一谷嫩軍記 (Ichinotani futaba gunki) | ||
大詰
生田森熊谷陣屋の場
- 役目==九郎判官義經。
- 石屋、白豪の彌陀六實ハ彌平兵衞宗清。
- 熊谷次郎直實。
- 梶原平次景高。
- 堤の軍次。
- 經盛御臺、藤の方。
- 熊谷妻、相模。
[唄]
[utaChushin ]行く空も、いつかは冴えん須磨の月、平家は八島の浪に漂ひ、源氏は花の盛りと見る、中に勝れて熊谷が、陣所は須磨に一構へ、要害嚴しき逆茂木の、中に若木の花盛り、八重九重も及びなき、それかあらぬか人毎に、熊谷櫻といふぞかし、花を折らせじと制札を、讀んで行く人讀めぬ人、一つ所に立集まり。
[ト書]
ト此うち花道より百姓四人、鋤鍬などを持ち出て來り、下手へ立止まり
百一
なんと皆の衆、見やしやれ。されも見事に咲いたではないか。
百二
成る程須磨の浦では、二本とないこの櫻、花も見事ぢやが、この制札も見事ぢやな。
百三
それ/\、辨慶どのゝ筆ぢやげなが、何だか一つも讀めぬわい。こりやマア、何といふ事ぢやぞいの。
百四
オヽ、それは義經さまが、この花を惜しみ給ひ、一枝切らば指一本切るべしとの、法度書ぢやわいの。
百一
ヤア、何ぢやと、花の代りに指を切るとは、こりや首切る下地であらうわいの。オヽ、怖やの怖やの。
百二
それ/\、見てゐるうちも、虎の尾を踏む心地がするわい。
百三
兎角觸らぬ神に祟りなしの譬へぢや。皆の衆、行かうではないか。
百四
イカサマ、それがようござらう。サア、ござれ/\。
[唄]
[utaChushin ]花に嵐の臆病風、散り%\にこそ別れ行く。
[ト書]
ト百姓皆々、下の方へ入る。
[唄]
[utaChushin ]はる%\と尋ねて爰へ熊谷が、妻の相模は子を思ひ、夫思ひの旅姿、陣屋の軒を爰彼處尋ねしが、幕に覺えの家の紋。
[ト書]
ト此うち花道より相模、旅なり好みの拵らへ、菅笠と杖を持ち出て來る。後より若黨、半纏股引、大小草鞋の拵らへにて附添ひ、中間、旅なりにて後より兩掛けを擔ぎ出て來り、よろしく花道にて止り、こなし。
若
アイヤ奧樣、あれなる幕にお家の定紋、必定御陣所と相見えまする。
[ト書]
ト相模、舞臺の幕を見て
相模
オヽ、さうぢや。違ひない夫の御紋。
若黨
お出での趣き達しませう。
相模
アヽコレ、必らず麁忽のないやうに、案内しや。
若黨
ハツ。
[唄]
[utaChushin ]陣所の門へ立寄つて
[ト書]
ト皆々舞臺へ來り
[若黨]
誰そ、頼みませう/\。
[唄]
[utaChushin ]おとなふ聲に家の子なる、堤の軍次立出でゝ。
[ト書]
ト奧より軍次、衣裳上下、大小にて出て來り、門口へ向ひ
軍次
イヤナニ、何方よりの御案内なるや。主人事は他出いたしてこざる。
相模
イヤナウ、苦しうない者ぢや。爰開けてたもいなう。
軍次
ハテ、聞き慣れし女中の聲。樣子尋ねし上の事。
[ト書]
ト門口開き相模を見て
[軍次]
ヤ、あなたは奧樣でござりますか。
相模
ヤア、其方は軍次か。
軍次
これは思ひ掛けないお目見得。先づは御健勝にて恐悦至極。
相模
其方も無事で、めでたうござるわいの。
軍次
何はしかれ、先づ/\これへ。
相模
其方達は、次へ立つて休息しや。
家來
ハツ。
[唄]
[utaChushin ]ハツと答へて立つて行く。
[ト書]
ト若黨、中間下手へ入る。
軍次
イザ、お通り遊ばされませう。
[唄]
[utaChushin ]しづ/\と打通り。
[ト書]
ト合ひ方になり、相模、上へ通り、よろしく住ふ。軍次思ひ入れ、
軍次
して、奧樣には火急の御用なるや。遙々との御上京、遠路の所さぞお疲れでござりませう。
相模
イヤモウ、女子の足の道捗らず、爰まで來る途々も樣子を聞けば、いま戰ひの最中との噂。お上にもお變りなきや。小次郎は息災でゐやるかいなう。
軍次
殿樣始め若殿小次郎さまにも、御健勝にござりまする。
相模
それ聞いて落ちつきました。妾が參りし樣子、我が夫へ申し上げてたも。
軍次
アイヤ、殿樣には今日、お志しの事ありとて御廟參。御歸陣の後、折を見合せ。
相模
軍次、其方よいやうに。
軍次
委細畏まつてござりまする。
[唄]
[utaChushin ]挨拶とり%\する所へ、敦盛の母藤の局、虎口の難を遁がれ來て、こけつ轉びつ花の蔭、陣屋を目懸けて走りつく。
[ト書]
トバタ/\にて花道より藤の局、衣裳裲襠の上へ抱へを締め、懷劍を差し走り出て來り、門口へ來り、
藤の
イヤナウ、後より追手のかゝる者。影を隱して給はれや。
[唄]
[utaChushin ]けはしき體に軍次は立つて。
軍次
尤もなる事ながら、御覽の通り陣屋の儀なれば、女儀は叶はぬ。外をお頼みなされませ。
相模
アヽコレ軍次、賤しからざる詞の端、見ますれば旅のお方さうな。誰れしも女子は相身互ひ。マア/\、お入りなされませ。
[ト書]
ト相模陣門を開き、藤の局を見て
[相模]
あなたはどうやら。
[ト書]
トこれにて藤の局も相模を見て
藤の
そもじは慥か。
相模
藤の方さま。
[ト書]
ト兩人顏見合はせ、思ひ入れあつて
藤の
さう云ふ其方は、相模ぢやないか。
相模
どうしてこれへ。思ひ掛けない。
藤の
絶えて久しき
相模
この目見得。
藤の
其方も無事で
相模
あなたもお健で
藤の
廻り逢うたも
相模
盡きせぬ御縁で
兩人
あつたなア。
相模
先づ/\あれへ。
[唄]
[utaChushin ]先づ/\あれへと云ひければ、陣屋の内へ打通る。
[ト書]
トこれにて相模藤の方、手を取り上の方へ誘なふ。
相模
思ひも寄らぬあなたのお入り。コレ、軍次、其方は次へナ。
軍次
ハツ、然らば奧樣、また後程お目見得、仕るでござりませう。
[唄]
[utaChushin ]軍次は立つて入りにけり、相模はやがて手をつかへ。
[ト書]
ト軍次こなしあつて奧へ入る。相模、思ひ入れあつて
相模
誠に一昔は夢と申しまする。大内に御座遊ばす時、勤番の武士、佐竹次郎と馴染み、御所を拔け出て東へ下り、あなた樣のお身の上を承はれば、御懷胎のお身ながらも平家の御家門、參議經盛さま方へ御縁づき給ふとの噂。その折世盛りの平家、御威勢は益々、蔭ながら喜びましたに、この度の源平の戰ひ。御一門も散り%\と聞くにつけ、この藤の方さまは何と遊ばした、どう遊ばしたと、一人苦にして居りましたに、マア、御機嫌のよいお顏を見て、おめでたい。オヽ、嬉しい事でござります。
藤の
オヽ、其方も無事でめでたいわいの。さうして懷胎で出やつたが、その時の子は姫御前か男子か。息災で育てゝゐやるか。
[唄]
[utaChushin ]ちよつと寄つても女子同志、積る言の葉繰返し、嬉し涙の種ぞかし、藤の方は涙ぐみ。
[藤の]
世の盛衰とは云ひながら、その時自らが産み落したは、無官の太夫敦盛とて、器量發明揃うた子を、今度の軍に討死させ、夫は八島の浪に漂ひ、我れのみ殘る憂き難儀。淺ましの身の上ぢやわいなう。
[唄]
[utaChushin ]かこち給へば。
相模
お道理でござりまする。以前の御恩の報じ時、連合ひに語り、御身の片付け後世の營み、お心任せに致しませう。以前は佐竹次郎と申し、北面同樣な武士、只今にては武藏の國の住人、私の黨の旗頭、熊谷の次郎直實と、人も知つたる侍ひでござりまする。
[唄]
[utaChushin ]と聞くより御臺は。
藤の
ヤア、そんなら其方の連合ひ佐竹次郎、今では熊谷の次郎と云やるか。
相模
ハイ、左樣でござりまする。
藤の
すりやアノ、熊谷次郎は其方の夫よな。
[唄]
[utaChushin ]ハツと吐胸の氣を鎭め。
[藤の]
なんと相模、以前大内にて不義顯はれ、佐竹次郎と諸共に、禁獄させよとの院宣、自らが申し宥め、御所の御門を夜のうちに、落してやつたを覺えてか。
相模
成る程、その時の御恩、なんの忘れませうぞいな。
藤の
ムウ、その恩を忘れずば、助太刀して、討たしてたも。
相模
そりや又誰れを。
藤の
熊谷の次郎直實を。
相模
エヽ、そりや又なんのお恨みで。
藤の
最前も話した通り、院の御所の御胤、無官の太夫敦盛を、其方が夫、熊谷が討つたわいなア。
相模
そりやマア眞實でござりますか。
藤の
そんなら其方は、何にも知らぬか。
相模
サア、遙々と東より、今來て今の物語り。
[唄]
[utaChushin ]聞いて吐胸の誠しからず。
[相模]
追つけ夫が歸り次第、樣子を尋ねるその間、暫らくお扣へ下さりませ。
[唄]
[utaChushin ]詞を盡し理を盡し、宥める折に表の方。
呼び
梶原樣のお入り。
[ト書]
トこれにて兩人思ひ入れ。
藤の
ナニ、梶原が來りしとや。
[ト書]
ト藤の方立ちかゝる。相模、止めて
相模
アヽモシ、邪智深き梶原平次、見咎められては御身の御難儀。暫らく奧にて御休息。
藤の
成る程、さりながら、今にも熊谷歸りなば
相模
とくと實否を糺した上
藤の
我が子の敵と極まらば
相模
夫ながら主人の仇。
藤の
必らず討つぞや。
相模
御念に及ばぬ。
藤の
そんなら相模。
相模
お局樣。
藤の
然らばキツと。
相模
ハテ、先づお入りあられませう。
[唄]
[utaChushin ]御臺は心奧の間へ、伴ひてこそ入りにける。
[ト書]
トこなしあつて相模先に、藤の方附いて障子屋體へ入る。
[唄]
[utaChushin ]程なく入り來る梶原平時景高、さも横柄に座に着けば、堤の軍次立出でゝ。
[ト書]
ト時の太皷になり、花道より景高、着込みの形、立烏帽子にて出て來り、二重の上の方に住ふ。此うち奧より軍次出て來り、下の方へ扣へる。
景高
梶原平次景高、所用あつて推參。直實どのは居召さるか。
軍次
今日は主人直實、志しあつて廟參。御用あらば某へ、仰せ置かれ下さりませう。
景高
ナニ、熊谷どのは他行とな。ヤア/\家來ども、石屋の親仁め、引立て參れ。
[ト書]
ト花道揚げ幕の内にて捕り手皆々
捕手
ハーア。
[唄]
[utaChushin ]ハヽと答へて科もなき、白毫の彌陀六を、平次が前へ引据ゆれば。
[ト書]
ト時の太皷になり、彌陀六、白髮鬘、好みの拵らへにて繩にかゝり、これを軍兵引立て出て、直ぐに舞臺へ來り
[捕手]
下に居らう。
[ト書]
ト彌陀六を眞中へ引据ゑる。こなしあつて
景高
ヤイ、なまくら親仁め。おのれ、何者に頼まれて、敦盛が石塔建てたぞ。平家は殘らず西海へぼツ下し、誂らふべき相手なければ、察するところ源氏方の二股武士が、頼みしに違ひはあるまい。サア、眞直に白状、僞はるに於ては、脊を斷割り鉛の熱湯、鎌倉どのの御威勢で、云はさにや置かぬ。
[唄]
[utaChushin ]嚇しかけても正直一遍。
彌陀
てもさても御無理な御詮議。先程も申した通り、石塔の誂らへ手は敦盛の幽靈。五輪の事はさて置いて、一厘も手附けは取らず、其まゝ石塔の喰逃げ。せめて人魂でも手附けに取つたら、小提灯の代りに致しませうに、冥途へ書出しはやられず、ほんのこれがそんしやう菩提、有やうに申し上げ、願以此功徳施一切、この通りでござります。
[唄]
[utaChushin ]とりしめのなき返答に。
軍次
何仰しやつても糠に釘。梶原どのには、先づ御休息遊ばされませう。
[唄]
[utaChushin ]軍次が詞に平次は惡智惠。
景高
大方石塔の誂らへ手も大概合點。熊谷歸らば三つ金輪にて詮議せん。ソレ、者ども、其奴を引立てい。
皆々
ハヽア。
景高
軍次案内。
皆々
立たう。
[唄]
[utaChushin ]石屋の親仁を無理矢理に、引立て奧へ連れて行く。
[ト書]
ト時の太皷になり、景高を先に軍次、奧へ入る。彌陀六は軍兵に引立てられ、上の方へ入る。
[唄]
[utaChushin ]日もはや西に傾きしに、夫の歸りの遲さよと、待つ間程なく。
呼び
旦那のお歸り。
[唄]
[utaChushin ]熊谷次郎直實、花の盛りの敦盛を、討つて無常を悟りしか、流石に猛き武士も、物の哀れを今ぞ知る、思ひを胸に立歸る。
[ト書]
ト此うち奧より相模出て來り、こなしあつて、花道より直實、衣裳上下、好みの拵らへ、物思ひの體にて出て來り、ズツと内へ入る。相模を見てキツと思ひ入れ。此うち軍次出て來り
[唄]
[utaChushin ]妻の相模を尻目にかけて座に直れば、軍次はやがて覆ひになり。
[ト書]
ト直實、二重よき所へゐる。軍次、相模は下の方へ扣へ
軍次
先達て平次景高どの、何か詮議の筋あるとて、御影の石屋を引連れお出であり、奧の一間に、お待ちなされてござります。
[唄]
[utaChushin ]委細を述ぶれば。
直實
ムウ、詮議とは何事やらん。
[ト書]
ト思ひ入れあつて
[直實]
イヤ、其方は一献を催ほし、梶原どのをもてなし申せ。早く早く。
軍次
畏まつてござりまする。
[ト書]
ト軍次、立ちにかゝるを、相模、行くなと袖を引き、こなし。熊谷、思ひ入れ。
直實
ハテサテ、何を猶豫いたす。次へ立て。
軍次
ハツ。
[唄]
[utaChushin ]主の詞に是非なくも、相模と顏を見合して、心を殘し入りにけり。
[ト書]
ト軍次、相模が留めるを振り切り、思ひ入れあつて奧へ入る。
[唄]
[utaChushin ]後見送りて熊谷は。
[ト書]
ト合ひ方になり、相模、こなしあつて煙草盆を持ち、わざ/\直實の前へ置く。直實相模を見て思ひ入れ。
直實
コリヤ女房、其方は爰へ何しに參つた。國許出立の節、陣中へは便りも無用と、堅く云ひつけ置いたるに、詞を背くといひ、剩さへ女の身で陣中へ來る事、不屆き至極の女めが。
[唄]
[utaChushin ]不興の體に相模はもぢ/\。
相模
其お叱りを存じながら、どうか斯うかと案じるは小次郎が初陣、一里行たら樣子が知れうか、五里來たら便りがあらうかと、七里歩み、十里歩み、百里餘りの道をツイ都まで、ホヽヽヽヽ、オヽ辛氣。
[唄]
[utaChushin ]上つて聞けば一の谷とやらで、いま合戰の最中と、取り%\の噂ゆゑ。
[相模]
子に惹かさるゝは親の因果、御料簡下さりませ。マア、さうして小次郎は、息災で居りますかえ。
[唄]
[utaChushin ]問へば熊谷詞を荒らげ。
直實
戰場へ赴くからは命は無きもの。健固を尋ぬる未練な根性、もし討死したら何とする。
相模
イヽエイナア、小次郎が初陣に、よき大將と引組んで、討死でも致したら、大抵嬉しい事ではござりませぬ。
[唄]
[utaChushin ]夫の心に隨ひし、健氣な詞に顏色直し。
直實
オヽ、小次郎が手柄といつば、平山の武者所と爭ひ、拔駈けの功名。軍門に入りての働らき。手疵少々負ひたれども、末代までの家の譽サ。
相模
エヽ、して、その手疵は、急所ではござりませぬか。
直實
ソレ、まだ手疵を悔む顏付き。もし急所ならば悲しいか。
相模
イヽエ、なんのいなア。かすり疵でも負ふ程の、働らきは出來したと、嬉しさの餘りお尋ね。その時お前も小次郎と、一緒にお出でなされましたか。
直實
オヽサ、危ふしと見るよりも、軍門に駈け入り、小次郎を無理に引立て、小脇にひん抱き、我が陣屋へ連れ歸り、また某はその日の軍に、搦め手の大將、無官の大夫敦盛の首討つて、比類なき功名せり。
相模
エヽ。
[唄]
[utaChushin ]話にさてはと驚ろく相模、後に聞きゐる御臺所。
[ト書]
ト相模恟り思ひ入れ。此以前より藤の方後に窺ひゐてこの時懷劍を拔き、
藤の
我が子の敵、熊谷覺悟。
[唄]
[utaChushin ]熊谷覺悟と尽掛くるを、しつかと押へて。
[ト書]
ト藤の方、突いてかゝるを直實懷劍を扇にて打ち落し藤の方を引付けて
直實
ヤア、敵呼はり、何奴なるぞ。
[唄]
[utaChushin ]引寄するを女房取付き。
相模
アヽモシ、聊爾なされな。あなたは藤のお局さま。
[唄]
[utaChushin ]聞くより直實びつくりし。
直實
ナニ、藤の局とや。
[ト書]
ト思ひ入れあつて、直實、藤の方を引起し、顏を見て恟り思ひ入れ、
[直實]
ヤア、誠に藤の御方、思ひがけなき御對面。
[唄]
[utaChushin ]飛び退き敬ひ奉れば。
[ト書]
ト直實思ひ入れあつて、藤の方の手を持ち、上座へ直し、直實下手へ來て、懷劍を袖にて拭ひ、持ちかへて差出し、平伏する。
藤の
コリヤ熊谷、如何に軍の習ひぢやとて、年端も行かぬ若武者を、よう酷たらしう首討つたなア。サア、約束ぢや、相模、助太刀して夫を討たしや。
相模
サア、その儀は。
藤の
最前云ひしは僞りか。
相模
さうではなけれど、
藤の
そんなら討たしや。
相模
サア。
藤の
サア。
兩人
サア/\/\。
藤の
ナヽなんと。
[唄]
[utaChushin ]なんと/\と刀押取り、せりつけ給へば。
相模
アイ。
[唄]
[utaChushin ]あいと返事も胸に迫り。
[相模]
コレ、直實どの、敦盛さまは院の御胤と知りながら、どう心得て討たしやんした。樣子があらう、その譯は。
[唄]
[utaChushin ]云ふも切なきオロ/\涙。
直實
ヤア、愚か/\、この度の戰ひ、敵と目指すは安徳君、それに隨ふ平家の一門、敦盛はさて置き誰れ彼れと、鎬を削るに容赦があらうか。
[ト書]
ト思ひ入れあつて
[直實]
イヤナニ藤の御方、戰場の儀は是非なしと、御諦め下さるべし。その日の軍のあらましと、敦盛卿を討つたる次第、お物語り仕らん。
[唄]
[utaChushin ]物語らんと座を構へ。
[直實]
さても去ぬる六日の夜、はや東雲と明くる頃、一二を爭ひ拔駈けの、平山熊谷討取れと、切つて出でたる平家の軍勢。
[唄]
[utaChushin ]中に一際勝れし緋縅。
[直實]
さしもの平山あしらひかね。
[唄]
[utaChushin ]濱邊を指して逃げ出す。
[直實]
ハテ、健氣なる若武者や、逃げる敵に目なかけそ。熊谷これに扣へたり。返せ戻せ、オヽイ/\。
[唄]
[utaChushin ]扇をもつて打招けば、駒の頭を立て直し、浪の打ち物二打ち三打ち、いざや組まんと馬上ながらむんづと組み、兩馬が間にどうと落つ。
藤の
ヤヽ、なんと、その若武者を組み敷いてか。
直實
されば、御顏よく/\見奉れば、鐵漿黒々と細眉に、年はいざよふ我が子の年配、定めて兩親在まさんと、その嘆きは如何ばかりと、子を持つたる身の思ひの餘り。
[唄]
[utaChushin ]上帶取つて引起し、塵打拂ひ。
[直實]
はや落ち給へと。
相模
勸めさしやんしたか。そんなら討ち奉る、お心ではなかつたの。
直實
サア、はや落ち給へと勸むれど、一旦敵に組み敷かれ、なに面目に長らへん。はや首取れよ熊谷と。
藤の
ナニ首取れと云うたかいの。健氣な事を云やつたなう。
直實
サア、その仰せにいとゞ猶、涙は胸にせきあへず、まツこの通りに我が子の小次郎、敵に組まれて命や捨てん、淺ましきは武士の、習ひと太刀も拔き兼ねしに。
[唄]
[utaChushin ]逃げ去つたる平山が、後の山より聲高く。
[直實]
熊谷こそ敦盛を、組み敷きながら助くるは、二心に極まりしと。
[唄]
[utaChushin ]呼はる聲々。
[直實]
エヽ、是非もなや、仰せ置かるゝ事あらば、傳へ參らせんと申し上ぐれば。
[唄]
[utaChushin ]御涙を浮め給ひ。
[直實]
父は波濤へ赴むき給ひ、心にかゝるは母人の事。昨日に變る雲井の空、定めなき世の中を、如何過ぎ行き給ふらん、未來の迷ひこれ一つ、熊谷頼むの御一言、是非に及ばず御首を、討ち奉つてござりまする。
[唄]
[utaChushin ]話すうちより藤の局。
藤の
ナウ、さほど母をば思ふなら經盛どのゝ詞につき、なぜ都へは身を隱さず。
[唄]
[utaChushin ]一の谷へは向ひしぞ。
[藤の]
健氣に云うたその時は、母もとも%\喜んで、勸めて遣りしが可哀やなア。
[唄]
[utaChushin ]覺悟の上も今更に、胸も迫りて悲しやと、口説き嘆かせ給ふにぞ、御尤もとは思へども、相模はわざと聲勵まし。
相模
イヤ申しお局樣、御一門殘らず八島の浦へ、落ち給ふ中へ踏み止まり、討死なされた敦盛さま、數萬騎に勝れたる功名。但し逃げ延び身を隱し、人の笑ひを受け給ふが、あなたのお氣では嬉しいか。御未練な、御卑怯でござりませうが。
[唄]
[utaChushin ]諌めに熊谷。
直實
オヽ、出來した/\。コリヤ女房、御臺所この所に御座あつてはお爲にならず、片時も早く何方へも御供せよ。サア、早く行け/\。我れも敦盛卿の首、實檢に供へん。軍次は居らぬか。早參れ。
[唄]
[utaChushin ]呼はる聲と諸ともに、一間へこそは入相の。
[ト書]
ト直實思ひ入れあつて奧へ入る。
[唄]
[utaChushin ]日も早西に暮合ひ頃、陣屋々々の灯火に、いとゞ悲しさ藤の方。
[ト書]
ト時の鐘。
藤の
アヽ、思ひ出せば不便やなア。臨終の際も肌身離さず、持つたるはこの青葉の笛。我れと我が身の石塔を、建てゝもらうた價にと、渡し置いたるこの笛の、我が手に入りしも親子の縁。
[ト書]
ト藤の方、懷より袱紗包みの誂らへの笛を出し、思ひ入れ。
[唄]
[utaChushin ]魂魄この世にあるならば。
[藤の]
何ゆゑ母には見えぬぞ。
[唄]
[utaChushin ]聞えぬ我が子や。
[藤の]
懷しのこの笛や。
[唄]
[utaChushin ]肌身に着け身に添へて、盡せぬ思ひ遣る瀬なや。
[ト書]
ト笛を持ち、いろ/\愁ひの思ひ入れ。
相模
コレ申し、その笛がよいお形見。經陀羅尼より笛の音を、お手向けなさるが直ぐに追善。敦盛さまのお聲をば、聞くと思うて遊ばしませ。
[唄]
[utaChushin ]勸めに隨ひ藤の方、涙にしめす歌口も、親子の縁の纜にや、障子に映る陽炎の、姿は慥か敦盛卿、藤の方一目見るより。
[ト書]
ト藤の方、後向きになり、右の笛を吹く。寢鳥になる。上の方、障子屋體の内より敦盛の姿障子に映る。兩人見て
[相模]
ヤヽ、障子に映るあの影は、
藤の
慥かに我が子、懷かしや敦盛。
[唄]
[utaChushin ]駈け寄り給ふを相模は押留め。
[ト書]
ト藤の方を相模止めて、
相模
香の煙りに姿を顯はし、實方は死して再び都へ還りしも、一念のなす所、あるまい事にはあらねども、訝かしき障子の影。殊に親子は一世と申せば、御對面遊ばさば、お姿は消え失せん。
藤の
イヤ、四十九日がその間、魂ひ宙宇に迷ふと聞く。せめては逢うて只一言。
[唄]
[utaChushin ]振り放し/\、障子はらりと明け給へば、姿は見えず緋縅の、鎧ばかりぞ殘りける。
[ト書]
ト藤の方、相模の留めるを振り切り、上の屋體の障子を明ける。内には鎧櫃の上に緋縅の鎧兜飾りある。兩人見て恟り。
[唄]
[utaChushin ]はつとばかりに藤の方、相模も共に取付いて。
藤の
さては鎧の影なりしか。
相模
戀しと思ふ心から、お姿と見えましたか。
藤の
相模。
相模
お局樣。
兩人
ハア。
[唄]
[utaChushin ]共に焦れて正體も、なき口説くこそ哀れなれ、時刻移ると次郎直實、首桶携へ立出づれば、相模は夫の袂を扣へ。
[ト書]
ト藤の方、相模、泣き落し愁ひのこなし。此うち奧より直實好みの形にて首桶を抱へて出る。相模これを見てこなしあつて
相模
コレ申し熊谷どの、これが親子の御一生のお別れ、せめてお首になりともお暇乞ひを。
[唄]
[utaChushin ]藤の局も涙ながら。
藤の
ナウ熊谷、其方も子のある身ではないか。野山に猛き獸さへ、子を悲しまぬはなきものを、親の思ひを辨まへて、情に一目見せてたも。
[唄]
[utaChushin ]縋り嘆かせ給へども。
直實
イヤ、實檢に供へぬうち、内見は叶ひませぬぞ。
[唄]
[utaChushin ]刎ねのけ突退け行く所に、後の方に聲あつて。
[ト書]
ト直實の袖を兩人見て縋るを、直實振り切り行かんとする。この時奧にて
義經
ヤア/\熊谷、敦盛の首持參に及ばず、義經これにて實檢せん。
[唄]
[utaChushin ]一間をさつと押開き、立出で給ふ御大將。
[ト書]
ト此うち上の屋體の障子引拔き、内に義經、誂らへの緋縅の鎧、陣立て好みの拵らへ、この上に狩衣を着て、太刀を佩き、金烏帽子を冠り、中啓を持ちゐる。左右に陣立ての拵らへの武者二人附添ひゐる。
直實
ハヽハツ。
[唄]
[utaChushin ]はつとばかりに次郎直實、思ひ寄らねば女房も、藤の局も諸共に、呆れながらに平伏す、義經席に着き給ひ。
[ト書]
トこれにて直實二重下手に住ふ。相模は藤の局を連れ、平舞臺の上の方に扣へゐる。此うち武者、敷皮を敷き床几を直す。これにて義經、上の方に住ふ。
義經
ヤア直實、首實檢延引といひ、軍中にて暇を頼む汝が心底訝がしく、密かに來つて最前より、始終の樣子は奧にて聞く。急ぎ敦盛の首、實檢せん。
[唄]
[utaChushin ]仰せを聞くより熊谷は、はつと答へて走り出で、若木の櫻に立てかけありし、制札引拔き恐れ氣なく、義經の御前に差置き。
[ト書]
ト直實、下手の櫻の前に建てし制札を引拔き、義經の前へ首桶を一緒に差出し、思ひ入れあつて
直實
先つ頃堀川の御所にて、六彌太には忠度の陣所へ向へと花に短册、この熊谷には敦盛が首取れよと、辨慶執筆のこの制札、即ち札の面の如く、御諚に任せ、敦盛の首打取つたり。御實檢下さるべし。
[唄]
[utaChushin ]蓋押明くれは。
[ト書]
ト直實、首桶の蓋を明ける。誂らへの首を相模見て
相模
ヤア、その首は。
[唄]
[utaChushin ]駈け寄る女房を取つて引寄せ、御臺は我が子を心も空、立寄り給へば首を覆ひ。
[ト書]
ト相模、首桶の側へ寄るを、直實矢庭に引付け押へる。藤の方、見ようとするを扇にて首を覆ひ
直實
イヤサ、實檢に供へし後は、お目にかけるこの首。お騷ぎあるな。
[唄]
[utaChushin ]熊谷に諌められ、流石女のはしたなう、寄るも寄られず悲しさの、千々に碎くる物思ひ、次郎直實謹んで。
[ト書]
ト此うち相模を突き放し、藤の方へ呑み込ませる思ひ入れ。
[直實]
敦盛卿は院の御胤、此花江南の所無は即ち南面の嫩、一枝を切らば一指を切るべしと、花によそへし制札の面、察し申して討つたるこの首、御賢慮に叶ひしか。但し直實誤まりしか。御批判如何に。
[唄]
[utaChushin ]と言上す、義經欣然と實檢在し。
[ト書]
ト直實首を差出す。義經、思ひ入れあつて中啓を開き、骨の間よりよく見てこなし。
義經
ホヽウ、花を惜しむ義經が心を察し、よくも討つたり直實。敦盛に紛れなきその首級。ソレ、由縁の人もあるべし。見せて名殘りを惜しませよ。
[唄]
[utaChushin ]仰せに直實。
直實
コリヤ女房、敦盛の首、藤の方へお目にかけよ。
相模
アイ。
[唄]
[utaChushin ]あいとばかりに女房は、敢へなき首を手に取上げ、見るも涙に塞がりて、替る我が子の死顏に、胸はせきあげ身も顫はれ、持つたる首の搖ぐのを、うなづくやうに思はれて。
[相模]
門出の時に振り返り、につこと笑うた面差が、あると思へば可哀さ不便さ。
[唄]
[utaChushin ]聲さへ咽喉に詰まらせて。
[相模]
申し藤の方さま、お嘆きあつた敦盛さまのこの首。
[ト書]
ト相模、首を藤の方に見せる。藤の方見て恟り。
藤の
ヤヽ、これは。
相模
サイナア、コレ申し、よう御覽遊ばして、お恨み晴らし、よい首ぢやと褒めておやりなされて下さりませ。この首はナ、わたしがお館で忍び逢ひ、懷胎ながら東へ下り、産み落せしはコレこの敦盛さま、その節あなたも御懷胎、誕生ありし其お子が、無官の太夫敦盛さま。兩方ながらお腹に持ち。
[唄]
[utaChushin ]國を隔てゝ十六年、音信不通の主從が、お役に立つたも因果かいなア。
[相模]
せめて最期は潔う。
[唄]
[utaChushin ]死になされたかと恨めしげに、問へど夫は瞬きも、せん方涙御前を恐れ、餘所に云ひなす詞さへ、泣く音血を吐く思ひなり、藤の方は御聲曇り。
藤の
ナウ相模、今の今まで我が子ぞと、思ひの外な熊谷の情。其方はさぞや悲しからう。斯うした事とは露知らず、敵を取らうの切らうのと、云うた詞が耻かしい。我が子の爲には命の親。エヽ、忝ないぞや。これにつけても訝かしきはこの濱の石塔。敦盛の幽靈が建てさせたとの噂といひ、祕藏せし青葉の笛、石屋の娘が貰ひしとて我が手へ入り、最前その笛吹いた時、あの障子に映りし影は、慥かに我が子と思ひしが、詞も交さず消え失せしは。
義經
イヤ、その笛の音を聞いて駈け出せし敦盛の幽靈、人目ありと引止め、障子越しの面影は、この義經が志し。
[唄]
[utaChushin ]聞いて御臺は我が子の無事、悟りながらも箒木の、ありとは見えて隔てられ、又も涙に暮れ給ふ。折節風に誘はれて、耳を貫く法螺貝の、音かまびすしく聞ゆれば、義經は勇み立ち。
[ト書]
トこの時、遠寄せを打込み、義經立ち上がりキツとなつて
[義經]
ヤア/\熊谷、着到知らせの法螺の音。急ぎ出陣の用意用意。
直實
ハヽハツ。
[唄]
[utaChushin ]仰せに熊谷畏り、急ぎ一間へ入りにけり。
[ト書]
ト直實思ひ入れあつて奧へ入る。
[唄]
[utaChushin ]最前より樣子聞きゐる梶原平次、一間の内より踊り出で。
[ト書]
ト此うち上の方より以前の景高出で來り
景高
聞いた/\。斯くあらんと思ひしゆゑ、石屋めが詮議に事寄せ窺ふところ、義經熊谷心を合せ、敦盛を助けし段々、鎌倉へ注進する。待つて居れ。
[唄]
[utaChushin ]云ひ捨て駈出す後より、發矢と打つたる手裏劍は、骨を貫く鋼鐵の石鑿。うんとばかりに息絶ゆる。
[ト書]
ト景高、花道へ走り行く。よき程に上の方にエイと聲する。これにて石鑿、景高に立つ。景高苦しみ倒れる。
相模
これは。
[唄]
[utaChushin ]すは何者と云ふうちに立出づる。
[ト書]
ト上の方、柴垣を押分け、彌陀六、出て向うを見て思ひ入れ。
[唄]
[utaChushin ]石屋の親仁。
[ト書]
ト彌陀六、氣を替へ、柴垣の影より腰を曲げ出て來り
彌陀
お前方の邪魔になる、石こつぱを捨てゝ上げました。
[ト書]
ト思ひ入れあつて
[彌陀]
さて幽靈の御講釋、承はつて先づは安堵、御用もござりませねば、もうお暇申しませう。
[唄]
[utaChushin ]もうお暇と立ち行くを。
[ト書]
ト彌陀六、花道中程まで行くと、義經見て
義經
親仁待て。
彌陀
ヘイ、御用でござりますか。
[ト書]
ト舞臺へ戻り、下の方へ扣へる。
義經
其方が名は。
彌陀
ヘイ。
侍ひ
申し上げい。
彌陀
御影の里に年久しう住む、白毫の彌陀六といふ、親仁めでござりまする。
義經
ムウ。用事はない。立て/\。
彌陀
有り難う存じまする。
[ト書]
ト彌陀六、花道へ行く。義經こなしあつて
義經
彌平兵衞宗清待て。
[ト書]
ト彌陀六これに構はず行きかける。義經、陣扇にて侍ひへ思ひ入れ。侍ひ兩人は呑み込み、ツカ/\と來り、彌陀六を中に挾み、キツとなつて
侍ひ
君の上意。
兩人
下に居らう。
[ト書]
ト兩人にて彌陀六の手を取り引据ゑる。
彌六
これは又とつけもない。この彌陀六を、なんとなされます。
[ト書]
ト義經、思ひ入れあつて
義經
ホヽウ、誠や諺にも、至つて憎いと悲しいと嬉しいのこの三つは、人間一生忘れずといふ。その昔母常磐の懷に抱かれ、伏見の里にて雪に凍へしを、汝が情を以って親子四人、助かりしその嬉しさ。その時は我れ三歳なれども、面影は目先に殘り、見覺えのある眉間の黒子、隱しても隱されまじ。重盛卒去のその後は、行くへ知れずと聞きつるが、ハテ、堅固でありしか。滿足々々。
[唄]
[utaChushin ]星をさしたる一言に。
彌陀
ハテ、恐ろしい眼力ぢやなア。
[唄]
[utaChushin ]支ゆる軍兵刎ね退け/\、ツカ/\と立寄り義經の顏、穴の明くほど打眺め。
[ト書]
ト彌陀六は軍兵を左右へ刎ね退け、ツカ/\と舞臺へ來り、階段へ足を踏み掛け、義經をキツと見て、其ままドツカと座し
[彌陀]
老子は生れながらに敏く、莊子は三歳にしてよく人相を知ると聞きしが、斯く彌平兵衞宗清と見られた上からは、エヽ義經どの、その時こなたを見遁がさずば、いま平家の立籠る、鐵拐ケ峯鵯越を、攻め落す大將はあるまいあるまい。また池殿と云ひ合せ、頼朝を助けずば、平家は今に榮えんもの。エヽ、宗清が一生の不覺。これにつけても小松どの、御臨終の折から、平家の運命末危ふし、汝武門を遁がれ、身を隱し、一門の跡弔へと、唐土育王山へ祠堂金と僞はり、三千兩の黄金と、忘れ形見の姫君一人預かり、御影の里へ身退き、平家の一門、先立ち給ふ御方々の石碑、播州一國那智高野、近國他國に建て置きし、施主の知れざる石塔は、皆彌平兵衞宗清が、涙の種と御存じ知らずや。今度敦盛の石塔誂らへに見えし時も、御幼少にてお別れ申せしゆゑ、お顏はしかと見覺えねども、心得ぬ風俗は、慥かに平家の御公達ならんと思ふより、快く請合ひしが、さては命に替りし小次郎が、菩提の爲にてありけるか。エヽ、如何に天命歸すればとて、我が助けし頼朝義經、この兩人が軍配にて、平家の一門御公達、一時に亡ぶるとは、ハアヽ。
[唄]
[utaChushin ]是非もなき運命やな。
[彌陀]
平家の爲には、獅子身中の蟲とは我が事。さぞや御一門陪臣の魂魄、我れを恨みん、淺ましやなア。
[唄]
[utaChushin ]或ひは悔み或ひは怒り、涙は瀧を爭へり、元より敏き大將義經。
義經
ヤア/\熊谷、申し付けた品、これへ持て。
直實
ハアヽ。
[唄]
[utaChushin ]はつと答へて次郎直實、出陣の扮裝と、好む所の大あらめ、鍬形の兜を着し、家來に持たせし鎧櫃、御目通りに直し置き。
[ト書]
ト此うち直實、甲冑好みの拵らへにて出て來り、上の方より侍ひ二人、鎧櫃を持ち出て、眞中に置いて入る。
[直實]
御諚の品、持參仕つてござりまする。
義經
コリヤ親仁、其方が大切に育てる娘へ、この鎧櫃を屆けてくれよ。コリヤ彌陀六。
彌陀
ナニ、彌陀六とは。
義經
宗清なれば平家の餘類、源氏の大將が頼むべき謂れなし。
彌陀
面白い。彌陀六めが頼まれて進ぜませう。シタガ、娘へは不相應な下され物。マア、内は何でござりまする。改めて見ませう。
[唄]
[utaChushin ]蓋押明くれば敦盛卿。
[ト書]
ト彌陀六、何心なく鎧櫃の蓋を明ける。中より敦盛の吹替出かける。藤の方、見て恟り。彌陀六も恟り。
藤の
ヤア、其方は敦盛。
[唄]
[utaChushin ]駈寄り給へば蓋ぴつしやり。
[ト書]
ト寄らうとする。彌陀六、蓋を締め
彌陀
イヤ、この内には何にもない。オヽ、何もない/\。これでちつとは蟲が落ちついた。ムヽハヽヽヽヽ。
[ト書]
ト思ひ入れあつて
[彌陀]
コレ、直實どの、貴殿へのお禮は、コレ/\この制札、一枝を切らば一指を切つて。エヽ、忝ない。
[唄]
[utaChushin ]云ふに相模は夫に向ひ。
相模
アヽコレ、我が子の死んだも忠義と聞けば、もう諦めてゐながらも、源平と別れし中、どうしてマア敦盛さまと、小次郎と取替やうが。
直實
ハテ、最前も話した通り、手負ひと僞はり、無理に小脇に引ツ挾み、連れ歸つたが敦盛卿、また平山を追ひ駈け出たを、呼び返して、首打つたが小次郎サ。知れた事を。
[唄]
[utaChushin ]尖りなる、話に相模は咽び入り。
相模
エヽ、胴慾な熊谷どの、こなた一人の子かいなア。逢はう/\と樂しんで、百里二百里來たものを、とつくりと譯も云はず、首打つたが小次郎サ、知れた事と沒義道に、叱るばかりが手柄でも。
[唄]
[utaChushin ]ござんすまいと聲を上げ、泣き口説くこそ道理なれ。心を汲んで御大將。
義經
ヤア熊谷、西國出陣の時移る。用意は如何に。
直實
ハツ、恐れながら先達て、願ひ上げし暇の一件、斯くの通りにござりまする。
[唄]
[utaChushin ]兜を取れば、切り拂うたる有髮の僧、義經も感心し。
[ト書]
ト此うち熊谷、兜を脱ぎ、坊主鬘になる。義經見て
義經
ホヽウ、さもあらん。それ武士の功名譽を望むも、子孫に傳へん家の面目。その傳ふべき子を先立て、軍に立たん望みは。尤も/\。コリヤ熊谷、願ひに任せ、暇を得さするぞよ。汝堅固に出家を遂げ、父義朝や母常磐の、回向を頼む。
[唄]
[utaChushin ]と親しき御諚。
直實
ハヽハツ。
[唄]
[utaChushin ]有り難しと立ち上がり、上帶を引解き、鎧を脱げば袈裟白無垢、相模は見るより。
[ト書]
ト直實、上帶を解き鎧を脱ぐ。下に白無垢の着附け、墨の袈裟を掛けゐる。相模、思ひ入れあつて
相模
ヤア、これは。
直實
ヤア、何驚ろく女房。大將のお情にて、軍半ばに願ひの通り、御暇をば賜はりし我が本懷。熊谷が向ふは西方彌陀の國。忰小次郎が拔駈けしたる九品蓮臺。一つ蓮の縁を結び、今より我が名も、蓮生と改めん。一念彌陀佛即滅無量罪。十六年は一昔、アヽ、夢であつたなア。
[唄]
[utaChushin ]ほろりとこぼす涙の露、柊に置く初雪の、日影に融ける風情なり。
相模
我が子の罪障消滅の、加勢は共に。
[唄]
[utaChushin ]切つたる黒髮、詞はなくて御大將、藤の局も諸共に、御涙にぞ暮れ給ふ。
[ト書]
ト相模、懷劍にて髮を切りて出す。皆々愁ひの思ひ入れ。
[唄]
[utaChushin ]長居は無益と彌陀六は、鎧櫃に連尺を、かけた思案の締め括り。
[ト書]
ト鎧櫃へ連尺をかけ、彌陀六これを背負ひ、思ひ入れあつて、
彌陀
コレ/\/\義經どの、もし又敦盛生きかへり、平家の殘黨かり集め、恩を仇にて返さば如何に。
義經
オゝ、それこそは義經や、兄頼朝が助かりて、仇を報いしその如く、天運次第に恨みを受けん。
直實
實にその時はこの熊谷、浮世を捨てゝ不隨者と、源平兩家に由縁はなし。
[唄]
[utaChushin ]互ひに爭ふ修羅道の。
[直實]
苦患を助ける
[唄]
[utaChushin ]回向の役。
彌陀
この彌陀六は折を得て、また宗清と心の還俗。
直實
我れは心も墨染に、黒谷の法然を師と頼み、教へを受けん、君には益々御安泰。
[唄]
[utaChushin ]お暇申すと夫婦連れ、石屋は藤のお局を、伴ひ出づる陣屋の軒。
[ト書]
ト直實二重より下り、相模と共に下の方、彌陀六は藤の方を伴ひ上の方、義經二重眞中に立ち、皆々よろしく思ひ入れあつて
藤相
御縁があらば。
[唄]
[utaChushin ]と女子同士。
直彌
命があらば。
[唄]
[utaChushin ]と男同士。
義經
堅固で暮らせ。
[唄]
[utaChushin ]御上意に、有り難涙名殘りの涙、また思ひ出す小次郎が、首を手づから御大將。
[ト書]
ト義經、小次郎が切り首を持ち思ひ入れ。
[義經]
この須磨寺に取納め、末世末代敦盛と、その名は朽ちぬ黄金ざね。
彌陀
武藏坊が制札も
藤の
花を惜しめど花よりも
相模
惜しき子を捨て、武士を捨て
直實
住み所さへ定めなき
義經
有爲轉變の
皆々
世の中ぢやなア。
[唄]
[utaChushin ]互ひに見合はす顏と顏、さらば/\とおさらばの、聲も涙にかき曇り、別れてこそは出でゝ行く。
[ト書]
ト彌陀六と藤の方は上の方、熊谷相模と入れかはり、皆々よろしく引ツ張りの見得、段切れにて、
幕
一谷嫩軍記 (Ichinotani futaba gunki) | ||