University of Virginia Library

 去年の八月頃のことであった。三日ばかり極端に暑気のはげしい日がつづいた。日の当らないところに坐っていても汗が体から流れてハンケチなんか忽ち水でしぼったようになった。その時の私の生活状態は特別なもので、その暑中に湯を浴ることもできなければ、櫛で髪をとかすことも自由にはできない有様であったから、大変に疲労した。胸の前で、自分の汗に濡れたハンケチをくるくるとまわしてやっとあたりの臭い空気をうごかし、蝉の声さえ聞えて来ることのない日中を過ごした。

 そういう日のある午後、私は風通しのある二階の一部屋に出され、窓ぎわにあるテーブルに肱をかけて、何心なくそとの景色を眺めていた。窓から見える青空は、広々として雲一つなく日光に燃えあふれている。青桐の茂った梢が見える。乾いた屋根屋根が高く低く連なっている。路地の奥に一本の 樟木 くすのき が見え、その枝に這いのぼったへちまの黄色い花もいくつか見える。

 疲れた頭の中までを風に吹かせるような心持でそれらの外景を眺めていた私は、ふと一種異様な愕きを心に感じた。それは全く変なことであった。自然の景物が黒と白との二色にしか感じられていないという自覚は。それで一層気をつけてみると、そうやって、しおたれ浴衣を着た私は空が燦々した真夏の青空であることを理解し、青桐の葉がふっさりとした緑であることも知ってはいる。誰か人がいて、この空は何色かと訊いたら、私は碧い空だと答えただろう。青桐は? といわれたら、葉は緑と返事しただろう。が、私の感覚は、空は淋しく濁った一面の白に感じ、その前に聳えている青桐の梢は泥絵具のような重い黒で感じているのであった。神経の疲労のこの現象は、短い瞬間に非常に多くのことを私に暗示した。

 肉体の疲労が、こんな工合に色彩に対する感覚に作用し、われわれが頭で知っている色感と現実の感覚的反応との間にこんな分裂が生じるということを自分の体で味わったのは、私として生れて初めての経験であった。私は自分の異常な感覚を感じ観察しながら、画家の生活というものを考えた。黒と白だけで全部を表現する版画家の人生に対する感情にさまざまな点から新しい興味を喚起されたし、文化の程度の低い民族あるいは社会層の者ほど原色配合を好み、高級となり洗練された人間ほど微妙な間色の配合、陰翳を味わう能力を増すといわれているありきたりな概括にまで思い及んだのであるが、今度は立場を逆にして、画家はどの程度にまで自分の絵を鑑賞しようとする人々の生理的な条件――その疲労とか休安とかの実状を考慮に入れているであろうかと、こと新たな省察を深められた。

 勤労階級の生活感情を反映するプロレタリア絵画の領域で問題とされたのは、先ず第一に絵画の主題、題材の社会性であり、色彩はそれらのものに応じて自ら選択される必然性の範囲においてとりあげられていたように思われる。新しい理解で芸術におけるリアリズムが提唱された場合にも、持ち出されかたはほぼ同様であった。

 私には、自身のその経験――色が分っているがその色として感情にまで感覚されなかった時のおどろきが、その原因となった疲労から恢復した後も忘られなかった。そして、しばしば考えた。勤務する大多数の男女は激しく長い時間の労働によって疲れ、恐らく想像しているより遙かにつよい程度で色彩の感覚を麻痺されているのであろうが、プロレタリア美術のために努力している画家たちははたしてどのくらいまでそれを実感として把握しているであろうか。社会的モラルの問題となし得る先行的な事実、新たな芸術創造のための素地の探求、理解の具体性として、生活事情と色感とのなまなましい関係が今日の問題としていかに深められているか、と考えるのであった。