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蒼馬を見たり

古里の厩は遠く去つた
花が皆ひらいた月夜
港まで走りつゞけた私であつた
朧な月の光りと赤い放浪記よ
首にぐるぐる白い首卷きをまいて
汽船を戀した私だつた。
だけれど………
腕の痛む留置場の窓に
遠い古里の蒼い馬を見た私は
父よ
母よ
元氣で生きて下さいと呼ぶ。
忘れかけた風景の中に
しをしをとして歩む
一匹の蒼馬よ!
おゝ私の視野から
今はあんなにも小さく消えかけた
蒼馬よ!
古里の厩は遠く去つた
そして今は
父の顏
母の顏が
まざまざと浮かんで來る
やつぱり私を愛してくれたのは
古里の風景の中に
細々と生きてゐる老いたる父母と
古ぼけた厩の
老いた蒼馬だつた。
めまぐるしい騒音よみな去れつ!
生長のない廢屋を圍む樹を縫つて
蒼馬と遊ばうか!
豐かなノスタルヂヤの中に
馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!
私は留置場の窓に
遠い厩の匂ひをかいだ。