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一谷嫩軍記
序幕 須磨浦組討の場

  • 役目==熊谷次郎直實。
  • 無官太夫敦盛。
  • 平山の武者所季重。
  • 熊谷小次郎直家。
  • 玉織姫。
本舞臺、三間の間、上の方に陣門。正面、柵矢來。すべて須磨の浦陣所の體。ドンチヤンにて幕明く。
[唄]

[utaChushin ]酒極まる時は亂る、樂しみ極まる時は悲しむとかや、二十餘年の榮華の夢、跡なく覺めて都を開き、平家の一門立籠る、須磨の浦の内裏の要害、前には海、上には險しき鵯越、大手は生田搦め手は、一の谷の山手より、波打際まで柵結ひ廻し、赤旗風に吹き靡かせ、參議經盛の末子無官の大夫敦盛、父に代つて陣所を固め、事嚴重に見えにけり。


[唄]

[utaChushin ]頃は彌生の始めつかた、月さへ入りて暗き夜に、熊谷が一子小次郎直家、魁して初陣の、功名を顯はさんと、出立つ姿は澤瀉を、一入摺つたる直垂に、小櫻縅の兒鎧、猪首に着なす星兜、星の光に只一騎、心は剛の武者草鞋、足に任せて逸り男の、山道岩角嫌ひなく、一の谷の西の木戸、陣門に走り着き、一息吐いて四方を詠め。


[ト書]

トこの文句のうち、掠めたる遠寄せにて、花道より小次郎、若衆蔓、鎧、誂らへの陣立の形にて走り出て、本舞臺へ來り、あたりを見廻し


小次

アヽ、嬉しや、我れより一番に魁する者もなし。後より人の續かぬ先、イデ切り入らん。オヽ、さうぢや。


[唄]

[utaChushin ]駈け廻れど、亂杭逆茂木隙間なく、嚴しく閉す陣所の門、如何はせんと見廻すうち、遙かの奧に管絃の音。


[ト書]

ト小次郎、思ひ入れあつて、陣所の門へツカ/\と行きこなしあると、奧にて音樂聞える。


[唄]

[utaChushin ]夜は深更に及んだり、折節山路に風もやみ、海上も浪靜まれば、伎樂の調べ哀れげに、さも面白く聞えけり、小次郎は思はずも、心耳を澄まし聞き惚れて。


[ト書]

ト小次郎、思ひ入れあつて


[小次郎]

アヽ、實にも上臈都人は、情も深く心も優しと、父母の物語り、今こそ思ひ合せたり。アヽ、かゝる亂れの世の中に、弓矢叫びの音はなく、糸竹の曲を調べ、詩歌管絃を催ふさる、ハヽア、床しさよ。如何なれば我れ/\は、邪慳の田舍に生れ出で、鎧兜弓矢を取り、斯くやんごとなき人々を、敵として立向ひ、修羅の劍を研ぐ事は、淺ましやなア。


[唄]

[utaChushin ]淺ましさよとばかりにて、覺えず涙を流したる、まだうら若き小次郎が、身の程々を汲分けて、感ずる心ぞしをらしき、後の方に險しき足音、誰れなるやらんと窺ふうち、平山の武者所、鎧凛々しく駈け來り、小次郎が顏見るよりも、敵か見方か訝かしく。


[ト書]

ト此のうち矢張りドンチヤンになり、花道より平山の武者所季重、鎧の拵へにて槍を持ち、走り出て來り、花道にて小次郎を窺ひ見て


季重

ヤア、それに居るは敵か見方か、何者なるぞ。


[唄]

[utaChushin ]聲掛くれば、小次郎も透し見て。


小次

ヤア、さいふ御身は季重どのか。


季重

ムウ、我れより先へ來る者は、よもあるまじと思ひしに、ホヽオ、心掛け神妙々々。外の人なら平山が、先陣を爭うて、一番に乘入らんが、初陣の健氣さに、先陣を汝に讓る。氣遣ひなしに、切り入れ/\。


小次

イヤナウ、平山どの、あの管絃の音お聞きなされ。さても雲の上人は、また優しさが違ひまする。


季重

イヤサ、それを和殿はえゝ知るまい。昔、諸葛孔明が、司馬仲達に押寄せられ、詮方盡きて櫓に登り、香を焚いて悠々と、琴を彈じてゐるを見て、謀計もあらんかと、我が智慧に迷うて、仲達は逃げしと聞く。アレあの管絃もその通り。ナニ怪しむ事はござらぬ。早く駈入り功名せよ。但し和殿が恐ろしくば、某が先陣せうか。


小次

サア、それは。


季重

サア。


兩人

サア/\/\。


[唄]

[utaChushin ]なんと/\と氣を持たされ、血氣に逸る小次郎直家、木戸口に走り寄り、門打ち叩き大音上げ。


[ト書]

トこれにて小次郎、ツカ/\と行き、門の扉を打ち叩き、大音にて


小次

敵の陣所へ物申さん。武藏の國の住人、士の黨の旗頭、熊谷の次郎直實が一子、同苗小次郎直家、先陣に向うたり。出合うて勝負々々。


[唄]

[utaChushin ]高らかに呼ばはれば、門内も騷ぎ立ち、すはや敵の寄せたるぞ、出合うて討取らんと、木戸押開き押取り卷き。


[ト書]

トどん/\になり、陣門を明け、内より軍兵大勢、拔き連れ、バラ/\と出て


軍兵

ソレ、逃がすな。


[唄]

[utaChushin ]それ逃がすなと軍兵ども、俄に騷ぐ閧の聲、太刀音人聲かまびすし。


[ト書]

ト小次郎、軍兵を相手に立廻り、門の内へ追つて入る。


[唄]

[utaChushin ]平山如何と躊躇ふうち、熊谷の次郎直實、我が子の先陣心に徹し、足を空に駈け來り。


[ト書]

トどんちやんにて、花道より直實、好みの鎧なりにて走り出て來り、季重を見て


直實

ヤア、平山どの候ふな。忰小次郎見給はずや。


季重

されば/\、最前これへ見えしゆゑ、小次郎にいろいろ段々、あの大勢の敵の中へ、一騎討は叶はぬぞ。平によしに召され、後詰めを待つての事がよからうと、いろ/\諌めても、逸り切つたる若武者、無二無三に切り入つてござるわえ。


[唄]

[utaChushin ]聞くより直實髮逆立ち。


直實

ナニ、小次郎一騎にて切り込みしとな。南無三寶。ソレ。


[唄]

[utaChushin ]子を失ひし獅子の勢ひ、敵の陣所へ駈け入つたり。


[ト書]

ト直實こなしあつて、陣門の内へ走り入る。


[唄]

[utaChushin ]爰や彼所の閧の聲。


[ト書]

この時、奧にて


軍兵

エイ/\オヽ。


[ト書]

ト烈しくドンチヤン打ち立てる。


[唄]

[utaChushin ]聞くに平山獨り笑み。


季重

ヘヽ、ムヽ、ハヽヽヽヽ。思ふ壺/\。親子ともに袋の鼠。今の間に討たれ居らう。日頃からの熊谷めと、六彌太めが出頭を、クイ/\と思うてゐたに、エエ、時節もあればあるもの、手を濡らさず、風の神よりよい敵。その上親子も剛の者、死物狂ひと働らかば、餘程敵を惱まし居らう。荒ごなしさせ討死さし、その後へ仕掛くれば、功名手柄は思ひの儘。うまいぞ/\。


[唄]

[utaChushin ]ぞく/\勇み喜ぶ所へ、木戸口に數多の人聲。


軍兵

エイ/\オヽ。


[ト書]

ト聲する。季重こなし。


[唄]

[utaChushin ]すはや敵ぞと身構へし、窺ひゐるも暗紛れ、熊谷次郎直實、我が子を小脇にひん抱へ、陣所をズツと駈け出で。


[ト書]

ト門の内より直實、小次郎の吹替を引立て、出て來り


直實

平山どの在するか。忰小次郎、傷を負うたれば、養生加へに陣所へ送らん。貴殿は殘つて手柄を召されい。


[唄]

[utaChushin ]云ひ捨てゝ、飛ぶが如くに急ぎ行く。


[ト書]

ト烈しきドンチヤンになり、直實、吹替を引立て、花道揚げ幕へ走り入る。


[唄]

[utaChushin ]平山案に相違して、油斷ならずとためらふ所へ、數多の軍兵拔き連れて、我れ討取らんと駈出づれば、心得たりと拔き合はせ、受けつ流しつ多勢を相手、火花を散らして挑むうち、無官の大夫敦盛は六具を固め、駒を進めて乘り出し。


[ト書]

ト此うち軍兵大勢出て、季重にかゝる。早笛になり、立廻りよろしくあつて、軍兵、花道へ逃げて入る。この時門内より敦盛、鎧兜、好みの拵らへ、馬に乘り出て來り


[唄]

[utaChushin ]平山を見るよりも、まつしぐらに打寄り給へば、さしつたりと渡り合ひ。暫しは支へ打合ひしが、先を取られて武者所、殊に大勢に取卷かれ、臆病神の誘ひてや、一足出して逃げ出せば、いづくまでもと煽り立て、後を慕うて追うて行く。


[ト書]

ト此うち太鼓入りの鳴り物になり、敦盛、季重へ切つてかゝる。槍と太刀にてよろしく立廻りあつて、トヾ季重花道へ逃げて行く。敦盛、後を追つて花道へ入る。ト知らせにつき一面の浪幕を振り落し、上下より岩の張り物を出す。


[唄]

[utaChushin ]敦盛卿の後を慕ひ、須磨の浦邊をうろ/\と、袖は涙の玉織姫、氣も春風や朧夜に、心細身の一腰掻込み、彼方へ走り此方へ迷ひ。


玉織

敦盛樣いなう、太夫さまいなう。


[ト書]

ト波の音、谺になり、花道より玉織姫、緋の袴、好みの拵らへにて、長刀を持ち出て來り、花道をウロ/\と呼びながら舞臺へ來る。


[唄]

[utaChushin ]其處よ此處よと尋ね彷徨ひ給ひけり、早東雲に人影も、ほのかに見えし山道より、平山の武者所、やう/\逃げのび須磨の浦、暫らく息を吐くうちに、玉織姫と見るよりも。


[ト書]

ト此うち上手より季重出て來り、玉織姫を見て


季重

ヤア、玉織ではないか。ても、よい所で出逢つたな。いつぞや京で見染めてから、目の先にちらつくやうで、起きても寢ても忘られず、思ひ餘つてそさまの親御、時忠どのへ云うたれば、遣らうとあるを幸ひ、迎ひにやつたその後で、アヽ生娘なら術なかろ、マア寢てどうして斯うしてと、ほんに/\首を長くして待つてゐたに、迎ひにやつた玄蕃を殺し、よう待ぼうけに召さつたなう。サア、これから連れて行て、女房にするわいやい。


[唄]

[utaChushin ]引立つれば振り放し。


玉織

エヽ、アタ嫌らしい。親が許すがどうせうが、敦盛さまとは二世の約束。斯う云ふうちにも尋ね逢うて、死なば一緒、邪魔しやんな。


[唄]

[utaChushin ]駈け行くをひん抱へ。


季重

ムウ、敦盛を尋ねるか。コレ、なんぼ尋ねても敦盛の行くへ、水の底まで尋ねても在所は知れまい。


玉織

そりや又なぜに。


季重

オヽ、敦盛はたつた今、我が手にかけて、討つてしまうた。


玉織

ヤア、なんと。敦盛さまを討つたとや。ハア。


[唄]

[utaChushin ]はつとばかりにだうと伏し、人目も分かず聲を上げ、嘆き沈ませ給ひしが。


[ト書]

ト玉織姫、泣き落し、思ひ入れあつて懷劍を拔き


[玉織]

夫の敵、平山覺悟。


[唄]

[utaChushin ]夫の敵と切り付ける、腕首掴んで。


[ト書]

ト玉織姫、季重へ突いてかゝる。ちよつと立廻りあつて、季重、玉織姫の腕を押へ


季重

ヤア、此奴手向ひか。もう料簡ならぬ。と云ふ所を云はぬわいやい。


[ト書]

ト思ひ入れあつて


[季重]

ても、この手の柔かさ尋常さ。どうも/\、アヽ、武者震ひがする程どうもならぬ。コレ、惡い料簡ぢや。とんと心を入れ替へて、おれに隨ふ氣になれば、女房に持つて可愛がる。サア、どうか/\。


[唄]

[utaChushin ]どうか/\と猫撫で聲、姫は怒りの涙まじり。


玉織

エヽ、世が世なら其方がやうな、むくつけな侍ひは、あたりへも寄せつけぬに、隨への靡けのと穢らはしい。エヽ、腹の立つ。


[唄]

[utaChushin ]また切り付ける腕首、捻上げ取つて押へ。


[ト書]

ト季重を玉織姫また切り付ける。ちよつと立廻り、玉織姫を引敷き


季重

サア、女房になるかならぬか。否なら殺すが、なんと/\。


[唄]

[utaChushin ]太刀拔き持つて傍若無人。


[ト書]

ト季重、太刀を拔き、玉織姫に差付ける。


玉織

オヽ、殺さば殺せ畜生め。エヽ、誰れぞ強い人が來て、此奴を切つてくれぬかいなア。


[唄]

[utaChushin ]悶え給ふぞ痛はしゝ、豪氣の平山ムツとせき上げ。


季重

ヤア、憎くい女め。靡かぬ上に、いろ/\の雜言過言。恥面掻かされ堪忍ならぬ。生け置いては人の花と詠めさすもむやくしい。辛く當りし返報。思ひ知れ。


[唄]

[utaChushin ]と持つたる刀、胸板グツと突き通せば、アツと一聲苦しむ折柄、後の方に閧の聲。


[ト書]

トこの時奧にて、ドンチヤン、閧の聲する。


[季重]

南無三、追手の敵なるか。さうだ。


[唄]

[utaChushin ]我れを追ひ來る敵なるやと、後をも見ずして落ち失せけれ。


[ト書]

ト季重うろたへ、玉織姫の死骸を岩の張り物の内へ蹴込み、ウロ/\して上の方へ入る。知らせに付き、浪幕を切つて落す。


本舞臺、向う一面の須磨の浦の遠見。三段の波手摺り、上下岩の張り物よろしく、浪の音にて道具納まる。

[utaChushin ]さるほどに御船を始めて一家皆々、舟に浮めば乘り遲れじと汀に打寄れば、御座船も兵船も遙かに延び給ふ。

[utaChushin ]無官の大夫敦盛は、途にて敵を見失ひ、御座船に馳せ付けて、父經盛に身の上を、告げ知らす事ありと、須磨の浦邊に出でられしが、船一艘もあらばこそ、詮方浪間に駒を乘入れ、沖の方へぞ打たせ給ふ。


[ト書]

ト波手摺り高二重の上に、子役遠見の敦盛、後向きになり、海に乘り入れし思ひ入れ。


[唄]

[utaChushin ]かゝりける所に後より、熊谷の次郎直實。


[ト書]

ト揚げ幕にて


直實

オヽイ/\。


[唄]

[utaChushin ]オヽイ/\と聲を掛け、駒を早めて追つかけ來り。


[ト書]

トかけりになり、花道より直實、馬に乘り、日の丸の陣扇を持ち出て來り


[直實]

それへ渡らせ給ふは、平家方の大將軍と見奉る。正なうも敵に後を見せ給ふか。引返して勝負あれ。斯く申す某は、武藏の國の住人、熊谷の次郎直實。見參せん、返させ給へ。オヽイ/\。


[唄]

[utaChushin ]扇を上げて差招き、暫し/\と呼はつたり、敵に聲をかけられて、何か猶豫のあるべきぞ、敦盛駒を引返せば、熊谷も進んで寄り、互ひに打ち物差かざし、朝日に輝く劒の稻妻、駈寄り駈寄せ、てう/\/\、蝶の羽返し諸あぶみ、駒の足並かつし/\、彼所は須磨の浦風に、鎧の袖はヒラ/\/\、群れゐる千鳥村千鳥、むら/\バツと引汐に、寄せては返り返りては、また打ちかゝる虚々實々、勝負も果しあらざれば。


[ト書]

ト鼓の合ひ方になり、直實、逸散に岩組の後へ入る。向う子役の敦盛、正面向きになる。此うち子役の直實、追ひ駈け出て、これより兩人、馬上の立廻りよろしくあつて、双方太刀を打捨て


直實

いでや組まん。


敦盛

實に尤も。


[ト書]

ト此うち始終誂らへ大小入り、笛になる。


[唄]

[utaChushin ]馬上ながらにむんづと組み、えい/\/\の聲のうち、互ひに鐙を踏み外し、兩馬が間にだうと落つ。


[ト書]

ト兩人馬上にて組打ちよろしく見得。これをキツカケにチヨン/\と浪幕を振り落す。ト早笛になり、敦盛の馬、舞臺を蹴立てゝ花道へ走り入る。道具出來次第、浪幕を切つて落すと、向うに見えし波手摺り、直ぐによき所へ引附ける。誂らへの鳴り物になる。舞臺眞中へ直實敦盛、組打ちの見得にてせり上がる。


[唄]

[utaChushin ]すはやと見る間に熊谷は、敦盛を取つて押へ。


直實

斯く御運の極まる上は、御名を名乘り直實が、高名譽れを顯はし給へ。今生に何事にても、思ひ殘す事あらば、必らず達し參らせん。


[唄]

[utaChushin ]懇ろに申すにぞ、敦盛御聲爽かに。


敦盛

オヽ、優しき志し、敵ながらも天晴れ勇士。斯く情ある武士の手にかゝり、死せん事生前の面目。我れ戰場に赴くより、家を忘れ身を忘れ、兼ねてなき身と知るゆゑに、思ひ置く事更になし。さりながら、忘れ難きは父母の御恩、我れ討死と聞き給はゞ、さぞ御嘆き思ひやる。せめて心を慰む爲、討たれし後にて我が死骸、必らず父へ送り給はれ。


[唄]

[utaChushin ]と襟掻合せ座を占め給ひ。


[敦盛]

我れこそ參議經盛の末子、無官の大夫敦盛なり。


[唄]

[utaChushin ]名乘り給ひし痛はしさ、木石ならぬ熊谷も、見る目涙に暮れけ

[_]
[1]
が、何思ひけん引起し、鎧の塵を打拂ひ。


直實

さてこそ參議經盛公の、御公達にて在するよな。この君一人助けしとて、勝軍に負けもせまじ。折節外に人もなし。一先づ爰を落ち給へ。早う/\。


[唄]

[utaChushin ]早う/\と云ひ捨てゝ、立別れんとする所へ、後の山より武者所、數多の軍兵聲々に。


[ト書]

トこの時浪の音にて、向うの岩組みの間より季重、出かゝり、舞臺をキツと見下ろし


季重

ヤア/\熊谷、平家方の大將を組み敷きながら助けるは、二心に紛れなし。熊谷ぐるめ討つて捕れ。


軍兵

エイ/\オヽ。


[唄]

[utaChushin ]聲々に罵るにぞ、熊谷はハツとばかりに、如何はせんと默然たり、敦盛卿しとやかに。


敦盛

とても遁がれぬ平家の運命、爰を助かり行く先にて、下司下郎の手にかゝり、死恥を曝さんより、早く御身が手にかけて、人の疑ひ晴らされよ。


[唄]

[utaChushin ]西に向つて手を合せ、御目を閉ぢて待ち給へば、痛はしながら熊谷は、御後に立廻り、彌陀の利劍と心に唱名、振上げは上げながら、玉のやうなる御粧ひ、情なや無慘やなと、胸も張裂け氣も遲れ、太刀振上げし手も弱り、思ひに掻き暮れ討ちかねて、嘆きに時も移るにぞ。


[ト書]

ト直實、白刀を拔き、敦盛を切らうとして愁ひの思ひ入れ。


敦盛

ヤア、後れしか熊谷。早々首を刎ねられよ。


[唄]

[utaChushin ]捻ぢ向きたまふ御顏を、見るに目も暮れ心消え。


直實

某にも忰小次郎と申す者、丁度君の年格好、今朝軍の魁して、薄傷少々負うたるゆゑ、陣屋に殘し置いたるさへ、心にかゝるは親子の仲、それを思へば今爰で、討ち奉らば、さぞや御父經盛卿の、嘆きを思ひ過されて。


[唄]

[utaChushin ]さしもに猛き武士も、そゞろ涙に暮れゐたる。


敦盛

ヤア、愚かや直實、惡人の友を捨て、善人の敵を招けとはこの事。はや首討つて亡き跡の、回向を頼む。さもなくば生害せうか。


直實

早まり給ふな。


敦盛

卑怯の汚名を取らす心か。


直實

サア、それは。


敦盛

敦盛これにて生害せうや。


直實

サア。


兩人

サア/\/\。


直實

ムウ。


敦盛

早々首を刎ねられよ。


直實

ハヽハツ。


[唄]

[utaChushin ]諌められ。


[直實]

順縁逆縁倶に菩提、未來は必らず一蓮托生、南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛。


[唄]

[utaChushin ]首は前にぞ落ちにける。


[ト書]

ト直實思ひ切つて敦盛の首を討ち落す。板返しにて敦盛の首、前へ出る。直實、愁ひの思ひ入れにて首を取上げ


[唄]

[utaChushin ]人の見る目も恥かしと、御首を掻抱き、曇りし聲を張り上げて。


[直實]

平家方に隱れなき、無官の大夫敦盛を、熊谷の次郎直實、討取つたり。勝閧々々。


軍兵

エイ/\オヽ。


[ト書]

トどんちやん打上げる。これにて季重、軍兵入る。


[唄]

[utaChushin ]磯に臥したる玉織姫、絶え入りし氣も一筋に、夫を慕ふ念力の、耳に入りしか、ムクリと起き。


[ト書]

トこの時倒れし玉織姫、この聲にて起き上がり、這ひ寄つて前へ出て


玉織

ナウ、暫し待つてたべ。敦盛さまを討つたとは、如何なる人か恨めしや、せめて名殘に御顏を、一目なりとも見せてたべ。


[唄]

[utaChushin ]云ふ聲も深傷に弱る息づかひ、見るより熊谷、御首携へ歩み寄り。


直實

敦盛卿を慕ひ給ふは、如何なる人にてわたらせ給ふや。


[唄]

[utaChushin ]尋ぬれば、臨終の苦しき聲音にて。


玉織

我れこそは敦盛の、妻と定まる玉織姫。


直實

すりや、敦盛卿の御簾中、アノ玉織さまとや。


玉織

敦盛さまを討つたとある、して御首は。


直實

ヤ。


玉織

いづくにぞ。


直實

サア、その首は。


玉織

エヽ、もう目が見えぬ。


直實

ムウ、ナニお目が見えぬとや。


[ト書]

ト直實、玉織の側へ寄り、疵口をよく/\見て


[直實]

アヽ、お痛はしやなア。今は誰れ憚らず、敦盛卿の御首、即ち爰に。


玉織

ハア。


[唄]

[utaChushin ]手に渡せば、ワツと泣く/\しがみ付き、膝に載せ抱きしめて、消入り絶入り嘆きしが。


[ト書]

ト直實首を渡す、玉織姫、縋り付いて思ひ入れ。


[玉織]

ナウ、敦盛さまか。果敢ない姿になり給ふ。陣屋を出でさせ給ひしより、御後を慕ひ方々と、尋ぬる中に源氏の武士、平山の武者所、我れを捉へて無體の戀慕。騙し討たんも女業。この如く手にかゝり、二人が二人、悲しい最期。


[唄]

[utaChushin ]せめて別れに御顏を、見て死にたいと思へども。


[玉織]

深傷に心が引入れて、目さへ見えぬか、悲しやなア。


[唄]

[utaChushin ]また御首を撫でさすり、宵の管絃の笛の時、後にとありしお詞が、今生後生の筐かや。


[玉織]

この世の縁は薄くとも、來世は必らず末永う。


[唄]

[utaChushin ]添ひ遂げてたべ我が夫と、顏に當て身に添へて、思ひの限り聲限り、啼く音は須磨の浦千鳥、涙にひたす袖の海、引く汐時と引く息の、知死期と見えて絶え果てたり、熊谷は茫然と。


直實

アヽ、何れを見ても莟の花。都の春より知らぬ身の、いま魂は天ざがる、鄙に下りて亡き跡を、問ふ人もなき須磨の浦。なみ/\ならぬ人々の、成り果つる身の痛はしやなア。


[唄]

[utaChushin ]悲嘆の涙に暮れけるが、是非もなく/\玉織の、亡骸を取納め、母衣をほどいて敦盛の、御死骸を押包み、總角取つて引き結び、手綱を手繰り結ひつくる、鞍の鹽手やしを/\と、弓手に御首携へて、右に轡の哀れ氣に、檀特山の憂き別れ。


[ト書]

トこの文句のうち、敦盛の吹替の胴人形を、馬へ母衣の緒にて結び付け、よろしく思ひ入れあつて


[直實]

悉陀太子を送りたる、車匿童子の悲しみも


[唄]

[utaChushin ]同じ思ひの片手綱、涙ながらに。


[直實]

流轉三界無爲眞實報謝。南無阿彌陀佛々々々々々々。


[唄]

[utaChushin ]歸りけり。


[ト書]

トこの時、次第に遠見、東雲の模樣、日輪を引出し、東西の窓を明ける。直實、首級を見て愁ひに沈む。この時、上下にて


軍兵

エイ/\オヽ。


[ト書]

ト遠寄せを打込み、馬、束に立ち上がる。浪間より數多の千鳥を日覆へ引上げる。直實、首を掻込み、キツと見得。一セイ、カケリにて、



[_]
[1] A character here is illegible.