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屋は
丸屋。四阿屋。
時奏するいみじうをかし。いみじう寒きに、夜中ばかりなどに、こほ/\とごほめき、沓すり來て、弦うちなどして、「何家の某、時丑三つ、子四つ」など、あてはかなる聲にいひて、時の杭さす音などいみじうをかし。子九つ、丑八つなどこそ、さとびたる人はいへ、すべて何も/\、四つのみぞ杭はさしける。
日のうら/\とある晝つかた、いたう夜ふけて、子の時など思ひ參らするほどに、男ども召したるこそ、いみじうをかしけれ。夜中ばかりに、また御笛の聞えたる、い
みじうめでたし。
成信の中將は、入道兵部卿の宮の御子にて、かたちいとをかしげに、心ばへもいとをかしうおはす。伊豫守兼輔がむすめの忘られて、伊豫へ親のくだりしほど、いかに哀なりけんとこそ覺えしか。あかつきに往くとて、今宵おはしまして、有明の月に歸り給ひけん直衣すがたなどこそ。そのかみ常に居て、ものがたりし、人のうへなど、
わろきは「わろし」などの給ひしに。物忌などくすしうするものの、名を姓にて持た
る人のあるが、ことびとの子になりて、平などいへど、唯もとの姓を、若きひと%\
言種にて笑ふ。ありさまも異なることなし。兵部とて、をかしき方などもかたきが、
さすがに人などにさしまじり心などのあるは、御前わたりに「見苦し」など仰せらる
れど、腹ぎたなく知り告ぐる人もなし。一條の院つくられたる一間のところには、つ
らき人をば更に寄せず。東の御門につと向ひて、をかしき小廂に、式部のおもと諸共
に、夜も晝もあれば、うへも常に物御覽じに出でさせ給ふ。「今宵は皆内に寐ん」と
て南の廂に二人臥しぬる後に、いみじう叩く人のあるに、「うるさし」などいひ合せて、寐たるやうにてあれば、猶いみじうかしかましう呼ぶを、「あれおこせ、虚寐ならん」と仰せられければ、この兵部來て起せど、寐たるさまなれば、「更に起き給はざりけり」といひに往きたるが、やがて居つきて物いふなり。しばしかとおもふに、夜いたう更けぬ。權中將にこそあンなれ。「こは何事をかうはいふ」とてただ密に笑ふも、いかでか知らん。あかつきまでいひ明して歸りぬ。「この君いとゆゆしかりけり。更におはせんに物いはじ。何事をさは言ひあかすぞ」など笑ふに、遣戸をあけて女は入りぬ。翌朝例の廂に物いふを聞けば、「雨のいみじう降る日きたる人なん、いとあはれなる。日ごろおぼつかなうつらき事ありとも、さて濡れて來らば、憂き事も皆忘れぬべし」とはなどていふにかあらんを。昨夜も昨日の夜も、それがあなたの夜も、すべてこのごろは、うちしきり見ゆる人の、今宵もいみじからん雨にさはらで來らんは、一夜も隔てじと思ふなンめりと、あはれなるべし。さて日ごろも見えず、おぼつかなくて過さん人の、かかる折にしも來んをば、更にまた志あるにはえせじとこそ思へ。人の心々なればにやあらん、物見しり、思ひ知りたる女の、心ありと見ゆるなどをばかたらひて、數多いく所もあり、もとよりのよすがなどもあれば、繁うしもえ來ぬを、猶さるいみじかりし折に來りし事など、人にも語りつがせ、身をほめられんと思ふ人のしわざにや。それも無下に志なからんには、何しにかは、さも作事しても見えんとも思はん。されど雨の降る時は、唯むつかしう、今朝まではれ%\しかりつる空とも覺えずにくくて、いみじき廊のめでたき所ともおぼえず。ましていとさらぬ家などは、疾く降り止みねかしとこそ覺ゆれ。月のあかきに來らん人はしも、十日二十日一月、もしは一年にても、まして七八年になりても、思ひ出でたらんは、いみじうをかしと覺えて、え逢ふまじうわりなきところ、人目つつむべきやうありとも、かならず立ちながらも、ものいひて返し、又とまるべからんをば留めなどしつべし。月のあかき見るばかり、遠く物思ひやられ、過ぎにし事、憂かりしも、嬉しかりしも、をかしと覺えしも、只今のやうに覺ゆる折やはある。こまのの物語は、何ばかりをかしき事もなく、詞もふるめき、見物多からねど、月に昔を思ひ出でて、むしばみたる蝙蝠とり出でて、もと見し駒にといひて立てる、いとあはれなり。雨は心もとなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくくぞある。やんごとなき事、おもしろかるべき事、尊くめでたかるべき事も、雨だに降ればいふかひなく口惜しきに、何かその濡れてかこちたらんがめでたからん。實に交野少將もどきたる落窪少將などはをかし。それも昨夜一昨日の夜も、ありしかばこそをかしけれ。足洗ひたるぞ、にくくきたなかりけん。さらでは何か、風などの吹く、荒荒しき夜きたるは、たのもしくをかしうもありなん。雪こそいとめでたけれ。忘れめやなどひとりごちて、忍びたることは更なり。いとさあらぬ所も、直衣などは更にもいはず、狩衣、袍、藏人の青色などの、いとひややかに濡れたらんは、いみじうをかしかるべし。緑衫なりとも、雪にだに濡れなばにくかるまじ。昔の藏人は、夜など人の許などに、ただ青色を著て、雨にぬれても、しぼりなどしけるとか。今は晝だに著ざンめり。ただ緑衫をのみこそ、うちかづきたンめれ。衞府などの著たるは、ましていとをかしかりしものを、かく聞きて、雨にありかぬ人やはあらんずらん。月のいとあかき夜、紅の紙のいみじう赤きに、唯「あらず」とも書きたるを、廂にさし入れたるを、月にあてて見しこそをかしかりしか。雨降らん折はさはありなんや。
常に文おこする人の、「何かは今はいふかひなし。今は」などいひて、又の日音もせねば、さすがにあけたてば、文の見えぬこそさう%\しけれと思ひて、「さてもきは%\しかりける心かな」などいひて暮しつ。又の日、雨いたう降る晝まで音もせねば、「無下に思ひ絶えにけり」などいひて、端のかたに居たる夕暮に、笠さしたる童の持てきたるを、常よりも疾くあけて見れば、「水ます雨の」とある、いと多くよみ出しつる歌どもよりはをかし。ただ朝はさしもあらず、さえつる空の、いと暗うかき曇りて、雪のかきくらし降るに、いと心ぼそく、見出すほどもなく、白く積りて、猶いみじう降るに、隨身だちて細やかに美美しき男の、傘さして、側の方なる家の戸より入りて、文をさし入れたるこそをかしけれ。いと白き檀紙、白き色紙のむすべたる、うへにひきわたしける墨の、ふと氷りにければ、すそ薄になりたるを開けたれば、いと細く卷きて、結びたる卷目は、こま%\とくぼみたるに、墨のいと黒う薄く、くだりせばに、裏表書きみだりたるを、うち返し久しう見るこそ、何事ならんと、よそにて見やりたるもをかしけれ。まいてうちほほゑむ所はいとゆかしけれど、遠う居たるは、黒き文字などばかりぞ、さなンめりと覺ゆるかし。額髮ながやかに、おもやうよき人の、暗きほどに文を得て、火ともす程も心もとなきにや。火桶の火を挾みあげて、たど/\しげに見居たるこそをかしけれ。