University of Virginia Library

    人物

  • ナルカミ(鳴神)
  • クモノタエマ(雲の絶間)(じつは、里の女)
  • ハクウンボウ(白雲坊)
  • コクウンボウ(黒雲坊)
鳴神の修業場。ふかい山のなか。
高い岩の上に、経机、その他。
大きな滝つぼ。そのまえに、太いしめなわを張る。
白雲

きいたか? きいたか?


黒雲

きいたぞ。きいたぞ。


白雲

きいたか? きいたか?


黒雲

きいたぞ。きいたぞ。


白雲

これ、これ。黒雲坊。おまえは、「きいたぞ、きいたぞ」といっているが、いっ たい、何を聞いたというのだ?


黒雲

うしろの山で、うぐいすが鳴くのを聞いた。


白雲

たわけめ。師の坊、鳴神上人のこんどの行法を、百姓を始めとして、しゃばの人 間どもが、ひどくうらんでいるという話を聞いたかというのだ。


黒雲

それは、うらむのがとうぜんだ。師の坊は、日本中の雨の神を、あの滝つぼへ封 じこめて、雨はおろか、一しづくの水さえなく、ほしあがらせようとしているのだ。


白雲

そこで、作物は枯れる。飢え死にはする。上を下への大さわぎだ。


黒雲

いったい、何のために、師の坊は、こんな前代未聞の行法を思いつかれたか?


白雲

それだ、それだ。日本中の人間が、とんと、信心がなくなって、寺も社も、くも のすだらけ。そこで、師の坊は、ことごとく腹を立てて、このしまつだ。


黒雲

だから、いつまでたっても、雨がふらず、川も井戸もかれはてて、國中が青菜に しお。


白雲

だが、おれたちは、師の坊のおかげで、水ものめる、酒ものめる。酒は、ちゃー んと、くらにある。


黒雲

なに? くらだ? どのくらだ?


白雲

それ。このくらだ。またぐらだ。


(酒だるをだす。)
黒雲

こいつ、なかなか、腕がある。そんなことだろうと思って、おれも、盃を持って きた。


(盃を出す。)
白雲

それはよく氣がついた。では、まづ、おれが毒見をしよう。


黒雲

おれが盃を持っているから、おれにつげ。


白雲

何をいう? おれにつげ。


黒雲

こいつ、いうことを聞かないか?


(打つ。)
白雲

あいた!


(幕あがる。)
黒雲

幕があいた!


白雲

あいた!


二人

あいた。あいた。


(幕あく。口上、出る。)
口上

 高うござりまするが、歌舞伎の古きならわしに從いまして、ふべんぜつなる口 上なもって、申しあげたてまつりまする。さて、このたびごらんに入れまする、「鳴 神」の儀にござりまするが、この狂言は、歌舞伎狂言の中におきましても、最も古き ものにござりまして、「しばらく」「矢の根」「鎌ひげ」「スケロク」「勧進帳」な どとともに、イチカワ家「歌舞伎十八番」の中に取り入れられましたるものにござり まする。

 初めて、上演いたしましたるは、今よりちょうど、二六五年前、ジョウキョウ 一年二月、エド、アサクサ、ナカムラ座におきまして、元祖イチカワ・ダンジュウロ ウの手により、「門松四天王」の題名のもとに、上演いたしましたるものにござりま する。そののち、カンポ二年一月、オウサカ、サドシマ座におきまして、「鳴神不動 北山櫻」の題名にて、二代目イチカワ・ダンジュウロウが上演いたしましたるさいは、 一月より七月まで、大入り客どめにて、うちつづけましたるものにござりまする。

 かかる名狂言も、カエイ年間、八代目イチカワ・ダンジュウロウいらい、久し く、打ちたえておりましたるところ、メイジ四十三年五月、メイジザにおきまして、 故人、イチカワ・サダンジ一座により、六十年ぶりに、復活いたしましたるものにご ざりまする。そののち、ショウワ十二年六月、当前進座、シンバシ演舞場において、 取りあげましていらい、たびたび上演つかまつりまして、ただいまにては、前進座十 八番のようにも相なっておりまするしだいにござりまする。さて、このたび、上演に あたりましては、取りわけ、古式にのっとりまして、根元歌舞伎のおもかげをつたえ まするため、諸事おうまかに相つとめまする儀にござります。

 さて、右よう、配役の儀は、鳴神上人、河原崎長十郎、雲の絶間(じつは里の 女)河原崎國太郎、白雲坊、瀬川菊之丞、黒雲坊、中村公三郎、大ざつま、杵屋佐之 助社中にて、まづは、このところ、「歌舞伎十八番鳴神」のはじまりにござりますれ ば、なにとぞ、日頃ごひいきのよけいを持ちまして、おうように御見物のほど、すみ からすみまで、ずういと、こい願いあげたてまつります。


(口上、入る。)
大ざつま

{utaChushin] さるほどに、鳴神上人は、 雲の行ききも空ちかき、人跡とだえし岩上に、國土の雨をとじこむる、修業に余 念なかりける。

{utaChushin] 峰をあおげば千丈の、雲より落つる滝の水、風か、しぶきか、さ さなきの鳥の音さえも、世を去りし、もしや、夫のこわねかと。


(絶間、出る。滝つぼのまえに立つ。白雲、黒雲、いねむりをしている。)
絶間

なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。


鳴神

一鳥ないて、山、さらにかすかなり。人跡まれなるこの滝つぼに、念佛のきこえ るは、はて心えぬ。両僧。だじゃく千万。なぜ眠る?


白雲

いえ。わたしは眠りは致しませぬ。あの坊主が眠りました。


黒雲

いえ。わたしは眠りは致しませぬ。あの坊主が眠りました。


白雲

おまえが眠った。


黒雲

おまえが眠った。


鳴神

こりゃ。


二人

はい。


鳴神

眠らぬが眞なら、今のを聞いたか?


二人

え!


鳴神

鳥も通わぬ山なかに、さも悲しげなあの念佛。妖怪のたぐいか? あるいは、ゆ うれいか? 


二人

ええ!


鳴神

両僧。滝つぼへ行って、見とどけてこい。


二人

ええ!


鳴神

行かぬか!


二人

かしこまりました。


(二人、さし足にて、滝つぼへ行き、絶間の顏を見て、肝をつぶす。)
白雲

はて。みごとなものだ。


黒雲

あんな美しいものを見たことがない。


白雲

無類、極上、飛び切りだ。あれは、何だろう?


黒雲

ありゃ、女だ。


白雲

女は知れている。ただの女ではない。オノノコマチのゆうれいかしらん?


黒雲

いや、いや、ありゃ天人だ。


白雲

天人という証拠は?


黒雲

それ。美しい小袖を肩にかけているだろう。あれが、羽衣だ。師の坊の行力で、 日本中に水がなくなったので、羽衣を、せんたくにきたのだ。


鳴神

何をばかな! よし、よし。愚僧が見とどける。これ。


絶間

あい。わたしかえ?


鳴神

いかにも、そなただ。人里遠き山奧へ、女の身でただひとり、そもそも、そなた は何人だ?


絶間

これは、みやこのおなごで、雲の絶間と申すものでござんす。二世をちぎりしわ がつまに別れまして、このありさま。


鳴神

夫に別れたというか?


絶間

あい。


鳴神

生き別れか?


二人

死に別れか?


絶間

しかも、きょうが、なななのか。


鳴神

四十九日か?


絶間

あい。


鳴神

なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。


絶間

形見こそ、今は、あだなるこの小袖、浮世のあかをすすがんにも、うちつづく日 でりにて、井の水さえもかわくなかに、この滝のみは、絶ゆることなく落ちると聞き、 おなごの身のふみなれぬ、山路はるばるまいりました。


鳴神

さて、さて、あわれなものがたり。それほどまでに、世を去りし夫をしのぶ心ざ し。殊勝しごく。


絶間

ごすいりょうなされてくださりませ。


鳴神

それほどのあいだならば、世にありし頃は、さぞ仲がよかったであろうの?


絶間

仲の良いだんかいなあ。いいかわしたる明けくれは、思いおこすも、おもはゆい。


鳴神

ぼんのうそくぼだい。えこうのために、その話が聞きたいものだ。


絶間

つもる思いのかずかずを、何とお話し申そうやら。


鳴神

ここへこい。ここへこい。


絶間

行っても、だいじないかえ?


鳴神

だいじない。さあ、ここへ。


絶間

それなら、おそばへまいりましょう。


(行こうとする。)
白雲

こりゃ。ならん。ならん。ずんとならん。


黒雲

そうだ。そうだ。この壇の上へ女を入れたら、行法の、そろばんが合わぬ。


白雲

なむぱちぱち、算用ソワカー。


黒雲

ちーん。ちーん。


絶間

あれ。あのようにいうてでござんす。


鳴神

なるほど。こりゃ、弟子どものいうが、もっとも。そこで話せ。


絶間

あい。お話し申すも恥かしながら、その殿ごとのなれそめは。


長唄

{utaChushin] 去年の春の櫻がり。空もうきたつ花の雲。


絶間

ふと氣がついたら、見しらぬ殿ごが、わたしの幕のうちを、のぞいていさんす。 そのけだかさ。かわゆらしさ。わたしのほうから。


黒雲

いとしうなったか?


絶間

ちりけもとから。


白雲

ぞっとしたか?


絶間

殿ごのほうでも、じっと、わたしを。


白雲

見るようで。


絶間

見ぬようで。


黒雲

見ぬようで。


絶間

見るようで。


白雲

それでは、やぶにらみだ。


絶間

すると、殿ごが一首の歌をよまんした。


白雲

して、その歌は?


絶間

「見ずもあらず、見もせぬ人の恋いしきは」。ああ、何とやらいう下の句でござ んした。


白雲

それを忘れるということがあるものか。


絶間

「見ずもあらず」


白雲

「見もせぬ人の」


二人

「恋しきは。」


鳴神

「あやなく、きょうや、眺めくらさん」という下の句ではなかったか?


絶間

ほんにそうでござんした。


鳴神

してして、どうだ?


絶間

それから、もちゃもちゃと。


二人

もちゃもちゃと。


絶間

つい、そのお方のお名を聞きとうなったと思わんせ。


二人

いったか? いったか?


絶間

いわんせぬわいなあ。「サガ野の奧の片ほとり」と、たったひとこと。


黒雲

あとを聞かぬということがあるものか?


絶間

長いようでも、春のくれ。入りあいの鐘に、花ぞちりじり。どうもならぬによっ て、その夜たったひとり、サガ野の奧までいたわいなあ。


黒雲

行ったか? 行ったか?


白雲

きついわ。きついわ。


絶間

ほんに、西やら東やら、路さえ知らぬ野のすえを、山のあなたへ。


白雲

おりつ。


絶間

あがりつ。


黒雲

あがりつ。


絶間

おりつ。


白雲

これじゃ、エレベーターだ。


絶間

ようよう來たれば、おう、しんき。大きな川があったと思わんせ。


黒雲

大きな川なら、オウイ川か?


白雲

スミダ川か?


絶間

舟はなし。橋はなし。やみをさいわい、女子の身のあられもない、裾をからげて。


白雲

まくったか? まくったか?


絶間

ぐっとまくって。


二人

その川になりたかった。


絶間

ぞんぶり。


白雲

ぞんぶり。


絶間

ぞんぶり。


黒雲

ぞんぶり。


絶間

とうとう、殿ごのいおりへついたわいの。


二人

ついたか? ついたか?


絶間

すると、殿ごは、「やれ、おじゃったか」と、すぐに、手を取って、ひき入れさ んした。


二人

みょうほうれんげきょう。


絶間

それから、つもるものがたり。


二人

だきついたか? だきついたか?


絶間

なんのことのう、だきついたわいな。


二人

こりゃ、たまらぬ。


絶間

たわむれがすぎて、つい、くぜつになったと思わんせ。


白雲

くぜつとは?


絶間

ええ、おかしゃんせ、おくまいが、つめるぞえ、たたくぞよ、たたいてみや、た たかいではと。


(よってきた両僧の頭を打つ。)
二人

かんにん。かんにん。


絶間

わしゃ、もう、いぬ、いなすことはならぬ、いなにゃおかぬと、ずっと立ったら、 その袖を。


鳴神

してして、どうだ?


絶間

いなさぬ、いぬる、いぬる、いなさぬ、ひかえるたもと、ふりきるひょうし。


(鳴神、聞きほれて、壇上から落ちて、氣を失う。)
白雲

ひゃあ! おししょうさまが落っこちた。


黒雲

おししょうさまが目をまわした。


白雲

おししょうさま!


黒雲

おししょうさま!


絶間

上人さま。


(絶間、滝の水を手にすくうて、口にふくみ、口うつしに、水をのます。鳴 神、氣がつく。)
二人

やあ、うれしや! お氣がついたぞ。


絶間

上人さま。お心がつきましたかえ?


鳴神

はて、さて。沙門にあるまじい。女の話に聞きほれて、壇上より、すべり落ち、 性根を失うそのうちに、ひとしづくの水、口に入るとおぼえて、たちまち、心もさわ やかになった。


白雲

ええ。そのはずでござります。このお女中が、滝の水を。


黒雲

口うつしに、あなたのお口へ。


二人

入れたのでござります。


鳴神

そんなら、水を飮ましたのも。


絶間

あい。


鳴神

胸をさすってくれたのも。


絶間

わたしでござんす。


鳴神

(突然、つきのける。)
両僧。ゆだんすな。


二人

はあ。


鳴神

やあ、いぶかしきこの女。八宗二教のおうぎをきわめ、かいだいむそうの鳴神の、 その通力を破らんため、すがたをかえて來たりしよな。ただちに、正体あらわさずば、 まっぷたつに引きさくが、女、返答は、何と、何と?


絶間

思いもよらぬおうたがい。あなたのお弟子になりたいと、思う心も水の泡。しょ せん、生きても、せんない身。さいわいの、あの滝つぼ。なむあみだぶつ。


(滝のほうへ行く。)
鳴神

あれ、とめい。


二人

これ、まて。まて。


絶間

いえ、いえ。はなして。殺してくださりませ。


鳴神

はて、さて、たんきな。死んでは、ぼだいのためにならぬ。


絶間

でも、生きていて。


鳴神

尼になれ。出家になれ。


絶間

ええ! 


鳴神

鳴神がかみそりあてて、みほとけの弟子にしてやろう。


絶間

あの、おまえのお弟子にしてくださりますかえ?


鳴神

おいのう。


絶間

ほんにかえ?


鳴神

出家が、うそをいうものか。


絶間

はあ。ありがとうござります。


二人

ああ。これで、落ちついた。


鳴神

こりゃ、両僧。ふもとへくだり、かみそりを取ってこい。


二人

はい。


白雲

黒雲。おししょうさまのいいつけだ。早くかみそりを取ってこい。


黒雲

えい。人づかいの荒い坊主め。おまえが行け。


白雲

おまえが行け。


鳴神

早く行かぬか!


二人

はい。


白雲

さあ、さあ。早く、行け、行け。


(黒雲坊、入る)
鳴神

これ、白雲坊。そちも、行って、けさを取ってこい。


白雲

ええ!


鳴神

早く、行け。


(白雲坊、入る。)
絶間

もし。おししょうさまえ。


鳴神

おお。もう、おししょうさまというか? なるほど。おれは、ししょう、こなた は、弟子。おっつけ、出家じゃほどに、心を清らかに持っているがよい。


絶間

そんなら、あの、かみそりがくると、髮をそりますのかえ?


鳴神

くりくり坊主にしてやるわえ。


絶間

(泣く。)


鳴神

何で泣く?


絶間

一筋を千筋となでし黒髮を、いま、そってすてると思えば。


鳴神

悲しいか?


絶間

あい。


鳴神

「たらちねは、かかれとしても、うば玉の、わが黒髮をなでずやありけん。」僧 正ヘンジョウという法師でさえ、こういう歌をよまれた。女ごころに、黒髮を惜しむ も、ことわり、むりではない。


絶間

(つかえを起す。)
あいたたた。


鳴神

これ。何とした?


絶間

思いきってはおりまするが、みれんな女の心から、つい、このつかえが。あいた たた。


鳴神

はて。氣の毒な。くすりはなし。


絶間

あいたたた。


鳴神

何としたら、よかろうぞ?


絶間

おそれながら、上人さま。ここを押してくださんせ。


鳴神

おお。どこだ? どこだ?


(脊中をさする。)
絶間

ああ。もし。そこではござりませぬ。りょがいながら、ここを押してくださんせ。


(鳴神の手をとって、ふところへ入れる。)
鳴神

(乳にさわって、とびのく。)
やっ! こりゃ、何 だ?


絶間

何となされましたえ?


鳴神

生まれて、初めて、女のふところへ手を入れたが、ふしぎなものが手にふれた。


絶間

おししょうさまとしたことが。こりゃ、乳でござんすわいなあ。


鳴神

なに? 乳だ? なるほど、乳だ。あかごの時は、鳴神も、母の乳にて、育ちし は、凡夫とさらさら、かわりはない。今は、名だたる天下の名僧、これも、ひとえに、 母の乳。一念こめたる修業のうちに、その乳さえも忘れしか。


絶間

ごしゅしょうなことでござりまする。


鳴神

思えば、思えば、もったいなや。おそれながら、いま、ひとたび。


(絶間にだきつく。)
絶間

あれ! こりゃ、なんとなされまする?


鳴神

おがむ。おがむ。ぼんのう、そく、ぼだい。じょうぼんのうてなに、望みはない。 げぼん、げしょうのげへ、救いとらせたまえ。


絶間

おししょうさま! おまえはな!


鳴神

だらくしたということか?


絶間

よも、本性では!


鳴神

だらくした。氣がちがった。生きながら、じごくへ落ちても、だいじない。


絶間

上人さま!


鳴神

佛も、もとは、凡夫にて、シッタ太子に、つま子あり。わが朝にては、ユゲのド ウキョウ。コウケン女帝の寵愛うけ、帝位をのぞみしためしもあり。おうといや。う んといえ。したがわぬにおいては、鬼となって、のどぶえへくらいつき、ともになら くへつれ行くが。女、返答はど、ど、どうだ?


絶間

上人さま!


鳴神

ならぬか?


絶間

おまえは!


鳴神

ええ。ならぬか?


絶間

なるわいな。


鳴神

やあ!


絶間

なんじゃの? こわい顏して。そんな恋路があるものかいなあ。


鳴神

さあ、さあ、どうじゃ?


絶間

おうじゃわいの。


鳴神

やあ! 往生ごくらく。ごくらく往生。さあ、蓮台へ。さあ、さあ、さあ。


絶間

まあ。待たんせ。おうは、おうじゃが、ほんまに、おまえ、わしとめおとになる 氣かえ?


鳴神

血の池じごくへ落ちようとも。


絶間

めおとになるにしてからが、わしゃ、ぼんさんを夫にもつは、いや。


鳴神

坊主まるもうけというがな。


絶間

そんなら、げんぞくさんすか?


鳴神

たった今でも。


絶間

男にならんすの?


鳴神

今ように、かみ結うてみしょう。


絶間

ほんにかえ?


鳴神

佛にかけて。


絶間

そのせいごんが、まっこうくさいわいな。それに殿ごの名に、鳴神上人とは?


鳴神

うん、名も変えよう。


絶間

何とえ?


鳴神

カワラサキ・チョウジュウロウ。


絶間

ほんに、よいめおとになりました。


鳴神

かたじけない。


絶間

そこで、盃ごとがしたいものでござんす。


鳴神

そうだ。そうだ。盃しよう。


絶間

どれ。そんなら、酒とってこよう。


鳴神

いや。酒もある。盃もある。あのなまぐさめらが、かくしておいたのが、役に たった。


絶間

これは、さいわいな。おまえ、始めさんせ。


鳴神

はて。めおとの盃は、女子のほうから飮んで、男へさすものだというぞや。


絶間

ても、ようごぞんじ。


鳴神

飮んで、さしゃ。


絶間

そんなら、めでとう、あげましょう。


鳴神

しゃくをいたそう。


絶間

わしゃ、もう、いけませぬ。さあ、これが二世までもの盃じゃぞよ。


(鳴神へつぐ。)
鳴神

おととと……


絶間

こりゃ、どうじゃいの?


鳴神

いや。酒は一しづくもならぬ。ならづけもきらいだ。


絶間

さあ。これまでは、げこであっても、女房をもたんしたら、酒も飮んだがよいわ いなあ。


鳴神

でも飮めぬものを。


絶間

わたしがいうても、飮まんせぬか?


鳴神

飮もう。


絶間

おお、しんき。


鳴神

あやまった。つぎなされ。(飮む。)


絶間

おお。こりゃ、なんとさんしたえ?


鳴神

生まれて、初めて、酒を飮んだら、腹のなかがでんぐりかえった。おお。寒く なった。


絶間

やがて、あつうなるぞえ。


鳴神

さあ、そなたへもどそう。


絶間

祝言の盃に、もどそうとはいわぬものじゃ。


鳴神

そんなら、おさめさせられい。


絶間

そんなら、めでとう、おさめようわいのう。


鳴神

いや。もうならぬ。


絶間

女房のわたしが、これほど、すすめてもかえ?


鳴神

つぎたまえ。(つぐ。)
なんと、なみなみと、うけた であろう。


絶間

おお、みごとじゃわいの。あれ!


鳴神

なんとした? 何がこわい?


絶間

盃のなかに、蛇がいるわいなあ。


鳴神

何をばかな。何にもおりゃせぬわい。


絶間

それ。いるわいな。


鳴神

はあ。わかった。こりゃ、蛇ではない。しめなわだ。それ、見や。


絶間

ほんに、しめなわじゃ。


鳴神

はて。おくびょうな。


絶間

ありゃ、なんのしめなわじゃえ?


鳴神

ありゃ、だいじのしめなわで、あのために、雨が降らぬじゃて。


絶間

はて。どうしてえ?


鳴神

だいじなことだ。必らず、人にもらすなよ。それ、末世に及んで、神佛地に落ち、 不信のやから、みちわたる。にくさもにくし、ごんごどうだん。かかるやからをこら しめんと、この滝つぼに龍神を封じ、國土の雨を絶やせしため、國をあげての、とた んの苦しみ。(大笑い。)


絶間

そんなら、あのしめなわをたちきれば。


鳴神

たちまち、龍神はとびさって、大地をながす、大雨、大風。


絶間

ても、ふしぎなこといなあ。さっても、おえらい上人さま。女房のわたしから、 祝って、三ばい。さあ、飮まんせ。いやなら、おかんせ。


鳴神

いやとは、だれもいわぬものを。


絶間

そんなら、つぐぞえ。


鳴神

いや。もう、ならぬ。(ねる。)


絶間

おお。よう飮まんした。それでこそ、いとしいぼんさん。ではなかった。こちの 人。これ。祝言の床入りより先に、ねるということが、あるものか? もし。おきさ んせ。もし。


(あたりを見まわし、たいどかわる。)
絶間

おのれ、鳴神。國土に生を受けながら、民の惠みを思いもせず、國の亡びをよそ に見て、邪法をもって、人をまどわす。鬼畜に劣る、人非人! 女ながらも、世の人 の、くげんをわが身に引き受けて、一命ささげた計略に、よいしれふしたる、みにく い正体。いで、このひまに、あのしめなわ!


(岩にのぼり、鎌で、しめを切る。)(雨、ふりはじめる。)(大雨。かみ なり。)
絶間

ああ! 雨! 雨! 雨じゃ! 雨じゃ! うれ、うれしやなあ! 聞きしにた がわず、行法やぶれ、いま、まのあたり、この大雨。五こく、ほうじょう、民あんぜ ん。ええ! ありがたや! かたじけなや!


(絶間、かけ入る。坊主、出る。)
白雲

やあ。ここだ。ここだ。


黒雲

これ。おししょうさま。行法がやぶれましたわいの。


白雲

あれ、あのとおり、しめなわもひっちぎれて、龍神はかけ落ちしましたわいの。


黒雲

だから、雨がふりますわいの。


白雲

かみなりが鳴りますわいの。


鳴神

なに? 雨がふる?


(かみなり、大きく鳴る。)
二人

こぼれますわいの。


鳴神

なぜ雨がふる? なぜかみなりが鳴る?


白雲

これ、おししょうさま。おまえは、さっきの女に、おとされさしゃったぞや。


黒雲

あれを、ただの女と思わっしゃるか。いま、下で聞いたら、絶間というは、まっ かなうそ。まことは、里の美人が、おまえの行法を破らんため、おとしにきたので。


二人

ござるわいの。


鳴神

あら、むねん。くちおしや。わずかのゆだんに、性根を失い、わが生涯の行法や ぶれ、天下をこの手に握らんず、大望空に帰したるか! かく、ぼつらくの上からは、 生きながら、いかづちとなって、にっくき女を追っかけんに、なんじょう、かたきこ とあらん。


(荒れくるう。)
鳴神

東は、奧州、ソトが浜。


大ざつま

{utaChushin] 西は、チンゼイ、キカイが島


鳴神

南は、紀のじ、クマノが浦。


大ざつま

{utaChushin] 北は、エチゴの荒海まで。


鳴神

人間の通わぬところ。


大ざつま

{utaChushin] 千里も行け。


鳴神

万里も飛べ。


大ざつま

{utaChushin] いで、追っかけんと、鳴神は、あとをしとうて。


(鳴神、かけ入る。)
二人

おししょうさま!



(一九四九年五月七日)