University of Virginia Library

利根川 ( とねがは ) ( ながれ ) 汎濫 ( はんらん ) して、 ( ) に、 ( はたけ ) に、 村里 ( むらざと ) に、 ( ) ( みづ ) 引殘 ( ひきのこ ) つて、 ( つき ) ( ) ( とし ) ( ) ぎても ( ) れないで、 ( ) のまゝ 溜水 ( たまりみづ ) ( ) つたのがあります。……

  ( ちひ ) さなのは、 河骨 ( かうほね ) 點々 ( ぽつ/\ ) 黄色 ( きいろ ) ( ) いた ( はな ) ( なか ) を、 小兒 ( こども ) ( いたづら ) ( ねこ ) ( ) せて ( たらひ ) ( ) いで ( ) る。 ( おほ ) きなのは ( みぎは ) ( あし ) ( ) んだ ( ふね ) が、 ( さを ) さして ( なみ ) ( ) けるのがある。 千葉 ( ちば ) 埼玉 ( さいたま ) 、あの 大河 ( たいが ) 流域 ( りうゐき ) 辿 ( たど ) 旅人 ( たびびと ) は、 時々 ( とき/″\ ) ( いや ) 毎日 ( まいにち ) ( ひと ) ( ふた ) ツは 度々 ( たび/″\ ) ( ) ( みづ ) 出會 ( でつくは ) します。 ( これ ) 利根 ( とね ) ( わす ) ( ぬま ) ( わす ) ( みづ ) ( ) んで ( ) る。

  ( なか ) には ( また ) 、あの ( ながれ ) 邸内 ( ていない ) ( ) いて、 用水 ( ようすゐ ) ぐるみ ( には ) ( いけ ) にして、 筑波 ( つくば ) ( かげ ) ( ほこ ) りとする、 豪農 ( がうのう ) 大百姓 ( おほびやくしやう ) などがあるのです。

  唯今 ( たゞいま ) ( はなし ) をする、…… ( わたし ) 出會 ( であ ) ひましたのは、 ( ) うも ( には ) ( つく ) つた 大池 ( おほいけ ) ( ) つたらしい。 ( もつと ) も、 居周圍 ( ゐまはり ) ( はしら ) ( あと ) らしい ( いしずゑ ) 見當 ( みあた ) りません。が、 ( それ ) とても ( うも ) れたのかも ( ) れません。 一面 ( いちめん ) ( くさ ) ( しげ ) つて、 曠野 ( あらの ) ( ) つた 場所 ( ばしよ ) で、 何故 ( なぜ ) 一度 ( いちど ) 人家 ( じんか ) ( には ) だつたか、と ( おも ) はれたと ( ) ふのに、 ( ) ( ぬま ) 眞中 ( まんなか ) ( こしら ) へたやうな 中島 ( なかじま ) ( ) ( ひと ) ( ) つたからです。

 で、 ( ) ( ぬま ) は、 ( はなし ) ( ) いて、お ( かんが ) へに ( ) るほど ( おほき ) なものではないのです。 ( ) うかと ( ) つて、 ( むか ) ( ぎし ) とさし ( むか ) つて ( こゑ ) ( とゞ ) くほどは ( ちひ ) さくない。それぢや 餘程 ( よほど ) ( ひろ ) いのか、と ( ) ふのに、 ( また ) ( ) うでもない、ものの十四五 ( ふん ) 歩行 ( ある ) いたら、 容易 ( たやす ) 一周 ( ひとまは ) 出來 ( でき ) さうなんです。 ( たゞ ) し十四五 ( ふん ) 一周 ( ひとまはり ) ( ) つて、すぐに ( おも ) ふほど、 ( せま ) いのでもないのです。

 と、 ( ) ( ) ひます ( うち ) にも、 ( ) ( ぬま ) ( ) びたり ( ちゞ ) んだり、すぼまつたり、 ( ひろ ) がつたり、 ( うご ) いて ( ) るやうでせう。―― ( ) ますか、 結構 ( けつこう ) です―― ( ) のつもりでお ( ) ( くだ ) さい。

  一體 ( いつたい ) ( みづ ) ( ) ふものは、 一雫 ( ひとしづく ) ( なか ) にも 河童 ( かつぱ ) 一個 ( ひとつ ) ( ) ( ) むと ( ) ( くに ) ( ) りますくらゐ、 氣心 ( きごころ ) ( ) れないものです。 ( ) けて ( そこ ) ( ) んで ( すこ ) 白味 ( しろみ ) ( ) びて、とろ/\と ( しか ) ( きし ) とすれ/″\に 滿々 ( まん/\ ) ( たゝ ) へた 古沼 ( ふるぬま ) ですもの。 ( ちやう ) ど、 ( ) ( ) 空模樣 ( そらもやう ) ( くも ) 同一 ( おなじ ) ( どんよ ) りとして、 ( くも ) ( うご ) ( はう ) へ、 一所 ( いつしよ ) ( うご ) いて、 時々 ( とき/″\ ) 、てら/\と ( てん ) 薄日 ( うすび ) ( ) すと、 ( ) ( ひかり ) ( ) けて、 晃々 ( きら/\ ) ( ひか ) るのが、 ( ぬま ) ( おもて ) ( まなこ ) があつて、 薄目 ( うすめ ) ( しろ ) ( ひと ) ( うかゞ ) ふやうでした。

  ( これ ) では、 ( ) ( ぬま ) が、 ( なん ) だか 不氣味 ( ぶきみ ) なやうですが、 ( なに ) 一寸 ( ちよつと ) ( ) ( こと ) で、――四 ( ) ( さが ) り、五 ( ) ( まへ ) ( ) 時刻 ( じこく ) ―― ( あつ ) ( ) で、 大層 ( たいそう ) ( つか ) れて、 ( みぎは ) にぐつたりと ( ) つて 一息 ( ひといき ) ( ) いて ( ) ( うち ) には、 ( くも ) が、なだらかに ( なが ) れて、 ( うす ) いけれども ( たひら ) ( ) ( つゝ ) むと、 ( ぬま ) ( みづ ) ( しづか ) ( ) つて、そして、 ( すこ ) 薄暗 ( うすぐら ) ( かげ ) ( わた ) りました。

  ( かぜ ) はそよりともない。が、 ( ) れない ( そで ) ( なん ) となく ( つめた ) いのです。

  風情 ( ふぜい ) 一段 ( いちだん ) で、 ( みぎは ) には、 所々 ( ところ/″\ ) ( たけ ) ( ひく ) 燕子花 ( かきつばた ) の、 ( むらさき ) ( はな ) ( まじ ) つて、あち 此方 ( こち ) ( また ) ( りん ) づゝ、 言交 ( いひか ) はしたやうに、 ( しろ ) ( はな ) ( まじ ) つて ( ) く……

 あの 中島 ( なかじま ) は、 ( むらが ) つた ( ) ( はな ) ( ゆき ) ( かつ ) いで ( ) るのです。 ( きし ) に、 ( ) ( はな ) ( かげ ) ( うつ ) ( ところ ) は、 松葉 ( まつば ) ( なが ) れるやうに、ちら/\と ( みづ ) ( ) れます。 小魚 ( こうを ) ( およ ) ぐのでせう。

  差渡 ( さしわた ) し、 ( いけ ) ( もつと ) ( ひろ ) い、 ( むか ) うの ( みぎは ) に、こんもりと一 ( ぽん ) ( やなぎ ) ( しげ ) つて、 ( ) ( みどり ) ( いろ ) 際立 ( きはだ ) てて、 背後 ( うしろ ) 一叢 ( ひとむら ) ( もり ) がある、 ( なか ) 横雲 ( よこぐも ) ( しろ ) くたなびかせて、もう 一叢 ( ひとむら ) 一段 ( いちだん ) ( たか ) ( もり ) ( ) える。うしろは、 遠里 ( とほざと ) ( あは ) ( もや ) ( ) いた、なだらかな ( やま ) なんです。―― ( やなぎ ) ( おく ) に、 ( ) ( ) けて、 ( ちひ ) さな 葭簀張 ( よしずばり ) 茶店 ( ちやみせ ) ( ) えて、 ( よこ ) 街道 ( かいだう ) 、すぐに 水田 ( みづた ) で、 水田 ( みづた ) のへりの ( ながれ ) にも、はら/\ 燕子花 ( かきつばた ) ( ) いて ( ) ます。 ( ) ( はう ) は、 薄碧 ( うすあを ) い、 眉毛 ( まゆげ ) のやうな 遠山 ( とほやま ) でした。

  ( ) ( ぬま ) 呼吸 ( いき ) ( ) くやうに、 ( やなぎ ) ( ) から ( もり ) ( すそ ) ( むらさき ) ( はな ) ( うへ ) かけて、 ( かすみ ) ( ごと ) 夕靄 ( ゆふもや ) がまはりへ 一面 ( いちめん ) ( しろ ) ( わた ) つて ( ) ると、 ( おな ) ( くも ) ( そら ) から ( ) ( おろ ) して、 ( みぎは ) ( ) く、 ( こずゑ ) ( あは ) く、 ( なか ) ほどの ( えだ ) ( ) かして ( なび ) きました。

  ( わたし ) ( ) た、 ( くさ ) にも、しつとりと ( ) ( もや ) ( ) ふやうでしたが、 ( そで ) には ( かゝ ) らず、 ( かた ) にも ( ) かず、 ( ) なんぞは 水晶 ( すゐしやう ) ( とほ ) して ( ) るやうに 透明 ( とうめい ) で。 ( つま ) り、 上下 ( うへした ) ( しろ ) ( くも ) つて、五六 ( しやく ) ( みづ ) ( うへ ) が、 ( かへ ) つて 透通 ( すきとほ ) ( ほど ) なので……

 あゝ、あの ( やなぎ ) に、 ( うつくし ) ( にじ ) ( わた ) る、と ( ) ると、 薄靄 ( うすもや ) に、 ( なか ) ( わか ) れて、 ( みつ ) つに ( ) れて、 友染 ( いうぜん ) に、 鹿 ( ) ( ) ( しぼり ) 菖蒲 ( あやめ ) ( ) けた、 派手 ( はで ) ( すゞ ) しい ( よそほひ ) ( をんな ) が三 ( にん )

  ( しろ ) ( ) が、ちら/\と ( うご ) いた、と ( おも ) ふと、 ( なまり ) ( ) いた ( いと ) 三條 ( みすぢ ) 三處 ( みところ ) ( さを ) ( ) りた。

(あゝ、 ( こひ ) ( ) る……)

 一 ( しやく ) 金鱗 ( きんりん ) ( おも ) ( かゞや ) かして、 ( みづ ) ( うへ ) 飜然 ( ひらり ) ( ) ぶ。」