 | 一握の砂 (Ichiaku no suna) |  |
煙
一
病のごと
思郷のこころ湧く日なり
目にあをぞらの煙かなしも
思郷のこころ湧く日なり
目にあをぞらの煙かなしも
己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかへる術なし
涙せし
十四の春にかへる術なし
青空に消えゆく煙
さびしくも消えゆく煙
われにし似るか
さびしくも消えゆく煙
われにし似るか
かの旅の汽車の車掌が
ゆくりなくも
我が中學の友なりしかな
ゆくりなくも
我が中學の友なりしかな
ほとばしる喞筒の水の
心地よさよ
しばしは若きこころもて見る
心地よさよ
しばしは若きこころもて見る
師も友も知らで責めにき
謎に似る
わが學業のおこたりの因
謎に似る
わが學業のおこたりの因
教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寢に行きしかな
ただ一人
かの城址に寢に行きしかな
不來方のお城の草に寢ころびて
空に吸はれし
十五の心
空に吸はれし
十五の心
かなしみといはばいふべき
物の味
我の嘗めしはあまりに早かり
物の味
我の嘗めしはあまりに早かり
晴れし空仰げばいつも
口笛を吹きたくなりて
吹きてあそびき
口笛を吹きたくなりて
吹きてあそびき
夜寢ても口笛吹きぬ
口笛は
十五の我の歌にしありけり
口笛は
十五の我の歌にしありけり
よく叱る師ありき
鬚の似たるより山羊と名づけて
口眞似もしき
鬚の似たるより山羊と名づけて
口眞似もしき
われと共に
小鳥に石を投げて遊ぶ
後備大尉の子もありしかな
小鳥に石を投げて遊ぶ
後備大尉の子もありしかな
城址の
石に腰掛け
禁制の木の實をひとり味はひしこと
石に腰掛け
禁制の木の實をひとり味はひしこと
その後に我を捨てし友も
あの頃はともに書讀み
ともに遊びき
あの頃はともに書讀み
ともに遊びき
學校の圖書庫の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず
黄なる花咲きし
今も名知らず
花散れば
先づ人さきに白の服着て家出づる
我にてありしか
先づ人さきに白の服着て家出づる
我にてありしか
今は亡き姉の戀人のおとうとと
なかよくせしを
かなしと思ふ
なかよくせしを
かなしと思ふ
夏休み果ててそのまま
かへり來ぬ
若き英語の教師もありき
かへり來ぬ
若き英語の教師もありき
ストライキ思ひ出でても
今は早や我が血躍らず
ひそかに淋し
今は早や我が血躍らず
ひそかに淋し
盛岡の中學校の
露臺の
欄干に最一度我を倚らしめ
露臺の
欄干に最一度我を倚らしめ
神有りと言ひ張る友を
説きふせし
かの路傍の栗の樹の下
説きふせし
かの路傍の栗の樹の下
西風に
内丸大路の櫻の葉
かさこそ散るを踏みてあそびき
内丸大路の櫻の葉
かさこそ散るを踏みてあそびき
そのかみの愛讀の書よ
大方は
今は流行らずなりにけるかな
大方は
今は流行らずなりにけるかな
石ひとつ
坂をくだるがごとくにも
我けふの日に到り着きたる
坂をくだるがごとくにも
我けふの日に到り着きたる
愁ひある少年の眼に羨みき
小鳥の飛ぶを
飛びてうたふを
小鳥の飛ぶを
飛びてうたふを
解剖せし
蚯蚓のいのちもかなしかり
かの校庭の木柵の下
蚯蚓のいのちもかなしかり
かの校庭の木柵の下
かぎりなき知識の慾に燃ゆる眼を
姉は傷みき
人戀ふるかと
姉は傷みき
人戀ふるかと
蘇峰の書を我に薦めし友早く
校を退きぬ
まづしさのため
校を退きぬ
まづしさのため
おどけたる手つきをかしと
我のみはいつも笑ひき
博學の師を
我のみはいつも笑ひき
博學の師を
自が才に身をあやまちし人のこと
かたりきかせし
師もありしかな
かたりきかせし
師もありしかな
そのかみの學校一のなまけ者
今は眞面目に
はたらきて居り
今は眞面目に
はたらきて居り
田舎めく旅の姿を
三日ばかり都に曝し
かへる友かな
三日ばかり都に曝し
かへる友かな
茨島の松の竝木の街道を
われと行きし少女
才をたのみき
われと行きし少女
才をたのみき
眼を病みて黒き眼鏡をかけし頃
その頃よ
一人泣くをおぼえし
その頃よ
一人泣くをおぼえし
わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり
先んじて戀のあまさと
かなしさを知りし我なり
先んじて老ゆ
かなしさを知りし我なり
先んじて老ゆ
興來れば
友なみだ垂れ手を揮りて
醉漢のごとくなりて語りき
友なみだ垂れ手を揮りて
醉漢のごとくなりて語りき
人ごみの中をわけ來る
わが友の
むかしながらの太き杖かな
わが友の
むかしながらの太き杖かな
見よげなる年賀の文を書く人と
おもひ過ぎにき
三年ばかりは
おもひ過ぎにき
三年ばかりは
夢さめてふつと悲しむ
わが眠り
昔のごとく安からぬかな
わが眠り
昔のごとく安からぬかな
そのむかし秀才の名の高かりし
友牢にあり
秋のかぜ吹く
友牢にあり
秋のかぜ吹く
近眼にて
おどけし歌をよみ出でし
茂雄の戀もかなしかりしか
おどけし歌をよみ出でし
茂雄の戀もかなしかりしか
わが妻のむかしの願ひ
音樂のことにかかりき
今はうたはず
音樂のことにかかりき
今はうたはず
友はみな或日四方に散り行きぬ
その後八年
名擧げしもなし
その後八年
名擧げしもなし
わが戀を
はじめて友にうち明けし夜のことなど
思ひ出づる日
はじめて友にうち明けし夜のことなど
思ひ出づる日
絲きれし紙鳶のごとくに
若き日の心かろくも
とびさりしかな
若き日の心かろくも
とびさりしかな
二
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聽きにゆく
停車場の人ごみの中に
そを聽きにゆく
やまひある獸のごとき
わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし
わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし
ふと思ふ
ふるさとにゐて日毎聽きし雀の鳴くを
三年聽かざり
ふるさとにゐて日毎聽きし雀の鳴くを
三年聽かざり
亡くなれる師がその昔
たまひたる
地理の本など取りいでて見る
たまひたる
地理の本など取りいでて見る
その昔
小學校の柾屋根に我が投げし鞠
いかにかなりけむ
小學校の柾屋根に我が投げし鞠
いかにかなりけむ
ふるさとの
かの路傍のすて石よ
今年も草に埋れしならむ
かの路傍のすて石よ
今年も草に埋れしならむ
わかれをれば妹いとしも
赤き諸の
下駄など欲しとわめく子なりし
赤き諸の
下駄など欲しとわめく子なりし
二日前に山の繪見しが
今朝になりて
にはかに戀しふるさとの山
今朝になりて
にはかに戀しふるさとの山
飴賣のチヤルメラ聽けば
うしなひし
をさなき心ひろへるごとし
うしなひし
をさなき心ひろへるごとし
このごろは
母も時時ふるさとのことを言ひ出づ
秋に入れるなり
母も時時ふるさとのことを言ひ出づ
秋に入れるなり
それとなく
郷里のことなど語り出でて
秋の夜に燒く餅のにほひかな
郷里のことなど語り出でて
秋の夜に燒く餅のにほひかな
かにかくに澁民村は戀しかり
おもひでの山
おもひでの川
おもひでの山
おもひでの川
田も畑も賣りて酒のみ
ほろびゆくふるさとの人に
心寄する日
ほろびゆくふるさとの人に
心寄する日
あはれかの我の教へし
子等もまた
やがてふるさとを棄てて出づるらむ
子等もまた
やがてふるさとを棄てて出づるらむ
ふるさとを出で來し子等の
相會ひて
よろこぶにまさるかなしみはなし
相會ひて
よろこぶにまさるかなしみはなし
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし
ふるさとを出でしかなしみ
消ゆる時なし
やはらかに柳あをめる
北上の岸邊目に見ゆ
泣けとごとくに
北上の岸邊目に見ゆ
泣けとごとくに
ふるさとの
村醫の妻のつつましき櫛卷なども
なつかしきかな
村醫の妻のつつましき櫛卷なども
なつかしきかな
かの村の登記所に來て
肺病みて
間もなく死にし男もありき
肺病みて
間もなく死にし男もありき
小學の首席を我と爭ひし
友のいとなむ
木賃宿かな
友のいとなむ
木賃宿かな
千代治等も長じて戀し
子を擧げぬ
わが旅にしてなせしごとくに
子を擧げぬ
わが旅にしてなせしごとくに
ある年の盆の祭に
衣貸さむ踊れと言ひし
女を思ふ
衣貸さむ踊れと言ひし
女を思ふ
うすのろの兄と
不具の父もてる三太はかなし
夜も書讀む
不具の父もてる三太はかなし
夜も書讀む
我と共に
栗毛の仔馬走らせし
母の無き子の盗癖かな
栗毛の仔馬走らせし
母の無き子の盗癖かな
大形の被布の模樣の赤き花
今も目に見ゆ
六歳の日の戀
今も目に見ゆ
六歳の日の戀
その名さへ忘られし頃
飄然とふるさとに來て
咳せし男
飄然とふるさとに來て
咳せし男
意地惡の大工の子などもかなしかり
戰に出でしが
生きてかへらず
戰に出でしが
生きてかへらず
肺を病む
極道地主の總領の
よめとりの日の春の雷かな
極道地主の總領の
よめとりの日の春の雷かな
宗次郎に
おかねが泣きて口説き居り
大根の花白きゆふぐれ
おかねが泣きて口説き居り
大根の花白きゆふぐれ
小心の役場の書記の
氣の狂れし噂に立てる
ふるさとの秋
氣の狂れし噂に立てる
ふるさとの秋
わが從兄
野山の獵に飽きし後
酒のみ家賣り病みて死にしかな
野山の獵に飽きし後
酒のみ家賣り病みて死にしかな
我ゆきて手をとれば
泣きてしづまりき
醉ひて荒れしそのかみの友
泣きてしづまりき
醉ひて荒れしそのかみの友
酒のめば
刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき
村を逐はれき
刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき
村を逐はれき
年ごとに肺病やみの殖えてゆく
村に迎へし
若き醫者かな
村に迎へし
若き醫者かな
ほたる狩
川にゆかむといふ我を
山路にさそふ人にてありき
川にゆかむといふ我を
山路にさそふ人にてありき
馬鈴薯のうす紫の花に降る
雨を思へり
都の雨に
雨を思へり
都の雨に
あはれ我がノスタルジヤは
金のごと
心に照れり清くしみらに
金のごと
心に照れり清くしみらに
友として遊ぶものなき
性惡の巡査の子等も
あはれなりけり
性惡の巡査の子等も
あはれなりけり
閑古鳥
鳴く日となれば起るてふ
友のやまひのいかになりけむ
鳴く日となれば起るてふ
友のやまひのいかになりけむ
わが思ふこと
おほかたは正しかり
ふるさとのたより着ける朝は
おほかたは正しかり
ふるさとのたより着ける朝は
今日聞けば
かの幸うすきやもめ人
きたなき戀に身を入るるてふ
かの幸うすきやもめ人
きたなき戀に身を入るるてふ
わがために
なやある魂をしづめよと
讃美歌うたふ人ありしかな
なやある魂をしづめよと
讃美歌うたふ人ありしかな
あはれかの男のごときたましひよ
今は何處に
何を思ふや
今は何處に
何を思ふや
わが庭の白き躑躅を
薄月の夜に
折りゆきしことな忘れそ
薄月の夜に
折りゆきしことな忘れそ
わが村に
初めてイエス・クリストの道を説きたる
若き女かな
初めてイエス・クリストの道を説きたる
若き女かな
霧ふかき好摩の原の
停車場の
朝の蟲こそすずろなりけれ
停車場の
朝の蟲こそすずろなりけれ
汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え來れば
襟を正すも
はるかに北にふるさとの山見え來れば
襟を正すも
ふるさとの土をわが踏めば
何がなしに足輕くなり
心重れり
何がなしに足輕くなり
心重れり
ふるさとに入りて先づ心傷むかな
道廣くなり
橋もあたらし
道廣くなり
橋もあたらし
見もしらぬ女教師が
そのかみの
わが學舎の窓に立てるかな
そのかみの
わが學舎の窓に立てるかな
かの家のかの窓にこそ
春の夜を
秀子とともに蛙聽きけれ
春の夜を
秀子とともに蛙聽きけれ
そのかみの神童の名の
かなしさよ
ふるさとに來て泣くはそのこと
かなしさよ
ふるさとに來て泣くはそのこと
ふるさとの停車場路の
川ばたの
胡桃の下に小石拾へり
川ばたの
胡桃の下に小石拾へり
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
| 一握の砂 (Ichiaku no suna) | |