[119、120]
あはれなるもの
孝ある人の子。鹿の音。よき男のわかきが御嶽精進したる。へだて居てうちおこなひたる曉のぬかなど、いみじうあはれなり。むつましき人などの目さまして聞くらん思ひやり、まうづる程のありさま、いかならんとつつしみたるに、平にまうでつきたるこそいとめでたけれ。烏帽子のさまなどぞ少し人わろき。なほいみじき人と聞ゆれど、こよなくやつれてまうづとこそは知りたるに、右衞門佐信賢は「あぢきなきことなり。ただ清き衣を著てまうでんに、なでふ事かあらん、必よもあしくてよと、御嶽のたまはじ」とて、三月晦日に、紫のいと濃き指貫、しろき、青山吹のいみじくおどろ/\しきなどにて、隆光が主殿亮なるは、青色の紅の衣、摺りもどろかしたる水干袴にて、うちつづき詣でたりけるに、歸る人もまうづる人も、珍しく怪しき事に、「すべてこの山道に、かかる姿の人見えざりつ」とあさましがりしを、四月晦日に歸りて、六月十餘日の程に、筑前の守うせにしかはりになりにしこそ、實にいひけんに違はずもと聞えしか。これはあはれなる事にはあらねども、御嶽のついでなり。九月三十日、十月一日の程に、唯あるかなきかに聞きつけたる蟋蟀の聲。鷄の子いだきて伏したる。秋深き庭の淺茅に、露のいろいろ玉のやうにて光りたる。川竹の風に吹かれたる夕ぐれ。曉に目覺したる夜なども。すべて思ひかはしたる若き人の中に、せくかたありて心にしも任せぬ。山里の雪。男も女も清げなるが黒き衣著たる。二十日六七日ばかりの曉に、物語して居明して見れば、あるかなきかに心細げなる月の、山の端近く見えたるこそいとあはれなれ。秋の野。年うち過したる僧たちの行したる。荒れたる家に葎はひかかり、蓬など高く生ひたる庭に、月の隈なく明き。いと荒うはあらぬ風の吹きたる。
正月に寺に籠りたるはいみじく寒く、雪がちにこほりたるこそをかしけれ。雨などの降りぬべき景色なるはいとわろし。初瀬などに詣でて、局などするほどは、榑階のもとに車引きよせて立てるに、帶ばかりしたる若き法師ばらの、屐といふものをはきて、聊つつみもなく下り上るとて、何ともなき經のはしうち讀み、倶舎の頌を少しいひつづけありくこそ、所につけてをかしけれ。わが上るはいとあやふく、傍によりて高欄おさへてゆくものを、ただ板敷などのやうに思ひたるもをかし。「局したり」などいひて、沓ども持てきておろす。衣かへさまに引きかへしなどしたるもあり。裳唐衣などこは%\しくさうぞきたるもあり。深沓半靴などはきて、廊のほどなど沓すり入るは、内裏わたりめきて又をかし。内外など許されたる若き男ども、家の子など、又立ちつづきて、「そこもとはおちたる所に侍るめり。あがりたる」など教へゆく。何者にかあらん。いと近くさし歩み、さいだつものなどを、「しばし、人のおはしますに、かくはまじらぬわざなり」などいふを、實にとて少し立ち後るるもあり。又聞きも入れず、われまづ疾く佛の御前にとゆくもあり。局にゆくほども、人の居竝みたる前を通り行けば、いとうたてあるに、犬ふせぎの中を見入れたる心地、いみじく尊く、などて月頃もまうでず過しつらんとて、まづ心もおこさる。御燈常燈にはあらで、うちに又人の奉りたる、おそろしきまで燃えたるに、佛のきら/\と見え給へる、いみじくたふとげに、手ごとに文を捧げて、禮盤に向ひてろぎ誓ふも、さばかりゆすりみちて、これはと取り放ちて聞きわくべくもあらぬに、せめてしぼり出したるこゑ%\の、さすがに又紛れず。「千燈の御志は、なにがしの御ため」と僅に聞ゆ。帶うちかけて拜み奉るに、「ここにかうさぶらふ」といひて、樒の枝を折りて持てきたるなどの尊きなども猶をかし。犬ふせぎのかたより法師よりきて、「いとよく申し侍りぬ。幾日ばかり籠らせ給ふべき」など問ふ。「しか%\の人こもらせ給へり」などいひ聞かせていぬるすなはち、火桶菓子など持てきつつ貸す。半挿に手水など入れて、盥の手もなきなどあり。「御供の人はかの坊に」などいひて呼びもて行けば、かはりがはりぞ行く。誦經の鐘の音、わがなンなりと聞けば、たのもしく聞ゆ。傍によろしき男の、いと忍びやかに額などつく。立居のほども心あらんと聞えたるが、いたく思ひ入りたる氣色にて、いも寢ず行ふこそいとあはれなれ。うちやすむ程は、經高くは聞えぬほどに讀みたるも尊げなり。高くうち出させまほしきに、まして鼻などを、けざやかに聞きにくくはあらで、少し忍びてかみたるは、何事を思ふらん、かれをかなへばやとこそ覺ゆれ。日ごろこもりたるに、晝は少しのどかにぞ、早うはありし。法師の坊に、男ども童などゆきてつれ%\なるに、ただ傍に貝をいと高く、俄に吹き出したるこそおどろかるれ。清げなるたて文など持せたる男の、誦經の物うち置きて、堂童子など呼ぶ聲は、山響きあひてきら/\しう聞ゆ。鐘の聲ひびきまさりて、いづこならんと聞く程に、やんごとなき所の名うちいひて、「御産たひらかに」など教化などしたる、すずろにいかならんと覺束なく念ぜらるる。これはただなる折の事なンめり。正月などには、唯いと物さわがしく、物のぞみなどする人の隙なく詣づる見るほどに、行もしやられず。日のうち暮るるにまうづるは、籠る人なンめり。小法師ばらの、もたぐべくもあらぬ屏風などの高き、いとよく進退し、疊などほうとたておくと見れば、ただ局に出でて、犬ふせぎに簾垂をさら/\とかくるさまなどぞいみじく、しつけたるは安げなり。そよ/\とあまたおりて、大人だちたる人の、いやしからず、忍びやかなる御けはひにて、かへる人にやあらん、「そのうちあやふし。火の事制せよ」などいふもあり。七つ八つばかりなる男子の、愛敬づきおごりたる聲にて、さぶらひ人呼びつけ、物などいひたるけはひもいとをかし。また三つばかりなるちごのねおびれて、うちしはぶきたるけはひもうつくし。乳母の名、母などうち出でたらんも、これならんといと知らまほし。夜ひと夜、いみじうののしりおこなひあかす。寐も入らざりつるを、後夜などはてて、少しうちやすみ寐ぬる耳に、その寺の佛經を、いとあら/\しう、高くうち出でて讀みたるに、わざとたふとしともあらず。修行者だちたる法師のよむなンめりと、ふとうち驚かれて、あはれに聞ゆ。また夜などは、顏知らで、人々しき人の行ひたるが、青鈍の指貫のはたばりたる、白き衣どもあまた著て、子どもなンめりと見ゆる若き男の、をかしううちさうぞきたる、童などして、さぶらひの者ども、あまたかしこまり圍遶したるもをかし。かりそめに屏風たてて、額などすこしつくめり。顏知らぬは誰ならんといとゆかし。知りたるは、さなンめりと見るもをかし。若き人どもは、とかく局どもなどの邊にさまよひて、佛の御かたに目見やり奉らず、別當など呼びて、打ちささめき物語して出でぬる、えせものとは見えずかし。二月晦日、三月朔日ごろ、花盛に籠りたるもをかし。清げなる男どもの、忍ぶと見ゆる二三人、櫻青柳などをかしうて、くくりあげたる指貫の裾も、あてやかに見なさるる、つきづきし男に、裝束をかしうしたる餌袋いだかせて、小舎人童ども、紅梅萌黄の狩衣に、いろ/\のきぬ、摺りもどろかしたる袴など著せたり。花など折らせて、侍めきて、細やかなるものなど具して、金鼓うつこそをかしけれ。さぞかしと見ゆる人あれど、いかでかは知らん。打ち過ぎていぬるこそ、さすがにさう%\しけれ。「氣色を見せましものを」などいふもをかし。かやうにて寺ごもり、すべて例ならぬ所に、つかふ人のかぎりしてあるは、かひなくこそ覺ゆれ。猶おなじほどにて、一つ心にをかしき事も、さま%\いひ合せつべき人、かならず一人二人、あまたも誘はまほし。そのある人の中にも、口をしからぬもあれども、目馴れたるなるべし。男などもさ思ふにこそあめれ。わざと尋ね呼びもてありくめるはいみじ。