University of Virginia Library

Search this document 

expand section1. 
expand section2. 
collapse section3. 
 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
十九
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
 37. 
 38. 
 39. 
 40. 
 41. 
 42. 
 43. 
 44. 
 45. 
 46. 
 47. 
 48. 
 49. 
 50. 
 51. 
 52. 
 53. 
 54. 
 55. 
 56. 
  

十九

 「私は其友達の名を此所にKと呼んで置きます。私はこのKと小供の時からの 仲好でした。小供の時からと云へば斷らないでも解つてゐるでせう、二人には同郷の 縁故があつたのです。Kは眞宗の坊さんの子でした。尤も長男ではありません、次男 でした。それである醫者の所へ養子に遣られたのです。私の生れた地方は大變本願寺 派の勢力の強い所でしたから、眞宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好 かつたやうです。一例を擧げると、もし坊さんに女の子があつて、其女の子が年頃に なつたとすると、檀家のものが相談して、何處か適當な所へ嫁に遣つて呉れます。無 論費用は坊さんの懷から出るのではありません。そんな譯で眞宗寺は大抵有福でした。

 Kの生れた家も相應に暮らしてゐたのです。然し次男を東京へ修業に出す程の 餘力があつたか何うか知りません。又修業に出られる便宜があるので、養子の相談が 纏まつたものか何うか、其所も私には分りません。兎に角Kは醫者の家へ養子に行つ たのです。それは私達がまだ中學にゐる時の事でした。私は教場で先生が名簿を呼ぶ 時に、Kの姓が急に變つてゐたので驚ろいたのを今でも記憶してゐます。

 Kの養子先も可なりな財産家でした。Kは其所から學資を貰つて東京へ出て來 たのです。出て來たのは私と一所でなかつたけれども、東京へ着いてからは、すぐ同 じ下宿に入りました。其時分は一つ室によく二人も三人も机を竝べて寐起したもので す。Kと私も二人で同じ間にゐました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合ひな がら、外を睨めるやうなものでしたらう。二人は東京と東京の人を畏れました。それ でゐて六疊の間の中では、天下を睥睨するやうな事を云つてゐたのです。

 然し我々は眞面目でした。我々は實際偉くなる積でゐたのです。ことにKは強 かつたのです。寺に生れた彼は、常に精進といふ言葉を使ひました。さうして彼の行 爲動作は悉くこの精進の一語で形容されるやうに、私には見えたのです。私は心のう ちで常にKを畏敬してゐました。

 Kは中學にゐた頃から、宗教とか哲學とかいふ六づかしい問題で、私を困らせ ました。是は彼の父の感化なのか、又は自分の生れた家、即ち寺といふ一種特別な建 物に屬する空氣の影響なのか、解りません。ともかくも彼は普通の坊さんよりは遙か に坊さんらしい性格を有つてゐたやうに見受けられます。元來Kの養家では彼を醫者 にする積で東京へ出したのです。然るに頑固な彼は醫者にはならない決心をもつて、 東京へ出て來たのです。私は彼に向つて、それでは養父母を欺むくと同じ事ではない かと詰りました。大膽な彼は左右だと答へるのです。道のためなら、其位の事をして も構はないと云ふのです。其時彼の用ひた道といふ言葉は、恐らく彼にも能く解つて ゐなかつたでせう。私は無論解つたとは云へません。然し年の若い私達には、この漠 然とした言葉が尊とく響いたのです。よし解らないにしても氣高い心持に支配されて、そちらの方へ動いて行かうとする意氣組に卑しい所の見える筈はありません。私はK の説に贊成しました。私の同意がKに取つて何の位有力であつたか、それは私も知り ません。一圖な彼は、たとひ私がいくら反對しやうとも、矢張自分の思ひ通りを貫ぬ いたに違なからうとは察せられます。然し萬一の場合、贊成の聲援を與へた私に、多 少の責任が出來てくる位の事は、子供ながら私はよく承知してゐた積です。よし其時 にそれ丈の覺悟がないにしても、成人した眼で、過去を振り廻る必要が起つた場合には、私に割り當てられただけの責任は、私の方で帶びるのが至當になる位な語氣で私は贊成したのです。