[75、76、77、78]
ありがたきもの
舅に褒めらるる壻。また姑に思はるる婦の君。物よく拔くる白銀の毛拔。主謗ら
ぬ人の從者。つゆの癖缺點なくて、かたち心ざまもすぐれて、世にあるほど、聊のき
ずなき人。同じ處に住む人の、互に慚ぢかはし、いささかの隙なく用意したりと思ふが、遂に見えぬこそかたけれ。物語、集など書きうつす本に墨つけぬ事。よき草紙などは、いみじく心して書けども、必こそきたなげになるめれ。男も女も法師も、ちぎり深くてかたらふ人の、末まで中よき事かたし。つかひよき從者。掻練うたせたるに、あなめでたと見えておこす。内裏の局は、廊いみじうをかし。かみの小蔀あけたれば、風いみじう吹き入りて夏もいとすずし。冬は雪霰などの風にたぐひて入りたるもいとをかし。せばくて童などののぼり居たるもあしければ、屏風の後などにかくしすゑたれば、他所のやうに聲たかく笑ひなどもせでいとよし。晝などもたゆまず心づかひせらる。夜はたまして聊うちとくべくもなきが、いとをかしきなり。沓の音の夜ひと夜聞ゆるがとまりて、ただ指一つしてたたくが、その人なンなりと、ふと知るこそをかしけれ。いと久しくたたくに音もせねば、寐いりにけるとや思ふらん。ねたく少しうち身じろくおと、衣のけはひも、さなンなりと思ふらんかし。扇などつかふもしるし。冬は火桶にやをら立つる火箸の音も、忍びたれど聞ゆるを、いとどたたきまさり、聲にてもいふに、陰ながらすべりよりて聞く折もあり。また數多の聲にて詩を誦し、歌などうたふには、たたかねどまづあけたれば、ここへとしも思はぬ人も立ちとまりぬ。入るべきやうもなくて、立ちあかすもをかし。御簾のいと青くをかしげなるに、几帳の帷子いとあざやかに、裾のつま少しうちかさなりて見えたるに、直衣の後にほころび絶えず著たる公達、六位の藏人の青色など著て、うけばりて、遣戸のもとなどにそばよせてえ立てらず、塀の前などに、後押して袖うち合せて立ちたるこそをかしけれ。また指貫いと濃う直衣のあざやかにて、いろ/\の衣どもこぼし出でたる人の、簾を押し入れて、なから入りたるやうなるも、外より見るはいとをかしからんを、いと清げなる硯ひきよせて文書き、もしは鏡こひて鬢などかき直したるもすべてをかし。三尺の几帳をたてたるに、帽額のしもは唯少しぞある。外に立てる人、内にゐたる人と物いふ顏のもとに、いとにくく當りたるこそをかしけれ。長のいと高く、短からん人などやいかがあらん。なほ尋常のはさのみぞあらん。まして臨時の祭の調樂などはいみじうをかし。殿主の官人などの長き松を高くともして、頸はひき入れて行けば、さきはさし附けつばかりなるに、をかしうあそ
び笛ふき出でて、心ことに思ひたるに、公達の日の裝束して立ちとまり物いひなどす
るに、殿上人の隨身どもの、さきを忍びやかに短く、おのが公達のれうにおひたるも、あそびに交りて、常に似ずをかしう聞ゆ。夜更けぬれば猶あけて歸るを待つに、公達
の聲にて、あらたに生ふるとみ草の花と歌ひたるも、このたびは今少しをかしきに、
いかなるまめ人にかあらん、すぐすぐしうさし歩みて出でぬるもあれば、笑ふを、
「暫しや、など、さ夜をすてて急ぎ給ふ、とありて」などいへど、心地などやあしか
らん、倒れぬばかり、もし人や追ひてとらふると見ゆるまで、まどひ出づるもあンめり。
職の御曹司におはしますころ、木立など遙に物ふり、屋のさまも高うけどほけれ
ど、すずろにをかしう覺ゆ。母屋は鬼ありとて皆へだて出して、南の廂に御几帳たて
て、またひさしに女房は侍ふ。近衞の御門より左衞門の陣に入り給ふ上達部のさきど
も、殿上人のはみじかければ、おほさきこさきと聞きつけて騒ぐ。數多たびになれば、その聲どもも皆聞きしられて、それぞかれぞといふに、又「あらず」などいへば、人して見せなどするに、いひあてたるは、「さればこそ」などいふもをかし。有明のいみじう霧わたりたる庭におりて歩くを聞し召して、御前にもおきさせ給へり。うへなる人は皆おりなどして遊ぶに、やう/\明けもてゆく。左衞門の陣にまかりて見んとて行けば、われも/\と追ひつきて行くに、殿上人あまた聲して、なにがし一聲の秋と誦じて入る音すれば、遁げ入りて物などいふ。「月を見給ひける」などめでて、歌よむもあり。夜も晝も殿上人の絶ゆるをりなし。上達部まかンでまゐり給ふに、おぼろげに急ぐことなきは、必まゐり給ふ。