[45、46、47、48、49、56、57、58、59、60]
にげなきもの
髮あしき人のしろき綾の衣著たる。しじかみたる髮に葵つけたる。あしき手を赤
き紙に書きたる。下衆の家に雪の降りたる。また月のさし入りたるもいとくちをし。
月のいとあかきに、やかたなき車にあひたる。又さる車にあめうしかけたる。老いたるものの腹たかくて喘ぎありく。また若き男もちたる、いと見ぐるしきに、他人の許に行くとて妬みたる。老いたる男の寢惑ひたる。又さやうに髯がちなる男の椎つみたる。齒もなき女の梅くひて酸がりたる。下衆の紅の袴著たる、このごろはそれのみこそあンめれ。靱負佐の夜行狩衣すがたも、いといやしげなり。また人に恐ぢらるるうへの衣はたおどろおどろしく、たちさまよふも、人見つけばあなづらはし。「嫌疑の者やある」と戲にもとがむ。六位藏人、うへの判官とうちいひて、世になくきら/\しきものに覺え、里人下衆などは、この世の人とだに思ひたらず、目をだに見あはせで恐ぢわななく人の、内裏わたりの廊などに忍びて入りふしたるこそいとつきなけれ。そらだきものしたる几帳にうちかけたる袴の、おもたげに賤しうきら/\しからんもと、推し量らるるなどよ。さかしらにうへの衣わきあけにて、鼠の尾のやうにて、わがねかけたらん程ぞ、似氣なき夜行の人人なる。この司ほどは、念じてとどめてよかし。五位の藏人も。
廊に人とあまたゐて、ありく者ども見、やすからず呼び寄せて、ものなどいふに、清げなる男、小舎人童などの、よき裏袋に衣どもつつみて、指貫の腰などうち見えたる。袋に入りたる弓、矢、楯、鉾、劍などもてありくを「誰がぞ」と問ふに、ついゐて某殿のといひて行くはいとよし。氣色ばみやさしがりて、「知らず」ともいひ、聞きも入れでいぬる者は、いみじうぞにくきかし。月夜に空車ありきたる。清げなる男のにくげなる妻もちたる。髯黒ににくげなる人の年老いたるが、物がたりする人の兒もてあそびたる。
主殿司こそなほをかしきものはあれ。下女のきははさばかり羨しきものはなし。
よき人にせさせまほしきわざなり。若くて容貌よく、容體など常によくてあらんは、
ましてよからんかし。年老いて物の例など知りて、おもなきさましたるもいとつき%
\しうめやすし。主殿司の顏、愛敬づきたらんをもたりて、裝束時にしたがひて、唐
衣など今めかしうて、ありかせばやとこそ覺ゆれ。男はまた隨身こそあめれ。いみじ
く美々しくをかしき公達も、隨身なきはいとしら%\し。辨などをかしくよき官と思
ひたれども、下襲のしり短くて、隨身なきぞいとわろきや。
職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭辨の、人と物をいと久しくいひたち給へ
れば、さし出でて、「それは誰ぞ」といへば、「辨の内侍なり」との給ふ。「何かは
さもかたらひ給ふ。大辨見えば、うちすて奉りていなんものを」といへば、いみじく
笑ひて、「誰かかかる事をさへいひ聞かせけん、それさなせそとかたらふなり」との
給ふ。いみじく見えて、をかしき筋などたてたる事はなくて、ただありなるやうなる
を、皆人さのみ知りたるに、なほ奧ふかき御心ざまを見知りたれば、「おしなべたら
ず」など御前にも啓し、又さしろしめしたるを、常に、「女はおのれを悦ぶ者のため
にかほづくりす、士はおのれを知れる人のために死ぬといひたる」といひ合せつつ申
し給ふ。「遠江の濱やなぎ」などいひかはしてあるに、わかき人々は唯いひにくみ、
見ぐるしき事どもなどつくろはずいふに、「この君こそうたて見にくけれ。他人のや
うに讀經し、歌うたひなどもせず、けすさまじ」など謗る。更にこれかれに物いひな
どもせず、「女は目はたてざまにつき、眉は額におひかかり、鼻は横ざまにありとも、ただ口つき愛敬づき、頤のした、頸などをかしげにて、聲にくからざらん人なん思はしかるべき。とはいひながら、なほ顏のいとにくげなるは心憂し」との給へば、まいて頤ほそく愛敬おくれたらん人は、あいなうかたきにして、御前にさへあしう啓する。物など啓せさせんとても、その初いひそめし人をたづね、下なるをも呼びのぼせ、局にも來ていひ、里なるには文書きても、みづからもおはして、「遲く參らば、さなん申したると申しに參らせよ」などの給ふ。「その人の侍ふ」などいひ出づれど、さしもうけひかずなどぞおはする。「あるに隨ひ、定めず、何事ももてなしたるをこそ、よき事にはすれ」とうしろみ聞ゆれど、「わがもとの心の本性」とのみの給ひつつ、「改らざるものは心なり」との給へば、「さて憚りなしとはいかなる事をいふにか」と怪しがれば、笑ひつつ、「中よしなど人々にもいはるる。かうかたらふとならば何か恥づる、見えなどもせよかし」との給ふを、「いみじくにくげなれば、さあらんはえ思はじとの給ひしによりて、え見え奉らぬ」といへば、「實ににくくもぞなる。さらばな見えそ」とて、おのづから見つべきをりも顏をふたぎなどして、まことに見給はぬも、眞心にそらごとし給はざりけりと思ふに、三月晦日頃、冬の直衣の著にくきにやあらん、うへの衣がちにて、殿上の宿直すがたもあり。翌朝日さし出づるまで、式部のおもとと廂に寢たるに、奧の遣戸をあけさせ給ひて、うへの御前、宮の御前出でさせ給へれば、起きもあへずまどふを、いみじく笑はせ給ふ。唐衣を髮のうへにうち著て、宿直物も何もうづもれながらある上におはしまして、陣より出で入るものなど御覽ず。殿上人のつゆ知らで、より來て物いふなどもあるを、「けしきな見せそ」と笑はせ給ふ。さてたたせ給ふに、「二人ながらいざ」と仰せらるれど、今顏などつくろひてこそとてまゐらず。入らせ給ひて、なほめでたき事どもいひあはせてゐたるに、南の遣戸のそばに、儿帳の手のさし出でたるにさはりて、簾の少しあきたるより、黒みたるものの見ゆれば、のりたかが居たるなンめりと思ひて、見も入れで、なほ事どもをいふに、いとよく笑みたる顏のさし出でたるを、「のりたかなンめり、そは」とて見やりたれば、あらぬ顏なり。あさましと笑ひさわぎて几帳ひき直しかくるれど、頭辨にこそおはしけれ。見え奉らじとしつるものをと、いとくちをし。もろともに居たる人は、こなたに向きてゐたれば、顏も見えず。立ち出でて、「いみじく名殘なく見つるかな」との給へば、「のりたかと思ひ侍れば、あなづりてぞかし。などかは見じとの給ひしに、さつく%\とは」といふに、「女は寢おきたる顏なんいとよきといへば、ある人の局に行きてかいばみして、又もし見えやするとて來りつるなり。まだうへのおはしつる折からあるを、え知らざりけるよ」とて、それより後は、局のすだれうちかづきなどし給ふめり。
殿上のなだいめんこそ猶をしけれ。御前に人さぶらふをりは、やがて問ふもをか
し。足音どもしてくづれ出づるを、うへの御局の東面に、耳をとなへて聞くに、知る
人の名のりには、ふと胸つぶるらんかし。又ありともよく聞かぬ人をも、この折に聞
きつけたらんは、いかが覺ゆらん。名のりよしあし、聞きにくく定むるもをかし。は
てぬなりと聞くほどに、瀧口の弓ならし、沓の音そそめき出づるに、藏人のいと高く
ふみこほめかして、うしとらの隅の高欄に、たかひざまづきとかやいふゐずまひに、御前のかたに向ひて、後ざまに「誰々か侍る」と問ふほどこそをかしけれ。細うたかう名のり、また人人さぶらはねばにや、なだいめん仕う奉らぬよし奏するも、いかにと問へばさはる事ども申すに、さ聞きて歸るを、「方弘はきかず」とて公達の教へければ、いみじう腹だちしかりて、勘へて、瀧口にさへ笑はる。御厨子所の御膳棚といふものに、沓おきて、はらへいひののしるを、いとほしがりて、「誰が沓にかあらん、え知らず」と主殿司人々のいひけるを、「やや方弘がきたなき物ぞや」とりに來てもいとさわがし。わかくてよろしき男の、げす女の名をいひなれて呼びたるこそ、いとにくけれ。知りながらも、何とかや、かたもじは覺えでいふはをかし。宮仕所の局などによりて、夜などぞ、さおぼめかんは惡しかりぬべけれど、主殿司、さらぬ處にては、侍、藏人所にあるものを率て行きてよばせよかし、てづからは聲もしるきに。はしたもの、わらはべなどはされどよし。
わかき人と兒は肥えたるよし。受領などおとなだちたる人は、ふときいとよし。あまり痩せからめきたるは、心いられたらんと推し量らる。よろづよりは、牛飼童のなりあしくてもたるこそあれ。他物どもは、されど後にたちてこそ行け、先につとまもられ行くもの、穢げなるは心憂し。車のしりに殊なることなき男どものつれだちたる、いと見ぐるし。ほそらかなる男隨身など見えぬべきが、黒き袴の末濃なる、狩衣は何もうちなればみたる、走る車のかたなどに、のどやかにてうち添ひたるこそ、わが物とは見えね。なほ大かた樣子あしくて、人使ふはわろかりき。破れなど時々うちしたれど、馴ればみて罪なきはさるかたなりや。つかひ人などはありて、わらはべの穢げなるこそは、あるまじく見ゆれ。家にゐたる人も、そこにある人とて、使にても、客人などの往きたるにも、をかしき童の數多見ゆるはいとをかし。
人の家の前をわたるに、さぶらひめきたる男、つちに居るものなどして、男子の
十ばかりなるが、髮をかしげなる、引きはへても、さばきて垂るも、また五つ六つば
かりなるが、髮は頸のもとにかいくくみて、つらいと赤うふくらかなる、あやしき弓、しもとだちたる物などささげたる、いとうつくし。車とどめて抱き入れまほしくこそあれ。又さて往くに、薫物の香のいみじくかかへたる、いとをかし。よき家の中門あけて、檳榔毛の車の白う清げなる、はじ蘇枋の下簾のにほひいときよげにて、榻にたちたるこそめでたけれ。五位六位などの下襲のしりはさみて、ささのいと白きかたにうちおきなどして、とかくいきちがふに、また裝束し、壼やなぐひ負ひたる隨身の出で入る、いとつき%\し。厨女のいと清げなるがさし出でて、某殿の人やさぶらふなどいひたる、をかし。