小はる治平衞
心中天網島 (Shinju ten no Amijima) | ||
炬燵の場
- 紙屋治兵衞。
- 粉屋孫右衞門。
- 治兵衞忰、勘太郎。
- 丁稚、三五郎。
- 舅、五左衞門。
- 紀伊國屋才兵衞。
- 江戸屋太兵衞。
- 五貫屋善六。
- ちよんがれ坊主、傳梅。
- 治兵衞女房、おさん。
- 娘、お末。
- 紀伊國屋小春。
役名==
[ト書]
ト爰に三五郎、縞の着附け、紺前垂れ、丁稚の形にて人形廻して傳をしてゐる、箱にいろ/\の人形、風車など入れあり、側に勘太郎、人形を持ち、お末、折鶴を持つて遊び居る見得。
三五
コレ、坊さん泣かんすな。この間淨瑠璃で見て來た、三十三間堂棟木の由來、柳のお柳を一段語つて、人形を使うて見せるぞや。東西々々。この所にて相勤めまするは三十三間堂棟木の由來、平太郎住家の段、始まり左樣。
[ト書]
ト拍子木を鳴らす事あつて、口三味線で。
[三五]
和歌の浦には名所がござる、一に權現、二に玉津島、三に下り松、四に鹽釜よ、ヨウイ/\ヨイヤサ。
[ト書]
ト人形を使ひ、淨瑠璃を語り居る。此うち下手より仕出し出て
仕出
ヘイ、御免なされませ/\。
[ト書]
トやかましく云ふ。三五郎、夢中になつて淨瑠璃を語り、人形を使ふ。
[仕出]
コレイナ申し、御免なされ。
三五
エヽ、誰れぢや。恟りするわい。
仕出
恟りするもないものぢや。最前からあれ程云うて居るに、えらい小僧さんぢやな。
三五
さうして、なんぢや。
仕出
半紙二折と、ついだ卷紙二本下され。
三五
エヽ、邪魔を云ふ人ぢやな。
仕出
お客樣を掴まへて、邪魔なとはなんぢや。
三五
今、柳のお柳の木遣音頭の性根場ぢや。アタ邪魔。
[ト書]
トぼやき/\、店戸棚のうちより、半紙二折、卷紙二本取り來り。
[三五]
サア/\半紙が四十八文、卷紙が二十四文ぢや。
[ト書]
ト仕出し錢を出し
仕出
オイ/\、四十八文に二十四文、〆めて七十二文。
錢を渡して、半紙と卷紙を受取る。
[仕出]
大きにお邪魔でござりました。
三五
邪魔は始めから解つて居るわい。
[ト書]
ト唄になり、仕出し下手へ入る。
三五
サア/\、これから今の續きぢや。コレ/\孃樣孃樣、お前樣は、マア、おとなしいお方ぢや。最前から押默つて、鶴を折つて居なさるが、おとなしいお子ぢやわい。その鶴が折れましたら、糸を引ツ張つて、鶴の宙釣りをして、お目にかけませうわい。
すゑ
この鶴が折れたら、この脊中へ秀之助を乘せて、芝居でもして見せて下されや。
三五
芝居事なら、何なりともお望み次第ぢや。
勘太
コレ、早う、坊に見せてや。
三五
オツと、承知々々。
[ト書]
ト人形を持ち、こなしあつて。
[三五]
いよ/\、この所、只今の續き、その爲口上左樣。
[ト書]
ト口三味線にて、人形を使ふ。
[三五]
母の柳を、都へ送る、ヨウイ/\ヨイヤサ。
[ト書]
ト淨瑠璃を語り、いろ/\と人形を使ふ。此うち下手より、ちよんがれ坊主傳海、破れ衣、小形の木魚二つ持ち出る。後より善六、尻からげ頬冠り、三味線彈きの體にて出て來り
傳海
歸命頂禮、やれ/\/\皆さん、聞いてもくれねえ、佛説阿房陀羅經。
善六
ノコ/\サイ/\。
[ト書]
ト善六三味線を彈き、傳海、木魚を叩き、やかましく云ふ。
三五
通れ/\。
傳海
オイ相棒、通れとやい。
善六
通れとあらば、通らうぢやあるまいか。
傳海
通れ/\。
[ト書]
ト兩人ズツと上手へ通り、よき所へ住ふ。
三五
ヤイ/\、薄汚い形をして、何處へ通るのぢや。キリキリと出さらぬかい。
傳海
そこな丁稚め、通れと吐かすゆゑ通つたのぢや。ハハアン解つた。内で阿房陀羅經云はして聞く氣ぢやな。
善六
さうであらう/\。お好きとあれば、さらば爰で、やらかし申す。オイ和尚、一調子はり上げてやり給へ。
傳海
オツと合默。エヘン、これはこの頃、町中は申すに及ばず、色里は專ら御評判の阿房陀羅經、新物の始まり始まり。
[ト書]
トこれにて善六、三味線を取上げ、傳海、木魚を叩く。
[傳海]
やれ/\/\、歸命頂禮、どら如來、やれ/\/\、皆さま聞いてもくんさい。花の浪花の新地の小春に、貧乏紙屋の地兵衞が馴染んで、惡性狂ひが杉原紙でナ、節季は斷わり、仕切は、延紙、得意は塵紙、内には小半紙、一束ならで、二束三文に負けてしまつた。着類着そげも茄子の淺漬、糠味噌くさい、内のお嬶に愛想もこつそり、盆も正月も小春の屋形へ、忍び紙とはうるさいこんだよ。
善六
ノコ/\サイ/\、野良サイ/\。
傳海
おやま狂ひに男は濡紙、小春は青土佐、内儀は結構な阿房の唐紙、これが天滿で噂の書置。
三五
ヤイ/\おのれ、そりや何を云ふのぢや。うぬら、誰れぞに頼まれて、内の旦那の治兵衞どのゝ惡口を吐かすのか。やかましうてならぬわい。
傳海
やかましいもないもんぢや。やかましう云ふのが惡けりや、なんで通れと云うたのぢや。
善六
さうぢや/\。又この文句は、誰れにも頼まれもせぬ、この節の流行り文句ぢやわい。
傳海
治兵衞と云うて、爰一軒ぢやあるまいし、この内の事やら、誰れが事やら知らぬが佛、阿房陀羅經。
善六
唄うて貰はにや喰はれぬ、此方の商賣。
傳海
この文句、さう唄うても惡いと、お上からお觸れもなければ、御法度といふお達しもなし。
善六
さうぢや/\。これだけ喋つて、一文も貰はずには去なれぬ。爰な旦那か、お家樣に逢うて錢貰ふまで、爰で一服しようぢやあるまいか。
傳海
それがいゝ/\。コレ素丁稚、莨盆なと貸して、咽喉も渇いた、茶を汲んで來い。
三五
エヽ、知らぬわい、勝手にさんせ。
[ト書]
ト善六、傳海、莨をのむ。誂らへの合ひ方になり、向うより太兵衞、羽織着流しにて出て、直ぐに本舞臺へ來り
太兵
治兵衞、内にゐるか。サア、金受取らう。こんな似せ金はいらぬ。正眞正銘の金返してもらはうかい。
三五
ヤイ/\、今日は怪體な日ぢやわい。旦那の惡口を云うて來る阿房陀羅經やら、旦那に金を返せと喚いてうせるやら、一體、おのれは何者ぢや。
[ト書]
ト太兵衞、ズツと内へ入り、傳海、善六と顏を見合せて思ひ入れ。
太兵
エヽ、おのれが何云ふぞい。コリヤ、治兵衞が内に居るなら、奧へ行て、太兵衞さまがお越しなされましたと云うて來い。
三五
否ぢやわい。用があるなら、このおれ樣に、事の次第を有やうに吐かせ。仕儀に依つたら取次いでくれるワ。
太兵
此奴、忌々しい素丁稚ぢやなア。この太兵衞さまが出て來た用と云ふは、この間治兵衞から受取つた廿兩は似せ金ぢや。今日問屋の仕切に遣つたれば、その尻が割れて、この太兵衞までが疑はれる。小春と腐りついたる二人の仲、揚代にせばまれて、ぎちかはして居るを氣の毒に思ひ、貸してやつた廿兩、似せ金を掴ませるとは太い奴ぢや。何かい、こりや侍ひめと云ひ合せて、この太兵衞をやつたのぢやな。その侍ひめも、先刻に道でチラリと見た。大方爰らにへちまうて居らう。合點の行かぬさぶめぢやと思うた。何ぢやゝら、人に背打ちを喰はしやアがつて、サア、その侍ひに逢はう。爰へ出され。似せ金師の大盗人め。ヤイ、權押しに騙りをひろぐか。
三五
えらさうにボン/\云ひな。今日はナ、朝からお客樣があるに依つて、旦那樣もお家樣も奧に話してござるのぢや。そこでこの三五郎が店番をしてござるに、いろいろな奴めが出てうせてからに、こんな事云うて來て、何奴も此奴も怪體な奴等ぢや。待つてけつかれ。
[ト書]
ト云ひながら、勘太郎、お末を連れ奧へ入る、後に三人思ひ入れあつて莨をのむ。合ひ方になり、向うより紀伊國屋才兵衞、茶屋亭主の拵らへにて出る。
才兵
どうぞ、太兵衞さまに逢ひたいものぢやなア。
[ト書]
ト本舞臺に來り、
[才兵]
オヽ、太兵衞さま、爰にか。お前樣の在所を尋ねた事ぢやござりません。
[ト書]
ト内へ入る。
太兵
尋ねたとは、何の用ぢや。
才兵
何の用かも凄まじい。濟ました顏付きで、コレこの廿五兩は返しまする。ようマア小春に惡性根を附けて、駈落をさせてくれた。サア、臺詞は後に廻して置いて、マア、何より小春を出してもらひませう。
太兵
ヤイ/\才兵衞、手水を使うて來い。寢呆けて、何を寢言吐かすぞい。小春を駈落ちさせたの何ぞのと、そりやマア何の事ぢや。
才兵
何の事とは、てもさても、厚皮な物ぢや。ごて/\云はずと、小春を返してもらはうかい。
太兵
コリヤ、小春を返せの出せのと、この太兵衞が隱したやうな云ひ分。これには何ぞ、慥かな證據があるかい。
才兵
證據のない事云はうか。キツとした證據があるのぢや。
太兵
面白い。ならば見ようか。
才兵
見せいで。慥かな證據は、この書置。
[ト書]
ト懷中より書置を出し、
[才兵]
これ讀んで見さんせ。
[ト書]
ト太兵衞の前へ投げつける。太兵衞取つて見て
太兵
何ぢや、小春の書置ぢや。へゝゝ、書置と云や、爰の治兵衞の胸に堪へやうわい。さらば、これにて讀み上げてやらうわい。
[ト書]
ト書置を開き。
[太兵]
ナニ/\、耻かしながら書き殘し參らせ候ふ、これまで厚うお世話になり候ふ身に候へども、いとしい人の顏立ち申さず、是非なく駈落ち致し參らせ候ふ。
傳海
忌々しい衒妻ぢやなア。
善六
それから後は、なんと書いてあるな。
太兵
待つたり/\。何ぢや。今まで紙治さまと、深う云ひ交せしは。
傳海
どうやら、文句が合ひさうなぞよ。
太兵
今まで紙治さまと深う云ひ交せしは、みな嘘にて候ふ。ヤア/\。
善傳
ヤア/\。
太兵
これまでつれなう當りしは、眞實ある太兵衞さまに張を持たし、請出されてほん%\の女夫になつて、末永う添ひ通したき願ひにて、わざとつれなく致し參らせ候ふ。ヤア/\、こりや、大分風が變つて來たぞよ。
傳海
太兵衞さん、どうやら色事師のやうに見えて來たぞえ。
善六
小春の眞實が見えて來た。何やら甘くさい文句ぢやなア。
傳海
後が聞きたい、早う讀んで
善傳
聞かしたり/\。
[ト書]
トやかましく云ふ。此うち上手障子屋體の内には孫右衞門、納戸口よりは治兵衞、立聞きして居るこなし。治兵衞、だん/\腹の立つ思ひ入れ。太兵衞、嬉しきこなしにて讀み續ける。
太兵
ハテ、忙しない。どうやら胸がどき/\と、何ぢややら、勝手が違うたやうな。エヽなんぢや。今まで紙治さまに云うたは皆嘘、誠は主に添ひたい心、その太兵衞さまが親方樣へ廿五兩の手付け金、皆々よろしからぬお心にて候へば、所詮添はせては下さんすまい……なんの添はぬ事があるものか。添はいぢや/\。オヽ、可愛い奴なう……この身に飽き果て候ふゆゑ、私しばかり死ぬる心に極め參らせ候ふ。ヤア/\、そんならおれゆゑ、一人死ぬる氣かいやい。尤もぢや/\。エヽ、くれ%\酷いは太兵衞さま、身請さんすが眞實か、但しはわたしを騙すのか。なんの騙さうぞいやい/\。オヽ可愛や、可愛や。どうか心が濟み申さず候ふゆゑ、太兵衞さまの存じよりの方へ駈落ち致し、暫く忍び參らせ候ふ。オヽ可愛や/\。エヽ、もしも願ひが叶はずば、この文をとくと御覽下され、せめて御回向願ひ上げ參らせ候ふ。アア、南無阿彌陀佛々々々々々々。オヽ、可愛や/\。
[唄]
[utaChushin] あゝ可愛やと大聲上げ、啜り上げ/\、赤子の時に泣いたまゝ、廿餘年の溜め涙。
傳海
オヽ、尤もぢや/\。
善六
オヽ、道理ぢや/\。
[唄]
[utaChushin] 側の二人も貰ひ泣き、身を揉む太兵衞が袂より、落つる状を孫右衞門、拾ひ取るとも知らばこそ。
[ト書]
ト此うち太兵衞、袂より状を落す。孫右衞門、三五郎を呼び、ソツと囁く。三五郎心得、落ちたる状を拾ひ孫右衞門へ渡す事あつて奧へ入る。
太兵
これ才兵衞、おりや小春の書置を見たので、癪が差込む。アイタヽヽヽ。コレ傳海、貴樣の世話にして下さつたも、元はこれから。
傳海
サヽ、さうぢや/\、太兵衞さま、こりや手延びになつたら、死ぬるぞえ、早う身請けをさんせい。
善六
今の書置に書いてあつた、お前の存じの處とは、心當りが
傳善
ござりますかな。
太兵
サア、この心當りは、これまで夢中の心意氣、存じの方とは、とんとないてや。ナア才兵衞。
才兵
イヽヤ、さうは拔けさせませぬ。この書置が慥かな證據。サア、代官所へ連れて行て、この詮議をするのぢや。
[ト書]
ト引立てにかゝる。
太兵
マア、待つてくれ/\。さう思ふのも尤もぢやが、アヽ、時に心當りとは、オヽ、兎にも角にも落ちついては居られぬ。コレ、傳海も善六も來てくれ。
傳海
早く、小春の命を
善六
取留めねば、
太兵
安心ならぬ。
傳善
サア、行きませう。
[ト書]
ト三人行きかゝる。孫右衞門、思ひ入れあつて、上手から出る。
孫右
太兵衞どの、待つた、二人の奴等も用がある。
太兵
なんぢや。
傳善
わしらに。
孫右
オヽ、用がある。性根を据ゑて、キリ/\そこへ出をらぬか。
太兵
ハヽア。
[ト書]
ト誂らへの合ひ方。三人顏見合せて、ハツと下に居る。孫右衞門こなしあつて、好きところへ來て住ふ。
孫右
コリヤ、坊主、われが名は傳海と云ふんぢやな。
傳海
ハイ、それがどうぞ致しましたか。
孫右
コリヤ、この間、坊主客になつて、石町の隱居と僞はり、宛名のない二十兩の證文を書かしたのはおのれぢやな。
傳海
エヽ。
孫右
太兵衞と一つ穴の賣僧坊主であらうがな。
傳海
イエ/\滅相な、太兵衞とやら、太郎兵衞とやら、ついに見た事もない。
孫右
その見た事もない太兵衞が、コレ傳海、貴樣の世話にして下さつたも、元はこれから、オヽさうぢや太兵衞さま、こりや手延びにしたら死ぬるぞえ、早う身請けをさんせとは。
太傳
ヤア。
孫右
なぜ吐かした。
兩人
サアそれは。
孫右
それはとは。まだ/\見せる物がある。
[ト書]
ト以前の状を出し開く。太兵衞見て、いろ/\こなし。
[孫右]
ちよつと申し上げ候ふ、この間浮無瀬にて賜はり候ふ拾兩、最早この頃の丁半に、なめられてしまひ候ふ、今日紙治方にて、彼の預かり手形の儀、首尾よく參り候はゞ、拾兩お貸し下さるべく候ふ。直に申すも如何と、お願ひ斯くの如くに御座候ふ。太兵衞さま、傳海より。なんとこれでも知らぬと云ふか。
兩人
サアそれは。
孫右
サア。
兩人
サア。
三人
サア/\/\。
孫右
なんと、動きは取れまいがな。
太兵
もう自棄ぢや。ソレ。
兩人
合點ぢや。
[ト書]
ト傳海、善六打つてかゝるを、孫右衞門引ツ外し、太兵衞が箒にて打つてかゝるを、引つたくり、三人を散散に打ち据ゑる。
孫右
騙りひろいだ白紙の僞筆、うぬ等が企みを有やうに、サア吐かせ。吐かさにや猶も箒の峰打ち。ドヾどうぢやえ。
傳海
マア/\、待つて下さりませや。吐かします/\。アイ/\、太兵衞さまに頼まれて、坊主客になつたは自分ぢやわいな。
孫右
オヽ、よう吐かした。サア善六、その時小春の身請けの客と吐かしたは、おのれであらうな。
善六
斯うなるからは、隱し立は致しません、お察しの通り。
孫右
ムウ、よし/\。そこな色事師どのも、手次手に。
太兵
ハイ/\、イヤモウ、その通りでござります。これまで小春が靡かなんだ色の意趣、ほんまにヤレ/\、アア、戀程切ないものはないわい。
孫右
うぬ等三人も、よい獄門道具ぢやわい。
善六
これはお見立、
三人
有り難う。
孫右
コリヤ、三人ども代官所へ引摺つて行く奴なれど、格別の情で何にも云はぬ。この上治兵衞に云ひ分はあるまいがな。
太兵
イヽエ勿體ない。なんのマア、申し分がござりませう。今では結局治兵衞から、わたしにお恨みはあらうけれど、イヤ申し紙治さま、小春がわしへの心中をお聞きなされて、ほんにヤレ/\。オヽ、さぞお腹が立ちませう。けれども、こりやもう惚れられたがわしの因果と、お諦らめ下されませや。
孫右
エヽ、ごて/\云ばずど、とつとゝ早う歸らぬかい。
[ト書]
ト三人を門口へ突き出す。三人、いろ/\こなしあつて外へ出る。才兵衞、ウロ/\する。
[孫右]
コレ、小春の親方、お前樣には云ひ分はない。心配せずと去んだ/\。
才兵
ハイ/\、初めて參じまして、えらくおやかましう存じまする。
[ト書]
ト云ひながら、下手へ行つて、門口へ出て三人と顏見合せこなし。
[才兵]
コレイナ太兵衞さま、身請けが遲いと、小春は死ぬるぞえ。さうなつたら下手人、其まゝでは濟まさぬぞや濟まさぬぞや。
太兵
オツと、それはよう合點して居るわいの。
才兵
キツと念を押しましたぞよ。
[ト書]
ト下手へ入る。
太兵
色ゆゑに酷い目に遭ふは、色事師のお仕着。役者で云うたら、二枚目の色立役ぢや。
傳海
その色事師のお相伴で
善六
どえらい箒の御馳走。
太兵
この見すぼらしい太兵衞の姿。
傳海
それも誰れゆゑ。
善六
元の起りは、
兩人
小春どの。
太兵
戀は切ないものぢやナア。
[唄]
[utaChushin] 何を云ふやら魂ひと、共に拔けたる腰の骨、互ひにいたはりいたはつて、跛ちが/\歸りける。後見送つて孫右衞門。
[ト書]
ト三人、をかしみのこなしにて向うへ入る。孫右衞門、思ひ入れあつて
孫右
コレ三五郎、治兵衞とおさんを呼んで來てくれ。
三五
ヘイ。旦那さん、お家樣、堂島の旦那が呼んでゞござりまする。
[ト書]
ト納戸の内にて
治兵
ハイ、只今それへ參りまする。
[唄]
[utaChushin] 納戸を出づる主の治兵衞、後におさんも附添うて、面目なげに立出づれば。
[ト書]
ト治兵衞出て來り、後よりおさん、好みの形にて出て來り、下手に住ふ。
孫右
コレ治兵衞、最前からの樣子、殘らず聞いたであらうな。
治兵
一間の内で、始終の樣子を聞きましてござりまする。
孫右
聞いたとあれば、改めて云ふには及ばぬ。あのやうに云うて去んだからは、小春の身請けは太兵衞がするに極つた。コレ治兵衞、あの小春の文を見て、よもや心は殘るまいがなう。
さん
ほんにわたしも聞いて居りました。あれではよもや、小春さんの事は思ひ切らしやんしたに違ひはあるまい。こればかりはこちの人に、微塵も嘘はござりますまい。その證據にはわたしが立ちまする。
孫右
それ聞いて、この兄も安心しましたが、親仁樣や阿母は、昔氣質の御氣性ゆゑ、つい口先ばかりでは、御得心はなさるまい。親仁樣の疑ひを晴らす爲、なんと誓紙を書いてはくれまいか。
治兵
何がさて、誓紙なれば、何枚なりとも。
孫右
さうなうてはならぬ筈。ソレ、おさん、硯箱を。
さん
ハイ/\。
[唄]
[utaChushin] 硯と紙を差出せば、比翼の誓紙に引替へて、今は天罰起請文、小春に縁切る、思ひ切る、僞はりならぬ文言は、紙や佛へ誓ひの一書、やう/\に書き終り。
[ト書]
ト治兵衞、起請文を認め、小刀にて指を切り、血判据ゑる。
治兵
これ御覽じて下されませや。
孫右
オヽ、これでよし/\。これも親仁樣や、阿母への心休めぢや。
さん
兄さんのお庇で、わたしも落ちつきました。子仲なして、ついに見ぬ固め事。これで二人の子供も仕合せといふものでござんすわいなア。
孫右
この氣になれば、商賣も繁昌しやう。得意大切、一家親族の喜び、此やうにやきもきと云ふも皆治兵衞が爲、家の爲、兄弟の子供が可愛さ。オヽ、子供の事で思ひ出した。誰れしも孫には目のないもの。この誓紙もわしが持つて去なうより、孫の手から、親仁樣の前へ出すが納まりがよい。お末を呼んで下され。
さん
アイ/\。
[ト書]
ト納戸へ向ひ、
[さん]
お末/\。
すゑ
アイ/\、母樣。呼んでかいなア。
[ト書]
ト納戸から出て來る。
さん
オヽ、其方は叔父樣と一緒に、祖父樣の所へ行ておぢや。
すゑ
アイ/\、そんなら叔父樣と一緒に、お祖父樣の内へ行くのかえ。
さん
さうぢやわいなう。
孫右
それぢや、お末を治兵衞の名代に、この誓紙を持たして、親仁樣へ詫び言さゝう。
[ト書]
トお末の手を引き下手へ行く。兩人見送るこなし。
治兵
それでは、もうお歸りでござりまするか。今日は何かと、いかうお世話をかけまして。
孫右
なんの、禮に及ぶ事。他人ではあるまいし、いつ何時、この孫右衞門が世話になるやら、明日の事は、知れぬで持つた憂き世の中。
治兵
變り易い人心。
さん
變らぬものは、親子の情愛。
孫右
夫婦仲を睦まじう、商賣大事にして下されや。
治兵
左樣なれば、兄者人。
孫右
治兵衞、おさん、おさらばでござるぞや。
兩人
ようお出でなされました。
[唄]
[utaChushin] お末の手を引き立歸る。
[ト書]
ト孫右衞門、お末の手を引き向うへ入る。治兵衞、おさん思ひ入れあつて
治兵
アヽ、最前からのもやくやで、ほつくりと氣が盡きた。ドレ、一寢入りして來よう。
[唄]
[utaChushin] 濟まぬ心の納戸口、暖簾押しあけ、奧へ行く、折からひよこすか三五郎。
[ト書]
トこれにて、治兵衞、納戸口へ入る、ト三五郎、目をこすりながら中庭から出て來り
三五
お家樣/\、もう何時でござります。
さん
三五郎とした事が、夜夜中のやうに何事ぞ。日も暮れるに間もあるまい。いつものやうに店を締めて火を點し、神明へも燈明上げましや。
三五
オツと合點。承知仕つて畏まり候ふ。
さん
ても、詞數の多い子ではある。さうして勘太郎は。
三五
坊さんは奧の炬燵で、わしが添乳をして居て、いつの間にやら、ツイうと/\と寢て居るうち、道頓堀の芝居を見物に行た夢を見た。コレお家樣、明日は芝居を見にやつて下されませや。
さん
何を云やるやら。最前からのどさくさを知らずに、寢て居たのかや。
三五
なんぢや、どさくさぢや。鼠を猫が追ひ廻すより外に、どさくさと云ふ事は知らぬのぢや。
さん
てもマア困つた子ぢやなア。
[ト書]
ト唄になり、おさん、こなしあつて、納戸の内へ入る。
三五
何が困るのか、とんと合點が行かぬわい。
[ト書]
トあたりを見て、傳海が忘れて行つた木魚を見付けてこなし。
[三五]
こりや何ぢや。ヨウ、木魚が二つ。これは阿房陀羅經の持つてゐる木魚ぢや。成る程、いごらいごらと遊んでゐる者を阿房と云ふ。そこで阿房陀羅經。この間さらば、これからお經の文句にかヽらうか。
[ト書]
ト三五郎をかしみの見得よろしく、道具廻る。
本舞臺、平舞臺、向う小形の襖、上手折り廻し障子屋體。下手、塀、格子戸の嵌りし入口、こゝに紙屋勝手口と記せし表札、その側に用水桶、取合ひに板の塀、すべて紙屋内奧座敷の體。爰に炬燵に蒲團をかけ、丸行燈、莨盆、などよろしく、治兵衞、炬燵に寢て居る。側におさん、針箱を置き、針仕事の體。この見得よろしく幕明く。
[ト書]
ト直ぐ床の淨瑠璃になり
[唄]
[utaChushin] 門送りさへ、そこ/\に、治兵衞は側に有り合す、定木を枕、轉寐の、あたる炬燵の小春時、まだ曾根崎を忘れずかと、退ける蒲團の内さへも、涙に濕るその風情、おさんは呆れ、つく%\と、顏打まもり/\。
さん
これいな申し、治兵衞さん、よう誓紙を書いて下さんした。わたしもこれで落ちつきましたわいなア。
[ト書]
トおさん思ひ入れあつて、炬燵の蒲團をのける。治兵衞こなし。
[さん]
エヽ、あんまりぢやぞえ、治兵衞さん。それほど名殘が惜しいなら、誓紙書かぬがようござんす。なぜにお前は其やうに、わたしが憎うござんすえ。
[ト書]
トおさん泣く。治兵衞、起き上がつて思ひ入れ。
治兵
コレ/\、そりやマア何を云やるぞいなう。子までなした仲に。
さん
イエ/\、憎いさうな/\、憎ましやんすが、嘘かいなア。
[唄]
[utaChushin] 一昨年の十月、中の亥の子に、炬燵明けた祝儀とて、これ爰で枕並べてこの方は、女房の懷には、鬼が住むか蛇が住むか、それ程心殘りなら、泣かしやんせ/\、その涙が蜆川へ流れたら、小春が汲んで飮みやらうぞ、あんまり酷い治兵衙さん、なんばうお前がどのやうな、切ない義理があるとても。
[さん]
二人の子供は、お前、なんともないかいな。
[唄]
[utaChushin] 心の限り口説き立て、恨み嘆くぞ誠なる。
[ト書]
トおさんよろしく泣き落す。治兵衝、さうぢやないといふこなしあつて
治兵
オヽ、尤もぢや/\わいの。悲しい涙は目より出で。無念な涙は耳からなりとも出るならば、云はずと心見すべきに、同じ目からこばるヽ涙、足掛け三年がその間
[唄]
[utaChushin] 露ほども悋氣せぬ、其方に云ふも恥かしながら。
[治兵]
マア聞いてたも。この間も曾根崎で殘らず聞いた、小春めが不心中。今といふ今夢も覺め、思ひ切つては居るけれど、ソレ、先刻にも話せし如く、あの太兵衞めが急に身請けをするとの事。退いて十日も立たぬうち、請け出さるゝ義理知らずの、小春めが事は心殘らねど。
[唄]
[utaChushin] 問屋中の付合ひにも、金の工面の盡きしゆゑ、小春を退いたのなんのと、得知らぬ奴の口の端にかゝる無念さ。
[治兵]
口惜しいと、思はず涙を流したわいなう。
[唄]
[utaChushin] 聞いて、おさんは摺寄つて。
[ト書]
トこれにておさん、思ひ入れあつて
さん
エヽ、そんなら、ほんまに小春さまは、お前に愛想つかしを云うて、太兵衞が處へ行く筈でござんすかいなう。
治兵
ハテ、きよと/\しい、その聲わいなう。
さん
オヽ、そんなら、小春さんは、生きて居る氣ぢやないわいな。死なしやんすわいなア。こりやどうせう。なんとせようぞいなア。
[唄]
[utaChushin] と立ちつ居つ、騒ぐ女房、騒がぬ夫。
治兵
ハテサテ、なんぼう發明でも、流石は町の女房ぢや。あの不心中者が、なんの死なうぞ。
さん
イエ/\、さうぢやござんせぬ。小春さんに不心中は、芥子程もないけれど、いつぞやよりお前の素振り、何を云うてもうか/\と。
[唄]
[utaChushin] 悲しい目を見ようかと、案じ過して。
[さん]
小春さんへ、いとしいと思はしやんす、治兵衞どのゝ爲ぢや程に、思ひ切つて下さんせと、掻口説いてやつた文。
[唄]
[utaChushin] 退かれぬ義理と合點して、親にも替へぬ戀なれど、思ひ切るとの嬉しい返事。
[さん]
これ程の心で、なんの太兵衞の所へ行かしやんしよ。請け出されたら其まゝに、死ぬる覺悟に違ひはない。
[唄]
[utaChushin] 小春さんを殺しては、このさんが義理立たず。
[さん]
どうぞ命が助けたい、思案して下さんせ。
[唄]
[utaChushin] 初めて明かす女房の誠。
治兵
ムウ、そんなら、アノ不心中と見せたは、其方の頼みか。
さん
アイナア。
[唄]
[utaChushin] 聞いて恟り。
治兵
ムウ。そりや、矢ツ張りおれを大切から
[唄]
[utaChushin] さうとは知らず、今までも。
[治兵]
義理知らずの、畜生のと、恨んだ心が恥かしい。
さん
アヽコレ、さう云ふ手間で、こなさん行つて、どうぞ殺さぬやうにして進ぜて下さんせいなア。
[唄]
[utaChushin] と急き立つ女房。
治兵
と云うて、小春が命助けるは百五十兩、せめて半金なりとも手付けを渡し、取留むるより外はないが、何を云うても、金の工面に盡きたこの身。
[唄]
[utaChushin] 途方に暮るれば、おさんは摺寄り。
さん
ナウ仰山な。それで濟むなら、易い事ぢやわいなア。
[唄]
[utaChushin] 立つて箪笥の小抽出し、開けて取出す綯交ぜの、紐つき袱紗押開き。
[ト書]
ト此うち、おさん、向う見付けの小襖を開ける。中に白木の箪笥。おさん、抽出しより、袱紗に包みし五十兩を出し、治兵衞の前に置く。治兵衞の前に置く。治兵衞、恟りこなし。
治兵
ヤア、こりや五十兩。どうして、マア其方が。
さん
サア、この金の出所も、後で語れば知れる事。この晦日に、岩岡の仕切の金に、才覺はしたれども、それは兄御と談合して、商ひの尾は見せぬわなア。小春さんの方は急な事、その五十兩と、後の殘りは。
[唄]
[utaChushin] と掻立つて、開けて取出す染小袖、兼ねて斯うとは白茶裏、黒羽二重も色變へぬ、淺紫の糸目結ひ、たつた鹿の子も惜氣なう、子供の物も掻き集め、内端に見ても二十兩。
[さん]
これだけあれば。
[唄]
[utaChushin] よもや貸さぬと云ふ事は、ないものまでも有り顏に、夫の耻と我が義理を、一つに包む風呂敷の、内に情ぞ籠りける。
[さん]
わたしや子供は何着いでも、兎角男は世間が大事。小春さんを身請けして、あの太兵衞めに、一分立てゝ下さんせ。
[唄]
[utaChushin] と云へど、いらへも涙聲、治兵衞思はず手を合せ。
[ト書]
トおさん、よろしくこなしあつて、治兵衞の着る物を出し、治兵衞、思ひ入れあつて着る。おさん手傳うて着せる。
治兵
オヽ、過分なぞや。シタガ、手付け渡して取留め、請出して圍うて置くか、内へ入れるにしてからが、マア、其方は、なんと。
[唄]
[utaChushin] 云ひさして打萎るれば。
さん
マヽ、なんのいなア、必ず案じて下さんすなえ。ハテ、モウ、子供の乳母か、飯炊か、面倒ながら眞實の妹、持つたと思うて下さんせいなア。
[唄]
[utaChushin] 云ふも胸まで突きかける、涙呑み込み/\て、夫に立てる貞節は、傍で見る目もいぢらしき。
治兵
何にも云はぬわいなう。コレおさん、親の罰、天の罰、神佛の罰は當らずとも、女房の罰が恐ろしい。
[唄]
[utaChushin] 免してくれとばかりにて、伏拜む手を。
[ト書]
ト治兵衞、手を合せて拜む。
さん
アヽ、コレ/\、勿體ないわいな/\/\。手足の爪を剥しても、皆夫への爲ぢやもの、後の間では詮ない事。サア/\/\早う。コレ、三五郎。
[ト書]
トおさん、治兵衞の手を取つて泣き落し、思ひ入れあつて急くこなし。三五郎を呼ぶ。
三五
お家さん、何ぢやな。
[ト書]
ト出て來る。
さん
其方、これを持つて、旦那樣のお供して行きや。
三五
旦那樣のお供なら、北の新地か。其奴は嬉しい/\。
治兵
コレ、無駄口云はずと、この風呂敷包みを脊負ふのぢや。
[唄]
[utaChushin] 渡す風呂敷、懷へ、金押入れて立出づる。
[ト書]
ト此うち治兵衞、金包みを懷中する。三五郎、風呂敷包みを脊負ふ。此うち五左衞門、親仁の拵らへにて出て來り、勝手口より入り、奧の間より出る。
五左
治兵衞どの、お宿にか。
[唄]
[utaChushin] ずつと入れば、夫婦はうぢ/\。
[ト書]
トこれにて、治兵衞、おさん、恟りこなし。
治兵
これは舅どの。
さん
父さん、なんと思うて、惡い所へ。
五左
ヤア。
治兵
ようお出でなされましたなア。
[唄]
[utaChushin] 三五郎が脊負うたる、風呂敷見付けて。
五左
コリヤ阿房め、その包みを何處へ持つて行く。また質屋へうせるのか。此方へおこせ。
[唄]
[utaChushin] 引つたくられ、恟り拍子、拔參りの、宵に知れたる心地にて、一間の内へ入りにけり。
[ト書]
ト此うち、五左衞門、三五郎が脊負ひし風呂敷包みを無理に引下ろす。これはと寄るを五左衞門、睨めつける。三五郎、恟りして奧へ逃げて入る。
[五左]
大方斯うであらうと思うたわい。よう聞きさらせよ。着類着そげを質に入れて、お山狂ひに仕上げるのぢやなア。コリヤヤイ、女郎の誠とな、鬼瓦の笑顏とは無いものぢやぞよ。サア、手短かにおさんに暇やりや。女子の子は母へ付くのが世間の大法。お末は先刻に孫右衞門が連れて戻つた。その時に何ぢや。
[ト書]
ト懷より誓紙を出し。
[五左]
コレ、この誓紙を、ひけらかしておれに見せた。アヽ、えらいやうでも、何處か若い。こんなで行くのぢやないぞよ。誓紙の代りに去り状書け。誓紙は役に立たぬわい。
[唄]
[utaChushin] 引裂き/\、治兵衞が顏に打ちつけて、上へどつさり大臼形、おさんは聞き兼ね。
[ト書]
トこれにて、誓紙を引裂き捨て、キツとなる。おさん思ひ入れ。
さん
コレ父さん、そりやお前、聞えませぬわいな/\。此方の内の身代の衰へたのも、皆お前から起つた事。ないもせぬ銀山に掛つたと云うて、三十兩借り、五十兩借り、揚句にはその銀山が潰れたとやら、元も子もないやうにしてしまはしやんしたぞえ。男氣な治兵衞どの、舅の事なり、云ひ出せば此方の耻と、證文を殘らず戻し、濟ましやんしたその時には、コレ、その怖い顏に涙を滾して、おれが爲の氏神樣ぢや、と喜ばしやんした事を、お前、よもや忘れはさしやんすまいがなう。また主の惡所通ひも、元の起りは、こなさんから起つた事。歴と仕分けて貰うた身代、マア何にして金が減つたぞ、と本家の不審が立つた時、ハテ、舅どのに取られましたと、鼻毛らしう云はれもせす、口へこそ出して云ひこそさつしやらぬ、志しを推量して、初手の間の茶屋通ひは、世間への聞えでさつしやるかと、ほんにやれ/\、行かしやんす度々に、わたしや、コレ、うしろから拜んで居たわいな居たわいな。その大恩を打忘れ、阿房ぢやの、イヤたわけのと、假初めにも勿體ない。堪へて下され、こちの人。父樣、去んて下さんせ。
[唄]
[utaChushin] 宥めつ叱りつ、兩方へ、我が身一つの切なさ辛さ、思ひやられて道理なる、思ひは同じ憂き思ひ、身の云ひ譯に紀伊國屋、小春は爰へ來かゝりて、樣子ありげな内の體、逢うては如何と、用水の、蔭に隱れて聞き居たる、とは知らすして、治兵衞は手を突き。
[ト書]
トこれにて、向うより小春、好みの拵らへ、頭巾をかむり出て來り、勝手口にて内の樣子を窺ひ、思ひ入れあつて下手へ忍ぶ。治兵衞こなしあつて
治兵
御立腹の段は御尤も。シタガ、おさんが申すは皆無駄言。私しが心に存ぜぬ事。おさんとは、どうぞ此まゝ添はせて下さりませ。
[ト書]
ト云ひかけるを、押冠せて、五左衞門、捨ぜりふよろしくこなし。
五左
イヽヤ、ならぬわい、何にも云ふ事、聞く事ないわい。おさんを戻せば事は濟む。併し、拵らへおこせし道具衣裳、改めて封付けて置かうわい。
[ト書]
トずんと立つ。
[唄]
[utaChushin] 立上がれば、おさんは驚き。
さん
アヽコレ父樣、衣類道具も揃うてある。改めるには及ばぬわいな。
[唄]
[utaChushin] 駈け塞がれば、突き飛ばし、ぐつと引出し。
[ト書]
トこれにて治兵衞立ち上がらうとして、立ち惱むこなし。おさん立ち塞がるを、五左衞門突き退け、捨ぜりふにて箪笥の抽出しを明ける。
五左
ヤア、こりや、どうぢや。
[唄]
[utaChushin] 一重二重抽出しの、數もありたけ押入れまで、底を叩いて五左衞門、口あんぐりとあき入れ物、さすにもさゝれぬ詞さへ、暫し呆れて居たりける。治兵衞とつくと心を定め。
[ト書]
ト此うち五左衞門、箪笥の抽出し殘らず明け、中を見て恟り、呆れたるこなし。治兵衞キツと思ひ入れ。
治兵
コレ舅どの、この五十兩は、女房おさんが衣類諸道具の代り、不足にはあらうが、もつてござれ。
[ト書]
ト以前の金包みを差出す。五左衞門こなしあつて、金包みを取上げ
五左
持つて歸らいでか。イヤ、まだ何と云うても大身代ヂヤ。シタガ、あの體裁を見るからは、いよ/\娘は連れて去ぬ。サア/\立たう。
[唄]
[utaChushin] と引立つれば。
さん
モシ、あゝ云ひ出しては聞かぬ父樣。わたしや、マア歸ります。云ふまでもないけれど、勘太郎が事頼みますぞえ。朝飯前に忘れずと、桑山の丸子、どうぞ服まして下さんせえ。
[ト書]
ト泣く。
治兵
オヽ、氣遣ひしやんな。思ひも寄らぬ今この仕儀。とんと心も落ちつかねど、そんなら暫く別れて居ませう。舅どのも、娘の事、まんざら酷うもさつしやるまい。つい戻るやうになろぞいなう。
[ト書]
ト治兵衞、よろしくこなしある。
さん
コレ、治兵衞さん、必らず短氣の出ぬやうに。
五左
エヽ、小面倒な暇乞ひ。キリ/\と行かぬかい。
[唄]
[utaChushin] 聲に目覺ます勘太郎。
勘太
母樣いなう/\。
[唄]
[utaChushin] 聞捨てに、後に見捨てる、子を捨てる、藪に夫婦の二股竹、長き別れと出でゝ行く。
[ト書]
トこれにて、炬燵に寢居りし勘太郎起きて、よろ/\縺れる。おさんが抱かうとするを、五左衞門、割つて入り、勘太を酷く突き飛ばす。治兵衞、これを抱き起し、おさんと顏を見合せて愁ひのこなし。おさん後へ引かゝるこなしにて、後へ戻らうとするを、五左衞門睨めつける。
五左
コリヤ、何をめそ/\泣く事がある。斯う縁切つたら赤の他人。例へ明日が日、何處で逢うても、女房などと云うたなら、聞く事ぢやないぞよ。
[唄]
[utaChushin] 口では云へど五左衞門、心残して出でゝ行く。
[ト書]
トこれにて五左衞門先に、おさん、奧へ入り、下手の勝手口より出て、泣く/\急き立てられて、向うへ入る。
[唄]
[utaChushin] 後影、見送り/\、としや遲しと駈け入る小春。
[ト書]
ト下手の用水桶の蔭より、小春、兩人を見送つてこなし。勝手口より駈け入り、奧より出る。
小春
治兵衞さん、逢ひたかつたわいなア。
治兵
其方は小春、爰へはどうして。
[ト書]
ト思ひ入れ。
勘太
母樣いなう。
[唄]
[utaChushin] 慕ふ子を、見るに二人は、いとゞ猶、思ひ崩折れ、抱きしめ、賺せばすやすや、幼な子を、いぶりながらも口説き事。
[ト書]
ト勘太郎泣くを、小春抱き上げていぶりつけ、炬燵の中へ寢かす。
小春
何から云はうぞ、治兵衞さんいつぞや曾根崎で、愛想づかしの悲しいお別れ。思ひ切つては居るけれど、太兵衞に身請けしられては、所詮生きては居ぬ覺悟。この世の名殘にたつた一目と、來る事は來ても、折惡しく立聞きした内の樣子。あれほど貞女なおさんさんに、あふぎの別れさせますも、皆わたしから起つた事、堪忍して下さんせいなア。
治兵
眞實な入譯を、聞けば聞く程、この身の誤まり。あのやうな女房が、三千世界にあらうかいなう。こん云ひ譯には、其方もわしも。
小春
そんならお前も。
治兵
おいの。
小春
嬉しうござんす。
[唄]
[utaChushin] 抱きしめたる泣じやくり、胸と胸とに云はせけり。
[ト書]
トこの時、奧にて三五郎謠ふ。
三五
高砂や、この金箱に餅入れて。
[唄]
[utaChushin] 片言まじり、阿房の三五郎、机に載せし三つ具足、兩手に抱へ、二人が眞中。
[ト書]
トこれにて、奧より、三五郎、經机の上に、佛壇の鶴龜の花瓶、供物臺に、白餅の供物載せしを、目八分に差上げ、片手に銚子を持ち出る。
[三五]
サア/\、けうといもんになつたぢやないかえ。あの先刻に、お家さんの云はんすには、コリヤ三五郎よ、おれが留守になつたら、大方小春さんがござんす程に、さうしたら旦那樣と祝言さすのぢや。われを頼むと云うて置かんしたわいな。そこでおれが思ひついて、花瓶の松に鶴龜、酒の取つたのがなかつたに依つて、水を銚子に入れて來た。仲人役はおれ樣ぢや。禮には好きな虎屋の饅頭。コレ、今から阿房と云はんすなえ。サア/\、早う飮まんせ/\。
[唄]
[utaChushin] 云へど二人はいらへさへ、死なねばならぬ知らせかと、覺悟ながらも今更に、目はうろうろとなりにける。
[三五]
ハア、こりや二人ながら泣かんすの。コレ、泣かんすないの/\。ハヽン、さては嬉し涙ぢやなア。
小春
サイナア、其方の云やる通り、嬉し涙がこぼれたわいなう。さりながら、治兵衞さんと祝言しては、どうも、おさん樣に。
三五
エヽ、なんの濟まぬ事はごんせぬわいの。お家さんは出し殻になつて、これ程甘い鰹節を、お前にやらんすこつちやもの。志しを無足にせずと、キリ/\飮んで献さんせいなう。
治兵
オヽ、こりや三五郎が云ふ通り、祝言ぢやと思や、無理もある。互ひに末期の永杯。
三五
オヽ、さらば、お酌を申さうかい。
[唄]
[utaChushin] 涙ながらに取上ぐる、酒と水とは土器の、土になるまで葬禮の、一本花や鶴龜の、蝋燭立も消ゆる身と、思へばいとゞ胸せまる。
[ト書]
ト此うち、三五郎、土器を取つて酌する。小春、治兵衞飮むこなし。
[三五]
サア/\、めでたうなつて來た。誰れぞマア、唄うたひが來いでな。
[唄]
[utaChushin] 見やる外面へ、七つ子の、墨の衣に草鞋がけ。
[ト書]
トこれにて、下手より、お末、白着附け、墨染の衣、網代笠を冠り出て、勝手口へ來る。
すゑ
安養寺尼寺、常念はつち。
[ト書]
ト大きな聲にて云ふ。
三五
ソリヤこそ來たり。
[唄]
[utaChushin] と阿房は駈け出で、連れて入るを、顏見て恟り。
[ト書]
トこれにて三五郎、お末を連れて入る。皆々顏見て恟りこなし。
治兵
ヤア、お末ぢやないか。わが身一人戻つたか。さうしてマア、變つた形をして。
すゑ
アイ、祖父樣に、こんな美しいべゝ着せてもらうた。あまり此べゝは白いによつて、何やらたんと書いて下さつた。この書いたのを、父樣や小母樣に、ちよつと見せて來いと云うて、祖父樣が、そこまで連れて來て下さつたわいなう。
治兵
ナニ、書いたのを見てもらへとは、ドレ/\。
[唄]
[utaChushin] あたふた脱がす墨染の、下には何か白無垢に、おさんが筆の散らし書。
[ト書]
ト小春、治兵衞立寄つて、お末の衣を脱がす。白無垢の着附けに、何か書いてあるを見て、兩人こなしある。治兵衞讀む。
[治兵]
ナニ/\、涙ながらに一筆しめし參らせ候ふ、先程、父樣と連立ち歸り候ふ節、小春さま御忍ばせの姿慥かに見受け候へども、御存じの譯合ゆゑ、お目もじもなり難く、書き殘し申し上げ參らせ候ふ。
小春
アヽコレ申し、治兵衞さん、わたしにも讀まして下さんせ下さんせいなア。エヽ、兎角連合ひの命が助けたさ、小春さまへ、わりなきお願ひ申し上げ候ひしに、お聞き屆け賜はる嬉しさ、海山にも替へまほしく、なんぼう忝なう存じ參らせ候ふ。
治兵
アヽ。この御恩を送り候ふには、末々お二人を御夫婦となし參らせ候ふより、外なく候ふ。
小春
その上、父樣の眞實を聞き、私し事は、これまでの縁と諦らめ參らせ候ふ。また、お末ことは、こなたの乳にて育て申すべく候ふ、勘太郎が事を小春さまへ、くれぐれも願ひ上げ參らせ候ふ。
[ト書]
トこなしある。
[小春]
エヽ、何の事ぢやぞいなう。こりやマア何の事ぢやぞいなう。そりや聞えませぬ。おさんさま、わしやお禮うける覺えはない。こりやわたしをば術ながらすのかいな。わたしやよう諦めて居る程になア。ちよつと戻つて下さんせいなあ。コレ治兵衞さん、呼び戻して下さんせいなア。
[唄]
[utaChushin] 立つて見、居て見、うろ/\と、譯も涙にくれ居たる、治兵衞は又も取上げて。
治兵
ナニ/\、舅五左衞門申し入れ候ふ、エヽなんの、アノ舅親仁の恩知らずめ。うぬが、なんの、碌な事を書上げるものぢや。エナニ/\、舅五左衞門申し入れ候ふ、六年以前、あたはぬ銀山にかゝり、御損失をかけ候ふ所ろ、聟舅の由縁を以て、證文殘らず返し下され、千萬忝なう存じ奉り候ふ。エエ、そりや知れたこつちやわい。エヽ、金子の減少、本家への聞えを思し召し、それゆゑの遊所通ひ、初めの嘘が實となるは、我れ人、若年の時を思ひ出し申し候ふ。ムウ。先頃、娘に右の入譯、委細に承知仕り候ふゆゑ、輕少ながら金子百五拾兩、先刻衣裝相改め候ふ節、箪笥の大抽出しへ差入れ置き申し候ふ。エヽ、すりや、金子を箪笥の抽出へ。オヽコレ、コレイノ、その箪笥の抽出を明けて見や。エヽ、その下の方ぢやわいなう。
[ト書]
ト治兵衞、小春へこなし。小春、うろ/\抽出を明けて、金包みを取出す。
小春
オヽ、爰にござんした。
治兵
オヽあつたか。エヽ、右の金子を以て、小春どのを請け出し、長くお添ひ下さるべく候ふ。
小春
そんなら、先刻の無慈悲な事も、みんな情でござんしたかいなア。
治兵
ナニ/\、娘さん事は、お末諸とも、今日尼に致し。オヽコレ、小春いなう/\、おさんが尼になつたといなア。
[ト書]
ト泣く。
小春
エヽ、おさんさまが尼にならしやんしたら、わたしや、何とせうぞいなア。
[ト書]
ト泣き沈む。
治兵
ても、おさんは尼になつたといなう/\。
[ト書]
ト泣く。
[治兵]
エヽ、娘さん事は、お末諸とも、今日尼に致し、貞玉、智月と法名つけ、天下茶屋尼寺、安養寺へ連れ行き、先刻下されし五十兩は、二人の者の飯料、即ち寺へ祠堂金に上げ申し候ふ。
[唄]
[utaChushin] 皆まで讀まず、兩人は、わつとばかりに聲を上げ。
治兵
そりや胴慾ぢや、コレおさん。そりやわしを術ながらすのぢや/\。所詮死なねばならぬこの身、子供の養育は誰れがする。聞えぬぞや、コレおさん。
[唄]
[utaChushin] 情が仇となるわいやいと、悔み嘆けば、阿房も涙、小春は涙にむせ返り。
小春
そりや胴慾な。
[唄]
[utaChushin] おさんさま。
[小春]
これまで悋氣もなされずに、逢はしてたまはるその御恩、こま%\文のお頼みを、聞入れたのが枷になり。
[唄]
[utaChushin] こんな事ならその時に、なぜさう云うて下さんせぬ。
[小春]
コレナア申し、治兵衞さん。
[唄]
[utaChushin] おさんさまを呼び戻し、千年も萬年も、添へ遂げて下さんせ。
[小春]
その身ばかりか、此やうな。
[唄]
[utaChushin] この子は可愛う、エヽマアないかいな、見れば見る程いたいけな、愛に溺るゝ幼な子の、乳房を離るゝいぢらしさ、孤子となしたるも、皆わたしから起つた事。
[小春]
堪忍して下さんせいなア。
[唄]
[utaChushin] 堪忍してとばかりにて、取亂したる詫び涙、晴れ間も分かず降りしきる。折からうそ/\善六、太兵衞。
[ト書]
ト小春こなしあつて泣き落す。治兵衞思ひ入れ。下手より太兵衞、善六出て來り、勝手口から捨ぜりふよろしく入り、奧より出て來て。
太兵
ヤイ、治兵衞め、大方こんな事であらうと思うた。おれが請け出して女房にする小春。うぬは又、なんで引込んだ。
善六
コレ太兵衞さん、細言云ふにや及ばぬ。これまで重重意趣ある治兵衞め、撲り殺して腹癒せなされませや。
太兵
オヽ、合點ぢや。
[唄]
[utaChushin] 双方より打つてかゝるを、いなたも爰ぞ一生懸命、さへぎる利腕、しつかと捕へ。
[ト書]
ト太兵衞、善六の兩人、脇差を拔いて切つてかゝる。治兵衞よろしくこなしあつて立廻つて、
治兵
コリヤ三五郎、お末、勘太郎を連れて、堂島の舅の所へ。
三五
それでも、わしが居ぬと、便りなからうがな。
治兵
エヽ、阿房云はずと、早う行け。
三五
合點ぢや。
[唄]
[utaChushin] おつと心得、三五郎、手早く二人を伴うて、表の方へ出でゝ行く。
[ト書]
ト治兵衞、小春を庇うて、太兵衞、善六の兩人と立廻りのうち、三五郎、勘太郎を脊負ひ、お末の手を引いて、勝手口から出て、下手へ入る。
太兵
コレ善六。
善六
オツと心得た。
[唄]
[utaChushin] 云ふうち打込む善六太兵衞、折よく外せば、二人は同士打ち。
太兵
コリヤ治兵衞めが、切り居つた。
[唄]
[utaChushin] 云ふに恟り、氣も顛倒、日頃の意趣に滅多打ち、乘り掛つて止めの刀。
[ト書]
トよろしくごつちやの立廻りあつて、トヾ太兵衞、善六、同士打ちしてへたる。治兵衞、顫へながら止めをさす。小春、恟りこなし。
小春
アレ。
治兵
小春、怖い事は何にもない。ヂツとして居や。
[ト書]
ト小春、治兵衞に抱きつく。治兵衞思ひ入れ。
小春
ヤア、すりや、二人を。
治兵
アヽコレ。
[ト書]
ト合ひ方、メリヤスになる。
[治兵]
コレ小春、怖い事はない。もう斯うなる上は是非に及ばぬ。かねて云ひ合した通り、最期所は網島の大長寺。そんなら直ぐに。
小春
人なきうちに。
治兵
サア、おぢや。
[唄]
[utaChushin] 手を引き急ぐ惡縁の、末は涙の藻汐草、噂の種となりにけり。
[ト書]
ト治兵衞、小春の手を取つて、勝手口へ出る。この見得よろしく。
小はる治平衞
心中天網島 (Shinju ten no Amijima) | ||