[80、81、82、83、84]
とりもてるもの
傀儡のこととり。除目に第一の國得たる人。
御佛名のあした、地獄繪の御屏風とりわたして、宮に御覽ぜさせ奉りたまふ。い
みじうゆゆしき事かぎりなし。「これ見よかし」と仰せらるれど、「更に見侍らじ」
とて、ゆゆしさにうへやに隱れふしぬ。雨いたく降りて徒然なりとて、殿上人うへの
御局に召して御あそびあり。道方の少納言琵琶いとめでたし。濟政の君筝の琴、行成笛、經房の中將笙の笛など、いとおもしろうひとわたり遊びて、琵琶ひきやみたるほどに、大納言殿の、「琵琶の聲はやめて物語すること遲し」といふ事を誦じ給ひしに、隱れふしたりしも起き出でて、「罪はおそろしけれど、なほ物のめでたきはえ止むまじ」とて笑はる。御聲などの勝れたるにはあらねど、折のことさらに作りいでたるやうなりしなり。
頭中將そぞろなるそらごとを聞きて、いみじういひおとし、「何しに人と思ひけ
ん」など殿上にてもいみじくなんの給ふと聞くに、はづかしけれど、「實ならばこそ
あらめ、おのづから聞きなほし給ひてん」など笑ひてあるに、黒戸のかたへなど渡る
にも、聲などする折は、袖をふたぎて露見おこせず、いみじうにくみ給ふを、とかく
もいはず、見もいれで過ぐす。二月つごもりがた、雨いみじう降りてつれ%\なるに、「御物忌にこもりて、さすがにさう%\しくこそあれ。物やいひにやらましとなんの
給ふ」と人々かたれど、「よにあらじ」など答へてあるに、一日しもに暮して參りた
れば、夜のおとどに入らせ給ひにけり。長押の下に火近く取りよせて、さし集ひて篇をぞつく。「あなうれしや、疾くおはせ」など見つけていへど、すさまじき心地して、何しにのぼりつらんとおぼえて、炭櫃のもとにゐたれば、又そこにあつまりゐて物などいふに、「なにがしさぶらふ」といと花やかにいふ。あやしく、「いつの間に何事のあるぞ」と問はすれば殿主司なり。「唯ここに人傳ならで申すべき事なん」といへば、さし出でて問ふに、「これ頭中將殿の奉らせ給ふ、御かへり疾く」といふに、いみじくにくみ給ふをいかなる御文ならんと思へど、「只今急ぎ見るべきにあらねば、いね、今きこえん」とて懷にひき入れて入りぬ。なほ人の物いふききなどするに、すなはち立ちかへりて、「さらばその有りつる文を賜りて來となん仰せられつる。疾く/\」といふに、「あやしく伊勢の物語なるや」とて見れば、青き薄樣にいと清げに書き給へるを、心ときめきしつるさまにもあらざりけり。「蘭省の花の時錦帳の下」と書きて、「末はいかに/\」とあるを、如何はすべからん。御前のおはしまさば御覽ぜさすべきを、これがすゑ知り顏に、たど/\しき眞字は書きたらんも見ぐるしなど、思ひまはす程もなく、責めまどはせば、唯その奧に、すびつの消えたる炭のあるして、「草の庵を誰かたづねん」と書きつけて取らせつれど、返事もいはで、みな寐て、翌朝いと疾く局におりたれば、源中將の聲して、「草の庵やある/\」とおどろ/\しう問へば、「などてか、さ人げなきものはあらん。玉の臺もとめ給はましかば、いで聞えてまし」といふ。「あなうれし、下にありけるよ。上まで尋ねんとしつるものを」とて、昨夜ありしやう、「頭中將の宿直所にて、少し人々しきかぎり、六位まで集りて、萬の人のうへ、昔今と語りていひし序に、猶このもの無下に絶えはてて後こそ、さすがにえあらね。もしいひ出づる事もやと待てど、いささか何とも思ひたらず。つれなきがいとねたきを、今宵惡しとも善しとも定めきりて止みなんかして、皆いひ合せたりしことを、只今は見るまじきとて入りたまひぬとて、主殿司來りしを、また追ひ歸して、ただ袖をとらへて、東西をさせず、こひとり持てこずば、文をかへしとれと誡めて、さばかり降る雨の盛に遣りたるに、いと疾く歸りきたり。これとてさし出でたるが、ありつる文なれば、かへしてけるかとうち見るにあはせてをめけば、あやし、いかなる事ぞとてみな寄りて見るに、いみじきぬす人かな。なほえこそすつまじけれと見さわぎて、これがもとつけてやらん、源中將つけよなどいふ。夜更くるまでつけ煩ひてなん止みにし。この事かならず語り傳ふべき事なりとなん定めし」と、いみじくかたはらいたきまでいひきかせて、「御名は今は草の庵となんつけたる」とて急ぎたちたまひぬれば、「いとわろき名の末まであらんこそ口惜しかるべけれ」といふほどに、修理亮則光「いみじきよろこび申しに、うへにやとて參りたりつる」といへば、「なぞ司召ありとも聞えぬに、何になり給へるぞ」といへば、「いで實にうれしき事の昨夜侍りしを、心もとなく思ひ明してなん。かばかり面目ある事なかりき」
とて、はじめありける事ども、中將の語りつる同じ事どもをいひて、「この返事に隨
ひてさる物ありとだに思はじと、頭中將の給ひしに、ただに來りしはなかなかよかり
き。持て來りしたびは、如何ならんと胸つぶれて、まことにわろからんは、兄のため
もわろかるべしと思ひしに、なのめにだにあらず。そこらの人の褒め感じて、兄こそ聞けとのたまひしかば、下心にはいとうれしけれど、さやうのかたには更にえ侍ふまじき身になんはべると申ししかば、言加へ聞き知れとにはあらず、ただ人に語れとてきかするぞとの給ひしなん、少し口をしき兄のおぼえに侍りしかど、これがもとつけ試るにいふべきやうなし。殊に又これが返しをやすべきなどいひ合せ、わろき事いひてはなか/\ねたかるべしとて、夜中までなんおはせし。これは身のためにも人のためにも、さていみじきよろこびには侍らずや。司召に少將のつかさ得て侍らんは、何とも思ふまじくなん」といへば、實に數多して、さる事あらんとも知らで、ねたくもありけるかな。これになん胸つぶれて覺ゆる。この妹兄といふことをば、うへまで皆しろしめし、殿上にも官名をばいはで、「せうと」とぞつけたる。物語などして居たる程に、「まづ」と召したれば參りたるに、この事仰せられんとてなりけり。うへの渡らせ給ひて、語り聞えさせ給ひて、「男ども皆扇に書きて持たる」と仰せらるるにこそ、あさましう何のいはせける事にかと覺えしか。さて後に袖几帳など取りのけて、思ひなほり給ふめりし。
かへる年の二月二十五日に、宮、職の御曹司に出でさせ給ひし。御供にまゐらで
梅壼に殘り居たりし又の日、頭中將の消息とて、「きのふの夜鞍馬へ詣でたりしに、
こよひ方の塞がれば、違になん行く、まだ明けざらんに歸りぬべし。必いふべき事あ
り、いたくたたかせで待て」との給へりしかど、「局に一人はなどてあるぞ、ここに
寐よ」とて御匣殿めしたれば參りぬ。久しく寐おきておりたれば、「いみじう人のた
たかせ給ひし。辛うじて起きて侍りしかば、うへにかたらば斯くなんとの給ひしかど
も、よもきかせ給はじとて臥し侍りにき」と語る。心もとなの事やとて聞くほどに、
主殿司きて、「頭の殿の聞えさせ給ふなり。只今まかり出づるを、聞ゆべき事なんあ
る」といへば、「見るべきことありて、うへになんのぼり侍る。そこにて」といひて、局はひきもやあけ給はんと、心ときめきして、わづらはしければ、梅壼の東おもての
半蔀あげて、「ここに」といへば、めでたくぞ歩み出で給へる。櫻の直衣いみじく
花々と、うらの色つやなどえもいはずけうらなるに、葡萄染のいと濃き指貫に、藤のをり枝こと%\しく織りみだりて、紅の色擣目など、輝くばかりぞ見ゆる。次第に白きうす色など、あまた重りたる、狹きままに、片つかたはしもながら、少し簾のもと近く寄り居給へるぞ、まことに繪に書き、物語のめでたきことにいひたる、これにこそはと見えたる。御前の梅は、西は白く東は紅梅にて、少しおちかたになりたれど、猶をかしきに、うら/\と日の氣色のどかにて、人に見せまほし。簾の内に、まして若やかなる女房などの、髮うるはしく長くこぼれかかりなど、そひ居たンめる、今少し見所ありて、をかしかりぬべきに、いとさだ過ぎ、ふる/\しき人の、髮なども我にはあらねばや、處々わななきちりぼひて、大かた色ことなるころなれば、あるかなきかなる薄にびども、あはひも見えぬ衣どもなどあれば、露のはえも見えぬに、おはしまさねば裳も著ず、袿すがたにて居たるこそ、物ぞこなひに口をしけれ。「職へなんまゐる、ことづけやある、いつかまゐる」などのたまふ。さても昨夜あかしもはてで、されどもかねてさ言ひてしかば待つらんとて、月のいみじう明きに、西の京よりくるままに、局をたたきしほど、辛うじて寐おびれて起き出でたりしけしき、答のはしたなさなど語りてわらひ給ふ。「無下にこそ思ひうんじにしか。などさるものをばおきたる」など實にさぞありけんと、いとほしくもをかしくもあり。暫しありて出で給ひぬ。外より見ん人はをかしう、内にいかなる人のあらんと思ひぬべし。奧のかたより見いだされたらんうしろこそ、外にさる人やともえ思ふまじけれ。暮れぬればまゐりぬ。御前に人々多くつどひゐて、物語のよきあしき、にくき所などをぞ、定めいひしろひ誦じ、仲忠がことなど、御前にも、おとりまさりたる事など仰せられける。「まづこれは如何にとことわれ。仲忠が童生のあやしさを、せちに仰せらるるぞ」などいへば、「何かは、琴なども天人おるばかり彈きて、いとわろき人なり。みかどの御むすめやはえたる」といへば、仲忠が方人と心を得て「さればよ」などいふに、「この事どもよりは、ひる齋信が參りたりつるを見ましかば、いかにめで惑はましとこそ覺ゆれ」と仰せらるるに、人々「さてまことに常よりもあらまほしう」などいふ。「まづそのことこそ啓せめと思ひて參り侍つるに、物語の事にまぎれて」とて、ありつる事を語り聞えさすれば、「誰も/\見つれど、いとかく縫ひたる絲針目までやは見とほしつる」とて笑ふ。西の京といふ所の荒れたりつる事、諸共に見る人あらましかばとなん覺えつる、垣なども皆破れて、苔生ひてなど語りつれば、宰相の君の、「かはらの松はありつや」と答へたりつるを、いみじうめでて、「西のかた都門を去れることいくばくの地ぞ」と口ずさびにしつる事など、かしがましきまでいひしこそをかしかりしか。
里にまかでたるに、殿上人などの來るも、安からずぞ人々いひなすなる。いとあ
まり心に引きいりたる覺はたなければ、さいはん人もにくからず。また夜も晝もくる
人をば、何かはなしなどもかがやきかへさん。誠に睦じくなどあらぬも、さこそは來
めれ。あまりうるさくも實にあれば、このたび出でたる所をば、いづくともなべてに
は知らせず。經房、濟政の君などばかりぞ知り給へる。左衞門尉則光が來て、物語な
どするついでに、昨日も宰相中將殿の、妹のあり處さりとも知らぬやうあらじと、い
みじう問ひ給ひしに、更に知らぬよし申ししに、あやにくに強ひたまひし事などいひて、「ある事あらがふは、いと佗しうこそありけれ。ほと/\笑みぬべかりしに、左中將のいとつれなく知らず顏にて居給へりしを、かの君に見だにあはせば笑みぬべかりしに佗びて、臺盤のうへに怪しき和布のありしを、唯とりに取りて食ひまぎらはししかば、中間にあやしの食物やと人も見けんかし。されど、かしこうそれにてなん申さずなりにし。笑ひなましかば不用ぞかし。まことに知らぬなめりと思したりしも、をかしうこそ」など語れば、「更にな聞え給ひそ」などいとどいひて、日ごろ久しくなりぬ。夜いたく更けて、門おどろ/\しく叩けば、何のかく心もとなく遠からぬ程を叩くらんと聞きて、問はすれば、瀧口なりけり。左衞門の文とて、文をもてきたり。皆ねたるに、火近く取りよせて見れば、「明日御讀經の結願にて、宰相中將の御物忌に籠り給へるに、妹の在處申せと責めらるるに、すぢなし、更にえ隱し申すまじき。そことや聞かせ奉るべき。いかに仰に隨はん」とぞいひたる。返事も書かで、和布を一寸ばかり紙に包みてやりつ。さて後にきて、「一夜責めて問はれて、すずろなる所に率てありき奉りて、まめやかにさいなむに、いとからし。さてとかくも御かへりのなくて、そぞろなる和布の端をつつみて取へりしかば、取りたがへたるにや」といふに、怪しの違物や。人のもとにさる物包みて贈る人やはある。いささかも心得ざりけると見るがにくければ、物もいはで、硯のある紙のはしに、
かづきする蜑の住家はそこなりとゆめいふなとやめをくはせけん
とかきて出したれば、「歌よませ給ひつるか、更に見侍らじ」とてあふぎかへし
て遁げていぬ。かう互に後見かたらひなどする中に、何事ともなくて、少し中あしく
なりたるころ、文おこせたり。「便なき事侍るとも、ちぎり聞えし事は捨て給はで、
よそにてもさぞなどは見給へ」といひたり。常にいふ事は、「おのれをおぼさん人は、歌などよみてえさすまじき。すべて仇敵となん思ふべき。今はかぎりありて絶えなん
と思はん時、さる事はいへ」といひしかば、この返しに、
くづれよる妹脊の山のなかなればさらによし野のかはとだに見じ
といひ遣りたりしも、誠に見ずやなりけん、返事もせず。さてかうぶり得て遠江介などいひしかば、にくくしてこそやみにしか。