[28]
にくきもの
急ぐ事あるをりに長言する客人。あなづらはしき人ならば、「後に」などいひて
も追ひやりつべけれども、さすがに心はづかしき人、いとにくし。硯に髮の入りてす
られたる。また墨の中に石こもりて、きし/\ときしみたる。俄にわづらふ人のある
に、驗者もとむるに、例ある所にはあらで、外にある、尋ねありくほどに、待遠にひさしきを、辛うじて待ちつけて、悦びながら加持せさするに、このごろ物怪に困じにけるにや、ゐるままに即ねぶり聲になりたる、いとにくし。何でふことなき人の、すずろにえがちに物いたういひたる。火桶すびつなどに、手のうらうちかへし、皺おしのべなどしてあぶりをるもの。いつかは若やかなる人などの、さはしたりし。老ばみうたてあるものこそ、火桶のはたに足をさへもたげて、物いふままに、おしすりなどもするらめ。さやうのものは、人のもとに來てゐんとする所を、まづ扇して塵拂ひすてて、ゐも定まらずひろめきて、狩衣の前、下ざまにまくり入れてもゐるかし。かかることは、いひがひなきものの際にやと思へど、少しよろしき者の式部大夫、駿河前司などいひしがさせしなり。また酒飮みて、赤き口を探り、髯あるものはそれを撫でて、盃人に取らするほどのけしき、いみじくにくしと見ゆ。また「飮め」などいふなるべし、身ぶるひをし、頭ふり、口わきをさへひきたれて、「わらはべのこうどのに參りて」など、謠ふやふにする。それはしも誠によき人のさし給ひしより、心づきなしと思ふなり。物うらやみし、身のうへなげき、人のうへいひ、露ばかりの事もゆかしがり、聞かまほしがりて、いひ知らぬをば怨じそしり、又わづかに聞きわたる事をば、われもとより知りたる事のやうに、他人にも語りしらべいふも、いとにくし。物聞かんと思ふほどに泣く兒。烏の集りて飛びちがひ鳴きたる。忍びて來る人見しりて吠ゆる犬は、うちも殺しつべし。さるまじうあながちなる所に、隱し伏せたる人の、鼾したる。又密に忍びてくる所に、長烏帽子して、さすがに人に見えじと惑ひ出づるほどに、物につきさはりて、そよろといはせたる、いみじうにくし。伊豫簾など懸けたるをうちかつぎて、さら/\とならしたるも、いとにくし。帽額の簾はましてこはき物のうちおかるる、いとしるし。それもやをら引きあげて出入するは、更に鳴らず。又遣戸など荒くあくるも、いとにくし。少しもたぐるやうにて開くるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子などもたをめかし、こほめくこそしるけれ。ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊のほそ聲になのりて、顏のもとに飛びありく、羽風さへ身のほどにあるこそ、いとにくけれ。きしめく車に乘りて歩くもの、耳も聞かぬにやあらんと、いとにくし。わが乘りたるは、その車のぬしさへにくし。物語などするに、さし出でてわれひとり才まぐるもの。すべてさし出は、童も大人もいとにくし。昔物語などするに、われ知りたりけるは、ふと出でていひくたしなどする、いとにくし。鼠の走りありく、いとにくし。あからさまにきたる子ども童をらうたがりて、をかしき物など取らするに、ならひて、常に來て居入りて、調度やうち散らしぬる、にくし。家にても宮仕所にても、逢はでありなんと思ふ人の來るに、虚寐をしたるを、わが許にあるものどもの起しによりきては、いぎたなしと思ひ顏に、ひきゆるがしたるいとにくし。新參のさしこえて、物しり顏にをしへやうなる事いひ、うしろみたる、いとにくし。わが知る人にてあるほど、はやう見し女の事、譽めいひ出しなどするも、過ぎてほど經にけれど、なほにくし、ましてさしあたりたらんこそ思ひやらるれ。されどそれは、さしもあらぬやうもありかし。はなひて誦文する人。大かた家の男しうならでは、高くはなひたるもの、いとにくし。蚤もいとにくし。衣の下にをどりありきて、もたぐるやうにするも、また犬のもろ聲に長々となきあげたる。まが/\しくにくし。乳母の男こそあれ、女はされど近くも寄らねばよし。男子をば、ただわが物にして、立ちそひ領じてうしろみ、いささかもこの御事に違ふものをば讒し、人をば人とも思ひたらず、怪しけれど、これがとがを心に任せていふ人もなければ、處得いみじきおももちして、事を行ひなどするよ。小一條院をば、今内裏とぞいふ。おはします殿は清涼殿にて、その北なる殿におはします。西東はわたどのにて渡らせ給ふ。常に參うのぼらせ給ふ。おまへはつぼなれば、前栽などうゑ、笆ゆひていとをかし。二月十日の日の、うら/\とのどかに照りたるに、わたどのの西の廂にて、うへの御笛ふかせ給ふ。高遠の大貳、御笛の師にて物し給ふを、異笛ふたつして、高砂ををりかへし吹かせ給へば、猶いみじうめでたしと言ふもよのつねなり。御笛の師にて、そのことどもなど申し給ふ、いとめでたし。御簾のもとに集り出でて見奉るをりなどは、わが身に芹つみしなど覺ゆることこそなけれ。すけただは木工允にて藏人にはなりにたる。いみじう荒々しうあれば、殿上人女房は、あらわにとぞつけたるを、歌につくりて、「さうなしのぬし、尾張人の種にぞありける」とうたふは、尾張の兼時が女の腹なりけり。これを笛に吹かせ給ふを、添ひ侍ひて、「なほたかう吹かせおはしませ、え聞きさふらはじ」と申せば、「いかでか、さりとも聞き知りなん」とて密にのみ吹かせ給ふを、あなたより渡らせおはしまして、「このものなかりけり、只今こそふかめ」と仰せられて吹かせたまふ。いみじうをかし。
ふみことばなめき人こそ、いとどにくけれ。世をなのめに書きなしたる、詞のに
くきこそ。さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、實にわろき事ぞ。され
ど我えたらんは理、人のもとなるさへにくくこそあれ。大かたさし向ひても、なめき
は、などかく言ふらんとかたはらいたし。ましてよき人などをさ申す者は、さるはを
こにていとにくし。男しうなどわろくいふ、いとわろし。わが使ふものなど、おはす
る、のたまふなどいひたる、いとにくし。ここもとに侍るといふ文字をあらせばやと
聞くことこそ多かめれ。愛敬なくと、詞しなめきなどいへば、いはるる人も聞く人も笑ふ。かく覺ゆればにや、あまり嘲哢するなどいはるるまである人も、わろきなるべし。殿上人宰相などを、ただなのる名を、聊つつましげならずいふは、いとかたはなるを、げによくさいはず、女房の局なる人をさへ、あのおもと君などいへば、めづらかに嬉しと思ひて、譽むる事ぞいみじき。殿上人公達を、御前より外にては官をいふ。また御前にて物をいふとも、きこしめさんには、などてかは、まろがなどいはん。さいはざらんにくし。かくいはんに、わろかるべき事かは。
ことなる事なき男の、ひきいれ聲して艶だちたる。墨つかぬ硯。女房の物ゆかし
うする。ただなるだに、いとしも思はしからぬ人の、にくげごとしたる。一人車に乘
りて物見る男、いかなるものにかあらん、やんごとながらずとも、わかき男どもの物
ゆかしう思ひたるなど、ひき乘せても見よかし。透影に唯一人かぐよひて、心一つに
まもりゐたらんよ。曉にかへる人の、昨夜おきし扇懷紙もとむとて、暗ければ、探り
あてん、さぐりあてんと、たたきもわたし、「怪し」などうちいひもとめ出でて、そよ/\と懷にさし入れて、扇ひきひろげて、ふた/\とうちつかひて、まかり申したる、にくしとは世の常、いと愛敬なし。おなじごと夜深く出づる人の 烏帽子の緒強くゆひたる、さしもかためずともありぬべし。やをらさながらさし入れたりとも、人のとがむべきことかは。いみじうしどけなう、かたくなし。直衣狩衣などゆがみたりとも、誰かは見知りて笑ひそしりもせん。とする人は、なほ曉のありさまこそ、をかしくもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起きがたげなるを、強ひてそそのかし、「あけ過ぎぬ、あな見苦し」などいはれて、うちなげくけしきも、げにあかず物うきにしもあらんかしと覺ゆ。指貫なども居ながら著もやらず、まづさしよりて、夜ひと夜いひつることののこりを、女の耳にいひ入れ何わざすとなけれど、帶などをばゆふやうなりかし。格子あけ、妻戸ある處は、やがて諸共に出で行き、晝のほどのおぼつかなからん事なども、いひいでにすべり出でなんは、見送られて、名殘もをかしかりぬべし。なごりも出所あり。いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰強くひきゆひ、直衣、うへのきぬ、狩衣も袖かいまくり、よろづさし入れ、帶強くゆふ、にくし。開けて出でぬる所たてぬ人、いとにくし。