University of Virginia Library

 芸術における社会主義的リアリズムの摂取は、私たちに、歴史の発展的方向にそうて現実の多様性を理解させる上に大きい役割をもった。各芸術部門の独自性、その創造力の土台の社会的・科学的な研究というものは、この巨大な可能性を包蔵している骨組みの細部として、もっと学ばれ、科学的に整理された現実的資料として提供されなければならないのではなかろうか。

 これまでも、たとえばプロレタリア美術家は展覧会入場者の職業別統計はとったことがあった。音楽のサークルへ参加して来る若い人々の労働の種類は類別された。しかし、さらにもう一歩踏みこんで、もっと科学的な方法で、一定の労働、その労働によるエネルギーの消耗、それに応じて一定の色彩に対する感覚的反応、または音楽音に対する感情の波動が、純粋に実験的なものとして記録されることができたら、どんなに興味あり、かつ有益なことであろう。

 常識で考えても、常に強い光りを眼に感じているガラス工、金属工などと、永年にわたって光線の不足な中に働いている炭坑夫などとの間には、同じ色彩に対してもそれぞれ異なった反応を示すであろうと思われる。又朝から夕方まで人工光線で生活するデパートの女売子などは、習慣的に自然色からひきはなされているのであるが、心理学的な調査ではそれは、どう現れて来るものであろうか。

 音楽にしてもそうである。鉄工場に働いたり、あるいは酸素打鋲器をあつかっている労働者、製菓会社のチョコレート乾燥場などの絶え間ない鼓膜が痛むような騒音と闘って働いている男女、独特な聴神経疲労を感じている電話交換手などにとって、ある音楽音はどういう反応をひき起すか、どういう音の調和、リズムが快く受けられるであろうか。

 感覚的な芸術である美術や音楽の領域の開発のためには、どれほどこういう実験的資料の蒐集が必要であろかということは想像される。ソヴェト同盟は新しい社会的土台において諸芸術をめざましく開花させたが、各部門の発達のテンポを見ると、文学、演劇が一番早くある水準に達した。音楽、美術はそれよりおくれたという実際の経験がある。騒音の激しい、人のざわめき、声々の多い場所で働いている者は、あるいは文学の愛好者となる率が多いのではないかとも思われる。(ソヴェト同盟で文学が新しい芸術建設の先鋒となったことは、もちろん、人々をして記録させ、ペンをとって書かせずにおかなかった社会生活の複雑な大変動、大感動が中心的な動機となっていたのであるが)

 日本詩歌のリズムの研究が、メトロノームの搏音をつかっての心理学的実験によってなされたことは、この方面において若い心理学徒の多くの業績が期待され得ることを意味すると思う。

 文学に関する面でも、近頃文章学は従来の作家に縁の遠かった修辞学とは異なった科学的、実験的立場で、文学的作品の解剖、類別などを試みている。丁度谷崎潤一郎の「春琴抄」などが世間の注目をひき、文章の古典復興物語調流行がきざしかけた頃、なにかの雑誌で、谷崎と志賀との文章を対比解剖し、二人の文章にあらわれている名詞、動詞の多少、形容詞、副詞の性質を分析し、志賀直哉を客観的描写の作家とし、谷崎潤一郎の最近書く物語的作品を主観的作品としている研究を読んだことがあった。

 その論文はたいして長いものではなかったが深く私の興味を動かし、かつ一つ二つの疑問があって注意をひいた。雑誌から切りとって、しまって置いた。ところが、昨年のごたごたで、その切りぬきは無くなり、私はどうしてもその研究者の姓名を思い出すことができない有様となったのであった。