを腹の中に仕舞つて置いて下さい」。

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[1] Gendai Nihon Bungaku Taikei (Tokyo: Chikuma Shobo, 1970, vol.18; hereafter as GNBT) has 。at this point.
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[2] GNBT reads 靜といつた.
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[3] GNBT has 。at this point.
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[4] GNBT reads 私達は.
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[5] GNBT reads と云つた。私には父の.
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[6] GNBT reads 各自.
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[7] GNBT reads 悩まさなければ.
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[8] GNBT reads 渡辺崋山.