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 戸川は両手を火鉢に かざ して、背中を円くして話すのである。

「そりゃあ独身生活というものは、大抵の人間には無難にし遂げにくいには違ない。僕の同期生に宮沢という男がいた。その男の卒業して直ぐの任地が 新発田 しばた だったのだ。御承知のような土地柄だろう。裁判所の 近処 きんじょ に、小さい借屋をして、下女を一人使っていた。同僚が妻を持てと勧めても、どうしても持たない。なぜだろう、なぜだろうと云ううちに、いつかあれは 吝嗇 りんしょく なのだということに まってしまったそうだ。僕は書生の時から知っていたが、吝嗇ではなかった。意地強く金を めようなどという風の男ではない。万事控目で踏み切ったことが出来ない。そこで判事試補の月給では妻子は養われないと、 一図 いちず に思っていたのだろう。土地が土地なので、丁度今夜のような雪の夜が幾日も幾日も続く。宮沢はひとり部屋に閉じ こも って本を読んでいる。下女は壁 一重 ひとえ 隔てた隣の部屋で縫物をしている。宮沢が あくび をする。下女が欠を み殺す。そういう風で大分の間過ぎたのだそうだ。そのうちある晩 風雪 ふぶき になって、雨戸の外では風の音がひゅうひゅうとして、庭に植えてある竹がおりおり ほうき で掃くように戸を る。十時頃に下女が茶を入れて持って来て、どうもひどい晩でございますねというような事を言って、暫くもじもじしていた。宮沢は自分が寂しくてたまらないので、下女もさぞ寂しかろうと思い って、どうだね、 はり 為事 しごと をこっちへ持って来ては、 おれ は構わないからと云ったそうだ。そうすると下女が喜んで縫物を持って来て、部屋の隅の方で小さくなって為事をし始めた。それからは下女が、もうお客様もございますまいねと云って、おりおり縫物を持って、宮沢の部屋へ来るようになったのだ。」

 富田は笑い出した。「戸川君。君は小説家だね。なかなか うま い。」

 戸川も笑って頭を掻いた。「いや。実は宮沢が後悔して、僕にあんまり くわ しく話したもんだから、僕の話もつい精しくなったのだ。跡は 端折 はしょ って話すよ。しかしも一つ具体的に話したい事がある。それはこうなのだ。下女がある晩、

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[1]お休なさとい云って、
隣の間へ引き下がってから、宮沢が寐られないでいると、壁を隔てて下女が溜息をしては寝返りをするのが聞える。暫く聞いていると、その溜息が段々大きくなって、苦痛のために 呻吟 しんぎん するというような風になったそうだ。そこで宮沢がつい、どうかしたのかいと云った。これだけ話してしまえば跡は本当に端折るよ。」

 富田は仰山な声をした。「おい。待ってくれ給え。ついでに跡も端折らないで話し給え。なかなか面白いから。」声を一倍大きくした。「おい。お竹さん。好く聞いて置くが いぜ。」

 始終にやにや笑っていた主人の大野が顔を しか めた。

 戸川は話し続けた。「どうも富田君は まぜ っ返すから困る。 かく それから下女が下女でなくなった。宮沢は直ぐに後悔した。職務が職務なのだから、発覚しては一大事だと思ったということは、僕にも察せられる。ところが、下女は今まで つつ ましくしていたのが、次第にお化粧をする、派手な着物を着る。なんとなく人の目に立つ。宮沢は気が気でない。とうとう下女の親 もと へ出掛けて行って、いずれ妻にするからと云って、 一旦 いったん 引き取らせて手当を遣っていた。そのうちにどうかしようと思ったが、親許が 真面目 まじめ なので、どうすることも出来ない。宮沢は随分窮してはいたのだが、ひと算段をしてでも金で手を切ろうとした。しかし親許では極まった手当の ほか のものはどうしても取らない。それが しん から欲しくないのだから、手が附けられない。とうとうその下女を妻にして、今でもそのままになっている。今は東京で立派にしているのだが、なんにしろ教育の無い女の事だから、宮沢は何かに附けて困っているよ。」

 富田は意地きたなげに、酒をちびちび飲みながら冷かした。「もうおしまいか。竜頭蛇尾だね。そんな話なら、誉めなけりゃあ好かった。」