University of Virginia Library

高原

 裏見が滝へ行った帰りに、ひとりで、高原を貫いた、日光 街道 ( かいどう ) に出る小さな路をたどって行った。

  武蔵野 ( むさしの ) ではまだ 百舌鳥 ( もず ) がなき、 ( ひよどり ) がなき、畑の 玉蜀黍 ( とうもろこし ) の穂が出て、薄紫の豆の花が葉のかげにほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで、薄い黄色の丸葉がひらひらついている 白樺 ( しらかば ) の霜柱の草の中にたたずんだのが、静かというよりは寂しい感じを起させる。この日は風のない暖かなひよりで、樺林の間からは、 菫色 ( すみれいろ ) の光を帯びた野州の山々の姿が何か来るのを待っているように、冷え冷えする高原の大気を ( とお ) してなごりなく望まれた。

 いつだったかこんな話をきいたことがある。雪国の野には冬の夜なぞによくものの声がするという。その声が遠い国に多くの人がいて口々に哀歌をうたうともきければ、森かげの ( ふくろう ) の十羽二十羽が夜霧のほのかな中から心細そうになきあわすとも聞える。ただ、野の末から野の末へ風にのって響くそうだ。なにものの声かはしらない。ただ、この原も日がくれから、そんな声が起りそうに思われる。

 こんなことを考えながら半里もある野路を飽かずにあるいた。なんのかわったところもないこの原のながめが、どうして私の感興を引いたかはしらないが、私にはこの高原の、ことに薄曇りのした静寂がなんとなくうれしかった。