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序幕 梶原館先陣問答の場

  • 役名==梶原源太景季。
  • 梶原平次景高。
  • 横須賀軍内。
  • 茶道、順齋。
  • 腰元、千鳥。
  • 母、延壽
本舞臺、三間の間、常足の二重、正面に鎧を飾り、向う矢筈の金襖、上手一間の障子屋體、上下柴垣、爰に腰元三人、三寶に神酒、熨斗、昆布、供物の品を持ち並び居て、中の舞ひにて、幕明く。
[唄]

[utaChushin] 實に武夫の習ひとて、夫は都の軍さ場へ、妻は東の留守住居、梶原景時が屋敷には、嫡子景季が、誕生日の祝ひとて、上段床に兜鎧を飾り立て、敵にかちんの供へ物、取り%\運ぶ腰元婢女、一つ所に寄りこぞり


腰一

皆の衆や、もうお供へ物も、これで大方片附いたわいなう。


腰二

都は軍さ半ばなれど、この鎌倉は穩やかに、今日の御祝儀。


腰一

ソレ/\、若殿源太さまの御誕生日とて、奧樣のお喜び、御家中とても賑はしく、私し等まで


腰二

常からお情深い源太さま、今度の軍さにお手柄のある樣に、影乍らお祈り申すも冥加のため。


腰一

早う勝ち軍さの注進を


腰二

ほんに聞きたい


皆々

ものぢやわいなア。


腰三

コレ/\、わが身達は滅多無性に、源太さまの事はかり褒めそやしてゐやるが、畢竟千鳥がゐやらねばこそよけれ、千鳥が聞く前であんまり褒めたら、又疑ひを受けうぞや。


腰一

ソレ/\、先達ても御出陣のその時に、早うお凱陣を待ちますと、若旦那としつぽりと。


腰二

同じ御兄弟でもあの弟御の平次さま、一寸見るから憎々しい。あの顏で千鳥どのを、附けつ廻しつ、厭らしい。


腰三

イヤ/\、そりやそなたが料簡違ひ、男のよいより惡いより、肝心の寐間のよいのが、マア、當世。わしも日頃焦れたあの忠太どの、無事な便りを聞く迄は、胸の休まる暇もなう、若しお怪我でもあらうかと、都の空の懷しい、心を推量してたもいなう。


[ト書]

ト大泣きに泣く。


兩人

オホヽヽヽヽ、こりや可笑しいわいなア。


腰三

なんで可笑しい、人の心も知りもせで、戀知らずの情知らず。


腰一

蓼食ふ蟲も好き%\と、忠太どのが戀しいといなう。


兩人

オヽ、笑止、オホヽヽヽヽ。


[唄]

[utaChushin] 話しの中の間押し開けて、立ち出づる茶道順齋。


[ト書]

ト皆々笑ふ。奧より順齋、茶道の拵らへにて出て來り


順齋

これは腰元衆、どうしたものでござる。若旦那平次さま、御病氣でゐらせられるお伽を致さうとはせいで、御家中の男の取り沙汰、お耳へ入らば大抵ではござるまい。若旦那のお側へお越しなされい。サヽ、行かつしやれ/\。


腰一

ハイ/\參りますわいな。サア、皆さん。


腰二

そんなら奧へ


皆々

行かうわいなア。


[唄]

[utaChushin] 不承々々に腰元ども、ぴんしやんとして入りにける。


順齋

エヽ、やかましい女共だ。なんでも景高さまの御意に入つたこの順齋、追つゝけ若旦那の御代になれば、身共は御家老。鎌倉やうの衣紋を繕ひ、大磯又は化粧坂の名ある遊女を、心の儘に掴み込み、あちらからは迎ひの文、こちらからは恨みの文、所で困るは身共一人。若しさうなつた時は、名代茶道を拵へて置かずばなるまい。


[唄]

[utaChushin] 都より急用あつて横須賀軍内、只今下着と打ち通れば


[ト書]

ト手を組み、思ひ入れ。向うより軍内、好みの拵へにて出て來り


軍内

都より急用あつて、お使ひとして横須賀軍内、只今到着。


[ト書]

ト順齋、氣の附かぬ思ひ入れ。


順齋

どう考へても、廓通ひはよしにて、地物おめかで十五六人、置く方がよいわえ。


[ト書]

ト軍内、順齋を見て


軍内

コレサ、順齋どの、何を云はつしやる。


順齋

年増にしようか。イヤ、新造にしようか。


軍内

コレサ、順齋どの/\。コレサ、順齋どの/\。


[ト書]

トこれにて順齋、恟りして


順齋

イヤ、そこ許は軍内どの、いつ當地へ御歸館でござる。


軍内

やう/\只今下着仕つてござる。して奧方や若旦那樣は。


順齋

若旦那にはこのほど御病氣。都よりの樣子承りたい、いかゞでござる。平次さまにもお案じなされてゞござる。どうぢやな、どうぢやな。


軍内

さればでござる。樣子と云ふは、御惣領の源太どの鎌倉へお歸りでござる。


順齋

ナニ、源太どのがお歸りとな。


軍内

サア、そのお歸りについて奧樣へ、親旦那より御内意のこの文箱、先へ參つて渡し申せ、畏まつたと急ぎの道中、川々の出水に暇取つて、やう/\只今。源太どのにも追つゝけお着きでござる。


順齋

ハテナ、源太どのが歸つては、平次さまのお望みも。


軍内

叶ふとも/\。景高さまの御運のよいお知らせでござるてな。


順齋

ムウ、して、兄御のお歸りの樣子と云ふは。


軍内

その樣子と申すは、かやうでござる。


[ト書]

ト一寸囁く。


順齋

ハヽア、うまいな/\。さうなる時はこの順齋、身共が執成し、御褒美は望み次第。


軍内

愈々御褒美下さるかな。


順齋

その儀は愚老が承知でござる。


軍内

左樣ござらば順齋どの。


順齋

軍内どの。


軍内

ドレ、若旦那に


兩人

お目にかゝらう。


[ト書]

ト兩人よろしく、調べにて、この道具ぶん廻す。


本舞臺、一面の金襖、折廻して、出入りあり、結構なる拵へ、爰に金屏風を立て絹夜具、同じく掻卷き、このうへに平次、病中の拵へ、脇息にもたれ、枕頭に刀かけ、莨盆を引寄せ、莨をのみ居る。腰元歌かるたを取つて居る。この模樣、よろしく、琴唄にて、道具留まる。
腰一

逢ひ見ての後の心に較ぶれば


腰二

昔は物を思はざりけり。


腰一

爰にあつたわいなア。


腰三

オヽ、爰にあるわいな/\。


腰一

イエ/\、そりや違うてあるわいな。


腰三

イエ/\、違はぬ/\。


腰二

こりや小野の小町ぢやわいなア。


腰三

小町でも通り町でも、これに違ひはないわいなア。


[ト書]

ト皆々、立ちかゝり、喧しう云ふ。


平次

エヽ、姦しい女ども、この平次が介抱は致さうとはせいで、おのれ等の遊びばかり。して、先刻より千鳥が見えぬが、いづれへ參り居るぞ。


腰一

ハイ、奧樣のお側にゐられましたが、もう見えたうなものでござりまする。


腰二

千鳥どの/\、平次さまが召しまする。


皆々

ちやつとござんせいなア。


[ト書]

ト奧にて


千鳥

畏まりました。


[唄]

[utaChushin] ハイと返事も愛嬌も、一きは目立つ形容ち、千鳥は奧より立ち出でゝ


[ト書]

トこのうち奧より千鳥、藥茶碗を茶臺に載せ、持ち出て來り


[千鳥]

只今煎じ上がりのお藥、召し上がられませう。


平次

オヽ、千鳥か。ハテ、そちは親切なものぢやなア。この藥は定めて毒味いたしてくれたであらうな。さうかさうか。


千鳥

ハイ、奧樣の仰せつけで、アノ、私しが


平次

忝ない/\。イヤ、定めて今日の藥は格別効目も


[ト書]

ト藥を服み


[平次]

なんぞ面白い遊びはないか。餘ほど積鬱いたした。ヤヽかやう致さう。ちと酒宴の催しなば、心の解ける事もあらう。ナニ、小車、其方は酒宴の用意申しつけい。


腰一

畏まりました。


[ト書]

ト上手へ入る。平次、色々思ひ入れあつて


平次

ハテナ、この中下されし懷紙の中に、慥かに入れ置きしが……コリヤ、常夏、母人に申さうには、政子さまの早春の御詠は、いづれへお納めなされしぞ。承り參れ。


腰二

畏まりました。


平次

待て/\。コリヤ、母人が御存じなくば、身が手箱なぞを吟味いたせ。急ぐには及ばぬぞ。


腰二

ハツ。


[ト書]

ト腰元二、奧へ入る。平次、後の腰元を見て


平次

殘りの女どもは廣庭の鎭守の社へ、身が病氣平癒のため、百度參りでも致して參れ。


腰三

畏まりました。


[ト書]

ト腰元皆々入る。千鳥も一緒に立たうとするを


平次

コリヤ/\、某一人捨て置いて相濟むか。千鳥は殘つて介抱いたせ。


千鳥

イエ、私しも


平次

ハテ、これに居らうと云ふに。


千鳥

ハヽアイ。


[ト書]

ト下に居る。合ひ方になり、平次、以前の歌かるたを取り


平次

コリヤ、千鳥、この歌は


[ト書]

ト一枚出す。千鳥、取り上げ見て


千鳥

あらざらん、この世の外の思ひ出に


平次

今一度の逢ふこともがな、只一度の情だに、叶へてくれるものならば、この景高の戀病みも、早速快氣するであらうに。アノ、爰な情知らずめ。


[ト書]

ト千鳥の手を取る。


千鳥

又戯談ばつかり。


平次

こいつ戯談ごかしに爰を逃げようとは、イヤ/\、さうはならぬ。腰元どもを遠ざけしも、今日は人目の關晴れて、直き/\に返事を聞かうと存じての事サ。病氣と云ひ立て鎌倉に殘りしも、そちを手に入れんためばかり。コリヤ、どうぢやな/\。


[ト書]

ト無理に引き寄せる。


千鳥

アヽモシ、有難うはござりまするが、左樣な事は


平次

ならぬと申すか。


千鳥

この事ばかりは。


平次

なぜ/\。


千鳥

サア、そのなりませぬと申しまするは、私しが父樣は鎌田隼人と申しまして、源氏譜代の家來筋、頼朝公へ歸參のお願ひ、申し上げたい下心、それゆゑ御出頭のお家へ御奉公いたしまするも、折もあらば右のお願ひ申し上げたい下心、お袋樣のお許しもないに、猥らな事がござりましては、徒ら者とお暇の出ます事は知れてある。左すれば望みも叶ひませねば


平次

コリヤ/\、何ともくど/\申すには及ばぬ。左程もの堅いそちが、なぜ兄源太とは抱き寐した。


千鳥

イエ、わたしは左樣な事は


平次

こいつ、僞りを申すな。


千鳥

でも、そのやうな


平次

そのやうもこのやうも要らぬ。これまで順齋めに申しつけ口説かせても、兄貴への心中立て。コリヤ、今日はもう逃がさぬ。アノ、爰な命取りめが。


[ト書]

ト又抱きつかうとするを、振り放し


千鳥

エヽモ、しつこく遊ばすと、大きな聲を致しまするぞえ。


平次

大きな聲を立てゝも大事ない。


千鳥

イエ、爰お放しなされませ。


平次

イヽヤ、放さぬ。


[ト書]

ト無理に捕へるを、トヾ振り放し下手へ逃げて入る。平次跡を見送り、うつとりとなる。この時上手より軍内、茶道の順齋、出て來り


軍内

平次さま/\。


順齋

御前々々。


兩人

コレサ、若旦那。


[ト書]

トこれにて心附き、順齋を見て


平次

エヽ、喧しいわえ。


順齋

都より軍内どの、只今歸宅仕りました。


[ト書]

ト平次、軍内を見て


平次

誠に軍内、して、都の樣子は。


軍内

ハツ、御前、御吉左右でござりまする。


平次

ナニ、吉左右とは耳寄り、どうだ/\。


軍内

先づその仔細と申しまするは、この度宇治川の合戰、何が彼の名に負ふ宇治川の川波の流れは、はや矢を射るが如くの大河なれば、さしもの味方も進み兼ねしに、源太景季さま、彼の摺墨に打ち乘り、さも勇ましく、エヘン/\。


平次

その後はどうぢや/\。


軍内

先づ爰らで一服と申す所でござる。


[ト書]

ト平次、思ひ入れあつて、軍内に褒美をやる。


平次

サア、後を申せ/\。


軍内

その後はかやうでござる。この宇治川の先陣は、景季どのと思ひの外、佐々木の四郎に高名せられ、源太どのは後れを取り、京中の物笑ひ、何が手ひどい親旦那、御機嫌は散々、京で殺さば恥の上塗り、鎌倉で切腹せよ、汝をやるは檢死同然。必らず手ぬるく致すなと、屹と仰せ附けられた。惣領どのを仕舞ふてやれば、さしづめあなたが御家督さま、千秋萬歳お目出度うござりまする。


平次

すりや、兄貴は負けたとな。


順齋

御惣領が御切腹とあれば、さしづめあなたが跡目相續。


軍内

さすれば榮耀榮華は心の儘。


平次

さうなる時は俺は主人。


軍内

この軍内は御家老職。


平次

軍内、嬉しい事だなア。


[ト書]

ト向う揚げ幕にて


呼び

若旦那のお歸り。


平次

ナニ、兄貴の歸りしとな。


[ト書]

ト平次、向うへ思ひ入れ。軍内、思ひ入れあつて


軍内

アモシ、あなたのお袖にお塵が/\。


[ト書]

ト羽織の塵を拂ふ。


平次

遣はさう。


[ト書]

ト羽織を脱いでやる。


軍内

ハア。


平次

ムウ。


[ト書]

ト向ふを見込み。キツと思ひ入れ、上手へ入る。軍内、こなしあつて、鸚鵡返しに、よろしくあつて、上手へ入る。ト又順齋、同じく眞似をして、入る。


[唄]

[utaChushin] 打ち連れてこそ入りにける。


[ト書]

トこの仕組み、よろしく、三重にて、この道具ぶん廻す。


本舞臺、四間、通し、高足、正面、結構なる金襖、上手、塗り骨障子屋體、下手杉戸、出入り、大欄間を下ろし、すべて奧殿の模樣、調べにて、この道具納まる。
[唄]

[utaChushin] 時もあらせず表の方


呼び

若旦那のお歸り。


[唄]

[utaChushin] 若旦那のお歸國と、さゞめく聲々、梶原源太景季、鎌倉一の風流男、戰場より立ち歸る。烏帽子のかけ緒、故實を正し、大紋の袖たぶやかに、悠々と打ち通る。


[ト書]

ト向うより源太、烏帽子、素袍、好みの拵へにて、腰元、雪洞を持ち、出て來り、直ぐに屋體へ來り


源太

誰ぞ源太が歸りしと、母人へ傳へてたべ。


[唄]

[utaChushin] と訪へば


[ト書]

ト奧にて


延壽

ナニ、源太が歸りしか。


[唄]

[utaChushin] いづらや/\と立ち出で給ひ


[ト書]

ト延壽、白髮の鬘、襠裲、衣裳にて出て來り


[延壽]

ナニ、源太、頼朝公の御運の強さ、木曾どのを亡ぼし給ふ。範頼、義經兩大將を始め參らせ、誰れ/\も恙なしとは聞きつるが、顏を見て落附きました。


源太

ハツ、仰せの如く、木曾の狼藉、早速に討ち鎭め、押し續いて西國表、平家の大敵攻め亡ぼし、法皇の宸襟を休め奉らんと、攻め支度の評定取り%\。父にも益益御勇健。先づは變らぬ母人の御有樣、拜し申して祝着至極。


延壽

いやとよ源太、都は未だ軍半、そなた一人歸されしは心得ず。父御の仰せは聞かざるや。


源太

イヤ、何とも承らず。鎌倉へ立ち歸り、仔細は母に尋ねよと、仰せもいなみ難ければ、是非に及ばず罷り歸る。母人の御方へは、いかゞ申し參りしやらん。


[唄]

[utaChushin] 覺束なしと伺へば


延壽

オヽ、軍内が渡せし文箱。これ見よ、封もまだ切らず。心許なや。開き見ん。


[唄]

[utaChushin] 蓋押し明けるその暇に、千鳥は戀しい殿御の顏、守り詰めても親子の仲、包む戀路のやる瀬なき。


[ト書]

ト千鳥、茶臺へ湯呑みを載せ、持つて出て來り


千鳥

申し源太さま、常さへ旅は憂きものと、たんと御苦勞なされしやら、お顏の細つた事わいなア。お氣もじ惡うはござりませぬか。


源太

ホヽ、悄らしいそちが問ひで氣が附いた。身が發足のその時分には、弟平次病氣であつたが、本腹をし召されたか。


千鳥

アイナア、本腹やら立腹やら、達者過ぎて迷惑を致しまするわいなア。


源太

それは一段、對面の致したい。


[ト書]

ト奧にて


平次

ナニ、兄者人が歸りしとな。それへ行て逢ひませう。


[唄]

[utaChushin] 一間のうちよりのさばり出で


[平次]

これは/\兄者人、先づ以て今日の御歸國、祝着至極に存じまする。


源太

其方にも無事の對面、重疊々々。


平次

兄者人、何か差措き、聞きたいは宇治川の先陣、見事な高名遊ばしたでござらうの。


源太

オヽ、この源太が身に取つては、過分なる今度の高名。


平次

ナニ、あの高名をなされしとか。


源太

いかにも。


平次

アノ、愈々高名を


源太

家の譽れ、この身の面目。


平次

愈々高名なされしなら、この平次も後學のため、そのお話しを承らうか。


源太

オヽ、いかにも語つて聞かさん。母人、床几御免。


[唄]

[utaChushin] 床几御免と座に直り


[ト書]

ト大小入りの鳴り物になり


[源太]

さる程に木曾義仲、奢る平家を西海へ、追下せし功に依り旭將軍と尊敬せられ、遂には飮酒に乘じ、次第に惡行増長せしゆゑ、この度五條の御所よりして、木曾の狼藉鎭めよと、鎌倉どのへ院宣下り、大手の大將蒲の冠者範頼公、附き隨ふ輩には、千葉、川越、粕谷の輩、稻毛、榛谷、河原兄弟、その勢都合三萬餘騎、伊勢を指して御進發、搦め手の大將九郎義經、この手の武士は、和田、畠山、佐々木の一類、岡部、平山、熊谷なんど、分けて侍ひ大將には、父梶原平三景時、かく云ふ源太景季、都合二萬五千餘騎、山城の國宇治の郡へ


[唄]

[utaChushin] 押し寄せる。


[源太]

頃は睦月の末つ方、四方の山々雪解して、水かさ増さるかの大河、宇治橋の中の間切り放し、向うの岸には亂杭逆茂木、鎧ふたる武者五六千、聲々に天晴れ東夷の御陣立て、關八州に水練得たる者あらば、この川渡り御覽ぜよと、箙を叩いて嘲り罵り、旭に輝きかう/\たり。


[唄]

[utaChushin] 川を渡さん射落さんと、矢尻を揃へて待ち受けたり。につくき敵の廣言よと、拳を握り怒れども、さばかりの大河なれば、誰れあつて一人抽んでる者もなく、暫時しらけて見えたりしが。


[源太]

某心に思ふ樣、かゝる時節に渡さずば、いつか譽れを現はさんと、我が君より賜つたる、摺墨と云ふ名馬に。


[唄]

[utaChushin] あをりはづしてゆらりと打ち乘り、名に橘の小島が崎より、一散に乘り出せば、續いて後に武者一騎、春のあしたの川風に、誘ふ轡の音はりん/\、誰れならんと見返れば、古歌の心に似たるぞや、朧々と白玉の、霞のひまより駈け來るは


[源太]

佐々木の四郎高綱、馬は劣らぬ生月摺墨、二騎相並んで


[唄]

[utaChushin] ざんぶ/\と打ち入つたり。


平次

コレ、兄者人、それまでは話しもならうが、これから先が話しの肝もん、自分には云ひにくからう、平次代つて話さうかえ。


千鳥

兄御樣の高名話し、横合ひから腰折らずと、だまつて聞いて


[唄]

[utaChushin] ゐやしやんせ。


平次

ヤア、厭らしい、肩持つな。われには構はぬ。今の後はかうであらう。佐々木は聞こゆる強の者、兄貴は知れた野呂間どの、遂に佐々木に


[唄]

[utaChushin] 乘り負けて。


[ト書]

トノリ。


千鳥

イヤ/\/\なんのあなたが負け給はん。知らぬながらも千鳥が推量、敵は川を渡さじと、水底に


[唄]

[utaChushin] 大綱小綱、十文字に引き渡し、駒の足を惱ませしに


[千鳥]

頓智の源太景季さま


[唄]

[utaChushin] 太刀をすらりと拔き給ひ、大綱小綱切り流し/\


[千鳥]

なされたで


[唄]

[utaChushin] ござんせう。


[ト書]

トノリ。


源太

オヽ、千鳥が云ふに違ひなく、綱は殘らず切り拂ひ佐々木が乘つたる生月に、一たんばかり乘り勝つたり。


千鳥

アレ/\、聞き給へ、負けはなされませぬ。そんな所に拔け目のある、兄御さんではござんせぬ。


[唄]

[utaChushin] あゝ嬉しや、それ聞いて痞へが下りたと悦べば、平次頭を打ち振つて


平次

某佐々木に成り代り、一問答仕らん。その時高綱


[唄]

[utaChushin] 大言上げ


[平次]

オヽイ/\、景季どの、馬の腹帶が延び候ふ。鞍返されて怪我あるなと、聲をかけたであらうがな。


源太

都の樣子、鎌倉に居る其方が、委しくもよく知つたり


[ト書]

ト上手を見る。軍内と顏見合はせ、思ひ入れあつて


[源太]

某はつと心附き


[唄]

[utaChushin] 弓の絃を口に啣へ、馬の腹帶に諸手をかけ、搖り上げ搖り上げしつかと締め


平次

ソレ/\、それがうつそり、延びぬ腹帶を延びたと云ふは、こなたの鼻毛を見拔いた計略。うぢ/\召さるるその暇に、さつと佐々木が


[唄]

[utaChushin] 打ち渡つて


[平次]

宇多の天皇九代の後胤、近江源氏の嫡流、佐々木の四郎高綱、宇治川の先陣なりと呼ばはりしは天晴れ手柄。こなたは大恥。微塵も違ひはあるまいがな。


源太

サア、それは


平次

但しは返答ござるかな。


源太

サア


平次

サア


兩人

サア/\/\


平次

兄貴返事は、ドヽどうだ。


[唄]

[utaChushin] かさにかゝつて、恥しむれば、源太は默していらへなし。側からハア/\とあせるばかりに女氣の、なんと詮方なく千鳥。平次景高せゝら笑ひ


[平次]

どいつもこいつも吠え面、ハテ、氣味のよい事の。コレ、母者人、惣領の恥掻きどのを、仕舞へと云うて來ませうがの。その状俺に見せさつしやれ。


[唄]

[utaChushin] 差し出す腕を叩きのけ。


延壽

コリヤ、この文は母への名宛て、何が書いてあらうと儘、そちには見せぬ。母を差し置き出しやばるな。


[唄]

[utaChushin] 叱る聲さへおろ/\涙、又繰り返す文體に、心を痛めおはします。


平次

エヽ、子に甘いも事に寄る。生けて置く程親兄弟の面汚し。コレ、爰な腰拔けどの、せめては親の催促待たずに、ごねやうと思ふ氣はないか。アヽ、それもなるまい。世間は切腹したにして、その首刎ねて埒明けうワ。


[唄]

[utaChushin] ずばと拔いて斬りかゝる、刀の鍔際むづと取り


源太

兄親に對して尾籠の振舞ひ。腰拔けの手並み、腰骨に覺えたか。


[唄]

[utaChushin] 引かついでどうと投げつけ、起しも立てず刀のむね打ち、りう/\發矢と打ちのめせば、あいた/\と顏しかめ、はうばう逃げてぞ入りにける。


[ト書]

ト平次、奧へ逃げて入る。


[源太]

コリヤ/\、千鳥、源太が母へ申し上げる仔細あり。次ぎへ參れ


千鳥

ハイ。


[ト書]

トうじ/\する。


源太

ハテ、行けと申すに。


千鳥

ハアイ。


[唄]

[utaChushin] せき立てられて是非なくも、言葉殘して入りにける。源太は後先見廻して、母の前に兩手を突き


源太

かく申せば景季が、命惜しむに似たれども、夢々助かる所存にあらず。この度宇治の合戰前、父にて候ふ平三どの、軍さの勝負を試みんと、お許しもなき的を射損じ、その矢が量らず大將の、御白旗に中りしは、味方の不吉父の不運、申し譯立ち難く、切腹に極まりしを、佐々木の四郎が情に依つて、君の御前を云ひ直し、父の命を助けたり。その場に某あり合さず、後にてかくと承り、佐々木に逢ふて一禮をと、思ふ間もなく早合戰。宇治川の先陣は我れも人も望む所。あるが中にも川を渡すは佐佐木と某。南無三寶、父のためには恩ある佐々木、この人に乘り勝つては、侍ひの道立たずと、心一つに料簡定め、先陣を彼れに讓り、手柄させしは情の返禮。後れを取りし某は、元より覺悟の上なれば、恥も命もちつとも厭はず。先陣の高名に、おさ/\劣らぬ孝行の、高名と存ずれど、あからさまに申されぬは、武士と武士との誠の情、父のために捨てる命。お暇申す、母人樣。


[唄]

[utaChushin] 差添へに手をかくれば


延壽

ヤレ、待て源太、それ程知れた身の言譯、父御へはなぜ云はぬ。


源太

イヤ、言譯を仕れば、佐々木が手柄を無にする道理。よん所なく母人へ、申し上げしも本意ならず。死後までもこの事は、御沙汰なされて下さりまするな。


延壽

イヤ/\、それは若氣の料簡、今死んでは忠孝にならぬぞよ。


源太

こは仰せとも覺えず。義を知つて相果つれば、忠も立ち孝も立つ。


延壽

イヽヤ、立たぬ。なぜと云へ。梶原の家は坂東の八平氏、その氏を名に現はす平三どの、惣領のそちなれば名をば平太と云ふべきを、源太と附けしは、忝なくも征夷大將軍源の頼朝公、石橋山の伏木隱れ、危ふきお命助けられし平三どのを、命の親とのたまひて、勿體なくも家來の子を兄弟分に思ひ召され、源の氏を賜り源太と名乘らせ、源氏嫡流のお召しある、産衣と云ふ鎧まで下された烏帽子子。爰をよう合點しや。今命を捨てゝは、實の親への孝行は立たうが、烏帽子親のわが君へは、どの命で御恩を送る。主なり親なり、忠孝が立たぬとは、爰の事を云ふわいやい。


源太

イヤ、その御恩は忘れは致さぬ。烏帽子親とは憚りあり、主從は三世の契り、生き替り死に替り、君に仕へる侍ひの魂。


延壽

ヤレ、情ない。三世の契りのお主には未來でも逢はれうが、わが子は一世、この世ばかりで又逢はれぬ。母を置いて死なうと云ふ子も胴慾、殺せと書いて送られし連合ひは猶胴慾。惡い子でさへ捨て兼ねるは親の因果、ましてや健氣な子でないか。蟲けらの命でさへ、科ないものは殺されぬに、塵芥かなんぞの樣に


[唄]

[utaChushin] 心安そに捨てやうとは


[延壽]

父御ばかりの子かいなう。


[唄]

[utaChushin] 母がためにも子ぢやものを、問ひ談合に及びもせず


[延壽]

軍内を檢死にやると、一徹短氣なこの文體。見るも恨めし忌はしい。


[唄]

[utaChushin] 寸々に引き裂き/\、口に含んで咬みしだき、夫を恨み子をかこち、わつと叫び入り給ふ。母の慈悲心肝に銘じ、六根五臟を絞り出す、涙も厚き恩愛の、親子の歎きぞ道理なる。横須賀軍内、憚りもなくずつと通り


[ト書]

ト軍内、上手より出て來り


軍内

親旦那の御状を御覽の上は、申すに及ばぬ、某は檢死の役。サア、源太どの、お腹召され。


[唄]

[utaChushin] 苦り切つて云ひ放せば


源太

オヽ、覺悟は兼ねて極めたり。


[唄]

[utaChushin] 身繕ひする所を、母は立ち寄り


延壽

ヤア、そりやならぬ。恥掻いた人でなし、大小もぎ取り阿呆拂ひ、手ぬるい父御の指圖より、嚴しい母が仕置きを見せう。中間どもの古布子、持つて來や、早く早く。


[唄]

[utaChushin] 早う/\と呼ぶ聲に、はつと答へて平次景高、古わんぽうを引ツ提げ出で


[ト書]

ト平次先に、順齋、紺看板を木綿繩にて括り、持ち、出て來り


平次

申し母者人、この布子をどうなされまする。


延壽

どうするとは知れた事、源太めに着せ替へて、門前から阿呆拂ひ。


平次

ナニ、阿呆拂ひ。それこそ望む所。コレ、軍内、順齋、われ達も手傳へ/\。


軍順

ヘイ/\、畏まりました。


[唄]

[utaChushin] 無法の主從立ちかゝり、手ん手にもぎ取る太刀烏帽子、叩き落されおつぽう髮、素袍袴の帶紐も、引きしやなぐるやら引き切るやら、上着中着の綾錦、古わんぽうに着せ替へさせ、腰に食ひ入る繩帶ひき締め


[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、紺看板に着せ替へる。


平次

イヤ、よいざまだ。今までは兄上だの兄者人ぢやのともてはやせど、もう斯うなつたら只の仲間折助だ。アア、見れば見る程慘めなざまだ。アハヽヽヽヽ。


軍内

ヘイ/\、ナニ、平次さま、ちとお願ひがござりまする。この軍内にも少々ばかり、云はせては下さりますまいか。


平次

ナニ、云ひ分が云ひたいとか、遠慮はない。なんなりと存分に申せ/\。


軍内

アノ、申してもよろしうござりまするか。


平次

よいとも/\。


軍内

ハツ、それは/\有難うござりまする。


[ト書]

ト源太の側へ來り


[軍内]

ヤイ、源太景季……さまめ、ようも/\これ迄は、手ひどく身共を使ひ居つたな。ソレ、茶を汲んで來い。軍内、肩を叩け。軍内見張りをいたせ。軍内、ソレ、軍内。ヤレ、軍内。コレ、軍内なればこそよけれ、絹や縮緬で見ろ、今頃はずたずたに切れてしまふぞよ。その返報はかうしてくれるワ。


[ト書]

ト源太を蹴倒し


[軍内]

ヘイ/\、これで少しは腹が癒ましてござりまする。


順齋

ナニ、若旦那、私しにも少々申させて下さりませ。


平次

アヽ、よいとも/\、なんなりと十分に申すがいゝワ。


順齋

左樣なら申してもよろしうござりまするか。


[ト書]

ト源太の側へ行き


[順齋]

ヤイ、源太……さま/\、日頃からこの順齋を、よう使ひ居つたな。茶を持つて來い順齋、床を取れ、順齋、莨盆を持つて來い、順齋、明りを持て、順齋、ようも/\むごうこき使ふたな。その腹癒せは


[ト書]

ト打ち、さうにして、延壽を見て、怖々源太をつねり


[順齋]

これでもう、よろしうござりまする。


平次

イヤ/\、まだそんな事では腹が癒ぬ。源太があのざまを見て、大聲上げて笑つてやれ/\。


軍内

それぢやと申しまして、可笑しくもない事を、どうも笑ふと申す譯には參りませぬ。


平次

エヽ、笑へと申すに、笑はぬか。


軍内

それぢやと申しまして どうも


平次

ムウ、笑はぬに於いては、よい/\、身共が手討ちに致してくれう。


軍内

アヽモシ/\、若旦那、笑ひます/\。


平次

然らば早く笑へ。


軍内

ヘイ/\、只今笑ひます。順齋どのもお附合ひなされ。


順齋

でも、私しは


軍内

厭と申せば只今の樣に、お手討ちでござるぞ。


順齋

致し方がない、附合ひませう。


平次

エヽ、何をぐづ/\致し居る。


軍内

ヘイ/\、笑ひます/\。


平次

よいかな、ハヽヽヽヽ。


軍内

ヘヽヽヽヽ。


順齋

ホヽヽヽヽ。


平次

ハヽヽヽヽ。


軍内

ヘヽヽヽヽ。


順齋

ホヽヽヽヽ。


平次

ハヽヽヽヽ、ヘヽヽヽヽ、ホヽヽヽヽ。


[唄]

[utaChushin] 一度にどつと打ち笑ふ。源太は變りしわが姿の、恥も無念も忍び泣き、母はわが子を助けんため、人前作る澁面顏、怒る擬勢も苦口も、詞と心は裏表。命替りの勘當ぢやと、思うて堪忍してくれと、云ひたさ辛さ泣きたさを、胸に包めど包まれぬ、悲しい色目悟られじと


延壽

皆の者が笑ふので、母も可笑しい。あんまり笑うて涙が出る。ハヽヽヽヽ。


[唄]

[utaChushin] と高笑ひ、泣くよりも猶哀れなり。千鳥はかくと聞くよりも、あるにもあられず走り出で、變りし源太が憂き姿、二目とも見も分かず


[ト書]

ト千鳥、奧より走り出で、愁ひの思ひ入れ。


千鳥

お胴慾な母御樣、勝つも負けるも軍さの習ひ、誰れしもかうした不覺はあるもの。父御樣から殺せとあるを、お詫び言はなさらいで、阿呆拂ひの勘當のと、これがほんの


[唄]

[utaChushin] 父打ち母打ち。


[千鳥]

二人の親御に憎まれて、源太さまのお身がどこで立つ。あれ程むごうなされたら、もう堪忍して上げまして


[唄]

[utaChushin] 下さりませとばかりにて、かつぱと臥して泣き詫ぶる。


延壽

エヽ、母が采配、小癪な、そちが何知つて。コリヤ、よう聞け。源太めがあのざまは、弟への見せしめ。あの恥を無念と思はば、西國へ攻め下つて、平家を亡ぼし手柄して、わが君の御用に立たば、ナ、勘當はせぬ、ナ、平次、心得たか。


[ト書]

ト思ひ入れにて云ふ。


平次

アイ/\。


延壽

必らず手柄を待つて居る。母が詞を忘るゝな。


[唄]

[utaChushin] 弟が事を云ひなして、兄を勵ます詞の謎々、とくより母のお慈悲とは、知るほど重き源太が額、土に摺りつけ泣きゐたる。平次景高したり顏。


平次

コリヤ、千鳥、なんぼ吠えても叶はぬ程に、これからは分別を仕替へ、源太が事は思ひ切り、俺が云ふ事聞きさへすりやア、母へ願うて、コリヤ、奧樣ぢや。なんと、嬉しいか/\。


千鳥

エヽ、穢らはしい、聞きとむない。憎まれ子世に憚ると、どこまで憚りなされうが、わたしや厭ぢや、厭ぢやわいなア。


平次

ヤア、しぶとい女郎め。母者人、源太と千鳥が狂うて居りまする。


延壽

なんぢや。源太と千鳥が狂うて居る。


軍内

狂うて居る段ではござりませぬ。ちんちん鴨の入首でござりまする。


延壽

エヽ、年よりませた徒ら者。二人はわしが仕樣がある。源太めを追ひ拂ひ、サア、千鳥は奧へ。


[唄]

[utaChushin] 千鳥はこちへと引立てゝ、靜々奧へ入りにける。


[ト書]

ト延壽、千鳥を連れ、奧へ入る。


平次

ヤイ、源太、今まではその生白いしやつ面で、千鳥めとむたついたが、もうこれからはあの千鳥も、この平次が寐間の伽だぞよ。


軍内

アヽ、申し/\若旦那、もう千鳥が事は思ひ切つておしまひなされませ。


平次

エヽ、馬鹿を申すな。千鳥をどうして


軍内

イヤサ、千鳥が事は思ひ切つて


[ト書]

ト仕方にて教へ


[軍内]

サア、思ひ切つておしまひなされませ。


平次

ムウ、なるほど、千鳥が事は思ひ切つた。


軍内

御合默が參りましたか。


平次

オヽ、思ひ切つた。


[唄]

[utaChushin] 拔き打ちに、源太を目がけ切りつける、さしつたりと引ツ外して、掻い潜る身のひねり、軍内が諸膝掻きのめらす暇を又切りかゝる、平次が刀打ち落し、踏みつけ/\立ちたるは、心地よくこそ見えにける。


源太

ヤア、千鳥が事を根に持つて、兄に敵對ふ人畜め、今踏み殺すは安けれど、惡い子ほど捨てられぬと、母のお詞聞き捨てられず助け置く。兄に代つて孝行せよ。


[唄]

[utaChushin] 突き放せば、からき命を助かりて、跡をも見ずに逃げて行く。


[ト書]

ト平次、刀を杖に突き、順齋の肩にもたれ、ほう%\上手へ逃げて入る。軍内は花道へ、這ひながら逃げて行く。源太、見附けて


源太

軍内々々、そちやいづれへ參る。


軍内

ヘイ、私しは一寸そこ迄


源太

ハテ、用事がある。これへ參れ。


軍内

ヘイ、これが勝手でござりまする。


源太

ハテ、參れと申すに。


軍内

ヘイヽヽ。


[ト書]

トこれにて、怖々本舞臺へ戻る。


源太

そちや親どもからの上使ぢやな。


軍内

左樣でござる。親御樣よりの上使でござる。上使なれば親子も同然でござる。


源太

上使とあらば殺されぬ。こりや料簡を致さずばなるまい。


軍内

左樣々々、料簡を致さずばなりますまい。


源太

殺さにやならぬ奴なれど、そこを源太が料簡して


軍内

そこをあなたが料簡して


源太

うぬが刀でうぬが首


軍内

うぬが刀でうぬが首


源太

ころりと落すは自業自得。


軍内

ころりと落すは自業自得。


源太

源太は殺さぬ。


軍内

あなたは殺さぬ。


源太

手ばかり動く。


[唄]

[utaChushin] 首と胴との生き別れ。


[ト書]

ト軍内を突き廻し、見事に切る。


[源太]

親子の別れ今一度、母の御目に、イヤ/\/\、仰せに隨ひ、四國九國の果てまでも。


[唄]

[utaChushin] ぼツつめ/\高名し、その時お顏を拜まんと、思ひ諦め立ち出づる。後ろの障子さつと開く、音に驚き振り返れば、母はすつくと立ち乍ら、源太が方へは目もやらず


[ト書]

ト延壽、上手の障子を明け、出て


延壽

四國九國の合戰に、裸武者では手柄がなるまい。勘當した子に持つて行けと教へはせぬが、頼朝公より賜りし、産衣の鎧兜、誕生日の祝儀とて、飾らせて爰にある。わが物を取つて行くに、誰れが厭と云はうぞ。但しは要らぬか。主もないこの鎧、取り捨てよ。腰元はゐやらぬか。來いよ/\。


[唄]

[utaChushin] 呼ばはり/\入り給ふ。


[ト書]

ト奧へ入る。


源太

ハアヽ、重々厚き御憐愍、忝なし/\。


[唄]

[utaChushin] 鎧兜を取りのくれば、思ひがけなき腰元千鳥。


[源太]

ヤ、そちや千鳥、爰にはどうして。


[ト書]

トこれにて千鳥、下へ下り


千鳥

サア、これも母御樣のお情、不義をした科でこの箱に入れられ、窮命さすそのあとは、行きたい方へ連立つて行けと、お慈悲深い母御樣。


源太

そりや、母人樣が。アヽ、有難や冥加なや、仇に思はゞ天罰受けん、恐ろし、恐ろし、これより直ぐにこの源太が、恥辱を雪ぐ合戰の首途。


[唄]

[utaChushin] 四國九國の果てまでも、ぼつゝめぼつつめ高名し


[源太]

その時お顏を母人樣


千鳥

おまめでござつて


兩人

下さりませ。


[唄]

[utaChushin] 母の方を伏し拜み/\、云ふも盡きせぬ別れの涙絞りかねたる袖の海、深き御恩を蒙りしは、身一つならぬ友千鳥、泣く/\出でしが又立ち戻り、振返つては親と子の、はてし名殘りの憂き別れ、浮世に憂き身かこつらん。


[ト書]

ト源太、千鳥、身拵へして、奧を伏し拜み、行きにかかる事、鎧をかせに、よろしく愁ひのこなしあつて、トヾ兩人、花道へ行く。この時襖を明け、延壽、手雪洞を持ち出て來る。これにて花道の兩人、つか/\と本舞臺へ戻り、襠裲に取り附くを、延壽、後ろ向きになり、上下へ二包みの金を落す。兩人、取り上げ、見て、物を云はうとする。延壽


延壽

コレ。


[ト書]

ト手雪洞を消す。兩人は金包みを押し戴く。延壽は泣き顏を隱す。この仕組みよろしく、段切れにて