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2. 二

 蛇の卵の事があつてから、十日ほど經ち、不吉な事がつづいて起り、いよいよ お母さまの悲しみを深くさせ、そのお命を薄くさせた。

 私が、火事を起しかけたのだ。

 私が火事を起す。私の生涯にそんなおそろしい事があらうとは、幼い時から今 まで、一度も夢にさへ考へた事が無かつたのに。

 お火を粗末にすれば火事が起る、といふきはめて當然の事にも、氣づかないほ どの私はあの所謂「おひめさま」だつたのだらうか。

 夜中にお手洗ひに起きて、お玄關の衝立の傍まで行くと、お風呂場のほうが明 るい。何氣なく覗いてみると、お風呂場の硝子戸が眞赤で、パチパチといふ音が聞え る。小走りに走つて行つてお風呂場のくぐり戸をあけ、はだしで外に出てみたら、お 風呂のかまどの傍に積み上げてあつた薪の山が、すごい火勢で燃えてゐる。

 庭つづきの下の農家に飛んで行き、力一ぱいに戸を叩いて、

「中井さん! 起きて下さい、火事です!」

 と叫んだ。

 中井さんは、もう、寢ていらつしやつたらしかつたが、

「はい、直ぐに行きます。」

 と返事して、私が、おねがひします、早くおねがひします、と言つてゐるうち に、浴衣の寢卷のままでお家から飛び出て來られた。

 二人で火の傍に駈け戻り、バケツでお池の水を汲んでかけてゐると、お座敷の 廊下のはうからお母さまの、ああつ、といふ叫びが聞えた。私はバケツを投げ捨て、 お庭から廊下に上つて、

「お母さま、心配しないで、大丈夫、休んでいらして。」

 と、倒れかかるお母さまを抱きとめ、お寢床に連れて行つて寢かせ、また火の ところに飛んでかへつて、こんどはお風呂の水を汲んでは中井さんに手渡し、中井さ んはそれを薪の山にかけたが火勢は強く、とてもそんな事では消えさうもなかつた。

「火事だ。火事だ。お別莊が火事だ。」

 といふ聲が下のはうから聞えて、たちまち四五人の村の人たちが、垣根をこわ して、飛び込んでいらした。さうして、垣根の下の、用水の水を、リレー式にバケツ で運んで、二、三分のあひだに消しとめて下さつた。もう少しでお風呂場の屋根に燃 え移らうとするところであつた。

 よかつた、と思つたとたんに、私はこの火事の原因に氣づいてぎよつとした。 本當に、私はその時はじめて、この火事騒ぎは、私が夕方、お風呂のかまどの燃え殘 りの薪を、かまどから引き出して消したつもりで、薪の山の傍に置いた事から起つた のだ、といふ事に氣づいたのだ。さう氣づいて、泣き出したくなつて立ちつくしてゐ たら、前のお家の西山さんのお嫁さんが垣根の外で、お風呂場が丸燒けだよ、かまど の火の不始末だよ、と聲高に話すのが聞えた。

 村長の藤田さん、二宮巡査、警防團長の大内さんなどが、やつて來られて、藤 田さんは、いつものお優しい笑顏で、

「おどろいたでせう。どうしたのですか?」

 とおたづねになる。

「私が、いけなかつたのです。消したつもりの薪を、……」

 と言ひかけて、自分があんまりみじめで、涙がわいて出て、それつきりうつむ いて、默つた。警察に連れて行かれて、罪人になるのかも知れない、とそのとき思つ た。はだしで、お寢卷のままの、取亂した自分の姿が急にはづかしくなり、つくづく、 落ちぶれたと思つた。

「わかりました。お母さんは?」

 と藤田さんは、いたはるやうな口調で、しづかにおつしやる。

「お座敷にやすませてをりますの。ひどくおどろいていらして、……」

「しかし、まあ。」

 と若い二宮巡査も、

「家に火がつかなくて、よかつた。」

 となぐさめるやうにおつしやる。

 すると、そこへ下の農家の中井さんが、服裝を改めて出直して來られて、

「なにね、薪がちよつと燃えただけなんです。ボヤとまでも行きません。」

 と息をはずませて言ひ、私のおろかな過失をかばつて下さる。

「さうですか。よくわかりました。」

 と村長の藤田さんは二度も三度もうなづいて、それから二宮巡査と何か小聲で 相談をなさつていらしたが、

「では、歸りますから、どうぞ、お母さんによろしく。」

 とおつしやつてそのまま、警防團長の大内さんやその他の方たちと一緒にお歸 りになる。

 二宮巡査だけ、お殘りになつて、さうして私のすぐ前まで歩み寄つて來られて、 呼吸だけのやうな低い聲で、

「それではね、今夜の事は、べつにとどけない事にしますから。」

 とおつしやつた。

 二宮巡査がお歸りになつたら、下の農家の中井さんが、

「二宮さんは、どう言はれました?」

 と、實に心配さうな、緊張のお聲でたづねる。

「とどけないつて、おつしやいました。」

 と私が答へると、垣根のはうにまだ近所のお方がいらして、その私の返事を聞 きとつた樣子で、さうか、よかつた、よかつた、と言ひながら、そろそろ引上げて行 かれた。

 中井さんも、おやすみなさい、を言つてお歸りになり、あとには私ひとり、ぼ んやり燒けた薪の山の傍に立ち、涙ぐんで空を見上げたら、もうそれは夜明けちかい 空の氣配であつた。

 風呂場で、手と足と顏を洗ひ、お母さまに逢ふのが何だかおつかなくつて、お 風呂場の三疊間で髮を直したりしてぐづぐづして、それからお勝手に行き夜のまつた く明けはなれるまで、お勝手の食器の用も無い整理などしてゐた。

 夜が明けて、お座敷のはうに、そつと足音をしのばせて行つて見ると、お母さ まは、もうちやんとお着換へをすましてをられて、さうして支那間のお椅子に、疲れ 切つたやうにして腰かけていらした。私を見て、につこりお笑ひになつたが、そのお 顏は、びつくりするほど蒼かつた。

 私は笑はず、默つて、お母さまのお椅子のうしろに立つた。

 しばらくしてお母さまが、

「なんでもない事だつたのね。燃やすための薪だもの。」

 とおつしやつた。

 私は急に樂しくなつて、ふふんと笑つた。機にかなひて語る言は銀の彫刻物に 金の林檎を嵌めたるが如し、といふ聖書の箴言を思ひ出し、こんな優しいお母さまを 持つてゐる自分の幸福を、つくづく神さまに感謝した。ゆうべの事は、ゆうべの事。 もうくよくよすまい、と思つて、私は支那間の硝子戸越しに、朝の伊豆の海を眺め、 いつまでもお母さまのうしろに立つてゐて、おしまひにはお母さまのしづかな呼吸と 私の呼吸がぴつたり合つてしまつた。

 朝のお食事を輕くすましてから、私は、燒けた薪の山の整理にとりかかつてゐ ると、この村でたつた一軒の宿屋のおかみさんであるお咲さんが、

「どうしたのよ? どうしたのよ? いま、私、はじめて聞いて、まあ、ゆうべ は、いつたい、どうしたのよ?」

 と言ひながら庭の枝折戸から小走りに走つてやつて來られて、さうしてその眼 には涙が光つてゐた。

「すみません。」

 と私は小聲でわびた。

「すみませんも何も。それよりも、お孃さん、警察のはうは?」

「いいんですつて。」

「まあよかつた。」

 と、しんから嬉しさうな顏をして下さつた。

 私はお咲さんに、村の皆さんへどんな形で、お禮とお詫をしたらいいか、相談 した。お咲さんは、やはりお金がいいんでせう、と言ひ、それを持つてお詫まはりを すべき家々を教へて下さつた。

「でも、お孃さんがおひとりで廻るのがおいやだつたら、私も一緒について行つ てあげますよ。」

「ひとりで行つたはうが、いいのでせう?」

「ひとりで行ける? そりや、ひとりで行つたはうがいいの。」

「ひとりで行くわ。」

 それからお咲さんは、燒跡の整理を少し手傳つて下さつた。

 整理がすんでから、私はお母さまからお金をいただき、百圓紙幣を一枚づつ美 濃紙に包んで、それぞれの包みに、おわび、と書いた。

 まづ一ばんに役場へ行つた。村長の藤田さんはお留守だつたので、受附の娘さ んに紙包を差し出し、

「昨夜は、申しわけない事を致しました。これから、氣をつけますから、どうぞ おゆるし下さいまし。村長さんに、よろしく。」

 とお詫を申し上げた。

 それから、警防團長の大内さんのお家へ行き、大内さんがお玄關に出て來られ て、私を見て默つて悲しさうに微笑んでいらして、私は、どうしてだか、急に泣きた くなり、

「ゆうべは、ごめんなさい。」

 と言ふのが、やつとで、いそいでおいとまして、道々、涙があふれて來て、顏 がだめになつたので、いつたんお家へ歸つて、洗面所で顏を洗ひ、お化粧をし直して、 また出かけようとして玄關で靴をはいてゐると、お母さまが、出ていらして、

「まだ、どこかへ行くの?」

 とおつしやる。

「ええ、これからよ。」

 私は顏を擧げないで答へた。

「ご苦勞さまね。」

 しんみりおつしやつた。

 お母さまの愛情に力を得て、こんどは一度も泣かずに、全部をまはる事が出來 た。

 區長さんのお家に行つたら、區長さんはお留守で、息子さんのお嫁さんが出て いらしたが、私を見るなりかへつて向うで涙ぐんでおしまひになり、また、巡査のと ころでは、二宮巡査が、よかつた、よかつたとおつしやつてくれるし、みんなお優し いお方たちばかりで、それからご近所のお家を廻つて、やはり皆さまから、同情され、 なぐさめられた。ただ、前の家の西山さんのお嫁さん、といつても、もう四十くらゐ のをばさんだが、そのひとにだけは、びしびし叱られた。

「これからも氣をつけて下さいよ。宮樣だか何さまだか知らないけれども、私は 前から、あんたたちのままごと遊びみたいな暮し方を、はらはらしながら見てゐたん です。子供が二人で暮してゐるみたいなんだから、いままで火事を起さなかつたのが 不思議なくらゐのものだ。本當にこれからは氣をつけて下さいよ。ゆうべだつて、あ んた、あれで風が強かつたら、この村全部が燃えたのですよ。」

 この西山さんのお嫁さんは、下の農家の中井さんなどは村長さんや二宮巡査の 前に飛んで出て、ボヤとまでも行きません、と言つてかばつて下さつたのに、垣根の 外で、風呂場が丸燒けだよ、かまどの火の不始末だよ、と大きい聲で言つていらした ひとである。けれども、私は西山さんのお嫁さんのおこごとにも、眞實を感じた。本 當にそのとほりだと思つた。少しも、西山さんのお嫁さんを恨む事は無い。お母さま は、燃やすための薪だもの、と冗談をおつしやつて私をなぐさめて下さつたが、しか し、あの時に風が強かつたら、西山さんのお嫁さんのおつしやるとほり、この村全體 が燒けたのかも知れない。さうなつたら私は、死んでおわびしたつておつつかない。 私が死んだら、お母さまも生きては、いらつしやらないだらうし、また亡くなつたお 父上のお名前をけがしてしまふ事にもなる。いまはもう、宮樣も華族もあつたもので はないけれども、しかし、どうせほろびるものなら、思ひ切つて華麗にほろびたい。 火事を出してそのお詫に死ぬなんて、そんなみじめな死に方では、死んでも死に切れ まい。とにかく、もつと、しつかりしなければならぬ。

 私は翌日から、畑仕事に精を出した。下の農家の中井さんの娘さんが、時々お 手傳ひして下さつた。火事を出すなどといふ醜態を演じてからは、私のからだの血が 何だか少し赤黒くなつたやうな氣がして、その前には、私の胸に意地惡の蝮が住み、 こんどは血の色まで少し變つたのだから、いよいよ野生の田舎娘になつて行くやうな 氣分で、お母さまとお縁側で編物などをしてゐても、へんに窮屈で息苦しく、かへつ て畑へ出て、土を掘り起したりしてゐるはうが氣樂なくらゐであつた。

 筋肉勞働、といふのかしら。このやうな力仕事は、私にとつていまがはじめて ではない。私は戰爭の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑にはいて 出てゐる地下足袋も、その時、軍のはうから配給になつたものである。地下足袋とい ふものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたのであるが、びつくりするほ ど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いてみたら、鳥やけものが、はだしで地 べたを歩いてゐる氣輕さが、自分にもよくわかつたやうな氣がして、とても、胸がう づくほど、うれしかつた。戰爭中の、たのしい記憶は、たつたそれ一つきり。思へば、 戰爭なんて、つまらないものだつた。

 昨年は、何も無かつた。

 一昨年は、何も無かつた。

 その前のとしも、何も無かつた。

 そんな面白い詩が、終戰直後の或る新聞に載つてゐたが、本當に、いま思ひ出 してみても、さまざまの事があつたやうな氣がしながら、やはり何も無かつたと同じ 樣な氣もする。私は、戰爭の記憶は語るのも、聞くのも、いやだ。人がたくさん死ん だのに、それでも陳腐で退屈だ。けれども、私は、やはり自分勝手なのであらうか。 私が徴用されて地下足袋をはき、ヨイトマケをやらされた時の事だけは、そんなに陳 腐だとも思へない。ずゐぶんいやな思ひもしたが、しかし、私はあのヨイトマケのお かげで、すつかりからだが丈夫になり、いまでも私は、いよいよ生活に困つたら、ヨ イトマケをやつて生きて行かうと思ふ事があるくらゐなのだ。

 戰局がそろそろ絶望になつて來た頃、軍服みたいなものを着た男が、西片町の お家へやつて來て、私に徴用の紙と、それから勞働の日割を書いた紙を渡した。日割 の紙を見ると、私はその翌日から一日置きに立川の奧の山へかよはなければならなく なつてゐたので、思はず私の眼から涙があふれた。

「代人では、いけないのでせうか。」

 涙がとまらず、すすり泣きになつてしまつた。

「軍から、あなたに徴用が來たのだから、必ず、本人でなければいけない。」

 とその男は強く答へた。

 私は行く決心をした。

 その翌日は雨で、私たちは立川の山の麓に整列させられ、まづ將校のお説教が あつた。

「戰爭には、必ず勝つ。」

 と冒頭して、

「戰爭には必ず勝つが、しかし、皆さんが軍の命令通りに仕事をしなければ、作 戰に支障を來し、沖繩のやうな結果になる。必ず、言はれただけの仕事は、やつてほ しい。それから、この山にも、スパイが這入つてゐるかも知れないから、お互ひに注 意すること。皆さんもこれからは、兵隊と同じに、陣地の中へ這入つて仕事をするの であるから、陣地の樣子は、絶對に、他言しないやうに、充分に注意してほしい。」

 と言つた。

 山には雨が煙り、男女とりまぜて五百ちかい隊員が、雨に濡れながら立つてそ の話を拜聽してゐるのだ。隊員の中には、國民學校の男生徒女生徒もまじつてゐて、 みな寒さうな泣きべその顏をしてゐた。雨は私のレインコートをとほして、上衣にし みて來て、やがて肌着までぬらしたほどであつた。

 その日は一日、モツコかつぎをして、歸りの電車の中で、涙が出て來て仕樣が 無かつたが、その次の時には、ヨイトマケの綱引だつた。さうして、私にはその仕事 が一ばん面白かつた。

 二度、三度、山へ行くうちに、國民學校の男生徒たちが私の姿を、いやにじろ じろ見るやうになつた。或る日私がモツコかつぎをしてゐると、男生徒が二三人、私 とすれちがつて、それから、そのうちの一人が、

「あいつが、スパイか。」

 と小聲で言つたのを聞き、私はびつくりしてしまつた。

「なぜ、あんな事を言ふのかしら。」

 と私は、私と並んでモツコをかついで歩いてゐる若い娘さんにたづねた。

「外人みたいだから。」

 若い娘さんは、まじめに答へた。

「あなたも、あたしをスパイだと思つていらつしやる?」

「いいえ。」

 こんどは少し笑つて答へた。

「私、日本人ですわ。」

 と言つて、その自分の言葉が、われながら馬鹿らしいナンセンスのやうに思は れて、ひとりでくすくす笑つた。

 或るお天気のいい日に、私は朝から男の人たちと一緒に丸太はこびをしてゐる と、監視當番の若い將校が顏をしかめて、私を指差し、

「おい、君。君は、こつちへ來給へ。」

 と言つて、さつさと松林のはうへ歩いて行き、私が不安と恐怖で胸をどきどき させながら、その後について行くと、林の奧に製材所から來たばかりの板が積んであ つて、將校はその前まで行つて立ちどまり、くるりと私のはうに向き直つて、

「毎日、つらいでせう。けふは一つ、この材木の見張番をしてゐて下さい。」

 と白い齒を出して笑つた。

「ここに、立つてゐるのですか?」

「ここは、涼しくて靜かだから、この板の上でお晝寢でもしてゐて下さい。もし、 退屈だつたら、これは、お讀みかも知れないけど、」

 と言つて、上衣のポケツトから小さい文庫本を取り出し、てれたやうに、板の 上にはふり、

「こんなものでも、讀んでゐて下さい。」

 文庫本には、「トロイカ」と記されてゐた。

 私はその文庫本を取り上げ、

「ありがたうございます。うちにも、本のすきなのがゐまして、いま、南方に行 つてゐますけど。」

 と申し上げたら、聞き違ひしたらしく、

「ああ、さう。あなたの御主人なのですね。南方ぢやあ、たいへんだ。」

 と首を振つてしんみり言ひ、

「とにかく、けふはここで見張番といふ事にして、あなたのお辨當は、あとで自 分が持つて來てあげますから、ゆつくり、休んでいらつしやい。」

 と言ひ捨て、急ぎ足で歸つて行かれた。

 私は、材木に腰かけて、文庫本を讀み、半分ほど讀んだ頃、あの將校がこつこ つと靴の音をさせてやつて來て、

「お辨當を持つて來ました。おひとりで、つまらないでせう。」

 と言つて、お辨當を草原の上に置いて、また大急ぎで引返して行かれた。

 私は、お辨當をすましてから、こんどは、材木の上に這ひ上つて、横になつて 本を讀み、全部讀み終へてから、うとうとお晝寢をはじめた。

 眼がさめたのは、午後の三時すぎだつた。私は、ふとあの若い將校を、前にど こかで見かけた事があるやうな氣がして來て、考へてみたが、思ひ出せなかつた。材 木から降りて、髮を撫でつけてゐたら、また、こつこつと靴の音が聞えて來て、

 「やあ、けふは御苦勞さまでした。もう、お歸りになつてよろしい。」

 私は將校のはうに走り寄つて、さうして文庫本を差し出し、お禮を言はうと思 つたが、言葉が出ず、默つて將校の顏を見上げ、二人の眼が合つた時、私の眼からぽ ろぽろ涙が出た。すると、その將校の眼にもきらりと涙が光つた。

 そのまま默つておわかれしたが、その若い將校は、それつきりいちども、私た ちの働いてゐるところに顏を見せず、私は、あの日に、たつた一日遊ぶ事が出來ただ けで、それからは、やはり一日置きに立川の山で、苦しい作業をした。お母さまは私 のからだを、しきりに心配して下さつたが、私はかへつて丈夫になり、いまではヨイ トマケ商賣にもひそかに自信を持つてゐるし、また、畑仕事にも、べつに苦痛を感じ ない女になつた。

 戰爭の事は、語るのも聞くのもいや、などと言ひながら、つい自分の「貴重な る體驗談」など語つてしまつたが、しかし、私の戰爭の追憶の中で、少しでも語りた いと思ふのは、ざつとこれくらゐの事で、あとはもう、いつかのあの詩のやうに、

 昨年は、何も無かつた。

 一昨年は、何も無かつた。

 その前のとしも、何も無かつた。

 とでも言ひたいくらゐで、ただ、ばかばかしく、わが身に殘つてゐるものは、 この地下足袋いつそく、といふはかなさである。

 地下足袋の事から、ついむだ話をはじめて脱線しちやつたけれど、私は、この、 戰爭の唯一の記念品とでもいふべき地下足袋をはいて、毎日のやうに畑に出て、胸の 奧のひそかな不安や焦躁をまぎらしてゐるのだけれども、お母さまは、この頃、目立 つて日に日にお弱りになつていらつしやるやうに見える。

 蛇の卵。

 火事。

 あの頃から、どうもお母さまは、めつきり御病人くさくおなりになつた。さう して私のはうではその反對に、だんだん粗野な下品な女になつて行くやうな氣もする。 なんだかどうも私が、お母さまからどんどん生氣を吸ひとつて太つて行くやうな心地 がしてならない。

 火事の時だつて、お母さまは、燃やすための薪だもの、と御冗談を言つて、そ れつきり火事のことに就いては一言もおつしやらず、かへつて私をいたはるやうにし ていらしたが、しかし、内心お母さまの受けられたショックは、私の十倍も強かつた のに違ひない。あの火事があつてから、お母さまは、夜中に時たま呻かれる事がある し、また、風の強い夜などは、お手洗ひにおいでになる振りをして、深夜いくどもお 床から脱けて家中をお見廻りになるのである。そうしてお顏色はいつも冴えず、お歩 きになるのさへやつとのやうに見える日もある。畑も手傳ひたいと、前にはおつしや つてゐたが、いちど私が、およしなさいと申し上げたのに、井戸から大きい手桶で畑 に水を五、六ぱいお運びになり、翌日、いきの出來ないくらゐに肩がこる、とおつし やつて一日、寢たきりで、そんな事があつてからは流石に畑仕事はあきらめた御樣子 で、時たま畑へ出て來られても、私の働き振りを、ただ、じつと見ていらつしやるだ けである。

「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬつていふけれども、本當かしら」

 けふもお母さまは、私の畑仕事をじつと見ていらして、ふいとそんな事をおつ しやつた。私は默つておナスに水をやつてゐた。ああ、さういへば、もう初夏だ。

「私は、ねむの花が好きなんだけれども、ここのお庭には、一本も無いのね。」

 とお母さまは、また、しづかにおつしやる。

「夾竹桃がたくさんあるぢやないの。」

 私はわざと、つつけんどんな口調で言つた。

「あれは、きらひなの。夏の花は、たいていすきだけど、あれは、おきやんすぎ て。」

「私なら薔薇がいいな。だけど、あれは四季咲きだから、薔薇の好きなひとは、 春に死んで、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければならな いの。」

 二人、笑つた。

「すこし、休まない?」

 とお母さまは、なほお笑ひになりながら、

「けふは、ちよつとかず子さんと相談したい事があるの。」

「なあに? 死ぬお話なんかは、まつぴらよ。」

 私はお母さまの後について行つて、藤棚の下のベンチに並んで腰をおろした。 藤の花はもう終つて、やはらかな午後の日ざしが、その葉をとほして私たちの膝の上 に落ち、私たちの膝をみどりいろに染めた。

「前から聞いていただきたいと思つてゐた事ですけどね、お互ひに氣分のいい時 に話さうと思つて、けふまで機會を待つてゐたの。どうせ、いい話ぢやあ無いのよ。 でも、けふは何だか私もすらすら話せるやうな氣がするものだから、また、あなたも、 我慢しておしまひまで聞いて下さいね。實はね、直治は生きてゐるのです。」

 私はからだを固くした。

「五、六日前に、和田の叔父さまからのおたよりがあつてね、叔父さまの會社に 以前つとめていらしたお方で、さいきん南方から歸還して、叔父さまのところに挨拶 にいらして、その時、よもやまの話の末に、そのお方が偶然にも直治と同じ部隊で、 さうして直治は無事で、もうすぐ歸還するだらうといふ事がわかつたの。でも、ね、 一ついやな事があるの。そのお方の話では、直治はかなりひどい阿片中毒になつてゐ るらしいと……」

「また!」

 私はにがいものを食べたみたいに、口をゆがめた。直治は、高等學校の頃に、 或る小説家の眞似をして、麻藥中毒にかかり、そのために、藥屋からおそろしい金額 の借りを作つて、お母さまは、その借りを藥屋に全部支拂ふのに二年もかかつたので ある。

「さう。また、はじめたらしいの。けれども、それのなほらないうちは、歸還も ゆるされないだらうから、きつとなほして來るだらうと、そのお方も言つていらした さうです。叔父さまのお手紙では、なほして歸つて來たとしても、そんな心掛けの者 では、すぐどこかへ勤めさせるといふわけにはいかぬ、いまのこの混亂の東京で働い ては、まともの人間でさへ少し狂つたやうな氣分になる、中毒のなほつたばかりの半 病人なら、すぐ發狂氣味になつて、何を仕出かすか、わかつたものでない、それで、 直治が歸つて來たら、すぐこの伊豆の山莊に引取つて、どこへも出さずに、當分ここ で靜養させたはうがよい、それが一つ。それから、ねえ、かず子、叔父さまがねえ、 もう一つお言ひつけになつてゐるのだよ。叔父さまのお話では、もう私たちのお金が なんにも無くなつてしまつたんだつて、貯金の封鎖だの、財産税だので、もう叔父さ まも、これまでのやうに私たちにお金を送つてよこす事がめんだうになつたのださう です。それでね、直治が歸つて來て、お母さまと、直治と、かず子と三人あそんで暮 してゐては、叔父さまもその生活費を都合なさるのにたいへんな苦勞をしなければな らぬから、いまのうちに、かず子のお嫁入りさきを搜すか、または、御奉公のお家を 搜すか、どちらかになさい、といふ、まあ、お言ひつけなの。」

「御奉公つて、女中の事?」

「いいえ、叔父さまがね、ほら、あの、駒場の、」

 と或る宮樣のお名樣を擧げて、

「あの宮樣なら、私たちとも血縁つづきだし、姫宮の家庭教師をかねて、御奉公 にあがつても、かず子が、そんなに淋しく窮屈な思ひをせずにすむだらう、とおつし やつてゐるのです。」

「他に、つとめ口が無いものかしら。」

「他の職業は、かず子には、とても無理だらう、とおつしやつてゐました。」

「なぜ無理なの? ね、なぜ無理なの?」

 お母さまは、淋しさうに微笑んでいらつしやるだけで、何ともお答へにならな かつた。

「いやだわ! 私、そんな話。」

 自分でも、あらぬ事を口走つた、と思つた。が、とまらなかつた。

「私が、こんな地下足袋を、こんな地下足袋を、」

 と言つたら、涙が出て來て、

[_]
[2]思はずわつと泣き出した、顏 を擧げて、涙を手の甲で拂ひのけながら
、お母さまに向つて、いけない、いけ ない、と思ひながら、言葉が無意識みたいに、肉體とまるで無關係に、つぎつぎと續 いて出た。

「いつだか、おつしやつたぢやないの。かず子がゐるから、かず子がゐてくれる から、お母さまは伊豆へ行くのですよ、とおつしやつたぢやないの。かず子がゐない と、死んでしまふとおつしやつたぢやないの。だから、それだから、かず子は、どこ へも行かずに、お母さまのお傍にゐて、かうして地下足袋をはいて、お母さまにおい しいお野菜をあげたいと、そればかり考へてゐるのに、直治が歸つて來るとお聞きに なつたら、急に私を邪魔にして、宮樣の女中に行けなんて、あんまりだわ、あんまり だわ。」

 自分でも、ひどい事を口走ると思ひながら、言葉が別の生き物のやうに、どう してもとまらないのだ。

「貧乏になつて、お金が無くなつたら、私たちの着物を賣つたらいいぢやないの。 このお家も、賣つてしまつたら、いいぢやないの、私には、何だつて出來るわよ。こ の村の役場の女事務員にだつて何にだつてなれるわよ。役場で使つて下さらなかつた ら、ヨイトマケにだつてなれるわよ。貧乏なんて、なんでもない。お母さまさへ、私 を可愛がつて下さつたら、私は一生お母さまのお傍にゐようとばかり考へてゐたのに、 お母さまは、私よりも直治のはうが可愛いのね。出て行くわ。私は出て行く。どうせ 私は、直治とは昔から性格が合はないのだから、三人一緒に暮してゐたら、お互ひに 不幸よ。私はこれまで永いことお母さまと二人きりで暮したのだから、もう思ひ殘す ことは無い。これから直治がお母さまとお二人で水いらずで暮して、さうして直治が たんとたんと親孝行をするといい。私はもう、いやになつた。これまでの性活が、い やになつた。出て行きます。けふこれから、すぐに出て行きます。私には、行くとこ ろがあるの。」

 私は立つた。

「かず子!」

 お母さまはきびしく言ひ、さうしてかつて私に見せた事の無かつたほど、威嚴 に滿ちたお顏つきで、

[_]
[3]ずつとお立ちになり
、私と向ひ合 つて、さうして私よりも少しお背が高いくらゐに見えた。

 私は、ごめんなさい、とすぐに言ひたいと思つたが、それが口にどうしても出 ないで、かへつて別の言葉が出てしまつた。

「だましたのよ、お母さまは、私をおだましになつたのよ。直治が來るまで、私 を利用していらつしやつたのよ。私は、お母さまの女中さん。用がすんだからこんど は宮樣のところに行けつて。」

 わつと聲が出て、私は立つたまま、思ひきり泣いた。

「お前は、馬鹿だねえ。」

 と低くおつしやつたお母さまのお聲は、怒りに震へてゐた。

 私は顏を擧げ、

「さうよ、馬鹿よ。馬鹿だから、だまされたのよ。馬鹿だから、邪魔にされるの よ。ゐないはうがいいのでせう? 貧乏つて、どんな事? お金つて、なんの事?  私にはわからないわ。愛情を、お母さまの愛情を、それだけを私は信じて生きて來た のです。」

 とまた、ばかな、あらぬ事を口走つた。

 お母さまは、ふつとお顏をそむけた。泣いてをられるのだ。私は、ごめんなさ いと言ひ、お母さまに抱きつきたいと思つたが、畑仕事で手がよごれてゐるのが、か すかに氣になりへんに白々しくなつて、

「私さへ、ゐなかつたらいいのでせう? 出て行きます。私には、行くところが あるの。」

 と言ひ捨て、そのまま小走りに走つて、お風呂場に行き、泣きじやくりながら、 顏と手足を洗ひ、それからお部屋へ行つて、洋服に着換へてゐるうちに、またわつと 大きい聲が出て泣き崩れ、思ひのたけもつともつと泣いてみたくなつて二階の洋間に 駈け上り、ベツドにからだを投げて、毛布を頭からかぶり、痩せるほどひどく泣いて そのうちに氣が遠くなるみたいになつて、だんだん、或るひとが戀ひしくて、戀ひし くて、お顏を見て、お聲を聞きたくてたまらなくなり、兩足の裏に熱いお灸を据ゑ、 じつとこらへてゐるやうな、特殊な氣持になつて行つた。

 夕方ちかく、お母さまはしづかに二階の洋間にはひつていらして、パチと電燈 に灯をいれて、それからベツドのはうに近寄つて來られ、

「かず子。」

 と、とてもお優しくお呼びになつた。

「はい。」

 私は起きて、ベツドの上に坐り、兩手で髮を掻きあげ、お母さまのお顏を見て、 ふふと笑つた。

 お母さまも、幽かにお笑ひになり、それから、

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[4]お窓の下に ソフアに
、深くからだを沈め、

「私は、生れてはじめて、和田の叔父さまのお言ひつけに、そむいた。……お母 さまはね、いま叔父さまに御返事のお手紙を書いたの。私の子供たちの事は、私にお まかせ下さい、と書いたの。かず子、着物を賣りませうよ。二人の着物をどんどん賣 つて、思ひ切りむだ使ひして、ぜいたくな暮しをしませうよ。私はもう、あなたに畑 仕事などさせたくない、高いお野菜を買つたつて、いいぢやないの。あんなに毎日の 畑仕事は、あなたには無理です。」

 實は私も、毎日の畑仕事が、少しつらくなりかけてゐたのだ。さつきあんなに、 狂つたみたいに泣き騒いだのも、畑仕事の疲れと、悲しみがごつちやになつて、何も かも、うらめしく、いやになつたからなのだ。

 私はベツドの上で、うつむいて黙つてゐた。

「かず子。」

「はい。」

「行くところがある、といふのは、どこ?」

 私は自分が、首すぢまで赤くなつたのを意識した。

「細田さま?」

 私は默つてゐた。

 お母さまは、深い溜息をおつきになり、

「昔の事を言つてもいい?」

「どうぞ。」

 と私は小聲で言つた。

「あなたが、山木さまのお家から出て、西片町のお家へ歸つて來た時、お母さま は何もあなたをとがめるやうな事は言はなかつたつもりだけど、でも、たつた一こと だけ、(お母さまはあなたに裏切られました)つて言つたわね。おぼえてゐる? そ したら、あなたは泣き出しちやつて、……私も裏切つたなんてひどい言葉を使つてわ るかつたと思つたけど、……」

 けれども、私はあの時、お母さまにさう言はれて、何だか有難くて、うれし泣 きに泣いたのだ。

「お母さまがね、あの時、裏切られたつて言つたのは、あなたが山本さまのお家 を出て來た事ぢやなかつたの。山本さまから、かず子は實は、細田と戀仲だつたので す。と言はれた時なの。さう言はれた時には、本當に、私は顏色が變る思ひでした。 だつて、細田さまには、あのずつと前から、奧さまもお子さまもあつて、どんなにこ ちらがお慕ひしたつて、どうにもならぬ事だし、……」

「戀仲だなんて、ひどい事を。山木さまのはうで、たださう邪推なさつてゐただ けなのよ。」

「さうかしら。あなたは、まさか、あの細田さまを、

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[5]また
思ひつづけてゐるのぢやないでせうね。行くところつて、どこ?」

「細田さまのところなんかぢやないわ。」

「さう? そんなら、どこ?」

「お母さま、私ね、こなひだ考へた事だけれども、人間が他の動物と、まるつき り違つてゐる點は、何だらう、言葉も智慧も、思考も、社會の秩序も、それぞれ程度 の差はあつても、他の動物だつて皆持つてゐるでせう? 信仰も持つてゐるかも知れ ないわ。人間は、萬物の靈長だなんて威張つてゐるけど、ちつとも他の動物と本質的 なちがひが無いみたいでせう? ところがね、お母さま、たつた一つあつたの。おわ かりにならないでせう。他の生き物には絶對に無くて、人間にだけあるもの。それは ね、ひめごと、といふものよ。いかが?」

 お母さまは、ほんのりお顏を赤くなさつて美しくお笑ひになり、

「ああ、そのかず子のひめごとが、よい實を結んでくれたらいいけどねえ、お母 さまは、毎朝、お父さまにかず子を幸福にして下さるやうにお祈りしてゐるのです よ。」

 私の胸にふうつと、お父上と那須野をドライヴして、さうして途中で降りて、 その時の秋の野のけしきが浮んで來た。萩、なでしこ、りんだう、女郎花などの秋の 草花が咲いてゐた。野葡萄の實は、まだ青かつた。

 それから、お父上と琵琶湖でモーターボートに乘り、私が水に飛び込み、藻に 棲む小魚が私の脚にあたり、湖の底に、私の脚の影がくつきりと寫つてゐて、さうし てうごいてゐる、そのさまが前後と何の聯關も無く、ふつと胸に浮んで、消えた。

 私はベツトから滑り降りて、お母さまのお膝に抱きつき、はじめて、

「お母さま、さつきはごめんなさい。」

 と言ふ事が出來た。

 思ふと、その日あたりが、私たちの幸福の最後の殘り火の光が輝いた頃で、そ れから、直治が南方から歸つて來て、私たちの本當の地獄がはじまつた。

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[2] Dazai Zenshu reads 思はずわつと泣き出した。顏を擧げて、涙を手の甲で拂ひのけながら.
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[3] Dazai Zenshu reads すつとお立ちになり.
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[4] Dazai Zenshu reads お窓の下のソフアに.
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[5] Dazai Zenshu reads まだ.