University of Virginia Library

戀百十首

思ひあまりいひいでてこそ池水のふかき心の色は知られめ
なき名こそ飾磨の市に立ちにけれまだあひそめぬ戀する物を
つゝめども涙の色にあらはれてしのぶおもひは袖よりぞちる
わりなしや我も人目をつゝむまに強ひてもいはぬ心づくしは
なか/\に忍ぶけしきやしるからむかゝる思に習ひなき身は
氣色をばあやめて人の咎むとも打ち任せてはいはじとぞ思ふ
心にはしのぶとおもふかひもなくしるきはこひの涙なりけり
色に出でていつより物は思ふぞと問ふ人あらばいかゞ答へむ
逢ふ事のなくて止みぬる物ならば今見よ世にもありやはつると
うき身とて忍ばゝ戀の忍ばれて人の名たてになりもこそすれ
みさをなる涙なりせば唐ころもかけても人に知られましやは
歎き餘り筆のすさびに盡せども思ふばかりはかゝれざりけり
我が歎く心のうちのくるしきをなにとたとへて君にしられむ
今はたゞしのぶ心ぞつゝまれぬなげかば人やおもひしるとて
心にはふかくしめども梅の花をらぬにほひはかひなかりけり
さりとよとほのかに人を見つれども覺めぬは夢の心地こそすれ
消えかへり暮まつ袖ぞしをれぬるおきつる人は露ならねども
いかにせむその五月雨の名殘よりやがてをやまぬそでの雫を
さるほどの契はなににありながら行かぬ心のくるしきやなぞ
今はさは覺めぬを夢になし果てゝ人に語らでやみねとぞ思ふ
折る人の手にはたまらでうめの花誰が移香にならむとすらむ
轉寐の夢をいとひし床の上の今朝いかばかり起きうかるらむ
ひきかへて嬉しかるらむ心にもうかりしことを忘れざらなむ
棚機はあふをうれしとおもふらむ我れは別のうきこよひかな
同じくは咲き初めしよりしめおきて人に折られぬ花と思はむ
朝露にぬれにし袖をほす程にやがて夕だつわが涙かな
待ちかねて夢に見ゆやとまどろめばねざめすゝむる荻の上風
つゝめども人しるこひや大井川ゐぜきのひまをくゞるしら波
あふまでの命もがなとおもひしはくやしかりけるわが心かな
今よりはあはでものをば思ふとも後うき人に身をばまかせじ
いつかはと答へむ事もねたきかな思もしらず恨みきかせよ
袖の上の人目しられしをりまではみさをなりけるわが涙かな
あやにくに人めもしらぬ涙かなたえぬこゝろに忍ぶかひなく
荻の音はものおもふ我に何なればこぼるゝ露に袖のしをるゝ
草しげみさはにぬはれてふす鴫のいかによそたつひとの心ぞ
哀とて人の心のなさけあれなかずならぬにはよらぬなさけを
いかにせむうき名をよゝにたて果てゝ思もしらぬ人のこゝろを
忘られむことをかさねて思ひにきなどおどろかす涙なるらむ
問れぬもとはぬ心のつれなさもうきはかはらぬ心地こそすれ
つらからむ人故身をば恨みじと思ひしかどもかなはざりけり
今さらになにかは人もとがむべきはじめてぬるゝ袂ならねば
わりなしな袖になげきのみつまゝに命をのみも厭ふこゝろは
いろふかき涙の川のみなかみは人をわすれぬこゝろなりけり
待ちかねてひとりはふせど敷妙の枕ならぶるあらましぞする
とへかしななさけは人の身の爲をうきものとても心やはある
言の葉の霜枯にしにおもひにき露のなさけもかゝらましかば
夜もすがらうらみを袖にたゝふれば枕に波のおとぞきこゆる
ながらへて人のまことを見るべきに戀に命のたへむものかは
頼めおきしそのいひ事やあだになりし波こえぬべき末の松山
河の瀬によに消えぬべきうたかたの命をなぞや君がたのむる
かりそめにおく露とこそ思ひしかあきにあひぬるわが袂かな
おのづからありへばとこそ思ひつれ頼みなくなる我が命かな
身をも厭ひ人のつらさも歎かれて思ひ數ある頃にもあるかな
菅の根の長くものをば思はじとたむけし神にいのりしものを
打ちとけてまどろまばやと唐衣よな/\返すかひもあるべき
我がつらき事をやなさむおのづから人目をおもふ心ありやと
言とへばもてはなれたるけしきかなうらゝかなれや人の心の
もの思ふ袖になげきのたけ見えてしのぶ知らぬは涙なりけり
草の葉にあらぬたもとにものおもへば袖に露おく秋の夕ぐれ
あふことのなき病にて戀ひしなばさすがに人や哀とおもはむ
いかにぞやいひやりたりし方もなくものを思ひて過ぐる頃かな
我ばかりもの思ふ人や又もあると唐土までも尋ねてしがな
君に我いかばかりなる契ありてまなくもものを思ひそめけむ
さらぬだにもとの思のたゝぬまになげきを人のそふるなりけり
我のみぞ我が心をばいとほしむあはれむ人のなきにつけても
恨みじとおもふ我さへつらきかなとはで過ぎぬる心づよさを
いつとなきおもひは不二の煙にておきふすとこやうき島が原
これもみな昔の事といひながらなどもの思ふちぎりなりけむ
などか我つらき人ゆゑものを思ふ契をしもはむすびおきけむ
紅にあらぬたもとの濃き色はこがれてものをおもふなみだか
せきかねてさはとてながす瀧つ瀬にわくしら玉は涙なりけり
歎かじとつゝみし頃は涙だにうちまかせたるこゝちやはせし
ながめこそうき身の癖となり果てゝ夕暮ならぬ折もわかれぬ
今はわれ戀せむ人をとぶらはむ世にうき事と思ひ知られぬ
思へども思ふかひこそなかりけれおもひも知らぬ人を思へば
あやひねるさゝめのこみの衣にきむ涙の雨をしのぎがてらに
なぞもかくこと新しく人のとふわがもの思はふりにしものを
しなばやななに思ふらむ後の世も戀はよにうき事とこそ聞け
わりなしやいつをおもひの果にして月日を送る我が身なるらむ
いとほしやさらば心のをまなびてたまぎれらるゝ戀もするかな
君慕ふ心のうちはちごめきてなみだもろにもなるわが身かな
なつかしき君が心のいろをいかで露もちらさで袖につゝまむ
幾程もながらふまじき世の中にものを思はでふるよしもがな
いつかわが塵つむ床を拂ひあけて來むと頼めむ人を待つべき
よだけたつ袖にたぐへてしのぶかな袂の瀧に落つるなみだを
うきによりつひに朽ちぬるわが袖を心づくしになに忍びけむ
心から心にものをおもはせて身をくるしむるわが身なりけり
ひとり著て我が身にまとふ唐衣しほ/\とこそなき濡さるれ
いひ立ててうらみばいかにつらからむ思へばうしや人の心は
なげかるゝ心の中のくるしさを人のしらばやきみにかたらむ
人知れぬなみだに咽ぶ夕暮はひきかつぎてぞうちふされける
おもひきやかゝる戀路に入り初めてよぐ方もなき歎せむとは
あやふさに人目ぞつねによがれける岩のかどふむほきの崖道
知らざりき身に餘りたるなげきして隙なく袖を絞るべしとは
吹く風に露もたまらぬ葛の葉のうらがへれとは君をこそ思へ
我からと藻にすむ蟲の名にしおへば人をば更に恨みやはする
むなしくてやみぬべきかな空蝉の此身からにて思ふなげきは
包めども袖より外にこぼれ出でてうしろめたきは涙なりけり
わがなみだうたがはれぬる心かな故なく袖のしをるべきかは
さる事のあるべきかはと忍ばれて心いつまでみさをなるらむ
とりのくし思ひもかけぬ露はらひあなくしたるのわが心かな
君にそむ心の色のふかさにはにほひもさらに見えぬなりけり
さもこそは人目思はずなりはてめあなさまにくの袖の氣色や
かつすゝぐ澤の小芹の根を白みきよげにものを思はするかな
いかさまに思ひ續けてうらみまし一重につらき君ならなくに
恨みても慰めてましなか/\につらくて人のあはぬと思へば
うちたえて君にあふ人いかなれやわが身も同じ世にこそはふれ
とにかくに厭はまほしき世なれども君がすむにも引かれぬるかな
何事につけてか世をばいとはましうかりし人ぞ今はうれしき
逢ふとみし其夜の夢のさめであれな長き眠はうかるべけれど