University of Virginia Library

二幕目
莵原の里の場

  • 役目==薩摩守忠度。
  • 岡部六彌太忠澄。
  • 莵原の田五平。
  • 梶原平次景高。
  • 人足廻し、茂次兵衞。
  • 俊成御息女、菊の前。
  • 莵原の林。
本舞臺、三間の間、藁葺き常足の二重。上手、九尺の障子屋體。いつもの所、門口。この外に誂らへの生垣、林、世話なりの母にて、打盤の上に洗濯物を載せ、手槌にて打つてゐる。在郷唄にて幕明く。
[ト書]

トてんつゝにて、花道より百姓四人、鋤鍬など携へて出て來り、直ぐに本舞臺へ來り、門口を覗き、内へ入つて


百姓

コレ、婆樣、いつも/\よう精が出ますの。年に似合はぬ達者ゆゑ、毎日休みといふ事なく人仕事。なんぼ其やうに稼いでも春の日永、もう仕事もしまつて、氣保養もさつしやれや。



ハイ/\、左樣しませう。シタガ、今年の作は、どうでござりませうな。


百姓

さればいなう、婆樣も知つての通り、一年の出來秋で、春の植付けも、一入元氣があつてようござるわいの。



コレ、婆樣、一人で不自由でござらうが、毎日畑へ行くほどに、必らず遠慮なう、用があるなら云はつしやれや。



オヽ、其やうに親切に、忝なうござります。マア、一服のんで行かしやりませ。茶も温うなりましたが、一つ呑んで行かつしやりませ。


[ト書]

ト林、茶碗土瓶などを出す。皆々取つて呑む事。


百姓

構はつしやるな。兎やかう云ふうち日が闌けた。もう一稼ぎやらうぢやござるまいか。



それがようござらう。そんなら婆樣、明日また逢ひませう。



オヽ、もう行かつしやるか。靜かにござれや。


[ト書]

ト又テンツヽになり、百姓四人花道へ入る。林、後を見送り


[林]

ハテ、あの衆もよう親切に見舞うて下さる事ぢや……もう日が暮れるさうな。ドリヤ、灯を點さうか。


[ト書]

ト此うち林は打盤にて洗濯物を打ちしまひ、そこらを片附けなどしてゐる。


[唄]

[utaChushin ]世の憂きに、いさゝめならぬ身の願ひ、忍びて人につげ櫛の、薩摩の守忠度は、俊成卿の館より、須磨の陣屋へ歸らんと、急ぎの道も行き暮れて、宿りもがなと爰かしこ、荒れし軒端も疎なる、伏屋の門に立寄り給ひ。


[ト書]

ト此うち時の鐘になり、花道より忠度、壺折り衣裳、下駄、肩蓑、笠をかざし出て來り、思ひ入れあつて門口へ來り


忠度

都方より西國へ、歌修行の旅の者、案内も知らぬ道に疲れ、日も暮れたれば迷惑いたす。卒爾ながら、お宿の御無心頼み入る。


[唄]

[utaChushin ]頼み入るとぞありければ。


[ト書]

ト林これを聞き、こなしあつて



イヤ、爰は所の法度にて、人宿は致さねども、我れも人も行き暮れて、宿のないは難儀なもの。殊更優しき歌枕、御修行のお方と聞けば別條もあるまい。宿はせずとも、マア/\入つて、煙草でも參らつしやりませ。


[唄]

[utaChushin ]戸口を開けて。


[ト書]

ト林、二重より下り、門口を明けて見て


[林]

ヤア、あなたはどうやら見たやうな。


忠度

其方が面差も、どうやら覺えの、



オヽそれよ。前方都でお目にかゝりし、忠度さまではござりませぬか。


忠度

ナニサマ、思ひ合すれば、そちや五條三位俊成卿の館にゐやつた、菊の前が乳母でないか。



あなたも御無事で。


忠度

其方も健固で重疊々々。


[ト書]

ト思ひ入れあつて


[忠度]

して、この家は、其方が住居か。



茅屋なれどこの婆が


忠度

住居とあらば、暫時許しやれ。



マア/\此方へ。


[唄]

[utaChushin ]先づ此方へと伴ひて、洗足盥手桶の水、浮世を忍ぶ簑笠の、塵打拂ひ入り給へば、ともに林が手ばしこく、洗うて拭ふ袱紗物、上座に直し手をつかへ。


[ト書]

ト誂らへの合ひ方。忠度、内へ入り、上座に住ふ。


[林]

マア、何は差置きお尋ね申しませうは、この度源氏の軍勢、平家を攻めんと都へ亂入につき、一門殘らず西國へ、落ちさせ給ふと承りましたが、あなたばかり何として、今まで都にはござりました。


忠度

ホヽウ、その仔細は兼ねて其方の知る通り、某は俊成卿の弟子といひ、分けて親しき仲なるが、この度師の撰まれし千載集に、我が詠歌の加はりなば、たとへ敵の手にかゝり、屍は野山に曝すとも、この世の本望、敷島の道を求めし甲斐あらんと、思ふ心の一筋に、狐川より引返し、俊成卿の館に立越え願ひしが、かゝる時節に平家の詠歌、私しに入れられずと、未だその沙汰なきうちに、はや合戰最中と聞き、心急かれて立歸る、生田の陣所も程近しとは云ひながら、暮れに及ばゞ陣門も開くまじと、この所へ立寄りしも、不思議の縁であつたよなア。


[唄]

[utaChushin ]不思議の縁と宣ふに。



されば私しも、稚馴染の夫が不所存、置去りにして行くへ知れず。折柄縁を求めて俊成さまへ乳母奉公。養ひ君菊の前さま、御成人につきお暇申し、かゝるべき忰もあつたれど、氣性が惡さに勘當いたし、今獨り身の貧樂、應ぜぬ苦勞はござりませぬが、承はれば、あなたと菊の前さまは、どやら譯の


[ト書]

ト思ひ入れあつて


[林]

ホヽヽヽヽ、イヤ、私しに御遠慮はいらぬ事。それについてお話し申す事もあれど、こりや追つての事。マアマア、遠路のお草臥れ、あれへござつて御休息遊ばしませ。


忠度

イカサマ、旅中の勞れを休めん。


[ト書]

ト忠度立ち上がり、あたりを見て


[忠度]

ハテ、閑靜なるこの住居、一樹の宿りも他生の縁。



今宵は夜ととも、お物語り致しませう。


忠度

旅寢の徒然。ハテ、何をがな。


[唄]

[utaChushin ]云ひつゝ矢立取出し、心にうなづき傍なる、破れたる障子へサラ/\と、書きなし給ふ三十一文字、乳母は差寄り手をつかへ。


[ト書]

ト此うち忠度、誂らへの扇形の矢立を出し、障子へ歌を書く。林これを見る。


忠度

「行き暮れて木の下蔭を宿とせば、花や今宵の主なるらん。」



かゝる中にも一首のお歌。流石は都の忠度さま、見苦しけれど奧の間へ。


忠度

林、案内。



斯うお出で遊ばしませ。


[唄]

[utaChushin ]云ふも優しきもてなしに、貧家の塵も繕はぬ、主が案内に打連れて、一間にこそは入り給ふ。


[ト書]

ト林先に、忠度、思ひ入れあつて上の屋體へ入る。


[唄]

[utaChushin ]まだ宵ながらかき曇る、空も心も暗紛れ、ウソ/\窺ふ大男、枳殻の生垣押破り、ヌツと入つて上り口、納戸へ仕掛ける差足拔足、忍び込む間に主の林、物音聞付け立出でゝ、窺ひゐ

[_]
[2]
ともしすまし顏、袋に入りし一腰かい込み、ソロリ/\と表の方、出でんとするを。


[ト書]

ト此うち花道より、田五平、廣袖、褞袍の形、腰に酒の入りしすつぽんを提げ、ウソ/\出て來り、下の垣根を押分け、二重の横へ出て、窺ひ/\暖簾口へ入り、袋入りの刀を盗んで出る。此うち上の障子をあけ、林出て來り、田五平、表へ出ようとするを見て



コリヤ、盗人待て。


[唄]

[utaChushin ]聲かけられて恟りし、逃げ行く所を飛びかゝり、武者振りついて引戻せば、遁がさじ遣らじと掴みつき、引張るはずみに頬冠り、脱げて落ちたる顏見付け。


[ト書]

ト此うち兩人やらじと爭ふうち、田五平の手拭とれる。林顏を見て



ヤア、わりや田五平ぢやないか。エヽ、おのれはおのれは。


田五

エヽ、コレ/\母者人、聲高く云はつしやるな。盗人を捕へて見れば我が子なりけりぢや。人が知つてはおれよりマア、お前の外聞が惡いわいの。



てもさても、憎やの/\。おのれがやうな性の惡い奴が、又とあるかいやい。


田五

ハテ、あればこそ酒も飮みます。色事は此方任せ、三絃もちつくり噛るてや。喧嘩も滅多に前先の見えぬ事はせぬ。又、これ/\もたんまりにして、かすりは喰ひませぬわいの。へゝ、慮外ながら萬能に達した男ぢやわいの。



サア、その惡い事が積つて、親に樣々難儀をかけ、妹娘を勤め奉公にやつたも、みんなおのれゆゑ。まだその上に上塗りかけ、盗みするやうになつたは、よくよく因果な産れ性。そしてマア、外でもあらう事か、親の家へ入るとは、エヽマア、おのれは/\。


田五

アヽ、コレ/\、お前もほんに年に似合はぬ、まだな事を云はつしやるわいの。コレ、他人の所へ入るとの、忽ちこの首がござらぬわいの。そこでもし見付けられても、命に氣遣ひのないやうに、高を括つて親の家へ入つたは、我が子ながらも天晴れな者ぢやと、褒めてくれいで何ぢやゝら、くど/\くど/\と、愚痴な事云はつしやるわいの。コレ、そんな事聞くと氣が詰まるわいの。


[唄]

[utaChushin ]云ひつゝ腰のすつぽんより、有合ふ茶碗へどぶ/\どぶ。


[ト書]

ト田五平、腰の吸筒より酒を出して飮む事。林これを見て思ひ入れ。



それ/\その酒が止まぬから起つた事。横着な氣も出るわいなう。コリヤヤイ、見る影もないこの母が、人仕事してやう/\と、その日を送れば、いかな/\、一錢の貯へもないわいやい。


田五

サア、あつて堪るものか。そのない事は、おれがよう知つてゐる。ぢやによつて錢銀の望みはない。コレ、この一腰が欲しさぢやワ。


[ト書]

ト以前の袋入りの刀を出して見せる。



イヤ、そりやならぬ。親仁どのが殘して置いた、重代の寶物ぢやわやい。


田五

サア、それぢやによつて、よう切れうと思うて盗む心は、商ひせうにも元手はなし、仕馴れた職もなければ、人足廻しの茂次兵衞が所にかゝつてゐて、歩荷持ちしても、儲け憎いは錢ぢや。それに毎日飯代も拂はにやならず、三文でも餘つた時は、片かは酌んでやつてのける。これぢや濟まぬと思ふから、フツと氣の付いたは、いま源平軍の中、ウソ/\と見廻つて、拾ひ首でもしたら、知行になるまいものでもないと、思ひ付きは附いても、丸腰ではならぬ仕事。それでこの物を盗むとは云ふものの、親の物は子の物ぢや。こりやわしが貰ひますぞや。



アレ、まだ其やうな野太い事ばかり。子なれば遣れど、わりや勘當したりや他人ぢやわいやい。


田五

サア、そんなら借りませう。



イヽヤ、ならぬわやい。


田五

なんでもおれが借りにやならぬ。


[唄]

[utaChushin ]せり合ふ中へによつと來る、人足廻しの茂次兵衞が。


[ト書]

ト兩人、爭ひゐる。テンツヽになり、花道より茂次兵衞、輕袗三尺大風呂敷へ誂らへの鎧、小手臑當などを包み、これを引ツかたげ出て來り、門口へ來り


茂次

コレ、田五平、爰にゐやるか。ヤア婆樣、何やらせり合ぢやな。ハヽヽヽヽ、さては勘當の詫びを聞くまいといふ事か。



イヤ/\、詫び所ぢやござらぬ。矢ツ張り性根が直らぬわいの。


茂次

アヽ、コレ/\、直らぬとは云はれまい。おれが世話にしてから、めつきりとようなりました。もう料簡してやらつしやれ。コリヤ/\、田五平、うつかりしてゐる所ぢやない。今度の軍について、弓持ちの槍持ちのと大分人夫が要るゆゑ、それ%\の人を穿鑿してやつたが、まだ旗持ちが足らぬゆゑ、其方を雇はうと思つて、一遍と尋ねた。外の事より辛どうはせいで、マア、賃がよいが、行かぬか。



イエ/\、なんぼ賃がようても戰場

[_]
[3]
命掛け。こりや止しにしたらよからうぞや。


茂次

ハテ、益體もない。氣遣ひあれば雇はれる者は一人もござらぬ。道具持ちは切合ひの勝負はせず、もし流れ矢でも來る時は。


[唄]

[utaChushin ]楯の後へちやつと隱れ。


[茂次]

婆樣、えいか。


[唄]

[utaChushin ]槍長刀がひらめけば、人の後へちやつと屈む。


[茂次]

兎角ちやほや、氣轉利かして立廻れば、怪我する事はござらぬ。ほんのこけ知らずといふものぢや。その段はこの茂次兵衞が請合ひ。これ即ち先樣から來た丈夫な裝束、見せませうか。


[唄]

[utaChushin ]風呂敷ほどき取出すは、雜兵並の陣笠鎧、見る間に田五平ぞくつき出し。


田五

そりやおれが望む所ぢや。大勢に打交り、エイ/\オヽが云うて見たいわい。


茂次

そんなら直ぐに見拵らへするがえいわい。


田五

そんならちよつと、この鎧着て見ようか。


茂次

サア/\、それがよい/\。


[唄]

[utaChushin ]てんでに帶解きどんざ脱ぐ、襦袢の上に黒革の、鎧上帶しつかと締め。


[ト書]

ト錣の合ひ方。


[唄]

[utaChushin ]一腰さすが侍ひの、小手臑當も似合うたと、陣笠着けて。


[ト書]

ト此うち田五平、着物を脱ぎ、茂次兵衞、林、手傳うて鎧小手臑當を着せる。田五平、嬉しき思ひ入れ。


田五

先づこれで支度は出來たが、これからマア、どこへ行くのぢや。


茂次

成る程、其方は先樣を知るまいから、おらが家へ行て所を聞いたがよい。


田五

オツト合點。そんなら母者人、この刀貰ひました。



オヽ、とてもの序に折紙も添へてやりませう。待ちや待ちや。


[ト書]

ト林、奧より折紙を出し


[林]

これはその刀の折紙ぢやほどに、大事にしや。


田五

なんぢや。アヽ、折紙も添へて下さるか。エヽ、忝ない忝い。



コレ/\、必らず怪我してくれるなよ。


茂次

コレサ婆樣、案じぬがよい。


田五

オヽよい。よい/\よんやな。


[ト書]

ト田五平、力味返つて突ツ張るこなし。林、茂次兵衞、思ひ入れあつて、太皷入りにてよろしく


[田五]

よい/\よいやな。


[唄]

[utaChushin ]身振りは練物見る如く、勇み進んでこそは急ぎ行く。


[ト書]

ト此まゝ田五平は花道へ入る。林、跡を見送つてゐる。


[唄]

[utaChushin ]林は後を打眺め。



片輪な子が可愛いと、有やうは不便にござる。兎にも角にもお前のお世話、忝なうござりまする。お禮がてらに酒一つ進ぜたいが、奧には仕事を取散らして置きました。納戸でなと參つて下され。


茂次

イヤ、そりや無用にさつしやれ。



ハテ、買うては進ぜぬ。餘所から貰うた諸白に、鰯の魚でたつた一つ。


茂次

それほどに云はれる事。そんなら一つ御馳走になりませうか。



サア、マア、納戸で是非ともに。


[唄]

[utaChushin ]是非に/\と無理矢理に、納戸へ押遣り勝手から、銚子杯持ち行くも、子ゆゑの愛想と知られけり。


[ト書]

ト茂次兵衞を奧へやり、林、こなしあつて、銚子杯を持ち、思ひ入れあつて奧へ入る。


[唄]

[utaChushin ]風さそふ、道の時雨も戀ゆゑに、身は濡鷺の菊の前、走り着いたる一つ家の、門の戸けはしく打ち叩き。


[ト書]

ト花道より菊の前、廣振り袖衣裝、市女笠、杖にて、足早に出て、門口へ來り


菊の

コレ、爰明けてたもひなう。


[唄]

[utaChushin ]明けて/\とのたまへば、林は聞付け。


[ト書]

ト奧より林、行燈を提げ出て來り



誰れぢや/\。


菊の

イヤ、大事ない者ぢやわいの。



大事ない者とはどなたぢや、誰れぢや。


菊の

ハテ、わしぢや、菊の前ぢやわいの。



ヤア/\心得ぬ。お姫樣とは。


[唄]

[utaChushin ]庭に駈け下り戸を明けて。


[ト書]

ト林は門口を明けて菊の前を見て


[林]

ほんにお姫樣ぢや。マア/\、此方へお入り遊ばしませ。


[唄]

[utaChushin ]といふうちもどうやら氣遣ひ。


[ト書]

ト菊の前を内へ入れ、林思ひ入れあつて


[林]

見れば附添ふ人もなし、何として夜に入つて、お一人お出でなされたぞ。


菊の

さればいの。忠度さまの遊ばした、お歌の事に兎や角と、隙取るうちに待兼ねて、お立ちありしと聞くと早、お後を慕うて出たれども、心に任せぬ女の足。爰まで來ても追ひつかれず、道は知らず日は暮れる。其方の所は前方に、摩耶參りの時寄つたを便り、やう/\尋ね當りしが、此やうに後れては、忠度さまに逢ふ事は



なるとも/\、コレ、逢はれまするぞえ。


菊の

そりや又どうして。



コレ、忠度さまは先程お出でなされて、奧にござりますわいの。


菊の

ヤア、そりやほんの事かいなう。ヤレ/\嬉しや。イヤ、そりや嘘ぢや。どうしてあなたが、この家の内へお出でなされう筈がない。こりや自らを嬲るのかいなう。



ホヽヽヽヽ。こりやマア、ひよんなお疑ひ。我が子にかへても大事と思ふお前樣、殊に遙々ござつたもの、嘘僞はりを申しませうか。その證據と申すは、アレ、あの障子へ忠度さまが、お書きなされたあの歌。あれを御覽遊ばして、お喜びなされませいなア。


菊の

なんと云やる。この障子が證據とは。


[唄]

[utaChushin ]嬉しき事を菊の前、何か樣子も白紙の、障子に殘る夫の歌、見るより恟り。


[菊の]

ほんにこれこそ我が夫の御手蹟。どうして爰へ來給ひしぞ。アヽ、早う逢ひたい、逢はせて給ひなう。



成る程お逢ひなされまし。ぢやがコレ、旅疲れで休んでござる。消魂しう起さずと、ソツと入つて肌身をつけ、しつぽりと御寢なされませ。


[唄]

[utaChushin ]粹な詞に面はゆく。


菊の

オヽ乳母とした事が、じやら/\と、なんぞいなう。譯もない事ばつかり。


[唄]

[utaChushin ]云ひつゝ片頬に笑の眉、開く襖も待兼ねて、いそ/\として。


[菊の]

乳母、其方向いてゐやいなう。


[唄]

[utaChushin ]入り給ふ。


[ト書]

ト上の屋體へ菊の前を突き遣る。菊の前、こなしあつて屋體の内へ入る。


[唄]

[utaChushin ]折節納戸の暖簾口、欠伸まじりで立出る茂次兵衞。


[ト書]

ト奧より茂次兵衞、酒に醉ひしこなしにて出て來り


茂次

コレ婆樣、いかい雜作になりましたぞや。



これはさて、わしとした事が不作法な。構ひもせぬ亭主振り、免して下さりませ。


茂次

イヤモ、手酌で差いつ押へつ、銚子ぎり引掛けたりや、グツタリと寢てのけた。内に大分用がある、いかい馳走になりました。また其うち來ませう。



そんなら、もうお歸りでござりまするか。


茂次

オヽサ、歸る事は歸るが、斯う醉つて見ると泊つて行きたい。



何を云はしやる。お内儀が待つてゐるぞや。


茂次

そんなら、また來ませう。



ようござりました。


[唄]

[utaChushin ]林は納戸へ入りにけり。


[ト書]

ト林は納戸口へ入る。茂次兵衞外へ出て、窺ひゐて


[唄]

[utaChushin ]茂次兵衞戸口に窺ひ/\。


茂次

いま奧で樣子を聞けば、平家の大將、薩摩守忠度とやらが、爰へ來てゐる樣子。いま見えたのは菊の前とやら。なんでもこの事、梶原さまへ注進して褒美の金。うまい/\。


[ト書]

ト時の鐘にて、逸散に花道へ入る。


[唄]

[utaChushin ]時しも一間騷がしく、何の樣子か菊の前、襖を明けて裾蹴はらし、駈け出で給へば林は驚ろき。


[ト書]

ト障子の内バタ/\にて、菊の前、走り出る。暖簾口よりこの物音にて、林も出て來り押止めて



コレ申し、姫君樣、何事が起つたか。氣色を變へてとつかはと、あなたはどこへござります。樣子仰しやれ。サア、どうでござりますぞいの。


菊の

サア、その樣子は、忠度さまが胴慾な、わしに暇をやるといの。



ムウ、そんならあなたのお腹立ちは尤もぢやが、高いも低いも、夫が女房に暇をやるとは、よく/\料簡ならぬ事。その譯を立てなさらにや、コレ、科ないあなたに疵がつくぞえ。マア、とつくりと氣を鎭め、思案して御覽じませ。


菊の

イヤ/\、思案までもない。その譯は立つてはあれど、互ひに思ひ初めしより、夫よ妻よと云ひ交して、一生添はうと思うたもの、縁切られては片時も、なんと長らへ居られようぞ。


[唄]

[utaChushin ]恨みつらみも有磯海、一思ひに身を沈め、底の藻屑となる覺悟。


[菊の]

止めずと死なしてたもいなう。


[唄]

[utaChushin ]死ぬる/\とばかりにて、後は詞も涙なる。



イヤ/\、なんぼ仰しやつても、乳母はどうも合點がゆかぬ。これには定めて深い樣子が。


[ト書]

トこの時上の障子屋體の内にて


忠度

ホヽウ、その仔細は忠度が、とくと申し聞かせん。


[唄]

[utaChushin ]しづ/\と立出で給ひ。


[ト書]

ト上手より忠度出で、二重眞中へ住ふ。大小の合ひ方になり


[忠度]

天の憎むところ、天必らず誅罰すと、入道の不善、一門の積惡によつて、斯くまで傾く平家の運。この度の戰ひも、十が九つ味方の敗軍。某も討死と、覺悟を極めし事なれば、いつを期してか添ひ遂げん。思ひ切つて歸られよ。


[唄]

[utaChushin ]云へども更に聞き入れず。


[忠度]

陣所へ行かんとある時には、忠度女に迷ひ、陣中まで具したりと、世の人口にかゝるといひ、死後まで縁を切らざれば、俊成卿の御身の上。平家に親しき咎めを受け、遂には源氏の仇となつて、亡び給はん悲しさに、つれなく云ひ放し、暇を遣はせしは、忠度が師の高恩を報ぜん爲。もしも運に叶ひ、戰に勝たば長らへて、再び逢はんも計りがたし。それを頼みに行く末の、契りを樂しみ待ち給へや。


[唄]

[utaChushin ]口にはいさめ心には、これ今生の別れぞと、思ひ廻せばいぢらしく、さしも武勇に張り詰めし、弓弦の切れし心にて、ゐるもゐられぬ座を背け、脇目に餘る御涙、包み兼ねさせ給ふにぞ、それと悟りて菊の前。


菊の

イヤ/\、なんぼ其やうに、再び逢はうの添はれるのと、潔う仰しやつても、誠しからぬ身の覺悟、討死と知りながら、なんと見捨てゝ去なれうぞ。いづこまでもお供して、生きるとも死ぬるとも、一緒でなけりや、わしや否々。


[唄]

[utaChushin ]酷いつれないお心と縋りついて泣き給へば、林も心思ひやり、共に袂を絞りしが、わざと諌めの聲勵まし。



今の程事を分け、利害を解いてお云ひなさるに、たつてお供と仰しやるは、親御樣へは御不孝といひ、殿御の爲には猶ならぬ。如何に姫御前なればとて、その辨へがないかいの。アヽ、疎ましいお子ではあるぞいなア。


[唄]

[utaChushin ]詞を盡してとも%\に、諌めすかせど否應の、應へも涙なか/\に、離れがたなき風情なり、折節風に誘はれて、間近く聞ゆる閧の聲、耳を貫く鉦太皷、亂調に打ち立て/\、どつと駈け來る討手の大將、一文字の大音上げ。


[ト書]

ト此うち皆々愁ひの思ひ入れ。遠寄せになり、三人こなし。花道より梶原、立烏帽子、鎧陣立の形、附け太刀にて、花四天大勢、突棒刺叉を持ち出て來り、花道にて


梶原

平家の落人薩摩守忠度、この家に忍び在する由、注進あつて慥かに聞き、召捕らん爲、梶原平次景高が向うたり。たとひ鬼神なればとて、八方を取圍めば、とても遁がれぬ。尋常に繩かゝれ。異議に及ばば踏込んで、搦め捕らうか。如何に/\。


[唄]

[utaChushin ]如何に/\と呼はつたり、人々さては茂次兵衞が、注進せしかと驚ろけば、忠度少しも動じ給はず、二人を奧へ忍ばせて。


[ト書]

ト忠度、門口へこなしあつて兩人を奧へやり、門口を明け、キツとこなし。


[唄]

[utaChushin ]太刀押取つて突立ち上がり。


忠度

ヤア、烏滸がましや平次景高、源平互ひに鎬を削り、を爭ふ戰場には向はず、我れ


[唄]

[utaChushin ]一人に多勢を以つて取圍む。


[忠度]

玆な卑怯者、汝如きに易々と、繩かけらるゝ忠度ならず。いでや手並の程を見よ。


[唄]

[utaChushin ]太刀拔き放し身繕ひ、景高いらつて。


梶原

ヤア、物を云はせず討つて捕れ。


捕手

やらぬワ。


[ト書]

ト大太皷入りになり、捕り手打つてかゝり、皆々を相手に忠度立廻り、好みの通りあつて、トヾ寄せ太皷になり、景高を先に捕り手、花道へ逃げて入る。


[唄]

[utaChushin ]むら/\ばつと逃げ失せたり、引違うて人足茂次兵衞、數多引連れ勇み立ち。


[ト書]

ト花道揚げ幕にて


茂次

ヤレ來いやい。


皆々

ハヽア。


[ト書]

トどんちやんになり、茂次兵衞、双紙を鎧にして、火吹竹を差し、采配を持つて先に立ち、後より大勢四天、突棒刺股を持ち出て來り


茂次

ヤア/\青海苔、ぢやアない忠度、最前この家で窺ふところ、障子に殘る落書を、見出した歌の茂次兵衞が、梶原さまへ御注進、首打ち落すは易けれど、ならば手柄にからめ捕り、菊の前をおらが貰ひ、巣鴨の花と作り立て、細工は流々仕上げたら、褒美はドツサリ丸儲け、團子坂からコロ/\と、首を打たうか生捕るか。二つに一つの返答は、サヽヽヽヽ、なんと/\。


[唄]

[utaChushin ]なんと/\と詰め寄れば、忠度動ずる氣色もなく。


忠度

ヤア、尾籠なる蛆蟲めら、汝等如きに物は要らぬ。


[唄]

[utaChushin ]云ふより太刀を拔放し、軒口へ刺し貫き。


茂次

ソレ。


[唄]

[utaChushin ]双方一度に打つてかゝれば、襟髮掴んでづでんどう、疊蹴上げて投げ付くれば、組子は慌て群がるを、右往左往と。


[ト書]

トこれより鳴り物。疊の立廻り十分あつて皆々を追ひ込む。忠度、キツと見得。


[唄]

[utaChushin ]ばらり/\と駈け散らし、相手なければ忠度卿、息を休める其うちも、油斷ならざる埴生の宿り、如何はして防がんと、心を配る時しもあれ、又も寄せ來る閧の聲、貝鉦太鼓責め太鼓、手に取るやうに聞ゆれば、忠度ハツと心付き。


[ト書]

トこの時遠寄せ烈しく、竹法螺を吹き立てる。これにて忠度、キツとなつて


忠度

さてこそ景高、大軍を催ほし、重ねて向ふと覺えたり。戰場ならば敵の勢ひ、何萬騎にて圍むとも、打破りかけ惱ませ、譽れを顯はし見せんずもの。軍中に引返し、願ふ詠歌も腰折れの、望みも叶はず剩へ、さしも名高き忠度が、斯く茅屋に身を忍び、敵に圍まれやみ/\と、生捕られては後代まで、屍の恥辱名の穢れ。チエヽ、口惜しや淺ましやなア。


[唄]

[utaChushin ]拳を握り齒噛をなし、怒りの涙照る月に、氷をふらすが如くにて、痛はしくも亦道理なり。隙もあらせず表の方、寄せ來る軍兵むら立つ提灯、天地を照らし亂れ入るよと、見る所にさはなくして、討手の大將掛け烏帽子に、花田の大紋さはやかに、長袴の括りを解き、悠々然と立向ひ。


[ト書]

ト此うち花道より軍兵二人、高張を持ち、後より六彌太、侍ひ烏帽子、誂らへの龍神卷、短册の附きし櫻の枝を襟に差し、軍兵大勢附添ひ出て、花道にて、


六彌

武藝の國の住人、岡部の六彌太忠澄、忠度卿へ見參見參。


[唄]

[utaChushin ]しづ/\と打通り、


[ト書]

トこなしあつて六彌太、軍兵、舞臺へ來る。


忠度

ナヽ、なんと。


六彌

この度源平兩家の戰ひは、私しならぬ院宣を蒙むり、範頼義經罷り向へば、兩陣互ひに晴れ勝負。潔き軍はせずして、拔駈けせし梶原景高、卑怯の振舞ひ聞くに忍びず、この六彌太が罷りしは、義經の嚴命。


[ト書]

ト大小入りの合ひ方になる。


[六彌]

その仔細は先達て俊成卿へお頼みありし御詠歌のうち、「さゞ波や志賀の都はあれにしを、昔ながらの山櫻かな」右の御歌千載集に入りしかど、勅勘ある御身なれば、名を憚りて讀人知らずとなりし趣き、即ち集に入つたる印の、短册を御覽下さるべし。


[唄]

[utaChushin ]山櫻の流し枝に、結び付けたる以前の短册、恭々しく差出せば、忠度につこと打笑み給ひ。


[ト書]

ト六彌太、櫻の枝を出す。忠度取つて


忠度

我が詠歌を我が筆の、願ひも仇花ならざる印、御芳志の山櫻。ハヽア、忝なし/\。敵味方と隔つれば、打捨て置かるべかりしを、思ひ寄らざる義經の仁心にて、歌人の數に加はり、和歌の譽れを殘す生涯の本望、死んでも忘れぬ喜びぞや。とても遁がれぬ身の不運、死すべき時に死なざれば、死にまさる恥ありと、名もなき愚人の手にかゝり、見苦しき最期せんかと、後悔せし折に幸ひ、武勇の聞え隱れなき、六彌太に生捕らるれば、忠度に耻辱はあらじ。サア、寄つて繩かけられよ。


[唄]

[utaChushin ]御手を廻し待ち給へば。


六彌

こは心得ぬ御仰せ、某君の討手には參らず、敵味方の勝負は戰場。その時は互ひに時の運、容赦はござらぬ。但し、梶原如き弱身を見かけ、拔駈けして手柄にせんと思ふやうな、六彌太と思ひ召さるゝか。ハヽヽヽヽ。


[唄]

[utaChushin ]嘲笑へば、忠度卿は理に服し。


忠度

實に/\これは誤まつたり。盛んなる時は制し、衰ふる時は制せらるゝ理り。如何なれば義經といひ、汝まで誠ある一言、心魂に徹し、今更返す詞なし。惜しからぬ命なれども、明けなば陣所へ立歸り、華々しき勝負せん。


六彌

その時望みは御邊が首、忠度卿は我れ討取らん。


忠度

必らず討たれよ。


六彌

おんでもない事。


[ト書]

トこの時鷄、諸所にて鳴く。


[六彌]

アレ/\、八聲の鷄も鳴き、明くる間近しと申せども、路次の狼藉覺束なし。陣所へ御供仕らん。ヤア、六彌太が家來ども、用意の馬引け。


軍兵

ハヽア。


[唄]

[utaChushin ]飾り立てたる黒の駒、御前に差寄する、辭するに及ばず忠度卿、鬣掴んでゆらりと召せば、一間の内より菊の前、これなう暫しと駈出で給ふを、林は押止め立身で隱せば、岡部の六彌太それと悟つて、忠度卿の脱ぎかけ給ひし上着の袖、刀を拔いてフツツと切り。


[ト書]

ト此うち下座より軍兵大勢、黒の馬を引出し、忠度の前へ据ゑる。忠度これに乘る。ト奧より菊の前、走り出るを林、これを止めて、六彌太に見せぬ思ひ入れあつて、六彌太、馬に乘りし忠度の右の袖を刀にて切り落し思ひ入れ。


六彌

コレ/\乳母。


[唄]

[utaChushin ]云ふに恟り。


[ト書]

ト林、思ひ入れある。


[六彌]

ハテサテ不思議な顏せまい。總じて老女は媼といひ、また姥とも呼ぶ。今宵忠度卿のお宿を申せし、御褒美にこれを遣はす。それとも若々しき錦の片袖、年寄が貰うて益なしと思はゞ、外に欲しがる方もあるべし。これもその人の筐と思へども、猶懷かしき袖の移り香、といふ歌の心。其方が耳に、菊の前、よく心得てお受け申せ。


[唄]

[utaChushin ]差出せば、


[ト書]

ト林は右の袖を取り



こは冥加ない仕合せ。


[ト書]

ト林、袖を菊の前に遣る。


[唄]

[utaChushin ]頂く右の片袖は、右の腕を落かたの、戰に討死し給ひし、後の哀れと知られけり、思ひの種や涙の種、仁義の種の六彌太が。


六彌

東雲近し。


[唄]

[utaChushin ]急がんと、先に進んでたつか弓、云はぬは云ふに彌増る、暇乞ひさへ泣顏の、見送る姿振返る、心の種の詠み歌も。


忠度

昔ながらの山櫻。


菊の

散り行く身にもさしかざす


忠度

流れの枝の短册も


六彌

世々に譽れを殘す種。



嘆きの種の


皆々

放れ際。


[唄]

[utaChushin ]諌めを種と隔つれど、果てし涙の悲しみを、共になづみて耳を垂れ、嘶く聲も哀れ添ふ、駒の足取り諸手綱、引別れゆく曉の、空も名殘や惜むらん。


[ト書]

ト此うち忠度、馬の上に櫻を持ち思ひ入れ。菊の前、林、愁ひのこなし。六彌太、忠度、ホツト思ひ入れ。持ちし櫻を鞭にして行きかゝる。双方見得、段切れにてよろしく



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